こんなことでよろしいか(老兵の進軍ラッパ)Ⅱ
2010年 02月 21日
これは何かに取り憑かれたかと感じたが、どうも違う様な気もする。
そこで何故だか、日々一編ずつ楽しみながら読む積りでいた佐藤さんのエッセーを開いた。
相変らず楽しく面白い、もう少し、後チョットと読み始めたら止まらず、とうとう最後まで読み切ってしまった。
それで今更ながらに気づいたのだが、どうも佐藤さんと自分の感性は似ている。
彼女のエッセーの面白さは、当たり前の事を当たり前に主張している点にある。
自分自身を変わり者と称しながらも、至極真っ当な論調なのだ。それを上手に面白可笑しく書く辺り、流石はプロだと感じさせる。
例えば息子が事件を起して会見を開いた大物女優さんへのマスコミの態度に憤慨する佐藤さん(否、今後は親愛の情を込めて「愛子さん」と呼ぶ)は叫ぶ。
息子は一人前の大人なのであり事件の責任は親である女優さんには一切ない、それを知りたがるマスコミや世間の連中に逆に問いたい「今、どんな心境ですか」と。喜びの頂点にいる人、悲嘆のどん底に居る人に向かって「今、どんな心境ですか?」は、確かに馬鹿げた質問の最たるものだろう。嬉しい、悲しいに決まっている。
確かに愛子さんが仰る様に、テレビのインタビューでは必ずこの馬鹿げた、厚顔無恥な質問が飛ぶのだ。
それから二十年にも渡った怪異現象との闘いで、愛子さんが学んだ霊的真理をエッセーとして出しておられるが、それに対する誤解も甚だしいようだ。
ご他聞に漏れず、マスコミは怪異現象にのみスポットを当てて真実に大切な事柄には見向きもしない。何故に彼女が自家の怪異現象をエッセーとして公開するか、その心、想いが全く理解されていない。
そして誤解の上に迷惑な電話や手紙が多いらしい。夜中に突然、見ず知らずの人から電話があり、これまた唐突に「死にたい」とか「亭主が浮気して・・・」とか、「弟夫婦が一銭も払わずに居候している・・・」とか言ってくるらしい。そんな相手は大抵、名乗りもせず一方的に喋り、相談している積りに成っているのだ。
それで愛子さん「どうして、私にそんな事を??」と成ったらしいが、漸くエッセーの内容が誤解されているらしいと気づいた。彼女は自分が霊能者だと勘違いされているらしい事に
思い当たり、戸惑っていた。しかし、相手の気持ちを慮り「死にたい」人には地獄の話
で脅かして萎えた気持ちを吹き飛ばし、時には一緒に亭主の悪口を言い立て、はたまた「自分で出て行って、と言いなさい」と尻込みする相談者の背中を押す。
彼女の家族や友人は人好を揶揄するが、その辺りが愛子さんの愛子さんたる所以だろうと想う。この「想う」と「思う」の使い分けにも一説あげられているが、それに関しても全く同感である。
これとは無関係な話しだが国会に於ける論議で「政治と金」の問題が白熱している今日、彼ら国会議員はそれで自分の務めを果たしていると思っているのだろうか。
もしも、万一にも、本当にそれで「自分は国会議員の職務を果たしている」と思っている人は、直ぐに辞職しなさい。何故かと問うなら、見当違いも甚だしいからだ。
今はそんなスキャンダルよりも、緊急に成さねば成らない課題が山積している。
スキャンダルを追求したければ、その課題をクリアした後に気が済むまでやれば良い。
とまあ、こんなのが国民の本音ではないかと想像するのだが、こんな事を考えてしまう辺りも何となく愛子さんとの感性の類似を感じてしまうのである。
そして気づくと、訳のわからない憤怒も和らぎ今は心中も平和になりつつある。
愛子さん、ありがとう御座いました。