オリンピックに想う
2010年 02月 25日
日本期待のフィギアスケートの女子SP(ショートプログラム)が今日から始まり、日本の三人は上位につけている。結果はどうあろうとも、オリンピックに参加した総ての選手たちに拍手を送りたい。
昨日(2/23)に荒川静香さんとイリーナ・スルツカヤさんのドキュメントが放映されていました。初めてのオリンピックの時、荒川さんに送られた様々な勝手なアドバイスで方向性が見えなく成った。まだ若かった彼女に周囲の関係者が勝手な助言を各々に繰り返した。
中には正反対の助言もあった。そんな中で荒川さんはオリンピックに出場し、13位と敗退した。それ以来、荒川さんはオリンピックを目指さなくなった。
荒川さんが本当に目指したのは、アイスショーの世界だった。楽しく滑る、そこには勝敗は無くお客さんとの一体感がある。だが競技で上位の選手しかアイスショーには呼んで貰えない。そこで実績作りの為に競技を続けた。他にもコーチを変えたり、採点ルールの変更に翻弄されながらも競技を続けた。
その結果がトリノ五輪での日本で唯一のメダル、しかも金メダルへと繋がった。現在は念願のアイスショーでお客さんを楽しませ、自らも楽しみながら滑っている。
一方のスルツカヤさん、彼女の悲願は五輪の金メダリストに成ること。ソルトレイクではそのチャンスが在ったが、疑惑の採点で金メダルを逃した。最高の演技をしたにも関わらず、優勝は地元アメリカの選手だった。
その出来事以来、スルツカヤさんは状況により採点が左右されると思い始めた。
そんな事もあり今度こそ、と臨んだトリノだった。
しかしその時は他種目の金メダルは総てロシア勢で占められており、スルツカヤさんの脳裏には「これ以上はロシアに金メダルをやりたくない」とジャッジは考えるだろうとの想いが過ぎったという。
そして・・・彼女の前で素晴らしい演技をした荒川静香選手は、パーソナルベストをたたき出しトップに居た。スルツカヤさんは最終滑走だった。
彼女らしからぬミスをして2位から3位に落ち、悲願の金メダルもまた彼女の手をすり抜けて行ってしまった。
演技以外の要素がスルツカヤさんを苦しめ、荒川さんをして五輪には出たくないと思わせてしまった。そこには選手の情熱を萎えさせてしまう様な、何かがある。
勝敗に拘る周囲の人々や加熱する報道が、無用のプレッシャーとなり選手に襲い掛かっているだろう事は想像に難くない。
いうまでもなく、最も努力精進をしているのは選手自身だ。その選手の努力とは別の処で蠢く不気味な何か。それはナショニリズムか、商業主義の果てしない欲望か。
アイスダンスやフイギアなどは勝負よりも、その華麗な舞いを楽しむべきだと思う。タイムなど厳格な差が認められない競技は、どうしても採点に公平を欠く傾向があるのではないか。僕としては採点する人間が周囲の雰囲気に流される事は絶対にないのか、選手の好き嫌いやナショナリズムによる影響を完全に排除できるのか、などの疑問が尽きない。
五輪が勝負に左右されず、真に努力した選手達の技を世界の人々に披露する場になればよいと想うのは僕だけだろうか。
勝敗の無い五輪は詰まらない、そう思われるだろうが誰かが負けて泣く場面を見なくて済む。勝負のプレッシャーで実力を出し切れずに終わり、落胆する選手を見なくて済む。
勝負を度外視すれば、より実力も出易いというものだ。選手の満足した満面の笑みが見たいと思いませんか。