チャネリング体験記(4章-2)
2010年 03月 22日
私:さて困難な質問だけど「死」とか「死後」についての君たちの概念を聞かせて欲しい。
ハ:簡潔に述べれば「死」は存在しない。少なくとも創造的な視点からは、そういう答えになる。不思議に感じるだろうが、これが真実だよ。
「死」そのものは肉体の物質的な変化を示す現象だ。物質的なものは、物質的法則に則って常に変化している。
私:それで、仮に肉体が滅びても意識が残るとすれば、その意識が体験するのはどんな世界だろう。
ハ:千差万別だよ。その人の強く信じる、或いは望む世界を体験する。
地獄のイメージが強ければ地獄を、天国なら天国を体験するだろう。意識は創造だから、何でも望むものを創りだす。
例えば自分の死を自覚していない場合は、生前の日常を出現させる。
私:それなら幽霊とかもそんな意識の産物なのだろうか。
ハ:大抵の場合はそうだろうね。ただ自意識が過剰な場合は、自分の意識の殻に閉じ篭ってしまう。自意識と言ったけど、強い恨みや執着心などがそうだ。
私:強制的に誰かが迎えに来たりしないの、守護霊や指導霊などがさ。
ハ:あくまでも本人の意思が主体だ、霊界の先輩達も本人の意思を無視したりしない。
私:なるほど、死ぬ前に勉強が必要だな。そうでないと死後が不幸になってし
まう、自分の意識ひとつで自由なのだと学習しておかねば。
ハ:うん、それを教えるのが本来の僧侶の仕事なのだ。葬式や法事は実は二の次なのだ。でも君たちの世界の僧侶は酷い。
教えるどころか、自分達でも解っていない。これでは教えられない。
私:君たちの世界にもお坊さんは居る?
ハ:そんなもの居ないよ。死はほんの少しだけ次元の違う世界への旅立ちだと誰もが知っているからね。死は祝福された現象だよ。
考えてもごらん、君は死なないから永遠に肉体労働を続けなさいと言われたら?
私:御免だよ、考えただけでゾッとする。
ハ:そうだね、死は肉体からの開放を意味するし、本来の自己への回帰を加納にしてくれる。
本来の自己とは「個人的意識」であり、創造の一部である自己をよりストレートに認識できる。但し人生を精一杯に生き切ることが大切だ。そうする事により、はじめて満足でき自己回帰をスムーズに行うことができる。
途中で逃げ出したのでは駄目だ、何故なら本来の自己は全てを知っているから。自殺などしたら、酷く悔やむことになる。
私:そうか、自分の真実からは目を背けられないからなぁ。
ハ:その通りだ。だから力いっぱいに生きることが大切なのだ。他人から見ていかに愚かでも、自分がベストを尽くしたといえる人生を送るべきなのだ。
私:ところで最初に「死は存在しない」と言ったけど。
ハ:そう、意識は創造とともに生き続ける、意識に死はない。私達の本性は意識だからね。
私:それは唯心論の一種かい?
ハ:違うね、物質的なものを軽視し、精神的なものを重視している訳ではない。
両者は二つで一つだ、どちらが欠けても体験を積み自己認識を行うには不都合だ。だから一方が大切で他方が大切で無いとは言えない、どちらも同じに大切なのだ。
個人的にはいろいろありますが、読み続けて行きたいと思って
います^^ タイムラグはお許しくださしませ。
>ハ:千差万別だよ。その人の強く信じる、或いは望む世界を体験する。
霊界通信では、まさにこの通りで、自分自身の精神がその世界を
創ると語っていますね。
以下、言葉のニュアンスは受け取る側の精神によりますが、ほぼ
今まで送られてきた霊界通信に準じていると思います^^
コメント有難うございます(^^)
実は、皆さんが読み込んでおられる霊界通信の類は、殆ど
読んだことがありません。それでも、ある程度の共通点が
存在するとなれば、自信になります。有難うございます。