チャネリング体験記(6章-1)
2010年 03月 27日
さて前章で記述した「個人的意識」が、幾人もの多次元的宇宙へ送り出す或いは投影するとはどういうことなのか?また、そのことと全次元的意識「創造」との関係について考えてみたい。
正直に言うと考えるのではなく、ハテナを介して何者かがある種の仮説を与えてくれるのだ。
全次元的意識「創造」は自己を分割し、忘却することで自己認識を得ようとした。その手法とは多次元宇宙を産み、無数に分割した自身の分身をその世界へ送り出し、それらの体験を収集することだった。
いわば私たちは一部とはいえ、「創造」そのものなのだ。
それにも関わらず私達は様々な未知の出来事に遭遇し、困惑する。明日の自身の運命さえ予測できず、突発的な出来事に翻弄される。何故なのだろう。
また完璧なはずの「創造」の一部である私達が、進化する余地など本当にあるのか。その必要性は?ハテナは次のように語ってくれた。
ハ:人類に限らず、存在する全ては完璧だ。何故ならば存在すること自体が完璧である証しだからだ。
さて「完璧」ということの意味だけれど、総ての存在が、それとして存在するために必要な全てを備えているということだ。
「進化」するということは、「存在」すること以上の意味が存在するということだ。解るかな?
私:何となく・・・・。
ハ:宜しい。人類は進化する余地の多い生命形態のひとつだ。だから、進化し発展する。
私:でも、完璧な存在にとってそれ以上の意味はあるの?
ハ:とても大切で重要な目的を忘れていないか、ほらっ、元々は何のためにこう成っているかっていうことだよ。
私:そうか!!自己認識だった。経験し、自分を認識するためだ。
ハ:そのとおり、そして体験し、自己認識をするために何をしたのだった?
私:えっと、何だった?忘れたよ。
ハ:ピンポ~ン正解、忘れたんだ。一切を一時的に完全に個人的意識は忘れたのだ。無論、あくまで人間が感知できる表層意識での話しだけどね。
そして物質次元で様々な出来事を経験し、少しずつ思い出していく。
進化とは思いだすことでもあるのだ。
私:だけど、大元が知っているのなら思い出しても進歩したとは言えないじゃあないか。それに体験するにしても楽しい良い体験と、苦しく悲しい体験があって、運命とか宿命とかカルマ等と呼ばれている。何か変じゃあないか?
ハ:部分的な観測ではそうなるね。痛みや悲しみを経験してはじめて、健康や喜びを認識できる。その逆もまたしかりだ。
そして、その経験はとてもリアルでなければ成らない。何をするにしても真剣で一生懸命でなければ、その醍醐味は解らない。ふざけた態度や姿勢で、物事の真実は体感できない。