チャネリング体験記(18章-3)
2010年 05月 11日
現在の私たちの科学レベルでは、到達できない高みにこの「人類の発祥」という人類自身の問題が横たわっているとは何と皮肉なことか。
私は以前の章(二章)で現生人類は文化文明的に、進化の一途を辿って来たのではなく、逆に祖先のテクノロジーを守ることが出来ずに退化してしまったと書いた。
無意識の通信でもたらされたこの情報では、私たちの文明は一度どん底まで落ち込み、そこから這い上がってきたものらしい。
メソポタミア、黄河流域、インダス川流域など古代文明の発祥地として我々が認識している地域は、各地の文明復興の中心地だったのではないだろうか。
話しが逸れてしまったが、この課題に対する私の考えは余り明確ではない。
敢えて述べるとすれば、これらの説のどれかに拘る必要もないと思っている。
想像の翼を広げれば、以下のようなストーリーが導き出せるかも知れない。
鬱蒼たる原始林や羊歯植物が繫茂する太古の地球上を、恐竜や様々な動物が闊歩していた。無論その中には哺乳類も存在していた。
この動植物は彗星で運ばれたり、生命の種蒔きを目的とした宇宙文明人が他の惑星から移植したりしたものが自然に増えたものだった。
そのまま放置されていれば、もしかしたら数億年の後にはその内から知能程度の高い種が出現し、猿人の惑星か爬虫類人の惑星となっていたろう。
しかし他の文明程度の高い人類が来訪し、自分達に近い身体を持つ種に遺伝子操作を施して知的発達を促した(人類の誕生)。
その後に文明人は何らかの事情で地球を去り、遺伝子操作された種は知的に成長し、ある程度の水準に達した。
そこへ戻ってきた文明人が神として君臨し、地球人を支配下に置いた。
だが神ならぬ身の文明人は、仲間割れ或いは、外からの侵略により戦争状態となり地球を放棄せざるを得なくなり再び立ち去った。
その後も一時的には宇宙文明の流刑星となったり、開拓地として殖民星となったりしたが、その間にも新旧の来訪者の間で戦いが繰り返され、地球のいたる所で激しい攻防戦が戦われた。
そうする内に宇宙文明人も次第に凋落し、地球を飛び出す術を忘れ地表に縛り付けられることとなった。
未だそこそこに高い技術を手にしていた一部の人々は、地上を捨て地下世界へと移住して行き、そこで独自の文明を発展させていった。
一方地上では霊的身体を持った魂が来訪し、優雅な生活を謳歌したが我侭や嫉妬といった負の感情が高まり、それが原因で次第にバイブレーションが低下し、遂には三次元的肉体に留まらざるを得なくなる。
そして彼らは地上に居た他の人種とも混血し、長い年月を経た後にアトランティス文明を開花させた。
とまあ、こんな感じのストーリーが描けるのではないか。
意識が上昇して 次元があがった状態になっても 戦いはあるのですね・・・・やっている事象は同じ事なのでしょうか。今後も戦いの無い 地球を期待するのは むつかしそうですね
ただ今思うのは、
そういうことがあっただけで、今を一生懸命生きてる私には関係ないということです。
ただそういうことがあった。
いいわるいではなく。
その経験をしたから、とよくも見えるし、だからもう駄目だとわるくも見える。
私はそもそものところをえぐる時期に来てる気がします。
人によって「そもそも」の深さ(と表現します)は違うかもしれませんが、結局は遊びということに気づけるんじゃないでしょうか。(このblogにそぐわないかもしれませんが私の本音です)
楽しませてもらってます。ありがとうございます。
迷惑メールがめんどいですね。会員になろうかな。
いつもありがとうございます(^^)
それも、これもやはり進化の過程なのだろうと思います。
そういう時代を経験する必要が有るのかも知れませんね。
いいともさん
いつも有難うございます^^゛
そうですね、究極は総て劇のようなものだと感じています。
私は全知全能の意識の内なる芝居、知っている事を経験し、実感
する為のものと想っています。
私がこのブログに書いている事など、本当は誰もが知っていると感じています。