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身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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チャネリング体験記(20章-8)


「創造」は完全な自己認識を求めて、私たちにも完全な意識としての特性を与えた。故に私たちの意識も常に創造している、例えそれが破壊的な想念であったとしても、破壊的な現実を「創造」することになる。
波動の低いこの世界では想念が現象化するまでのタイムラグが長く、私たちがつい無防備に垂れ流す想念の結果はずっと後の忘れた頃にしか現れない。
だが目に見えず、音に聞こえずとも確実に現実を作り出している。
 私の意識は「文章を書く」ことを望み、こうしてパソコンと向き合いこれを記述している。これは私が作り出した現実である。
自覚の有無に拘らず、私たちの現実は私たち自身が創り出している。それはあらゆる現実として、他者の生み出した現実と複雑に絡み合いながら現れてくる。
それが更に規模を拡大し、地域社会の県の地方の国家の人類社会の現実として顕現されてくるのであろう。
結果として私たちの総意が渾然一体となって、国際社会の主流の現実を確実に出現させるのだが、これも創造の性質そのものに他ならない。
「創造が自己に似せた生命を創りだした」とは、正にこのことを指すのだろう。
姿や形ではなく最も基本的な意識としての性質を、創造は自らの創造物に転写したのだ。
そんな考えは間違いだとするご意見もあろうが、それこそが創造の望む多様性の現われであり、意見の相違が無限のパターンの現実を生みだし体験する機会を増幅させる原動力となる。

 どのような仮説にしても主観的体験を基にしている限り、そこに客観的な要素を認めることは出来ない。ただし様々な疑問がこのような考えにより、理解可能のように見えるのはどうしてだろうか。
一連の仮説や通信が、常に同じ根本へと却ってくるのは何故だろうか。
私自身には、このように優れた一貫性のある論を構築する理力はない。
これは様々な不思議体験を内なる声の助けを借りて私なりに考察する内に、自然に同じ根本へと戻ってくる不思議体験のひとつでもある。
文章を記述している間は、何故だかとても集中力が高まっている。
表現や言葉を選ぶのは自分であり、記述する内容のテーマを選ぶのも自分だ。
しかし決まったテーマについての原理や理論は何者かが与えてくれる。
無論、最初から私自身の中に存在しない事柄については、私も表現しようがなく文章化することも、情報を受け取ることも困難だ。
今更ながら自分が本当にチャネラーなのか、との疑問を感じるのはこの点についてである。
本物のチャネラーならば、もっと自己の内にない情報も与えられるのではないかと思うのだ。更にはよく耳にするように、強制的にチャンネルを開かれて一方的に情報を流し込まれるような事態にもない。
ここが最大の疑問点であるのだが、悪いことばかりでもない。
幸いにもこの疑問が常に付きまとうお陰で、自意識過剰にならずに済んでいるし、精神的に混乱することなく一般的な社会人としての生活を保てているのだと思う。
何れにしても様々な疑問に自分なりに挑戦することは、とても面白く無味乾燥な日常に潤いを与えてくれている。
Commented by paw at 2010-05-24 12:24 x
私も意識、想念、思考等は、霊界(創造)からの働きかけによるものだと
感じています。ただし、いろいろな界層の領域の世界からの働きかけな
のでしょうね。働きかけてくる世界を霊界とするのなら、当然、地上意識
に近い低い界からのものもあるでしょう。
より源泉に近い働きかけを受信し続けること。そのための努力こそが、
’この世で生きる’最大の目的なのでしょうね^^
Commented by levin-ae-111 at 2010-05-24 18:01
Pawさん
有難うございます^^゛
理論的に(例え仮説でも)納得できないものは、信じないように
しています。どんなに良い話でも、眉唾物として聞いています。
私の場合、サニワが居ないので自分で注意深く、中身を吟味しなければなりません。常に疑いの心を持って聞きますから、鵜呑みにはしない様にしています。
自分の人間性に合った内容を受信するのでしょう。
勿論、人間性とは内面のことで、外面が良くても中身がドロドロ
では低い領域の通信しか入りません。
そんな意味で、人間性を磨く=高い領域と繋がることだと思っています。
by levin-ae-111 | 2010-05-23 07:00 | Comments(2)