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by levin-ae-111
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日本とユダヤの不思議な関係(21)

(十一)日本の中に在るペルシャ的なもの
 ペルシャとは現在のイラン辺りの事を指すが、秦氏が根拠地を得た京都に集めた人々はユダヤ系だけに限らなかった。
日本に最初に伝わった仏教は、工人の名前がペルシャ語で読めると主張される研究者が存在するように、前述したようにペルシャ型のものであったろう。
そしてそれ以前に伝来した稲作が、やはりペルシャからもたらされたのであれば、ペルシャ型仏教の伝来は少しも不自然ではない。
水上氏の著書で杉山二郎氏の研究を挙げ、稲のルーツはインディカ米に限らず、アフリカ方面からのものが存在したとしている。
そのアフリカ種は地中海東岸からカスピ海南岸で栽培されており、イランのハリメジャン地区は純然たる稲作農耕地帯であったとされる。
そこには弥生農耕村落をイメージさせる校倉高床式の家屋、明治時代ころまで東京の下町に残っていた『座り流し』の台所や、臼と杵を使った脱穀、畝のある水田などが存在していたとしている。
今日、遺跡に再現されている弥生集落は、水田こそ無いが正にこの様なイメージと重なるものである。

 そればかりか、伝統的な盂蘭盆(うらぼん)の行事がペルシャにその源を発するとすれば古代ミステリーへの興味はますます湧き上がる。
盂蘭盆、といえば京都の大文字焼が有名だ。夕暮れから点火され、舟形や妙法、左右の大文字などを浮かび上がらせる壮大な火の祭である。
水上氏によれば、この盂蘭盆はサンストリック語の辞書に無く、従って仏教行事ではないとして、これをペルシャの火祭りだとしている。
しかも実は大文字は『大』ではなく、元々は五芒星であったと予想されている。
そして、舟形は舳先の上がった外洋航海船であり、農民たちとは無関係な外洋航海用の船であり、そのことから航海を経て日本へ来た古代人の記憶の名残だとも指摘する。
更にはこの盂蘭盆の行事を行ってきたのは、農村部の人々であるということが稲作と関連して古のペルシャ人を思わせるのである。

 またアイデルバーグは『侍』という言葉はヘブライ語のシャムライに由来していると主張している。これは見張る、護るというシャムに職業を表すライ(接尾辞)がついたもので、その文法は完全にヘブライ語であるとしている。
それから彼は侍の鎧(よろい)についても異説を展開する。侍の服装は中東の皇子のそれであり、鎧(よろい)もそうだというのだ。
そういえばアレクサンダーが鎧を着た肖像のイメージは、確かに日本の侍の鎧に似ているようにも見える。
西洋の甲冑(かっちゅう)とは明らかに異なるが、日本の鎧とはかなり近い感じもするが定かでない。
by levin-ae-111 | 2010-07-19 07:24 | Comments(0)