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by levin-ae-111
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十六菊花紋の秘密 35

 千賀は地球儀を頭に思い浮べ、計算してみた。180度に東西のスピンが展開する位置というと、シュメールとインダスの中間位置から90度の位置のはずだ。そうすると、それは大西洋の中央と太平洋のやや日本よりの位置に東西のスピンが来ているはずだ。
「その通りだ。その変動は太平洋の日本よりの位置で起きた。これによってかつて陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」
こう言われて千賀は思い出した。ムーという大陸が太平洋上に存在し、1万2000年前に沈んだという話を。千賀はこれをチャーチワードという人の書いた、空想だと思っていた。それは海洋地質学的に考えて、彼の言うような大陸が存在したとは考え難いからだ。
しかし老人の言うことが正しければ、この話は本当だったということになる。

「彼の言う大陸という表現と、彼の描いた大陸の地図は決して正しいとは言えない。しかし太平洋上に実際に大きな大陸が存在し、そこにあった当時の地球上で最高度の文明が、その変動で沈んだことは事実なのだ」
約1万2000年前に地球規模で変動があったということは、現在の科学でも判っている。しかし、そうした事が判る以前に1万2000年前にムーが沈んだということが、あの書物に書かれていたということは、何らかの真実が他にも有りそうだと千賀は思っていた。
だがこの1万2000年前の変動が、老人の言う聖なるリズムによるものであるとは、千賀にも予想できなかった。更に驚くべきことは、この1万2000年前の西回りスピンと正反するもう一つのスピンの脈動ポイントについてである。そのポイントは大西洋の中央、西経34.25度を示している。チャーチワードの書物に、ムーの崩壊期には同時に大西洋にアトランティスと呼ばれたもう一つの進歩的な文明が栄えていたと書かれている。

 アトランティスについてはプラトンも言及しているが、沈んだとされるその大陸の位置と時期は、まさに西経34.25度を中心とする位置であり、年代も重なるのである。
それと同時に千賀は、奇妙なことに気がついた。この両者の位置は先に老人が言った大地が遠ざかる分離相対性のエネルギーラインと、大地が収縮するエネルギーラインの位置に相当するのだ。
この事と大地の変動とは何か関連があるのだろうか。
「180度スピンの年代に大地が変動する理由がそこにある。脈動ポイントとは、その場の働きが強まることを意味する。この年代には脈動ポイントが両者の位置にあるため、大地の分離と収縮の作用が通常よりも強まるのだ。
 あなた方は既にこの180度スピンの年代に入っているので、宇宙的な視点からは変動期にいるが、あなた方の視点からは変動が実際に起こる中心期はまだ先である」

 しかし、これらの文明が海底に沈んだということは、かなり悲劇的な文明の終焉を迎えたのであろうか。
「太平洋に存在したかつてのこの偉大な文明は、黄金期には万物と調和した優れた精神文明を築いたが、末期には彼らが現実主義と呼んだ、実際には真の現実から隔てられた人間の狭い社会空間に埋没してしまったのだ。当時の神官の一部を中心とした聖なるリズムの知識を有する一団は、変動期への警告を発したが、多くの人々にとってその警告も非現実主義でしかなかったのだ」
彼らムーの人々は、そうして滅びていったのだろうか。そうだとすれば、現代によく似ている。
「当時の聖なるリズムの知識を有する一団とそれを受け入れた人々は、太平洋周辺の地域に移転した。彼らの価値観の上では。こうした移転は移転というよりも自然のリズムに従った人類規模の律動の一つだったのだ。その移転先の中で、彼らが中心地に選んだのが日本列島だった。
 彼らにとって日本列島への移転は、全く違和感のない移転であった。日本列島は中心地ではなかったものの、最初から彼らの文化圏の一つでもあったからである。彼らの文明は大きく三つの地域に分かれていたが、その一つが日本列島だったのである。神官たちにとって、それは、あなた方にとっての地方への首都移転に等しい感覚で行われたのだ」

by levin-ae-111 | 2011-06-22 05:12 | Comments(0)