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by levin-ae-111
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日本とユダヤの不思議な関係(リバイバル)

(十)祇園はシオンか?(祭りにみるユダヤ)
 
 再々から平安京はヘブライ語のイールシャロームであり、キネレット湖になぞらえて琵琶湖と名づけられていると指摘しているが、祇園とはやはりシオンの意味なのであろうか。これも何やらユダヤ的な臭いがプンプンする。
祇園祭は清和天皇の御世に、疫病が猛威をふるい、その原因をスサノオ怨念としてその怒りを静める為に牛頭天王を祭り疫病の退散を願ったものが始まりとされる。
歴史も古く最も日本的な祭りと思われる祇園祭で、山鉾の前掛けがどうしてペルシャやタナフの一場面とされるタペストリーが使われているのだろうか。
坂東氏の著書によれば、これは『イサクに水を供するリベカ』と呼ばれるタナフの物語だという。タナフとは『トラーの巻物』『予言の書』『諸々の書』の頭文字を合わせた呼び名であるらしい。
この前掛けはベルギー製のタペストリーで、1718年に寄付されたものであるらしい。この時代は厳しい禁教の時代であるのだが、何故にこの様な図柄が人目に付く山鉾の前掛けとして用いられ、それが許されていたのか不思議である。

この祇園イコール・シオンであるとすれば祇園祭はシオン祭であり、シオンとはエルサレムの別名であるらしい。本来のヘブライ語では『ツィオン』であり英語読みでは『ザイオン・ジイオン』となる。それが日本へ来て、ツィオンがギオンと変化し、漢字を当てて祇園となったのであろうと言われている。
故国を去って世界に離散したユダヤ人にとって、シオンは永遠の憧れであり帰るべき都なのである。
多くのユダヤ系渡来人が居住していた京都で、彼らが永遠に憧れるシオンを想い祭りを行っていたとしても何等不思議ではない。平安京と琵琶湖がエルサレムでありキネレット湖であるのなら、彼らの祭もまた同様に祇園祭はツィオン祭なのである。

イスラエルでは様々な祭が行われるが、本来は全てエルサレムの神殿に於いて行われていたという。それらの祭を総称して『ツィオン祭』と呼ばれている。
また日本では榊が神様の樹としてお払いやお清めの儀式に用いられるが、イスラエルでも同様に祭の始まりの時にヒソプという榊に良く似た樹を用いてお清めとお払いが行われるのだという。
祇園祭の神幸祭は7日間に渡って行われるが、イスラエルの過ぎ越し祭や仮庵祭も同じく7日間なのだ。仮庵祭では庵を建てるが、祇園祭では山鉾を建てるのである。
そして7月17日は、あの洪水伝説のノアの箱舟がアララト山に流れ着き、救われた日である。祇園祭は人類が全滅を免れ、救われた日に行われるのである。
更に祇園祭の山車はノアの箱舟を象徴するものだとする研究家も存在する。
山車には様々な動植物の装飾が施されており、正に総ての種を男女一対ずつ乗せていたとされる箱舟を描写している様であり、言い得て妙である。

 日本人の中に見られるユダヤ的な一面は、私達にもっと身近な事柄にも残されている。
例えば年末の大掃除、正月の餅もそのルーツ、或いは世界中で最も近似な習慣がユダヤには存在している。
過ぎ越し祭の前には掃除をして家を清める、そしてタナフに「その初めの日には、家からパン種を取り除かねばならない」とあり、人々はその時に種入れぬパン『マッツア』を食すのだ。
このマッツアは別名を『ハ・メッチ』と言い、ハ・モチと発音する人もいるようだ。
まさしく、餅がユダヤにも存在しているのである。
そしてまた、全国の祭にもユダヤの聖典に記されている内容と照合することで、はじめてその意味が理解可能な奇祭も存在する。
長野県の御柱祭は山中から巨木を切り出して、人力と川を使い諏訪大社まで運び、そこで柱を立てるという行事である。それはソロモン王の時代にレバノンからレバノン杉を切り出し、筏(いかだ)に組み、川を下り木材を運搬したことの再現であろう。

それから諏訪大社にはもうひとつ、意味不明の祭が存在する。
『御頭祭』がそれだが、柱に縛られた少年を神官長が刀で切り首を神に捧げ様とするが、そこで使いが現れ、神官を止め少年は解放され救われるというものだ。
このストーリーは、何処かで聞いたことがある。
そう、聖書に出てくるアブラハムが神の命令により一人息子のイサクを生贄にしようとして、神にその信仰心を認められ、イサクは開放されるあの場面だ。
日本神話には存在しないこのストーリーが、諏訪大社で祭として奉納されているのは一体、どういうことだろう。

やはり、私達の祖先はイスラエルの失われた十部族なのだろうか。それとも共通した世界的な文化が海で遮断された日本と、世界を流浪しながらも祖先の習慣を守り続けることで民族のアイデンティティーを保持する拠り所として、イスラエルの民に色濃く残ったものだろうか。
そうだとすれば、両極端な運命を辿った日本とユダヤがこれ程に似通った習慣を持っているのは非常に面白いことだ。
それとも、世界を還流していたイスラエルの民が、これらの文化を日本から持ち出して自らの事として様々な物語に織り交ぜたものなのか。
何れにしても、非常に興味深い事柄のひとつであることに変わりはない。
by levin-ae-111 | 2011-09-11 07:39 | Comments(0)