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by levin-ae-111
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『修羅場』後妻打ち(うわなりうち)

 華々しい面の歴史も良いが、私としては名も無き古の人々の生活にも興味がある。その点でこの番組『タイムスクープハンター』は、実に面白く視聴出来る数少ない番組の一つである。
 さて今回のテーマは『うわなりうち』である。これは漢字にすると『後妻打ち』となる。この『うわなり』とは、古くからの呼びであるらしい。一夫多妻制であった時代、第二夫人以下を『うわなり』と呼んでいた事に由来し、後の時代には後妻をこの様に呼んだ。
それでは後妻を打つとは、どういう事であろう。『打つ』とい文字が入ことから、後妻に制裁を加えるという意味である。
その内容は離縁された先妻が多くの助人を連れて(勿論女性のみ)後妻の家へ押しかけ、暴れて憂さを晴らすというものだ。しかし、ここにも如何にも日本的な作法が在った。
後妻打ちの条件として、離縁されてから一月以内に夫が再婚した場合にのみ受け入れられた。更に男性が口出しする事は許されず、全ては女性だけで行うこと。ルールとして刃物の使用は厳禁で、予め後妻側へ日時、人数、使用する道具を明記した書状が送られた。

今回の物語は1636年(寛永15年)の江戸時代を舞台にしている。この寛永年間は三代将軍家光の治世で、鎖国令が布かれたり日光東照宮が造営されたりした時代である。
 物語の主役は志乃(しの)さん、夫から離縁されてまだ一月と経っていない女性である。そして一方の主役はくにさん。志乃さんの夫の後妻に納まっている気の強い女性だ。
通常『後妻打ち』は作法に則り、先妻方が暴れ尽くしたところで、仲裁が入りそれで終わりとなる。

志乃は叔母から元夫が自分を離縁して一月にも満たない内に再婚したと聞かされ、怒り取り乱す。しかも、再婚相手は志乃も見知っている女性だった。直ぐにも元夫の許へ走ろうとする志乃を押し止めた叔母は、後妻打ちを提案した。
二人は早速に動き出し、協力してくれる女たちを集める。親類縁者やその知り合いなどを尋ね、次々と参加者を確保してゆく二人。中でも染物屋のトメさんは顔が広く、70人もの参加者を募ってくれた。
志乃は早速に作法に従い参加人数や日時、使用する武器などを記した書状をくにの許へ届けた。この時に書状を届けるのは年老いた男性が多く、男性が関わるのはここだけである。

 書状を受け取ったくには、如何にも気の強い女性らしく、返り討ちにしてくれると宣言する。それは作法には無いことだと言う夫に、女の戦であるから口出しは無用とばかりに噛み付き、仲裁人を立てない旨の返事を書いた。
更にくには仲間を集め、敵襲に対する作戦を練る。
そして、遂に決行の日が来た。しかし志乃の方は、いささか困っていた。
予定した仲間が次々と辞退を申し出て来たからだ。その訳は、くにが麻疹に罹患したとの噂があり、皆がうつるのを畏れたからだった。
70余人の予定が身内と親友たちだけに減ってしまったが、志乃たちの決意は堅く予定通りに出発した。くにの家の門前で開門を声高に求めるが無視され、志乃たちは力ずくで強引に扉を開けなだれ込んだ。と、走り出してすぐに、幾人かが落とし穴に落ちる。
落とし穴とは卑怯だと激怒して家内に侵入すると、部屋には高価な調度品が整然と並べられている。皆が手当たり次第にそれを破壊して行くが、穴に落ちて遅れて来た志乃が悲鳴を上げた。
そこに並んでいたのは、夫の家に残されていた志乃の嫁入り道具の数々だったからだ。
その後も相手を求めて家内を突き進むが、所々に罠が仕掛けてある。
ようやく敵の助人連中が姿を見せ、両陣営はもみ合いになる。志乃は乱戦を抜け、奥へと突進、遂に憎い『くに』と対面。くには臥せっていたが起き上がり、口論の末に短刀を抜く。狼狽する志乃。問答無用と切りつける『くに』。
その時、悲劇は起こった。揉みあう内に、くにの胸に短刀が刺さり、彼女は血潮に染まって倒れた。

 呆然とする志乃と助人たち、責任をどう取ると責めるくに側の助人たち。騒然とした家内が静まり返る。と、誰かが志乃が居ないと言い出した。
探し出した人々の目前には、責任を取って自刃した志乃の哀れな姿があった。これには逆にくに側が蒼白となる。死んでいた筈のくにまでが起き出して、真っ青になっている。
そう、くには死んだ振りをしていた。徹底的に志乃を困らせてやろうと思いついた作戦だったのだ。
くにが起き出したところで、志乃側の女性たちが大笑いしだした。「お前は死んだのではなかったのか?」などと、野次を飛ばす。そして、自害した筈の志乃が立ち上がる。実はくにたちの作戦は志乃たちに筒抜けだった。
染物屋のトメが大量の紅を買い込んだ者が居るとの情報を得て、予め敵の出方を予想しており、志乃たちはその逆手を取ったのだ。
女たちは安心するやら悔しいやら、兎に角にもこうして志乃の後妻打ちは終わりを告げたのであった。

 ところで志乃はどうして離縁されたのであろうか。彼女には確たる心当たりが無い。
ただ合わなかったのであろうとか、妻として至らなかったからであろうと言うばかりであった。しかしその実、彼女に落ち度は無かった。
天下泰平の世となり、武士たちはサラリーマン化していた。志乃の元夫は、くにの父親が近く藩の重役に出世するのを聞きつけ自分も出世コースに乗ろうと志乃を離縁し、くにを娶ったのだ。誠に勝手な話ではあるが、江戸時代の武士の世界では出世こそが肝要な事柄であったのだ。結婚も当人同士よりも、家と家の結婚であり相手の家柄なども大切な結婚の要素であった。早い話し、志乃の夫は出世のために志乃を離縁したのだ。
何とも切ない女性たちの心情を少しでも晴らそうというこの習慣、多くの女性たちは一生の間に2回や3回はこの後妻打ちに参加したという。
記録では80歳の老婆が、16回もこの後妻打ちに参加したというものまで残っているらしい。ただ感情が激しい女性たちのこと、この物語の様に死者が出た事実も伝わっている。
現代にこの習慣が残っていたなら・・・背筋が寒くなる殿方も多いのではなかろうか。
Commented by ビジネスマナー at 2011-09-24 16:24 x
とても魅力的な記事でした!!
また遊びにきます。
ありがとうございます!!
Commented by levin-ae-111 at 2011-09-24 19:15
ビジネスマナーさん
有難うございます(^^)
いつでもお出でください。
お待ちしています。
by levin-ae-111 | 2011-09-24 04:02 | Comments(2)