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身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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この世の事

 私は、若い頃から不思議現象に興味を持っていました。それはUFO現象から宇宙人、心霊現象、妖怪などの物の怪と何でも良かったのです。しかしそれは決して精神世界と呼べるものではありません。
私にとって不思議現象に関する話題は、一服の清涼剤のように日頃の鬱憤を晴らしてくれたのです。元々の始まりはその程度のことだったのですが、それが精神世界と呼ばれるような次元の話しにまで首を突っ込むようになったのは15年くらい前のことでした。

 私の精神世界の知識は、多くの方々が愛読されている霊的なチャネリング本から得たものではありませんでした。そうは言っても、先に挙げた部類の不思議現象に関する本はそれなりに読んではいます。そして宇宙人に関する事柄について書かれた一冊の本が、私を精神的な世界へと導いたのです。
本で知った宇宙エネルギーコンディショナーを購入し、そのマニュアルに従って瞑想を始めたのがスタートでした。そしてある時、内なる声が語り出したのです。
その声は自分の考えのようにやって来るので、最初は単なる自分の思念だと思っていました。

ところがその内なる声は現実とは幻、幻想であると言い出したのです。その声は例え同じ現象を寸分違わぬ事象を目撃したとしても、私と他の人では違って見えると言うのです。
そういった哲学的な内容は、私が読んできた本の中には殆ど有りませんでしたから、私は自分を疑いました。
無論、初めからそのような内容を語っていた訳ではありません。仕事をしている最中に、突然「あなたは、そんな事をする必要はありません」と、聞こえてきたのです。
それから連日のように同じフレーズが繰り返され、身体的感覚の異常も感じ始めていました。そして声に従った私は、当時の会社を辞めました。ですが、そこに自分の意志が無かった訳ではありませんでした。私は内なる声は励まされて、言い出し難い雰囲気の中でも何とか辞職したい旨を経営者に告げることができたのです。

 話が逸れました。さて私達が確たる現実だと信じ込んでいる現実が幻とは、一体どういう意味なのでしょう。簡単に言えば、私達が物事を認識するシステムにその原因があるようです。内なる声は私達の認識が一様でない原因を、各々の持つ認識のフィルターに求めます。そのフィルターは私達が生まれ育った環境により様々な色を持ちます。
その為に人々は同じ現象を目撃しても、その見方や感じ方に相違があり寸分違わぬ認識は存在しないという事なのです。
しかし、それがどうして現実と思い込んでいる世界が幻想だという結論に達するのでしょうか。極端な場合は、夜空に煌く星でさえも存在しないと主張する人もいます。
こういった話題は、議論を始めたら切りがないのですが、私は以下の様に考えています。
この宇宙を含めた全ての物質的存在は、一つの意識が造り出した世界です。その意識は全知全能の存在であり、また唯一の実在だと考えます。その意識はあらゆる存在物の中核を成し、存在そのものでもあります。そうして自ら創り上げた世界で、意識はあらゆる体験を経験しようとしているのです。
仏教の教えでいうところの所謂、仏性は私達の意識の奥深くに存在し、私達として私達の人生を経験している根本の意識を指しているのです。従って誰にも仏性が存在し、誰でもがそれを自分の認識する現実世界に体現できると説いているのです。

上記のように考えると私達が現実として認識している物質世界は、元々はその意識が創造した幻想世界であり全てが方便の世界(仮の世界)だという認識に達するのです。近年の自己実現の方法などは、創造意識のミニチュアたる人間の想念力を引き出す事で望みを叶えようとするものです。それでも多くの共通した認識が存在するし、同じ景色は誰が見ても同じではないかと考える人も多いでしょう。
しかし、それは存在として物質界での体験を積む為に、意識の間で取り交わされた基本合意でしかありません。つまり人生を演じる為の舞台セットです。私達が絶対だと考えている物質的な法則や定理は、舞台上のルールでしかありません。
舞台セットが本物の世界でないのと同様に、私達が現実として認識する世界もまた仮の世界なのです。舞台セットで私達は各々の人生の役を精一杯に、それはリアルに演じています。そして私達が人生を終え、舞台を降りた時に、演技で得た様々な経験を手土産に本来の自分自身へと帰って行きます。

 現実の映画やドラマ、演劇では時代、季節、時間ストーリーなどの設定は監督や脚本家の自由です。それは演者であり監督であり脚本家でもある私達の意識が、自由に舞台設定をチョイス出来るということでもあります。
この様に考えれば、時間が必ずしも一定の速度と方向を持って流れていない、という説も納得できるような気がします。また、一部で言われている過去世は必ずしも過去の時代とは限らないし、来世が必ずしも未来の時代とは限らないという主張も不思議ではなくなります。それは出演する劇のストーリーにより、設定が変わるからに過ぎません。
更に言えば、絶対的に実存するかの様に言われているカルマなる法則も、結局は役を演じる上での設定でしかありません。つまり、役作りの為にある程度の情況を予め決めておく必要があるのと同じでしょう。

と、まあ、こんな事を私の内なる声が語るのですが、皆さんはどう思われますか。
Commented by Tukasa-gumi at 2011-11-06 10:11
>現実とは幻、幻想である・・・
これを他人に説明するのがとっても大変なのですよ。


なにしろお金が無くては困る。
さらにお金は多くあったほうが安心できる。


という考えと社会で成り立っていますから、
理想は理想として受け止めてはくれるのですが
現実問題として、付き合いを拒否されることがあります。


まぁ、宗教家や哲学者でないので当たり前ですが・・・
チョコッと困っております。



>過去世は必ずしも過去の時代とは限らない・・・

これには軽いショックを受けました  が、
ワンダラーなどはわざわざ未開の星への転生なのでしょうから
納得できます。

私の考えはこんな感じ ↓ です。
『過去も未来も現在と同じように多次元で同時進行している』
http://tukasagumi.exblog.jp/13175015



地球人の考えているようなカルマや地獄は現在では
実は無いんじゃないか と最近、私は憶っております。
(近代以前の歴史ではあったかもしれませんが)


漠然とした考えなので上手く説明できませんが、
これらも地球人が作りだした 幻想 だと思っております。
Commented by levin-ae-111 at 2011-11-06 11:53
Tukasa-gumiさん
有難うございます(^^゛
確かに説明するのは難しいでしょうね。多くの人にとって、私達が
考えている様なことこそ幻想ですからね。
ご紹介いただいたページは、まだ読んでいませんが、私の内なる声は
初めからカルマは無いと語っていますし、地球人が造り出した幻想と
伝えています。まあ、こんな事は目新しいことではないのですが、それ
でも多くの人にままだまだショックな笑い事でしかないのですね。
by levin-ae-111 | 2011-11-06 07:01 | Comments(2)