身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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真実の政治家松村謙三(越中人譚)より

 郷土が生んだ一人の偉大なる政治家の話しをしたいと思う。その人は既に亡くなってから40年もの月日が流れた。しかし、その人こそは真実の政治家と呼ぶべき偉大な人物であった。
松村謙三は福光町(現南砺市福光)の生まれで、生家は薬種商を営んでいた。謙三の父も祖父も政治に関心があり、その関係で多くの政治家が出入りしていた。そんな関係か謙三も自然に政治に関心を持つようになっていたのだろう。
大学は早稲田へ進学し、当時の重鎮の一人である大隈重信と直に触れ合っている。

 大学を卒業すると報知新聞で記者として働いたが、5年後に父が亡くなり実家の家業を継ぐ為に帰郷した。その後は地元の人々に請われるままに町議、県議となり、やがて国政の場へと送り出される。
国会議員としての実績は、第一次農地改革を農林大臣として実施したこと。これは地主の下で高い小作料に苦しむ小作農の人々を解放し、農業を活性化させる目的だった。GHQの管理下にあった日本で、唯一占領軍の指導に依らない日本人の発案した独自の政策であった。これは地主から国が土地を安価で買い上げ、小作農に安価で払い下げるという政策である。松村自身もこれにより多くの土地を手放す地主の一人であった。

そして地元では水量の少ない小矢部川の影響で、勃発する水争いそれから一転して雨が多いと洪水に苦しむ農民の為のダム建設を推進した。
小矢部川の刀利ダム建設は松村にとっても苦しい事業だった。そのダム建設の為には刀利村を水没させねば成らない。
松村は何度も刀利村の人々を膝を突き合わせて、誠心誠意の説得とお願いを行った。勿論、村人の行く末も十分に考慮したことは言うまでもない。
当時、反対運動に加わった村人の一人は「今の政治家や役人は、松村さんほどに親身になって指導してくれる人は居ない」と言っていた。

 松村の実績で最も大きいものは、日中国交回復の橋渡しであったろう。松村は私費で中国に渡り、当時の周首相と会談し大歓迎を受けている。周首相と友情の絆を結んだ松村は、その後にも訪中し民間貿易のルートを開いている。松村の繋いだパイプを使い、後に正式に国交を回復したのが田中角栄であった。松村は既に他界していたが、その時に周首相は「水を飲む時には、井戸を掘った人のことを忘れてはならない」と述べ、松村謙三を偲んでいる。
松村の訪中以後も不安定な関係であった日中関係は、紆余曲折を繰り返す。アメリカ寄りの政策により中国が態度を硬化させた時に松村は「私は日本人です。その私の前で日本の首相の悪口は断じて許さない」と中国で誇り高く述べた。
松村の外遊に同行した人々は、相手が怒りはしないかと気を揉んだ。そんな心配をよそに松村は周首相と激論を繰り返す。しかし激論を交わした後の二人は、お互いを尊敬し深い友情の絆を結んでいた。

 松村が幹事長を務める改進党は、数に物を謂わせて強引に懸案を押し通すやり方に憤慨していた。金と権力で政(まつりごと)を思い通りにする吉田内閣の手法を松村は嫌っていたのだ。自由党はより多くの議員数を求めて、改進党を取り込むという策に出た。結局は合併し自由民主党が誕生するのだが、そんな自民党を変えようと、勝算の薄い総裁選に立候補して敗れた。岸信介に対抗する勢力に推されて松村は何と投票日の3日前に立候補した。しかし松村を尊敬する議員たちの票は意外に多く、後の政権運営に一石を投じることになった。この松村を支持する民衆からは、多くの寄付金が寄せられそれは『貧者の一灯』として今に伝わる。

 松村の政治姿勢はあくまでも政治家は公僕である、という信念である。故に彼の私生活は質素であった。次女の方は子供の頃の思い出に、学校などに出す書類の父親の職業欄に『政治家』とは書かせて貰えなかったという。何と書いたか?『無職』と書かされたと語る。
松村のお孫さんは、友人の家を訪れた時など、食べ物に驚いた。それほど、松村は家でも質素にしていたのである。松村にとって政治家は職業ではなく社会奉仕である、人の為に尽くす公僕が政治家である。その信念の許、松村は日本人としての誇りを高く抱きながら、厳しい内外の政治状況に対峙して行ったのである。決して偉ぶらず、年齢や立場にとらわれず如何なる人にも別け隔てなく接していたという。

彼の選挙に携わる人々は、皆、手弁当で参加していた。選挙は金を掛けてはならない、それが松村謙三の選挙に対する姿勢であった。
また陳情に対しては地域の為の陳情には耳を傾けたが、特定の個人や団体に関するものだと判断した場合は、その陳情を受け付けず徹底的に考えを改めるように相手を説き伏せたという。

この様な政治家はもう居ないのか?松村健三の背中を見ていた人々の中には、中曽根元首相や田中角栄元首相が居た。誇り高く、優しく、国民の為にという松村の精神はもう政界には存在しないのだろうか。
地元では『けんそはん』(謙三さん)と親しみを込めて呼ばれた松村謙三氏は、今の国政を見たならどう思うであろうか。一時は公職追放の憂き目を見た松村だが、共に働いた人々が松村について語る時は、皆とても誇らし気に何となく嬉しそうに語る様子が微笑ましく感じた。
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Commented by Tukasa-gumi at 2011-12-31 23:13
なんだか恥ずかしいので鍵コメ です。


本年はお世話になりました。

正直 levin-ae-111 | さんとのコメントのやり取りで
どれだけ勇気づけられたことか・・・

( levin-ae-111 | さんのエントリーもしかり です)


勝ってな私の思いですが

どこかで 想いを共有できる人 がいるというのを
知っていると知らないとでは 雲泥の差です。


活きるうえでとても支えになります。



来年もよろしくお願いいたします。


繰り返し
本年は本当にありがとうございましたァーーっ!!!





Commented by levin-ae-111 at 2012-01-01 00:22
こちらこそ、そっくりそのままお返しいたします(^^)
昨年中は本当にお世話になれりました。
有難う御座いましたーっ!!
&本年も宜しくお願いしまーすっ(^^)/
by levin-ae-111 | 2011-12-31 10:03 | Comments(2)