人気ブログランキング | 話題のタグを見る

身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

長い題名の本23

霊魂の重さは21グラム
 死を迎える瞬間に、人の身体から何かが抜け出るという。『チベット死者の書』では死ぬときは風(ルン)に乗った意識が、肉体にある九つの門から出て行くとしている。
どの門から出るかによって、来世どこで生まれ変わるかが決まり、頭頂の門から出ると極楽浄土に生まれ変わることが出来ると説いている。
コンノ氏の知人で出版社で編集長を務めていた人は、父親の臨終の時に父の身体から何かが出て行こうとするのが見えたので、慌てて手で押し込めようとしたという。
現代の医師たちにも、臨終の際に身体から何かが抜け出して行くのは確からしいという事は、分かっているようだ。
その重さは老若男女を問わず、ほぼ21グラムだという。21グラムとは、画鋲にすると20個、角砂糖で8個の重量とほぼ同じであるらしい。

 最初コンノ氏は、それが信じられなかった。というのも、重量を持っているとなれば物質である。そうなれば、霊魂が物質ということに成ってしまうからである。
しかし、近代の計測器による計量でも21グラム前後の数値が計測されているのである。
それは1907年に、マサチューセッツ州のダンカン・マクドゥーガル博士が発表した臨終計測実験の結果である。博士がマサチューセッツ病院の院長をしていた時、臨終を迎えた人々の協力を得て、死後と生前の体重の差を計測した実験による。
勿論、そうは言っても事はそう単純ではない。死後もガスや水分の放散は続いているので、死の前後での体重差から、その分を差し引かねばならない。
マクドゥーガル博士は、計算で死後も続くガスや水分の放散分を厳密に計算して差し引いても、どうしても7~21グラムの差が出る。
最低でも7グラム、多い場合では21グラムの目に見えない何かが、死体から抜け出していると判明したのだという。マクドゥーガル博士は「これこそが魂の重さだ」と結論した。

同じ様な実験は、ほぼ同じ様な時期にオランダのハーグでザールバーグ・フォン・ゼルスト博士によって行われている。この実験でもマクドゥーガル博士と同じ結論に達した。
これらの実験結果が流布されて「魂の重さは21グラム」とされているのである。
だが、これらの実験は100年も前に行われたものであり、現代の私達が頭から鵜呑みにすることもないであろう。
当時の生理学的な理論やテクノロジーには疑わしい部分もあり、死亡時間の確定や死後の肉体放散分の計算が正確であるのかも追試して確認する必要がある。
現在の計測メカやテクノロジーは、マクドゥーガル博士らの当時とは比較に成らない程に進化発展している。
そして近年、最新鋭の機器を使用してマクドゥーガル博士らの実験の追試が行われたことが報じられた。

 この実験を実施したのはスウエーデンの科学者、スヴェン・ルンデ博士を中心にした研究グループだった。計測に使われたのはコンピューターを使用した最新の機器であった。
その結果、全ての患者は死の瞬間に、21.26214グラムの体重を失っていると結論づけられたのである。
この実験の結果からルンデ博士は、マクドゥーガル博士と同じく死の瞬間における体重変化は、人間の霊魂が質量のある物質的存在である明確な証拠だと主張している。
 ここでは100年前には望むべくも無かった様々な機器が使用された。空気中の臭気を電気的に嗅ぐことが出来るオルファクトメーターと呼ばれる臭度測定機器や、紫外線を用いた感覚測定器などである。
これらのハイテク機器によって更に判明した驚くべき事実がある。それは霊魂が質量を持つだけでなく、臭いを発し、味を持ち、物体を圧迫できるという事であった。
このことは、つまり、霊魂は人間の五感で感知できるという事実を示しているのだ。ルンデ博士は、人の臨終の際に説明のつかない圧迫感や匂いを嗅いだとする証言を集めている。

同様の実験は日本でも行われていた。理学博士の川田薫氏が筑波記念病院・生命科学研究所と合同で実施した実験である。
川田氏らの実験は人間でしなく、ラットで行われた。生後5週目のラット(体重は約25グラム)6匹を、麻酔で眠らせ2匹を密閉した閉鎖系に置き、4匹を開放系に置く。
この両者を精度10マイクログラムの天秤秤に載せ、死の瞬間に体重の変化を計測したのだ。
検体のラットを閉鎖系と開放系に分類したのは、死後の代謝放散分を考慮に入れた対象実験としたからである。
マクドゥーガル博士らの実験は、解放系のみで行われた為に死後放散分を計算によって求め、それを減量分から差し引くという操作が行われていた。それが実験の精度や信頼性を低下させる原因ともなっていた。
川田氏らの実験では、その弱点をカバーしている。プラスチックの密閉容器に入れられ閉鎖系のラットは、死後放散分も容器の中に閉じ込められているからである。
その為、容器ごとの減量分が、ストレートに身体から出て行った魂の質量となる。
実験結果では死後130秒で100マイクログラムが、140秒で70マイクログラムの体重減が認められたのだ。つまり死後、それだけの質量を持つ何かが、ラットの身体から出て行ったという事になる。

死の瞬間から百数十秒でラットの身体から出て行ったものは何であろうか。川田博士はそれを「生命エネルギーの凝集体である」と結論しており、それは質量を持ってはいるが物質ではないと述べている。
しかしコンノ氏は、この質量を持つ何かは、魂の重さではないと考えている。それは魂が物質とは考えにくいからである。では、それは何だと考えているのか。
コンノ氏は、それは肉体と同化していた時に付着した汚れであろうと考えている。赤ん坊が生まれた瞬間は、母の胎内から様々な物が付着した状態で生まれて来る。
これと同様に、肉体を離れたばかりの魂は、まだ物質的な付着物が付いたままなのであろうと解釈している。
そして『チベット死者の書』で述べる中有のバルドゥで過ごす49日の期間は、魂に付着した汚れを落とす為ではないかと記している。

筆者も祖母が亡くなった後、暫くしてから何度か甘い香りが部屋に満ちている事があった。祖母の葬儀は遠くで行われたので、1人残って留守番をしていた末の弟も、同じ様な香りが家に漂っていたと言っていた。私達は祖母が家に来たのだろうと思ったが、それは49日を過ぎていない時であった。その後に、その様な現象が感知できない事を思えば、コンノ氏の考えは的を射ているのかも知れない。
by levin-ae-111 | 2012-02-01 03:29 | Comments(0)