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by levin-ae-111
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長い題名の本35

この世に霊界が滲み出ている!
 この世(宇宙)はマクロとミクロが裏返しになっていて、全霊界がミクロ世界に溶け込んでいる。つまりミクロ世界に霊界が滲み出ている為、この世の物理とは異質な現象がミクロ世界に生じている。日本の大企業に所属する高名な科学者も、量子物理学を「あの世の科学」と称している(この方は天外伺朗のペンネームで何冊も本を出版されている)。
 ミクロ世界を探求する量子物理学だが、そこでは確かに霊界が漏れ出ているとしか思えない怪奇な物理現象が続出している。

 1920年代に登場したニールス・ボーアは、量子論の新しい考えを引っさげて登場し、量子論の父といわれる。この世の基本を構成するミクロ世界の現象を説明する術として、量子物理学は大いに貢献してきた。特に現代文明の最先端を構成するエレクトロニクス機器の発展に、量子物理学は欠かせない存在となっている。
 当時ボーアは、従来科学では説明不可能なミクロ世界の現象を説明できる、新しい物理学の基本原理を探していた。そこでボーアは「どんな実験装置を使ったら良いか」、という人の意識が重要で、それが決定的な意味を持つことに気が付いた。
というのは、それによってミクロ世界のリアリティーが決定されるからで、ボーアは「人の意識が現実を創造する」と初めて欧米の科学界へ向けて宣言した。

 これは当時の科学者たちのどぎもを抜く発表であったが、量子物理学の多くの体験(実験)の結果は、当然ボーアと同じ結論に達した訳で、測定のパラドックスでいう「波束の収縮」
(人が観察した瞬間に、波がまとまって固のモノになる)現象を見てもそれは明らかだった。
当時の欧米科学界に大論争を巻き起こしたボーアの声明が、後年に量子物理学を科学として体系化する大きなウネリとなって、後に「コペンハーゲン解釈」という学問的基盤に発展した。
 ミクロ世界の研究がどんなに奇妙で魔術的であったとしても、科学として排除するべきではない。実際、量子物理学が対象にする謎めいた現象は、「この世とは?モノが実在するとは?この世に自分が在るとは・・・」という、哲学的な問題に行き当たる。これは、コペンハーゲン解釈の核心である。
ボーアは大胆にも「この世のモノは観察されて、初めて実在するようになり、リアリティーそのものが観測者の行為に依存する」とし、「どんなにミクロ界の現象が奇妙で、従来科学の基盤を逸脱していようとも、科学として真正面から受け止めよう」と宣言した。

 それ以前の科学では「まず、理論ありき」だったが、ボーアは「事実ありき」を先行させることが量子物理学の基本姿勢だと宣言したのである。
例えばスポーツやギャンブルに見られる「ツキ」という現象を例に挙げれば、それが存在している事を誰もが否定できないだろうが、古典的科学ではそれを研究対象とはしなかった。しかし、ボーアは「何故か?」を考えるより、まず「ツキ」という現象の存在を科学的に認めようとしたのであった。
このボーアの理念が開花し結実したのが、現代文明の最先端の利器であるエレクトロニクス機器である。電子レンジ、コンピューター、カーナビ、携帯電話などの全てが「あの世の科学」と呼ばれる量子物理学による産物なのである。

 しかし江崎ダイオードで知られる「トンネル効果」と呼ばれる量子現象が、どんな物理的メカニズムで発生しているのか誰にも解らない。まず事実として認め、科学の対象としてテーブルに載せることを優先させる量子物理学の姿勢が、半導体テクノロジーを大きく開花させたのである。
「コペンハーゲン解釈」の重要な点は、「私達の見るという行為によって、この世の現実が生じており、私達の意識に現実そのものが依存している」と明言したことである。
つまり、この世は私達の意識が生み出したバーチャルリアリティーの世界であると、とても凄いことを言っている訳である。

 それにしても、現実に存在する現象を、理論に合わないからと無視するという従来科学の姿勢は、とても不自然であると感じる。私のように無知な者は、当然、まず現象ありきで、それを解明する為に科学が存在していると思い込んでいた。
意識が現実を創るとは、精神世界ではよく云われることである。それがニールス・ボーアの画期的な声明に因るものが源流かどうかは知らない。しかしボーアの声明に端を発した「コペンハーゲン解釈」は科学が人間意識に目を向けた素晴しい瞬間であり、歓迎しない訳には行かないだろう。
しかし、これは科学にとって大きな一歩であったろうが、それはアインシュタインが第三レベルの宗教として、高く評価していた仏教に科学が歩み寄ったに過ぎない。
by levin-ae-111 | 2012-02-13 05:21 | Comments(0)