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by levin-ae-111
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長い題名の本44

ユングも重視した錬金術 
現代人にとって錬金術とは、中世ヨーロッパオカルトの象徴のように思われていて、頭から否定されてしまう。だが錬金術が中世のヨーロッパ文化や思想に影響を与えたことを考えると、根拠の無い荒唐無稽な学問だとは思えない。
その錬金術といえば、カール・グスタフ・ユングを抜きにしては考えられないと、コンノ氏はいう。
 ユングと空海の共通点は、錬金術師であり、ある種の超能力者であるということだ。ユングは自伝で、彼自身が体験した多くの超常現象への当惑が、彼をして錬金術に興味を持たせたとしている。

 錬金術をユング流に表現すれば、人の持つ深層無意識が事故を変容させながら、それを物質の原子構造にまで及ぼすことをいう。これは空海が『即身成仏義』(そくしんじょうぶつぎ)で述べている「密教における奇跡は、如何に自己の六識(五感+意識)を如何に統御するかにかかっている」という表現に、とても近い。
 実際にユングが錬金術に触れてみると、非情に実りの多いものであると判ったという。
 当時の科学者の間では、科学と心理学との間には共通点は存在しないと考えられていた。
しかしユングは原子物理と心的現像(アーキタイプ)の考え方は、将来は同じ領域へ進んで行くと予言していた。その予言は量子物理学の登場と、「意識が現実を創造する」(観測者効果)の実験によって、ユングの予言は現実となった。

 ユングによる自己の深層無意識の検証には、錬金術が非常に重要な役割を果たしていた。
錬金術の基本手法は密教と同じ「深層無意識の心的操作と、統御テクノロジー」の重視で、そこに出現する変容した自己の深層無意識が、外界世界へ投影されて物質化してくるのだ。
判り易くいえば、自己の心的なパワーが物質の化学反応や、原子配列の変化として出現するということだ。
錬金術で水銀が重視されたのは、液体金属ゆえに容易に化学反応や原子配列するからであろう。多くの奇跡を示した空海にとって、水銀を金に変えるくらいは容易なことだったのかも知れない。
 ユングはより重要なことを予言している。
「物質には心的な相があり、逆に意識にも物質的な相がある。それはまだ把握されていない科学の上に成り立っており、その時こそ心と無縁と思われてきたシンクロニシティ(共時性=神の創造行為とされる偶然の一致)も、科学として理解出来るようになるだろう」と。

スウェデンボルグは「あの世では全てのものが意識を持ち、心で思ったことが瞬時に実現化する」と述べている。ユングが言う「物質の心的な相」と「意識が持つ物質的な相」とは、ミクロ界に滲み出ているあの世(霊界空間)への心的な相があり、それと人の意識が感応することだと考えると判り易い。
 そして錬金術はミクロ界に滲み出ている霊界空間への心的な操作、そのプロセスを現世へ反映させることだと見なせるかも知れない。
ユングも空海も、あの世の物理学をこの世に出現させていたのである。

 ユングは「物質に内在する二元性(善悪の心的な相)の対立は、人間の心のレベルによってコントロールできる」と指摘し、「人は誰でも本来より高い心のレベルを萌芽として持っており、恵まれた環境下では高度に発展させることが出来る」と述べている。
つまり環境や努力次第で、だれでもキリストのような超能力を発揮できるということである。ユングと空海は多くの共通する考えを示しつつ、錬金術師としての手法も驚くほどに似通っている。献金術の本質を形成する不可欠な要素である」としている。これは空海の修した「虚空蔵求聞持法」に、虚空蔵菩薩の画像を描くことから始めるのと同じだ。
更には書き言葉では表現できない事柄を、錬金術師たちは絵の中に書き残したものらしい。
これも、ボーアが「量子現象を表現する科学の言葉さえ存在しない」という言葉と同じである。
 
 カール・グスタフ・ユングが錬金術に興味を持ち、それを通して人間の意識と物質との係わりを探っていたとは知らなかった。錬金術は西洋の悪魔的呪術の象徴の一つであるという認識しか持っていなかったが、それと同じことを空海も行っていたとは驚きであった。
そして、それは決して迷信ではなく、人間の意識を使いあの世とこの世の境目に作用を及ぼすという、私など想像もできない未来科学の範疇にまで立ち入った事柄だった。
 やはり改めて感じるのは、古代の英知とは現代科学を持ってしても及ばぬほどに深く、鋭いものであるということだ。
私たち現代人は、自分の理解の及ばぬことは、迷信であるとか存在しないとして切り捨てる傾向がある。しかし、ユングの時代のヨーロッパの人々にも、そういった傾向が在ったに違いない。ここでもまた、勇気ある先人の努力に感謝したい。
by levin-ae-111 | 2012-02-22 05:28 | Comments(0)