弥生時代に格差が生まれた訳は(古代史の裏舞台より)
2012年 05月 13日
一つは、稲作が始まったこと。二つ目は金属器の使用が始まったこと。そして三つ目は、貧富や身分の差が表れ始めたことである。
格差が発生する主な理由は、農耕が発達すると余剰作物の蓄積が進み、これが冨となる。そしてそのことが、自然に持てる者と持たざる者の格差が生み、収穫を重ねる毎にその差は大きくなって行ったのであろう。日本では水田耕作が大規模化するにつれて、広い水田と多くの人手が必要となった。それにより大規模な水田を所有する地主と、そこで働く人々とに分かれ、それが身分格差となっていったのだろう。
その身分格差は、弥生時代の墓の発掘により伺い知ることが出来る。縄文時代の墓からは土器以外の副葬品が発見されることはまず無いが、しかし弥生時代の墓になれば、特別な副葬品が多数発見されるという。
弥生の墓からは、青銅器の剣や鏡、腕飾りやヒスイやガラスの玉類、銅の腕輪などが出土している。埋葬の仕方、副葬品の違いなどから、弥生時代には既にかなりの身分格差が生じていた可能性が高い。
だが農耕は、弥生時代になって突然に始まったものでもないらしい。物事には順序があり、長い縄文時代に蓄積された農耕の経験が基礎にあって、それが弥生時代と現在の私たちが呼んでいる時代に本格化したのであろう。
縄文時代というと、狩猟採集生活と思い勝ちであるが、実際には粟や稗、エゴマ、さといもなどを畑で栽培されていたものらしい。
縄文人の食生活は以外に豊かで、魚介類や獣の肉、栗や栃の実なども食していた。栗などは自然のものではなく、栽培されたものであるという研究結果も存在すると聞いた。
話しが逸れたが、縄文時代にも農耕が存在したとすれば、弥生時代との違いは最初にあげた金属器の使用開始と稲作の普及であろう。稲が粟や稗に比べて取り分け収量が高い作物とは思わないが、余計に栽培の手間が掛かる作物のような気がする。その栽培の手間が格差を発生させた一番の理由かも知れない。
しかし、現代社会は弥生時代など問題にも成らない格差社会である。一方で日々の食事にも事欠く人々が存在し、一方では飽食の時代などと平気で語る人々がいる。
これで果たして、人類は進歩したと言えるのであろうか。肥大した欲望を進歩と言うならば、確かに人類は進歩したのであろう。