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by levin-ae-111
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作家 鈴木光司さんへのインタビュー


 前回のシリーズで『精神世界が見えくる』から、ニール・ドナルド・ウォルッシュ氏の有名な著書『神との対話』が生まれた背景について少しだけ書いた。ここから今映画『リング』3Dが公開されているが、その原作者である鈴木光司さんのインタビュー内容を取上げてみたい。

 鈴木光司さんといえば、上記に記したように一連の恐怖小説「リング」「らせん」「ループ」の三部作が有名だ。「リング」は映像化され、観る者に底知れるほどの不気味な恐怖を与えることに成功した。それまでの恐怖とは一味違った作品であった。
鈴木氏は少し変わった経歴の持ち主で、高校時代はヘビメタバンドを結成し、それに熱中する余り勉強をせず成績も最低ランクだった。卒業後は電報配達で食べながら小説を読むことに熱中したそうだ。無論、作家になるというイメージを抱き続けていたことは確かであろう。
ここまでは世間でも幾らかはありそうな話しだが、鈴木氏には特異な能力があった。彼は小学生の頃から「作家になる」という強いイメージを抱いていた。そのイメージ力の凄さは例えば、電線の中を流れる電流をイメージすることも出来たほどであったという。

 意外なことに鈴木氏は、恐怖や心霊には興味を持っていなかった。それだからこそ返って型にはまらない、「リング」のような恐怖物語が書けたのだ。マニアックな常識に縛られないその発想は、新鮮であり意外な盲点であったから、恐怖現象や心霊現象のマニアにとってもショックを受けるような作品に仕上がったのだ。
鈴木氏は「リング」を書くに当たって、何も計画しなかったのだと語っている。一度に四人の人間が死ぬ、そういう小説を書こうと考えただけだったという。ここにも彼の持つ強烈なイメージ力が働いており、特段に構想を練ることも必要ではなかったらしい。

 作品を書き上げるに当たって、或いは、その作品の後々の行方(例えば売上げ部数など)に関するエピソードが幾つか語られているが、私にとってこの際、それはどうでも良いことであった。
それよりも、鈴木氏のシンクロニシティや宇宙、死や人間の進歩に関する考え方が非常に面白いと感じた。
シンクロニシティを感じる人間が成功している、という彼は自身で多くの成功者と呼ばれる人々にインタビューも行っている。成功者と呼ばれる人々は、皆、似た様なことを語ったという。彼らは一見して全く無関係の事象を関連づけて考えるということだ。
海面に浮んだ二つの氷山は、実はその下で繋がっているかも知れない、そう考える彼らはチャンスを逃さずにものに出来たのだという。

 例えば朝、椅子の向きが何時もと逆になっていた。その日に財布を落とした。この一見して無関係の二つの出来事を、結びつけて考えるのだそうだ。
そういう些細な現象から、直感や水面下の繋がりを察知し、彼らは成功者たり得たのだというものだ。

 それから宇宙に関する考え方も面白い。目前の光景は、実際に存在していないかも知れない。私がタイプしているこのPCも、今、飲み干したブラックコーヒーも、実際に存在しているか、本当は疑わしい。それは脳が作り出した幻影かも知れず、DNAと呼ばれる遺伝が創り出した仮想空間であるかも知れないからだ。
DNAがイメージする世界が広がると、宇宙も広がる。極論すればイメージに対応して宇宙は際限なく膨張せざるを得なくなる。
 私達は意識の主体であるから、それが周囲の全てを認識することにより、周囲が初めて存在として現れてくる。そうであれば、一つの宇宙に幾つもの意識的主体が存在するのはおかしいと鈴木氏は考える。

 従ってこの宇宙には私達地球人類しか知的生命体は存在しない、という結論に達する。しかし鈴木氏は私達以外の知的生命体の存在を否定しない。何故ならば、一つの宇宙に一つの知的生命(意識の主体)しか存在しないとしても、次元的相異、つまりは動的に異なる世界は無数に想定可能だからである。
 それからこの話しのような抽象的概念が出で来ること自体が、人間の進化であると鈴木氏は言っている。それは言語の発展と密接に関連している。
それについて、私はこう理解している。昔は現代ほどに多くの人々が言語を自由に操れなかった、そのことが意識の及ぶ範囲を限定していたから必然的にあらゆる考えの範囲も狭められていたのだと。

 したがって例えば「死の恐怖」も、昔の人の方が現代人よりも少なかったかも知れないと鈴木氏は考えているらしい。極端に言えば馬や猫よりもカエルの方が「死」に対する恐怖はより少なく、カエルにいたっては感じていないだろうという。
それは「死」という現象に対する概念が存在しない、或いは極めて貧弱だからだ。「死」を知らなければ「死」に対する恐怖も存在しない。
当然であるが、しかしこれは詭弁に過ぎないと思う。この世に生まれた以上は、本能的な保身という機能が全ての生物には備わっている。例え知的でなく「死」という概念を持ち得ないとしても、それこそDNAの欲する種としての存在という大儀名分がこれにとって代わるのである。尤も鈴木氏のいうのは「死」という概念に対してのことであるから、その意味では正しいとも思うのではあるが。

 さて鈴木氏は現代の方が、過去のいかなる時代よりも素晴しいという。そして彼が提唱するのがループプロジェクトの推進である。ループプロジェクトとは、コンピューター上の仮想空間に生命を誕生させるプロジェクトである。仮想世界には突然変異や寄生、免疫などの全ての条件を入れ込み、そこに誕生した生命がどう進化するのかを観察する。
それを使い未来を予測することにより、現実世界の私達の意識改革を促し、問題に対処するというものだ。
これは不可能に思えるかも知れないが、現代の技術でさえも100年前の人々にとっては不可能なものばかりである事を考えると可能性は少なからず存在する。
人間がこの世界を意識している主人公である以上は、人間の力をどれだけ信じるかが個人としての全体としての未来も、そのあたりに鍵があると思うと述べている。

 鈴木氏は精神世界を余り知らないというが、それでも彼の描く小説の内容や、インスピレーションの受け取り方など十分にスビリチュアルなのである。それは一流のアーチストに共通する特技なのであろうか。私はそうは考えない。
ただ物事にたいする注意力の差だけなのであろう。それは感性が敏感だとか、鈍感だとかいう問題でもないような気がする。求めているかどうか、という部類の問題であると考える。感知するかしないかは別にして、見えない世界から多くの支援が行われていると私は信じたい。
by levin-ae-111 | 2012-05-26 20:54 | Comments(0)