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by levin-ae-111
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真珠湾攻撃の真実

 真珠湾攻撃で、日本海軍は大勝利を納めたが、それでも幾つかの不可解な疑問が残る。
艦船攻撃と飛行場攻撃だけに集中し、港湾施設や石油タンクなどを攻撃しなかったことがひとつ。それからダメ押しの二次攻撃をしていないことだ。
場合によっては上陸し、占領するという作戦も考えられた。しかし、その何れも実際に行われることはなく、南雲機動部隊はあっさりと引き上げている。

 真珠湾攻撃は私たちが思っている程に、奇襲攻撃という要素は実のところ余り無かった。日米開戦となれば、日本がパールハーバーを攻撃するのは、当時は常識として考えられていたものらしい。そのことはアメリカ側にも日本側にも認識されており、それ故に山本五十六が主張した真珠湾攻撃は当初から大反対を受けたものらしい。
その反対を押し切って決行を決めた攻撃であるにも関わらず、先述のように中途半端に攻撃してサッサと引き揚げたのには深い訳がある。

 それはハワイには多くの日本人移民が居たことである。どの程度の日系人が居住していたのかというと、当時のハワイの全人口の4割にも上っていたのである。
その総数はハワイ諸島全域で16万人であったとされる。日本国籍を有する一世が3万5千人、その他は二世であったが彼らとて米国と日本の二重国籍であった。
更に一世は日本国籍であるから、日本にも納税していた。その彼らの税金で賄った爆弾を彼らの頭上へは落とせなかったのだ。
南雲司令官には、軍令部からは空母を失っては成らないとの命令も下されていたと伝わる。

 それよりも何よりも、南雲忠一司令官が二次攻撃を行わなかった理由とは、やはり同朋への攻撃が忍びなかったのだ。
山本五十六が戦果拡大の為に第二次攻撃を進言する幕僚に「南雲には出来まい」と言ったと伝わるが、まさにこの事であろう。
真実の真珠湾攻撃は、何も知らない大衆が提灯行列で狂喜乱舞した程のものではなく、当事者たちには憂いの多い作戦であった。
by levin-ae-111 | 2012-06-06 05:53 | Comments(0)