人気ブログランキング | 話題のタグを見る

身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

作家城山三郎

 昭和という時代を生涯掛けて、問い続けた作家城山三郎。多感な少年時代を戦争一色に塗りつぶされた城山は、14歳で学校を中退して海軍に入隊する。
お国の為に、天皇陛下の御為にと、その当時の戦争遂行のプロパガンダに心酔していた。
 その背景には子供時代に読んだ杉本中佐の著書「大儀」が存在していた。城山は友人とその内容について何度も議論したそうだ。

杉本中佐は日華事変で、立ち往生したと伝えられる軍人の鏡のような人物だとされていた。その著書には、キリストも釈迦もモーゼも信仰するな、ただ天皇陛下のみを信仰せよ。
すべては天皇陛下に帰一する。と、トンでもない内容が綴られていた。非常に人気があり発効部数も百万部を越えたという。
そういう憧れを持って入隊した海軍に、杉本中佐のような立派な人物は一人も存在していなかった。訓練と称して少年たちをしごき続け、二言目には「お前達の代わりなど、一銭五厘で幾らでも来る」と話していたという。それは、当時の葉書の値段であった。

城山たちは忠君愛国という大儀に騙され、それが絶対の大儀であり正義であると信じていた。城山は入隊で腐りきった軍隊の実際を知り、敗戦で信じ切っていた「大儀」を失った。絶対の大儀や正義など、この世にはないと思い知る。そして後に大学へ進み、哲学を学びながら文章を綴り始める。
作家デビューしてから暫くは、戦争についての作品が多いという。戦争の悲惨な実態を何とか伝えたいと感じていたようだ。

 戦争の実態から始まり、次第に戦争へと国家を導いた指導者たちへと城山は目を向けるのである。すっかり軍人嫌いになっていた城山は、A級戦犯として死刑になった唯一の文官である広田弘毅の物語を描こうとした。
城山の姿勢は公人を描く場合でも、その仕事だけでなく家庭人としての面からも描くという姿勢を貫いた。それ故に遺族からの取材拒否にも苦しんだ。
戦前の総理大臣であった広田弘毅は、東京裁判で一言の弁明も発していない。
自殺した近衛文麿などに対しては、「無責任だ、この裁判では誰かが死なねば成らないのに」と家族にだけは漏らしていたらしい。

 この広田弘毅の生涯を描いた作品「落日燃ゆ」は、100冊以上もある城山作品の中で唯一、私が読んだことのある作品である。偶然にも、これが城山の最も売れた本であるという。この作品で城山は、広田弘毅の指導者たるに相応しい立派な人格を見事に浮かび上がらせている。
増長する軍部を必死で押さえ込もうとする首相広田の姿、その苦悩と覚悟は、本当の指導者とはどういうものかを教えてくれている。

「落日燃ゆ」から以後は、企業家や政治家に関する作品を発表していく。そしてまた戦争の理不尽さを見詰め直して、特攻隊員へと城山は注目していく。
その時に最愛の奥さんを亡くし、城山は10キロ以上も体重を減らしたとは長女の証言である。それを乗り越えて、城山は一人の特攻隊員の足取りを追うのである。
その隊員は終戦の玉音放送の後に、出撃した。同乗したのは宇垣纏中将だった。中鶴大尉がその特攻隊員である。中鶴は新婚であり、妻を残しての出動であった。
中鶴には一人の娘が残され、彼女は母が再婚した為に中鶴の両親に育てられた。勿論、父の声も温もりも知らずに育った。
「指揮官たちの特攻」という城山の作品を読んで、初めて父の死の意味を知ったと中鶴の娘さんは語る。中鶴は戦いが終わって浮かれる米軍を避けて、海岸に自爆して果てたという。そういう話しを耳にして、私は宇垣中将に怒りを感じて思わず「若者を道連れにせず、一人で死ねよ。馬鹿野郎!」と独り言を言っていた。
 
 さて城山は故人情報保護法の制定に当たり、血相を変えて反対している。当時、老体に鞭打って小泉首相にも直訴したりしている。
城山の脳裏に戦前の治安維持法が、過ったに違いないという。法律の拡大解釈により、戦前戦中に多くの人々が酷い目に遭った。城山は反対に当たって、今回の法案を可決した連中の碑を建てると言った。自民党議員の中には「城山は、恐らくボケている」とまで言う輩もいた。城山はすぐさま、文芸誌で反論した。
治安維持法を可決した連中の顔はもう見えない、それに近い使い方が可能な現代の個人情報保護法では、それを決めた連中が逃げ隠れ出来ないように明記する為であった。

 大儀と忠義という異常な熱狂に浮かされて、勝ち目の無い戦争へと突入した当時の日本人。城山は「男子の本懐」で個人が組織の論理にどう抗えば良いかを問い続けた生涯であったという。それは戦争という熱狂に浮かれされ、国の言う儘に導かれた当時の自分や世間に対する反省と後悔の念がそうさせたのであろう。
城山三朗という一人の作家が危惧したように、現代の日本人もある種の熱狂の中に居るような気がする。尖閣列島や竹島、北方領土などの問題は危険な熱狂の種を含んでいる。
韓国や中国の民衆は、ニュースで知る限りでは危険な熱狂へと導かれつつある様に見える。
しかし、それは一部の人々に過ぎないのかも知れない。ニュースで流れる相手国のデモなどの抗議活動は、本当に彼の国々の民衆の大方の意見であるのだろうか。
それを積極的に報道する日本のメディアにも、問題がある。マスコミは必ずしも真実を報道しない。私たちも今こそは、異常な熱狂に誘導されない様に気をつけねば成らない。
by levin-ae-111 | 2012-09-13 05:25 | Comments(0)