一鹹味(いっ・かん・み)
2012年 09月 19日
さて、最近の私は仕事で悩み、私生活で悩みと全くパッとしない日々です。
暑いし、お金は無いし、友人も少ないし・・・と、面白くない事ばかりです。
人と比べても仕方がないし、意味もないと思いつつ、どうして自分はこんな人生なのかと考えこんでしまうこともしばしばです。
芸能界や人やスポーツ界などの華やかな世界で活躍するとまで行かなくても、何気ない事をしても周囲から持て囃される人がいます。
その反面で、私のように何をしても目立たず誰も一瞥もくれないという人もいます。
私は自分の人生を振り返った時に、楽しい思い出が余りに少ないと感じています。子供の頃に何処かへ出掛けたという記憶も殆どありませんし、大人になってからも良い思いではありません。
ですから、いわゆる「華のある人」が羨ましくて仕方がありませんでした。だって、大した事もしないのに誉めそやされるのですから、不公平も甚だしいと思っていました。
野球界では長嶋さんと野村さんの違いですが、野村さんは実力で現在の人気者の地位を勝ち取りました。私の場合は、実力も無く努力もしないのですから何事も無いのは当たり前です。
ですが、人生の幸不幸は等量だとも言います。果たして本当でしょうか。
人により運の総量が違うかも知れませんが、プラスとマイナスの量が等しいということかも知れません。
先日、友人が私と同じ様に嘆いていました。しかし友人の人生は私には、なかなかの人生に見えます。
ビジネス界では、私など比較に成らない程の大活躍をした人ですが、人間は何の為に生まれて来るのかと考えた時に人生について疑問が生まれたようです。
私は思わず、「良く見えても、人には必ず相応の悩みがあると思う。悩みのレベルが違うだけで、悩みの無い人は居ないのではないか・・・」という様なことを言いました。
そうすると友人は、題名の言葉「一鹹味(いっ・かん・み)」を教えてくれました。友人はその読みと意味を住職に尋ねてみたそうです。
意味は様々な川の流れがあり、水の色や香り味も様々であるけれど、海の水はただ一つの味であるということだそうです。
川の水を人生に例えると、甘い水(安楽な人生)や苦い水(辛い人生)など十人十色でしょう。しかし誰にも死という最期が待っている、各々の川(人生)を流れた末に海へと辿り着くのです。
海水の味はただ一つ、塩味です。そういう意味では、人生は公平なものなのかも知れません。
何を経験するために この世に生まれてきたかを 知ることはできるのでしょうか?levinさんは 瞑想で そういう声を 聞いたことがありますでしょうか?
有難うございます(^^)
自分の生まれた目的を知ることは、出来ないと思います。
精一杯に生きて、最期に分かることかも知れませんね。
誰かに教えられるものではない、そう感じています。
内なる声も、使命とか自分の生きる目的などは、教えてはくれません
でした。
有難うございます(^^)/
友人たちと話しあった結論めいた人生の意義は、遊びであるという
ことでした。本源の意識が全知全能ならば、実は何も知る必要も体験
する必要もないのでは?!という事になり、結局は「遊び」だーっ、という結論に辿り付いたのでした。