夢か幻か
2012年 09月 23日
ゆっくりと揺れるその感覚を、私は神様が揺らしてくれていると思っていたものだ。今から思えば、自らの生体エネルギーの揺らぎを知覚していたのだろう。
スーッと闇の中に吸い込まれる感覚があり、沈みこむと私は夜の田舎町の風景の中に居た。その世界は夜で点在する家々は、完全に寝静まっている。
私は見える家の中でも新しい目の家を選んで入ってみた。玄関からではなく、壁を抜けて入る。家の人がベッドで眠っているのを見て、私はそのまま再び壁を抜けて外へ出た。
空には星が光っていたが、どうにも淋しい風景だ。
そこで、地球の裏側へ行ってみようと考えた。次の瞬間に、ヨーロッパ風の白い建物が軒を連ねる風景を見ていた。空は青く輝くように澄み渡って、真昼の太陽が強い日差しを投げかけている。とはいってもそこは決して都会ではなく、豊かな緑が溢れる田舎町だ。
ゆったりと下る坂道の通りを、幾人かの人々が歩いている。髪の毛がブロンドやブラウンの人々がのんびりと歩く様は、ヨーロッパの色合いが濃いが、南米の風景かも知れない。
そういう光景を見ながら、暫く佇んでいたが知らぬ間に眠りに落ちていた。
ところで、こういう具合にして何処かを訪れて、そこの人々に会った時には二通りのケースがある。一つは相手の人々も私を認識していて、手を振ってくれたりする場合。
もうひとつは相手が私を全く認識できない場合だ。
認識してくれた場合、大抵の人々は友好的で挨拶を交わしたりする。私も余り深入りはしないし、滞在時間も非常に短いので見た世界を十分に観察することは出来ない。
意識は非常に明確なので、夢とも幻覚ともつかない場合が多いが、時には親しげに話し掛けられることもあった。それは夢だと思うが、夕暮れの街でキャリーケースを引いて、あるビルで働く友人を訪ねた。生憎、友人は不在で私は通りへ出た。
背後のビルは夕日を受けて輝き、周囲は夕暮れの色に染まっていた。多くの人々と信号が変わるのを待っていたら、背後から声を掛けられた。
若い女性だった。「ブリック、久し振りね。どうしていたの、元気だった?」と彼女は親しげに言った。「元気だよ、また来るよ」と私。
その時に呼ばれた「ブリック」という名前は、自分のブログのハンドルネームにした。
それにしても、意識の世界は面白い。
ちゃんと自分のことを、
認識してくれる人がいるなんて!
いや〜っ 大変参考になりました、
今度夢の中で実戦?してみます。
*「ブリック」の由来、「へぇ〜」でした。
?!?
「levin」も何か意味があるのでしょうね。
(立ち入りすぎました、お許しアレっ)
有難うございます(^^)
そうなんです、普通は現実の知人なども出てきますから、その人が
私を知っていても当然ですよね。
ですが、時としてこの記事のようなことがあります。
levinの方の由来は単純です。私が長年乗っていた愛車カローラ・レビンから貰いました。このカローラ正式な形式番号がAEで始まります。
有名な86はAE-86、ですから通称86と呼ばれます。
私はAE-92、AE-111と乗り継ぎ二十年もこのシリーズに乗りました。
何も、そこまで(笑