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by levin-ae-111
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江戸時代の出産(タイムスクープハンターより)


 医学の発達していなかった江戸時代には、出産に関しても根拠のない迷信が横行していた。現代と同様に産課の医者も存在したが、男性しかおらず嫌がる妊婦も多かった。
その時代にはお産婆さんが一般的であり、この物語でもお産婆さんが主役である。
長屋に住む新婚夫婦は、もう初めての子供が生まれそうな状況である。大家が手配した最初の産婆は、経験不足でネガティブなことばかり言うので断り、二人目の産婆は超ベテランだが、耳が遠く話している最中に寝込んでしまう程の高齢でどうしようもない。
三人目に現れたのは二日酔いの産婆で、夫婦の家に着くなり「気持ち悪い」といって寝込んでしまう。

しかし、その時に遠くの地域での火事の情報が入る。すると産婆は人が変わった様に外に飛び出し、空を眺める。そして夫婦に避難の準備をする様に言うが、周囲の人々は誰も信じない。火事は比較的に遠い町で発生していたからだ。
避難を主張してきかない産婆の強引な指示で、夫妻は荷車に家財を積んで妻の実家へ避難する。だが、途中で逃げてくる連中に家財を奪い取られてしまう。その火事は歴史に残る明和の大火と後に呼ばれる火事であった。
結局は途中で破水し実家へは行けず、途中の無人の小屋へ入り、そこで出産することに成ってしまった。子供は無事に産まれたが、それからが大変であった。

江戸時代の出産は妊婦を座らせ、天井から下げた綱に掴まりいきむ。産んだ後は妊婦にはもっと過酷な現状が待っている。7日間は眠らずに、座り続けていなければ成らないと信じられていたからである。裕福な商家や武家などでは、漆塗りの立派な背もたれが使用されたというが、この夫婦には産婆が炭俵を重ねて造った急造の背もたれしかない。
妊婦が意識を失わないように用意された気付け薬を忘れた夫は、急いで長屋へと走って戻って行った。その時、女ばかりの小屋に火事場泥棒が侵入した。泥棒というより強盗であるが、産婆が必死抵抗でこれを撃退する。

夫が戻りひと安心していると、先刻の強盗が仲間を連れて戻って来た。夫婦と産婆の大ピンチである。だが、そこへ更に大勢の揃いの法被を着た男たちが現れた。
彼らは火事場泥棒たちを小屋から追い出し、捕まえてくれた。彼らこそは町火消しの若者たちだ。
夫婦の事情を聞くと、彼らは布団や食料を次々と小屋へと運びこみ、動けない産後の妻の為に手を貸してくれた。漸く落ち着いたが、妻はこれからが大変だ。
しかし夫と産婆の励ましで、遂に産後の7日間を乗り越えた。周囲の人々はその後も小屋にいる夫婦と赤ん坊、産婆を見守っていた。

 それにしても何故に産後に7日間の意識を保っていなければ成らなかったのか。頭に血が上って様々に悪さをすると考えられていたものらしいが、産後の女性にとっては実に辛い迷信であった。
そういう迷信の為に落命した妊婦も多かったのだろう。
それから産婆が火事に敏感だった理由は、若い頃に夫と子供を火事で失っていたからだ。
彼女は、それ以降は独りで生きて来たのであろう。
明和の大火に居合わせたリポーター沢嶋は、本部の帰還命令を無視して取材を続けた。火事などの大事件は、彼の所属する課の担当ではないからである。
しかし沢島は「大火の中を庶民がどう潜り抜けたのか、それを取材するのは自分たち」と譲らず、本部との通信を断って取材を続けたからだ。彼には帰還し次第、始末書が待っている。

 私たちの祖先もこうして生まれ、子孫へと命を繋いで来てくれたのだ。現代の出産は江戸時代ほどに過酷ではないが、それでも大変な苦労であろう。
私は病院でなく、お産婆さんの手を借りて父の実家で生まれた。当然、病院とは異なり生まれて産湯を終えて、直ぐに母親の懐へ抱かれたに違いない。
子供が情緒豊かに育つには、この時に母親から引き離さないことが重要なことであるらしい。母親と一体であったものが出産によって分離され、更に保育器などに入れられては後に精神的なダメージとして現れるというのだが、果たしてどうであろうか。
 独りでも立派に成長する人も居れば、周囲から愛情を注がれて育っても、不本意な人生を送る人もいる。結局は学問的な結論が全てでは無いと結論するしかないであろうが、それでも統計的には頷ける結果なのであろう。
by levin-ae-111 | 2013-05-06 13:17 | Comments(0)