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by levin-ae-111
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信仰とは

 人生に対する不安要素が多い現代社会では、何かに縋りたいという想いを持つ人が多いであろう。しかし用心すべきはその気持ちに付け込み、その気持ちを金儲けや自分の名聞名利に利用しようという輩である。

信者の藁にも縋りたい気持ちを手玉に取り、巨大な組織にまで成長した宗教団体は今や利益だけでなく人の心まで支配するに至った。

多くの大衆の心を支配したその次には政治の世界へ進出し、更なる支配を確立しようとするのが巨大新興宗教の目的である。名目は当然のごとく『布教』であるが、その時点では支配欲に駆られているので、神仏の御心とは相容れない醜い裏の顔を持つ様になる。

各いう私も若い頃に新興宗教の教えに傾倒し、一生懸命に信仰活動をしていたものだ。ただ自らの疑問に応えてくれない教義や、信仰者とも思えない幹部の言動に疑問を感じて次第に活動から遠ざかった。その時代は考えもしなかったが、今にして思えば『信仰は他人に強要されてするものではない』という簡単な理屈にさえ思い至らなかった。

信仰について私は以下のように考えている。

神仏の私たちに対する慈愛は、全ての人に平等に注がれている。その証拠に悪人も善人も存在を許されている。それこそ神仏は宇宙のシステムを総動員して、私たちを生かして下さっているのだ。そのことに気づき、感謝の念を忘れずに生きることである。

そうすれば自然と自分以外の存在も、自分と同様に宇宙が全力で生かしている事に気づく。

真実の神仏とは生命を育み、生かそうとする宇宙の意識でありエネルギーのことである。

決して人間が勝手に決めた偶像などではない。覚者を語って他者を洗脳し、利用する者は宇宙の心(真実の神仏の御心)に背く者であり、如何に金品と名誉に彩られていてもその本性は心貧しい者と言わねばならない。

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by levin-ae-111 | 2017-02-13 20:30 | Comments(0)