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by levin-ae-111

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 福島正則といえば「賤ヶ岳七本槍」の一人として、有名な戦国大名である。
柴田勝家の軍を羽柴秀吉軍が賤ヶ岳で破り、後の豊臣政権の基盤を築いたターニングポイントとなった戦いである。この合戦の勝利により、秀吉は反対勢力を一掃し残った佐々成政も降伏せざるを得ず、徳川家康にも豊臣の天下を認めさせたのである。

この合戦の後に大活躍したとして、秀吉は7名の名を挙げ「賤ヶ岳七本槍」として大いに称揚したのである。その内の一人が福島正則で、正則は秀吉の親戚筋にも当たる。
その後にこの7名は何れも豊臣政権下で出世し、大名に取り立てられている。
尤もこの「賤ヶ岳七本槍」はどの人物も、若い頃からの秀吉の子飼い人物で真実に彼らが賤ヶ岳の合戦で活躍したかは怪しいものである。

普通に考えれば、政権を奪取した豊臣秀吉が政権を守るために、信頼する子飼いの人物に力を与える為の口実として賤ヶ岳合戦に手柄を立てたとしたのだろうと思われる。
いくら秀吉でも、側近を出世させるには大儀名分が必要だったのだ。そうでなければ、他から不満が出る。無論、当時でもそんな名目は見え透いていたであろうが、それでも一応の格好を付ける必要があったのである。

それでこれから漸く、福島正則さんの話しです。
福島正則は多くのドラマや小説で猪突猛進の猪武者として、或いは思慮深さとはかけ離れ単なる武骨者として描かれている場合が多い様に思う。豪傑ではあるが単純というキャラクター設定は、イメージ的には三国志の張飛とよく似ている。

だがしかし、果たして秀吉の子飼いで血縁者というだけで大名にまで上り詰められるものであろうか。スタートは縁故で有利だったとしても、その後はそうは行かない。
手柄を立て武士としての実力だけでなく、大名として領国を経営する十分な器量と頭脳を秀吉に認めさせねば成らない。その事実ひとつ取っても、小説やドラマに描かれる様な単純な男では決してあり得ない。

関ヶ原の以前にはいち早く家康に恭順を示し、彼の去就を見て多くの大名が東軍に加わったらしい。福島正則は関ヶ原では余り活躍していないが、それでも旧領に倍する安芸広島44万石を拝領している。正則は豊臣恩顧の大名の中にあって、最初に東軍の旗を掲げたのだ。
家康の勝利を見越しタイミングを計り、家康が最も高く彼を買ってくれる時に味方になると表明したのだろう。つまり自分の評価をより高くする術を心得ていたのである。

その頭脳は安芸広島の領地で更に力を発揮し、検地の結果を農民に公開し公平な徴税を実施した。また豊臣秀頼と徳川家の仲介役として活躍し、戦争回避に尽力したりしている。
これらの事実は、福島正則のイメージと実態の大きな食い違いを示している。
やはり大身の大名といへえど、明日をも知れぬ戦国時代を生き抜いた人物だけのことはある。彼もまた決して凡庸な人物では無かったのである。
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by levin-ae-111 | 2010-03-31 05:19 | Comments(0)
七 章輪廻転生について
 これまで幾つかの不思議体験をし、自分の個人的意識の本体に様々なことを教えられた。しかし、私の疑問はまだ尽きない。
何故にこれほどまでの孤独感と失望感を抱えて生きなければならないのか、以前は他の人々がとても羨ましかった。
真実は「隣の芝は青く見える」だったのだが、楽しそうに談笑し、人生の疑問など何一つ感じない様に振舞う人々を密かに羨望していたものだ。
それに引き換え、自分は何と悩み多く、可哀想な人生を過ごしていることかと。だが、実はそうでないことを理解するまでにかなりの年月を要した。

 人生を楽しんでいるかの様に見える人々の態度や表情の裏を、私は察することができなかった。
過去の考えが全くの一人よがりと気づいてから、私の疑問は同時代に生きる多くの人々のそれと同じではないかと感じはじめた。
苦しみばかりが多い人生、何もかも不本意で不満ばかりが募る。
仕事も人間関係も、健康面もどれも努力の割に報われないことが多い。
人々と私の違いは、私は考え込み、人々は忘れようとしているのに過ぎないのだと思うようになった。

 ところで、これと輪廻転生と何の関係があるのか。
以前に意識はあらゆる経験を通して、自己を表現し体験して完成を目指すと聞かされ。だがしかし、前述の様に不本意な事態に遭遇するばかりだ。
しかも完成をみるには人生は余りに短く、たった百年足らずで終わってしまう。
そこで以前の章で紹介した釈尊の前世とされる雪山童子(せっせんどうじ)の物語を思いだして欲しい。
釈尊がいずれかの前世で修行中の出来事と伝えられているが、それとは裏腹に法華経で気の遠くなる様な以前に、既に成仏していたとして「久遠自実成」を明かした。
*久遠実成(くおんじつじょう)
 (釈尊は法華経の中で現世で成仏したのではなく、実は遥か昔に成仏していたことを明かした)
 気の遠くなる程の過去に成仏していたとしながら、同時に成仏以前のエピソードが伝えられているのはどうしてか?
エピソードは後世の創作だと断じてしまえば、そうかも知れない。
しかし、何故にそんな創作を付け加える必要があったのだろうか、求道心を称揚するためだろうか。どうにも解らない。
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by levin-ae-111 | 2010-03-31 05:15 | Comments(0)
私:でも例えば、事故で急死とかの場合はどう?事故に遭うことを願う人は居ない。運命ではないの。

ハ:それは「縁」により起こる。君たちの偉大な仏も、そう言っている。

私:なら、意識が必ず関与すると断定できないね。

ハ:縁を呼び込むのは「意識」だよ。危ない行動をすればそれだけ危険も大きくなる。危険な場所に居ても同様だ、違うかい?

私:でもそんなこと、普通は思ってもいない。無事を願いつつ事故に遭う場合は?意識は無事を願っているんだぜ。

ハ:確率的偶然が支配しているからね。

私:何だって、偶然と言ったかい。意識はどうなった。

ハ:物理的現象の起こる確率のことを言った。これは意識より強い力で物質界を支配する法則が存在するために起こる。
意識は物質を造るが物質が出現すれば物質的法則に従うことになる。
人体も物質で造られている以上、物質的法則に従う。だが、肉体を破壊しても意識は破壊できない。
君達や僕達は物質的法則に支配された世界で、自己表現を行っている。そういうルールの下でね。

私:君は違うだろう。個人的意識の中で、物質的法則に影響されない世界で悠々と過ごしているんだ。

ハ:僕も次元は違うが、物質世界にいる。僕はこの次元で、君はその次元で各々の認識に基づいた創造、つまり自己表現を行っている。それだけの違いだよ。

私:どうも解せないなぁ。意識が全てだと言いつつ、物質世界の法則が強いという。でもやっぱり、意識が主体だと・・・・。

ハ:これは一種のゲームだ。総ての出来事が、一連の大きな流れに沿った中で行われている。物質世界独特のルールの下で、皆がプレイしているのだ。
君達の次元は分裂と統合を繰り返してきたが、今度は統合へと向かいつつある。

 やはりハテナの解説は、どうにも理解できない。この仮説を最も単純に整理すれば、以下の様になるのだろう。
①人生には特別に果たすべき目的や使命はない。
②我々が運命とか宿命、カルマと呼ぶ人生の手かせ足かせもない。
③生まれてくる以前に、肉体的条件や環境を意識が事前に選択する。
④意識は物質(物質界)を造るが、物質が出来てしまえば物質的法則が意識の力を凌駕して働く。

大体がこんな感じだろう。納得するには相変らず困難だ。
それから最後にハテナが述べたゲームとは何のことだろうか?謎は深まるばかりだ。
時間的な余裕が無いというチャネリング情報や予言、研究結果が盛んに喧伝されている昨今だが、ここは焦らず腰を据えて掛からねばならないだろう。

この数年間で、私の人生に対する考え方は変わりつつある。
以前に信仰していた宗派では、宿命を転換できるとして良くない状況を変えることに躍起になっていた。つまり、病気、人間関係、貧困などを本尊への祈りと布教活動で変えられるとして、信者は活動に縛り付けられていた。
 このハテナが伝える情報は、それとは正反対に近い考えだ。子供の頃から半ば強制されて身に付いた宗教的な考えを採るか、自らの内なる声の仮説を採るか難しいところではある。
しかし実感のない教義よりも、自分の内なる声に従うのが自然なことだろう。
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by levin-ae-111 | 2010-03-30 05:49 | Comments(4)

連合艦隊


 旧日本帝国海軍はどうして、自軍の艦隊を「連合艦隊」と呼称したのだろう。
別に何処か他国の艦隊と連合していた訳でもなく、この変な呼称が昔から疑問だった。
どうやら艦隊発足当時には、新鋭艦や主力艦で構成された「常備艦隊」と二線級の老朽艦で編成された「警備艦隊」の二つの区割りが存在していた。
それが戦雲急を告げる事態が予想された時、この二つの艦隊の名称は事態に対し相応しくないとの意見が出た。

そんな事はどうでも良い気もするが、兎に角、新しい呼称が決定された。
即ち「連合艦隊」である。命名は山本権兵衛による候補の中から決定された。
この時は呼称だけでなく、性能の異なる艦船の運用面での問題も考慮されていたという。
この新しい呼称のもと、日進戦争、日露戦争と圧倒的な敵艦隊を向こうにまわして連勝し、第一次大戦では地中海にまで艦船を派遣した。こうして連戦連勝の栄光は、連合艦隊の名を輝かせ不動のものにした。
この光輝満る珠玉の呼称は、第二次大戦での敗戦により消滅するまで続いた。

対外戦の緒戦は、日進戦争である。
日本は数度の会戦や旅順港の閉塞作戦などを敢行し、遂に勝利した。
日清戦争以前に、清国海軍は最新鋭の巨艦2隻で日本を親善訪問し、威圧してきた。
当時7千トンクラスで主砲は30センチ砲を4門と、圧倒的な威容を見せ付けに来たのだ。
対して日本は、3千トンクラスが精々で、30センチ砲など一隻も装備していなかった。
そこで無理やりに1門だけ30センチ砲を装備した艦を造り(松島、厳島、橋立=三景艦)戦いに向かったが、これが皮肉にも活躍しなかった。砲を旋回させると、その方向に艦が傾く、重量物や人員が反対側に移動してバランスを取るが、それでも傾く。それで砲身の仰角を目一杯に上げて使用するしか無かった。

しかし30センチ砲を発射すれば、反動であらぬ方向に艦が動いてしまい命中などおぼつかず、艦が揺れて次の射撃がいつ出来るかも判らない(笑)。そこで考えたのは小口径だが、発射間隔が短く命中精度の高い速射砲に頼ることだった。
これが実践では有効で、小型砲の絶え間ない発砲で敵に大打撃を与える。

カクシテ清国艦隊は旅順港へ逃走し、二度と外海へ出なかった。
出て来ないなら、と古い船体を旅順港の出入り口に沈めて清国艦隊の動きを封じる作戦がとられた。旅順港の出入り口は水深が浅く、沈没船は立派な障害物となるからだ。

しかし旅順港は陸上の砲台に守られており、幾多の犠牲を出しながらもこの作戦は結局失敗した。
ならば、と陸軍に艦砲を渡し陸上からの砲撃を加える。これが功を奏し、港内で敵艦隊は被害を受けて降伏した。
ここに「連合艦隊」の名に最初の栄光が刻まれたのである。
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by levin-ae-111 | 2010-03-29 05:09 | Comments(0)
人生で果たすべき使命は在るか、運命や宿命、カルマはあるのか?

私:それじゃあ、人生で必ず果たすべき課題はあるのかなあ。

ハ:特に必ず何かをしなければ成らない、ということは無いと思うよ。
ただ一生懸命に生きて、自分の好きなことを通して社会に貢献し、全力で自分を表現することかな。
創造的考えでは、認識が最初にあり、それを表現することで現実が造り出される。何も難しく考えることはないのだよ。
全てが君の中にある、そう、考え得るすべての要素が君の中に在るんだ。

人は各々のフィルターを介してしか、認識し表現することが出来ない。
それが個性というものだし、創造の無限の表現でもあるわけだ。

私:カルマは存在する?

ハ:当然、存在しない。これは宇宙規模での認識だけどね。もしも、それが存在する証拠を見出せたとしても、それでもローカルルールにしか過ぎない。

私:では、存在するんだ。例え国法でなく地方条例であっても。

ハ:もしもと言ったよ。存在しないと明言した。

私:あっ、そうか。では運命とか宿命はどうかな。

ハ:そうだね、存在しない。人生には変更不可能な部分も存在するが、それは誰しもがそうだ。この僕も例外ではない。
 その一つが肉体的な個性だ、両親から受け継いだDNAの性質などだが、それを君たちが宿命とか運命と呼ぶなら、それらの事柄は存在することになる。だが、そのことと、人生をどう生きるかは別の話しだ。

私:行き方には肉体的条件も含まれるのではないかな、容姿の差は人生にかなり大きな影響をあたえる。それに、遺伝病なども重大な問題だと思うが。

ハ:普通に考えれば確かにそうだ、だが僕の視点は違う。
意識が全てを決定するんだ、人生の出来事の裏には全て意識が関与している。
従って意識の意図に反した出来事は起こらない。

私:へえーっ、そう来るか、信じられないね。今までで一番精菜を欠いた答えだよ。

ハ:それが感想かい、君は今まで何を学んできたのかな。意識が選らんだのだ、その人の肉体的条件も環境も、人生の動かし難い条件を選択したのだ。
君たちのいう宿命や運命とは、逃れがたい無理やりに押し付けられた状況のことだよね。
だけど欲する体験をするために、自発的にその肉体と環境を選んだとすれば、ニュアンスは自ずと違う。まあ、記憶が無いのだから信じられないのも無理ないけどね。
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by levin-ae-111 | 2010-03-29 05:01 | Comments(5)
毎回、チャネリング情報を日記やブログに載せているが、もう歴史物を書きたくてウズウズした状態になった。そんなに詳しい訳でもないが、垣間見える史実から各時代の人々の心情や生活、実像に思いを馳せるのが好きなのだ。
今回は名門のご頭首「今川義元」さん。
そう、桶狭間で信長に討たれた彼だが、当時は天下取りレースの優勝候補ナンバーワンに挙げられる程の実力者だったらしい。

キャッチフレーズは「東海道一の弓取り」であり、その実力の程が伺われるというものだ。
駿河守護の今川氏は足利将軍家の親戚筋にあたり、その血筋を遡れば清和源氏に辿り着く。
一流の武門の名家であり、室町時代には副将軍とも呼ばれていたらしい。
そんな名家の惣領なのだが、義元は胴長短足のうえに肥満していて馬には乗れなかった。
鐙(あぶみ)に足が届かず危険であったので、戦での指揮は輿(こし)に乗り家来に担がれて執った。

しかもスタイルは公家スタイルで、眉を描きお歯黒まで入れていたといわれている。
公家の様に毛鞠も嗜んだし、薄化粧までしていたらしい。
武門の誉れ高い今川氏でなければ、こんな真似は出来ない相談だろう。武骨な戦国大名の時代に、実力が伴わない者がこれをやれば、たちまち巷の笑い者である。
足利幕府時代から続く権威が、義元をして公家風のライフスタイルにさせたのだろうか。
だが、これは馬鹿にされるどころか却って義元と今川家の威厳を高めることにもなった様だ。つまり、今川義元の権力の凄さを誇示する要素として働いたのだ。

しかしこの義元さん、剣の実力はちゃんとしたものであったらしく、桶狭間では自ら抜刀して戦っている。ただ怯えて家来に守られていただけのイメージがある義元だが、襲い掛かった織田の侍を自ら撃退したらしい。最後まで闘い、首を取った武将の指を噛み千切ったと伝えられている。
一見して雅で煌びやかだが、その真の姿はやはり戦国大名であったのだろう。もっとも他国との駆け引きも見事なものがあり、武田や北条とも同盟を結び自らの領国の安全にもしっかりと考慮している。

結果的に桶狭間で討たれたが、義元にすれば織田など眼中に無かったのが災いしたというべきだろう。2千程度の動員力しか持たない信長が、3万もの大軍を率いた自分を襲うはずなど無い、と確信していたとしても無理もない。義元が凡庸なのでなく、その隙に付け込んだ信長が優れていたというべきである。

それにしても、桶狭間での義元の驚愕はいかばかりだったろうか。突然の敵襲に狼狽しただろうが、武将としての血が騒ぎ、人生で初めて死に物狂いで戦った時であったかも知れない。
戦国天下取りレースでは早々にリタイヤしてしまい、あれっ今川義元って出場してた?と思わせる彼だが、やはり天下を狙っていたに違いない。

義元が討たれず今川家が存続していたなら、信長や秀吉、家康などの覇権は無かったかも知れないのだ。後の世界への影響を慮っても、やはり今川義元は大きな存在だったといえよう。
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by levin-ae-111 | 2010-03-28 08:27 | Comments(0)
私:では、多次元世界へひとつの個人的意識が多数の人格を投影するってどんなこと?その意味は。

ハ:ひとつは、効率的に経験を収集するために、もうひとつは個人的意識の進化のためだよ。

私:個人的意識も進化するのか、それは何のために。

ハ:より大きな意識の進化のためにだよ、そして、より大きな意識は更に大きな意識のために進化する。それが繰り返されて、全体の根源的意識の自己認識へと還元されるのだ。

私:それじゃあ切が無い、どこまで繰り返されるの?

ハ:永遠に続く、全次元的意識「創造」は永遠に創造を続ける。創造の特性は創造することだからね。分割、細分化された意識は幾つかの段階を経て故郷へ帰る。それから、また飽くなき探求の旅に出る。

私:ハァーッ、疲れた。結局は堂々巡りか。
ところで、親切に色々と教えてくれるアナタは誰です。

ハ:宇宙人であり、地球人であり、男で女、飛行士、労働者、惨めな浮浪者、農民であり、戦士であり、学者であり父親で母親でもあり、子供で大人それから・・・

私:ちょっと待って、何が言いたい?

ハ:つまり私は君自身なのだ、君の個人的意識の核だ。君の意識の別の面であり君の全人格でもある。君でない君も含めてね。

エネルギーコンディショナー「ハテナ」を介して様々な情報を送ってくる存在の正体は、何と「自分自身」だった。
これが個人的意識の総体か、或いはハイヤーセルフと呼ばれるものなのか。
不思議な自問自答が続く。

 そこで私は以前から気にしていた課題を、思い切ってぶつけてみた。
それは特定の個人が生涯に必ず行うべき課題や、宿命的なものが存在するのか? そして、人生には意義が在るかどうかをだ。

仏教ではカルマを説き、解脱に到る道を示している。だがこれは釈尊御自身が説かれたのではなく、多くは後世に創作されたり改ざんされたりした結果が伝わっているに過ぎないとする説もある。
カルマは元々、ヒンドゥー教の影響だと言われているらしいし、大日如来は原始キリスト教に対抗するために創作されたとする意見もある。
さりとて、全てが虚妄だともいえまい。
とても巨大で困難な課題に挑戦したと感じ、後悔しているがもう遅い。
確なるうえは私の個人的意識の全力を持って、一応の答えなり仮説なりの結果を導き出さねば成らない。
少なくとも表層意識(エゴ)は何の回答も持っていない様に感じる。それどころか、こんな難解なことを言い出してと、愚痴っている。さて、個人的意識の総体はどんな答えをくれるやら。
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by levin-ae-111 | 2010-03-28 07:15 | Comments(0)
六章創造と個人的意識の進化
 
さて前章で記述した「個人的意識」が、幾人もの多次元的宇宙へ送り出す或いは投影するとはどういうことなのか?また、そのことと全次元的意識「創造」との関係について考えてみたい。
正直に言うと考えるのではなく、ハテナを介して何者かがある種の仮説を与えてくれるのだ。

 全次元的意識「創造」は自己を分割し、忘却することで自己認識を得ようとした。その手法とは多次元宇宙を産み、無数に分割した自身の分身をその世界へ送り出し、それらの体験を収集することだった。
いわば私たちは一部とはいえ、「創造」そのものなのだ。
それにも関わらず私達は様々な未知の出来事に遭遇し、困惑する。明日の自身の運命さえ予測できず、突発的な出来事に翻弄される。何故なのだろう。
 また完璧なはずの「創造」の一部である私達が、進化する余地など本当にあるのか。その必要性は?ハテナは次のように語ってくれた。

ハ:人類に限らず、存在する全ては完璧だ。何故ならば存在すること自体が完璧である証しだからだ。
 さて「完璧」ということの意味だけれど、総ての存在が、それとして存在するために必要な全てを備えているということだ。
「進化」するということは、「存在」すること以上の意味が存在するということだ。解るかな?

私:何となく・・・・。

ハ:宜しい。人類は進化する余地の多い生命形態のひとつだ。だから、進化し発展する。

私:でも、完璧な存在にとってそれ以上の意味はあるの?

ハ:とても大切で重要な目的を忘れていないか、ほらっ、元々は何のためにこう成っているかっていうことだよ。

私:そうか!!自己認識だった。経験し、自分を認識するためだ。

ハ:そのとおり、そして体験し、自己認識をするために何をしたのだった?

私:えっと、何だった?忘れたよ。

ハ:ピンポ~ン正解、忘れたんだ。一切を一時的に完全に個人的意識は忘れたのだ。無論、あくまで人間が感知できる表層意識での話しだけどね。
そして物質次元で様々な出来事を経験し、少しずつ思い出していく。
進化とは思いだすことでもあるのだ。

私:だけど、大元が知っているのなら思い出しても進歩したとは言えないじゃあないか。それに体験するにしても楽しい良い体験と、苦しく悲しい体験があって、運命とか宿命とかカルマ等と呼ばれている。何か変じゃあないか?

ハ:部分的な観測ではそうなるね。痛みや悲しみを経験してはじめて、健康や喜びを認識できる。その逆もまたしかりだ。
そして、その経験はとてもリアルでなければ成らない。何をするにしても真剣で一生懸命でなければ、その醍醐味は解らない。ふざけた態度や姿勢で、物事の真実は体感できない。
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by levin-ae-111 | 2010-03-27 05:42 | Comments(0)
私:自己を体験するって、創造は全知全能で、不可能な事も未知のことも存在しないのだろう。

ハ:確かにそうだ、だけど知っていることと、体験することは違うのだ。
創造にとっても比較対照の存在が在って、初めて自己認識が可能となる。
だが創造には比較対照の為の存在が無かったのだ。

私:そうかも知れないけど、解らないなぁ。それでどうやって比較するのだろうか、その方法は。

ハ:分割して忘れる。これで、比較対照が可能になった。

私:ハァーッ、分割って何をさ。忘れるって何を。

ハ:自分自身を分けたのだ。でも分割しても依然として、全知全能なことには変わりは無い。それで、全てを忘れることにしたんだ。

私:訳が判らん、何の話しだい。

ハ:「創造」のことだよ、他にどんな話しが有る?このテーマで。
創造には不可能なことなど何も無い、従って自己を分割するのも、全てを仮に忘れるのも可能だ。

私:その目的が自己体験なのか、全知全能を一時的に放棄してまで自己認識を欲しているのかい。それで、バラバラになったパーツはどうなった。

ハ:君に、私に、他の人々に、その他の全てに成った。創造は自己の創造した全ての視点から体験を通して自己認識をしているよ。

唯一の実在である意識「創造」は、自己認識を求めて自身を無数の破片に分割した。その分割された最小単位が個人的意識の核を成しており、最小単位である個人的意識もまた自己認識を欲して、様々な体験を収集しようと努力する。
 意識の世界では時間や空間は何の制限も持たないから個人的意識の核はより多くを求めて、幾つもの次元へと人格を送り出す。

その人格は無論のこと個人的な意識は持っているが、無意識の深い部分では完全に一体だという。
つまり私達は個人として自我を持っているが、無意識の深い部分では他の人格と繋がっている。
私が見た夢は、多くの次元へと送り出されている同一の個人的意識を所有する他の人格との交流が成された結果らしい。

 要するに私達ひとり一人は、分割された意識の最小単位である個人的意識の別々の側面であるらしい。夢中の他の人物たちは、各々が個人的意識の他の面を代表していたのだろう。勿論、一つの意識であるから言語で意思を伝え合う必要など無い。

思春期の頃から何とはない違和感と孤独を感じ、友人達と一緒に居ても心の何処かに常に覚めた感覚があった。しかしこの事によって、分かつことの出来ない魂の肉親達が何処かの次元で生きているのを知って、少し癒された気がする。私は、その肉親達と夢で逢うことが出来たのだ。
同じ個人的意識から派生した人格達が沢山存在する、とても心強く感じ、とても嬉しい。
彼らとて各々に辛い事もあるはずだ。私は彼らを応援したいと思い、彼らの健康と幸福を祈っている。
真剣に念ずれば、祈り彼らには届くと信じている。一つの意識なのだから。
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by levin-ae-111 | 2010-03-26 05:07 | Comments(2)
この不可解な夢に関して、ハテナの見解を聞こうと思う。

私:この夢にはどういう意味があるのだろう。

ハ:自己の魂の他の面との対面だね。君の魂は幾つもの人格を沢山の次元へ贈り出しているからね。

私:えっ、僕以外にも僕が居るの?

ハ:君は一人だが、君と同じ魂の持ち主は沢山いる。君たちは一つの個の意識から出て、それぞれに体験を積んでいる。

私:個の意識って何だい、説明して欲しいなあ。

ハ:創造の話しになるよ。

私:そうだ、それで良いよ。「創造」の事は、以前に時々でて来たけど、何の事かいまひとつ不明だった。

ハ:「創造」とは全知全能、完全無欠、唯一の実在、全次元の全宇宙を創り、それを完全に維持し、常に新しい創造を続けている。それが「創造」だよ。

私:えっ、全次元の全宇宙、宇宙はひとつではないの。

ハ:そうだよ、沢山ある。宇宙は創造の肉体だ、君は単細胞生物かい、違うだろう。

私:???創造は生物なのかい。

ハ:例えばの話しだ。「創造」は宇宙を創った、もちろん生物もね。
君が想像する生物ではないけれど、非常に強力な意識だよ。
意識は君たちの科学では捉えられていない。
「創造」とは意識そのものだ、意識は意思を持ち、意思は意味を与え、意味は物質を造りだす。その世界で創造は自己を体験している。
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by levin-ae-111 | 2010-03-25 05:43 | Comments(2)