身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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<   2010年 04月 ( 31 )   > この月の画像一覧

仏教にも一種の終末論が存在するのだが、それは一般に末法思想と呼ばれる。
しかしこの場合の終末は釈尊が説いた法の終末を告げるという意味であり、人類社会の終末を指すものではなく、明らかにユダヤ的終末論とは異なる。
釈尊在世から2500年後には釈尊の教えが効力を無くし、後には更なる民衆救済の大法が勃興するとする説である。

 冷静に主な予言を検討すれば、ノストラダムスもケイシーもキリスト教的な根幹を持つことが判る。それはいずれも聖書的な見地からの予言であり、彼らは皆いわば「聖書色」の眼鏡を掛けており、そこから導かれる予言の数々は必然的に聖書的な色彩を帯びたものになる。
このように認識するとヘソ曲がりの私としては、例え予言の内容が世界的なものであろうと素直に受け取れなくなる。
そこには東洋的な視点が存在せず、キリスト教的な世界観に偏重している。それは彼らの人生の基本理念が、私たち東洋人とは決定的に異なっていることを意味している。

故山本建造先生が、西洋人と東洋人の人生観の違いを面白い切り口から説いておられる。それは言語からの切り口で、西洋の言語では動詞が先で名詞が後、東洋はそれとは逆である点を指摘されている。
つまり西洋では「登る、山に」であるのに対し、東洋では「山に、登る」と同じことを表記しても順序が異なっているが、この違いが精神的基盤の違いを表していると述べられている。
この違いが自然を克服し作り変える西洋文明と、自然との一体感を重んじ共存しようとする東洋文明との違いである同時に、人生観の違いを示しているとされていた。
それ故に東西の人々の精神構造は異なっており、西洋の精神分析などの手法は東洋人には当てはまらないとも述べておられた。

その由来の元は自然環境の違いにあるとも述べられていた。
厳しい環境では自然を人為的に作り変え支配する西洋文明が誕生した。対して東洋では中国を除き、韓半島や日本、東南アジアなどでは豊かな自然に恵まれ自然との共存を重んじる文明へと発展したとされていた。
この山本先生の主張はとても新鮮な感じがする。
話しが逸れたが、要するに風土により人生感が異なると言いたいのだ。
西洋の一神教と東洋の多神教の違いも、恐らくはこのような風土的な相異の産物であるのかも知れない。そして、予言というスピリチャアルな事柄に関しても、当然この影響を免れるものではないと考える。
ノストラダムスやケイシーの予言も、私たちにとっては面白い読み物でしかなかった。だがキリスト教圏の人々にとっては、そうで無かったに違いない。
ローマ法王朝が公開を禁じたファティマの予言も、私たち日本人にとってみれば極秘扱いにする価値を持たないかも知れない。
イスラエルとアラブの闘争も、現実的な貿易の問題を別にすれば、イデオロギー的には私たちにはほぼ無関係だ。
無論、同じ地球人としての集合無意識を持つ兄弟・同胞としてのより大きな見地からは別である。
よくよく考えてみれば、私たちにとっての終末思想の多くは、私たちとは精神的基盤を異にする西洋からの輸入品であることに気が付く。
本来予言の意味するところは、警告であり問題に対して善処せよとの掲示である。それをはき違え、予言を現実に成就させねば成らないなどと考えた愚か者がこの日本にいたことが残念だ。

それから破壊的予言に関してばかりでなく、希望的予言に対しても私は同様にひとこと言いたい。
弥勒の降臨を予言し、それを待ちわびる人々がいる。たった一人が降臨して何が出来るのか?彼らは本気で世界を変えて貰えると信じているのだろうか。
一人だけではないと主張する人々もいるが、私はそれも同じだと思う。
それらは所詮、他力本願である。
如何なる能力者であろうと、この宇宙内の存在である限り、他人の蒔いた種を他人が刈り取れる訳もないのだ。
私が受け取っている通信では、地位も身分も職業も人種もバラバラの一般の人々が立ち上がり、新たな現実世界の構築に取り掛かるとしている。
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by levin-ae-111 | 2010-04-30 05:29 | Comments(4)
十六章 世紀末狂想曲の顛末
 これまで自分の体験や友人との議論などから導かれた仮説を縷々述べて来たが、まだ見逃していた分野があると気づき、ここでそのテーマを考察するべきだと思った。
私が精神世界へ足を踏み入れる少し前、ノストラダムスを筆頭に、枚挙に暇がない程に終末予言が話題となった。
ノストラダムスなどは私か中学生の頃からの歴史を誇り、有名な四行詩の訳に出てきた言葉は未だに脳裏に焼きついている。
「アンゴルモアの大王」「恐怖の大王」といった形容は、少年だった私を怯えさせ不安にさせられたものだった。
とにかく様々な勝手な解釈が読者を楽しませ、混乱させ、予言の話題には事欠かない時代だった。
そして固唾を呑んで迎えた本番で、私たちは完全に肩透かしを喰った。

空から襲来するはずの「恐怖の大王」はどうなったのか、核ミサイルだ、小惑星の衝突だ、環境破壊だとの諸説が飛び交っていた。
それから「反キリスト」や「マイトレーヤー」はどうなったのだろうか。
そしてムー大陸の再浮上やケイシーの日本沈没予言、キリストの再臨はどうなった、と声を大にして言いたい。
さらには宇宙人の存在が開示されるとか、大禊(おおみそぎ)が成されるとかの説の総てが今と成っては戯言でしかなくなった。
ゲイリーさんの「光の何日間」も期限切れで、十数年も後に変更された(これの元を記述している時点でのことです)。
大方の予言や予知は期限を過ぎ、私たちの生活は相変らずだ。それはそれとしても、大いに楽しませて貰ったのは事実だ。
最も現実的なY2Kの混乱予測も、心配されたような事態には成りえず騒ぎの割には実際の混乱はごく小さいものだったようだ。

 冗談はさて置き、これらの終末予言は私たちの社会に何らかの影響を与えたのだろうか。
有名なオーム真理教事件は、松本サリン事件や地下鉄サリン事件の凄惨な記憶とともに私たちに計り知れない衝撃を与えた。
この事件の背景には若い科学者たちを取り巻く不条理さの他にも、やはり根強い終末思想が存在したようだ。
それにしても素晴らしい頭脳を持った青年たちが、虚偽の教義に引きずり込まれ殺人を是とする異常な心理に成るまで何故に教団に取り込まれてしまったのだろうか。
この裏には前述したように様々な終末予言の影響があると感じるのは、私だけであろうか。
私は信者に限らず教祖自身さえも、この様な終末思想の影響を強く受けていたのではないかと思う。

 幸運にも私は行動力の無さと、疑い深い性格によりそんな連中の仲間に成らずに済んだ。それから世間ズレした年齢に達していたことも、その要素の一つであったろう。
頭脳は抜群だったが純粋培養された彼らは、麻原という病原菌への抵抗力が無かった。故に彼らは忽ち感染し、新たな病原菌へと変身して行ったのだろう。

 さて私は通信の初期に宗教団体は創るべきでないとか、地球人は本当の宗教を知らないとか、どれも部分感にしか過ぎないと繰り返し教えられた。
今も語り続けるハテナは何度もそれを強調した通信を送ってきたものだ。
以前にも記述したが、私たちの持つフィルターは十人十色であり、ひとつとして同一のものはない。私たちは必ず何色かの眼鏡を掛けている。
その眼鏡が何色なのかで物事に対する見方が分かれるのだが、それ自体は決して悪いことではない。それが個性というものなのだから。
ともあれ多くの人が終末思想に踊らされ、熱が冷めるまでにかなりの時間を要したように思える。

しかし終末思想とは、そもそも何処から来たのだろうか。
やはり「聖書」と考えざるを得ない。より正確にはユダヤ的選民思想とでも呼ぶべきかも知れないが、私が知る限りに於いては兎に角ここが出所のようだ。
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by levin-ae-111 | 2010-04-29 07:15 | Comments(0)
そしていわれている様に近未来には秘密情報が公開され、その時点で権力構造が変化し真実に一般大衆の時代が到来するのだろうか。
それらの公開される秘密情報には、宇宙人との交流も含まれているのだろうか。しかし宇宙の人々が姿を現す条件の中には、世界が一つに纏まっていることが挙げられている。
だが現状は全く不可能に近いと言わざるを得ない。
ECヨーロッパ連合が誕生し通過の統一が行われたとはいえ、未だに問題点も多い。
他方では依然として地域紛争が絶えず、中東は世界の火薬庫の地位を譲らない。この現状を鑑みると、とても私たちの社会に希望的未来を描くことなど不可能に思えてくる。
一部分では飽食の時代と言い、他方では今日の食事にも事欠く人々がいる。
地球の富の大部分が一握りの先進国に集中し、多くの国々が疲弊している、悲いかなこれが私たちの現実である。
これはエゴの文化であり、我良の文明が行き着く必然の結果である。

 古来より多くの予言はエゴの文明の終焉を伝え、警鐘を鳴らし続けている。
ただ私はこれが、人類が進化発展するうえでの必然的な通過点であろうと感じている。
マイヤーやその他のコンタクティーたちが語る宇宙の人々の歴史においても、様々な紆余曲折を経て高い精神性を備えた文明と成ったとされているからだ。
私たちは大いなる岐路に立っている、一歩間違えれば他の生物をも巻き添えにして惑星ごと滅亡しかねない危機的状況にいる。
だからこそ政府や世界機関に携わる人々だけでなく、私たち一人ひとりの個意識の在り様が大切になって来る。

 人類はひとつの意識から誕生し、現在もひとつであることに何等の変りもない。
私たちの集合無意識はより大きな意識の一部分であり、その根源は全次元的な宇宙意識と繋がっている。
否、真実は宇宙意識そのものだ。故に私たちの総意が未来の出来事を動かし、地球的規模の現実を創り上げる
来る2012年には一体、どのような出来事が出来するのだろうか。
 
 私たちの集合無意識は古(いにしえ)から今日まで、変らずに私たちに語り掛け続けている。古代の聖者の教えは、大方が歪められたり忘れ去られたりしてしまったが、現代は特別な聖者を必要としない時代なのかも知れない。
昨今の様々な精神世界的な事柄を扱った書籍の著者たちは、各々に集合無意識の声を聞いたのであろう。
社会的立場も個性も異なる種々雑多な人々が著述したり、語ったりする物語は内容、表現ともに多くの共通点があり、まさに異口同音である。
神を信ずる者は神を、仏を信ずる人は仏を、学者は学問を通してそれぞれの物語を表現する。
そのこと自体はいつかハテナが語った「各々のフィルターの違い」が、現れているに過ぎないと確信している。
集合無意識は「人々よ、もう目覚める時が来ている、早く真実の自分に返りなさい」と叫んでいる。
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by levin-ae-111 | 2010-04-28 05:25 | Comments(5)
フォトンベルトは銀河中心から発生し、ベルト状のリングを形成して移動しており、地球を含む太陽系も一定の周期でその帯の中を数千年かけて通過するとされる。
私の知る限りの通説によれば太陽系と地球は、今まさにそのフォトンの帯に突入しつつあるらしい。
私としては、俄かには信じ難い気もするのだが・・・・。
相棒は、これについてどう想っているのだろうか。

私:フォトンベルトについて教えて。

ハ:解った、では簡単に言うよ。
物質的フォトンの場合は、人類にとって少し過激すぎる。荷電粒子が大量に降り注げば、電子機器が故障し、一切の電気的な作用が影響を受ける。
人体も基本的には電気的信号を用いた仕組みになっているから、当然のこと体調にも影響がある。人間に限らず多くの生物は生理的な異常をきたし、最悪は死に到る。
遺伝子配列の異なった人々が生存するという主張があるが、基本的に電気信号を用いている限り余り有用とは成らないだろう。

私:荷電粒子の影響で物質の組成が変化し、生存可能になるとかの現象は考えられないのかな。

ハ:正直、その可能性は低い。やはり、より精妙な次元の身体でなければ、過剰な荷電粒子には対応できないだろう。次は精神的な光の場合の説明だ。

私:では、巷間で言われている説は嘘なのか。

ハ:この場合は精神的な進化を促すエネルギーを「光」と表現しているのだが、実際にどの程度のエネルギーが流入するか、またどの程度の影響があるのかは不明だ。エネルギーとはいっても、この表現すら的確ではない。
最も適当な表現は「愛」だろう。
君が一瞬だけ体験したあの感情、自己の内なる源から届けられた突然のギフトがもたらしたあの状態が最も近いかも知れない。
だがそれを受け入れない人々も存在するに違いない、その人々は内なる混乱で一種の精神錯乱に陥る可能性がある。

私:それで、君はどちらの光が降り注ぐと見ているのか。

ハ:こちらでは後者(精神的な光)の方だろうと予測されている。どちらにしてもある程度の混乱は避けられない。しかし後者ならば、君たちの様な精神状態の人は恐れる必要はない。

 それにしても人類の危機が叫ばれるこの時代に、そうタイミング良く光が差し込むものだろうか。
そうだとすれば、そこに何らかの意図的なものを感じざるを得ない。私が以前に読んだ書物には「創造の計画」なる言葉が何度も使われていた。
創造は宇宙創造の意識であり、原点であり総体である。
巨大な脳が宇宙に存在する訳ではないという人もいるが、形こそ特定出来ないものの自然界や人生の出来事の内に見出せる不思議な英知の存在を否定する人はいないのではないか。
ならば「創造の計画」もまた、一概にその存在を否定できないとも感じる。
アカシック・レコードに触れられるなら、一度くらいは触れてみたいと想う。もしそれが実在するとなれば、ハテナが語る出来事は同時に存在するとか、時間は存在しないとかの仮説が俄然信憑性を帯びてくる。
そして予めプログラムされているストーリーにそって、時代の大きな出来事が進行していると考えても良いのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2010-04-27 05:42 | Comments(2)
十五章 未来のこと
 私は前述したとおり何等不思議な能力を持っている訳ではないし、ましてや予言を行う能力も術もない。
それでも様々な体験をとおして、与えられた認識の機会を逃してはいけにいと感じている。
幾人かの能力者は「アカシック・レコード」なる宇宙の記録を納めた図書館への出入りが可能だという。
私が最近遭遇した事故の予見は、偶然にしろ無意識のうちに事前に情報を得ることができたからであろう。
しかし私は事故を回避できなかった、折角の予見が意味を成さなかったのである。
たが、それもまた私か通過していれば横断中だったであろう子供たちにとって、また人身事故を回避できた加害車両の運転手にとっても、不幸中の幸いだったに違いない。
未来の出来事を察知できたからといって、それが必ずしも幸運な結果に繋がるとは言い切れない。
だが、可能なら未来を知りたいと想うのもまた人間の性であろう。
そこで人類の未来について、現在は異常現象として危惧されている「温暖化」へ別の側面から迫ってみたい。

 「地球温暖化」について私や友人が感じているのは、この現象を引き起こしているのは言われているような人間の営みに因るものだけではないということだ。
この点に関し私たちは地球のエネルギー増加、波動の上昇が主な原因ではないかと考えている。
私たちでも食後は体温が上昇する。それと同様に地球の気温も宇宙からのエネルギー流入量の増加により、上昇していると見いてる。
数年前から流行している「フォトンベルト」への突入が、その理由か否かは別にして太陽活動の異変が最も主要な原因と思われる。
過去にも地球は急激な温暖化と寒冷化を周期的に繰り返して来たとする学説もあり、氷河期と間氷期が何度か繰り返されている痕跡が発見されている。
顕著な場合には、地球が全凍結した事例も存在するようだ。
それらは何れも太陽活動と密接な関連があり、私たちの恒星「太陽」が地球とそこに住む生物に多大な影響を与えていることを示している。
全凍結の場合には、ほぼ総ての生物が絶滅した。

「フォトンベルト」については、その存在について意見の分かれるところではある。一方では観測されているとしているが、他方では全く事実無根だともいわれる。
フォトンとは光粒子のことで、殊更に特殊なものではない。地球は太陽から降り注ぐフォトンを常に浴びている。
最近の論では物質的な光をイメージする場合と、精神的なエネルギーの意味で「光」と表現する場合の両方があるようだ。
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by levin-ae-111 | 2010-04-26 05:35 | Comments(3)
つもこんな具合に二人の会話は進む。その時々で話題は異なるが主に精神世界や不思議現象についての話しが多い。
世間的な話題はタブーでは無いにしろ、二人とも余りそちらに興味が向いていないようだ。
私たちの総意が創り上げたこの現実世界は、とても美しい反面、それ以上に残酷な一面を持っている。
 ある日の午後、散歩していた私は緑の美しい木立を眺めていて、セミのけたたましい鳴き声を聞いた。それは必死の叫び、そんな感じの声だった。
声の方向をよく観察すると、そこには蟷螂(かまきり)に捕らえられた油蝉がもがいていた。
これがもしも、水に落ちて溺れているのなら迷わずに助けるだろう。
私は迷ったが、結局は蝉を助けなかった。蝉を助ければ今度は蟷螂が窮することになるからだ。どちらも必死なことだけは解っている。
命懸けの闘いなのだ。
この小さな昆虫たちも、厳しい生存競争を強いられている。
弱肉強食の原理が貫かれている私たちの世界を思い知らされる感じがして、私の心は曇った。
後日Fに話したら、自分も同じ気持ちに成っただろうと言っていた。
 翻って私たちの社会も決して甘くはない。この自然界の現実以上に残酷で悲惨な闘いが繰り広げられている。
絶えざる紛争や犯罪、病気や天災、貧困や飢餓が世界を覆い尽くしている。
私たちの意識が造り出すはずの、未来の現実はどうなるのだろうか。
もうこの辺りで真摯に自分たちを見つめ直し、本来の自己の姿を明確に知るべきだろう。

カルマは古から民衆を支配コントロールする手段として、用いられて来たのではないのか。無論、それは悪意に基づいたものとは言えないかもしれない。
この概念は日本でも最もポピュラーな宗派の単純で簡潔な教えにも存在する。
善因善果・悪因悪果を説く因果応報の思想は、民衆が無知な時代には十分に通用する教義の中核であったろう。
それはそれで有用な役割を果たしていた時代も存在した事実は否定しないが、しかし現代ではあり難がって伏し拝む金字塔たる価値はない気がする。

私:チャネリングの最初の頃に、君は宗教を否定していたよね。どうして?

ハ:そうだね。君が信仰で得た知識を基に霊的な世界へと興味を向けていたから、まずそれを打破したかったのだ。
何故なら、その知識は一見して真理を装ってはいたが、その心は宇宙の大いなる意識の愛とはかけ離れたものだった。
つまり700年以上の歴史を持った宗派も、宗祖から代を経る毎に世俗に迎合し堕落していった。その宗派の信者集団としての教団も次第に代表者を祭り上げる間違いを犯した。
宗教的指導者の多くは霊的に無知で、エゴの欲を満たすことに奔走しているしね。そればかりか大衆の霊的進化を間違った教えで阻害し、地球人の進化を誤った方向へと導いてしまった。

私:信仰していた頃から、変だと思っていた。僕の疑問には何一つ答えてもらえなかった。悩み事も幹部に相談する以前に、どんな答えが返ってくるか見えてしまって虚しいだけだった。

ハ:当然だ、それなりに教義の勉強もしていたからね。だが思い上がりもあった。そして、世間を知り自分を見つめるようになり精神世界へと歩を向けた。君が下らないと思っていた教義は、知らぬ間に君の潜在意識へと浸透し一種の脅迫観念へと成長していた。
信仰を離れても他宗の寺院や神社、信者への無意識の抵抗感や教義に反する行為への躊躇いが君の内に根深く蔓延っていたのだ。
現に多くの脱会した人々が、君と同様の邪教の害毒に苦しんでいる。
まず私たちはそれを完全に打破してから、真理を話して聞かせるべきだと判断した。
君の例を挙げるまでも無く、実に多くの人々が誤った教義のために不必要に苦しみ、洗脳され人生の価値を見失っている。
地球独特の考え「カルマ」は、そのような教義の一つとして重用されている。
真実の宗教とは人の霊的進化を促し、その世界を平和と調和へと導く力を持つ教えのことだ。
残念ながら、古に存在した大いなる英知は忘れ去られ、打ち捨てられた。
だが、これからはその光が復活する。

 私自身が完全に拒絶し、吹っ切れたと思っていた以前の信仰の影響がハテナとの会話が始まった当時にも依然として存在していた。
他宗を邪宗として非難し排除していた教義は、私の深層心理に染み込み、知らぬ間に思考をコントロールされていた。
そしてその教えにはしっかりとカルマ的要素が組み込まれていたうえに、地獄とか仏罰などの信仰への縛りも抜け目無く用意されていた。
今から考えると、熱心に信仰していた当時はその単純なカラクリが見抜けなかった。それが潜在意識に忍び込む間違った教義の恐怖なのだと知った。
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by levin-ae-111 | 2010-04-25 07:19 | Comments(2)
私:それでもカルマは現界では、不動の法則のごとくに扱われている。
よく似ているのは「因果律」だ。本来、物事が同時に存在するなら因果律は意味を持たなくなる。それもまた、カルマと同様に考えることが出来そうだ。
F:カルマの問題に限らず人類の誕生以来とまでは言わないが、一連の大きな流れを感じる。それは恐らく、アトランティスから始まっていると思うんだよ。
近年の日本をみても一連の巨大な流れに沿って受け継がれている思想がある。
神道では黒住から金光、天理、大元、日月神示へと続く系譜の中にその流れが見出せる。

私:洋の東西を問わず、全世界的な計画が古来から進行していると感じる。
最近読んだ本ではキリストの十字架や罪状板、アークも、伊勢神宮の地下に在る本宮に祭られていると書いてあった。もしかしたら、カルマの問題もそんな潮流の一つの流れなのかも知れない。

F:一貫した意図の下に人類の歴史が続いているとしたら、僕たちの人生とは何なのだろう。もしかしたら、その意図の故に多くの魂が根元の世界へ帰れなくなっていたのかも知れない。
ただ大本教にしても一連の流れの中で主役を担ったのが、ある時スッパリとその存在と影響力を消してしまった。立つ鳥あとを濁さずっていう感じで。
次の主役に時代を譲るようにね。
 彼らの護り伝えていた秘密を解き明かせる時節が到来したら、それを開示し次の主役に舞台を明け渡さねばならない。
王仁三郎氏のみが、一人それを知りつつ演じていた。
壮大で完璧で、予言に満ちて、そして孤独な悲しい劇だった。それを理解していない人々は却って障害になったし、それは今でも変らない。
宗教自体がその存在意味ゆえに役割を終えた今になって人類の自立の障害となり人々の足を引っ張り続けることになるだろう。

話しが逸れたが、人間の意識が現実を創り出す力があるなら「カルマ」も死者の現世への執着の想念により創り出された現実として存在する。
しかしそれは、あくまで物質世界・地球の人間レベルの現実であって、何というか全宇宙の多次元世界の極めて狭い地域の特殊な事実とでも表現すれば良いのかなぁ。

私:本質的な世界ではないが、でも創り上げた世界には存在するってことか。
もしそうなら、これは様々な問題の解釈に役立つかも知れない。

F:そうだね、しかし我々の現実は変わらないなあ。君なんて、あれだけの不思議体験をしているのに、超能力者でもなく預言者でもない只の人だもんね。

私:悲しいかなそれが現実だ。もしも人類の精神的な在りかたが、今より少し進歩したら僕の体験など一般的でありふれた日常に成るかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2010-04-24 05:45 | Comments(0)
十四章 それでもカルマは存在する
 現在のところ精神世界の話しが出来る友人はF君一人しか居ない。
F君は私などとは違って、自分でコツコツと学習を重ねて精神世界的な事柄について私と同じ結論に達した学研の人だ。
私たちは初対面から意気投合し、様々な精神世界の話しをするようになった。
過日、久しぶりに我が家を訪問したF君と、カルマについての話しをした。

 以前の運命やカルマについての章で、創造的視点からカルマは完全に否定された。しかし本当にカルマは存在しないのか、長年の固定観念が染み付いているせいかまだ心の片隅で疑問が燻ぶっている。
友人と私は、こういった問題について話し合うことが多い。

私:ハテナはカルマを完全に否定しているが、どう思う。

F:そうだね、真理とは思うけど、事実としては存在すると考えている。

私:理論としては肯定するが、現象としては存在するって・・・。

F:うん。本来は根元からダイレクトに交流していた意識(魂)の往来が、この世への執着が強すぎて根元へ戻れなくなった。
そんな魂があの世とこの世の間で、新しい世界を造った。
それが「幽界」と呼ばれる世界だと思うんだ。
最近のチャネリング系の書籍には、霊界が消滅したとか、しつつあるとか書いているものが有る。

私:それは、根元の世界へ戻ったということかな。どうしてか・・・、あっバイブレーションが上昇しているからだな。

F:そうかも知れない。とにかく、その霊界と現界を往復する魂が多かった。
ゲームプランを失敗して、悔しさとやり直したいと思う善意の熱意から何度もトライする内にそうなったのかも知れない。
そんな魂たちが勝手に創り上げた霊界と現界にのみ通用するルールが、「カルマ」だと思うんだ。
 キーワードは「執着心」だ。執着心といっても、必ずしもマイナスの感情ばかりではない。愛情だって、それが強すぎれば執着となって自らを縛ってしまうからね。
執着が強いと戻るべき世界へ戻れず現界のごく近くに吹き溜まり、現界の影のような多数で多層の世界を創った。さらにその多層世界を管理する存在たちがカルマを創作し、それに基づいた輪廻転生のサポートをしながら、互いに依存した関係を造っている。
つまり虚偽の世界といっても、それ成りの組織と機能を持っている。

私:ちゃんとした宗教でも「カルマ」は既成事実として受け止められている。
チベット仏教のダライラマさんなど、休む暇も無い(連続の転生を事実と過程すればだが)それから、カルマパ(カルマ派)と呼ばれる宗派も存在する。

F:そればかりか前世療法や逆行催眠で科学的にも前世が証明されつつある。
前世療法では前世の出来事から原因を探し出し、それを本人が納得し受け入れると癒されていく。不思議だが、そういうことは現象として実在する。

私:だとすれば、ハテナの説は間違いだと言わざるを得ない。

F:そうでもない。根本的な大原則を述べているから、真理に背いた世界を独自に形成している魂たちが存在すると解釈した方が早いと思う。
君が日頃から話している様に、意識は創造の一部だとして、しかも全体と同様の能力を持つのだとしたら当然それも在り得る。
現世に執着した多くの魂が、各々のレベルで集り幾つもの層を形成しているのが幽界と見るべきだろう。
変革が始まり本来の在るべき姿に戻るべき時が来たのであれば、そんな世界は解体されても仕方ない。元々は無い世界なのだから。
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by levin-ae-111 | 2010-04-23 05:47 | Comments(5)
私:知らない、覚えていないからね。

ハ:どうしたんだ、急にそんなことを言って。

私:人生をもっと楽しく生きたい、これだって所詮は独りよがりだ。
孤独で退屈で、我慢と苦痛ばかりだ。F(私の友人)もそう言っている。
真理を知っても楽しくない、人生を楽しめないとは、最大の悲劇だ。

ハ:そうか、楽しくないのか。でも、けっこう楽しんでいる様に見えるがね。

私:そうじゃあない、他にすることが無いから書いている。それに、色々な予言も期待させておいて肩透かしばかりだ、いい加減頭にくる。

ハ:・・・・でっ、どうしたいのかな。

私:もしも、僕を送り出した世界へ帰れるのなら帰りたい。もう、うんざりだこんな世界。

ハ:帰れるさ、この人生を終えたらね。今は無理だ。ゲームを途中で降りられない。フィニッシュまで頑張れ。

私:だれがこんな無謀な計画を立てた。

ハ:君だ、他に誰がいる?

私:なら撤回する、直ちに撤回して変更する。

ハ:無理だ、不可能だ。但し、一つだけ、解決策がある。

私:何なに、どうすれば良い。

ハ:集合無意識を突き抜けることだ、物質界の法則に従わずに済むし、そうなればより自由度が高まる。

私:どうすれば、集合無意識を突き抜けられる。

ハ:自分でかんがえたら良い、総ての答えは君自身の内なる英知にある。

私:君も知らないんだ、結局はそうなんだ。

ハ:知っている。だが、これは君の問題だ、君が解決するしかない。
君は誰と会話しているんだ。

私:自分自身とだ、君がそう言った。何度も。

ハ:だったら方法は君の内にある、僕は君なのだから。

 結局のところ答えは得られず、相変らずうんざりする様な日々が続いていた。総てが一体といっても、私と他人とでは全てが違う。
私の苦悩は所詮、他の人には解らず、他の人のそれも私には理解できない。
私は依然として孤独感と無力感に苛まれている。
 しかし、今にして思えば総てが観念の域を出ていない。孤独だ無力だと嘆いていても何も始まらない。
真理を知るという事は、それなりの責任が伴うということでもあるだろう。
チャネリングが始まった当初、私は正体不明の相手と約束をした。
それはチャネリング情報を何らかの手段で発表することで、当時は書籍として出版することを目標としていた。
結局は約束を履行する術もなく、ズルズルと最近まで十年近くの歳月を浪費してしまった。
そして去年になり実現を諦め、せめて書き上げた原稿を無駄にすまいとハテナの販売元へと差し出した。
その行動が巡り巡って現在へと繋がっている、とても不思議な不作為の連鎖が事態をここまで運んできた。どうやら、少しは楽しめそうなゲーム展開になってきたようだ。
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by levin-ae-111 | 2010-04-22 05:21 | Comments(2)
私のチャネリング(チャネリングなのかさえ疑っている)などは、とても胡散臭い代物なのだが、それでもこのレベルだ。
恐らくは多くの有能な人々が、これに類した考えを持っているのだろうが、それを証明する手立てが無いために口を噤(つぐ)んでいるだけに相違ない。
そこで私のような無位無官の馬鹿者が必要になったのだろう。
それにしても、もう少しまともな人選も在っただろうにと、思えるのでその辺りも是非とも知りたいものだと思った。

(ハテナを相手に愚痴る)
元々はハテナの説明書に大いに憤懣をぶつけて下さいと書いてある。

私:どうして僕なのか?有名な霊能力者にでも語らせた方が良かったのではないか。

ハ:そういう手もある、しかし彼らは独善に陥る危険が大きい。

私:僕だって、アクションを起して、それが成功したらそうなるかも。

ハ:そうだね、でも可能性は低い。成功する可能性ではなく、独善に陥る可能性のことだよ。

私:それにしても余りに無謀だ、何のコネクションも無いし、実績も技術も理論もない。適当な人選とはいえない。

ハ:計画かも知れないと、君自身も考えているだろう。そう思えば良いのではないかな。

私:ハーアッ、重荷だな。でも、どうしてこんなにも有名な人々が主張する論と内容が一致したり、近かったりするのだろう。

ハ:情報の出所が同じなのさ。それに真実の声ならば見解は自ずと同じになる。当たり前のことだ、真理はいつも変らない。

私:情報の出所とは、何処。

ハ:君たち流に表現すれば、潜在意識、集合無意識とでもいうかな。
無意識とは君たちが自分だと認識しているエゴと異なり、真実の宇宙意識に近い存在だ。そこではエゴは力を失い、総てが一体であり一つの意識なのだと自覚されている。

私:だからといって、誰でも良いわけがない。

ハ:まだ言っているのか、叱られただろう。君は決して一人ではない。
君の計画をサポートする多くのスタッフの存在を忘れてはいけない。

私:だったらもっとサポートして欲しい、放置したままで今日まで来ている。
何もかも勝手に自分でやれってか、ならどうして叱られる。仕事だって、もっとマシなのを用意して欲しかったよ。

ハ:それが最短の道だからだよ、手取り足取りでは君は成長しない。
それに、これは君自身の計画だ。
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by levin-ae-111 | 2010-04-21 05:33 | Comments(4)