身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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ETソウル(29)

出来事はどれも非常に非現実的で、それが実際に起こったと証明するのは困難であり不可能といえるだろう。ただこれは実際の私の体験であり、SFや他人の経験談から取り込んだものは一つもない。
現実ではないが五感に刺激を感じ、証明の仕様もないが確実に実在した現象の数々は、やはり現実世界と非現実世界の狭間に存在する一種の現実としか考えようがない。
その意味でビッキーの言わんとする事柄の幾つかについて、私自身も実感が出来るのだがやはり言葉での適当な表現は出来ないと感じている。私とは比較に成らない多くの現象を体験しているであろうビッキーにも、当てはまることであるらしい。

思春期の時にもビッキーは星を眺めたり、空想にふけったりすることは無かったという。
彼女の言葉を借りれば「宇宙的奉仕に身を捧げる大人」に成ろうとは、思ってもみなかったに違いない。では彼女は自分が何処から来たのか判っているのだろうか、この地球は彼女にとって故郷と呼べる存在なのだろうか。
この疑問をぶつけたマンデルガー博士への彼女からの回答は、けっこう微妙なものだった。
それによれば彼女が故郷と呼べる場所は「キラ星のごとく在る」そうだが、これを単純に物質的な意味で取らないで欲しいとも付け加えた。
彼女のイメージ的な解説では、生まれ変った魂やETの魂が他の惑星から来たのではなく、他の傾向から、つまり別のタイプやレベルの現実からやって来たと解釈した方がより近いという風にもいった。
例えばビッキーが取り付かれている(この表現が正しいか不明だが)アシュタール司令部にいて詳しく聞かせて欲しいという質問に対して、ビッキーは微に入り細に入り説明したが、結局は実体ではない。しかし、かといって空想でもなく、その中間的な現実世界の話しなのだろうが、そのような次元の事柄を言葉では表現不可能なのだ。

しかしビッキーは「そんなもの、どうやって確かめられますか?」と笑い、「最後には何が確実で、何が決して解決しないのかはっきり見分けられるようなるの。この惑星における苦痛の最も大きな原因のひとつは、人々に見分ける能力が欠けていることだと思うわ」と告げた。
結局のところ、どう追求しようとも「誰かの魂の由来」について確認することなど不可能だし意味の無いことだ、といえるのかも知れない。というのも、つまり『自分というもの』を、どうやって本当に知るのか、知っているといえるのか?という最初の疑問に戻ってしまうのである。
ET人格であると語る人々や超常体験を話す人々に、それが真実かどうかと追求する人々は自分達も彼らに勝るとも劣らぬほどに非合理的かつ非科学的だと自覚して欲しいものだ。
というのは、自分たちがET人格でないと証明することもまた、ET人格を証明するのと同様に困難であり、決して超常体験者でないと証明することもまた不可能なことであると気づくべきなのだ。
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by levin-ae-111 | 2010-08-31 05:14 | Comments(10)

ETソウル(28)

 私はビッキーと同様に色鮮やかで鮮明な夢を何度も見たが、決してそれが現実と連動することは無かったし、ましてや他人と共有した経験はない。
ただ一つ事故に遭遇した時に、その数十秒前に鮮やかな視覚と身体的な感覚を伴った白日夢か予見を見た経験があるだけだ。
そして実際の事故は事前に見た場面と同じだった。身体に感じた衝撃、前につんのめる自分の姿も全てが同じだったが、加害車両のタイヤが急ブレーキで悲鳴を上げる音が聞こえたことだけが事前に見た場面と異なっていただけだった。というのも、事前に見た場面には音が伴っていなかったからだ。
事前に予知しながら事故を回避できなかったのだが、しかしそれなりの意味はあった。
自分の過失がゼロであったこともあるが、事故後の対応が自分でも不思議なくらいに冷静に出来たからだ。
ビッキーが出来事に対して既知感を持っており、殆ど驚かないというのは私も少しだけ理解できる気がする。
突然に自分の身体を見下ろしていたり、手が勝手に動いたり、声がしたり、何かが自分に入り込もうとしていたりしても、私は驚いてバニックに陥ったりしなかった。
このような現象に遭遇したならば、大抵の人は恐怖や混乱に陥ってしまうだろうが、私は鈍いのか肝が据わっているのか、慌てるどころか不安さえ感じなかった。
しかし、それらの出来事は表面的な記憶からは一時的に薄らいでも、決して忘れ得ない出来事として深層意識の記憶に止められているようだ。

 私はそれらの不思議な現象を自然に受け入れ、一々に対応しながら楽しんでいた。
身体を見下ろす体験は、非常に軽快で爽快だった。声は励ましの声であったし、手が勝手に動いても馬鹿げたことに深刻には考えなかった。唯一少しだけ葛藤を伴ったのは次の現象が起こった時だけである。
その時も意識は非常に冷静で、私はギリギリまで考えていた。つまり、それを受け入れたらどうなるのか?人生に何がしかの変化が起きるかも知れないと、期待する一面もあった。受け入れるのか、受け入れないのかと私の意識はとても迷っていたのだ。
しかし、意識が判断を下す以前に、私の第二か第三のボディーが、それを排除していた。
自分に入り込もうとした何かの尻尾を手で掴み、引きずり出し三つに千切って捨てた。その感触はゴムチューブのように伸び粘り強かったが、私(正確には幽体かアストラル体)は恐ろしい力で事も無げにそれを引き千切ったのだった。
 これらの体験は、ビッキーが夢と現実の狭間で体験した三人の自分を感じた事例と似ているかも知れない。
 
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by levin-ae-111 | 2010-08-30 05:18 | Comments(0)

ETソウル(27)

ビッキーの夢は家の近くに宇宙船が着陸するのを目撃し、そこから地上に二体のET(ヒューマノイド)が降りて来た。
ビッキーは丘の上に上り、その光景が良く見える場所に立った。
ビッキーに気づいたETたちは彼女の方へ歩いて来たが、その時ビッキーは三人の自分を感じていた。
物質的な彼女は恐怖で強張り動けない、精神的な身体の彼女はETたちが催眠術をかけ様としていると警告を発し、魂の身体は手を上げ「神の名において、私を傷つけてはならない。私は光である」と宣言し、手から稲妻のような光を発しETたちは電撃に打たれて動けなくなった。
ビッキーは彼らに何をしているのか、テレパシーで訪ねた。ETたちは実験をしているという、その返答に彼女は怒った。
しかしETたちは彼女に出会ったことで、彼らの目的が変更され、彼らが見せることを分かち合って欲しい、というメッセージを伝えてきた。
それで彼女は気が変り、ETたちが他の人に発見されないように自宅に隠し、そこで彼らのメッセージを聞くというものだ。彼女は家に入るや否や、「ちょっと待ってー」と叫びながらテープレコーダーを探して走り回るという夢だ。
それは彼女にとって単に明晰な夢だったが、翌日の報道や友人からの電話でそれが単なる夢でなかったことを知ったのだった。

結果的にその夢が彼女の引き金になり、マンデルガー博士がインタビューしている時点のビッキーに到っているのである。
現実にビッキーが夢を見た翌日にUFOの目撃情報が複数マスコミに寄せられ、UFOに乗せられたという友人からの電話報告を受けている。
にも関わらずビッキーはUFO現象については殆ど気にならないという、それに彼女は余り驚くこともないらしい。その理由は既にその出来事を知っているという感覚が彼女にあり、ビッキーの世界観に既に存在しているという感じを持っているからだ。
 この感覚は単に一種の既知感なのか、それよりも深く広い物質次元とは異なる次元世界での出来事を感知している結果だろうか。
ビッキーが葛藤も少なく極めてスムースにET人格への変容を成したのには、家族の協力的な態度も大きな要素となったであろう。
この覚醒への引き金となる一連の夢や出来事を家族に打ち明けた時、実父や継父、母親は否定しなかった。二人の父親は娘が少し変だとは思ったらしいが娘を信頼する態度を見せ、母親は全面的にビッキーを支持した。ビッキーは母も同類だと思ったという。
ET人格に気づき、自己認識へと歩み始めたワンダラーには周囲の協力や理解が力強い助けとなるのである。
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by levin-ae-111 | 2010-08-29 07:01 | Comments(0)

ETソウル(26)

最も変った部分は、他者の気持ちを想像してみるように成ったことだろう。日常の生活で、周囲の人や小説やドラマの登場人物の心理を想像する。それは的外れなことも多いだろうが、そうすることで痛みや喜びを分かち合えるような気がしている。
酷く短気で我侭だが、度胸が無く、いつもオドオドしていた過去の自分からは、想像だに出来ない現在の自分がいる。
年齢を経たせいであろうとも思うが、周囲を見渡せば私よりも遥かに高齢な人々の言動が酷く幼稚に見えたりする。高齢者の尊大な態度や我侭を見るにつけ、以前ならただ軽蔑するだけだった自分が、その人の言動の背景に思いを馳せたりする。
自分がET人格と主張する積りは全く無いが、私のケースは普通の人間でも何かを切っ掛けに変われるのだという例であるかも知れない。

 勿論、ビッキーの例は私などとは比較に成らない程に素晴らしい変容を遂げているのだが、要するに彼らET人格を持つ人々の変容の仕方や周囲への係わり方が、これに近いものであるような気がするのだ。
ビッキーは十五年前までUFOやETには無関心だったし、SFにも興味を持ってはいなかった。そのビッキーが変容する引き金となった出来事は、ありがちだが『夢』であった。
夢など覚えていたことの無かったビッキーが二晩つづけて同じ夢を見た。
彼女はそれを異なった精神的実体の中で起こった客観的事実と信じ、明晰な夢と呼んでいて、UFOによる誘拐談のように我々が知っている物質世界で起こったのではないと強調している。
しかし一人の人間の内面を変えてしまう引き金となるとは、余ほど鮮明で強烈な夢であったのだろう。
私も鮮明な夢を幾つか見た。夢で同じ場所へ何度も行ったし、夢の中だけの知人も存在している。何時もの場所、何時もの風景というものが、私の夢にはある。
ある日の夢で何時もの街角を歩いていると、後ろから駆け寄って来た女性が「ブリック、久しぶりね。どうしてた、元気だった」と声を掛けてきたりする。その時に呼ばれた名前は私のメールアドレスの一部になった。
またある時はUFOで空を飛んだし、零戦にもF1にも乗った。そのどれもがとてもリアルで恐怖も絶望も希望をも感じたものだ。
それは確かに非現実的な夢ではあるが、現実以上に現実的だった。しかし私を変える引き金にはならなかった。
自分の内面へと意識を向かわせる引き金は、人それぞれ異なるもののようだ。
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by levin-ae-111 | 2010-08-28 06:03 | Comments(4)

ETソウル(25)

何れにしても我々の人生に疑問を投げかけ、自己表現や何かを学び取る力を与えてくれる要の出来事があるものだ。ビッキーの表現を借りれば「自分自身の中にある引き金」に耳を澄ますことを学び、そして自分自身で旅を続けていくことが大事なのだという。
ビッキーにとって自分自身の旅は、勉強に打ち込み人々を助ける方法をマスターする方向へと彼女を向かわせた。
彼女は様々なボディセラピーに精通し、精神世界や哲学、密教の本を読み漁り、ついには直接体験で宇宙の真実を体得した人々と話し合えるまでになった。
 こうしてビッキーは自分がワンダラーであることを受け入れ、自分探しの旅はエキサイティングなものになった。彼女の旅は地球に生まれた時に失ったETとしての考え方や本来、備わっている力や知恵を取り戻していく道なのだと、彼女は説明する。
集中的な勉強に裏打ちされたビッキーの非常に的を絞った努力により、彼女は自分でも超えられないと思っていた境界線の向こうへ踏み込むことが出来るように成ったのだ。

 話しは変わるが私自身の変容は、極めて自然で穏やかなものである。果たしてそれが変容といえるかどうかも判らない程に緩やかなものだが、それでも振り返ってみると物事の見方や捉え方が以前とは随分と変ったと感じる。
ここ数年の実感としては、歳を経る毎に記憶力が増しているとか、考えがより柔軟になったと感じている。しかし『カドが取れて丸くなった』のとは違い、世間の不正や犯罪などへの憤りは依然よりも強くなっている。
自然に世界的な根底の流れを察知し、私たちの国が実は外国勢力の支配下に依然として置かれていることを知った。テレビや新聞の報道にも、実は間違いや欺瞞が含まれていると感じるようにもなった。
身近なところでは、自分以外の他人の多くは眠っているようなものだとも感じる。無論、私も眠っていることが多いのだが、職場などで他の人の行動を観察すると、そう感じる。
職場での職務が変り、より柔軟な考えと記憶力、緻密さが求められる環境の変化がそうさせたのかも知れないのだが、穏やかな内にも気が付けば自分自身が大きく変わっていた。

ほんの数年前には、このように文章を書き、不特定多数の人々に読んで貰えるなど思いもよらなかった。依然にアップした体験記を書くまでは、文章力は一般より下だったろう。
私の職場でのイメージは、若い頃にはマイペースな仕事ぶりの人で、どちらかといえば『のろま』な部類に入っていた。
ビッキーのように特に意識して勉強した訳でもなく、何かを集中して実践した訳でもない。
それでも乏しい体験から様々な事柄について考え、瞑想を行いつつ、振り返れば以前とは大きく異なる自分の姿が見えた。
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by levin-ae-111 | 2010-08-27 05:57 | Comments(5)

ETソウル(24)

精神的な問題にはたくさんの誇張が付き物である。ビッキーはET人格を持つ人々の周囲に作り上げられたSFドラマのような話しの多くは、全く見せかけに過ぎず偽りが多いという。それは注目され人気を得たいと考える人々により、でっち上げられたものだという。確かに信じ難い話しは多くの人々に注目され、体験者は少なからず人気者になる。
意図的でなくともビッキーが言うように、頭と心のバランスが取れていないと内面的な体験に引きずられ、次第に話しに尾ひれが付くようなことにも成りかねない。
こういった人気者になりたい、注目を浴びたい、自分を魅惑的に見せたいなどという誘惑には十分に注意しなければならない。
何故ならば、そのような行為は何が本当に重要なのかを忘れさせてしまうからだ。
心の中の体験が膨らみ、強調されて一人歩きすることだって考えられる。
ET人格はSFとは何の関係も無いし、ETたちは超能力や超常現象を見せるために自らの素晴らしい生活や知識、体験を捨てて地球に来ているのではない。
一見してSF的な体験や超常現象的に見えるものは、本当はET人格を目覚めさせるための内なる現象なのであろう。
本当はET人格を自覚させ、活性化させるのに強烈な体験や異常な混乱など不要なのであろう。つまりビッキーのように穏やかに、自然に冷静に自分を見詰めながら人格的な変容を成し遂げるのが理想であろう。

では多くのワンダラーやウオークインと呼ばれる人々が、若くしてドロップアウトしてしまうような強烈な体験をするのはどうしてだろう。
それは恐らく小さい頃や比較的若い時、周囲と妥協する術を十分に知らない内に大きな違和感が芽生えてしまうからであろう。その違和感がやがて阻害感へと繫がり、ワンダラーやウオークインといったET人格を持つ人を普通の生活から遠ざけてしまうのだ。
本来なら穏やかな人格変容を経て覚醒に到るのが望ましいに違いないが、現実にはワンダラーは記憶喪失に陥り、ウオークインは著しい混乱に陥る。
このあたりが宇宙法則の厳格さであり、未発達の惑星とその住人を援助する困難さであるのだろう。
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by levin-ae-111 | 2010-08-26 05:17 | Comments(0)

ETソウル(23)

(九)
 マンデルガー博士は自分の内面を伏せて、さらにETの魂を持つとする人々への質問は続く。ビッキーという女性のケース。
ビッキーは最も穏やかな覚醒を遂げた者の一人である。
他人に『気違い』呼ばわりされたら、どうするか?との意地悪な質問もビッキーはサラリとかわす。
「私は私の知っていることを知っている、だからどう言われ様と気にならないわね。自分の考え方はとても気にいっているの。それに私は自分のことも笑えるし、その考えをからかえる。自分のことを笑い飛ばせるなら、その人は狂っていないっていうことでしょう、一般的にはね」
ビッキーは小柄で痩せてはいるが、快活で健康的な30代の女性で、カラーセラピーやサウンドセラピー、ボディセラピーなどを自営している。
ビッキーは自分の話しを他人にする時、多くの人は「あなたが嘘をついているとは思わないけど、信じるわけにはいかない」という態度だとマンデルガー博士に話した。
博士は彼女がETの魂を持っていることを最も気楽に受け止め、時には楽しんでいるように見えたという。奉仕の心を兼ね自信を持った彼女の言葉を聞く限り、ETの魂を持っているということを他人に認められ賛同されることは、さして重要ではないようだ。

「私の人生に他人に関わる目的があるとすれば、それは彼らの目隠しを取り去る助けをすることね。私に賛同してくれる必要はなにいの。彼らの境界線を動かして、心と気持ちをほんの少しでも開放してくれるなら、十分に奉仕したことになると信じているわ」とビッキーは語っている。更には「自分自身を誤魔化さないこと、特に自分の「内なるビジョン」を誤魔化さないことが大切であるとも言った。
普通ではない自分に対する自信にあふれたビッキーの態度は、明るく陽気で、随所に楽天的なものの見かたが現れている。
マンデルガー博士は、彼女の主張は要するに宇宙的感覚を得るのには、ドラマチックな主張や衝撃的な出来事などは要らないというものであろうと解釈している。
というのも、ビッキーは本当の感覚と感傷やドラマチックな感情とは異なるものだと主張しているからだ。また彼女は、自分は『頭と心のバランス』を取るのが上手だとも話している。
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by levin-ae-111 | 2010-08-25 05:25 | Comments(0)

ETソウル(22)

ETの魂の持ち主も、そうでない人々も基本的には人生をこの地球上で生きるという点で何の変りもない。ETでなくとも私たちは常に次々と発生する現実と向き合い、折り合いを着けるという作業を繰り返している。
それはいわば自己認識の繰り返しであり、日々の現実の出来事や周囲の人々の反応や自分の考えや感情から私たちも自分という存在を規定し続ける作業を繰り返しているからだ。
ただETの魂を持つ人々は、人生の始まり(物心がついた時から)感じた違和感や阻害感と格闘しつつ、一般の人々よりも早く主観的な認識による自己規定という作業に取り掛からざるを得ない状況に追い詰められたに過ぎない。だから決して彼ら彼女らが魂として優れているとか、上等な人間だとかいうのではない。
ただし自己認識への目覚めが早い分だけ、より成長し成熟した精神の持ち主として様々な人生の物語を語る(その手法は何であれ)に到るのであろうと推測される。
精神的な成長や成熟は自己洞察力を深め、確かなものにしていく。それは物事を以前よりもダイレクトに捉えることを可能にし、例え表現のしようが無くても更なる自己認識へと誘ってくれると、ある女性はマンデルガー博士の質問に答えている。
だが、この理論が正しいとすれば、人間の意識はもっとクリアで鮮明になって行くはずだ。
精神的な成長や成熟は確かに自己洞察力を高めるだろうが、それは果たして物事をよりダイレクトに捉えることになるのだろうか。
だとすれば、物事の本質を洞察力により見極めるという意味であろうか。

それにしてもETたちが挑戦していることは、酷く無謀なことように思える。
余りにもリスクが大きく(ETにとって)危険極まりない行為にしか見えない。もしかしたら彼らにとっても人生は決して安楽なものではなく、私たち程ではないにしろ辛く苦しい側面があるのかも知れない。そして彼らETたちもまた、無限に続く自己認識へのチャ
レンジャーなのかも知れないと感じさせる。
しかし本質的に進化した意識の持ち主にとって、他者への奉仕は私たちが考える以上に価値があり、特に未開文明への犠牲的な援助は栄光に包まれたものであるのだろう。
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by levin-ae-111 | 2010-08-24 05:38 | Comments(0)

ETソウル(21)

ボブは何年も掛けて自分が何処か他から来ているということを受け入れたが、しかしそれで何かのケリが着いたということではないという。どうにか対応し、彼は現在では自分がノーマルだと考えている(一応、社会的な常識をこなせる程度で)が、人格が固定されたのではなく今でも成長を続けていると話している。
 実際は全くその通りだと私も思う。私が仮に百歩ゆずってETの魂を持っているとしても、それを内面的に認めること自体には余り意味がない。
無論、認めたことは大きな一歩ではあるが、その後に違和感や孤独感が消え失せるわけではないからだ。相変らず襲い来る不協和音の対処に追われるのは同じであり、私にとってのこの次元の現実が私自身に及ぼす影響は軽減されない。
大方の宇宙由来の魂を持つ人々は、これと同様の現実に直面するのである。従って、ルーシアやボブに限らず、自分の魂の漠然とした由来に気づき、それを受け入れてはいても、そのこと自体は他の人が考えるほどの意味を持たないのかも知れない。
それよりも、彼らにとって辛い現実をどう受け止め、どう処理していくか、といった問題がクローズアップされて然るべきだ。

 マンデルガー博士は自分の魂の由来を隠して、更にボブに対する追及をしつこく続ける。
このような『ケリの着かない』状況下で、どうして何故に一連の超常体験を認めることができるのか非常に重要な点であるとの考えからだ。
それに対しボブは、ウオークインが発生した当初は『終結した』(自分のドロップアウトの人生が)と感じたという。しかし時間が経過して落ち着いてくると、終結などではなくエンドレスであると感じた。そして更に時間を経て、その終わりの無い状態に慣れてきた。
現在のボブは終わりの無いプロセスの途中であり、これが人生を探索していく道のりであると解釈している。つまり「どんな状態であろうが大丈夫、自分は自分である。ただそれだけのことだ」とさり気なく告げたという。
 これは特にEの魂を持つ人に限らず、精神的な成長あるいは熟成であるといえるだろう。
別の女性も時間を掛けて、幾つもの認識を重ねた結果、世界を見る認識が変容したのであって、突然に閃いたとか理解したとかいうことではないと述べている。
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by levin-ae-111 | 2010-08-23 05:30 | Comments(0)

ETソウル(20)

 私自身も紆余曲折を経て結局はこの『何か』に行き当たり、この『何か』とは全次元の全宇宙(宇宙は多次元的で複数存在していると考えている)に遍在し、尚且つその実体の主体であり全存在そのものであるという結論に達した。
その概念を初めのうちは先達の著書から学んだのだが瞑想を続けていたある日、突然にその何かを実感することになった(詳しくはブログ「チャネリング体験記に記述」)。
身の回りの全てとの強い一体感、人々への溢れんばかりの愛おしい感情、異常に高揚していながらも妙に落ち着いた感覚、驚異的に拡大した視野など、それを言葉で表現するのは不可能だがまさに至福と呼べる体験であった。
そのような体験の後で、存在の源について私なりに実感したものだった。それは心理学者の述べた言葉の意味そのものであり、私は自分の存在の源に出合ったと感じた。
私は先達の著書の呼び名に従いその何かを『創造』と呼んでおり、存在の源であり存在そのものである唯一の実在する実体であると信じるようになった。
それは真実の主観的な体験であるが、同時に主観的認識によってしか、この体験は不可能なのであろうとも感じていた。
だが逆説的な認識としてマンデルガー博士が挙げているルーシアの例では、彼女がたまたま運悪くこの惑星に居ると感じたそうである。
これも私としては身につまされる指摘であり、時として一種の悲壮感へと変る場合もある。
自分を取り巻く状況を考えると、かつては理解し享受していたであろう他者との一体感や自己存在の意味や意義を想い、この次元の現実に我慢が出来なくなる。
妙に怒りの感情が湧きあがり、それはやがて落胆や諦めに変り、失望が色濃く圧し掛かって来る非常に辛い経験でもある。

 ルーシアは自分が何処か他の場所から来たと、決定的に確信した瞬間はなかったというが、それはどうやら他のワンダラーやウオークインも同様であるらしい。
ただ最終的な人格変容は『内面的に知っていく感覚』を伴って、時間をかけてゆっくりと起こったのだとマンデルガー博士に語った。
ルーシアは他の体験者と同様に、自分が宇宙由来のETの魂を持っているという確証にあまり拘っていなかった。
ルーシアは自分が他の何処か他の場所からきたと考える人々を対象に、セラピーやカウセリングを行っている。ルーシアはETの魂を持つという人々に対して、決して今すぐにその確証を求めるようにとは告げない。その代わり、自分がどうしてそんな風に感じるのか突き止めるようにカウセリングするのだ。
彼女の相談者への質問は『実際に新しい人格を、どれくらい強く感じているのか』『新しい人格を生きていけそうか』『もしOKなら社会から排斥される自己を抱えて、地球で生きて行くことをどう捉えているのか』などの事柄について質問し、カウセリングをするらしい。
前述のボブも主観的にわからない状態について、深いレベルでOKと感じている過激な考えと引き続き取り組んでいくプロセスの重要性を口にしている。
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by levin-ae-111 | 2010-08-22 06:11 | Comments(0)