身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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ETソウル(120)

(二十二)
 【場面1】
奇妙な形の生き物が、遠い宇宙からやって来た。そして、この世では見られない換わった形をした空飛ぶ円盤から降りると、1950年代から60年代にかけてのアメリカでよく見られた、典型的な地方の小さな町へと歩き出した。
 町の人たちは、この地球外生物に振るえあがった。そこで、ショットガンや熊手で身を固めた探索隊を、いつもは客人や旅人を歓迎するのに使っている車に乗せて送り出した。
そして、その生き物を捕らえて殺してしまった。
その死体をひっくり返してみると、何と!宇宙の秘密を書き綴った見慣れぬ文書板が見つかった。この生き物はこれを使って地球に平和をもたらし、あらゆる病気を治し、人類の悩みを解決してやろうと思っていたのだ。
この出来事はまさに、悲劇的事件だった。

【場面2】
妙な形の生き物が、遠い宇宙からやって来た。そして、この世では見られない換わった形をした空飛ぶ円盤から降りると、1950年代から60年代にかけてのアメリカでよく見られた、典型的な地方の小さな町へと歩き出した。
この生き物は直ちにその地方の人々に、自分たちは善意の使者であると告げて、一冊の本を見せた。その表題は(To Serve Man)人間に奉仕する方法となっていた。
そこで町の人々は大人も子供も大喜びで、この宇宙船に殺到した。このETが住んでいる、素晴らしい惑星へ行ってみたい一心だった。
みんな一列になって、順番を待っていた。
 そこへ疑いを持った住民の一人が、恐怖で顔を引きつらせながら走ってきた。彼は叫んだ、「To Serve Man(人間を食卓に乗せる方法)なんて、こいつは料理の本なんだ」

これはマンデルガー博士や私の創作ではなく、永遠の名作『トワイライトゾーン』の一場面である。数世代に渡ってアメリカらETの情報を届け続けたこの名作の2つの場面は、それぞれ良く出来ている。しかし、その内容は全く対照的だ。
助ける為に来たのか、食う為に来たのかの違いだが、どちらの場合にしても地球人類に及ぼす影響は大きい。この『トワイライトゾーン』は娯楽としての価値は高いが、情報としての価値は余りないかも知れない。
しかしやがてこの地球にETがやって来た場合、どちらの目的でやって来るときに、どちらの場面が本当か回答が出るのである。
なぜ?何故って、特別な理由など無いのではないかと、普通の人は思うだろうし、ETを信じない人々は貶めるためにも、しつこく何故と聞くだろう。
そんな人々はさて置いて、自分はどこか他から来たETの魂を持っていると信じている人々の意見はどうだろうか。
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by levin-ae-111 | 2010-11-30 05:20 | Comments(2)

ETソウル(119)

メディアのETに対するメディアの姿勢についての意見をまとめて欲しい、と頼むとイニドはごく簡単に次の様に述べた。
メディアは面白おかしくETを扱っているけど、私たちだってよく理解出来ないものを笑って誤魔化すし、緊張している時にはジョークを言う。しかし、如何に誤魔化そうとも本音は解ってしまうものだ。私たちはどんな場合でも、人々の自己保全の意識を前提に考えねばならない。人々はいつも自分を失うことを恐れているし、自分が信じているものが崩壊するのに大きな抵抗を感じる。これが人々を怖がらせる原因だと思うと答えている。
イニドはこう信じている。
「未知の次元が存在するという事実を受け入れること、そして現に未知のものが進行していること、私たちの理解力を超えたもっと大きな力によって、私たちは変り、進化させられること・・・・ということを認めさせようとすれば人々は怒るに違いない。そういう事は彼らの自己保全の意識を脅かすに違いない」
確かに、怒りの原因は混乱した恐怖心であることが多いものだ。マンデルガー博士は、イニドがこういう熱弁をふるうのを好ましく感じた。

この時マンデルガー博士は、『ニューヨーク・タイムス』に掲載された記事を持っていた。
それはUFOを目撃したと主張する人々の診断結果に、何の異常も認められなかったことを伝える例の署名入りの記事である。
それの一部をイニドに見せれば喜んだかも知れない。記事の最後は次のようなものだ。
『カールトン大学の研究者たちは、UFO目撃者たちに対する調査を完了し、その分析結果を今まで行われた他の調査結果と比較して、実に意外な事実を発見した。
他の種々の調査ではUFOを目撃したといった人は、その後にETが攻撃してくると信じ込んで酷いストレス状態となり、過度の精神障害を起したという結果が出ていた。しかし、今回のカールトン大学の調査では、分析者たちは一様に、その後の精神障害の兆候は全くみられなかったと、報告している。そして分析を担当した心理学者たちは、ET体験をしたという被験者たちが、かえって今までより安心し、心配事から開放された状態になっていることも報告した』

その記事はマンデルガー博士の研究に協力したワンダラーやウオークインたちを喜ばせるような、次の結論で終わっていた。
『カールトン大学の研究では、UFOの目撃者たちは「エイリアンたちが人類に関心を持ち、我々の運命を導こうとしていると信じ」すっかり安らかな気持ちに成っている、と報告しされている。
多分、この目撃者たちは善意のETに遭遇して、希望と信頼のメッセージを託されたのだろう。疑いを持っている人類のメディアからも、いつの日か希望と信頼のメッセージが聞こえてくれば良いのだが。
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by levin-ae-111 | 2010-11-29 05:16 | Comments(0)

ETソウル(118)

 実は私も一時はイニドのように考えていた。私の場合はマスメディアに対してというより、人間そのものに対してであった。つまり、それは様々な人が居るが、基本的には人間の能力はほぼ一定であるという考えだった。身体能力に優れた人も知能に秀でた人も、ありとあらゆる営みの中で、その特徴は異なるものの、一つの魂としての観点からは対等であり皆が同列であると考えていた。
従って他人を裁く権利も、非難する権利も、批判したり軽蔑したりする権利も誰一人として持っていないのだと信じていた。
愚かな行いをする人には、魂が私より若いのだ、彼には経験が不足しているだけなのだと考えていた。確かにこの考えは寛容を養うには効果がある。
だが翻って観れば、誰も私の自由を妨げたり、健康や生命を害したりする権利も無いのである。しかし、それは同時に他人に対して、私自身にもその様な権利は無いということになる。もっと深く追求すれば、他人どころか、私自身にさえも自分を傷つける行為や考え方は許されていないという意味だ。
この様な悩ましい問題を抱えたままでは、一歩も前進できず何事も成しえなく成ってしまうと気づくまで、少し時間を要した。

 そうは言っても、現実生活では平気で他人を敵視したり、あざ笑ったりしていたし、ヘビースモーカーだったし、考えと現実が遊離している自分が居たことも事実だった。
現在ではクリスティンの考えに近いが、ボブの考えも十分に理解できる。恐らくは何か精神的な支柱は必要であるが、その事にばかり執着してはいけないのだ。
要するにイニドや数年前の私のように、その考えに固執して世の中の出来事を何でも堅苦しく解釈する必要もないのだ。地球が学び舎だからいって、何から何まで学びの教材と解釈する必要も無いし、その経験を後生大事に抱え込む必要も無いのである。
捨て去るべきものは捨て去る、単に取捨選択の問題なのではないかと思えてきた。取捨選択の基準は、私たち一人ひとりによって異なっている、ただそれだけのことなのであろう。

話しをイニドの主張に戻そう。彼女は私たちの生きる現代での学びの姿勢について、次の様に主張している。
私たちはボタンひとつで何でも動くような時代に生きている、専門的な知識でさえも端折って習得できる。何でも余り汗を流さすに得ることが出来る時代になっている、それだからこそ、学ぶということは本当に辛くて苦しいことだという事実を十分に認識しておく必要がある。そして、骨を折って十分に学べることを感謝すべきだ。
「どんな事を学ぼうとしても、それにはしばしば困難がともなうのよ」と、イニドは述べている。学ぶためには、まず、内面的な自分自身との闘いに正面から立ち向かわねばならず、保守的な方法から脱却して、新しい方法に組み替えねばならない。それから何故に学ぶことが大変なのか、心の中の軋轢を克服しなければならないのである。
時々は何かを学ぶことから逃げ出したり面倒になったりして、テレビをボーッと観てETを笑い飛ばしていると、古い考えに取り込まれてしまう。しかし、ひとたび何かを学ぼうとすれば、メディアの番組さえも開かれた意識へのステップボードと成り得るのだ。
それによって自分がこうだ、と思い込んでいたものを、問い直してみる良い機会となる
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by levin-ae-111 | 2010-11-28 08:03 | Comments(0)

ETソウル(117)

そして話しが『ET』など宇宙人を扱った映画に及ぶと、イニドは次のような意見を述べ始めた。有益な作品がある一方で恐怖に根ざした作品も多いが、その両方とも学ぶために必要なもので、同じ目的を持ったものだ。どれも全て人類が自分自身の考えを正していくことを学ぶ課程では、同じ役割を果たしていると語っている。
イニドはいう『コミュオン』のような恐怖感を与えることに重点を置いた、いわば全体的にETの悪い面を描写したような映画からさえも、必要な情報や面白さや、その他異質の情報を取り入れることができる。
換言すれば、この様な映画からも逆に学んでやろうと思う意欲が湧いてくる。全ての作品は、知識を得るためのヒントになるわけである。だから人々は恐れる必要などないのだ。
こうしている間にも人々は、未知の他の次元や現実が存在することを次第に受け入れるようになるのである。
善悪に限らず情報は全て真実を知る手づるになるし、私たちの惑星にとって何かを学び取る手掛かりになるのだ。全てを材料にして討論するように『学び舎としての地球』の時間割もきまっているのだと、彼女は考えている。
ETを描写したメディアの情報に触れる時のガイドラインを、イニドは次の様にドバイスする。番組の表題に関係なく、その内容を理解することが大切であり、そこから汲み出す情報は幾重にも衣を被せられていると。つまり表題に惑わされるなと、いうことらしい。

イニドにとっては、ただ注目を浴びる為だけに製作された様な番組でさえも、何かの教材として活用できるということになる。
彼女の考え方のポイントは、私たちは学ぶ為にここに居る、ということだ。
マスコミに騙されている人たち、マスコミの情報を鵜呑みにしている人たち、全部の番組を観ようといつもTVのスイッチを入れている人たち、怒っている懐疑論者たち・・・様々な人たちが居るが、その誰にも裁いたり、敵意を持ったり、批判したりする権利など無いと彼女は主張する。
イニド自身はマスコミに対して、苛ついたり怒ったりしないという。それは様々な意見を知識を得るための手段として考えているからであり、より多くの知識を得れば、大きな英知が湧いて来ると信じているからに他ならない。
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by levin-ae-111 | 2010-11-27 06:23 | Comments(0)

ETソウル(116)

これ等の自分をETだと認識している人々の意見を集めた後で、マンデルガー博士は再びソーレンの許へ赴いた。インタビューの結果から得た情報を(得にET体験を魅力的に表現し過ぎているとの批判が多かった)を伝えた。そして改めて、これに対するソーレンの意見を求めた。
「魅力的にする?世の中には魅力的な演出が溢れている。魅力的にすることは、想像力を高めることにもなる。そういう事が無くなったら、世の中はどうなるのだろうか?魅力こそ、この世界を造るひとつの素材なのだ。神がその力を授けてくれたと言っていい」
ソーレンによればETの話題は、簡単に白黒を決められる問題ではないという。
「人間の体験とは、そういうものでしょう。その体験の一部は真実で、一部はそうでない。でも、どちらが真実かは必ずしも決め付けられない。これは地球での人生体験全てで言えることだ」と。
最後にソーレンは、こう言った。
「タブロイド紙の良いところは、一般紙と違って、ズバリ書いてあることだ。タブロイド紙は、普通メディアでは余り見かけられない感情的な側面を取り上げているのが、とても貴重だ」


(二十一)
 私はこの本『宇宙人の魂をもつ人々』について、このような文章を書き始めてから薄々だが感じていたことがある。ワンダラーやウオークインは地球と地球人を救済する目的で地球に来ているとされるが、果たして本当にそれだけが目的であろうかという疑問である。
私自身の勝手な思いを語れば、地球と人類だけがETの救済対象であるはずがなく、こういった類の救済は宇宙では一般的に行われているのではないかということ。
そして、一方的な奉仕や救済は有り得ないのではないか?という疑問。私の中の結論としては、救済する側のETたちにも何らかの目的や都合が存在するのだと思う。
つまり、ETたちにとっても、地球での奉仕活動は何らかの学びを得る機会であるに違いないのだろうと推測できると考えている。マンデルガー博士の著書の流れ沿って書き進めているが、ここからはその事に触れる内容になりそうだ。

ETは恐ろしいものだというイメージが、定着してしまっている、とイニドは断言した。だがメディアがETをどう取り上げようが、全ての情報は間もなくやって来るニューエイジの時代の先駆けとなるものだ、だからそれ程の問題ではないというものだ。
イニドはいかにも活発で、健康に見えた。彼女はETの魂が乗り移ったいわゆるウオークインだがある時、自分がET連邦を代表する唯一の存在だと宣言した。
自らもワンダラーであるマンデルガー博士は、それに疑問を抱きつつもイニドの別の面にも大変に興味を持った。
イニドはメディアが取り上げる良い面と悪い面との間に、明確に線引きして区別をしていたが、二つの面は持ちつ持たれつの関係にあると考えていた。一方の面は他方の面に、常に影響を与えていると思っている。彼女は地球を助けるというプロセスの中では、どちらも同じだと考えていた。そして帰するところ、全てが学ぶために必要なことだと言う。
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by levin-ae-111 | 2010-11-26 05:19 | Comments(2)

ETソウル(115)

タブロイド紙は、この事件の取材で大きなインパクトを与えた。タブロイド紙の記事がすべておざなりの物であると決め付けるのは間違いである。
しかし、ETやUFOに関する記事については、どうなのであろうか。ETを代表する意見のひとつとして、次のようなものがある。
タブロイド紙は、地球外生物が存在するかどうかという大切な面を、世界の片隅に追いやってしまっている。そして全てを茶番にし、笑のカーテンの後ろに真実を覆い隠そうとしている。
だが無理に覆い隠そうとすれば、返って逆効果になると一部の人々は指摘する。その意見では「センセイショナリズムは、不要な情報を人々に植え付けてしまう。そのまま見せたい物を夢や歪んだ鏡に映して見せる様なもので、返って取るに足りない情報(ETやUFOの実在を信じこませるような)だけが、芸術家や神秘主義者や狂気の人々によって煽りたてられてしまう」というのである。
しかしソーレンをはじめとする自らがETだと思っている人々の意見は、次のようなものだ。「幻想も良いではないか。風呂敷を広げすぎた話しだって、悪くはないよ。それで迷いが拡がるといっても、それはこの惑星では常に行われている一種の遊びなのだ。どんなことだって、何が本当に真実かを学んで発見する為の一種の触媒の働きをするのだ」
またワンダラーの何人かは、知識を得る究極の手段として合理的な考えだけに頼るのは間違いであるとも指摘している。そして合理性だけでは、地球に平和をもたらすことは不可能であろうとも述べている。

マンデルガー博士としては、タブロイド紙に対するETたちの意見としてソーレンの考え方のほうを推薦したいという。
他の意見ではルーシアのように「タブロイド紙は真実を伝えないのでちゃんとしたものとは思えないというものだ。彼女はタブロイド紙が真実を知るうえで邪魔であるばかりでなく、怪しい雰囲気を出しすぎるという。
ボブからも似たような意見がある。
「沢山の人々がタブロイド紙を貪るようにして読んでいるが、内容が扇情的すぎて考えものだ。タブロイドの連中がETは信用できないという印象を世間に植えつけてしまっている。ETは普通のことをしているのに、世間のはみ出し者になってしまっている。まあ、事実はそれほど痛手でもないがね」
ジャスティニアンの意見は、もう少し寛容なものだ。
記事の内容はSF映画に似ていると、彼はいう。タブロイド紙が取り上げる情報の内で、大体10%程度が真実であろうとジャスティニアンはみている。
「だって、話題が多くなれば、それで良いじゃあないか」と彼は言った。
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by levin-ae-111 | 2010-11-25 05:24 | Comments(0)

ETソウル(114)

メディアがつくる番組そのものは人間の想像の産物なので、ETに関しても想像力の欠如からヘンテコなものが多い。しかしクリスティンにとって、映画などで目に付くのは、ETの優れた能力の描写である。そして映画やテレビで表現されているこうしたETの特殊な能力の内には、本当のものも含まれていると彼は言う。
例えばスピルバーグの『ET』には、地球外生物たちが持っているヒーリングパワーのような能力を上手に描いた場面が時々だが出てくる。ETの善良で健康的な側面を描いたこの様な映画を観ると、救われたような気持ちになるとクリスティンは言った。
そして「ヒーリングが行われた場面を実際に見たことがある」と付け加えた。
クリスティンは意外な事にこの様なとりとめの無い空想の中にも、真実が隠れていることを知っていたのだった。

 ところで事実とフィクションが明確に区別されていない、文化的な分野がある。それは一般にタブロイド紙と呼ばれているいい加減な記事を載せた新聞のことだが、世の中にはジョークとして馬鹿にされている。しかし、それでも立派なメディアのひとつである事に変りない。
これらタブロイドは多くの階層に親しまれていて、どの家の庭にもある置物の定番のように普及しているが、俗で下品だという評価しか与えられていない。
寂れたちゃちな商店街で、いつでも手に入る安物だというイメージが常に付きまとう。タブロイド紙の記事は下品であることが多く、読者のほとんどは隠れて読んでいるような状況である。こんな具合だからギラギラしたUFOや恐ろしいETとの遭遇など、怪奇な出来事を扱った記事が掲載される絶好の紙面となっている。

特にETやUFOに関する記事は支持されており、『インクワイアラー』紙だけでも、全米で350万部もの発行部数を誇っている。
マンデルガー博士は、これらの記事がどのように他の惑星からやって来たという人々の証言等を扱っているのか、専門的に分析してみる必要を感じている。
どの週の号でもタブロイド紙のあるページを開くと、面白い記事が紙面を埋めている。
例えば「ETたちは大統領として誰を推している」とか、「流星は、実際にどの様にして金星の戦士たちを凍りつかせたか」「地球外生物たちは何故ダイエットもしないで40ポンドも痩せられる秘密の食べ物を持っているか」といった具合の馬鹿馬鹿しくも楽しい見出しが並んでいるのだ。
アメリカのタブロイド紙は面白さだけでなく、積極的な取材でジャーリズムの世界に新しい立場を確立したらしい。
有名なO・J・シンプソン裁判に関する記事では、その量と内容において目覚しいものがあった。その勢いは、初めは対岸の火事として傍観していた主流派の新聞も無視できない程であったらしく『ニューヨーク・タイムズ』もこれに対する一定の評価を示す記事を掲載した。
「ナショナル・インクワライアー」紙は、膨大な関連記事を掲載した。そして中には誤った記事もあったが、それを物ともせず、果敢に読者数を増やしていった。
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by levin-ae-111 | 2010-11-24 05:10 | Comments(0)

ETソウル(113)

マンデルガー博士がのインタビューに答えてくれた多くの人々の中でも、クリスティンは極めて冷静に答えてくれた一人である。彼がこの問題(メディアの姿勢)について、与えてくれたアドバイスはたった一つだけだった。それは不完全な弱点だらけのメディアが送り出す、番組への対処方法だった。短くも的を得たそのアドバイスは「自分自身で判断しながら観るべきだ」という、極めて当然なことだった。
UFOとの遭遇、ETとの接触、何処か別の場所から来たと主張する人々の話しを見聞きする度に、自分を信じて判断すべきだというのだ。
今、クリスティンの意見に対して、『極めて当然なこと』と書いた。しかし振り返って見れば、私は本当にそうして来ただろうかと考えてしまう。
これまでの人生の時間の多くを、メディアの垂れ流す情報をただ鵜呑みにしていたに過ぎないのではなかったのかと、そんな気がしてきたからだ。
そうだ、若かりし頃はニュース番組を観る、それだけで何かしら知的になった気がしていたものだ。新聞の番組欄以外を読むようになった、それだけで知識が増えた気がした、例えそれが下らない三面記事であったとしても。

テレビ番組に到っては、番組の情報を全面的に信頼し、疑うことなどなかった。ニュースキャスターが言い間違えるなど、信じられなかったし、番組の内容は全て真実だと思い込んでしまっていた。
そこには自分で考え、自分で感じた事など、入る余地すら無かった気がする。兎に角、メディアの流す情報に嘘や間違いが存在するとは、全く考えられなかった自分がいた。
世間の仕組みが判り始めたのは、本当につい最近であり人生の半分以上を過ぎるまでメディアを疑ってみることなど無かった。
私の若い頃はネットも存在せず、メディアを疑うことを教えてくれる先輩も居なかった。無論それは、多くの人生の先輩たちもメディアの情報を鵜呑みにしていたからに違いない。
まだまだ以前の私のような人も多いのではないのか?そういった意味では、クリスティンのアドバイスは極めて有効なものである。
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by levin-ae-111 | 2010-11-23 08:13 | Comments(0)

ETソウル(112)

ボブの考えは、その前にマンデルガー博士がインタビューしたジョアンの意見と似たもので、傍目にはやや無頓着にも見える。ボブのこうした考えは、劇的なウオークイン体験と麻薬との苦しい戦いの中から生まれたものであろう。人生の暗黒部分に浸っていた彼にとっては、テレビ番組の内容など、別に心を騒がせるものではないのだろう。
それからクリスティンもまたボブのように、人生の厳しし側面に晒されてきた。彼はあらゆる人生の不幸を背負って生きてきた。エイズ感染と同性愛者への差別。
これらの不幸を乗り越えて、遂にETの魂に目覚めた。彼のメディアの姿勢についての意見は「いらいらさせられる」というものだ。
マンデルガー博士が、彼の気持ちへの理解を示すと話しを聞いて欲しいという気持ちと、博士か詳細にメモを取っているか、まで確認したいという思いがありありと見えた。
彼は自分の話しがいかに重要であるか、いかに的を得たものであるかを解ってもらいたいと一生懸命だった。
それは重要な美学的疑問、形式と内容に対する見解、情報の選択とその表現方法を巡る問題点にまで及んだものだった。
「メディアの創り出すETの描写は、人間の想像力、人間の心が産み出したものに過ぎない」とクリスティンは主張する。
そして結局のところは、ETの姿を思い描くには人間の想像力では力不足なのだ。それが善良なETにしろ悪の塊のようなETにしろ、人間の頭脳が産んだ想像を、考えられるだけの地球上の素材を使って表現しているに過ぎないとも言う。

彼のこのように深い、バランス感覚に優れた考え方は、東洋の哲学に興味を持っている人には馴染み深いものだ。こういった感想、はマンデルガー博士ならではかもしれない。
若い頃にインドなどで精神的修業を長年に渡って修めた、マンデルガー博士は自らもETとして現実とのギャップに苦しんだ経験を持っている。
マンデルガー博士によれば、例えば東洋では例えば月を指さしても、それは本当に月を指していることには成らない、というのだ。
我々が一般に考える月のイメージは、遠くの彼方に見える片面だけなのだ、果たしてそれで完全な月といえるだろうか?というものだ。
ここでETグループ『ラー』の刺激的な言葉を引用することができる。それは「理解するだけが全てではない」

よく考えてみれば、私たちにもその様な経験が無いわけではない。物事には完全に理解したと思っていても、現れてくる事実が私たちの理解を超えていることも、思いの他頻繁に発生するものだ。
こうした考えは西洋にも全く見られない訳ではない。例えば科学的研究に従事する人々は、様々に方法を変えてみて、結果を観察する。観察そのものが結果に影響を及ぼし、質問が常に答えに影響する。既に量子論の初歩的な段階の実験で、観察者の存在が実験結果に影響を及ぼすことが知られている。
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by levin-ae-111 | 2010-11-22 05:17 | Comments(0)

ETソウル(111)

ところで、この事件の結末はジョアンが予想していたのとは少し違う方向へ展開した。
丁度、泊に来ていた友人が隣の部屋に居たので、協力してもらい襲撃者たちに話し掛けることが出来たというのだ。それで、このETたちに乱暴を働いたり、嫌がることを強要する権利が無いことを言い聞かせた。
「彼らには人間のような感情は持っていなかったが、神の掟に背いていることは知っていた」と彼女はいう。彼らの上にも神の掟が君臨していることだけは、確かに知っていたようだったとも語った。
ひとたび自分達が宇宙の法律を犯していることを指摘されたら、この悪玉のETたちは後ずさりして彼女の家を出て行った。
この経験をしてから、ジョアンはテレビや映画でETたちがどう扱われようが、余り気にすることが無くなった。
彼女が実際に経験した意図的な誘拐事件は、テレビで観るのとは異なりずっと深刻だった。
みんなが憂さ晴らしにテレビに噛り付いて見入るような、宇宙船やヘンテコな形をした頭でっかちのETが登場するような代物とは訳が違っていた。この事件を通じて、彼女には神の威光の強さが痛いほどに実感できたのだ。

 さて、もう一人は波乱万丈の人生を送ったボブだ。ボブは耐え難い様々な人生の苦痛の為に麻薬に溺れる人生を過ごしていたが、ある日、突然に驚くほどの精神的体験をしたのだった。ETを扱うメディアの姿勢についての彼の意見は、まるで関係の無い、無関心の人が答えるようなものだった。
ボブの反応は寛容で超然としていて、もう飽き飽きしたという感じだった。ボブはメディアなど無視していた。
「俺はそんなことについちゃあ、あんまり言うことはないなあ。番組によって良いETに光を当てたり、悪いETに光を当てたりしているだけじゃあないかな。でも、それは誰かが主観的に感じるもの仕方ないんじゃあないか。他人が、どう感じ、どう説明しようが関係ないよ。テレビでそういう番組を観る時は、だれが主役で、どういう背景で、何故そうなっているかをよく頭に入れておいた方が良いと思うよ」
彼が言うのは、テレビで提供されている番組は何れにしても、どちらかの方向へ歪められているということだ。
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by levin-ae-111 | 2010-11-21 07:59 | Comments(0)