身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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ETソウル(151)

そして『死は情け容赦なくやって来る』という事に対しても、全く別の意味を読み取れるようにまで成っていた。彼の中で、全ての価値が逆転したのだという。
それまでのボブは人生に何の変化も求めず、ただ奈落の底に落ち込んでいく事だけを考えていた。そして人生の呵責ない渦にもみくちゃにされ、死んで再び戻って来ることは無いのだと信じており、全ての希望を失っていた。
だが自分がETの生い立ちであると知って、安らかになり落ち着いた心持になった。今は死後にどうなるのか、全く判らないが残りの人生をかけて死んで行く過程をよく知りたいと考えているようだ。
ボブはやりたい事が沢山あるので、死を待ち望んでいるのではない。地球での肉体の寿命を終えた時、何が起こるのか、まだ彼は自分で納得できる答えを持っていない。
ただ『生まれる時の苦しみよりは、まだ良いのではないか』程度に考えている。マンデルガー博士は、これがボブのサッパリとした性格に、とても相応しい考えだと感じた。

 ロシアの哲学者P・D・ウスペンイキーの鋭い指摘がある。これにより、私たちはETたちの死に対する考え方をもっとよく理解出来るかも知れない。ウスペンスキーの死に対する指摘は、より大きな視点からのものであり、その著書では想像力の限りを尽くして死について述べている。
ウスペンスキーは、まず『愛』の問題から取り上げている。愛は古来から多くの哲学的思想では、ただ与えられたものとして受け入れられているが、これはおかしな事だと主張している。何故ならば、この『愛』こそは、人類にとって最大の神秘だと考えられるからだ。
彼は愛の心理的な、または感情的な側面を取り上げているのではない。そうではなくて、愛を『永遠にして無限なるものとの接触』という側面から取り上げているのである。
 
こうした考えに基づけば、愛は魂と我々の真の自己という永遠の領域への入り口となる。
私たちが死について過大な注意を払い過ぎることは、宇宙を現実に支えているものを見逃すことにも成りかねないと、ウスペンスキーは主張している。
『実をいえば、愛は大きな宇宙的な現象である。その中にあっては、人々も人類も単なる偶然の存在に過ぎない。宇宙的な規模は、人間の生活にも魂にも殆ど関心がない。
 ちょうどそれは太陽はただ輝くのみで、人間はその光のもとでせっせと日々の生活を営み、自分達の目的の為にその光を利用している・・・のと同じ様なものだ。
もし人類にこの事が判れば、例え彼らの心の片隅にでも、この事実について認識さえあれば、人類の前に新しい世界が見えてくるだろう。そして今までの視点から人生を見ることが、大変におかしなことだと気が付くだろう。更に人類は愛とは、これまで考えてきたものとは本来まったく違うもの、また地球上の生活の、細々とした出来事とはまったく違う基盤の上に成り立っていることが判るだろう』と述べている。
ウスペンスキーにとって愛とは大文字で書かなければ成らないものである。それは宇宙的出来事であり魔術的な力であり、存在の本質的態様を意味するからである。
愛はそれを探求する者に、計り知れないほどの自己洞察力を与える。
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by levin-ae-111 | 2010-12-31 06:20 | Comments(0)

ETソウル(150)

ジャスティニアンは、ETたちにもある程度の限界が決まっていると主張する。マンデルガー博士が、この地球上での多数の熱心な精神的修行によってだけ、ETたちの元々の意識が戻るのではないか?と質問した時、彼は同意した。
それから、こう言った。「もし、本当に悟りの境地を開いて仏陀になろうとすれば、誰にでも可能なことだ。しかし、不思議なことにワンダラーやウオークインは、こうした困難な修行をしようとしないのだ」と。彼ら(ETたち)は、人生を送る上でのこうした制限を甘んじて受け入れている様に見えるし、少しでも社会に良い事をすれば良いという、安易な気持ちに成っているのかも知れないと心配する。
「もし、サマディ(三昧。覚醒境)の境地に達して、完全に人間としての存在を抽象化してしまえば、誰でも自分自身が持っているもっと大きな境地に目覚めることが出来るのに」と、再び地球上での精神的な努力に全てが掛かっていることを強調した。

 サマディの境地を言葉で説明するのは困難だ。心のひときわ深遠な状態のことで、あらゆる意識は完全に静止し、静寂を保った状態である。そこには、時間と空間の感覚もない。
それは瞑想の修行によってのみ、得られる境地であると、マンデルガー博士は述べている。
死後ETの魂はより広い意識へと変容していく。そして地球に滞在していたことが、如何に大切なことだったかに気付く。マンデルガー博士が対話したETたちの殆どが、死によって初めて本当の大いなる覚醒に達することが出来ると信じていた。
「死は、私にとって、冒険である」とボブは言う。これはETへの覚醒によって、学んだひとつの教訓だと彼は述べている。こんな言い方は、ある種『病的』で終わりを待ち望んでいる様に聞こえるかも知れない。
だがボブは、この印象を否定して、むしろ死に対する好奇心を強調する。そして地球上の人間の姿をした生命には終わりが有ることを、有りのままに受け入れているのだという。

 ボブはウオークインとしての覚醒前には、酷い麻薬中毒に陥っていた。そして、恒常的に死と隣り合わせの状態に在ったので、死ぬという事について他の人よりも解っていた。
その訳は中毒による激しい精神のうねりに揺さぶられて、大方の日々を自殺願望と戦う事に費やしていたからだった。
「死ぬのは簡単さ、何時もそう考えていた。この世に居ても、やっていけないと思っていたんだ」とボブは告白した。この時期が彼の人生のどん底であり、全てを諦めていた時でもあった。
こんな時に突然、何かが起こった。ウオークインとして、ETの魂を得たのだった。
当初のボブはこれを「余計なお世話」だと思っていた。しかし、この体験をしてから思い掛けない気力と希望が湧いてきたとボブは語る。
その瞬間、稲妻に打たれたような衝撃を感じ、ある考えが頭を過ぎったのだ。
彼はその後、自分の人生に間違いなく意義を感じる様になっていた。ボブはそれについて感じ、考え、そして理解した。
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by levin-ae-111 | 2010-12-30 08:54 | Comments(2)

ETソウル(149)

これと似たような教えは、チベットの死者の書といわれる『バルド・ソドル』にみることが出来る。そこにも、ジャスティニアンが言うような3つの異なる存在の状態が述べられている。ひとつは、肉体的な地球の領域であり、それから純粋形態だけの領域がある。
更に最後は記号や言葉を越えた領域があり、この領域では純粋な魂とエネルギーだけが在ると言われている。この最後の領域が最も心惹かれる領域であり、光の領域とも呼ばれる。
だがETたちの魂には、独特のエネルギー形態が在るとジャスティニアンは語る。
死によって彼らが自認し、強い影響を受けていた人間的要素が離れていく。そして、人間的な要素に覆い隠されていない、本来の地球外生物としての自身に力強く目覚めるのだ。
しかし、そうは言ってもETたちが死ぬとき、人間的な要素の全てを放棄するのではない。
ETたちは人間として生活していた時に発見した最も人間的な要素や能力を、身につけて逝くのである。こうした人間的要素は浄化され高められて、全宇宙の体験の一部として持続されて行くのである。

 こうした事実はETが人間として生きている内は、元々に持っている意識をある程度までしか回復できないことを示している。それは人間としての生活を続けるには、ある程度の条件が必要になるからであり、人間の形をとって地球に奉仕するために権利として認められた必要なベールなのである。
考えてみれば、これは至極当然のことである。地球よりも遥かに進歩した技術の恩恵を記憶していたとすれば、ETたちにとって苦しみは増すばかりであろう。また、大勢のETが記憶に従って行動を起せば、地球と人類にとって、与えられるべき進化の過程を奪うことにも成りかねない。そして、未熟な精神性しか持たない人類が、ETの科学技術を手にしたら取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。
例えれば誰もがドラエモンの異次元ポケットを持っていると過程したら、それだけでゾッとする。誰もがドラエモンの登場人物のように、善人ではないからだ。
 それに子供の誕生や養育といった地球上のしがらみを体験することは、後々まで彼らETに多大な影響を残す。こうした理由からワンダラーやウオークインが自分自身を回復するとしても、自ずと限界が定まっているのだ。
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by levin-ae-111 | 2010-12-29 08:35 | Comments(0)

ETソウル(148)

ブラッドとフランシー・スタイガーは、その著書『星の人々』の中で、自分の肉体を超越する経験をした人々についての豊富な情報を提供している。それに依り、以下の様な驚くべきデーターが紹介されている。
①フランクリン・パース大学の心理学科助教授、ディル・アイアンソン博士は、精神的に健康な人々の30%は、今までに少なくとも一回は遊体離脱のようなものを体験している。
②カリフォルニア大学のチャールズ・タート博士の研究結果では、150名の学生のうちの44%が遊体離脱を体験したと答えている。
③デューク大学のホーネル・ハート博士の研究では、遊体離脱体験者の比率は、全体の27%だった。
④ニューヨークの心理学研究所の前所長スタンレー・クリップナー博士は、アイアンソン博士とジョン・パーマー博士が行った調査を総合すると、何と10人に3人が遊体離脱を経験していると発表した。つまり6000万以上のアメリカ人が遊体離脱を体験している計算になるという研究結果を発表した。
スターピープルになれば、この比率は7、8名に達するだろうと予測し、彼らの多くが随意にこうした経験が出来ると言っている。

ジャスティニアンの遊体離脱体験では、何れも自分自身が自らの体外に出ているが、見るための能力は残った状態になっている。それで自分自身が自らの体外の上に浮んで、自分の身体を見下ろしているのが判るという。
この宙に浮いた状態でジャスティニアンは自分の過去の人生を思い出したばかりでなく、更に深い瞑想状態になり自分のすべての過去が記憶に戻り、様々な進化の段階の自分の存在を思い出したのだという。彼はこうした体験を何度もして、死に対する恐怖がどこか遠くへ消えていったと話している。そしてジャスティニアンが瞑想により手に入れた教訓は次の様に表現できるものだった。「私は気まぐれに選ばれた肉体的な乗り物ではない。この肉体は、私の魂が選んで利用しているものだ」
こう感じてからジャスティニアンは、死に対して子供の時から抱いていた恐怖と混乱の感情を拭い去ることが出来たのだった。
この様な境地に達したのは、死や遊体離脱に関する体験ばかりでなく、精神的な修行のお陰でもあるのだと彼は考えている。
こうしてジャスティニアンが自分の進化の過程を辿ろうとした時に、この地球での人生を越えて、遥か以前からの記憶が戻って来たのだった。

 さて何処か別の場所からやって来た人たちにとって、地球上での仕事が終わったら、何処へ行くのかという複雑な問題が残っている。この点に関して、異常なくらいに遊体離脱体験に集中したジャスティニアンは、遂に死後に何が起こるのかという詳しい内容を知ることが出来た。彼がマンデルガー博士に話してくれた内容では、基本的には3種類の死があるのだという。
一つ目は肉体的な死では、人々は自分のアストラルボディに残っている。
二つ目はそのアストラルボディの死であり、その時点では精神的な身体である霊体が最後の人格の覆いとして残っているだけである。この霊体は知的な働きを司り、非物質的な形態をとって物質的な身体を包んでいる。
そして最後に来るのは霊体そのものの死であるが、この段階で人々は完全に魂の中に吸収される。しかし、この吸収により人々の自意識が無くなってしまうことはなく、返って自意識は増加するのだという。ここで人間は初めて自分の魂の真の生得権を再び得ることになるのだという。
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by levin-ae-111 | 2010-12-28 05:12 | Comments(2)

ETソウル(147)

大切なことは、死に対する誤解を打ち破ることだ。何も死にはしないのだから、その肉体に生気を吹き込む意識は続くのだから、何も恐れることはないのだ。私たちは肉体を脱ぎ変えるだけ、肉体はひとつの道具に過ぎないと、ルーシアは語る。
マンデルガー博士がインタビューした多くのETと同様に、彼女もまた「死には精神的な面と、生命の意味を十分に理解したうえで対応しなければ成らない」と言う。
しかし、この故郷の家に帰るという考えも、他の面とのかねあいで決められるべきことだ。
例えばジャスティニアンのように、ここでまだすべき事があれば、ホームシックなど二の次だという意見もある。
ジャスティニアンによれば、自分がETの生い立ちであると自覚している人々にとって、その役割を果たさねば成らないという目的意識は非常に大きいものだ。そのために、死は故郷へ帰ることだと解ってはいても、彼らは死にたくないのだという。

 帰りたいという想いは確かにあるが、強い目的意識がそれを阻んでいると言うジャスティニアン。明確に自分のETの生い立ちを確信すると、目的意識はなお一層大きくなるが、しかしそれは自分たちが「救い主だ」と、吹聴するようなものではないのだ。
ジャスティニアンは自らの学習や経験から、ETたちは2つのタイプに分類されるという。
一般にワンダラーは家に帰りたいという欲望と、激しく闘っている。一方、ウオークインはより新しい魂の持ち主で、最近自ら魂の交換を望んだだけあって、まだ使命感に燃えている。ウオークインたちにとって、地球上での現実は新鮮な体験の最中なのである。
ジャスティニアンは自身の体験を臨死体験というよりも、むしろ幽体離脱に近いものだろうと言う。彼はその体験によって、死にたいする不安や恐怖が消えたのだった。
事実、ウオークイン体験をする以前から、死に対して『安らかな平和』さえ感じていた。
そして、生きている間に大切にしていたものが消滅するのは仕方がないという『概念的な死』に次第に慣れていった。このことが、自分がETの魂を受け入れることを、容易にしていったのだ。これらの経験を通じてジャスティニアンは、自分の身体をETの魂に明け渡すことの意味を十分に承知していたからだ。
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by levin-ae-111 | 2010-12-27 05:14 | Comments(0)

ETソウル(146)

「死に対処するということは、それがより高次の覚醒を目指して戻って行くための出入り口だという事実に気付くことだ」と彼は言う。「より高次の覚醒状態では、ETの魂は分離されて、その世界で新しい人生を過ごすために再統合されるのだ」
ETたちにとって、死はまたワンダラーとウオークインにとって、この地球上で現在暮らしている有様に反応する鏡のようなものだ。
肉体の死とは、古い自分の死を意味するのであるが、これはこの世での区切りであり終局の過程を意味している。私たちの認識では全ての創造されたものには、終わりが来るという絶対の掟なのである。
だが、私たちにとって絶対であるこの現象も、ETたちがやって来た元の場所では絶対に起こらない現象なのだという。
地球で生活するという現実は、過去の記憶を薄れさせ死との出会いを苦痛と悲しみに満ちたものにする。自分の肉体や思考、感情を必要以上に意識している限り、苦しみは続くのだとソーレンは言う。だが、こうした個人的要素を意識しなくなれば、より深い自分自身ともっと自由に会えるようになるとも主張している。

 魂が分離するというこの様な考えについて、マンデルガー博士はソーレン以外のETたちからもよく聞かされた。しかしマンデルガー博士自身も、東洋の宗教、形而上学、心理学についての研究と個人的な経験とによって十分に解っていたことだと記している。
 死を単に故郷へ帰る手段として迎えるのか、或いはこの地球上でまだやるべき事が山積みなので、まだ帰りたくないという目で捉えるのか、この二つの態度のどれを選択すべきなのかは困難な問題である。
しかし、全てに時というものがある。地球上で骨の折れる仕事をしている時と、それから開放されて自分の故郷の惑星へ帰る時とが自ずと決まって来るに違いない。
そして多くのETたちが自分の雇い主や創造主に、やるべき仕事があるので、まだこの仕事を辞めさせないで欲しいと祈っている。

 ルーシアもまた、死は故郷への帰還を意味すると信じている。彼女はシャワーを浴びている時に「教から貴女はウオークインとなる」という、内面の声を聞いた。ウオークインの場合は、ルーシアも含めて一種のアイデンティティの死に直面したことになる。
ウオークインの体験は、これまで幾つかの例を挙げたように「もうやっていけない、死ななければ」と思った時によく起こるものの様だ。
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by levin-ae-111 | 2010-12-26 08:09 | Comments(0)

ETソウル(145)

リング博士は「明確なことは、臨死体験者たちは体験した事は、本当にあったことだと言っている点だ。そして、この体験は味わったことのない、非常に深遠なものだとも言っている。この体験の強烈さは、言葉ではとても表現し切れないものだ、というのが臨死体験者の共通した感想である」と記している。
 臨死体験という強烈な体験をしたソーレンは、死について多くを学んだ。彼はもっと若い頃、高所恐怖症にかかっていた。この哀れなワンダラーは、高い場所へ行くとめまいを起こしてフラフラなった。こんな時は死に対する予感が恐怖となって、彼の身体を縛り上げ身動き出来なくしていた。だが瞑想することを覚えてから、高所恐怖症は消え去った。
今のソーレンにとって死とは、次のようなものであるらしい。
「手っ取り早く言えば、死は存在しない。これは、一面で本当のことなのだ。しかし他の面では、死は自分に何の影響も与えないことも考えられる。結局、自分は死なないのだ。この意味で人は、死ねないというのが、本当のところだと私は思っている。私にしても、一日の作業を終えた労働者が窮屈な作業着を脱ぎたいと思う気持ちと同じ気持ちで、死を待っているに過ぎないのだ」。
ソーレンが説明した気持ちは、やんちゃ盛りの子供が窮屈な教会や学校の授業から抜け出したいと思うのに似ている。

さて、死後はどうなるのか?ソーレンはETの魂は元に居た場所に帰ると信じている。
私もある時、その質問を内なる声にしてみた。すると、その返答はソーレンが信じているのと同様に、元に居た場所へ帰るというものだった。
彼らは地球での経験のため、多少は元の姿とは違っているが戻って来た彼らは当然、自分たちが不在の間に起こった古巣の変化を感じとる。こうしてETたちの魂は愛をこめてある惑星を出発し、再び元の惑星に戻りその惑星が進化するのを助けることが出来るのだという。
死は別の世界への入り口のように思われるが、それは誰にでも必ず訪れるものだ。それにも関わらずソーレンは若い頃に何度か自殺を図っていた。しかし、彼の場合は自分の身を滅ぼそうとした訳ではなかった。その真意は、より高次の覚醒を体験してもっと深遠な世界を経験するには、死がただ一つの手段だと思ったからだった。彼は自分を傷つける積りはなく、自分自身を救いたかっただけなのだ。
幸いにも(三次元的な意識では)ソーレンは生き残り、瞑想を始めた。そして、高次の覚醒がもっと深く、自分に根づく方法を学んだのだった。そうなると、今の物質的肉体から逃げ出す必要もなくなった。もはや、彼を縛るものは何も無くなったからだ。
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by levin-ae-111 | 2010-12-25 05:16 | Comments(0)

ETソウル(144)

『死における命』の著者ケン・リング博士によれば、臨死体験をした人々も似た様な覚醒の段階を経てきているという。その過程は、次のようなものらしい。
まず、恐怖感が消え、自分が死ぬことがわかる。そして、人間の命の終わりを受け入れる。
この過程では、既に肉体的感覚の消失も含まれているから、苦痛を伴うことはない。
物質的な肉体の消失とともに、底知れぬ静寂が訪れる。
自分の身体から離脱する直前に、耳慣れないブーンという音を聞いたという者もいる。
それから、宙に浮いた様な気がする。それから、自分の肉体を眺めることになる。
また、ある者は自分が救急医から、死亡を確認される状況を見聞き出来たと報告する例もあった。
臨死体験とは異なるが、私にはここに記されているのに似た経験がある。
ある日、いつもの様に仕事をしていると、突然に見える光景が変わった。それは自らや同僚たちの働く姿を、天井付近から見下ろしているという変わった目線だった。

朝の職場はあちらこちらで、皆が一斉に作業をする為に大きな騒音と、乾燥炉の熱気と刺激の強い排気ガスなど不快な要素で満ちている。その時、私は自らを確認し「あっ、俺だ」と思った。自分の肉体は、何事もなく黙々と作業を続けているし、周囲の同僚たちは誰一人として、私の異変に気付いていない。
暢気な私は恐怖も感じず、日頃は見えない乾燥炉の上部の機戒部分の凹凸が、ヤニと埃にまみれて真っ黒に成っているのを、「こんな風になっているんだー」などとボンヤリと眺めていた。

この時に気が付いたことは、不快な周囲の騒音や熱気、滴る汗の感触や排気の刺激などを一切感じていなかったことと、異常に視力(私は近視で眼鏡をしても0.8程度の視力)が良く成ったことだった。それから視界とは裏腹に聴力は沈黙していて、完全な静寂と何ともいえない快適な軽快さを感じていた。
この状況を体験していた私の身体は存在せず、ただ意識と視点だけが空中を漂っていた。
そして、もう一つのブーンという音は、眠る間際に聞こえてくる。そんなに大きくはないが、羽虫の羽ばたきの様なその音は、まるで何かの機戒装置の唸りにも似ている。
やがて、眠りに落ち始めると身体が何かにスーッと沈み込む様な感じになる。次にはジーンと暖かい痺れにも似た感覚のうちに、肉体ではない何かが重力に逆らってスーッと浮き上がる様な感覚を覚える。それから完全に眠るまでの間、暗闇の中を何か得体の知れない力で振り回されながら、さまようのである。
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by levin-ae-111 | 2010-12-24 05:15 | Comments(0)

ETソウル(143)

今、私が読んでいる書籍の著者も、数十メートルの崖を車ごと転がり落ちたが、何者かに首筋を力強く引っ張られ、車から出られた。そして、雪の積もった枝に引っ掛かった。
車はそのまま落下し、大破したという体験を記している。私の父親もまた、若かりし頃に車ごと崖を落ちた、しかし無傷だった。この様に世の中には、不思議な瞬間が存在するものらしいが、ソーレンもまさにその様な体験をしたのである。
木から落下し、お尻で着地した子供のソーレンは、着地した瞬間に背筋がピーンと伸びた。
そして、ヨガのクンダリーニのように、エネルギー転移が発生し、深い瞑想状態のような感じになったのだ。
ソーレンは、この時の感覚を決して忘れない。同様の感覚を10年後に別の事故で、味わったからだ。その事故は、まるで以前の感覚を思い出させ、しっかりと記憶させる意図をもって起こされたようだった。

 その事故はソーレンが16歳の時に、ハワイの荒波にもまれてサーフィンをしていた時に起こった。大きな波に呑まれた彼は、必死で水面へ出ようともがいたが、泡立ち渦巻く波の力は物凄く、浮上できなかった。
波は彼を包んだまま、海流に乗せて沖へと連れ去ろうとしていた。既に酸欠状態になり、ソーレンは抵抗する力を失っていく。水中で沈みながら、ソーレンは子供の頃に経験したあの感じを思い出し始めていた。彼は次第に、水面へ戻ろうという気力を失ったという。
「自殺しようと思った訳ではないが、ただ何かをしようという気がなくなったんだ」と彼は言った。
波の下でソーレンは自分の身体が、変化していくのを感じた。彼は光りを放つボールに変わった、その途端に視界が開け、あらゆる方向が見渡せるようになった。それだけでなく、自分の人生も含めて、人生の縮図のようなものさえも、全てのものが見えるように感じた。

 全く可笑しな事に、この間ソーレンは、活力に溢れていると感じ『万事うまく行っている』と感じたのだ。この体験は幼児の時に木から落ちた時の感覚にそっくりだったし、何度も体験した幽体離脱体験にも似ていた。それから、子供の頃に出掛けた火星人たちとの旅の感覚にも似ていると感じた。宙に浮いている感じや、非物質的感覚はもはやソーレンにとって、異質なものではなくなっていたのだ。
サーフィンで体験した『突然の出来事』は、ソーレンに大きな影響を与えた。彼の意識を変え、人生観や生死観をも変えてしまった。
ソーレンにとって非肉体的な状態は、どんな状態の時よりも現実の世界に居るような気がするという。彼にとって普通に覚醒している時の方が、現実味に欠け感覚も荒くなることに気付いた。肉体と意識の限界を超えたとき、どんな事が起こるかという生々しい例を、この突然の出来事は示している。
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by levin-ae-111 | 2010-12-23 06:58 | Comments(3)

ETソウル(142)

「死に対処することは、特にワンダラーにとって、まず大切なことだ」と、ソーレンは言った。だが、真実は個人、社会、地球全体のレベルにとって、生と死の観点から再会と別れの観点から、極めて大切なことなのである。
個人的レベルでは、人類の全ての人が必ず経験するという意味で、対処が必要になる。
社会的には『社会の全ての人が死を恐れている』という意味で、対応が必要だ。それから地球的レベルでは、死の問題を真剣に考えることにより、世界的な調和が推進され全ての国々がもっと協調していくという状況が生まれるだろう。
実際に私たちは自身の別離と喪失の体験を深く見詰めることにより、意識が変わってくるのだ。ソーレンは経験豊富なサーファーだが、何度も危険な目に遭い、その上に3度も自殺を図っている。この様に何度も命の瀬戸際を経験している。
ソーレンの痛ましい体験は『誰でも死に直面する』という意味では、殊更に特殊なものではないが、マンデルガー博士が取材したETの魂を持った人たちの中でも、珍しい体験をした一人であろう。
ソーレンは、幽体離脱体験と臨死体験の両方を経験したのである。その体験から、ソーレンの考え方はすっかり変わってしまい地球は、「混乱と無気力の眠り」のただ中にあるとする他のETたちの考えに近いものになっていった。

 彼は子供時代の体験から何となく、他にも人間と違う存在がいて、この地球だけが自分の居場所ではないことをおぼろ気に感じていた。そして、その頃すでに多くの人間が絶対的な真理だと思っているものが、実は相対的な問題であり、無数に存在する周波数帯の一つの振幅でしかないことを察知していた。
ソーレンはこうした考えにいたった子供の頃の体験のひとつを語ってくれた。6歳か7歳の時、自宅の傍の木に木箱を踏み台にして、よじ登り枝の上で遊んでいた時に突然、意識の変容が始まった。
最悪の状態の時に始まった意識の変容で、彼は夢の中にいる様に朦朧として、手を離してしまった。そして、腰を強かに打ち、更に木箱の角に頭をぶつけてしまった。
だが、これは恐らく偶然に起きた事故ではないと、本人は感じている。まるで何者かによって計画された出来事だと思っているのだ。何故ならば、瞬間的に何者かが物凄い力で彼を支え、そして決まった場所に降ろされたような感じがしたのだという。
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by levin-ae-111 | 2010-12-22 05:17 | Comments(0)