身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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ETソウル外伝(最終回)

我々はまず、殆どの者たちがこのスケールの大きい未来の展望を、理解できないであろう事を知る必要がある。それから他の人に理解してもらう事が、一番重要ではないと気づいて、少し楽な気分になる。結局は多かれ少なかれ、彼らETたちは独りで成すべき事を行うことになるのだ。そうして、忍耐強くETの家族たちとの再会を待つのだ。
もっと重要なことは、出来る限りの奉仕が出来るように、今ここに居て役に立つ状態に在ることだと、スコットは言う。ETであることは、単に慈善行為に対する呼びかけだ。
どちらにしても、自分たちがETなのか人間なのかに関係なく、私たちが存在すること自体に意味があるのだ。

 この事をスコットは、次の様に考えている。
どうかETたちを特別な者、優れた者、或いはエリートグループに属したものと思わないで欲しい。ETであることは、エリートの概念とは関係のことだ。そして、どうか彼らを「役立たず」とか「非常識」だとか言って、社会の片隅に追いやらないで欲しい。
もしも彼らの信念を受け入れられないとしても、狭量になったり、宇宙的な遠くを見詰める視点をもった考え方を、真っ向から否定したりしないで耳を傾けてやって欲しい。
こうした考え方のどれかが、ある日、本当のあなた自身を見出す手掛かりになるかも知れない事を頭の隅にでも留めておいて欲しいのだ。
かつて月を歩くことや、大陸間無線通信や、人工衛星などを想像した為に、夢を追い求める人々が嘲笑されたことを思い出して欲しい。今日、不可能と見られ、馬鹿にされていることが、明日には可能になるかも知れないのだ。
 更に真実を見つけることを、恐れるべきではない。真実は(それが何であれ)あなたの人生に、より大きな基盤を与えてくれるだろう。何故ならば私たち全てにとって、基本的に行わねば成らないことは、人生の意味を考えることだからだ。
もし私たちが、自分自身や自分で経験したことから眼を逸らさずに見つめるならば、私たちは必ずや真実を発見するだろう。真実は時として驚くようなものだが、常に苦しみを癒してくれるに違いない(ここで言う真実とは、精神的な心理を指すのであろう)。

 そして、再びETか、そうでないかは差して重要なことではない。私たち一人一人は、まさに神から与えられた魂を持ち、この地球で人間の姿をしているのだから。大切なことは、私たちにとって何が真実かを選択する過程だ。その過程を通して、私たちは『真の自己』にもっと深く近づくことになる。ちなみに真の自己とは、仏教でいう自ら光を発する空、つまり主観、客観を超えた純粋意識と同じだと言う。
これこそが、永遠に学んでいく、更に果然な調和を目指して成長していく認識の過程だとする。そして精神と心の及ぶ範囲が広がっていき、経験の総ての面を包含することが出来るようになる。
急いではいけない。自分の内なる声に耳を傾けるのを忘れてはいけない。心の平静さを保ち恐れずに洞察力を持てば、自分個人や世界が抱えている如何なる軋轢も乗り越えて見通すことが出来る。
私たちが絶えず深まっていく自分自身との絆を強く求め続ければ、それがどの様な外見や形態であれ、真実はいつも現れて来るのだ。

 長い間、この様な文章にお付き合い頂きました皆様、本当に有難うございました。心からお礼申しあげます。
私たちの中に、スコット・マンデルガー博士が主張する様な『何処か他の場所から来た人々』が本当に存在するのかは判らない。しかし、私たちの本当の意識は、宇宙大の広がりと奥行きを持っているとするならば、十分に在り得ることであろう。
量子論では、私たちが注目することで実験の結果が異なってくる『観察者効果』なる現象も確認されている。それは意識が実質的なパワーであり、物質に影響を及ぼしているという証である。
 人間とは何処から来て、何処へ行こうとするのか?私が存在する意味は何か?どうして人生は苦しいのか?などの疑問に押し潰されそうだった頃、仄かな光を見出せてくれたのがこの『宇宙人の魂を持つ人々』という本だった。
しかし、スコット・マンデルガー博士も、あらゆる精神世界のリーダーたちも依然として発展途上の人間でしかないことを銘記して欲しいと思う。私たちは全員が対等であり、等価である。全ての人々が(ETであろうが、なかろうが)発展途上の魂であり同じ源から出発し、またそこへ帰って行くのである。
私は意識の永遠性を信じている。そして意識こそは、森羅万象の根源であると信じている。
だが他の人は、必ずしもこれを信じる必要などない。それは私たちが自由意志を保証された意識なのであり、異なるルートを辿りながらも同じ源を目指して旅する旅人だからだ。
                                       
                                        終わり

参考文献・・・ 宇宙人の魂を持つ人々  スコット・マンデルガー(著)
                    南山 宏(監修)
                    竹内 慧(訳)
                   
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by levin-ae-111 | 2011-02-03 05:18 | Comments(4)

ETソウル外伝(17)

 確かにスコットの主張には一理あるが、彼の様に全てを断ち切って修行の場へと飛び込むことが可能な人がどれだけ存在するだろうか。また、それならば何故に多くのETたちは彼の様な環境を選んで転生してこなかったのだろう。
それは恐らく、ETたちの地球と人類を救うという目的に対するアプローチの仕方が、私たちが考える以上に裾野が広いからではないだろうか。彼らは、必ずしも地球人に対してストイックな修行ばかりを求めてはいないのではないか。それよりも、自然な変化を、つまり地球人が自発的に自ら納得し動き始めることを望んでいる様に思える。
そうでない限りは、地球と地球人は真実の意味で救われないのだと、ETたちは知っているのであろう。彼らに出来る事は、人々の自覚を促すことだけである。
そうであるならば、山に篭っても余り意味がないであろう。彼らの多くは、一般社会の中で苦悩しながらも、自分の周囲の人々にさり気なくアピールする道を選んだのだろう。

より大きな視点では、仮に地球人と地球が目的とする変化を遂げられず、悲劇的な最後を迎えたとしても、それは永遠の生命観から見れば時と場所を変えて、また挑戦できる課題ではないのか。
但し、スコットの言わんとする事は、もっと真剣に真摯にこの差し迫った問題に対処する様にとの叱咤激励であるとも取れる。それから、現実社会への彼自身の内なる苛立ちや焦りの表れであるのかも知れないと、私は感じる。

 ここで再び、そうでない人々が居ることを忘れないで欲しいとスコットは言う。この人々は似たようなことを言ってはいるが、自身の行うべき事を行っての上での話しなのだ。
単にこれは重要な危機だと言っても仕方がない。要はその人たちが、自分たちでどう対処していくのか、その人たちの動機は何であるのかが、重要なことなのだ。
地球上でETの魂に目覚めた者がやらなければ成らない事は、現実には次のような事ことである。
それは、人間の人格との精神面での統合である。どこか別の場所から来たという認識は、その人自身の特別な地球的自我意識と融合されねば成らない。個人と宇宙が互いに寄り添って、ダンスを踊るのだ。そして、そこには統合された神性(私たちが『個人的な魂』と呼んでいる)の独特な表現が登場してくる。
これを達成するには、その人物が自立していることが条件となるだろう。つまり、必要な時には一人で大胆に歩む覚悟を持っていなければ成らないのだ。
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by levin-ae-111 | 2011-02-02 05:18 | Comments(0)

ETソウル外伝(16)

大部分の人々にとっては、その様な話しに全て耳を傾けることは、困惑し混乱して動きが取れなくなってしまうであろう。しかし本当に必要な、受け取るに値する奉仕は、私たちがお互いに善意、知性、思いやりを持つことにあるのだという点は忘れないで欲しい。
 時々スコットはガードを降ろして、自分の本心を話そうとするのだが、何時も具合が悪く成ってしまう。例えば、忘れられない事例のひとつはこうだ。
ETについてスコットの考えを知らない友人たちと話しをしていた時、彼は心中で思わず呟いたものだ。「何とこの地球の人々は変わっているんだ!」と、また他の時には「地球は狂気じみた所だ」とも思ったものだった。
スコットが自分をワンダラーであると気づくきっかけは、以外にも手近なところに在ったのである。

スコットの知人たちの大部分は、地球生まれでもETでも、ある種の広い知識を有していた。そうでない人たちに対しては、誰かにとって、それは特に珍しい事ではないと理解してもらう様にお願いするしかない。
人間の姿をしたETと、地球人の中でも宇宙的な視野をもった人々は、奉仕の為に、即ち人々を助け地球を救う為にここにいるのだ。
それこそまさに、この世界の定められた道・・・もっと正確に言えば多くの世界の道でもある。それは水のように、より大きな水量のある場所から、それを必要とする場所へと流れて行くのだ。スコットはこの様な考えが、いかに奇妙に思われるか承知している。
それを更に難しい問題にしているのは、ニューエイジャーたちも知っている様に、ニューエイジ思想を信望する人々の中には、何の疑いも抱かずにただ信じるという浅はかな人々が居ることだ。

殆どの秘教的な事柄に関する問題は、証明できない性質のものであるので、この運動はただのほら吹きや自我意識の低い人たちを惹き付け易い。それは自分たちが聞いたり読んだりしたことを、ただおうむ返しに繰り返しては慰めを見出している人々のことだ。また別の星から来ている何て、ロマンチックなことだと考えている様な人々のことだ。
 その証明は、彼らがどう生きて行くかでしか成されない。もしその人たちが、権力志向の指導者たちであったり、まごつくばかりの弟子たちであるとすれば、(彼らの主張や覚悟は)恐らくそれなりのものでしかないのであろう。
自分たちは地球に奉仕しているのだと言う人々の多くは、実際に何もしていない。その人たちは多くの訓練を積んでいないし、大きな努力もしていない。彼らは自身の言葉に満足しているだけなのだ。或いはまた、人間に奉仕することを特別なことと感じ、密かに楽しんでいるのだ。
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by levin-ae-111 | 2011-02-01 05:17 | Comments(0)