身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


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若い頃の思い出

先日、ボーツと風呂に浸かっていて、何とはなしに若い頃のことを思い出した。大学を卒業する少し前から就職活動を始めた時のことから浮かんできた。
その頃は生意気で、ある意味で変な野心と自信を持っていた。今では考えられないが、薄い空色のブレザーに少し色合いの異なるシャツ、スラックスを履き、こげ茶色のニットタイという格好で会社訪問をしていた。
周囲は今でも定番のリクルートスーツだったが、自分のスタイルが周囲と著しく異なる事など少しも気に成らなかった。

 今にして思えば、それだけ無知だった訳であるが、あるメーカーではそれが意外な評価を得たりもしたものだった。多くの面接者がひしめいている待合室で、私が渡された番号札はかなり大きな数字だった。つまり、普通に考えれば面接時間までかなり待たされるという事だ。面接が始まると意外にも最初に呼ばれたのは私だった。
面接官の話しは志望動機をチラリと聞いて、後は具体的な赴任地の事などであった。
そんな事を手始めに、後に働き始めてからの事などが脳裏を過った。
あの会社に入社していたら、今頃は東京か名古屋か、北海道に居ただろう。私は行く気満万だったが、両親の反対に遭った。母親の反応は予想していたが、父親が泣き出したのには参った。仕方なく、その会社をお断りし、地元の会社に入ったことなどだ。

若い頃は時々に飲み歩き、大して強くも無い酒を大量に飲み酔いつぶれていたものだ。ある時など、気が付くとアパートの玄関で寝ていたりした。
そんな事などを思い出していたが、落ち込んだ時などは自分の第一志望の会社を諦めさせた両親を恨んだりもした。
しかし、今ではそれも自分自身の決断だったと思っている。自分の決断の結果を誰かの責任に帰することなど出来ないが、若い頃にはそれが判らないものである。
誰かに責任を転嫁し、それで事態が解決するはずもないのだが、自分は悪くないという慰めにも成らない言い訳が欲しくなるものだ。

 そんな事などを考えながら、長湯していると日頃の疲れがドット出て、眠気が襲ってきてついコックリコックリとなってしまう。顔がお湯に浸かり、ハッとして目覚める。そんな事を繰り返しながら、何か夢を観ていたようだったが忘れてしまった。
自分自身は年齢を重ねても中身は変わらないと考えていたが、こうして過去を振り返るとやはり随分と変化しているものらしい。友人に紹介された地元の霊能者に「若い頃は短気でどうしようも無かったのに、今は立派になられて・・・」と言われ、そう言えば確かに短気で怒りっぽく身勝手であったと思った。それが自分では分からない、だがその頃はその頃で未熟なりに一生懸命であったのだろう。
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by levin-ae-111 | 2011-10-31 05:17 | Comments(0)
一昨日の日記にコメントを寄せてくれたRurikoさんとは、去年チョットとしたご縁で知り合った。勿論、ネット上での事で直接お会いした事はない。
この彼女が現在読んでいるのが「アミ小さな宇宙人」の第三巻「アミ三度目の約束」だ。
僕の日記にくれたコメントの中で「アミ」に出てくる「幸せビーム」を二人でドドーンと打ち上げませんか?との提案をしてくれた。
彼女からは今まで様々な提案を受けていて、実はこのmixiを始めたのも彼女のお誘いがキッカケである。それからは合同瞑想(時間を合わせて一緒に瞑想する)をはじめ、ヒーリングなども一緒に行う機会が何度かあった。
ヒーリング効果の程は不明だが、それでも具合が良くなったと言って下さる方もいてそれなりに効き目があるらしい事が判ったりした。
そして今夜は唐突に「幸せビーム」なのだった。
 早速、OKの返信をし、時間を見計らって瞑想に入る。
何時もより念入りに身体に感じるエネルギー感覚のバランスを整え(上下・左右・前後・左右の斜め前後でバランスを取る)、それから宇宙意識と宇宙と銀河、太陽系、神様と友人知人、家族、同僚、家と敷地、手許に来てくれてお金や品物、守護霊さん、自分の身体の細胞に感謝の念をささげてから瞑想をスタートした。
 何時もは紫色の雲(恐らくチャクラの色)が見え、時には厳しく眼光鋭い眼が見える。今日も同様だったが暫くすると、厳しい眼は紫色の渦に巻かれて回転しながら消えていった。その後に強い白い光が見え始めた、まるで金星の輝きのようだ。
その頃から気がついたが、自然に口元が緩んで口角が上がっている。何度引き締めてもすぐに緩んでしまう。仕方がないので、自分のニヤケタ無様な顔を想像したら可笑しくなった。そしてまたハッと気づいた事が・・・・、どの場所にビームを打ち上げるのか話し合っていないと思い当たった。「まあいいや、バリとロンボク島の上にするか」と、勝手に決めて瞑想を続けた。
それから微笑んだ眼が見え始め、女性が踊っているシルエットが見えた。髪を結い上げ透けた長いドレスと長いショールの様な衣装で、空中を泳ぐ様に舞っている。
「天女だ!」僕は反射的にそう感じた。金色の残像を引きながら舞う天女、幸せビームは紫や黄緑の雲になって何処かの空で弾けている。
しばし天女の舞を楽しみ、自分も一緒にエネルギーの翼を羽ばたかせ飛び回った。
やがてエネルギーが静かになり、天女は一礼して消えて行った。
今日はここまで、と自然に感じて瞑想は終了した。時間的には40分程度だった。
「幸せビーム」は届いていないかも知れないが、少なくとも僕自身はこの時とても幸せだと感じていた。もしかしたら本当に「幸せビーム」が出ていたのかも知れない。

追記
「幸せビーム」とはアミ三度目の約束で、主人公のペドゥリードが凶暴な未開人テリにさらわれた恋人ビンカを救出する時にアミが使った光線のこと。これを照射されると、とても幸福な気分になり、敵対意識が消え失せてしまう。
アミ三度目の約束
「アミ小さな宇宙人」「戻ってきたアミ」に続く三作目が「アミ・三度目の約束」である。
途中でハラハラするが、最後は・・・内緒です(笑)心がほのぼのする一冊です。
原作 エンリケ・バリオス
 訳 石原彰二
挿絵 さくら ももこ
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by levin-ae-111 | 2011-10-30 07:56 | Comments(2)

ネット世界の恩人

 今でこそブログをアップし、ありがたい事に意外に多くの人が読んでくださっているが、今日の情況を作って下さった恩人とも呼べる人々がいる。
元々のきっかけは、ハテナ(宇宙エネルギーコンディショナー・ブログ)の販売元へ『チャネリング体験記』を私が持ち込んだことから始まっている。
そこの機関紙にでも使ってもらえればという想いで原稿を持ち込んだのだったが、代表者の方がそれを知り合いの出版社に持ち込み、原稿は出版社独自のシステムに乗り審査を受けることになった。
そのシステムは一般の人々に原稿を読んでもらい、意見を聞いたうえで出版するかどうかを決定するというものだった。

 ある日、その出版社の社長さんから連絡があり、審査員の一人が私と直接に話したいと言っていると言われ、ネット世界へと私を誘ってくれた女性と知り合うことに成った。
彼女はインドネシア在住で、何度かメールのやり取りをした後に、mixiというソーシャルネットワークへ誘ってくれた。
パソコンに疎い私は、四苦八苦して何とかネットワークに登録し、数日後から下手な日記の記述を始めた。ネット上の友人第一号は、無論インドネシアのその女性である。
毎日、苦しみながら日記を書くうちに素晴らしい日記を書く人がいる事を知り、友人登録のお願いをした。
その方とは、たまたま誕生日が同じで、その事を伝えたら直ぐに友人登録の承諾を下さって、私の下手な日記を読んで戴けることになった。

 その内に、その方から「mixiだけでは勿体無いので、ブログにしなさい」と言われ、ブログの造り方も分からない私は、戸惑いつつ生返事でごまかし続けていた。
そうする内に、遂にその方から「ここで、登録しなさい!」というメッセージと共に送られて来たのはブログ作成ページのURLだった。
仕方がないので、連休を利用してジックリと取り掛かることにしたが、これがアッサリと登録でき、そこから私のブログをスタートする事になった。
最初の内は覗いてくれる人もいない。しかし、ブログを勧めて下さった方が、ご自身のブログで告知して下さって次第に閲覧者も増えてきた。

そのブログに誘ってくださった方は、現在も『ひとりごと、ぶつぶつ』というタイトルのブログをExciteで毎日更新していらっしゃる。
それからバリ在住の女性も元気一杯で、素晴らしいブログをアップされています。ネット世界へ誘ってくださった方々が、お元気で活躍されていることは嬉しい限りである。
 
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by levin-ae-111 | 2011-10-29 06:14 | Comments(2)

市町村合併の弊害

 昨日の朝、通勤途中で救急車に出会った。特に珍しいことではないが、その救急車は回転灯を点けてサイレンを鳴らしながら慎重にゆっくりと走行している。
曲がり角も、そっと静かに曲がり実に丁寧に、衝撃が出来るだけ少ないように配慮して走行している。
明確ではないが、その走り方を後ろで見ていた私は、患者を搬送中だと思った。
しかし、不思議なことがあった。それは、その救急車の走行ルートが極めて不合理なルートだったことだ。

 救急車が向うような病院は、その方向には存在しない。町内には救急指定の総合病院も存在しているが、仮にそこから断られたにしても、そのルートは変なのだ。
市内の市民病院に向うにしても、その病院からは遠ざかっているし、このままのルートでは救急患者を受け入れられる程の大きな病院は無いのだ。
あの走行の仕方を見る限り、搬送患者は重篤な状態であろうと推測できる。
市民病院へ行くなら、もっと近くて道路状況も良いルートがあり、私の頭は疑問符で一杯になった。

 会社に到着し始業前の雑談の時に、この疑問を同僚に話してみた。彼は地元の消防団員で、何か知っているかも知れないと思ったからだ。
私の疑問を聞いた同僚の答えは、市町村合併のために公務員の赴任地が広がり、地元の人間が地元で勤務していないからだと言う。
従って地理に不案内な人間が運転することになり、目的地に向うのにカーナビを使用しているという。そして彼は、消防や救急は地理に詳しい地元の人間が、各々の地区を担当すべきだと付け加えた。

 この一件に限らず無知な私には盛んに推奨され、声高に叫ばれた市町村合併のメリットがまるで見えない。赤字の自治体同士が合併しても、赤字である事には何ら変りがない。
では、規模の拡大による合理化の観点からはどうか?旧市町村の職員を新しい自治体が丸抱えするのでは意味がない。合併による合理化の為に、職員の削減を図ったなどという話しは、少なくとも私は耳にした覚えがない。これでは、合併の意味がない。
私の住む町も県都である市と合併し、他の町とも合わせると県都の範囲は隣県との境にまで及んでいる。だが周辺地域の住民にとって、何ひとつの良いことも無い、というのが私の実感である。県都の中心部は路面電車を新しくし、市内散策用の自転車ステーションも整備された(それも、何とフランスの業者のものだ)。
そして中心街の再開発計画など、予算は市の中心部にばかり投入されている様に感じる。

 地元の行政センターに行けば、広大なフロアに沢山のデスクが並び、人はチラホラ。
そのセンターの利用者は、私が訪れた時にはゼロだった。シーンと静まり返ったその空間には、男女の職員の話し声だけが響いていた。聞き耳をたてると、どうやら仕事の話ともいえない様な内容に聞こえた。
訪れた日は休日だったので、職員が少なかったのであろうが、本来ならばデスクの数と同じだけの職員が在籍しているという事である。

 合併以前には、ほぼ無料と言って良かった町主催の健康診断の通知もあったし、私も会社の検診とは別に受診していたものだ。それが合併後は、会社で受診している人間には自治体の検診を受ける資格が無くなった。
雪国である私の県は、降雪の為にそれなりの予算を計上しているが、合併した年の冬から
除雪の頻度が減った様に思うし(思い込みかもしれない)、除雪の時間帯も以前と異なっている様に感じる。
何だかんだ言っても住民にとっては、以前よりも痒い所に手が届かなくなったという事だ。それに合併による地名の変更で、慣れ親しんだ地名が変わってしまい、下手をするとそこが何市なのかもピンと来なくなってしまった。

 行政サービスは質・量ともに低下した。それだけでなく、赤字が寄り集まってより大きな赤字を生み出さねば良いがと心配になる。税金も徴収額が増えた。
政府は何の為に、この様な市町村合併を推進したのか?国民無視の身勝手な行政運営は誰の為に成されているのであろうか。
政府与党が国民の意志により変えられたが、今回の与党も以前の与党と変わらない。否、政権運営に不慣れな分だけ、より劣悪と言っても良いかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2011-10-28 05:13 | Comments(0)

 これは1996年の本であり、もう随分前の情報である。本はチャネラーであるリサ・ロイヤルと芸術家であるキース・プリーストの共著となっている。
ここでは実に様々な情報源とされる存在が登場するが、中でもユニークなのはゼータ・レチクル星人からの情報ソースの存在である。
主な情報源については、以下の存在があげられている。

【ジャーメイン】
英語で『同じ源を持つ』という この存在は、肉体を持たない集合意識体であり宇宙人の歴史に詳しい。地球を含む銀河系ファミリーの、より統一された未来の状態であるという。
銀河系宇宙史『プリズム・オブ・リラ』に記されている内容の大半は、この意識体からの情報であるという。

【サーシャ】
肉体を持ったプレアデス星人の女性。身長は150センチで、薄茶色の髪を肩まで伸ばし
同色の大きなアーモンド型の目をしている。銀河系共同体へ加わる準備の出来た惑星に対して、最初に接触することを専門とする『文化エンジニア』兼『社会心理学者』であるという。地球を含む複数の惑星と関係があり、惑星の進化形態や各種族の関係について詳しい。

【バシャール】
ここに登場する情報ソースの中で、最も有名な存在であるだろう。この存在はエササニ星人の男性で、バシャールとはアルメニア語でメッセンジャーの意味であり、アラビア語で男、指揮官を意味するとされる。バシャールは自分の特徴を現すこの言葉を、名前として選んでいる。
エササニ星人は地球人この本の中では、来訪しているゼータ・レチクル星人とのハイブリッドであると言われている。彼は主にアメリカ人のダリル・アンカ氏を通してメッセージを送っているが頻度は低いもののリサ・ロイヤルを通じて語ることもある。

【ハローン】
地球に来訪しているゼータ・レチクル星人(所謂グレイタイプの宇宙人)の代表者の一人とされ、ゼータ・レチクル星人が実施している複数の遺伝子実験のコーディネーターでもある。
彼らの種族は「純性種」「混血種」「変性種」に分けられるらしいが、ハローンは「変性種」であるという。
ゼータ・レチクルと地球人の意識構造が極端に異なるために、ハローンは翻訳支援のコンピューターと地球人の意識に詳しい宇宙人のアドバイスを得て話している。
この本のゼータ・レチクル星人に関する情報の大部分は、ハローンによって伝えられたものであるとしている。

 これらの多彩な存在からリサ・ロイヤルを通じてのチャネリング情報は、読んでいてもワクワクするが、一部分はゼータ・レチクル寄りに感じる。
しかし本来の彼らに関する情報は少ないので、興味を惹く。ゼータ・レチクル星人に関する記述を幾つかこの本から拾いあげてみよう。

1.ゼータ・レチクル星人の歴史
 彼らの起源は元々、人間型宇宙人の故郷リラ星系の惑星、エイペックス星にある。この星での彼らは私達と大差ない形態をしていた。長い歴史の中で科学技術を発達させたが、精神性と科学技術のバランスを崩し、戦争などを含めた大規模な環境破壊が発生した。
地上生活が困難になった彼らは、地下へと潜り幾つかの大きな地下都市での生活を余儀なくされる。地下生活が長くなるにつれて、地下環境へ対応できるように自らの身体に改造を重ね、現在の姿になった。
 その過程で、この不幸な結果を招いた原因を感情に求めた彼らは、感情を抑制する方向にも改造を進めると同時に意識を種族で共有する様にも変化していった。

 長い地下生活の末に、地上へと出てみるとエイペックス星は元の位置から遠く移動しており、以前とは違う宙域に存在する星と成っていた。
彼らの種族は概ね3つに分かれるが、その原因は地下都市により身体的改造の方向が若干異なった為であるらしい。地下都市間の連絡が長期間に渡り途切れていた事が原因であるらしい。
現在の彼らの住処は、宇宙船、ゼータ・レチクル星など幾つかの居住バターンを持っている様である。先述のハローンは、宇宙船に居住しているらしい。

 ハローンに依れば、現在の彼らは感情を軽視し抑圧して来たことによる弊害を除くために再び感情を取り戻そうとしている。彼らにとって、私達地球人は感情が豊かで、遺伝子的にも彼らが失ってしまった情報を多く所有する種族であるらしい。
ある意味で彼らは存続を賭けて、地求人と自分達の混血種を造り出そうとしているのである。この本の中では、その結果としてエササニ星人の存在があると述べられている。
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by levin-ae-111 | 2011-10-27 05:19 | Comments(1)

『時間のない領域へ』

こういう題名の本を、数ヶ月前に買っていた。最初は「読むぞー」と勢いよく読書に取り掛かったのだったが、その内容について行けず放り出してしまっている。
サブタイトルは『多次元への旅』となっていて、著書はマイケル・J・ローズさんだ。
無論、無知な私は、この人のことは知らない。
内容は眠りに落ちたマイケルさんが、夢の中で彼女と共に様々な世界を旅して巡るというもの。ややこしいのだが、マイケルさんと彼女は隣同士で寝ている。二人が夢の世界を共有しているような、そうでないような出足から情況が飲み込めない。
それでも読み進めると、まさに夢の世界ならではの不思議な人々や生物たちが続々と登場し、その想像力の豊かさに驚きながらも拒否反応が出てしまいとうとうギブアップした。

 こういう内容の本はどうも苦手なのだが、どうして買ってしまったのか不思議だ。きっと時間が無くて慌てていたからか、他の本に目移りして予想される内容を読み違えたからか、我ながらどうにも解せない。しっかりと内容をチエックしていれば、絶対に買わなかった筈である。
どうも精神世界の事柄を扱った本には、こういった内容が多いような気がする。つまり、書いた当人以外の人が、内容を把握することが極めて困難な本が多いと思うのだ。
夢見る乙女といったような人々が想像力を逞しくして、気合を入れて読み進めでもしない限り、第三者には理解困難な記述が延々と続いているからだ。
勿論それならそれに相応しい読み方というものが存在するのに違いないだろうが、私にはそれが出来ない。御伽噺の絵本ならまだしも、曖昧模糊とした意味合いの言葉を散りばめて羅列した内容で、何を伝えようとするのか分からない。

精神的な事柄を言葉にするのは、大変な作業であるし読者側にもそれを理解する必要はある。何かを漠然と感じて貰えれば良い、それで読者の心に届く筈だなどという人もいるかも知れない。これは著者と読者の共同作業なのだと、そういう想いで書く人もいるだろう。
しかしである、言葉の限界を承知のうえで、できる限り読者の理解に近づく努力は怠ってはならないのではないだろうか。
そうは言っても、受け取り方は人により様々である。私の様に放り出してしまう人間もいれば、喜々として読む人もいるのだ。
今回の本は、自分に合わない内容のものを不覚にもチョイスした私が悪い。でも、時間が出来たら再びチャレンジしてみよう。縁あって出会った一冊に違いないと信じて読み進めてみよう。
それで著者の伝えたいことが少しでも理解できれば、損はしない筈だから。
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by levin-ae-111 | 2011-10-26 05:24 | Comments(0)

私が見る不思議な光景

 これは私の視力が弱い故の幻覚かも知れない。私以外にも見えるという友人はいるが、残念なことに彼も視力が良くない。
一体なにが見えるのかと言えば、天からビッシリと空間を埋め尽くすように降り注ぐ極微細の粒子が見えるのだ。
それは時にテレビ画面のチラつきのように、霧雨のように私の眼には映る。明るい晴天の日よりも、少し薄暗い曇天の日の方が見え易い。その粒子は建物の屋根をつき抜け、室内にも降ってくる。甚だしい場合には、本当に雨が降っているのかと勘違いしてしまう。
前述の友人は、製品検査の仕事をしており、最初の頃は微細な製品の傷と、この降り注ぐ粒子の区別がつかず困ったという。彼は私以上にそれが見えているらしい。

 それが見え始めた最初の頃は、山並などの遠くの景色を見詰めた時に僅かに見える程度だった。それが、最近では数メートル以内の近距離でも見ようとすれば見ることが出来る。
仕事中に窓から外を眺めると、濃密に粒子が降っている様が見える。中に時々だが少し大きい粒子も混ざっている。その粒子は風向きには左右されないらしく、強風でも流される様子が見られない。
これは一体何なのだろうかと、ずっと考え続けているが、最近ではどうやら気功でいう天の気ではないかと思っている。それとも、太陽からの荷電粒子を見ているのか、しかしこれは考え難い。

 他には物体の輪郭が二重に見えることだ。単なる乱視ではないか?と思われるだろうが、乱視の見え方とは明らかに異なる。その見え方の特徴は、物体の輪郭に沿って少し暗い影の様なもう一つの輪郭が存在しているかの様に見えること。
人間は勿論、無機物でも見える。しかし、無生物よりも生物の方がこの不思議なもう一つの輪郭は見え易い。人間の場合には無生物よりも輪郭の色が白み掛かっている。
自分の輪郭も勿論よく見える。手の指先からは、この影のような輪郭が微弱な光を伴って長く伸びている。この光は恐らく、肌に反射した電灯の光であろう。
 
そしてトイレなどの薄暗い場所で目撃する、身体から立ち昇る陽炎のような揺らぎ。時にはその影までが床に映し出されたりするのだ。
影が映るという事は、何かの物質的なものなのであろうか。それとも体温による陽炎現象であるのだろうか。
しかし不思議だからと言って、何もかもスピリチュアルな現象と結び付けて考える必要は毛頭ない。私だけが見えているのであれば、何らかの身体的異常が原因かも知れない。
それにしても、これらの現象は他の人も感じているのだろうか。
幸いにして、これらの現象は生活に何の支障もない。今日も濃密に降る粒子を何度も確認しながら、仕事をしていた。こんな日常が、もう十年以上も続いている。
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by levin-ae-111 | 2011-10-25 05:29 | Comments(4)

久しぶり本棚の奥で眠っていたビデオテープを取り出して観た。十年かそれ以前に観た映画「ユーガット・メール」だった。タイトルラベルも無いので、再生するまで何が入っているか判らない。でもVTRを観ながら思い出した。
確か誰かと映画館で観たと・・・。誰だったか定かではないけれど、女性だったはずだ。
 あらすじは、大手書籍販売店の経営者と街の小さな本屋の女性オーナーがメル友となり次第に相手に好感を抱き、恋に落ちる。主演はトム・ファンクスとメグ・ライアン。商売敵の二人がすったもんだの末にお互いの恋人を捨て、結ばれる。時々出てくるゴッドファザーの台詞があるけど、女性には全く???で男女の興味の違いを上手く表現している。トムとメグがコンビを組んだ映画は他にもあるのだけれど、それも素敵な作品だった。二人の主演ではないが「恋人達の予感」も好きな映画だ。戦闘やアクションシーンが全盛の今日だが、日常のありふれた男女の恋(実はちっともありふれてなんかいない)も心静かに楽しめて良いものだと思った。
 いや待てよ!「恋人達・・・」もメグの主演だったかも知れない。恐らくそうだファンと言いつつ何ていい加減な奴。メグ・ライアンさんごめんなさい。
 それにしても、大昔のVTRの持ちが良いのには驚いてしまう。他にも確実に20年は経っていると思える番組の録画テープも健在だった。懐かしい『ワンダー・ランド』何て番組が録画されていて、ついつい見入ってしまった。

他にも再び観たい映画がある。それはメグ・ライアンの映画ではなく、少しSFチックな作品である。全編にほのぼのとした雰囲気が漂っているのが何ともいえず好きなのだ。
それは『ニューヨーク8番街の奇跡』と『コクーン1・2』である。
ニューヨーク・・は、古いアパートの住人たちが地上げ屋に立ち退きを迫られている所へ、正体不明の小さくて可愛い円盤状の機械生命体が住み着き、住人たちの危機を救うというストーリー。
住人は食堂経営の老夫婦と元ボクサーの老人、売れない絵描きと出て行った夫を待ち続ける妊婦。
その住人たちが、悪辣な不動産屋に立ち退きを迫られるという話し。
社会的弱者たちの許へ飛んで来た機械生命体の夫婦と、アパートで生まれた小さな機械生命体の子供たちの心温まるストーリーがセピアカラーを思わせる温かな色合いの中で展開されるのが堪らなく癒される。
コクーンは、繭に守られて眠る金色の生命力の光に輝く宇宙人とホームで暮らす老人たちの話しだ。繭は生命維持シェルターで、海底に岩のようになって眠っている。それが海洋調査で引き上げられ、持ち去られてしまう。老人たちは自分たちを年寄り扱いするホームに反発し、密かに抜け出してプールで遊んでいた。そのプールで保管されていた繭から、生命力を得てどんどん元気を取り戻す老人たち。そこへ、救出に来た宇宙人の仲間が、老人たちと協力して仲間を助け出す。
交流を持った老人と宇宙人は、友情の絆を結んで老人たちは彼らの星へと一緒に旅だった。
パート2は、観光船の船長をする孤独な青年と宇宙人の女性のラブ・ストーリーを少し絡めて
更に帰って来た老人たちの切ない人生の選択もあり少しジーンとさせられる。
宇宙人たちの星に戻れば、不老不死で居られるが地球に残れば老化が進む。病気を抱えたその内の一人は、地球に戻って病気が進行し・・・・。

 兎に角、私の好きな映画は超大作とか破壊的な場面が連続するようなものではない。尤もその様なエンターテイメントも観るが、心に長く残り再び観たいと感じるのは、やはり上記の様な作品である。私達の日常に有りそうで無い、そんな微妙なシュチエーションが好感を持たせるのであろうか。メグ・ライアンのラブ・ストーリーにしても、有りそうで実際は99.9%有り得ないというところが良いのかも知れない。
その点で大勢の観客動員を目指す所謂『超・大作』は、ほんの一時的な興味を煽るに過ぎない気がする。しかし私達の日常とかけ離れ過ぎているから興味を惹くし、それこそが真実のエンターテイメントだと言われればそうなのであろう。
しかし単に私がへそ曲がり、天邪鬼なのだろうが、そういう映画は大金を投じて撮影されている割には内容が貧しいと感じてしまう。
まあ、単に私が変態・へそ曲がり・天邪鬼であるからに違いない(笑)
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by levin-ae-111 | 2011-10-24 05:18 | Comments(2)

猫の生き方

 ネコの生き方ってある意味で、本当に理想的かも知れないとフト思っています。
現在まで我が家で飼っていたネコは8匹くらいだが、いつも気ままに出入り
し暑い日は玄関でゴロゴロ、ドテーッと寝ています。
人間にメシを要求し、夜中に出入りするときは戸や窓を開けさせます。
人間はペットと思っているが、ネコにとって人間は召使なのかも知れないですね。
 名前を呼べば必ず応えてくれていたニニも、群れを率いている時は人間など無視していました。

 車で帰宅途中の夜、道路の真ん中で沢山のネコの眼光っていました。
危ないので停車し、窓から顔を出して見ると先頭にそのニニがいました。
「ニニっ」と声を掛けてみました。
こちらを見たニニは、プイッと横を向いて無視を決めこんでいます。
しかし、安堵したように堂々と車の前を横切り、群れの先頭に立って草むらに消えて行きました。

で、群れを率いていない時はスリスリ、ゴロゴロと人間におべっかを使います。
食事の時はテーブルの下にいて、父から順番におねだりしておかずを貰って回ります。家族全員におねだりして一周した ら、もう一回はじめから・・・ おねだり開始。
「もう、ないよ」と言われ、餌を貰えないと分かるとおねだりを終了し、最後は私のひざの上で丸くなる。

とても気ままで楽そうだが、それでも猫としての仕事もしていました。毎日の夜回り、敵の侵入に対しては敢然と立ち向かい傷だらけになる事もシバシバでした。
気ままな生活に見えるネコも、男は辛いよってとこでしょうか。
でも男としては結構、カッコいい生き方と思えるのです(^-^) 
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by levin-ae-111 | 2011-10-23 07:55 | Comments(0)

パワースポットの不思議

 昨今、流行のパワースポットといわれる場所の幾つかへ出掛けた時の経験から、自分だけのパワースポットの判断基準が存在する。
それは日頃から運動不足の私ならではの判断基準なのだが、それが有るか無いかによりパワースポットなのかそうでないのかを勝手に判断している。
その実績はといえば実のところ大した数はなく、位山(岐阜県)・尖山(富山県)・戸隠神社奥社(長野県)という限られたものでしかない。
しかし、この3箇所はいずれも上り坂が続き、そこそこの距離を歩くことが必要な場所である。運動不足の私なりの判断基準とは、その場所へ行って歩いた結果として筋肉痛に成るか成らないかということ。

 位山は下のスキー場から林道を歩いて登ると、山頂までは恐らく5キロ以上はあると思われるので、往復すれば10キロ以上の山道である。足元が悪く傾斜もキツイので、私などは途中で数回の休憩が必要になる。フリーターだった頃に登ったのだが、当時は近所のコンビニへ歩いて買い物に行くだけでも足がだるくなり筋肉痛に成ったものだった。
そんな私が、いきなり位山へチャレンジしたのだから結果は言うまでもない。
ところが・・・。
流石に登っている時は辛く、翌日の筋肉痛の激しさを思うと憂鬱であった。だが途中で天の岩戸へ寄り、山頂で涼むとそんな不安も消えていた。しかし帰宅してから、筋肉痛の不安が再び頭を持ち上げてきた。しかし翌日は筋肉痛に成らず、歳だから明日かなどと考えている内に数日が過ぎて、筋肉痛はとうとうやって来なかった。

 尖山はコースこそ短いものの、その傾斜は位山以上に強く、本当に辛かった。山肌に造られた急階段が延々と続く。途中にはマムシその他の蛇や、大きなスズメバチにも遭遇したりする。
これは完全に筋肉痛だと覚悟したが、結局は筋肉痛に成らずに済んだ。位山も尖山も何度も歩いたが、一度も筋肉痛に成った経験がない。
その原因は何であろうかと考えてみる。無知な私には、たった一つの原因しか思いつかない。
それは正真正銘のパワースポットであるからだろう、というもの。
そんな事を勝手に何となく、ぼんやりと思っていた。
最近も戸隠神社の奥社に詣でた時に、予想もしていない程の道のりを歩いた。一緒に行った二人は辛そうだったし、私も実際に辛かった。杉並木に入る辺りから奥社の参道は急激に登り勾配を増す。その週は仕事の疲れが足に来ていて、日ごろから痛みや筋肉の張りを感じていた。これはヤバイ!と密かに思っていた。でも一方で、本物の聖地ならば筋肉痛は大丈夫だという変な確信もあった。

一緒に参拝したのは、MさんとS君である。のMさんは私より10歳も年上だし、S君は20歳近くも若い。このヘンテコな歳の差トリオで、奥社の長い長い参道を歩いて行った。
不安は感じていたが、私はまたまた筋肉痛は出なかった。
このS君とは毎年、坂の町アートへ一緒に出掛けるが、今年は戸隠神社へ出掛けて歩いたのでS君は来なかった。彼は筋肉痛に成ったと言っていた。
Mさんの方には・・・聞いていないが、恐らくは(笑)
でっ、私はその坂の町アートで無謀にも何百段あるのか分からない程の階段を登った。勾配も急であり、上が見通せない。これもヤバイ、かなり足に来ていて、帰りの階段を下りる時は用心しながら降りて来た。

 それで結局のところ筋肉痛は、やっぱり発生しなかった。あれっ?この山は聖地でもパワースポットでもないのに何故だろうという疑問が鎌首をもたげて来る。
やはり勝手な思い込みだったのか。
だが戸隠神社も位山も尖山も、帰った翌日は身体が軽く感じたものだが、この階段を登った翌日には脱力感と疲れが襲って来た。
そう言えば、ゼロ磁場の有名なパワースポットである分杭峠では、行き帰りが遠いせいもあるだろうが、翌日はグッタリとなった事を思い出した。
これは私が自分の経験から勝手に考えていることだが、パワースポット・聖地とひとくちに言っても、人により相性の様なものが存在するのかも知れない。
私の場合はそのバロメーターが、筋肉痛ということなのだろうと、またも根拠の無い勝手な想いに浸る私であった。
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by levin-ae-111 | 2011-10-22 05:18 | Comments(2)