身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


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信長暗殺と伊賀侵攻

 織田信長が天下統一の完成を目前にして、本能寺で殺されたのには無論のこと理由がある。その理由の一つが、伊賀攻めにあるとも云われている。
信長は忍者を「人外の仮生」と呼び、日頃から嫌っていた。奇怪な術を使う忍びを、気味悪く感じていたのであろう。
伊賀は忍者の伝統を古くから受け継ぎ、それを保っていた言うなれば、忍者の聖地であった。四方を山に囲まれ、その山々も修験道の山であり、忍術の修練に最適の地であった。
その伊賀は古くから幾つかの土豪たちが集まり、一種の自治共和国を形成していた。

信長の伊賀征伐の直接の原因は、息子の信雄が伊賀に手を出し、父に無断で丸山城を修築した。この丸山城を拠点にして、伊賀に侵攻しようとした信雄だったが、この城は伊賀勢によって簡単に壊滅させられてしまう。
驚いた信雄は翌年に軍勢を率いて、青山峠から伊賀に攻め込んだが、無残にも敗北した。
この伊賀への侵入前に、信雄は父親に泣きついたが、逆に不甲斐なさを叱責されて親子の縁を切るとまで言われていた。

 しかし、そこは親子だ。息子が散々に敗北すると、怒った信長は石山本願寺を壊滅させた後で、4万5千もの大軍で四方から伊賀に攻め込んだ。
対する伊賀勢は3千程度に過ぎず、忍術を駆使しての必死の防戦も実らずに敗北を喫した。
信長は夜陰に紛れてのゲリラ戦を得意とする伊賀勢に対して、昼間よりも明るくなる程に松明を焚いたという。
この伊賀攻めでは、徹底的な焦土作戦と、伊賀の住民たちを皆殺しにするという残酷で凄惨な戦術がとられたと伝わる。伊賀が燃える様子は、遠く奈良からも見えたという。

圧倒的な勝利を手にした信長だったが、これが後に本能寺の変へと繋がる原因のひとつとなってしまうのである。信長は叡山焼き討ち、石山本願寺攻め、伊勢長島の一向一揆の鎮圧、日吉大社の焼き討ちに加えて、この伊賀での戦で山の民(サンカ)を完全に敵に回してしまったのである。
阿鼻叫喚の地獄から必死で脱出した人々もいた。百地丹波、藤林長門などの忍者たちは信長の手を逃れて生き延びた。この時以来、彼らは伊賀無足人となった。彼の松尾芭蕉もまた、この伊賀無足人の血を引く者と言われている。

その強引で残酷な信長の手法が、あちらこちらで恨みを買い、その勢力が地下で浅からぬ縁で結ばれていたとしたら、信長包囲網が完成するのは自然なことであろう。
戦国時代に一人前の武将であれば誰でも少なからず持っていた自身の闇が、強大な暗黒となって信長自身を呑み込んだ結果が本能寺の変なのであろう。
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by levin-ae-111 | 2012-05-31 05:29 | Comments(0)
 まだ記憶に新しいイラクへの侵攻、最後には大統領のフセインを穴倉のネズミのように引き出して殺し、アメリカは勝利した。果たして戦前にいわれたようにイラクは大量破壊兵器を所有していたのか。戦後の調査でも、その様なものは発見されなかった。
だが実際のところアメリカにとって、それはどうでもよいことだった。何故ならば、根も葉もないことで、言い掛かりをつけて戦争を仕掛けるのは彼らの常套手段だからだ。

 第二次大戦が勃発し、ドイツ第三帝国の電撃的な攻勢の前に、ヨーロッパ諸国は忽ち占領されてしまう。ただ一国、大英帝国のみが命脈を保っていたが、それも風前の灯である。
チャーチルはアメリカに援助と参戦を求めたが、アメリカは動けなかった。
何故ならばルーズベルト自身がヨーロッパの戦争には参加しないと明言していたからだ。
しかも第一次大戦で多くの若者を失った合衆国の世論は、反戦一色に塗りつぶされている。

 元々からアメリカは国土が広く、多くの州から成っているために国内で多くのことが完結してしまっているから始末が悪い。スポーツやミスコンの国内大会を「ワールド」と呼ぶ国柄だし、外のことには余り興味がない。
 そこで一計を案じたルーズベルトは、その頃に目障りに成りつつあった日本を戦争に引きずり込むことにした。国務長官ハルが無理難題を日本に提示し、譲歩を示されても無視し続けた。その甲斐があって、日本は真珠湾を奇襲する。
そしてルーズベルトが不意打ちを吹聴すると、単純な民衆は忽ち参戦へと傾倒して行った。これでルーズベルトは世論の追い風を受けて、待望の戦争へと舵を切ることに成功した。
日本とヨーロッパでの両面の戦争になるが、日本の方はすぐに型がつくと考えていたのであろう。

また1898年にアメリカとスペインが戦った戦争では、キューバの支配権を巡ってアメリカは策略を弄している。キューバへ多額の投資を行っていたアメリカは、その経済的支配権をキューバの宗主国スペインから奪うべく思案を巡らせていた。
戦争を仕掛けるにしても、自分達が悪者となっては成らない。そこで自国の戦艦をハバナ港で自爆させ、それをスペインの仕業として喧伝した。
この時もアメリカ国民は政府のプロパガンダに嵌り、開戦の機運が高まった。これを背景にアメリカはスペイン軍のキューバ撤退を求めたが、スペインは宣戦布告でこれに応えた。 
 しかし一方でスペインからの独立を宣言したフィリピンの声明を認めず、戦争になりアメリカはこれを支配下に置いてしまった。

さらにベトナム戦争も同様な手口で、自国の駆逐艦を自沈させ、北ベトナムの仕業と決め付ける汚いやり口を使っている。
この様にアメリカは自らが望んだ戦争であれば、如何なる謀略を以ってしても相手から先に仕掛けさせるという手段を取っている。また、その以前には、戦争も止むなしという世論と空気を作り上げることも忘れない。
イラク戦争では中米大使の娘に偽証をさせ、それを全世界へと報道させ世界を騙し、自国の戦争を正義の戦いに見せ掛ける工作を行っている。

 アメリカやイギリスの身勝手な正義を他国に押し付ける、このやり方は彼らが昔から使い続けているイカサマである。真に危険なのは彼らであり、決して彼らと戦った他国ではなく(ナチス・ドイツを除いては)アメリカ・イギリスであると私は思っている。
冷戦時代にはソビエトが対極の敵として設定されていて、それ故に国防費もふんだんに使えた。兵器産業を中心に、アメリカ経済は潤っていた。
そのソビエトを誕生させたロシア革命の策源地は、アメリカにあったらしいという話しは知られているところであろう。

 日本も戦後の独立は形ばかりで、歴代の政権はアメリカの御用聞きのようなものであった。3.11の大災害でもアメリカの原子力専門家?連中が総理官邸に常駐させろと、政府に迫ったのはその証拠である。
現代日本の国民生活を省みない政治家たちは、アメリカを観ているのだ。その結果、多くの点で行き詰まり、一年ごとに首相が変わるなどと馬鹿げた現象として現れたのだ。
あらゆる点で納得が行かない政府の態度の裏には、まずアメリカ在りきという愚かな想いが存在しているのであろう。
彼らの汚いやり口に最も染まっているのは、他ならぬ日本である。私達はアメリカに盲目的に追従することを止めるべきである。こんな汚いやり口は、いつか世界の反発を招くに違いない。
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by levin-ae-111 | 2012-05-30 05:39 | Comments(0)
 有名なシャーリー・マクレーンの著書「アウト・オン・ア・リム」をはじめ多くの精神世界関連の書籍を翻訳し、日本に紹介してくれている山川紘矢・亜希子夫妻へのインタビューから。
夫妻は共に東京大学の出身で紘矢氏は22年間、大蔵省に勤務。亜希子夫人は大学院を経て外交官夫人として過ごすなど、超エリートのご夫妻である。
その二人が「精神世界」に目覚めたのは40歳を過ぎてからと、意外に遅い。
発端は紘矢氏があるセミナーに出席したことだった。そこで初めて自分の内面を観るという経験をし、それまでと人が変わったようになったことだった。

 亜希子さんは、その変貌ぶりに驚き、最初は新興宗教か何かに夫が引っかかったと思ったという。鉱矢さんに誘われても、断り続けていたが、ある時、自分の尊敬する職場のかつての上司も同じセミナー出身と知り、彼女も参加した。
そんな折に紹介されたチャネラーから、サンジェルマン伯爵の話しを聞き、伯爵から直接のコンタクトがある筈だなどと告げられる。そして「アウト・オン・ア・リム」を翻訳した時、最初にサンジェルマン伯爵から自動書記というかたちで亜希子さんにコンタクトがあったのだ。

 サンジェルマン伯爵をはじめとする霊団とのチャネリングが始まり、それが頻繁になるにつれて紘矢さんは喘息が出はじめた。しかし薬は飲むことは霊団から許されず、その後5年以上も続いた。その間に紘矢さんは、感謝ということを理解し、実践できる人へと人格の変容を果たした。霊団からは「もうすぐ治る」というメッセージを再三受けたが、それは全て嘘だった。40歳代という男盛り働き盛りの大切な時期に病を得て、霊団に対する憎しみは湧かなかったのだろうか。
しかしそれは少しも感じなかったと、紘矢さんは語る。体重は40キロ台にまで落ち、ガリガリに痩せた。闘病中に長年務めた大蔵省も辞めた。
 夫妻によれば、この紘矢さんの病には身体を浄化して、胸のチャクラを開かせる目的があったという。

 チャネリングをする亜希子さんは、チャネリングに関して興味深いことを話している。それはチャネリングで伝えられる情報についてのものだが、チャネラーの中に無いものは出てこないということ。普通はチャネラー自身が知らないことでも、メッセージとして伝えられれば出てきそうである。
イメージとしては、メッセージを受け取り、その内容をそのままオウム返しに伝えればOKではないかと思い勝ちである。しかし、現実は違う。
現実のチャネリングでは、私達の言語とは異なる信号を受信し、それをチャネラーの中で置き換える必要がある。その作業は意図して行っているという自覚は、チャネラーには恐らく無い。

 変換作業は無意識に行われるが、その際にチャネラー本人に何の手掛かりとなる知識も概念も存在しない場合は、その部分が翻訳されて表現されることは不可能だ。されはあたかも英語しか載っていない辞書を使って、日本語を翻訳しようとするにも等しいからだ。
従ってチャネラーは自分の間口を広げる為にも、勉強をしなければいけなくなる。
殊にチャネラーが意識を保ったままで行うコンシャスチャネリングにおいては、尚更この要素が強くなるであろうと予測される。

結局はチャネラーといっても万能ではなく、普通の人間であることに変わりはない。全知全能の神のごとく振舞うチャネラーは、嘘をついていると考えて間違いはないだろう。
そういう行為そのものが、既に人間としての道に逸れたものであり、チャネリングを行う資格は許より無いと思って良いのではないか。
精神世界ブームの昨今、様々な意味で特殊な能力としての霊能が持て囃されているが、それにつけて偽者も多いことに留意しておかねばならない。
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by levin-ae-111 | 2012-05-29 05:25 | Comments(0)

 大化の改新とは中大兄皇子と中臣鎌足による、一大改革として捉えられている。その目的は蘇我入鹿の専横を正し、権力を正当な持ち主(天皇家)に帰するというものであったと、されている。その目的どおりに、蘇我入鹿を成敗した直後に即位した孝徳天皇により改新の詔が出され、様々な制度改革が成されたとされている。
私達が学校で習った大化の改新は、概ね上記のような内容であったと思う。

 だが研究者によっては吹聴されている大化の改新は、日本書紀による創作か後の世の過大評価ではないのか?と考える人もいる。
その論拠は日本書紀に記されている大化の改新の模様が、如何にも不自然であり、後世でしか現れない制度などが堂々と登場するからである。
例えば、正月に詔が出されたことは、大化の改新以前にも以後にも無いことが挙げられる。
また「国、郡、県(くに・こおり・あがた)」を整備し、令制国とそれに付随する郡に整備し直したと伝わるが、この郡という用語は大宝律令以後の用語であり、大化の改新当時は評(ひょう)という用語を使用していたらしい。これは、出土した木簡から明らかになっている。

戸籍や計帳の作成と公地を公民に貸し与える「班田収受の法」を実施したとも伝わるが、これとて701年の大宝律令に到って初めて登場するのであり、それ以前は存在が確認されていない。公地公民を謳いながら、豪族たちには土地の領有が依然として認められていたので、大化の改新は中途半端で小規模な改革に過ぎなかったとする見方がある。
何れにしもて七世紀に何らかの改革が行われたのであろうが、それは645年よりもかなり遅れて行われたのではなかろうか。
そして日本書紀の記述を改ざんしたのは、藤原不比等ではないかとする説が有力である。それは父鎌足の業績を大きく高く見せる、という動機で行われたものかも知れない。

 私達が常識、定説として信じている歴史上の出来事や人物たちの実相は、果たしてどんなものだったのだろう。大河ドラマや映画で描かれる武将たちは、本当にあれほどに格好が良く、スマートだったのか?答えは否であろう。
私は時々、変な想像をして一人でニヤニヤすることがある。例えば秀吉と伊達政宗の対面の場面など、想像すると非常に面白い。片方は尾張弁でミャーミャーと言い、一方はズーズー弁なのだ。
話しが通じたのだろうか?それとも通訳が存在したのか?直接は会話せず筆談だったとか・・・などとあらぬ想像をしてしまう。
そう考えると大化の改新も実は、伝わっている程の大改革ではなかったかも知れないという説もまた十分に可能性があるのである。
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by levin-ae-111 | 2012-05-28 05:31 | Comments(0)

 前回のシリーズで『精神世界が見えくる』から、ニール・ドナルド・ウォルッシュ氏の有名な著書『神との対話』が生まれた背景について少しだけ書いた。ここから今映画『リング』3Dが公開されているが、その原作者である鈴木光司さんのインタビュー内容を取上げてみたい。

 鈴木光司さんといえば、上記に記したように一連の恐怖小説「リング」「らせん」「ループ」の三部作が有名だ。「リング」は映像化され、観る者に底知れるほどの不気味な恐怖を与えることに成功した。それまでの恐怖とは一味違った作品であった。
鈴木氏は少し変わった経歴の持ち主で、高校時代はヘビメタバンドを結成し、それに熱中する余り勉強をせず成績も最低ランクだった。卒業後は電報配達で食べながら小説を読むことに熱中したそうだ。無論、作家になるというイメージを抱き続けていたことは確かであろう。
ここまでは世間でも幾らかはありそうな話しだが、鈴木氏には特異な能力があった。彼は小学生の頃から「作家になる」という強いイメージを抱いていた。そのイメージ力の凄さは例えば、電線の中を流れる電流をイメージすることも出来たほどであったという。

 意外なことに鈴木氏は、恐怖や心霊には興味を持っていなかった。それだからこそ返って型にはまらない、「リング」のような恐怖物語が書けたのだ。マニアックな常識に縛られないその発想は、新鮮であり意外な盲点であったから、恐怖現象や心霊現象のマニアにとってもショックを受けるような作品に仕上がったのだ。
鈴木氏は「リング」を書くに当たって、何も計画しなかったのだと語っている。一度に四人の人間が死ぬ、そういう小説を書こうと考えただけだったという。ここにも彼の持つ強烈なイメージ力が働いており、特段に構想を練ることも必要ではなかったらしい。

 作品を書き上げるに当たって、或いは、その作品の後々の行方(例えば売上げ部数など)に関するエピソードが幾つか語られているが、私にとってこの際、それはどうでも良いことであった。
それよりも、鈴木氏のシンクロニシティや宇宙、死や人間の進歩に関する考え方が非常に面白いと感じた。
シンクロニシティを感じる人間が成功している、という彼は自身で多くの成功者と呼ばれる人々にインタビューも行っている。成功者と呼ばれる人々は、皆、似た様なことを語ったという。彼らは一見して全く無関係の事象を関連づけて考えるということだ。
海面に浮んだ二つの氷山は、実はその下で繋がっているかも知れない、そう考える彼らはチャンスを逃さずにものに出来たのだという。

 例えば朝、椅子の向きが何時もと逆になっていた。その日に財布を落とした。この一見して無関係の二つの出来事を、結びつけて考えるのだそうだ。
そういう些細な現象から、直感や水面下の繋がりを察知し、彼らは成功者たり得たのだというものだ。

 それから宇宙に関する考え方も面白い。目前の光景は、実際に存在していないかも知れない。私がタイプしているこのPCも、今、飲み干したブラックコーヒーも、実際に存在しているか、本当は疑わしい。それは脳が作り出した幻影かも知れず、DNAと呼ばれる遺伝が創り出した仮想空間であるかも知れないからだ。
DNAがイメージする世界が広がると、宇宙も広がる。極論すればイメージに対応して宇宙は際限なく膨張せざるを得なくなる。
 私達は意識の主体であるから、それが周囲の全てを認識することにより、周囲が初めて存在として現れてくる。そうであれば、一つの宇宙に幾つもの意識的主体が存在するのはおかしいと鈴木氏は考える。

 従ってこの宇宙には私達地球人類しか知的生命体は存在しない、という結論に達する。しかし鈴木氏は私達以外の知的生命体の存在を否定しない。何故ならば、一つの宇宙に一つの知的生命(意識の主体)しか存在しないとしても、次元的相異、つまりは動的に異なる世界は無数に想定可能だからである。
 それからこの話しのような抽象的概念が出で来ること自体が、人間の進化であると鈴木氏は言っている。それは言語の発展と密接に関連している。
それについて、私はこう理解している。昔は現代ほどに多くの人々が言語を自由に操れなかった、そのことが意識の及ぶ範囲を限定していたから必然的にあらゆる考えの範囲も狭められていたのだと。

 したがって例えば「死の恐怖」も、昔の人の方が現代人よりも少なかったかも知れないと鈴木氏は考えているらしい。極端に言えば馬や猫よりもカエルの方が「死」に対する恐怖はより少なく、カエルにいたっては感じていないだろうという。
それは「死」という現象に対する概念が存在しない、或いは極めて貧弱だからだ。「死」を知らなければ「死」に対する恐怖も存在しない。
当然であるが、しかしこれは詭弁に過ぎないと思う。この世に生まれた以上は、本能的な保身という機能が全ての生物には備わっている。例え知的でなく「死」という概念を持ち得ないとしても、それこそDNAの欲する種としての存在という大儀名分がこれにとって代わるのである。尤も鈴木氏のいうのは「死」という概念に対してのことであるから、その意味では正しいとも思うのではあるが。

 さて鈴木氏は現代の方が、過去のいかなる時代よりも素晴しいという。そして彼が提唱するのがループプロジェクトの推進である。ループプロジェクトとは、コンピューター上の仮想空間に生命を誕生させるプロジェクトである。仮想世界には突然変異や寄生、免疫などの全ての条件を入れ込み、そこに誕生した生命がどう進化するのかを観察する。
それを使い未来を予測することにより、現実世界の私達の意識改革を促し、問題に対処するというものだ。
これは不可能に思えるかも知れないが、現代の技術でさえも100年前の人々にとっては不可能なものばかりである事を考えると可能性は少なからず存在する。
人間がこの世界を意識している主人公である以上は、人間の力をどれだけ信じるかが個人としての全体としての未来も、そのあたりに鍵があると思うと述べている。

 鈴木氏は精神世界を余り知らないというが、それでも彼の描く小説の内容や、インスピレーションの受け取り方など十分にスビリチュアルなのである。それは一流のアーチストに共通する特技なのであろうか。私はそうは考えない。
ただ物事にたいする注意力の差だけなのであろう。それは感性が敏感だとか、鈍感だとかいう問題でもないような気がする。求めているかどうか、という部類の問題であると考える。感知するかしないかは別にして、見えない世界から多くの支援が行われていると私は信じたい。
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by levin-ae-111 | 2012-05-26 20:54 | Comments(0)

縄文時代の戦争

 縄文時代は、リーダーこそ存在したが基本的に身分や貧富の差がない平和的なイメージが一般的だ。しかし2002年、土佐市で発見された縄文晩期の居徳遺跡から、どうやら戦闘によって殺されたと思われる人骨が発見された。
それはバラバラにして遺棄されていたが、成人男女9人分の遺骨であることが判明した。
その骨には傷付けられた痕があり、国内最古の戦争の犠牲者たちであると考えられている。

 骨製の矢尻で穴が開いている骨や、金属製のノミ状のもので何度も刺された痕跡が見てとれたからだ。集落同士の争いとも考えられたが、発見された骨は鹿やイノシシの骨と共に捨てられていたので、死後すぐに解体されて特定の部分だけが捨てられたものと考えられている。
 さて、鹿やイノシシの骨と一緒に捨てられているとなれば、私などは嫌な推測をしてしまう。それは食人習慣を持つ人々の仕業であり、殺された人々はその餌食に成ったのではないかという疑問である。

 ここに面白い説がある。『飛騨福来心理学研究所』を主催されていた故山本建造氏は、天皇家のルーツを飛騨乗鞍岳の麓へ求めている。
『淡の上方様』と呼ばれる天皇家の祖先は、平和の内に住民たちを統治していた。しかし大陸からの渡来者が増えるにつれて、悲惨な事件や争いが多くなって来た。
これを憂慮した『淡の上方様』は、方々へ人を遣わし渡来人の監視と上陸阻止に当たらせた。その渡来者たちは食人習慣を持っており、日本の人々はその犠牲になっていたのだと説いている。
この戦争の痕跡を残す縄文人たちの遺骨は、それが一部では事実であったことを示しているかも知れない。

 確かかどうかは知らないが、北京原人の住んでいた痕跡のある場所から、原人の子供の骨が何体も出土しているという。また古代の中国では、敵に囲まれて孤立した城砦国家では、住民たちがお互いの子供を交換して食料としたものらしい。
ある本によれば、つい100年程前まで中国では食人習慣が残っていた。彼のマルコポーロも、中国ではいつ殺されて食べられてしまうか心配だと書き残しているらしい。
これらのことから、荒唐無稽に聞こえる山本氏の説も、あながち出鱈目とも言えないのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-05-25 05:25 | Comments(2)

少年時代

 昨日は、友人のラジオ出演を聴こうと久々に古いラジオを取り出して、少し懐かしい気分に浸りました。そこで、今日は懐かしついでに、子供時代に夢中になった番組の話しです。私が小学生の頃は現在のように多くの子供向け番組は存在していませんでした。
そんな中でも土曜日の7時から9時は、子供にとって最高の時間帯でした。何しろ「巨人の星」や「黄金バット」それから「謎の円盤UFO」と、立て続けに見逃せない番組が放映されていたのですからたまりません。

 それから「サンダー・バード」やその系列のシリーズ「キャプテン・スカーレット」「ジョー90」なども忘れてはいけません。それから「赤き血のイレブン」などは、差し詰め今でいう「キャプテン翼」のような存在でした。
そういう子供時代に夢中になった番組が、現代では好きなだけDVDで観られるのですから嬉しい限りです。
 私の場合は、ここ数年の間で盛んに出版されているマガジン形式の雑誌(何々を作るとか、何々コレクション)の創刊号から気に入ったものだけを購入します。
そうして安価で入手したDVDは、子供時代の懐かしい番組ばかりです。サンダー・バードや謎の円盤は、とてもよく出来ています。未来的なフォルムのメカは、本当に素晴しく先進的なものでした。

 それから、この日記を書きながら思い出したのは、私の子供時代の物価でした。昭和40年代のお話しですが、一日10円も持っていれば小学生には十分な時代でした。
記憶しているのは、鉛筆1本、アイスキャンデー、菓子パンなどは5円でしたし、10円出せば少し小さめのアイスクリームが買えたものでした。直径が3センチくらいの飴玉が1個1円だったなぁなどと思い出が尽きなくなってしまいました。
まあ当時の大人たちの給料が1万~2万程度だったのを考えると、決して安い物価とは言えませんでしたが、それでも少しの物で幸せを感じられた良い時代だったと思います。

 大人たちも大らかで(田舎だったからかも)、子供たちは毎日夕方まで遊び、先生が「もう帰りなさい」と言うまで夢中になって遊んでいたものです。時に先生の気が向くと、授業を止めてクラス全員で川遊びや冬には雪合戦などをしたものです。
古き良き時代、私の育った北陸の山村も賑やかで、大勢の人々が住んでいました。懐かしい郷愁を誘う物は、一瞬にして昔の時代に私達を連れて行ってくれます。
胸の奥にほんのりと小さな明かりが灯る、たまにはそんな時間の過ごし方も悪くはありません。
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by levin-ae-111 | 2012-05-24 05:26 | Comments(0)
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 友人が本日22日に、地元FM局の番組に出演が決まったと、メールしてきた。どこの局かというと、富山のミニFM局で、隣の市の局だった。
周波数と放送時間を知らせてくれたので、半分は無理と思いながら、懐かしい高性能ラジオ「スカイセンサー」を数年ぶりにとり出した。
 もう古いのだが、電源を入れるとちゃんと作動して、ピーピー、ガーガーと懐かしいノイズを楽しみながら周波数を合わせてみるが、やはり拾えない。
と、いうことで、諦めました(笑)
その時の模様は、頼まなくても友人が教えてくれるに違いありません。
 
 ところで、スカイセンサーとはS○N○が販売していたラジオで、MM・FM・SW1・2・3と中波から短波まで受信でき、尚且つ音質も良いという優れものだった。
確か中学生の頃だったか、深夜放送を聞きながら眠るという習慣があり、必然的に受信機にも興味を持つことになった。
海外の短波まで聴ける、スカイセンサーは私の憧れの的だったが、不思議なことに手に入れた時のことは覚えていない。恐らく、もう興味が薄れ掛けた頃に、買ってもらったのかも知れない。

 高校生になると部活で忙しく、疲れていたので何時しかラジオを聴くことも少なくなっていった。そして埃まみれに成ったラジオを仕事から帰り、いの一番に取りだしたのだが、懐かしいラジオを見てまた聞いてみようかと思った。
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by levin-ae-111 | 2012-05-23 05:04 | Comments(0)

父とM君

 M君と久し振りに一緒に仕事をした。M君は先日自損事故を起こし、愛車を壊した。それで、新たな車を探していた。
それが見つかって購入を決めたというのだが、やっぱり違う車の方が良かったかなぁとか、自動車屋さんがネットで探したので、どうかなぁなどと、決めて申し込んでしまってから何だかんだと言う。

 私が「申し込んでしまったのなら、今更もう遅いよ」と言うと、納得して黙った。しかし、今度は写真で見た車のタイヤが磨耗していたから、何処のメーカーのタイヤが良いかなぁ、とまた迷い出して、仕事中はその話しばかりしていた。
どうも、何かを決めた後でもあれこれと迷い心が定まらない傾向があるM君、彼のこの性格は実に私の父親にそっくりだ。

 先日、仲の悪かった親戚の叔父さんが亡くなった。その通夜に行くとか行かないとか、父は全くハッキリしない。
その故人からは、以前に叔母の葬儀で謂われもなく酷い言葉を投げつけられていたし、その子供たちからも両親は無視されていた。他にも過去に、その家の人々から様々な迷惑を我が家は掛けられている。そんな事情もあり、父は迷いに迷っている。
何事につけて決めてからでもウジウジと悩み、言うことがコロコロと変転する。そんな父の傍で母は、いつもイライラしている。妹は感情的になり、通夜にも葬儀にも行く必要はないと主張している。
 
父はその場では口を合わせているが、依然として迷っており自分の意志を明確にしない。結局は私に決めて欲しいと言って来た。私は迷わずに、行きなさいと指示をした。
そして私自身も、葬儀には出席できないが通夜には行くことにした。私も故人には良い印象などカケラも無いが、今後の為に参加した。今後とは何時か必ず訪れる両親のその時のことだ。
 先日も友人とその様なことで話しをした。もしもの時はどうするか、長男としては腹を括っておかねばならない。疎遠な親戚との付き合いは、両親の代で止める積りだとか、迷惑だから遠方の縁者には知らせないなど、様々なことを予め決定しておく必要がある。

 妹や弟たちは、そんな事を考える必要もなく、ただ感情的に意見を言う。長男はそうは行かないのだよ、兄弟たちよ。私は感情的な面よりも、故人の葬儀をする人の立場が気になるのだ。世間では、同僚や知人の縁者というだけで見ず知らずの人の葬儀に参加し、苦しい懐から御香典や御仏前を出すではないか。それならば、幾ら仲が悪かったといっても親戚である限り、通夜や葬儀に誰かが顔を出すのは常識であろう。

その点で、私の中で是非はないのだ。例え結果として相手が我が家の通夜にも葬儀にも顔を出さずとも、感情的になって程度の低い連中の居る次元までこちらが落ちることもない。
逆に縁が切れて、清々するというものだ。私の考えは極めてシンプルなのだ。
行くべきは行く、最初から明確だ。妹たちの様に感情に振り回されて、自分自身で余計な苦しみを作り出す必要もない。
 ますます複雑さを極める現代社会、少しでもシンプルに考えることは、楽に生きる手段の一つにもなるだろう。

私達は、日頃から複雑なことが高度なこと、或いは良いことだと思い込んではいないだろうか。真に高度なこと、良いこととはシンプルで物事に対して効果的なことであると私は考えている。反対に必要以上に複雑なやり方や手順は、エラーが発生し易く決して高度な方法とは言えないと思っている。皆さんは、どうお考えだろうか。
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by levin-ae-111 | 2012-05-22 05:25 | Comments(4)

 中大兄皇子と共に蘇我氏を打倒し、日本史の表舞台に躍り出た中臣鎌足は、その後に政権の中枢を支配した藤原氏の祖として有名である。
一方で、中大兄皇子は後に天智天王として即位する。中大兄皇子と鎌足が蘇我入鹿を討った理由は、様々に推測されているが結局は政治的な姿勢の違いが原因であろうと思われる。

 さて、大化の改新後も中臣鎌足であったが、病床に臥した鎌足に天智天皇が藤原姓を与えたものと云われている。鎌足自身はその後に病死しているが、最期は中臣鎌足ではなく藤原鎌足として亡くなったらしい。
更に天智天皇は藤原姓に加えて、大臣の位も一緒に与えていることから、鎌足自身よりもその後継者に、より政治的な力と資格を与えたかったのかも知れない。
というのも、中臣姓のままでは古代の氏姓制度に縛られており、中臣氏が政治の中枢に加わるのは困難だと考えられたからだ。中臣氏は古代の制度では「連(むらじ)」に当たる。
「連」は特定の職業に従事する人々であり、他には大伴、物部(両方とも軍事関係の職業)などがあり中、臣氏は祭祀に関わる職業の姓である。

 これでは中央政界では動き難いので、大織冠の位を与え、「連」の上の「臣」に格上げし、更に藤原の姓を与えて、その動きを助ける目的もあったに違いない。そのお陰で、鎌足の息子である不比等は政権の中枢に、それ以後も長々と続く藤原氏の権勢の基礎を築いたのである。

 中大兄皇子は日本書紀によれば、母親の斉明天皇が死去してもすぐには即位せず、母の死後6年も経てから即位したのだという。その理由も明確ではないが、どうやら朝鮮半島への遠征の失敗の責任を取ったものと思われている。
そもそも、蘇我氏との対立も朝鮮半島政策の食い違いという側面も否定できず、半島のどの国を支援するかという意見の対立があったのかも知れない。
更に実は藤原鎌足とは朝鮮半島の国、伽耶国の王族の血を引く人物であったという説や、天智天皇自身がそうであったとする説もあるらしい。

 その点について歴史書は余り語らないが、日本がこうした海外情勢の影響を強く受けるのは今も昔も変わらない。歴史上の出来事は実際にどうだったのか明確ではないが、それを推理するのは面白い。
中大兄皇子や藤原鎌足が活躍した時代と現代は、人々の身の回りは随分と様変わりしているが、人間の心理的な反応は物質的な環境の変化ほど変わっていないと言えるのかも知れない。その辺が現代の私たちに、歴史上の出来事を推測する手掛かりを与えてくれるのだ。
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by levin-ae-111 | 2012-05-21 05:30 | Comments(0)