身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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 暑い日が続いていますが、皆さん体調の方はいかがでしょうか。熱中症には、十分に注意してください。
さて本日も無駄に長い時間、会社に留められまして、クタクタになって帰宅しました。
でっ、バナナ一本食べてから、ぬるい風呂へ直行しました。

湯船に浸かりながら、自分は何をしに何の為にこの世界へ生まれて来たのだろう?などと、考えた。自分の人生に、これといった意味を感じなくなっているのも事実である。
そこで、久々にチャネリングを試みた。

「君は私たちの世界では、とても美しくて賢明だった。君がその世界へ生まれて、物心がつき、自我が発現しはじめた頃、私たちは驚いた」
どうして?
「私たちは勿論その予測はしていたが、君の状態は予想を遥かに越えたものだった・・・」
と始まり、私の人生の内で小学生から中学生、それから高校時代、大学時代、社会人に成った頃、そして現在へという人生の流れの中で私がどう精神的に成長して来たか、或いは後退した時期などについて内なる声は説明してくれた。

もし、人生に目標とか目的が存在するなら、私は未だに何も成し遂げていない、そういう想いを素直に訊ねてみた。しかし、それには意外な答えが返ってきた。
「それならずっと以前から、君は成し遂げているよ。私たちは君からの情報を常に受け取っている。そして、それを分析し理解するように努めている。同胞の全てが、君からの情報、つまり君の感じたこと、君の考えを、君の経験を貴重なものとして受け取っている」

「今日は、頭だけ洗えば良いよ。それと、足首から下も軽く」と、内なる声が告げた。
私は、素直に内なる声に従った。
私はシャンプーしながら、頭を掻きむしった。これも感じるのだろうか。
「ああっ、その気になれば感じられるよ」
君の種族は美しいのかい?つまり、それは私たち人類の感覚から観てだけど。
「美しいよ、私たちは人類と余り変わらない姿をしている」
君は僕の現実にとって、何処に存在しているのだろうか?
「君の脳神経にある細胞の微弱な電流の煌きに、君の世界での私は存在している」
それは、何時ものはぐらかしなのか。それとも、内なる声はどの次元にも実態として存在しないのか?それとも本当に異次元に実在する私の同胞の意識なのだろうか。

 私の内なる声は、いつも大それたことは決して言わない。よくネットなどで見かける、「貴方は救世主だ!」的ことは一切伝えてこない。
ただ、不思議と会話をすると元気が沸いてくる気がする。しかも以前は内なる声と対話する時は、眉間に強い刺激があった。今は、それが一切ない。
より自然に内なる声と対話が出来るようになった証拠だろうか、それとも波動上昇が伝えられる現在の状況がそうさせているのか。
などと考えていたら、汗をたっぷりとかいていた。実は夏は意外に身体が冷えている、と感じている。

 汗をかき、クーラーのある場所へ駆け込み、冷風を浴びて汗を引っ込ませる。また、冷たい飲み物を沢山のんだりする。私の感覚では、夏は身体が冷えているのだ。
だから、ぬるい風呂へ汗が噴出すまで浸かるのは、決して悪いことではない。内なる声はそれを知っていて、長々と私の人生を振り返って語ったのかも知れない。
それにしても、内なる声とはいえよく私のことを知っているものだ。苦しい時期があり、自殺も考えた。毎日が本当に味気なく、意味の無いもののように感じていた。
内なる声は、私がそんな時期にさえ、萎縮しながらも人や物に対する執着を手放すことを学んだと言った。
つまり内なる声の主は、常に私を見守り励ましてくれるのだ。どんな時も、人は学びの最中にある、そして必ずそれを見守ってくれる存在が居るに違いないと感じた今日でした。
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by levin-ae-111 | 2012-07-31 05:24 | Comments(0)

日本商船の悲劇

 太平洋戦争では多くの戦闘艦が沈没しているが、それ以上に多大な犠牲を出したのが輸送船であった。北陸中日新聞が本日掲載した資料では、戦前に保有していた100トン以上の船は2742隻(646万4700t)、これに加えて戦時中に建造された1366隻を合わせると、4108隻にも上った。
 それが終戦時には1486隻に激減していた。戦時中に失った船舶は2622隻(約860万トン相当)を喪失してしまっていた(明らかになっているものだけ)。

 戦時中には予想以上に高い船舶喪失率に、軍部は戦時標準船なる造りが簡素で、工期が短い船を盛んに建造した。その総数は1000隻にも達したが、それ以上に被害は大きく失った輸送船を補うことは出来なかった。
これらの輸送船には戦争勃発とともに、船を所有する民間会社から軍部が船舶とその乗員を徴用し支配下に入れたものが多い。
横浜山下埠頭に係留されている「氷川丸」も、元は日本郵船が所有する貨客船であった。日本とシアトルを結ぶ航路に就航していた。日本郵船では「氷川丸」をはじめ、その殆どの所有船舶を軍部に徴用された。
結果的に185隻(113万t)を失い、人的被害は5312名と記録されている。その内5157名が船員である。

 「氷川丸」の場合は病院船として使用された為に生き残った可能性が高い。それでも3回も被雷しているが、丈夫な造りの船であった為に沈没を免れたものらしい。「氷川丸」は戦後も復員船として活躍し、元のシアトル航路に復帰した後、現在の場所に係留されて横浜港のシンボルとなった。戦時に動員された貨客船としては、非常に幸運だったといえる船であろう。
 日本の輸送船は、殆どがアメリカ潜水艦の犠牲になっているが、その割合は56.5パーセントとなっている。次に多いのは航空攻撃による犠牲で(30.8パーセント)、次は触雷による沈没で6.7パーセント、海難事故と思われるものが4.9パーセント、その他が1.1パーセントとなっている。
これで、如何に潜水艦による被害が膨大であったかが覗われる。

 以前に読んだ小説では、軍事標準船のクルーが苦労を重ねながら、東南アジアから物資を運ぶ様子がリアルに描かれていた。護衛艦として駆潜艇がついていたが、彼らは全く護衛の任に堪えず、何等あてにならなかった。迫り来るアメリカ潜水艦と海賊を誤魔化すために、航路を選び様々な工夫をして何とか日本に辿り着くという物語だった。
日本軍は最終的に輸送船ばかりでなく、軍艦にも物資を積んで輸送を試みているが、高速で武装した軍艦ですら日本まで辿り着くことは困難を極めた。
軍艦でさえそうなのだから、船足が遅く潜水艦から見ると洋上にポッカリと浮んで発見し易い輸送船は格好の餌食であった。

日本は石油や各種鉱石、ゴムなどを運ぼうと必死だったが、航路は限られており同一の海域で200隻から300隻以上もの犠牲が出ている海域が数多くある。
大海原で突然に雷撃され、何も分からずに、或いは阿鼻叫喚のうちに亡くなった大勢の同胞のご冥福を心から祈りたい。
 今も国益という大儀銘文の下、中国はきな臭い動きを強めているが、これまでの戦争で亡くなった人々はどう思っておられるだろうか。
彼ら彼女らの尊い犠牲の上に築かれた平和や国際ルールを、現在の私たちの身勝手な解釈で蔑ろにすることは許されない。
私たちは何の為に「歴史」を学ぶのか、もう一度、考えてみるべきである。常に目前の都合にばかり振り回されるのではなく、大局的な視点を政府や有識者の方々に持って欲しいと期待するのは無理なのであろうか。
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by levin-ae-111 | 2012-07-29 08:29 | Comments(4)

平安貴族の結婚生活

 現代では結婚とはしたら一つ屋根の下に住むは常識で、誰もその結婚生活のスタイルを疑わないが、平安時代の貴族のそれは違っていた。
平安時代の貴族の結婚生活は、夫が妻の許へ通う通い婚だった。この形態は夫にとって極めて好都合のものだった。
夫が妻に会いたくなければ、必ずしも妻の家に行く必要がなかった。貴族の中には何人もの女性を妻にして、日々ことなる妻の許へ通う者までいたらしい。
妻の方は夫を咎められず、ひたすら夫の来訪を待つしかなかった。

 平安中期にはこのスタイルが変化し、夫が妻の家に住むようになった。要するに婿入りした訳である。しかし、妻の家に住みながら別の女性のところへ通う夫もいたらしい。
妻の家を出て行くのも夫の自由で、相変らず夫に有利な制度であることに変わりは無かった。
ただ結婚するまでは女性の方に主導権があり、お付き合いは情熱的な歌を女性に贈ることから始まった。多くの男性は、この時点で女性に気に入られなければ終わりである。女性の方は、心をくすぐる歌を贈った男性にのみ歌を返していた。
歌のやり取りの中で互いに好意を持てば、男性が女性の許をひそかに訪れるのである。

それから最大の難関が、女性の親の承諾を得ることであった。親に承認を得るには、それ相応の地位や経済力、将来性などが必要であったといわれる。
 結婚生活のスタイルこそ違え、今と大差ないと思う。結局、選ぶ権利は男性にはなく、女性が男性を選ぶのである。
それは基本的に野生動物と同じである。動物たちの雄は、雌の気を惹くのに一生懸命である。ライバルを各々の種のやり方で排除し、雌に選ばれて初めて子孫を残せるのだ。
踊りを舞う鳥や、マイホームを準備する鳥もいるし、鳴き声を競う鳥もいる。鳴き声を競う鳥などは正に歌を贈るのである。他の多くの動物たちは、ライバルと雌に求愛する権利を巡って命懸けの対戦を勝ち抜かねば成らない、ああ男とは、何と可哀想な生き物であろうか。
しかし大概の動物は、例外もあるが基本的に子育ては雌が行う場合が多い。雄は発情期の内はまた別の雌を求めて出て行ってしまうのだ。

平安時代の貴族の婚姻形体もまた、野生動物のそれに近い感じがする。それだけ人間もより野生的であった証拠であろうか。その意味で舞いや歌、巣の出来栄えで求婚の権利を争い、結婚したら夫婦で雛を育てる鳥の結婚生活の方が、雌だけが子育てをする多くの哺乳類より文化的かも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-07-28 05:14 | Comments(0)
 今はありませんが、数年前まで眠ろうとして床に入りウトウトし出した頃に、必ずある現象が起こりました。
その現象とは後頭部がジーンと痺れたようになり、真っ暗な空間の中で上下左右斜めに見えない力で振り回されるのです。夢のようで夢とは異なり、動く、止まるその瞬間に酷い衝撃を感じるのです。それはもう身体が締め付けられるような感覚で、ズシンと響いて来るのです。
 私は身体の自由が利かず(この辺りは身体的には眠っていると思われます)、その状態から抜け出そうともがきます。そして、どうにかその状態から脱出して、安堵して眠りに入るのです。

 それが毎晩続き、眠るのが少し怖く感じていた頃もありました。私はある日、とてもリアルな夢を観ました。旧日本軍の戦闘機が一機だけで南の海上を飛行しています。
空中戦の後らしく、機体には数個の穴が開いていますし、燃料も機銃弾も残り少ない状態でした。しかしパイロットには不思議と空中戦の記憶より、帰っても着艦できる空母が生き残っているかという事を心配していました。
「恐らくは母艦は沈んでいるだろう」20代後半か30代前半のパイロットは、そう考えていました。母艦との会合点に向けて飛行している筈ですが、どこまで飛んでも味方艦は見えません。

 自爆することも考えながら飛んでいると、反対方向からキラキラと機体を輝かせた沢山のアメリカ軍機の大編隊が見えました。パイロットは、それに突撃して少しでも道連れにしようかと思いましたが、今更、一機や二機を撃墜しても戦局に影響はありません。
そう考え直したパイロットは、高度を海面近くまで下げてこれをやり過ごしました。
しかし、この時にも「高度を下げると燃料を食うのだが、仕方がない」などと、冷静に考えたりもしていました。
そして再び高度を上げると、母艦を探しました。「海ぽちゃかぁ」と呟きながら、自爆しなかった事やさっきの敵編隊に突撃しなかった事を後悔していました。

ですが、雲の下に出ると、母艦が勇ましいウエーキィーを引いて疾走していました。母艦といっても小さな、1万トンクラスの無艦橋の空母です。パイロットは数回バンクを送り、脚を出し着艦体制に入りました。不思議にも、それまではパイロットの視点だったのが、飛行機の脚が出る場面では機体の後からそれを見ていました。夢はそこで終わりました。
 そんな夢を友人に話すと、それは前世ではないか?それから、暗闇の中で振り回され感じる衝撃はGフォースではないか?と指摘されました。
そうかも知れない!!と私はハッとしました。それ以来、毎晩続いていた寝入り端の不快な暗闇で振り回される夢ともつかない現象は次第に終息し、遂には感じなくなりました。
それでも、その夢が前世なのかどうかは疑わしいのですが、事実として不快な感覚が消えたのです。やはり、感覚と夢は何らかの関係があったのでしょう。
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by levin-ae-111 | 2012-07-26 21:02 | Comments(2)

大阪出張

 今週末の大阪出張が決定しました。同僚と二人で早朝からサンダーバードに乗り、午前中の内に取引先へ行かねばなりません。
大阪駅には取引先の方が迎えに来て下さる段取りになっていますが、訪問するのは堺市です。何の為に取引先を訪問するかといえば、先様の製造体制のチエックです。

 不幸なことに私の会社の製品に不具合が発生し、それが幾つか続いてしまいました。その結果、先々週には納品先の方が当社へ視察に来られました。
それはもう大変で、工場長以下関係者は神経を使い、訪問前日まで私たちは現場や書類の確認に追われました。私たちの会社のミスも有りますが、買い入れている原料に原因があると思われるトラブルも有りました。
そこで、製造現場の長と品質管理である私が、原料のメーカーを視察し、まずい部分は改善を申し入れに行くという訳です。

 偉そうに視察といっても、私も同僚もその原料がどういう工程で製造されているかも知りません。ですから、見学も兼ねてということです。
それから相手の会社も自分達の製品がどの様に加工され、どんな製品になるのかを知りませんから、こちらの工程見本を持参して説明してくるという目的もあります。
出張は日帰りですので、早朝に出て夜遅くの帰宅になると思います。それからレポートを書いてと、あわただしい一日になりそうです。

 それにしても、寄せられるクレームの中には、どう見ても我が社の製品が原因とは思われないものもあります。邪推かも知れませんが、製品云々という以前に政治的な思惑が絡んでいるのでは?と思われる場合もあります。
例えば我が社の製品を切りたい、しかし理由も無しに切れないので、因縁を付けて・・・
という感じのケースも存在します。
世知辛い世の中ですから仕方ない部分もありますが、皆さん優しくないですね。

以前にクレームをつけて来た大手企業の人は、無意味なことまで要求して来ました。その要求に応えるために、私たちは四苦八苦したものです。
甘いかも知れませんが、これが当然の世の中と思ったら悲しくなります。立場の弱い相手に対して徹底的に好き放題のことを言う。そんな人間には成りたくない、と思います。
 よく考えてみれば相手は立場的に弱いかも知れないが、その相手が逆切れしたら困るのは私たちです。

それにしても、弱肉強食が当然という誤った思想を定着させたのは誰でしょうか。競争原理を金科玉条のごとくに信じ込ませたのは?誰でしょうか。
競争原理、弱肉強食が本当に真実の原理なのでしょうか。私はそうは思いません。
競争に敗れた人は悲劇です。しかし永遠に勝ち続けなければ成らない、勝者もまた心休まる暇がないでしょう。切り捨てた下請けの人たちやその家族、リストラされた人たちやその家族のことに思いを馳せれば、人間であれば心が痛むはずです。
こう考えると、私たちが当然と信じ込まされているこの資本主義の原理では、誰も本当の幸福を得られないということになります。

 私たちの世界に真の幸福が僅かしか存在しない理由は、システムの問題だけではないと思います。どんなシステムにも欠点はあります。資本主義に対する共産主義という図式はとうに捨てさられました。これは私にとって、問題の本質がシステムではないのですから当然のことです。
私たちに最も欠落しているのは、精神的な成長です。これ無くして、私たちの未来は決して明るいものには成りません。
日本は度重なる災害の都度、人々が助け合う麗しい姿を世界に示し続けて来ました。
かつて遭難したトルコの軍艦の乗員を、自分達の食べ物まで差し出して救った漁村の人々が居ました。今でも紛争地帯へ積極的にボランティアに出ている人々も居ます。

 これほどまでに特別なことが出来なくても、ほんの少しの思いやりを持って人に接するということが出来ないものでしょうか。それが出来たら、少しは生き易い世の中になると思うのですがね。
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by levin-ae-111 | 2012-07-24 05:35 | Comments(1)

万葉集と大伴家持

 万葉集といえば、普通には大伴家持が編んだ日本最古の歌集とされている。大伴家持は越中国司として、現在の富山県高岡市伏木に着任していた。その家持は政治家としての力を持った人物でもあった。
さて家持が万葉集を編纂する以前に歌集が存在しなかったのか?と問えば、恐らくは幾つかの歌集が既に存在していたに違いないという答えになろう。

 編者不明の古い歌集や柿本人麻呂や他の人の作品を集めた歌集、山上億良が集めた歌集などが存在していたらしい。つまり万葉集は、それらの古い和歌集や新しい歌が家持の許に集められ、既にまとまりつつあったものを、最終的に家持が編者としてまとめたのであろう。尤も万葉集に収録されている4536首の歌の中で、家持が詠んだと判明しているのは473首もある。実に全体の1割以上もが家持の作である。
 その内、国司として赴任していた越中で詠んだものが220首もあり、家持がいかに越中の風景を愛していたかが覗われる。
 荒々しい波の打ち寄せる日本海や、ゴツゴツとした岩肌を露出して屹立する立山連峰は、家持の心を捉えて離さなかったのかも知れない。
越中赴任中に亡くなった弟の死を悲しんで、こんな事になるのなら有磯の海を見せてやりたかったと詠んでいる。
有磯海なる海は存在しないが、家持が富山の磯をそういう言葉で表現した最初の人である。

 万葉集には全20巻、4536首もの和歌が収められている。天智天皇や額田王など高貴な人物の歌もあれば、「詠み人知らず」とした作者不明の歌も多くある。
雑多な歌を編纂するのは大変だったろうが、概ね三層に分けられた歌は天智天皇など高貴な人々と、その他の人々や作者不明の歌、そして最期は家持の歌日記のようなものであるという。そして、この家持の歌日記のような部分が万葉集の構成の中で、最も多くを占めている。
万葉集編纂のいきさつは調べていないが、構成を見る限りは家持が最も力を注いだのは自らの歌や部下たちの歌を歌集として残すことだったのかも知れない。

 越中を離れてからは、政治的な嵐を耐え忍びながら、徐々に出世して行ったのだが歌を詠むことも無くなっていった。それとも、単に残されなかっただけなのか、家持の歌は越中以降には余りない。
家持にとって越中に赴任していた5年間は、一生の思い出として心に刻まれたに違いない。
私は和歌を解さないし、実のところ家持が越中の地でどんな歌を詠んだのかも知らない。しかし調べながら、家持も越中の豊かな海や山に限りなく惹かれていたのであろうと、感じて嬉しくなった。
最初は大伴家持という都の貴族が、当時も田舎であった越中の地に赴任を命じられて、仕方なくやって来たのであろう。
それが赴任してみると都では見られないダイナミックな自然に出会い、心を癒されていったに違いない。その越中の自然や風土への情熱が、家持に多くの歌を詠ませ、遂には膨大な歌を収めた万葉集の編纂へとつながったのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-07-23 05:32 | Comments(2)

ネット上の友人と初対面

 私がネットを始めてから、暫くして友人になって下さった方が、ついでと言いながら遠路遥々と私ごときに会いに来てくださいました。
彼の仕事柄、長距離ドライブは慣れているのですが、それでも関東から長野を経て富山への道のりは300キロ以上になると思います。

 私は地図を検索し、長野と富山の中間で会うことを提案しましたが、彼はこちらへ来ると言ってくれました。ネットで知り合ってから、もう2年以上も経つと思います。
いつか会おうと言いながら、実現できずにいたのが遂に会うことが叶うのですから、私は前日からワクワクして眠れませんでした。
 しかし前日の夕方から降り出した雨は、当日の早朝までドシャ降りになり、ワイパーも利かないほどです。

 彼の事を心配しながら、当日は4時に目が覚めました。早く連絡をしたいと思いつつ、まだ眠っているかも知れないと思い、6時過ぎまで連絡を自重しました。
時間を見計らって連絡すると、彼はもう最寄り駅に到着していました。富山は田舎ですから、その時間帯に営業しているのはコンビニくらいです。私はすぐに彼の許へ急ぎました。
自宅に来て頂けば良かったのですが、私の家は古く電気容量の関係でクーラーもありませんし、私の部屋ときたら人様にお見せ出来る状態ではありません。

本当に申し訳ないと思いつつ、彼の車を駐車場に導き、私の車でコンビニへ向い、そこで暫く話しをしました。そして常用している富山市内の喫茶店へ向い、そこでまた話しをしました。
彼はあまり饒舌ではなく、とつとつと話すタイプの人でした。言葉を選びながら、出来るだけ判りやすく伝えようとする彼の姿勢には好感を持ちました。
彼は私より10歳年下で、見た目はまるでロック歌手のようですが、中味は誠実で気遣いの出来る人です。

途中から私の友人も加わり、楽しいひと時を過ごしました。本当は一泊してもらい、冷たい生でもグビーッとやりたいところですが今回は無理だったのが残念でした。
彼はネットの記事で神社巡りをしていますから、余り時間が無いなかで地元の神社に案内しました。久し振りに訪ねた「杉原神社」には、沢山の羽黒トンボがヒラヒラと優雅に舞っていました。
二人で鈴を鳴らし、賽銭をお供えして、拍手を合わせてお参りしました。私の願いは彼の無事な帰宅でした。それから幹線道路まで誘導し、友人の車を見送りました。


別れ難い心情でした。近ければ時々は会えるのに・・・田舎者の悲哀を感じましたが、私に都会暮らしは無理ですから仕方がありません。

 他にも会いたいネットの友人は何人も居ます。知らない者どうしが、出会えるネットは素晴しいものです。しかし、お互いに誠実な姿勢で情報を発信していなければ、こうは行きません。これからも自分を飾らず、卑下せず、等身大の自分の意見を発信していきたいと思いました。
最期にSさん、本当にありがとうございました。またお会いしましょうね(^^)
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by levin-ae-111 | 2012-07-22 10:01 | Comments(0)
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 先の大戦で日本海軍は潜水艦の使い方を誤ったとは、一般的にいわれていることである。
有名なドイツのUボートは、英国に対して徹底した通商破壊工作に用いられ、多くの戦果を上げた。
日本海軍の潜水艦に関しての考え方は、あくまでも補助艦艇であり、敵艦隊に対して水中から攻撃を掛けて相手の戦力を削ぐというものであった。
敵艦隊に決戦を挑むのは戦艦や巡洋艦であり、潜水艦はその補助に過ぎなかった。

 潜水艦はイ・ロ・ハという頭文字に続いて、番号を付加した記号で個々の艦を区別しており、戦艦や空母、巡洋艦などのように艦名はなかった。
イ型は大型、ロ型は中型、ハ型は小型の潜水艦を表し、その後に番号が続く。たとえばイ-15とかイ-400という艦名であった。
大戦中に多くの艦が失われているが、これは駆逐艦などの音響探知装置の発達や対潜兵器の発達などによる。

 日本海軍の潜水艦で最も特徴的なのは、イ型の潜水艦に水上機を搭載していたことと、魚雷は酸素魚雷を使用していたことであろう。
酸素魚雷は排気が少なく、痕跡を発見され難い優れものだった。そして潜水艦に飛行機を搭載するというアイディアは、世界の何処にも無い画期的なものだった。
中でもイ-400型は3機もの水上機「晴嵐」を搭載し、排水量(水上・水中ともに)もアメリカの原子力潜水艦が登場するまで世界一であった。
基準排水量は約3500tで水中では6500tを誇っていた。搭載機「晴嵐」は水上機型の爆撃機で、800キロの搭載能力を誇っていた。フロートを付けたままでも470キロ以上の速度を誇り、フロートを外すと560キロもの速度を出すことが出来たとされる。
これは有名な零戦よりも速いし、空母搭載の艦上爆撃機や艦上攻撃機よりも更に速い。

 この世界に誇るイ-400型の大型潜水艦は3隻が建造されている。しかし巨体ゆえに他の潜水艦よりも速度が遅かった。たたでえ速力の遅い潜水艦だが、その中でも遅い方だったので実戦での成果は余り期待が持てなかったろう。
戦後イ-400を見たアメリカ軍は、その大きさに驚いた。そしてその耐圧殻の構造は、後にアメリカ潜水艦のミサイル格納庫の手本にされたという。
だが折角の独創的な潜水艦も、使用方法がまずかった為に、十分にその力を発揮できなかった。

 戦記物のフィクションでは、この潜水空母ともいえるイ-400型潜水艦が、その隠密性を生かしてパナマ運河などを搭載機で爆撃するというストーリーが見られる。
実際に日本軍で唯一アメリカ本土を爆撃したのは、潜水艦搭載の水上機によるものだったことを考えれば、あながちパナマ運河爆撃も夢ではなかったかも知れない。
 こうした兵器にみられた日本人の独創的な考えは、最近は成りをひそめた様に感じる。
本来の独創的な発想力を発揮して、最近の悶々たる閉塞感を吹き飛ばして欲しいものだ。
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by levin-ae-111 | 2012-07-20 05:28 | Comments(2)
聖書には神の御技として、多くの奇跡的な出来事が登場する。砂漠で常に人々を導いたという光であるとか、天から降った食料マナなどの逸話は有名である。
聖書でなくともファティマでは子供たちが聖母を幻視し、大勢の目撃者が存在した太陽のように光る車輪のような物体などは正にUFOを彷彿とさせる。

 それから異様に嫉妬深く、感情的な神はギリシャ神話や北欧の神話にも登場する。この神々は凄いパワーを持ってはいるが、その行いは全く以って人間的である。
パンドラの箱を造り、災いの種を世界に撒き散らさせたのも、元々は神の仕業である。
このパンドラの箱のエピソードなどは、早い話しが神々の揉め事のとばっちりを人間が受けただけのような気がする。

ソドムとゴモラを滅ぼしたのが神であるとする記述を信じれば、神とは実に身勝手で残酷な存在であると言わねばならない。人間は神に逆らう度に、常に何らかの懲罰を受けてきたといっても過言ではない。
堕落したといって滅ぼされ、天に向って塔を建てれば気に入らないといって言葉を散らされ、意志疎通を不可能にさせられた。
尤もらしい理由をつけて、人は常に神という存在にひれ伏すことを求められて来たのである。

 これは支配者としての神であり、決して愛情深い徳の高い神の態度とは言い難い。だが神を科学技術を持った宇宙人と考えれば、全ての疑問は氷解する。感情的で支配的な宇宙人が、奴隷として或いは家畜として人間をみていれば、神たちの態度も納得できる。
私には現代より百年程度も科学技術が進めば、聖書や神話に登場する神々の奇跡的な技も十分に可能だと思える。
100年後の人類の精神状態が、現代よりどれほど進歩しているかと問われれば、恐らくは余り変わっていないだろうと言わざるを得ない。
その証拠に江戸時代の人間心理と現代人のそれとは、余り変わっていない事を見れば納得できるのではないだろうか。

 科学技術だけが進歩した、現代人と余り変わらない精神状態の未来人が、自分達に近い未開の人々と出会ったとしたら恐らくは聖書や神話の神々と同じように支配しようとするに違いない。未開人にとっては、そうした人々の科学技術が神の技としか見えないであろうから私たちと同じように感じるだろう。地球人類は科学文明が進歩した現代でも、科学技術は持っているが精神的に未熟で欲望むき出しの宇宙人により、精神の基盤に刻まれた神の恐怖に支配され続けているのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-07-19 05:33 | Comments(0)

家の猫

 夏の夕方、家に帰ると時として猫が私の駐車スペースでゴロゴロしています。
三匹いる我が家の猫の内で、最もゴロゴロしている回数が多いのがキー君です。
キー君は、キジトラの大きな猫で、体重は5キロ位でしょうか。
後の二匹は車を見ると逃げるのですが、キーは違います。家の車を分かっていますから、車を見ても逃げません。

小さい頃に、山奥の家に車で連れて行かれた経験があるキー君は、付近で仕事をしていた父親の車を見つけては乗り込んで来たそうです。
しかし山奥の家に連れ戻され、また父の車を探して乗り込んで来る。そんな事が何度かあり、暫くして山の家から居なくなりました。
山の家は父親の実家で、祖母が一人で暮らしていましたが、当時は無人でした。しかし付近に仕事で通っていた父親が、毎日立ち寄りエサをあげていました。

 ある時、母が家の近くで畑仕事をしていると、猫が寄って来ました。母は大きくなったキー君を知りません。しかし猫好きの母が声を掛けると、返事をしたそうです。
その猫は度々、母の周りに現れ、家にも入ろうとしました。それで仕方なく子猫を入れていたゲージを出すと、何と自らそこに入り座って大人しくしています。
それはキー君がまだ手の平サイズの頃に、他の子猫たちと一緒に過ごしていたゲージでした。

 居なくなってから半年以上も経過していましたから、まさかキー君とは気付きませんでしたが、ゲージに入って大人しくしているのは家の子に違いありません。
そこで、目出度く家の子として認められ、現在に至っているのです。キー君という名前の由来は、少し顔が尖がっている感じで、狐のような面立ちだったからです。

 そんなこともあり、今では車を見ても慌てて逃げることはありません。私が窓から顔を出して「危ないからどいて」と言うと、少しだけズレて妹の車の下へ移動しました。
その距離はホンの数十センチ、キー君は絶対に大丈夫だと確信しているかの様に、またすぐにゴロン。
私は慎重にバックして、駐車場へ入れます。車から降りると、キー君は「ニャーッ」とひと鳴き。私は撫で撫でして、一緒に家に入ります。しかし、最近は私が家に入ってもついて来ません。

何故ならキー君は中学生のお姉さんたちを待っているからです。近所の子供たちが、「可愛いー」とか言って、かまってくれるのです。
うーん、現金な奴め。前までは、歩き難い位にまとわり付いて来たのに・・・・。
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by levin-ae-111 | 2012-07-18 06:01 | Comments(0)