身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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あれっ!!2

 今日は頭に来ました。先日の「あれっ」で書いた女性の課長さん、帰り際に「○○さんにPCの仕事はちょっと、それは貴方がやるべき事だし・・・」とクレームが入った。
○○さんは私の元上司で、つい先日退職され今は嘱託で出社されている。
体力的に辛くなった事と課長職というプレッシャーで、体調をくずされ退職されたのだ。

 私は自分の仕事以外にも、他の部署への応援も抱えていて、更に今日また新たな仕事を抱える事になってしまった。それも本来が私の仕事なのか?と疑問に思うようなものだ。
そこへ先述の女性課長が、云々と言って来たのだ。
彼女の言い分だと「パートや嘱託には事務的に重要な仕事はさせるな」という風に聞こえるが、それでは貴女はどうなのだ、と私は言いたい。

 貴女こそ、重要な仕事をパートの人にさせているではないか。それが、私だけを責めるのは何処かおかしくないか。
どうも我が社には、自分たちの事を棚に上げて人の粗を探す習性が存在するようだ。幸い私は瞬間湯沸かし器ではないので、冷静に対応した。
正直に言って、この女性を怒らせると、要らぬ事を男性上司に報告し話しが込み入った事になってしまうからだ。

あ~あ、面倒くさい。出来る仕事をさせて何が悪いというのだろうか。体力の無い人に力仕事は無理だし、私自身は時間がないし、不得手な仕事を試行錯誤しながらする余裕はないし、元上司は以前にその仕事をやっていたというのに。
もっと考えを柔らかく出来ないものだろうか、まだ元上司とは十分に引き継ぎも出来ていない。嘱託で来てくれて、本当にありがたいと思っている。

 確かに彼は仕事が遅いし、忘れっぽいが、それでも私がそれをすると取り掛かる事もできない。元上司にお願いすれば例え遅くとも、確実に仕事は前進するのだ。
冷静を装ったが、本当はカチンと来ていた。
まあ、しかし物は考え様である。彼女がこうして日記のネタを提供してくれたと思えば、それでOKだ。視野の狭い人の事は、気にしないで行く事にしよう。

 それにしても、正にこの世は監獄である。何処に行っても牢名主がおり、どこかに付け入る隙がないかと目を光らせている。そして挑発してくるが、うっかりそれに乗ると酷い事になる。皆さんくれぐれもご用心あれ。
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by levin-ae-111 | 2012-08-31 05:01 | Comments(0)

越中八尾おわら風の盆

 今年も遂に町の人たちが待ちに待った「風の盆」が近づいて来た。毎年20万以上の観光客を集めるこの祭は、二百十日の風を鎮める祈りを込めて催される。
9月1日から3日は、町中を踊りの流しが行われる。三味線、胡弓と歌い手も町を流しながら、力の限りに演奏し、歌う。
 
この日のために、町の人々は練習を積む。民謡にしては洗練された踊りと伴奏と言われるが、それだけに稽古も大変なようだ。
歌は越中おわら節として、全国の民謡大会などでよく歌われる。
日頃は人口2万余りの小さな田舎町だが、そこに人口の10倍以上の人々が訪れるのだから、町流しが行われる通りは都会の満員電車のようになる。故に私は近づかない(笑)。

 この越中おわら風の盆も、二十数年前までは有名ではなかった。町の人々がゆったりと流しを楽しむ、そんな祭だった。この祭をテーマした小説や歌がヒットし、そのお陰で全国から観光客が押し寄せることになった。
以前は本当に3日間だけの祭であったが、本番が近づくと前夜祭と称して各町内別に流しを披露するし、本番が終わっても「月見のおわら」が開催される。

 「おわら」が今日に至るまでには、多くの人々が自身を顧みずに「おわら」の発展と普及に邁進した歴史がある。私財を投げ打って踊りを改良し普及させた医師、任侠の親分でありながら、「おわら」の三味線を芸術の域にまで高めた人物もいた。
この三味線の偉大なる先人は、最近まで「おわら」の歴史から消えていた。自らが任侠道を歩んでいたから、自分が表に出れば「おわら」に傷がつくと考えていたらしい。
今日でも彼の三味線の弟子たちは何人もいて、伝説的な師匠の三味線を受け継いでいる。

 近年は八尾町も過疎化が進み、おわら流しが行われる通りにも空き家が目立つ。ところが、「おわら」に魅せられた人の中には、空き家を買い取ったり借りたりする人もいる。
もっと好きな人は、このために引越ししてくる。いやはや、余りに凄い情熱に頭が下がる。
「おわら」の女性の踊り手は、アンダー25である。小さな頃から踊りを始め、25歳を最後に町流しや舞台での踊りから引退する。

ところで、私の住む地区は「おわら」から除外されている。お陰で「おわら」のために自分の時間を犠牲にすることもない。「おわら」を開催するのは旧町(きゅうちょう)と呼ばれる昔からの町に限られている。旧町では人口が減少しているが、それでも周囲の新しい地区の人々には参加を求めない。反対に旧町から他の市町村に移り住んでいても、「おわら」のために駆けつける人もいる。そういう人の子供たちも「おわら」に駆り出される。
伝統を重んじているのか、一種の差別意識なのかは分からないが不思議なしきたりである。
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by levin-ae-111 | 2012-08-30 05:24 | Comments(0)

あれっ!!


 毎日、何かを書こうとすると忽ちネタ切れに直面するのですが、不思議と何某か書けてしまいます。今日は、また仕事の愚痴です。

 ある製品の性能テストの依頼があり(社内から)、私はスケジュールの合間を縫って何とか結果を出しそれを依頼先の部署に伝えました。
結果としてその製品は少し性能が悪いので、駄目だと伝えました。私の仕事はそれまで、と思っていたのですが、それが・・・、いつの間にか製造のスケジュール確認まで私に
訊ねて来る始末です。

 私は仕方がないので製造部署の責任者にそれを確認しました。予定では製造に割り込ませるのは無理でしたので、製造部署の責任者と話し合い、製造は○○日と結論しました。
そして、訊ねて来た部署へそれを伝えました。
製造責任者も「○○さん(私のこと)が、そんな事まで・・・」と呆れていましたが、兎に角、これで一件落着のはずでした。

ところが今日になって、業務の女性課長さんから文句が出て、私の処へ話しが戻って来てしまいました。在庫管理をしているはずの人が、今頃になって話しを蒸し返し、それを大きくしてしまったのです。本社の部長代理(女性)や、工場長を巻き込んで大事にしてしまったのです。元々は在庫や出荷の話しですが、どういう訳か私のところへ話しが来るのです。私は課長さんに、詳しく説明し、性能が駄目だからと告げたのですが、どうも根本的に勘違いしているみたいです。

 私としては「性能が悪いのだから、駄目」と言っているだけなのですが・・・。自分たちの在庫管理の悪さを棚に上げて、私が製造責任者に聞いたスケジュールに文句を言っています。悪いことに製造責任者が今週中は不在で、お手上げ状態です。
私は勿論、在庫数には関与していませんし、注文にも関与していません。日頃から関与している人たちが余りにも無責任で、切羽詰ってから私に代用品の性能試験を依頼し、挙句の果てに自分たちの仕事まで押し付けようとしています。

 製造日程が明確なのですから、それまで待ってくれるように先様にお願いするとか、もっと早くから自分たちで製造部署へ生産を依頼するとか出来たはずです。それで思ったのですが、二人の上司は女性本来の細やかさに欠けているのです。
全体を見回す事を女性は苦手とされている(一般論では)らしいのですが、細やかさは男性の比ではないはずです。
それが、その部分に固執するばかりで、小さな事を大きくして炎を煽っている感じです。正直、いつもそんな感じです。女性の長所が裏目に出ているのです。
更に煩いのは解りますが、工場長(男性)も私の報告を受けて自分が言った事を忘れているようで、突然に資料を出せと言ってきました。

 私の本来すべき仕事はどこかへ吹き飛んで行きそうでしたが、結局は工場長お気に入りの同僚へと矛先が向いて同僚も意味が解らず困惑していました。
そして私と出荷担当の話しを聞いて、初めて納得した様子です。帰り際に、関係者に電話すると言っていました。

それにしても、ハッキリ言って「馬鹿ばかり」というのが私の偽らざる感想です。勿論、そんな会社に居続ける私も同類ですけど。
ここにも現代日本の縮図を見る気がします。先日、物事を俯瞰することが出来ない男性が増えつつあるという話しを友人としました。友人は男の女性化という表現をしていました。
それにしても、単純な事を単純なままで処理できないものでしょうか。私にはとても不思議です。
今日は愚痴でした。申し訳ありませんm(_ _)m
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by levin-ae-111 | 2012-08-29 05:36 | Comments(2)
 連日テレビ中継に熱狂したオリンピックも終わりました。日本は史上最高のメダル数という事でしたが、選手の皆さんには大変な勇気と感動を頂きました。
さて、その次はパラリンピックです。
今月29日に開会式が行われ、21競技503種目でメダルが争われます。

冬の大会も素晴しいのですが、夏の大会もこれまた素晴しいものです。陸上競技などでは日本選手が世界記録を持っています。また連覇を狙うテニスも期待が大きいです。
 このパラリンピックは、競技を見てみると健常者と同じものもあります。
テニス、アーチェリー、射撃、陸上競技、ボート、パワーリフティング、卓球、バレーボール、バスケット、ラクビーなど車椅子こそ使いますが、そのレベルは侮れません。

オリンピックでも両足義足の選手が陸上に出場し、準決勝にまで進出する快挙を成し遂げています。無論、その選手もパラリンピックに出場します。
選手たちの中には、競技の為に命を削っている人も少なからず存在するようです。周囲の方々の励ましと協力、そして本人の強い意志と決意で競技に臨むのです。
 中にはとても激しい競技もあります。
ウィルチェアラクビーでは、車椅子同士をぶつける激しい場面が続出します。ボールを相手エンドラインに立てられたコーンの間に持ち込めば得点となるこの競技は、車椅子のパンクや転倒など頻繁に発生するそうです。

アメリカにはリーグも在って、日本のエース中里選手はそこでプレイしています。素早いパス回しで得点するというスタイルを模索した全日本でしたが、世界一の強豪アメリカには通用しなかったそうです。
ボールを持った日本選手が、たちまち数名のアメリカ選手に囲まれ、強烈なアタックを受けてひっくり返る、前進も後退もできず、パスを出すどころではなく完敗したそうです。
そこで中里選手はアメリカへ渡り、上半身を使って瞬時に車椅子の向きを変えるテクニックをマスターしました。中里選手は努力の末に、アメリカのリーグで最優秀選手に選ばれる程に大輪の花を咲かせました。

ロンドン・パラリンピックの前哨戦では、日本チームはアメリカを相手に勝利しました。僅か1点差の辛勝ではありましたが、中里選手にボールを集め、他の選手は全力で相手にアタックを掛けます。この作戦が功を奏しての勝利でした。
インタビューを受けた全日本のキャプテンは、「見て面白い、やって面白い競技だと思う」と言っていました。
確かに凄い迫力です。頑丈に造られているガード付きの車椅子ですが、そのガードは2年も使うとガタガタになってしまうそうです。

 また車椅子テニスのチャンピオン国枝選手は、バックハンドが武器でしたが、そのせいで肘に負担が掛かり過ぎて痛みが出ました。パラリンピックの連覇を目指す彼は、パラリンピックの時期を睨んで思い切った行動に出ました。肘の手術を受けたのです。
傷が完治しても最初は痛みの再発を恐れて、得意のバックハンドが打てません。
しかし、勇気を持って、その恐怖を克服し、コートに立てる喜びを胸にパラリンピックへ向けて調整に励んでいます。

ボート・シングルスカルの大竹選手は、下半身麻痺です。彼女は動かせる腕の筋肉だけで力強くボートを漕ぎます。彼女はボートが人生を変えてくれたと言います。
柔道52キロ級の半谷(はんがい)選手は震災で実家を失い、内定していた職も失いました。柔道も続けられるか分からず、希望を失いかけていました。そこへ救世主が登場しました。
オリンピック銀メダリストの格闘家、小川直也さんでした。半谷選手は小川さんの道場へ通い連日の猛特訓をしたそうです。そして、パラリンピック予選の決勝では、小川さん直伝の払い腰で代表選手になりました。

 注目度も低いパラリンピックですが、そこにはオリンピック選手たちと変わらない、否それ以上に人生を賭けて頑張る選手たちとそれを支える人々がいます。
どうか彼ら彼女らの努力が実りますように、どの選手も力を精一杯に出せますようにと、祈らずにはいられません。
 私は同情とか哀れみでこれを書いてはいません。スピ的に見れば、彼ら彼女らはとても進化した、勇気ある魂の持ち主です。自らに重い課題を背負わせ、それでも人並み以上に頑張り、それを克服した姿を見せてくれているのだと思います。身体に障害を抱えていても、紛れもなく本物のアスリート達です。
彼ら彼女らの姿は、私たちを励ましてくれます。彼ら彼女らは、心の弱い私たちを導いてくれる偉大な存在なのです。
頑張れ日本!!
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by levin-ae-111 | 2012-08-28 05:22 | Comments(0)

不思議な王権

 世界の歴史を見回すと、どの時代のどの地域、どの民族でも王は強固な防御壁に囲まれた王宮から国を支配していた。その王城は王がどの豪族よりも強い武力を持っており、その力を背景にした強力な支配権の象徴でもある。
それはヨーロッパでもアジアでも同じであり、どの王権も武力の衰えとともに王朝が交替するという現象がみられる。

 ところが、ここに圧倒的な力を持たず、城壁に囲まれた城に住んでもいないが、世界最古の王権とまで言われる程に長寿を保っている王朝がある。言うまでもなく、我が国の天皇家のことである。
この天皇家は「万世一系」で、しかも男系の天皇だけで発足当時から連綿と続いているのだと言われている。
現在の皇居は江戸城であるから、城に住んでいるではないかと、思われる方も居られようが、これは維新の際に徳川家の築いた城に入られた為である。無論、天皇家が築城した訳ではなく、徳川家の遺産を借用したと言った方が良いだろう。

 天皇家の歴史は公認されているものでは、神武の東征により大和に入り、そこで大和王権が確率した部分から始まる。それ以前にニニギの尊が高千穂山に降臨したとする物語は、史実というよりも神話であるから除く必要があるだろう。
さて神武東征というと、力強く各地の勢力をなぎ倒して、東へ進撃して遂には大和へ入り大和王権を確率したというイメージがある。
しかし、史料を読むと神武天皇も決して強くなかったのである。大阪に上陸する際には、地方の一豪族に過ぎないナガスネヒコの抵抗にあい、これの突破をあきらめてルートを変更している。

 苦労して大和へ近づくと、大和には既にニギハヤヒによる政権が成立していた。一戦まじえれば、ニギハヤヒが勝ったかも知れない。ところが不思議なことに、ニギハヤヒはあっさりと大和の支配権を神武に譲っている。
ここに神武天皇による大和王権が成立し、そこから途絶えることなく現在にまで天皇家は続いているのである。

天皇家の最大のピンチは、恐らくは室町時代(足利幕府)であっただろう。当時は南北朝の対立もあり、これを上手く利用した足利尊氏が漁夫の利を得て開いたのが室町幕府である。そうして始まったこの武家政権は、三代目の義満の時代にピークを迎える。というのも、権勢の頂点に立った義満は天皇に成ろうと目論んだからだ。
一面に金箔を施した超デラックスな鹿苑寺(金閣寺)が造営されたのも、義満の時代である。しかし権力の絶頂にあり、飛ぶ鳥をも落とす勢いの義満も、遂には天皇の地位に上ることは出来なかった。無論、天皇家に義満の企みを撥ねつける力はなく、道半ばで義満が死去するなど、幸運が味方した結果であろう。

 そして次の危機は織田信長の出現であろう。信長は次第に増長し、朝廷の意向をも無視する行動に出る。しかし、その信長もまた道半ばで殺されてしまった。
私たちの知らない天皇家の絶体絶命のピンチは、他にも多く勃発していたであろうが、天皇家はこうしたピンチを常に凌ぎ切って来たのだ。
その背景には、一人の人物に絶対的権力を握らせることを嫌う日本人の特質が存在しているという人もいる。

国造りの途上で、律令制度の導入も行われたが、この制度もまた初期の目的とは正反対の結果を生んでいる。
本来「律令制度」には、中央集権を強化する目的が存在していて、本家中国では王に全ての権力を集中させる制度として働いた。ところが、日本では天皇から権限を奪う方向へと働き、臣下たちが天皇に代わって政を行う太政官制度などへと変化して行った。
固有の武力を持たない天皇と天皇家、だが誰人もその前では自然に腰を折り、頭を垂れ、敬意の念を示さずには居られなかった。
天皇家には、そういう不思議な雰囲気が、醸し出されている。それが日本の天皇の特徴であろう。故に天皇家は特別な武力を持たずとも、強固な王城に住まわずとも長く存続して来られたのであろう。

 天下国家を手中にした各時代の武将たちでさえ、結局は天皇家の領域を侵すことは叶わなかった。足利義満は少し毛色が違うが、彼とて元の系図を辿れば天皇家の血筋であった。
秀吉や家康など他の武将は、朝廷と天皇家の威光を借りて天下統一を成し遂げた。
非力だが一旦天皇家が「錦の御旗」を掲げさえすれば、如何なる軍勢も浮き足立つそういう権威が天皇家にはある。世界で最も不思議な王権、それが日本の天皇家である。
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by levin-ae-111 | 2012-08-27 05:23 | Comments(0)
 私たちが時として耳にした日本人についての特性のひとつに、真似するのは得意だが独自に何かを発明する能力が低いというものがある。それを一言で表現すれば「猿真似」ということであろう。
明治新政府が発足し、当時の列強諸国との交流が始まると、日本は積極的に外国の制度や物を取り入れた。それはもう必死で、諸外国の文物を吸収しようとしたのである。

そして幾多の外国との闘いに勝ち続けたが、先の大戦で遂に一敗地にまみれた。その後にも主アメリカの文物を取り入れながら、遂には経済大国と呼ばれるまでに復興し成長した。
そういう現代にまで至った経緯が、日本人に自らをして独自性のない日本人とまで感じさせるのであろう。
 しかし、この日本人の特性は、何も明治以降の近代に限ったことではない。遥か数千年前の国家として体裁を整える以前から、その特性は発揮されていた。

例えば古代遺跡から出土する「銅鐸」(祭祀用の飾り)は、朝鮮半島からもたらされたと考えられているが、朝鮮半島では日本のように大型化することは無かった。
本来は小さなカウベルのような鳴り物だったろうが、日本ではサイズも用途も全く変わってしまっている。
また仏教も導入された初期は、大陸から僧を呼び大陸のスタイルが守られていたが、中世に至るころには日本独特の仏教へと変化していった。
これらの事例は必ずしも原型が改良されたとは言い難いが、鉄砲などは日本人の手により改良され原型を凌駕するほどになった。

これらの例のように、日本人は原型を取り入れ、それを理解すると大抵の場合は自分達にとって使い良いものに変えてしまった。こういった特性は、立派な独自性と言っても差し支えがないのではなかろうか。
しかし、「結局は真似だろう」との声が聞こえてきそうだが、自国の文物を誇る余りに他を認めないという頑迷な程度こそが恥ずかしいものだと思う。
それよりも素晴しいと認め、それを取り入れて独自性をブレンドし、自らの文物として取り入れ使いこなす智慧と度量の広さに注目すべきである。
これこそが、日本人の独自性と私は思うのである。

 最近注目のボーイング社製の旅客機も、ルーツはアメリカにあるが、その実質的な中味は日本で開発された強靭で軽い素材の存在なしには成し得なかった。この旅客機ボーイング787は、中型ながら機体の軽量化に成功し、大型機なみの航続距離を確保している。
その一号機がANAに納品されたのも、日本の技術が造り上げた飛行機であるからだ。
 話しは違うが、日本人は何もかも闇雲に外国の文物を取り入れたわけではない。反対に取り入れてはみたものの、馴染めずに捨て去られたものもある。
例えば中国の「易姓」などは、王朝の交替を天命として認めている。王朝が腐敗すれば、これを打倒して新たな王朝が立つ、これを「天命」として誇りにするのであるが、日本ではその正反対である。

天皇家は古代から連綿と続く一つの王朝だと主張しているからだ。「易姓」ほど王朝や王権の交替を正当化する便利な道具も無い。例え王権を簒奪したからといって恥じ入る必要もなく、胸を張れるのだから便利この上ない考え方である。
王朝が万世一系だとして、何事につけて言い繕うよりは楽である。本当はどうなのかは分からないが、少なくとも二つの可能性が考えられる。
本当に王朝の交替が無かったか、或いは記紀を編纂した政権に何かの都合があって王朝の交替を否定する必要があったかのどちらかであろう。
このように外国の文物を取り入れなかった正反対の事例ではあるが、これもまた日本人の独自性と言えるのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-08-26 07:13 | Comments(0)

頭はお喋り

 今日は久々に他の部署へ応援に出ました。ゴムシートをロールで整える作業の最終工程の担当です。ゴミや気泡、サイズ(厚みと大きさ)に注意しながら、シートを仕上げて次工程の人に渡すまでの仕事です。
ロールは蒸気で70℃以上に温めていますので、スポットクーラーの冷気を浴びていても数分で汗がしたたります。おまけに気温も高いので、作業場の温度は40℃くらいです。

そうはいっても、手慣れた作業ですから、つい余計なことを考えてしまいます。手と目は働き続けていますが、それはもうオートマチックな感じです。
そういう訳で、注意していないと思考は別世界へと直ぐに飛んで行ってしまうのです。作業の合間には外をボーッと眺めたりしますが、最近の様に日差しが強いとチカチカと銀色の渦巻きがあちこちで見えたりします。
それで、これは見えると話す人のいう「プラーナ」なのだろうか、それとも私の目が悪いだけなのか?などと考えてしまいます。

また頭の中で鼻歌を歌ったり、身体に痛い部分が出ると、気をその箇所に集めるようにイメージしたりもします。他には自分本来の仕事の段取りとか、休みの日に何をしようとか、ブログのネタを考えたりもします。私の思考は、静まることなく浮んでは消えて行きます。
それで、以前から考えていたことなのですが、思考を停止してみようと思ったのです。
早速チャレンジしてみました。ですが、これが中々に困難です。
作業に集中しても数分がやっとです。各も人間の思考とは騒がしいものか!と改めて驚かされた次第です。

 しかし、よく考えてみれば、瞑想の時は自然に何も考えずに座っています。ただひたすらに、閉じた眼の中の暗闇に踊る様々な色の光や雲を見詰めているだけです。
思考が静かになると、本当の心の声が聞こえて来るような気がします。私たちは思考を自分だと思っているのではないでしょうか。
雑音の様に常に頭の中で湧き上がる脈絡のない考えは、決して本当の自分ではありません。
それは外界からの刺激への反射的な反応であったり、日常の癖や習慣に由来するものであったりと様々な原因によるものであって、決して私たち自身では有りえないと思うのです。
百歩譲ってそれが自分だとしても、ほんの氷山の一角であり、自分という生命の極一部分であると思っています。
 
瞑想その他の行為により、思考の雑音が静まった時に、私たちは神秘体験をしたりしますが、それは思考の仮面を脱いで本当の自分自身に向き合ったからだと私は考えます。
私は物事に行き詰った時に、一旦はそれを棚上げにして放置しておくことがあります。そうすると、ふとした時にそれに関するアイディアが浮かんできたりします。私の本来の仕事は、クレームに対する解答書を作成したり、製品テストをしたりデーターを集めたりすることです。ですから、行き詰って悩むことも多いのです。
期限を切られることも多く、問題を一次棚上げにすることも出来ない場合が殆どですが、行き詰っても時間的に猶予のある時はそうしています。
ふとした時に浮かんで来るアイディアは、本当の自分からのプレゼントなのだと思っています。
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by levin-ae-111 | 2012-08-22 05:16 | Comments(0)
 この協定は「偽造品の取引の防止に関する協定(ACTA)」といい、模造品や海賊版の流通防止のための国際的枠組みであるという。こうした枠組みが必要とする外務省の主張に反して、ネットユーザーを中心に反対運動が起こっている。
ロンドンオリンピックの最中の7月31日の参院外交防衛委員会で、ACTA締結承認案は全会一致で可決した。そして今月3日の参院本会議で賛成多数で可決された。
このままでは衆院で可決・成立する公算が大きい。

 これは8月20日の北陸中日新聞の記事だが、これを理由にネット上の著作権取締りも強化される。欧州では当局が取り締まりのためにネットを検閲するのでは?と不安視され、大規模なデモが行われ、欧州議会は批准案を否決している。
しかしEUが批准しなくても6カ国が批准・承認すれば、ACTAは発効する。日本政府は3月に国会承認を求めることを閣議で決定し、着々と準備を進めてきたという。
ネットに詳しい弁護士は「ネットに限らず、言論や表現への規制が強化される」と予測する。

 具体的には親告罪である著作権侵害などが、非親告罪化される可能性がある。親告罪は著作権侵害と認められる事例が存在しても、権利者から告訴がなければ起訴できない。それが権利者からの告訴がなくても、起訴できる。
玄葉外相は「必ずしも非親告罪化が義務づけられている訳ではない」と抗弁しているが、「全く非親告罪化しなかった場合に加盟国から条約違反を指摘されたら支え切れるのだろうか」と先の弁護士は首をかしげている。

 これまで多くの場合で法律が拡大解釈され、それを強引に適用し幾多の罪無き人々が罪人として塗炭の苦しみに陥れられたことだろうか。
殊に言論に関する弾圧には、この種の法的な縛りが威力を発揮することは明白である。
オリンピックに沸く民衆をよそに、その陰でろくに報道もされず着々と進む民衆監視の為の国際協定の批准協議は私たちにとって脅威である。
最悪は反原発や政治批判など政府にとって不都合な発信をした者は、いきなり逮捕されてしまう場合もある。

偽造品や模造品の取り締まりが飽く迄その本分と言うが、現在の政治家たちはその本当の意味が解っているのだろうか。それでなくとも失言を繰り返す人種なのに、それが自らに返って来る可能性は皆無と思っているらしい。
ACTAが批准され発効したら、私もこの様な内容の意見は発信できなくなるかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-08-21 05:15 | Comments(0)

領土問題

 最近、日本の周囲が騒がしい。尖閣諸島や竹島の領有権を巡る争いは、今に始まったことではないらしい。詳しくは知らないが、どうやら相手は自分の都合で領有権を主張したりしなかったりといった感じだ。
 それは相手の国内事情であったり、資源に関連する都合だったりと、誠に勝手なものだと感じさせられる。

 余談だが尖閣に上陸した香港の活動家たちの顔は、何れも目を吊り上げて険しい表情で、まるでならず者のようだった。しかし、別の機会に取材を受けていた彼らの内の二人は、まるで別人のようににこやかで穏やかな表情を見せていて、そのギャップに驚いた。
ロシアの大統領は北方領土を訪問し、迎えた地元の為政者に「これっぼっちも、渡さない」と力強く宣言していた。
韓国の大統領にしても、竹島とは無関係の天皇陛下についてまで言及するとは、何か常軌を逸している。

こういった問題が発生する原因は、日本政府が戦後処理をしっかりと行っていないからだとする意見があるが、私はそうは思わない。
どう謝罪しようが、日本の周囲の国々は自分の都合により、今のような態度に出てくるのである。約束を守る気などない者たちに、約束など無意味であるからだ。
 中国はなる程大国であるが、イザとなったら日本企業を完全に引き揚げさせるくらいの気概が日本政府には必要であろう。
経済大国とはいっても、その辺りが中国の弱点であると、私は見ている。安い労働力に惹かれて多くの企業が中国に進出したが、もうその魅力も薄れている。

中国の他のアジア諸国の領域への侵入も著しく、フィリピンやベトナムなどは中国に抗議するも小国ゆえに相手にされていない。日本企業はタイやベトナムへと目を向け始めているが、今後は中国から撤退して、そちらへ生産拠点を移して行っても良いだろう。
そして中国の覇権主義的なやり方にも、日本、フイリッピン、ベトナムが連携し、タイやインドネシア、などの力も借りるべきであろう。

 韓国は日本以上にアメリカの軍事同盟に依存して、安全を保っている。北朝鮮とは正式に終戦を迎えておらず、長い休戦状態にあるのが本当のところだ。日米同盟の絆を強めることが、今は大切だという人もいるが私は法的に出来る限りの措置をして、放置しておくしかないと思う。

ロシアは昔から日本の驚異であり続けているが、やはりそれなりの対抗力も必要になるだろう。ソ連時代から彼の国の外交は余り変化していないと私は感じる、弱みを見せれば付け込んで来るそういう国だ。
日本の周囲は敵国とは言わないまでも、常に隙あらば何事につけて利用してやろうと狙っている国々ばかりである。そういう真っ只中にある日本だから、中国も輸送機オスプレイの導入に文句をつけている。中国も在日米軍や自衛隊が攻めて来るとは全く考えていないだろうが。文句を付けるというのは自分達が攻める時の脅威を減らしておきたいから、としか考えられない。そこに、彼らの本音が透けて見える気がする。

 しかし、こんな議論は最初から馬鹿げていると思う。地球の陸地も海も空も、本来は誰のものでも、何処の民族のものでも、何処の国のものでもない。
人間が勝手に区分けし、ここは自分たちのものだと主張しているに過ぎない。人間はグレイゾーンを多く持っているが、こういう境界争いの場所はグレイゾーンにして、誰も入れない或いは誰でも入れるという風に出来ないものだろうか。
何れにしても欲望むき出しの周辺国の身勝手には、呆れるばかりである。それは同時に余りに幼稚な人類の精神性の表れであると考えれば、悲しくなる。
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by levin-ae-111 | 2012-08-20 04:41 | Comments(0)

映画スライヴ

 今更ながらこの映画を視聴しました。世界的大企業P&Gの後継者として教育された人物が、その道を選ばす人間の健全な発達を阻害している原因を究明しようとした創った映画です。
最初に出てくる「トーラス」と呼ばれるエネルギーの循環システムは、存在する全てに適応されているものでした。リンゴや梨などの果実は、まさしくそのエネルギー循環の形を現しているものです。つまり、中心から上にあふれ出し、周囲を廻って再び下で中心へと収斂するその形が「トーラス」の軌道そのものなのです。

驚くべきことに、トーラスはミステリーサークルや古代文明の遺跡の中に、或いは私たちが目にしたことのある紋章に、二次元的にまたは三次元的に表現されているのです。
このトーラスは地球や太陽の磁場に、銀河の渦巻きに、この宇宙のあらゆる実態の中に適応されている形でもあったのです。
私は実感を伴った経験から、これが真実であるという確信を持ちました。それは日常的に殆ど常に感じている私自身のエネルギー場と思われる肌感覚が、トーラスの形そのものだからです。

 私の感覚は、背骨に沿ってザワザワと上昇し遂には頭頂に達し、そこから噴出して緩やかに回転しながら身体全体を包んで下半身へと下り、尾骶骨へと収斂し、再び上昇し頭頂からあふれ出すという循環を繰り返しています。
トーラスには自己修復機能が備わっていると映画では述べていましたが、確かにそうなのです。私の場合、自己のエネルギー感覚を思念で動かせるのですが、意識することを止めると感覚は自然にトーラスの形へと戻っていきます。

 例えば、意識して感覚の中心を左右前後など何処にでもずらします。感覚は確実に意識した方向へと移動しますが、意識することを止めると中心は背骨に戻って来るのです。
背骨に沿って上昇する時は少し熱いような感じがしますが、頭頂から出る時は柔らか揺らぎを伴っていて、軽くジンジンする様な感覚です。
このトーラスの形は、意識すれば手の平など身体の各所で感じられます。胸、腹、手のひら、足の裏などです。

 話しがそれましたが、トーラスはエネルギーの形ですから、これを利用して無限に何処でもエネルギーを取り出せるというのがこの映画の主張のひとつでもあります。既に何人ものエンジニアや科学者がこれを利用して、空間から電力を取り出すことに成功していると映画では述べていました。
これが実現すれば、世界の貧困のほとんどは解決出来ます。但しそれには大きな障害が存在しています。ご存知の通り、既得権益を有しこれまで莫大な富と権力を手中にしている世界の支配層のことです。

彼らの支配は巧みで、エネルギー、食料、金融、教育、マスコミなどを通じて私たちの生活全般に及んでいます。フリーエネルギーを開発した人々は、常に迫害され追放され、時には命さえも奪われました。彼ら自称エリートたちは、民衆に自由を与えると全てが混沌の中に埋没してしまうと考え、優秀な自分たちが民衆を管理し支配してやっていると考えています。
私たちの社会的通念や常識、良識といった世界にまで彼らは踏み込み、大衆を支配しています。

支配者たちは金融を自在に操り、好況と不況を巧みに演出しながら、自分たちの利益の為に、ただの紙切れを実質的に価値のある土地や権利へと変えています。
何れは世界の実質的な資産の全てが、彼らのものと成るでしょう。本当は彼らはお金などに興味はありません。彼らが発行するお金に、価値など無いという事を誰よりも知っているからです。現代ではあらゆる証券が電子化されつつありますが、私たちが信じて疑わないお金も実際には銀行の金庫には余り多くは存在しません。
銀行が持っているのは、コンピューターに打ち込まれた「数字」だけです。
株その他の金融商品も、あらゆる先物取引も実際にはお金や物が動くわけではありません。
その実態は、ただコンピューターに打ち込まれる数字が、変わるだけなのです。

映画にナビゲーターとして登場するフォスターとキンバリーのギャンブル夫妻も、調べて行く過程で自分の調査結果を信じられないと感じ、戸惑いながらも結局は悲しく悔しい現実であると認めざるを得なく成って行ったと何度も述べています。
支配層が最終的に目指すのは、自分達による完全な世界支配です。ピラミッド型のヒエラルキーは、彼らの目標とする世界の象徴であり実態でもあるのです。
今や彼らの目標はほぼ達成されつつありますが、それでもまだまだ対抗手段は存在するとギャンブル夫妻は力説します。

それは民衆の力を集結することです。私たちが、実際に日常の中でどうすべきか、映画の終わりにはその方法が示されています。
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by levin-ae-111 | 2012-08-19 06:50 | Comments(0)