身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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交通安全祈願と違反切符

 久し振りに何時もの人と何時もの場所で、何時もの会話をしながらリラックスした楽しい時間を過ごしました。土曜日の午前中から、ほぼ一日、飽きることもなく話します。
沢山の事柄が話題にあがりまた。
各々の近況や友人たちのこと、世情のこと、歴史やスピリチュアルなこと、女性のことなど本当に盛りだくさんです。

その中で友人が某神社に交通安全の祈願に行ったが、その結果が3回も連続で交通違反切符を切られたという話しでした。
私は幸運なことに何十年も交通違反切符とは無縁です。友人も似た様なものでしたが、お参りした途端に連続で捕まったというのです。
その神社には友人が自ら積極的に出掛けた訳ではなく、Jに強引に誘われて仕方なく行ったそうです。

実はその神社、私の地元に鎮座ましますお社で、そこの宮司さんは良心的な料金で前世を観たり除霊をしたりされるそうです。私とも共通の友人であるJが、前世を知りたくてそこへ行き、神様がついていて下さると言われたそうです。
それですっかりファンに成ったJが、強引に友人を誘って御払いを受けに行ったという訳です。三度も続けて交通違反の切符を切られた友人は、当然罰金を支払い免許の点数は加算され、処罰を受けることになりました。
処罰は二通りあり、一万数千円を払い一日の講義を受けるか、一万円を払い半日の間市街へ出てボランティアをするかです。

友人は市街へ出る方の処罰を選択したそうです。交差点で警察官の指導の許、通り抜ける車を観察させられたそうです。一旦停止の場所での観察では、殆どの車は止まっている様に見えてタイヤは完全に停止していなかったそうです。
 それにしても、災難でしたが、これを友人は何と捕らえているのか私は興味を持ちました。それを訊ねる前に友人は自らこう語ってくれました。
「これは、大きな事故を起こす前に神様が警告してくれたのだ。そう考えるしかない」という見解でした。流石は友人!と言いたいところですが、事実を踏まえて自らを納得させるにはそう考えるしかないのです。
 それでも無闇に意気消沈したり、ヤケを起こして自暴自棄になるよりは遥かにましです。やはり人生経験を重ねた友人は、流石です。
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by levin-ae-111 | 2012-10-30 05:30 | Comments(0)
 アカシャの情報を受け取る場合は、その人にとってポジティブな情報だけを選んで取得することは不可能であるらしい。ポジティブな情報もネガティブな情報も、全て一緒に来てしまうからだ。人はネガティブな体験には触れたくないもので、それが多くの人が直接のアカシック体験を選ばない理由であるという。

多くの人々は無意識的にしか情報を受け取っていないが、この場合は情報の一部しか入手できない、多くの人は良い情報しか知りたがらないのだ。
ネガティブな情報を避けるのではなく、情報を得て未来の重要な出来事に気づくことで、未知なるものへの恐怖を手放すのだとゲリーは信じている。
そのことにより罪悪感や恥辱、後悔などを手放してあらゆる可能性を完全に石気することが出来るようになる。
こういう意識状態になると私たちの出来事に対する意識の反応(レスポンス)を拡大してゆき、拡大した反応が物事が起きるタイミングや、出来事がもたらす結果や状況を変化させるのだ。

 このことは特にアカシャの情報に接する事がなくても、私たちの日常生活においても十分にいえる事である。アカシャとの違いは、事前にその出来事を認識しているかどうかの違いだけだ。
私たちは実生活でも過去の体験を元に、今後の方針を変えることも出来るし、物事や他人に対する態度を変化させることも十分に可能だからだ。ただアカシャの情報には、いわゆる「取り返しのつかない出来事」に対して備えることが可能になるという決定的なアドバンテージがある。そういう意味からも、私にはネガティブな情報こそがより大切に思える。

 アカシャの情報にはその人の「死」に関する情報も、無論のこと含まれている。一般的に「死」はネガティブな情報として受け取られ勝ちであるが、果たしてそうだろうか。
ゲリーの許へ相談に来る人々からは、この自分の「死」に関する質問は普通しない。
しかし、そのような情報も時にはその人に深い解放をもたらす事もあるのだ。
「死」は人生の目的を達したと感じている人にとって、地球での旅を終えて故郷へ帰りたいという想いが叶えられるということでもある。そういう人はただ人生の重荷から逃れたいというのとは違い、目的を達成したために新しい事を始めたいという興味が殆ど無いという感じかも知れない。

 思い出して頂きたいのだが、私たちの多くは他の惑星システムからの来訪者である。私たちはアカシャを通じて多くの情報をシェアするために、様々な惑星システムを転生して渡り歩く魂である。魂には「死」という概念など無用だし、実際に何も恐れる必要のない出来事である。

私たちは自分が求めるものを探しながら生きている。そして、私たちは自分が探し求めるそのものになるという体験をするのである。
魂は全ての転生の全ての瞬間の細かいところまで知っている。誰もが自分が何者であったかを魂のレベルでは、決して忘れることがないとゲリーは言っている。
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by levin-ae-111 | 2012-10-29 05:34 | Comments(0)
 私たちが情報を取得できるのは、アカシャ以外にオーラやエーテル体からもその人の情報を得ることが出来るのだとゲリーは言っている。
 オーラとは肉体から放射されているエネルギーで、オーラを読むというのは肉体の情報を読み取るということだ。
しかし仮にオーラの状態に問題があったとしても、その原因を特定するのはオーラを読んだだけでは不可能だ。この場合はアカシックレコードにアクセスして、その原因を探ることになるのだそうである。

またエーテル体の中にも、その人の情報が記録されているので、エーテル体に触れたり手を近づけたりして、サイコメトラーのようにして情報を得ることも可能であるらしい。
しかしエーテル体の情報はアカシャとは異なり、その人の情報しか記録されていない。
いうならば肉体がパソコンでエーテル体の情報はホームページのようなものであり、そのホームページはインターネットウェブの一部でもある。
また肉体にはその人について多くの情報があるので、その人のパソコンの使い方さえ分かればその人のホームページを見ることが出来る。

 それに対してアカシャはウェブそのもので、全ての人のホームページに体験の情報が記録されている。エーテル体には個人の情報に限り現在の情報だけでなく、過去の転生の記録も残されている。
エーテル体は肉体の外50センチくらいまで広がっているらしいのだが、情報を得るには一般的な場合で身体から20センチ程度にまで手を近づける必要があるらしい。
「一般的な場合は・・・」というのは、その距離的な感覚は人により異なるとしているからだ。強い恐怖心に支配されている人や、秘密主義の人の場合には、エーテル体が肉体に密着していて外部への広がりが少ないからだ。

逆に恐怖心が少なく秘密も少ない人のエーテル体は周囲に大きく広がり、3~4メートルの距離からでも情報を得られる人も存在するという。瞑想のマスターのような人の場合だと、30メートルもの距離からでもエーテル体の情報が読めるとゲリーは主張している。
この距離をブッダフィールドといい、触れると歓迎されているようで心地良いものらしい。
マスターたちには恐れも秘密も無いので、このように大きくエーテル体が広がっているのである。
ゲリーが述べるには、恐れを克服した状態に到達するには人生の中で私たちが普通に行う計算をしなくなった時からエーテル体の拡大が始まるのだそうだ。

 ただゲリーは全ての人が行きを拡大して、ブッダのように成るべきだと主張している訳ではない。私たちは様々な体験をするためにこの地球へやって来たのである。
貧困を体験するために貧困は必要だし、狂気を体験しに来る人もいるし、ブッダを体験しようとする人もいるのだ。
無数ともいえる様々な領域を体験することにより、私たちの魂はこまの世界を完全に知る事が可能になるのだ。従って全員がブッダのように成る必要はないのである。
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by levin-ae-111 | 2012-10-28 07:36 | Comments(0)
 アカシャはシンプルなエネルギーであり、人は葛藤を抱えていなければ誰でもアカシックレコードを訪れて情報を得ることが可能であるとゲリーは書いている。
但しエネルギーの本津を理解して、自分の中の葛藤をある程度解放できればの話しである。
無論、葛藤があってもアカシャにはアクセスできるが、その場合は解釈を間違ってしまう可能性がある。

 実のところ誰でもアカシックレコードにアクセスしているらしいのだが、ただそれに気がついていないだけなのだ。アクセスの頻度は、毎日、いつでも繋がっている。
考えてみれば、これは至極当然のことだ。
説明不能の行動パターンや湧き上がってくる強い衝動、明晰夢やインスピレーションや霊的な悟りのような形で誰もが無意識にアカシックレコードと繋がっているとゲリーは説いている。いつも同じ道を通る人が、何かを感じて別の道を通った。そしたら常のそのルートで悲劇が起こっていた。その人は別の道を選んだお陰で、悲劇に遭遇せずに済んだ。
こういったアカシックレコードからの直感的な情報は、誰でも受け取っているのだ。

 だが自己中心的で自分自身の置かれている環境や状況の中にドップリと取り込まれてしまっていたならば、アカシックレコードからの情報を認知することが出来ないのだという。
アカシックレコードからの情報を認知するには、捕われてしまっている何かを理解して解放し、自分の意識を外に向けることが必要になるのだ。
それが出来れば、いつでもアカシックレコードの情報に繋がることが可能になるのだとゲリーはい主張している。
情報は夢を通してやってきたり、何かを考えていて「どうして今これについて考えているのだろう?」と思ったりすることもある。これは「第六感」「虫の知らせ」といったものだ。

ゲリーに言わせれば「恐れ」もそうだ。蜘蛛や蜂を見て恐れる人が居るとする。それは過去に起因するのではなく、未来に対しての何かの警告かも知れない。それが葛藤を手放して自分を解放していれば、「合点が行く」という感じで分かるはずだと。
 この間隔は人々にとってとても有益で特にアカシックレコードを読むテクニックや能力がなくとも、単純に自分を開いて情報を受け取り、その情報に耳を傾けるだけでちゃんとガイドされているのである。

 アカシックレコードは起こる可能性のある危険を未然に回避したり、問題を最善の方法で切り抜けたりするのに役立ち、また理由の分からない癖を理解するのに役立つ。
しかし、恩恵はそれだけだとゲリーは述べている。
アカシックリーディングの能力を、それ以外に使う人々が居ます。人の未来を予言する、未来を読んでお金儲けをするなどは十分に可能なことであるが、それはお奨めしない。
アカシックリーディングに限らず、全ての超常現象というものは罠だとゲリーはいう。
その理由は多くの人が超能力を持つと、その超能力を持った自分と自分の本質を同一視してしまうからなのだ。

 私は今にして思えば、アカシックレコードにアクセスしたのではないかと思う体験がある。その体験とは交通事故の直前に、映像付きで事前に事故を事前に経験したことだ。
追突されて衝撃を受け、前のめりになる自分の姿を衝撃の感覚と供に見せられたのだ。
その時の私はその情報を素直に受け取らず、「嫌なものを見たなぁ」程度で納めていた。だから実際に事故に遭った。見せられた映像と実際の事故に遭遇した感覚は、全く同じものだった。唯一の違いは、映像には無かった急ブレーキの音が聞こえた事だけだった。
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by levin-ae-111 | 2012-10-27 06:37 | Comments(2)

 ゲリーはアカシャとはインターネットの様なものだと言っている。実際にはこの瞬間も私たちはアカシャと繋がっているが、それに気づかないだけだというのだ。
私たちは自分自身が生まれる前にインプットしたデーターを受け取ったり、現世での様々な出来事に対する反応をインプットしたり、そのデーターにアクセスしたりしているのだそうだ。
こうして私たちの人生の全てが、アカシックレコードに書き込まれていくが、これは膨大な量になる。例えればワールドワイドのインターネットウェブと同じだと思ってよい。
世界で見知らぬ誰かが書き込んだブログを、見ず知らずの人が閲覧できる、アカシャの情報ネットワークは正にそうしたシェアを目的に構築されているのだ。

 アカシャの仕組みについては、現代のコンピューターネットワークと似た様なものと思えば理解もし易いだろう。その為に現代ではアカシャの存在を受け入れ易くなっているし、アクセスもより容易になっているという。
但しアカシャやアカシックレコードに記録されるのは、その人の行動のみで、何故その行動をしたのかまでは記録されない。
つまりその人にとって正当化された部分は、記録されないのである。それは先述した「偏見なしに」という部分に掛かって来るのであろう。
それとは別に人の行動は、その人の信念が反映されるものであり、ある意味で行動の理由まで記録する必要がないからであろう。

 アカシャやアカシックレコードにアクセスして、その記録を読む場合には更に困難な状況が生じる様だ。何故ならば記録された出来事を解釈するにも、解釈する人の癖のようなものが反映されてしまうからだ。解釈する人は、完全にニュートラルな状態で読む必要がある。そうでないと、間違った解釈をしてしまう。
また解釈には別のややこしい面がある。例えば既知の人の3世前の記録を読む場合、現在のその人の性格などから解釈しては、解読を誤ってしまう事になる。
正しく解釈するには3世前のその人の視点にたって解釈しなければならないのだ。

 更に人間だけが自分の本当の思いを隠すことが出来る。人間は他の動物のフリをする事も出来ますが、他の動物が人間のフリをしているのを見た事はないとゲリーはいう。
人間だけが相手に好印象を与えるために嘘をついたり、恰好良く見せようと努力する。動物には、無論その様な側面は無い。
私の家の猫は、何かを要求する時に、字義どおり「猫撫で声」を出して甘えて来るが、それは決して嘘ではなく単に経験上の反応に従っているに過ぎないのだ。
横道に逸れました・・・。

要するにアカシックレコードを読む場合は、その人の置かれていた状況や時代背景、更にはその人の裏の部分もあるという事を理解する必要があるという事だ。
アカシックレコードはその人の行動を通して解釈されるが、その人の状況や文化的背景などを知っておく必要があり、人類の行動様式や文化を学ぶ必要もあるのだ。
これ等の事柄に細かく注意しても、偏見が入ってしまう事がある。この様にアカシックレコードを解釈するのは非常に難しいのだが、解釈に係わらずアカシックレコードの情報は純粋であるとゲリーは述べている。
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by levin-ae-111 | 2012-10-26 05:20 | Comments(0)
アカシャとはこの次元ではないところに存在する神秘的で壮大な図書館に付けられた名前であるという。この図書館には2億600万年年から西暦6732年まで、個人の意識から集合意識まで、人類史に起こった様々な出来事からそれに対する反応(レスポンス)の記録が全て詰め込まれているという。

そのアカシャの中で個人の魂の記録がアカシックレコードであり、アカシャを図書館と言うならば、このアカシックレコードはそこに収蔵されている書籍といえるだろう。
ソウルグループには個の魂の記録が集まる。するとそれは、同じ様にアカシャと呼ばれるらしい。
結合した魂のペア、ツインソウルも二つでアカシャと呼ばれる。しかし例えツインソウルであろうと別々の転生を行っているので、それぞれの個の記録はアカシックレコードと呼ばれる。
つまり複数のアカシックレコードが集まれば、それを全てアカシャと呼ぶようだ。
ゲリーは、私たちは自分のアカシックレコードを通して、アカシャにある全ての情報にアクセス出来ると書いている。

 アカシャのようなシステムが必要になった理由は、地球を観察する目的を達成する為には個としての枠組み、観察する枠組みが必要となったからだ。
しかし個としての体験は分かるとしても、自分意外の体験は分からない。そこで偏見の無いかたちでお互いの体験をシェアする為にアカシャというシステムが必要になったのだという。
人間以外の動物たちは知性的に思考することは出来ない。無論、知覚的な情報のインプットはあるが、知性的なジャッジ(批判や判断や偏見)はない。彼らはお互いのボディランゲージやサイキックな衝動の様なものをキャッチし合うという形で繋がっている。
動物達にある偏見は、異なる種の間にのみ存在しているとゲリーは言う。

 これに対して人間も非物質レベルで繋がっているが、個の中に知性を所有する為に普段はそのことに気がつかない。故に個々の体験をシェアする為の仕組みが必要だった。
アカシャには全ての人の体験を、永続的に貯蔵するという役割がある。体験してすぐのものから、時を経た過去の体験までも偏見なしにシェアできるのである。故に人間は始めの情報から、最後の最後の情報までもシェアできるということである。

地球には12のロゴス(ここではエネルギーネットワークの入り口程度の解釈で良いと思う)が存在し、地球に転生しようとする魂は必ずその何処かを通過しなければ成らない。地球での転生を始めるに当たって、どのロゴスを通って転生を始めたかにより、その魂が地球を観察する場合の感じ方や捉え方に特徴があるらしい。
また魂には出身惑星システムというものがあるらしく、どの惑星システムからやって来たかによって魂の特徴が異なるとも言っている。太陽系、オリオン系、プレアデス系など様々な出身惑星システム(アカシャ)が存在し、それぞれの惑星システムからやって来て地球で転生を始めた魂たちには出身惑星システムの特徴が現れるという。
 ちなみに、魂の源自体は何処の惑星であろうと同じ(宇宙の大霊のわけ御魂)であるが、出身惑星とは、その魂が最初に転生を始めた場所を出身地というのである。

 さて、私は何処の出身だろう?そう言えば、最近「早く帰りたい」と考えることが多くなった気がする。ゲリーの本を読み進んで行くと、どうやら地球に生きている多くの人々は、皆どこか他の惑星システムから転生して来たものらしい。それよりは地球出身の魂の方が少ないという印象を受ける。
惑星ステム間で魂たちが転生する理由は、やはり偏見なしでの情報や体験をシェアする目的があるようだ。
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by levin-ae-111 | 2012-10-24 05:41 | Comments(2)
 アカシャとはエネルギーの構造体であり、地球を包む思考あるいは想念エネルギーの帯であるとゲリーは言う。魂たちはアカシャが存在している所にしか転生できない。
その基本構造を構築した魂たちの先陣をロゴスと呼ぶ。ロゴスたちは本隊に先駆けてその地を精査し、迎え入れる準備をする。アカシャはそのロゴスたちが変化させた空間に形成されるものだとゲリーは説いている。

 ロゴスたちが形成したアカシャは、思念を実体化させる為に使われるエネルギーである。一般の魂が転生を始まる前に地球に来て、当時地球に生息していた類人猿の肉体を変化させることにより想念エネルギーも変化させていった。
依って人間のアカシャはその新しく造られた、想念エネルギーの帯の中に存在している。
ロゴスたちが地球へ来て、その周囲に蜘蛛の巣のようなネットワーク、アカシャを造り出したのである。そのネットワークの中に人類の集合意識全体と、個々の記録までが納められているのだ。

 例えて言うならば、現代のコンピューターネットワークの様な物である。個々の記録はアカシックレコードと呼ばれ、それが複数になるとアカシャと呼ぶことになる。
更にそのアカシャがユニットになると、それはまた一つの単位としてアカシックレコードと呼ばれるとゲリーは述べている。
そしてアカシャのネットワークはどの世界、どの惑星にシステムにも存在しているものらしい。そして勿論、一様ではなく各々のシステムで特徴がある。

その特徴により人類の形体も決まるので、その結果様々な形態の人類が存在することに成るのだという。
なるほど、コンピューターのネットワークに例えられると、より良く理解出来る気がする。眼には見えないが確かに存在するネットワークシステムにより、私たちは繋がっている。
ネットの存在しない世界では、私たちは繋がることが出来ない。それと同じ様にアカシャの存在しない世界には魂は行けない。
転生という魂の旅もまたアカシャの存在なしには考えられないのだ。

私たちは膨大な魂の集合体の一部であり、お互いの悟りの瞬間と集合意識が覚醒する最後の瞬間に立ち会う為にこの世界に来ているのだ、とゲリーは述べている。アカシャは完全に分かち合った意識の観点の貯蔵庫として存在するのだという。
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by levin-ae-111 | 2012-10-23 05:49 | Comments(2)

腰痛と読書

 先週から腰痛になり、この土日は久し振りに少しだけ読書に没頭しました。
以前から読みたいと思っていた高田郁さんの『みをつくし料理帳』の1巻と2巻を買い込み読みました。この部分は先日ドラマで放映されていたので知っていましたが、原作とドラマの違いを知りたくて敢えて買ったのです。
腰痛のせいで椅子に座るのも辛く、ただ横向きに寝転がって可能な限り楽な体勢で読みます。まずドラマの主役は美女でしたが、原作では眉の下がった少しユーモラスな顔立ちの娘に設定されていました。

以前から「澪つくし」とは美しい響きの言葉とだと感じていましたが、水脈の指標のことであるとこの小説で知りました。つまり「澪つくし」とは澪標と書くらしいのです。
さて物語は知っているものの、ドラマのイメージに引きずられることなく自分成りの物語の世界を描くことが出来ました。
ドラマは少し恰好良すぎるのが難点なのか、原作の小説の方がリアルな感じがして想像力を掻き立てられました。

 一気に2冊を読み終え、ほのぼのとした気持ちになりました。そしてまた、何か読み足りないと感じ、今度はガラリと雰囲気を変えてゲリー・ボーネル著『アカシックレコード』にトライしました。
この本は以前から買って持っていたのですが、いまひとつ理解が出来ず、所謂「積読」に成っていた一冊です。
2億600万年前から西暦6732年までの人類の集合意識と個々人の転生の全記録が即ち「アカシャ」であるとゲリーは述べています。
 私たちは概ね他の生命圏から来た魂であること、そして魂と身体的意識は異なることなど、とても難解な内容です。そして私たち一般人にとっては遠いと思っていたアカシャが、実は誰でも接しているものであるという驚異的な内容に少し驚きました。

読書の秋、食欲の秋ですが、私はようやく読書への情熱が戻って来ました。これから『みをつくし料理帳』の続巻も読みたいと思っています。
また危険な誘惑がムクムクと鎌首を持ち上げて来ました、こうなると本屋さんは私にとっては非常に危険な場所となります(笑)。私は読みたいと思った本を、何冊でも衝動買いしてしまう癖があります。しかし何とか我慢して、懐具合と相談しながら楽しむことにします。
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by levin-ae-111 | 2012-10-22 20:36 | Comments(2)

縄文人の食卓

 縄文時代の前期は気候が温暖であり、人々は自然の恩恵に十分に預かれた。主食となったのは比較的簡単に手に入るもので、胡桃や栗、栃の実、どんぐりの類や山ごぼう、ハス、ウリ、マコモ、長芋、しょうが、ミョウガ、ウド、フキ、タラなどに加えて、山ブドウ、木イチゴ、アケビなどが食べられていた。

 これを見ると縄文人たちは調理しなかったと思うかも知れないが、縄文人たちは火を使いちゃんと調理していたのである。例えば栃の実やどんぐり類はアクを抜く必要があるが、これらの木の実は水に晒したり、加熱したり更には灰を加えたりしてちゃんとアク抜きをして食していた。
どんぐりを材料としたクッキーも各地の遺跡から出土していて、その形も単に扁平なものに止まらず捻りを加えたものや丸いもの、模様をつけたクッキーまで存在していた。

 植物に限らずウサギやイノシシ、鹿などの動物も食べられていた。獲物になった動物も多種多様で、ムササビ、カワウソやカモシカ、熊、サル、クジラ、イルカナなどもご馳走だった様である。特によく食べられていたのが弓矢や落とし穴で捕獲できるイノシシと鹿で、他の動物よりも捕獲し易かったからであろう。
縄文人はこれらの肉を刻み、松や栗の実と混ぜ合わせ、塩を加えて味付けし焼いていた。

 その他には魚介類や鳥類も無論のこと食していたが、その種類は何と出土しただけでも貝類350種、海と川の魚は70種以上、鳥類は35種以上にのぼっている。
これは意外な程にバラエティに富んでいるし、更に土器を使って調理もし、塩という調味料も使っていた。
貝などは潮干狩りの時期に大量に食べているなど、縄文時代の人々は食物の旬も心得ていた様である。

 さて縄文時代は気候が温暖であったと言えば、私などは故山本建造氏の説が思い出される。山本氏は日本民族の発祥の地を乗鞍岳一円の飛騨大陸と想定し、そこで発生した日本人は温暖な気候に助けられて暮らしていた。しかし気候が寒冷化し高山地帯での生活が困難になると、現在の高山市周辺へ移り住んだと唱えておられた。
豊富な自然の幸に恵まれた縄文時代は、私たちが考える以上に自由で素晴しい時代であったのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2012-10-16 05:27 | Comments(0)

 忍者というと超人的な技を駆使して、普通の人間には出来ないことを遣って退けるというイメージがある。その発祥は山伏と修験道にあり、その流れを汲む人々が山間の僅かな平地に集落を築いて生活するようになった。
伊賀(三重県)や甲賀(滋賀県)などが有名だが、恐らくは全国に似た様な小集団が多く存在していたことだろう。

 忍術は修験道の薬草の知識や山の歩き方、火を使う技術から発展し、それが忍術として後世に伝わることになった。この忍者たちは当代の支配者たちの支配を嫌い、自主独立の気風を持っていた。当然、その気風は支配者にとって邪魔であり、室町幕府の時代から圧倒的な軍勢で攻め込まれる事が度々にあった。しかし、忍者たちは強く、常にそれ等の敵を跳ね返して来た。
だが信長の伊賀攻めでは、伊賀の郷は焼かれ、多くの人々が無条件に殺戮され、忍者たちは潰えたかに思われた。

 後に信長が本能寺で殺されると、僅かな手勢で堺に居た信長の同盟者である徳川家康は危機に曝される。家康一行は危険な伊賀越えのルートを選択し、領地である三河へ逃げようとする。この時に伊賀と甲賀の忍者たちが一行を守り、道案内をして無事に家康を三河へ逃がした。その時の礼として家康が差し出した小さな観音像が、今も子孫の家に伝わっている。

 さて、家康が天下を握ると、忍者たちの恩に報ずるように忍者たちは幕府に召抱えられることになった。その頭領が有名な服部半蔵であるが、服部半蔵自身は武士であり忍者ではなかったとされている。
天下泰平の世となり、戦闘術である忍術の出番はなく、雇われた忍者たちは江戸城の警備に使役された。現在の皇居にある半蔵門には、当時は100人の忍者が24時間体勢で詰めている100人詰め所の跡であるという。

 警備員となった忍者たちは、戦闘の機会もなく次第に忍術の技も廃れ、忍者とは言えなくなって行った。郷に残った人々も自治権と武器を取上げられ、農民として位置づけられ大名の支配下に置かれ重税に苦しむことになった。
その状況を憂い、忍術が忘れ去られるのを防ごうとした人物が存在した。甲賀忍者の血を受け継ぐ大原数馬である。数馬は忍術の多くを網羅した書物『万川集海』を著し、これの写しを幕府へ献上し、忍術の忘失を防ぐ意味でも忍者たちの待遇改善を求めて訴え出た。
数馬が忍術の全てを開示して訴えたにもかかわらず、幕府の対応は冷たく僅かに銀銭5枚を授けたに過ぎなかった。

 その大原家は現在も続いており、幕末には先祖の名を受け継いだ「大原数馬」が最後の忍者として語り継がれている。その大原数馬は忍術を闘いの技としてではなく、薬草の知識を生かした医術を志した。彼は医者として人々の治療にあたる道を選んだのだ。
 戦国時代には特殊技術を生かして脚光を浴びた忍者だったが、時代の移り変わりと供にその生き方を変えざるを得なかった。
武士たちの剣術も同様だが、それが現代にも剣道や居合い道として割合に広く伝わっているのに対し忍術は廃れてしまっているのは残念である。
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by levin-ae-111 | 2012-10-15 05:18 | Comments(2)