身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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『ねこのばば』

 ご存知、畠中恵さんの『しゃばけシリーズ』の物語の一編である。
猫も長く生きると尻尾が二股にわかれ、妖(あやかし)『猫又』に成るという昔からの言伝えを題材にしている。
猫又に成りかけた猫が、妖怪封じの力を持つという僧の許へ預けられた。
妖怪の孫で大店のお坊ちゃん一太郎の許へ、猫又が知り合いの猫を助けて欲しいと訪ねて来る。僧の法力が込められた御札のせいで、妖怪たちは閉じ込められている猫を助けられない。

一太郎は猫を貰い受ける交渉に寺へ出向き寺僧と交渉しようとするが、折もおり寺の敷地内で死人が出た。しかも、どうやら殺されたらしい。そして寺へ寄進された千両もの大金が紛失していた。一太郎と手代の佐助、そして寺僧の謎解きが始まる。
殺されたのは今でいう経理責任者の僧で、お金の紛失と関係がありそうだと睨む一太郎たちだったが・・・。

他にも何篇かが合わせられていて、犬神である手代の佐助の過去が明かされている。
少しネタばらしをすると、佐助は弘法大師の描いた絵から生まれた。それ以来、何百年も孤独な旅を続けて来た。
ある夜、山道を一人で歩く男を妖怪が襲う。早くから気配を察知していた犬神は、これを助ける。救われた男は商人で、犬神はその商人の店で働き始める。
そのお店の跡取り息子と仲が良かったが、資金繰りに困った店主は怪しげな信心を始める。

 その信心をすると、お金が湧いて出てきた。始めは百両、次は五十両と店の銭箱に小判の切り餅が自然に出て来るのだ。だが、その代わりに、寿命が縮みついには尽きてしまう。
妖怪である犬神は気にしなかったが、それが自らの大切に思っているお店の若旦那の身に降り掛かると知った犬神は必死で若旦那を守ろうとするが・・・悲しい結末だった。
だから今、仕えている一太郎を大切に想う佐助だったというストーリーだ。

 ところで我が家にも猫が居た。とても利口で優しい気遣いの出来る、珍しい程の猫だった。私の膝に座っていて、落ちそうに成った時、彼は思わず爪を出して掴まろうとした。
しかし次の瞬間に爪を立てるのが私の足だと気が付いた。そして出しかけた爪を引っ込めて、ズルズルと床に落ちた。名前を呼べば、確実に返事をしてくれたし、他の猫に自分の餌を譲る場面も日常だった。
あいつなら立派な『猫又』に成ったかも知れないが、近所の猫たちのリーダーだったからか生傷が絶えず長生きは出来なかった。奴と私は、心が繋がっていたし、人の言葉も理解していた。今いる猫たちも賢いが、奴には及ばないと思うのである。
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by levin-ae-111 | 2012-11-30 05:28 | Comments(0)

水舞神社

 先日から気になっていた神「オオヤマヅミ」を祭る神社が、県内に存在しないものかとネットで検索してみました。出て来たのは僅かに一箇所でした。
それが『水舞神社』で、祭神はオオヤマヅミの他に天照大神、スクナヒコのミコトなどとなっています。
調べた地名には覚えがありませんでしたが、地図を見ると意外に近くで1時間もあれば往復できる距離です。天気も良く、早速出かける事にしました。

 場所の目安は付いていましたので、スムーズに到着できました。脇道の端に車を停め、道路に面した鳥居の前に立ちました。
正面から見て右側には由緒書と、石でてきた『水舞神社』の銘が立てられています。そして左側には黒御影石に『飛騨一ノ/国幣小社・水無神社分社』とあります。
これには少し驚きました。飛騨一ノ宮水無神社といえば、もう十数年も以前に参拝した折に神様と思しき声を聞いた場所だったからです。
蒸し暑い日でしたが、その鳥居の内側に入ると冷房されているかの様に涼しく爽やかな空間でした。まさに「神域」と感じた初めての経験だったことを覚えています。

*詳しくは以下をご覧ください。神様との出会い(位山での体験)
http://blogs.yahoo.co.jp/brick_3410_hatena/328941.html 

参道は銀杏の黄色い落ち葉と実で、埋まっています。
日頃は余り人が来ないとみえて、手水の水は止められています。
落ちている銀杏の実を踏まないように注意しながら、参道の端を歩き建物に近づきます。
特に何か感じることもなく、普通に鈴を鳴らしてお参りしました。
特別な感覚など何も無かったのですが、少し気分が軽くなった様に感じました。
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by levin-ae-111 | 2012-11-28 05:52 | Comments(0)

三木合戦『敗者の戦記』

 別所長治の菩提寺である虚空山法界寺では、毎年長治の命日(2月17日)に絵解きが行われている。三木合戦の絵を掲げ、少年が絵を指し示しながら三木合戦の模様を語るのだという。この絵解きは城主一族の犠牲で救われた民が、その「御報恩」と鎮魂の為に始めたのが今日まで続いているのである。
秀吉の行ったピーアール用の幸若舞とは異なり、こちらの絵解きの方にこそ戦いの真実が秘められていよう。

 この絵解きには台本があり、それを『別所長治記』といい別名は『三木軍記』とも呼ばれる。これを書いたのは別所氏譜代の家来である来野弥一衛門の手になるもので、三木合戦の敗者の側からの戦記である。
敗者である別所長治の言い分は、そもそも戦いの発端からして秀吉の幸若舞「三木」のストーリーとは大きく異なっている。

話しは天正六年の秀吉軍播磨到着の時に遡る。秀吉軍の播磨到着に先立ち、信長から長治に使者が送られていた。使者は「味方におなりになれば、播磨一国は言うに及ばす、その他、功に従い恩賞あつく行うべし」と伝えて信長麾下の秀吉軍の先導を依頼していたのだという。
長治はこれを快諾し、領内の各城主から人質を取り、信長に使者を立て「国人共ことごとく人質を差し出し味方に属し候。早く大将一人下さるべし」と伝えている。
ここまでは、長治に反意はなく、寧ろ信長軍の到着を心待ちにしている感さえあった。
そこへやって来たのが、秀吉である。

長治は伯父その他の重臣を出仕させ、揃って秀吉に拝謁した。ところが・・・である。
その時の秀吉の態度ときたら、無遠慮に身勝手な事を言い、増して別所長治をはじめとする別所一族に下人に対するような挨拶をしたというのだ。
別所家は長い歴史を誇る名門の誉れ高い家柄であったが、対する秀吉は昨日今日侍に成った様な者(別所長治記の表現によれば)であり、あの侮辱的な態度は解せないと、別所一門は憤慨した。それは強いては、それが信長への不信感へと繋がった。

帰城した長治たちは、早速に軍議を開き以下の様な結論に達した。秀吉の先陣を勤め毛利を落としても、利用された挙句に播磨をも取られるかも知れない。今はこちらから秀吉を討つべきである、と。これが三木合戦の発端である。
そこには、乗りに乗っている増長している秀吉の素顔が見てとれる。また秀吉の出自の貧しさから来る名門別所氏への嫉妬、あてつけがあったのであろう。
もし秀吉が真摯な態度で別所氏に接していたなら、中国制圧も早まっていたに違いない。

秀吉の軍が三木城を囲んで1年と1ヶ月、大いなるロスでありそれは秀吉の失点である。
秀吉はそれを糊塗する為に幸若舞「三木」で、自刃を決意した別所一族に酒を贈ったなどと腹の太いところを示してみせたのだろう。
地方にはこうした支配者の本当の顔を示す様々な資料が民間の伝承として残っていようが、多くは正史の表舞台に出ることはない。
三木市の法界寺では一月十七日(旧暦で別所一族が自刃した日)に、三木篭城中の飢餓を想い米食を摂らずうどんを食べつつ往時を偲ぶ「うどん会」なる催しが開かれている。
三木城主一族の恩を忘れず、現代にまで繋がる旧領主との絆が存在しているのである。
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by levin-ae-111 | 2012-11-27 05:28 | Comments(0)

凄惨を極めた三木合戦

 先日、友人に誘われて数年ぶりに映画を観た。その映画は『のぼうの城』という戦国時代が舞台の映画である。豊臣秀吉が唯一残った敵対勢力の北条氏を攻める為に、小田原城と周辺の支城に軍を向ける。
支城の一つである忍城にも、石田三成や大谷吉継らに率いられた2万の兵が迫る。最初は戦わずに降伏すると決めていたが、相手の使者の余りに横柄な態度に主将たる成田長親は一転して徹底抗戦を決意する。と、こういう実話に基いたストーリーであるが、秀吉がまだ信長の部下だった頃に、この成田家の忍城のように抵抗し篭城したが結果的に凄惨な最後を迎えた一族が実在した。

その武将は播磨(はりま)三木城主の別所長治(べっしょながはる)である。信長に毛利攻めを命じられた秀吉は、進軍ルートである播磨に差し掛かり、三木城の別所長治に援軍に加わる事を求めた。
長治は既に信長に恭順していて、毛利攻めの援軍要請に応えるべき立場にあった。
ところが、長治は領民とともに三木城に立て篭もってしまう。
秀吉は三木城下を悉く焼き払い、城を取り囲んだ。しかし三木軍は強く、秀吉は攻めあぐねた。そして兵糧攻めという長期戦に出る。

補給を断たれた三木城では、たちまち困窮する。将兵7千余と、城に収容した12ヶ村の領民たちは餓えに苛まれることになる。城内の馬は食料と化し、雑草さえも食べ尽くされた。
人々はやせ衰え、餓死する者が続出した。加えて糞尿も捨て場所がなく、穴を掘って埋めていたがそれにも限界がある。
篭城から1年1ヶ月後には、遂に別所長治が自らとその一族の自刃を条件に、他の者の助命を請うことでこの合戦は決着した。
長治と妻の辞世の句が今に伝わる。
「いまは只恨みもあらじ諸人の 命にかはる我が身と思えば」
「もろともに消えはつるこそ嬉しけれ 遅れ先立つならいなる世に」

この三木合戦を題材にした幸若舞(こうわかまい)がある。幸若舞とは歌による物語と舞を一つにした、今でいうミュージカルのような演芸である。
これに三木という曲があるが、その中で長治は叔父にそそのかされた暗君として描かれ、秀吉は敵の自刃の日に酒を送る度量の持ち主だとされている。
しかし、これとて何処までが本当か知れたものではない。幸若舞は勝者である秀吉側の視点であり、敗者からの視点ではないからだ。
戦国大名は武辺一辺倒のような印象があるが、実際に戦うには大儀名分を必要であったし、世間の評判も重要であった。信長でさえ、「世間の褒貶(ほうへん)あるべきや」と述べたて気にしていたという。秀吉はこの事に最も敏感な武将であり、幸若舞を通じて情報操作を行ったとしても不思議ではないのである。
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by levin-ae-111 | 2012-11-26 05:34 | Comments(0)

『つくもがみ貸します』

 畠中恵(はたけなかめぐみ)さんの妖(あやかし)が登場する、面白小説だ。『しゃばけ』シリーズは、映像化されたこともある。
実はこの他にも2冊借りてきているが、借りてから一週間経過して、ようやく一冊目の『つくもがみ・・・』を読了できた。

現代でいうレンタルショップを営む清次とお紅の若い二人に、様々なつくも神たちが織りなす奇々怪々な、しかしほのぼのとする話しが詰まっている。
つくも神は、妖怪に分類されている。様々な道具類が齢100年を経ると、意識が宿るとされる言伝えに由来する。

物語ではこのつくも神たちが、集まっている清次とお紅の店を中心に展開する。つくも神たちは勝手に会話もするし、時には動いたりする。
清次はお紅を「姉さん」と呼んでいるが、実際にはそうではない。両親を亡くしたお紅は、清次の叔父が経営する出雲屋に縁あって住むことになったが、そこで清次と出会う。
後年その叔父が亡くなってしまい、二人で店を切り盛りすることになった。

清次は商の他にも、様々な頼まれごとも引き受けている。持ち込まれた頼みごとは、普通では考えられないことである。清次とお紅は、つくも神たちの存在を認めていて、彼らの話しに聞き耳を立てている。貸し出された先の情報を、つくも神たち同士で話しをするからである。ただ彼らは二人以外の人間が居れば、黙り込み普通の品物として振る舞う。
しかし相手が清次とお紅でも、つくも神たちは人間とは口を利かない。
だから二人はつくも神たちの会話をそれとなく聞いて、情報を集めている。つくも神たちもそれは承知のことで、二人に情報を聞かせる為に話したりもする。

 お紅は、気がかりな人がおり、その人が所持していたという香炉をひたすら探し続けている。大店の息子であるその人は、お紅にぞっこんだったが、突然に消息を絶ってしまっていた。ことある毎に香炉を探すお紅に、清次は少し面白くない。
香炉を探し求める内に、遂に清次とお紅はその人と出会うが・・・。
それにしても、ストーリーの面白さに加えて、妖たちが絡み更に話しを盛り上げている。
畠中恵ワールドは、実に面白い。
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by levin-ae-111 | 2012-11-25 08:05 | Comments(0)
 「タミ」「オオヂカラ」「ワタクシ」「トシ」という一連の言葉に共通するものがある。これらの言葉を漢字にすると「民」「大税」「私」「年」となる。
これらの言葉は、国の民という基本的意識の表れた言葉でうるという。これらに共通するものは米である。
民とは「田を作る身」であり大税とは「正税」のことであり無論のこと米を指す。また私とは「我が田の串」の略、年とは稲の漢音「トウ」に由来し、年に一度の収穫を意味しているのだと日本国語大辞典にあるらしい。

 こうした国民意識に関連する言葉が米に由来することを見れば、日本の国で国民という意識が稲作文化とともに芽生えたことが分かる。古代国家成立の精神を追求した山上春平は、天皇家の祖先である天照大神を祭る伊勢神宮の神殿そのものが、米倉のデザインであると指摘している。天皇家の先祖、天照大神は稲を納める高床式倉庫を住まいとし、米を主食としていた。『米は日本の神と天皇の食べ物であった』ということである。
だがそれは、『米は日本人の主食である』という意味には成らない。日本の民が米を主食にするようになったのは、それほど古いことではないのである。

 こういうと弥生時代から日本人は米を食べていたではないか、という反論が聞こえてきそうである。稲作が朝鮮半島から伝わったのは紀元前300年頃というが、それが九州から東北地方に広がるのは300年頃であったというから、結構な年月を要して普及したものであることが分かる。
しかし、これを以って日本全国に広大な水田が広がり黄金色の稲穂が穂先を垂れていて、誰もが米の飯を食べていたというのとは違う。現実問題として当時の稲は実りも少なく、籾も貧弱なものであり、収量は決して多くはなかった。

例えば弥生時代の代表的な遺跡とされる遺跡に、静岡県の登呂遺跡がある。3万坪の敷地に12戸の住居と、2棟の米蔵があり、周囲には水田が広がり水路と畦が巡らせてある。
この集落の人口は約60名と推定されている。
この住民たちが毎日、米の飯を食べたとすると何と45日しかもたない計算になるらしい。
これだと多く見積もっても必要な食料の30パーセントにしかならず、決して米が弥生時代の人々の主食とはいえない。他は縄文時代と変わらず、木の実や他の雑穀が主であった。

米を食したのは、恐らく祭などのハレの行事に限られていたのではなかろうか。私たちがイメージする稲作と、弥生時代のそれは大きく異なっているのだ。
ここに一つの謎がある。それは何故に主食にも出来ない稲作に励んだのか?ということだ。水田による稲作は他の作物よりも手間が掛かり、水路などの栽培環境を造営するにしても大変な労力を必要とする。要するに費用対効果の悪い稲作を、何故に推進し現代にまで至る稲作文化を築き上げたのかという大いなる疑問が残るのだ。
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by levin-ae-111 | 2012-11-24 07:29 | Comments(0)

笑い噺のようなこと

 先週来、苦労して無い智慧から捻出した広告案(しかもネット上の友人にまで協力してもらった)について、昨日になりようやく上司から連絡があった。
上司は70歳も半ばの方なので、パソコンは出来ない(ご本人はやらないと言っている)。
その上司は私が提出したキャッチコピーの一つが気に入り、それをメインに掲げ更に自分の考えたコピーをサブタイトルにして案を修正して欲しいといって来た。

「希望のイメージをFAXするから、そのように直して欲しいんや。忙しいとこ、悪いけどよろしゅう頼みます」と。
「分かりました、それではなるべく急いでやります」と、私。
現場から急いで事務所へ走り、そこで送られて来たFAXを見ると「!!」となる私。
何故なら、明らかにパソコンでプリントアウトした印刷物のFAXが届いていたからだ。

ちゃんと、上司が電話で私に語った様にデザインし直されている。
「これで、ええん違うの?」思わず心の中で関西弁もどきで呟く(笑)
「FAXを見たら電話してくれ」と上司が言っていたので、私は電話で直っている事を告げ、必要なら直してくれた人に変更をして貰って欲しいと話しました。
しかし・・・言い方が悪かったのか、上司には通じず(私は日本語を話した積りだったが)。
自分の要件だけを長々と話す上司は、聞く耳を持たず、ひたすら私にFAXの様に直して欲しいと言うばかり。
だから、直ってますって!!

そこへ折悪しく、他の同僚たちが数人、各々の用件で私と話しをしたがっている。その人たちを待たせながら、電話を早く切りたい私。
上司は話しを終わらせる様子もなく、電話を切るきっかけを探しながら、生返事の私。
あ~あっ、御爺さん、解ったから(泣)
 最近、どうもこの手の人が増えている気がする。高齢の上司はともかく、比較的若い同僚も大切な仕事の用件を頻繁に忘れる。これも、2012年12月が近いからか、何か起こるのかと、期待を捨て切れない今日このごろだ(笑)
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by levin-ae-111 | 2012-11-22 22:09 | Comments(0)

今日は・・・

 昨日は休日出勤で仕事だったので、今朝は朝寝坊してしまいました。何時もは5時起きですが、今朝は無意識に目覚ましを止めていて、目覚めたら8時でした。
置きぬけにコーヒー片手に一服し、仕事が残っている事をぼんやりと思い出して、仕方なくパソコンを起動し、まずはブログの更新をしました。

 それからUSBを取り出して、仕事に掛かりました。例のチラシ案の作成です。
この仕事には思いも掛けず「私が作っても良いですよ」という申し出を頂き、あつかましくもその方にキャッチコピーのアイディアをお願いしました。
その方はいつも私の拙いブログにコメント入れて下さる方で、どうやらそういう方面のプロの様です。しかし無論、製品についての知識はお持ちではないので、ジャストフィットという訳には行かなかったのですが、その方のお陰で硬直していた切り口から離れて、違う視点でのキャッチコピーのアイディアが浮びました。
そして何よりも、困っている私のために一肌脱ごうというお気持ちが嬉しくて、本当に有りがたく感謝に絶えません。
 データーを示すグラフの表現は、ある程度限界がありますが、出来る限り簡略化し且つ分かり易くという思いで作成しました。結局、5案ほど出来上がったので、月曜には依頼してきた上司に提出します。

さて仕事を片付けた後は、もうグダグダで録画しておいたテレビを観ながら、ウトウトしたり、他の方のブログを覗いたり、アッと言う間にお昼です。
それから図書館に返却する期日が今日だと思い出し、だらしないヨレヨレのスゥエットを着替えて図書館へ行きました。
最初は返却だけの積りでしたが、また借りてしまいました。今日返却した畠中恵さんの『ぬしさまへ』のシリーズが並んでいたので、誘惑に耐え切れず3冊借りて来ました。

私は日頃から職場の若手に「読書をしろ。何でも良いから、エロ小説でも良いから、本を読む癖を付けろ」などと、偉そうに言っています。
それは自身の経験上どんな分野であれ読書量が多ければ、表現が豊かになり自分の考えを上手くまとめて人に伝える力が付くからです。
言いたい事を上手く表現できずに、結局は相手に伝わらないとか誤解されてしまうとか、そういう事例を見ているので尚更です。
頭は良いのに、表現が下手な為に損をする、伝えたい事の眼目がボケてしまうなどの弊害を避けるには日頃から読書をして頭と表現力を鍛えておく必要があります。
それに、読書は楽しいですから。これから畠中恵ワールドにどっぷりと浸かります。
楽しみです。
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by levin-ae-111 | 2012-11-19 05:18 | Comments(0)

夢と異次元とDNA

 ずっと以前に以下の様な夢を見て、ブログに書いていました。夢はとても印象的なもので、見た風景も覚えていました。時々、神社などの写真で似たイメージの場所を探してみましたが、どの場所もピンと来ませんでした。
ところが最近、ある方のブログにピンと来る写真が載っていました。
ここだ!夢で見た建物だと思いました。

『宮殿と高貴な美女の夢
印象的な夢の多くは総天然色だが、この夢も例外ではなかった。
場所は平安神宮の様な宮殿の庭。
周囲は朱塗りの柱と白壁の渡り廊下が巡り、その遥か奥にやはり同様の朱塗りの木部と白壁の宮殿が見えている。
その庭は日本庭園ではなく、一面に芝が張ってあり中央に奇岩が一つ据えられている。
私の前には煌びやかな巫女風の装束を着て、頭には小さな金の冠を被った美しい雛人形の様な女性が微笑んで立っている。
彼女はとても高貴な女性らしく、上品な面持ちで私を見ている。
時々、渡り廊下を女官と思しき人が通るが、私を横目で見て「まあ、○○様よ」などと小声で話しているのが聞こえてくる。

 目前の女性は私をとても理解してくれていて、深く愛してくれている。私も彼女を尊敬し、慕っている。しかし、男女の愛ではなく親子或いは姉弟の感情である。
暫くして使いの人が何か賞状額のような物を持って来て渡してくれた。私はそれを読み(1ページ読むと自動で次へ進む)、完全に記憶した。
面白いことにガラス面に映った顔は自分とは別人で、シュッとした美男子だった。
さらに髪型は角髪を結い、腰には刀を一振り紐で吊り下げている。
その時の衣装はまさに、神話の男神のスタイルそのものである。

私達は何事かを真剣に話し会い、大きな問題の対策を練っていたようだった。それは無論のこと公的な問題に関するものだった。結論は出たはずだが、目覚めた時には肝心の内容を完全に忘れてしまっていた。
一体、何を話していたのだろうか。忘れてしまって、とても残念に思う』

そのブログの方によれば、私は大山積神だったとスサノオのミコトが話してくれたというのです。しかし、あちらの世界にも大山積神がいるらしい感じの記述もありました。その大山積神やスサノオが居る世界は、きっとこの世とは次元の異なる世界なのです。
という事は、私は大山積神の分霊とでもいうのか、それとも彼の神のDNAを僅かに受け継いでいるのでしょうか。

日本神話の神の多くは、物の霊と古代に存在した個人や人間集団であろうと思われます。そうであれば、古代人のDNAを現代の私が受け継いでいても少しも可笑しくはありません。
ヨーロッパの山で氷漬で発見された古代人『アイスマン』のDNAが鑑定され、現代でもその子孫の人が付近の町で何人も発見されたという事実が存在します。
人間の営みは超古代から営々と途切れる事なく続いているのです、素晴しい事だと思います。
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by levin-ae-111 | 2012-11-18 08:44 | Comments(0)

ヒャ~ッ!!

 今日もきょうとて・・・、相も変わらずに困難の連続でした。
以前からの課題を必死でこなしていると、すぐにお昼になりました。昼食を済ませて、そそくさと出荷の準備です。自分で在庫管理も独自にしていますから(正規のは業務が管理しています)、パソコンに出荷分を入力し品物をピッキングして出荷場へ持参しました。

今日は期限と思っていた広告デザインが、受取人の上司が休みというので月曜に延期だと判断し先送りしました。それで他の事が出来ると思ったら、不意打ちのメールが入り、問題対処の為の緊急ミーティングの召集です。
どうにも上手く行かないものだと考えながら、取引先からの要請に対応する術を検討しました。

ミーティングはどうにも的確さを欠いている気がして、時間の無駄と感じていました。そこへ上司に来客があり、途中で出て行きました。残ったメンバーは3人でしたが、他の二人はただ考え込むばかりで埒が明きません。
それにどうやら問題の理解がいまひとつの様でしたので、忙しく時間が惜しい私は、先ほどまで話し合っていた対処方の要点を述べ、二人にそれぞれして欲しい事を告げました。

「こうしていても時間の無駄だ、行動に移しましょう」と席を立ち、他の二人も各々のすべき事を成す為に散って行きました。私も言い訳文章を考えながら、パソコンの前で足りない智慧を絞ります。その間にも製品に付随した「検査表」の作成や、別のクレーム対応の情報集め、入荷した製品の検査などなどが次々と舞い込んで来ます。

それでもミーティングから1時間後くらいには、たたき台となる文書を書き上げて上司のパソコンへメールを入れることが出来ました。ついでに他の二人からの情報も吸い上げて、メールに添えました。
情報を吸い上げる時に感じたのは、やはり二人ともいまひとつピントがずれていると言うか、理解度が不足しているということです。

一応、突然に生起した難題に目処が立ったので、上司はご機嫌でした。しかし、まだまだ難問が山積みです。あ~あっ、早く処理して楽に成りたいものです。
しかし、自分は今の仕事に向いていないとツクヅク想います。行動が早いのも、単に私がせっかちで、仕事が多く急いでいたからに過ぎません。
明日(17日)も仕事ですが、単純作業の予定ですから気楽です。何とか可笑しな問題が発生しませんように(祈)。
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by levin-ae-111 | 2012-11-17 06:29 | Comments(6)