身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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身勝手な奴ら

 2013年が始まってまだ一月にもならないのに、私の仕事は酷い状態が続いている。昨年から相も変わらず身勝手な理由で、理不尽な事が途切れずに続いている。
壊した商品に因縁を付けて、不良だと言って来る客、それを唯々諾々と受け入れて引き取って来るセールス。結局のところ最終処理は、私・・・どうしようもない。修理の部品取り用にでもするか。

品質の悪い輸入品のお陰で、営業も私も四苦八苦の状態である。しかし、如何なるクレームも最後は私が処理する事になる。これはもう私の能力云々ではないのかも知れない。
全ての元凶は、会社の姿勢にあるからだ。
 OEM商品を納入している業者からは、送ったクレーム解答書に尤もらしい質問を書き加えて送って来た。正直、送り主の人は解っていない。質問がトンチンカンだ。
それにしても、世の中は本当に不誠実な輩が多い。個人も会社も、嘘に嘘を重ねている。

『地球が静止する日』という映画の一場面で、宇宙から来た男が地球に潜入している仲間に地球人について問う。
質問された男の答えは、地球人は全滅しても仕方がない、というものだった。そして宇宙から来た男は地球を救う為に、人類の殲滅を図るという計画にGOサインを出す。

今の私が地球に潜入している男の立場だったら、恐らく同じ様にGOサインを出すに違いない。しかしそれが浅はかな考えである事も知っている、それこそが身勝手というものだ。
結局のところ、私の「世間とは、人間とは身勝手なものだ」という考えが、そういう現実を体験させているのだろう。
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by levin-ae-111 | 2013-01-29 05:54 | Comments(4)
 暫くぶりにエハン・デラヴィの『5次元世界への扉』という本を開いています。この中でデラヴィは5次元世界(正確には多次元世界)という事柄について、様々に語っているのですが、興味を惹かれた部分について私なりに少し書きたいと思います。

 デラヴィは所謂、輪廻転生という概念を疑っています。それを信じる人々が、幾つもの事例を挙げて、さも輪廻転生は既成事実であるかの様に考えています。
確かにインドでは前世を記憶している少年や少女が存在しますし、霊濃者などは貴方の前世は○○だった、だから今も○○と同じ様な生き方をしていると言ったりします。
それから貴方の病気は、前世で同じ部分に傷を負ったからだなどと言われたりもします。
また死者の足に印をつけて葬ったら、数年後に同じ場所に、つけた印と似たアザを持った赤ん坊が生まれたなどなどです。

これらの事柄を理解するには、恐らく輪廻転生という概念を持ち出すのが最も手っ取り早く説明が付け易いのは言うまでもありません。
しかし、それらが本当に確かなことであるのか、実際には誰にも分からないことです。私たちの誰も、それを確認した者は存在しません。これは如何に事実のように論じられ、扱われていようとも、精々が有力な仮説に過ぎないのです。
デラヴィはこれに多次元宇宙という概念を加え、他の可能性を見出しています。つまり多次元宇宙に存在する自らが、私たちの次元にいる自分がアクセスしているとしたらどうなるのか?それは輪廻転生という考えでは処理できなくなるのです。

デラヴィ自身は、分からないと明言しています。私は子供の頃から仏教系の宗教を両親が信仰していた関係から、ずっと以前から輪廻転生という概念を刷り込まれて来ました。
ですがある時、語り出した私の内なる声は、輪廻転生という考えをやんわりと否定しました。「生まれ来る魂の前世を調べあげて、その人間の未来を誰が検証できるのでしょうか?」という内なる声の一言は、その逆もあるという意味にも捉えられます。
 モーッアルトが僅か3歳で作曲を始めた、それは前世の経験を覚えていたからだ、こう聞くと尤もなように感じますが実は検証不可能だということです。

同じようにパラレル宇宙の存在もまた、現時点では検証不可能です。しかし何かの本で読んだのですが、ある男性は子供時代に不思議な声に危機を救われたのだそうです。そして大人に成って、その人は体外離脱を経験します。
体外離脱して行った世界で、自らの子供時代の姿を見たそうです。その時に子供の自分に危険が迫っていることを知り、思わず「危ない!」と声に出して叫んだそうです。
この人は、自分で過去の自分を救ったのです。
私は無知なので難しいことは分かりませんが、この人の体験が真実だとすればパラレル宇宙(次元)の存在を垣間見せる事例のひとつかも知れません。

このエハン・デラヴィという人の主張は、幾つかの点で私の考えと一致するのですが、結局は何ひとつとして明確に判明していない、というのが現時点での最も正等な考えのような気がします。
ただ、私たちが理解出来ないからといって、それを否定するものではありません。私たちが陥り易い落とし穴は、理解出来ない事柄を否定する、またそれを排除する態度や物事に対する姿勢です。スピリチュアルな事柄に限らず、全ての点でこれは注意すべき事だと思います。

輪廻転生もパラレル宇宙(次元)も、私たちの精神レベルでは到底解明不可能な事柄なのですが、どちらとも決定的に肯定する材料も否定する根拠も存在しません。
大切なことは、実は私たちはこの世界の多くの事柄を未だに知らないという事実を認め、それを真摯に受け止めることなのです。
どういう事柄であれ、それが出来て初めて、未知の課題に取り組むスタートラインに立ったといえるのだと思います。
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by levin-ae-111 | 2013-01-28 05:26 | Comments(0)

5次元への超扉より

 この本の著者エハン・デラヴィは幼い頃の衝撃的な体験(とは言っても何かがあったちという記憶だけで内容は覚えていない)から、神秘的な事柄に興味を抱いたらしい。
彼が説く私たちが一般的に5次元と呼ぶ異次元世界へアクセスについて、考察してみたい。
エハンは多次元世界への憧れから、インドその他の国々を巡り、瞑想やヨガなどを徹底して実践した。その結果、それ等の方法で5次元へアクセスする事はほほ不可能という結論に至ったという。

ヨガを用いて5次元世界にコンタクトするには、50年程度の修行が必要だろうし、禅では20年のキャリアを積んだが、結局は禅には5次元にアクセスするメカニズムを持たなかったという。それらは飽くまで、人をニュートラルな中庸と呼ばれる状態に導くだけだとしている。
5次元世界にアクセスするには、ヨガや瞑想では可能性が極めて低く、それ以上の極端な体験をしなければ無理なのだとエハンは言う。

5次元体験をするにはアイソレーション・タンク(外界の刺激を断つ、感覚遮断タンク)に入り、通常の意識をある種の変性意識状態に変える必要があるのだ。このタンクは、現在でも心理療法や代替治療に用いられているものらしい。
実はこの変性意識状態こそが、5次元への扉を開ける鍵となる。その事例は、幾つかの衝撃的な体験をした人々により伝えられている。

ヨットで世界一周の旅に出た男性は、疲労困憊し極限状態になり意識が遠のきつつあった時に、ある生命体がナビゲーションをしてくれるのを実際に目で見たのだという。
これが幻想でない証拠に、彼のヨットは12時間も予定したコースを走り続けていた。
このことは極限状態で変性意識状態になった男性が、5次元への扉を開き、その世界の住人とアクセスしたと言えるだろう。

またラインホルト・メスナーもエベレストで5次元体験をしたと報告している。彼は世界の山々を酸素ボンベの力を借りる事なく登った登山家である。
ラインホルトは、エベレスト登頂寸前に数十メートルの深いクレバスに落ちてしまった。奇跡的にも怪我はなかったが、そこから這い上がり脱出する時には大変だった。彼は既に体力も気力も消耗し尽くしており、もはや下山さえもおぼつかない状況となった。
その時に彼の目前にリアルな美女が出現し、自分しダキーニーだと名乗る。

ダキーニーはヒンドゥー教の神である。その彼女がラインホルトのそれまでの生涯の軌跡と心の揺れを美しい声で詳細に語るのを聞いた時、彼の中に力と精神力が戻って来た。
そして彼は再び頂きを目指し、これを踏破して無事に下山したのである。その日から彼はチベット仏教に傾倒していった。

しかしエハンは言う。チベット仏教でも、日本の真言宗でも肝心の部分は隠されており、信者でさえもそれは知らされていない秘伝中の秘伝なのだと。
私たちの脳は極限状態になるとドーパミンという物質を分泌する。それは心身を守ろうとする防衛本能のようなものだろうが、それが私たちの意識状態を日常とは異なる変性意識へと導くのである。
脳内で分泌される化学物質が、その変性意識状態をもたらし、それこそが5次元へのアクセスを可能にするのだとエハンは語っている。
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by levin-ae-111 | 2013-01-27 02:01 | Comments(0)

新番組「信長のシェフ」

番組改編で始まったドラマだ。平成の時代にホテルで料理人をしていた「ケン」は、突然にタイムスリップしてしまう。ケンは気を失っていたが、気がつくとそこは戦の真っ最中だった。雑兵たちに追われ逃げるが、その雑兵たちを次々と切り捨てる不適な男が現れた。それが信長である。

信長が更なる敵を認めて、そちらの方へ去ると、他の雑兵たちがケンを追って来た。逃げるケンを導いたのは、やはり過去へとばされたケンの同僚だった。
ようやく雑兵たちから逃げ延びて山中に潜んだ二人だったが、今度は山賊に襲われ同僚は死んでしまう。崖から川へ飛び込んだケンを助けたのは、鍛冶職人の夏だった。
命は助かったがケンは記憶を失くしていて、自分の名前すら思い出せなくなっていた。

夏の家へ行くが、そこに秀吉が敵に追われて入って来る。味方とはぐれて逃亡中の秀吉は空っ腹を抱えていた。何か食わせろとわめく秀吉に、夏は「料理など出来ない、出て行け」と突っ張る。その時ケンは「料理」とい言葉に反応し、うなぎを使った料理を造り秀吉に食べさせる。そこへ敵方の雑兵が押し入り、二人は秀吉ともども逃亡する。
やがて味方との合流に成功した秀吉は、信長たちに助けられるがケンは捕われの身となる。

夏は荷駄に紛れて岐阜城に入ろうとするが、見やぶられてケンと同様に捕われてしまう。しかし二人は信長の前に引き出され、夏の訴えによりケンは料理を造るように命じられる。但し不味かったら殺すという信長らしい恐ろしい命令だった。
そこで造った料理を気に入られ、ケンは助命されるが更なる試練が降り掛かる。次は信長の料理人と勝負し、負けた方を殺すという理不尽なものだった。

見事に料理対決に勝利したケンは、相手を殺せと命じられるがそれを拒否する。それならと自ら太刀を抜き、負けた料理頭を切ろうとする信長の前に立ち塞がるケン。
信長は太刀を振り下ろすが、寸前で止めた。結局のところ信長はケンを気に入り、彼の料理頭として取り立てる。
こうして記憶を失った平成の料理人ケンは、信長の配下となり料理の腕を振るうことになるのだが、前途多難は必至なようだ。

記憶を失った料理人が、様々な料理を覚えているところは矛盾する感はあるが、娯楽として観るには十分に面白い。芦名星さんの演じる女忍者の装束は、水戸黄門の由美かおるさんとダブルがまあ、そこは許そう。ケンの造る現代の料理が、戦国時代の人々を驚かせ幸せにするという、変わった視点の発想が面白く痛快ですらある。
今週で3回目だが、早くも次回が楽しみだ。
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by levin-ae-111 | 2013-01-26 04:46 | Comments(0)

変に忙しい

 職場の話しですが、本当に変に忙しいのです。自分の仕事に集中できないので、イライラが募ります。何かをしようとすると、内線電話で呼び出されます。
次々と雑事が入り、本来の仕事が全く出来ません。
雑事を縫って、クレームに対する見解書を書き、上司にメールすると没にされてしまいました。

来週は新しい人の教育をせねば成らず、その資料も作る必要があります。誰も助けてはくれませんし、逆に他部署の仕事の手助けばかりです。
一方で私と数人の人は雑事プラス他部署の手助けに追われていますが、他方には何も考える必要もなく自分の仕事に気楽に専念している人たちが居ます。
嫌味でなく、本当に仕事をシェアして欲しいもだと思いますが、まあ無理でしょうね。

こうなったら、意地でも宝くじを当てて、ある日突然に辞めてやる!!と妄想もしたりしますが現実がついて来ません(笑)
宮仕えは本当に辛いものです。全国のサラリーマンの皆様、今日も頑張りましょう。
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by levin-ae-111 | 2013-01-25 05:51 | Comments(0)
 言わずと知れたスタジオ・ジブリの作品だ。昭和38年の横浜を舞台に、高校生の恋物語を爽やかに描いている。
古い病院を下宿屋にした家で、女性ばかりの下宿人と、お婆ちゃんとその孫たちのストーリーだ。主役は下宿屋の娘で松崎海という高校2年生の女の子だ。
下宿人の世話をしながら、下宿屋の娘、海は毎日、海に向って立っているポールに信号旗を揚げる。幼い頃に亡くなった父に捧げる旗だ。
それに応えてタグボートのマストに旗が揚がるのだが、海からはその返信が見えない。

その海が恋した相手は、同じ学校の一年先輩の風間瞬。二人の恋心は高まるのだが、彼と自分が兄妹かも知れないと分かり絶望する。
学校ではクラブハウスとして使用している明治時代に建てられた洋館の取り壊しが決定され、生徒たちは集会を開いて抗議するが学校の理事会は取り合わない。
海の提案で「カルチェラタン」と呼ばれるその洋館の大掃除と、改修が始まった。生徒とOBも加わり、カルチェラタンは見違えるばかりに綺麗になる。

しかし理事会の決定は覆らず、風間と海、そして生徒会長水沼は理事長に地下談判に出かけ理事長の学校への訪問を取り付けに成功する。そしてカルチェラタンの取り壊しは中止された。
風間と海が兄妹かも知れないという疑惑は、二人の父親の古い友人の証言により否定それた。二人の父とその友人は親友で、風間の両親が亡なった為に海の父が引き取ろうとした。
しかし海をお腹の中に抱えた海の母には世話が出来ず、海の父が知り合いに預けたというのが真相だった。

 時代は戦後だが朝鮮戦争に日本の船舶が駆り出された事もあり、実際に戦死した日本人も存在したのである。海の父も朝鮮戦争で沈んだ船の船長という設定だった。
さて面白いのは、高校生たちの議論する場面だが、まだ戦前と大差ない感じの雰囲気がかえって新鮮だった。更に古い町並みや看板、スーパーなどではなく肉屋や八百屋など個人商店が軒を連ねる様子など懐かしい光景が描かれていた。
 
昭和38年は私の生まれた年よりも後だが、学生たちが発行している新聞はガリ版印刷だ。そう言えば私も中学生の頃に、ガリ切りをしたことがあった。今の様にコピー機などはなく、蝋を引いた紙の下に細目のヤスリの様な金属版を置き、鉄筆で絵や文字を書く。
そうすると、書いた部分だけ穴が開く。それを表裏ひっくり返して、謄写版に載せる。
そして、インクを付けたローラーを転がす。
それで一枚が刷り上り、刷りたい部数だけ同じ作業を繰り返すのだ。私は印刷の度に手をインクで真っ青に汚していたものだった。
それだけでも懐かしい思いがしたが、私は横浜とは比較に成らない富山の田舎だったから、時代に取り残されていたのかも知れない。

それにしても、最近は時代の流れがドンドンと加速している様に感じる。例えばワープロなどは私の若い頃に発売されたものだが、最初は液晶画面に出る文字列は一行だけだった。
今日のノートパソコンの様に大きな液晶画面に成ったのは、暫くしてからのことだ。
今日ではワープロは存在しない。パソコンが複合機として登場し、その役割を取り込んでしまったからだ。
若い頃を振り返ると、時代の流れはもっとゆったりとしていた気がする。現に今でもひとまわりも上の年齢の人との思い出や物事に対する感覚は、余り変わらない。
昔が良いとか悪いとかではなく、ただ少しだけノスタルジックな感傷に浸らせてくれる映画だと思った。
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by levin-ae-111 | 2013-01-24 05:35 | Comments(2)

新年会でした

 例年のことですが、新年会を開催すると告げても参加者は年々に減るばかり。今年も僅か7名と淋しい限りでした。
まあ、それはそれで楽しく飲めるし、その分だけ料理のコースも上等なものに成るので悪いことばかりではありません。

今年は庄川温泉「三楽園」にて、一泊で宴会でした。和食のコース料理は、品数も多くて一品あたりは少量ですが結局、お腹が一杯になってしまいました。
勿論、ビールや焼酎、果実酒などをタップリと飲んだからでもありますが・・・。
宿は富山の7大河川のひとつ、庄川の近くにあります。迎えの同僚の車に乗り込み、自宅からは40分ほどで到着しました。
雪も少なく、路面もスッキリと露出していて快適でした。

宿に到着すると、スタッフは男性ばかり、しかも若い人ばかりという状況にビックリ。作務衣がユリフォームらしく、皆さん格好いいのですが、チエックインするまでかなり待たされました。その間に特製のゆずジュースやら売店で売っているお菓子の試食、おしぼりが出て来ました。
チエックインして漸く部屋へ案内されました。畳も新しくて良い部屋でした。

私たちは部屋に入り各々に浴衣や作務衣(どちらか選べる)に着替えて早速、一杯。入浴前に私は缶ビールを2本飲みました。風呂は炭酸泉と書いてありましたが、ピリピリするなどの実感は特にありません。しかし、鉄分と塩分を含んでいるとのことで、濁っています。
少し舐めてみましたが、海水のようにしょっぱくて確かに塩分を含んでいました。
温度は41℃~43℃で、ぬるめなので長湯もOKです。私は1時間程度浸かっていましたが、同僚は1時間半も入っていました。

お湯に浸かりながら、どうして他の人たちは参加しないのか分からない、などと話しました。ゆったりと暖かいお湯に浸かり、日頃の疲れやストレスが飛んで行くようです。
風呂から上がり、和食がメインのコース料理で舌鼓です。美しく盛り付けられた料理は、目でも楽しめます。同僚たちと様々な話しをしながら、飲んで食べて、日頃とは異なる夕餉に私のお腹は驚いたようです。
宴会が終わる頃には、もう眠くてまだ9時過ぎだというのに同僚たちも私も直ぐに夢の中へ。

そこへメールの着信音が・・・私の携帯です。見ると懐かしい友人からでした。
この友人、日頃はお互いに何の連絡もしませんが、去年も今年も新年会の日にメールして来ます。知らせてないので、偶然なのですが本当に不思議です。
同僚たちはもう寝静まっているので、部屋を出てロビーで返信しました。そうしたら、再び着信し、仕方がないので部屋の隅で返答を入力し、送信しました。
どういう訳か電波が悪く、返信が出来ず再びロビーへ、こんな事を何度か繰り返して漸く眠りにつきました。
でも私などの事を忘れずに居てくれて、連絡までくれる友人には感謝しています。本当にありがとう(^^)
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by levin-ae-111 | 2013-01-21 05:27 | Comments(0)
 主人公は何とノートに描かれた漫画の人物である。漫画の世界はとても狭くて、飲み屋の一室。そこでギターを担いだ青年「はらちゃん」と四人の登場人物が一緒にいる。
はらちゃんは作者の鬱憤を語る、他の人物はただ相槌を打つ人と、「まあ、飲め飲め」と酒を勧める人、店の隅でただ「ガッハッハ」と笑うおじさん、そして「そうね、殺しちゃったら」という決め台詞をシュールに放つ店の女主人だ。

はらちゃん以外の人物は、台詞が決まっている。しかし、作者がノートを閉じると漫画の中の登場人物たちは自由に話しをする。
皆、自分に存在感が無いと悲しんでいる。それは、何時も同じ台詞しか話させてもらえないからだ。そして彼らの世界は、暗く沈んだ空気が漂っている。
口々に不満を話す登場人物たちだったが、店の女主人が「私たちの世界が暗いのは、私たちの神様のご機嫌が悪いからよ」と意外なことを口走る。彼女は神様の世界へ行ったことがあるのだと告げる。

 そんな話しをしていると、店は突然に激しく揺れ、はらちゃんが空から落ちて来た木枠の下敷きになってしまう激しい揺れの原因は、ノートが二階のまどから捨てられたからだ。
その途端にはらちゃんは店から消え、亜空間に飛ばされてしまう。そこで見たのは空間のほころびだった。外には見たことのない世界が見える。
勇気を出して裂け目から出たはらちゃんは、彼らの神様の世界が本当に存在していることを知る。
初めて見る世界ではらちゃんは戸惑うが、神様を探し出し、自分達の世界を明るくしてくれるようにお願いしようと決心をする。

偶然に知り合った青年に「神様は何処にいます?」と問うと、知らないが僕の神様ならいるよと言い、青年があこがれている会社の同僚の女性を見せる。
その女性は大人しく、会社では自分に非が無くても反論も出来ないような人で、同僚のおばさんたちから意地悪されてばかりだ。
彼女はその鬱憤を漫画に描き、はらちゃんに語らせているのだ。
「世界の誰にも逆らいません。大人しくしているから、私のことは放っておいて・・・」という彼女の心情を描いているのだ。
様々な出来事の末に、はらちゃんは彼らの神様である女性に、幸せな気分になって自分達の世界を明るくして欲しいと懇願するが、はらちゃんが自分の漫画世界の住人とは露ほども思わない女性は怒り、怯える。

 設定は非常に面白いが、これはどうもスピの臭いがするストーリーである。コミカルに描いているが、私たちの世界も似た様なものなのかも知れないと、思わせる。
日月神事、火水伝文、聖書など預言は、正しく私たちの神様が警告として与えているという形を採っている。神様は気まぐれで、預言はしても必ずしもそれが成就するとは限らない。神様の考えるストーリーが変われば、私たちの世界も変わるかも知れないのだ。
私たちの世界のマスターや聖者たちは、このドラマのはらちゃんのような存在かも知れない。他の世界が存在することを知り、神様の意に添うように生き方を説く、そして世界が明るく平和で、人間たちが幸せに暮らせるように導こうとしているのだろうと思わせる。
このドラマは始まったばかりだ。連続ドラマなので、次回の放送が楽しみだ。私は次回以降の予約をしたのだった(笑)

主演:長瀬智也/麻生久美子
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by levin-ae-111 | 2013-01-20 17:32 | Comments(2)
 セシャトにメッセージしたのと同様のことを、幾つかの町の人々にも送った後で、イシスは溜息をついた。何故この様な事態に成ってしまったのか、イシスは考え込まずには居られなかった。
自分達の種族の遺伝子を加え、更にセシャトのような感受性の強い者を通じて、或いは様々な手段を用いて人々の進化を導いて来たというのに・・・。
「やはり、無制限な移民を認めたからだろうか」そう、考えるとイシスは僅かな怒りのような感情が湧きあがるのを自覚した。

「それこそが、私たちの過ちの元ではないのかな」と、ホルスが微笑みながら少し皮肉を込めて言った。そう、既に肉体を必要としなくなった彼らをして、未だに完全に怒りの感情を消せないでいる。
オシリスもイシスもホルスも、完全なエネルギー体であるが、彼らは何故かお互いにかつての肉体人の姿をとることが多い。
肉体は実際に邪魔なものだったが、何故かその愚鈍さを心地良く感じるのである。純粋な生命エネルギー体であるオシリスたちは、エネルギー体のままでは波動的な刺激をストレートに受ける場合が多い。その点で肉体を纏う段階までバイブレーションを下げると、何もかもがマイルドでネガティブな波動の影響を受け難くなる。

実験惑星であるこの星には、幾つものプロジェクトによる実験が実施されている他にも移民希望も受け付けていた。その結果、多くの星から移民が殺到することになった。
この惑星に移民が殺到した理由は、実験的成果を求める余り、各文明からの罪人たちに移民を条件に惑星を開放したからである。
移民たちは出身星ごとにエリアを決めて生活していたが、人口が増え生活圏が拡大すると争いが始まった。
最初は小競り合い程度の争いだったが、それは次第にエスカレートし、核エネルギーまで使用する段階に達しつつあった。
無論、この惑星を管理する事務局は、これに介入し幾度もそれを阻止し続けていた。
しかし対立する種族の敵対的な感情は、惑星の波動領域を汚し、それが蔓延して行った。

オシリスたちのプロジェクトが発生させ導いて来たセシャトたちの種族にも、この波動的な汚染は強い影響があった。
利己的で恐怖が支配的な波動の影響を受けて、元々から凶暴なハンターであった彼らの性質が次第に剝き出しになり、争い事が頻発していた。
支配的な有力者たちは自らの権力強化に余念がなく、シャーマンは権力と結び、大衆のコントロール装置と堕していった。
 加えて巨大で凶暴な生物たちが増加し、陸にも海にも空にも溢れていた。惑星のあらゆる場所で残酷な弱肉強食の修羅場が繰り広げられている。
プロジェクトの一時停止が決定されたのは、そういう事情によるものだ。プロジェクトを主導する銀河会議は、全てのプロジェクトの一時凍結と共に実験惑星の生態系の再構成を決定した。それはつまり、全ての生態系を白紙に戻すという意味だ。
それに伴って、各プロジェクトには一定の枠内での知的生命体の保護と保管が認められている。

 オシリスたちは許された範囲内で、セシャトたちの種族の保護に乗り出した。彼らは新たな惑星を用意し、セシャトやトトなど良い性質を持った人々を移住させる積りだ。
そこで生活させつつ、更に教育と改善を施し真の知的文明を形勢させる計画だ。
彼らを移す予定の惑星は、シリウスの近くに用意されている。他の種族は居ないし、凶暴な野生生物も存在しないその惑星は、セシャトたちの種族を更に進化させてくれる筈である。
こうしてオシリスたちのメッセンジャーを通じて、善良な人々を集めるためにイシスのメッセージが送られのであった。
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by levin-ae-111 | 2013-01-18 05:23 | Comments(0)

遠い日々のこと


 先日、いつもの友人に誘われて、いつもの喫茶店で話しをした。友人は宝くじに当たって大金を手にしたら云々という、夢の話しを始めた。
今までブログで自分の意見を何年も発信し、何箇所かで話しもして来たが、誰も一向に解ってくれない。多分、お金が手に入ればブログも止めて、ポルシェを買って泉へ行って・・・云々。それから農業関係に投資する的なことを言っている。

私は、もしもの話しは虚しいと言ったが、それでも彼の夢の話しは終わらない。
それで私は彼の背後の障子に目を転じた。そうしたら、新しい発見をした。
今まで何度もその店を訪れていたが、私は窓を背にして座るのが常だったので気づかないでいたのだ。窓にはカーテンでなく障子戸が入れてあった。その障子には切り絵が施されている。いや正確には切りえを和紙に透き込んであるのだ。

少女や少年の躍動する姿やバレリーナの踊る姿、植物の葉のモチーフが緑やピンクなど淡い色調で障子に描かれている。もしかしたら、お正月休みの間に張り替えられたのかも知れない。そうでなければ、幾ら鈍感な私でも今まで気づかない訳がない。
友人は長い間、地元のJRの駅の待合室に置いてあったという木目の浮き出た長いすに座っている。黒光りのする肘掛を撫でながら、この椅子は多くの人の悲喜こもごもを見て来たのだろうなぁと言う。

その椅子は、今の様に自家用車も無くて家族の心配をしながら汽車を待つ人、恋人に逢う為にウキウキとした心持で列車を待つ人など、様々な人間模様を見て来たに違いない。
そういう時代を想うと、私たちが小さい頃の母親の姿を思い出した。
否、母だけではない、その時代の多くの家庭の主婦たちは皆そうだった。買い物籠を下げて、遠くまで日々のおかずの買い出しに商店街へと歩いていたのだ。
子供が幼い内は手を引いて、どうかすれば背中にも赤ん坊を背負って、品物で重くなった買い物籠を下げて家路を辿る。

クラクラする様な夏の日差しの中を、凍てつく冬の日も雨の日も、昔の母親たちは徒歩で遠い道のりを毎日まいにち買い物に出ていたものだ。女性達にとって、それは辛い事だったろう。また反面では嫁ぎ先の姑や小姑に気兼ねせず、親しい友人と話しをする楽しい時でもあったろう。ふとした事から、そういう古い時代の生活の一場面を思いださせて貰った日だった。
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by levin-ae-111 | 2013-01-15 22:28 | Comments(0)