身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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<   2013年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

不思議なイメージ

 またまた湯船に浸かり、余りの心地よさに例のごとくウトウトしてしまいました。
すると、またまた例によってイメージというか夢というか、映像が見えました。
それはどうやら目の様です。それも爬虫類的な目です。
次第に緑色の鱗と、猫の目の様な縦の切れ長な瞳が見えて来ました。「ゲッ!!」と思いましたが、負けずに見続けました。
そうしていると次第に映像が消え、今度は数字が見えてきました。何の数字なのか不明ですが、3、7、9、19、41、42とゴシック体の活字が浮かんでは消えて行きます。
「あっ、ロトの数字か!!」と思い記憶しましたが、42があるのでロト6だと見当が付きました。しかし、36という数字も見えて解らなくなってしまいました。

実はこういう数字が見える事はシバシバあるのですが、その番号で籤を買って当たった試がありません。見えた数字が金色に光り輝いていた時も、当選金は1000円でした(笑)
しかし気に成るのは爬虫類的な目の映像のことです。
ひょっとしたら当たるかも・・・、という想いはありますが、当選金を手にした途端に爬虫類的な目をした何者かの支配を受ける事になるのかも知れません。
 私の中で警報が鳴り響いています。思い過ごしかも知れませんが、取り敢えずネタ不足につき一応、書いてみました(笑)

お読みに成られた皆様、決して本気にはしないでくださいね。
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by levin-ae-111 | 2013-11-29 20:17 | Comments(0)

連合艦隊『黄海海戦』2

 連合艦隊は鴨緑江の西方の大孤山沖を航行していた。艦隊の露払いは快速巡洋艦『吉野』『高千穂』『秋津洲』『浪速』の四隻で一列に成って進む。
その後方には『松島』『千代田』『橋立』『厳島』が進み、『比叡』と『扶桑』が後方を固める陣形で進撃していた。更には軍令部長が乗船している仮装巡洋艦『西京丸』と、護衛艦の『赤城』が随伴している。
先頭を行く『吉野』の見張り員が水平線に一条の煙を発見し、『吉野』は全速でその方向へと走る。更に観察を続けると一時間もしない内に、幾筋もの煤煙を発見する。
『吉野』のマストには、スルスルと「敵艦見ゆ」の信号旗が揚がる。

 それを受けて連合艦隊初代司令長官の伊藤中将は、直ちに全艦に戦闘配置を下命する。しかしながら敵はまだ遠い。戦闘開始が昼頃に成ると目算した中将は、いつもより早い給食を命じる。
艦隊は相変わらず『吉野』を先頭にした縦列隊形で進撃している。いよいよ敵艦隊との距離が縮まり、敵艦隊の隊形が明らかになる。
清国北洋水師は7400tの巨体に30センチ砲4門を搭載する旗艦『定遠』と同型艦の『鎮遠』を中央にした横隊形で進んでいる。
この時の清国艦隊は10隻で、先の二隻が7300tを超える。他には3000tクラスが2隻、2300tが3隻、1300tが3隻という戦力であった。
何れも21センチ砲と15センチ砲は複数搭載する装甲艦で、強力な装備を誇っている。
更に2000tクラス巡洋艦に率いせられた数隻の装甲艦が、本隊の後を追って進撃していた。

 彼我の戦力は数の上でほぼ同数で、総トン数でもほぼ拮抗していた(清国は35000t、我が方は39000t)。
この理由は清国艦隊が巨艦二隻を擁しているが、他は比較的に小型の艦が多いのに対し、我が方は4000tクラスの巡洋艦が中心であったからだ。
武力を比べると20センチ以上の大口径砲では、我が方は清国の半分以下だった。それでも12センチの速射砲の比較では清国21門に対し、我が方は95門と圧倒していた。
艦の速度においても我が方は『吉野』の22ノットを筆頭に、旧式艦の『扶桑』『比叡』を除き全艦が16ノット以上を確保していた。
対する清国艦隊は18ノット以上を出せる艦は僅かに2隻にとどまり、機動性では我が方に軍配が上がる。

その内に彼我の距離が縮まり、午後1時過ぎに遂に砲撃戦が開始される。距離が6000メートルに成ると、まず『定遠』の30センチ砲が火を噴く。それを皮切りに清国艦隊の各艦艇が次々と砲撃を始めた。
敵弾が周囲に水柱を上げる中を、我が艦隊は発砲せず高速巡洋艦『吉野』を先頭にした縦列隊形を維持したまま突き進む。
ここで期せずして縦列隊形と黄列隊形の闘いとなったのだが、彼我の目論みがその隊形に出ており面白い。清国側は砲の配置が主に前方に向いているのと、体当たりで敵を沈める攻撃に適した隊形である。
我が方は平均16ノット以上という優速を生かし、自在に艦隊運動が出来る縦列隊形を選択していたのである。

 距離が3000メートルに近づくと、遂に『吉野』が初弾を発射した。それを皮切りに我が方の各艦艇が速射砲をつるべ撃ちに発射する。敵陣の右翼の二隻がたちまちにして炎と煙に包まれ、隊列から脱落して行く。
『松島』以下の連合艦隊本隊も砲撃を開始し、両軍が入り乱れての砲撃戦が実に二時間半にも渡り展開された。
戦闘は概ね速力に勝る我が方が二手に分かれて、自慢の速射砲を浴びせ続けるという展開であった様だ。
清国北洋水師が誇った巨艦『定遠』は大火災を起こし、『鎮遠』は艦橋構造物を全て薙ぎたおされた。他の敵艦も火災を起こしたり、沈没したりと清国艦隊は壊滅状態に陥った。

しかし我が方も無傷ではいられない。『松島』には30センチ砲弾が2発命中し、百名近い死傷者が出た。その時に甲板へ降りた副長に対し重傷を負った三浦寅次郎三等水兵が「定遠はまだ沈みませんか」と、苦しい息で聞いた。副長が「定遠はもはや戦闘不能だ」と答えると、三浦三等水兵は満足の笑みを浮かべて絶命したという。
この『松島』の被害をはじめ、低速の故にそれをカバーしょうと敵艦隊の真っただ中を突っ走った『比叡』と『扶桑』は大被害をこうむった。また『西京丸』と護衛艦『赤城』は敵艦隊の近くで孤立し、これもまた甚大な被害を受けた。
だが、我が方で沈没した艦は遂に無かった。

敗残の清国艦隊は旅順へ逃げ込み、それきり出て来ることは無かった。陸軍が旅順を陥落させると、清国艦艇は威海衛まで落ち延びる。
戦闘力は奪ったが東洋最大の二隻(定遠と鎮遠)が生きていては、安心できない。そこで我が海軍の新兵器(魚雷)を抱いた水雷艇隊が出動し、これに止めを刺した。明治二十八年二月五日のことであった。
50t前後の小艦艇である水雷艇は、果敢に威海衛港内へ突入し100メートル以内に肉薄して魚雷を放った。第一目標とされた『定遠』は大破して着底し、自沈処分された。
ここに至って、東洋一の威容を誇った清国北洋水師は壊滅した。
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by levin-ae-111 | 2013-11-27 21:30 | Comments(0)

連合艦隊『黄海海戦』1

a0160407_20414323.jpga0160407_2042792.jpg 昨今、中国が身勝手な防空識別圏を設定して問題と成っている。だからという訳ではないが、中国(当時は清)と我が国は近代史の入り口とでも言える時代から戦いを繰り広げて来た歴史がある。その歴史上の戦いの一つが『黄海海戦』である。
 我が国が近代海軍を立ち上げて間もない明治二十六年七月二十五日の朝、朝鮮半島西岸を警備航行していた我が国の艦隊『吉野4,000t』・『秋津洲3000t』・『浪速3700t』の三隻が、清国艦隊と出会った。
両国は揉めてはいたもののまだ宣戦布告には至らず、互いに沈静化の道を探っている状況であった。そういう状況であったから、我が方は国際儀礼に従って礼砲の準備を始めたが、清国艦艇は何を思ったのか実弾射撃を始めた。

立ちのぼる水柱の中、我が方は司令官の号令一下、直ちに反撃を開始した。すると敵は別々の方向へ遁走を図る。
敵艦は済遠(2300t)と広乙(1000t)で、東郷兵八郎艦長の浪速と僚艦の吉野は済遠を追い、秋津洲は広乙を追撃する。朝霧が立ち込める中、双方の発砲による煙も立ち込めて視界は遮られる。敵はそれに乗じて遁走を始めたのであった。結局のところ広乙は秋津洲に追い詰められ、座礁し爆発して大破した。一方の済遠は追撃を巧みにかわし続ける。
それを追いかける内に、商船と護衛艦が目に入った。護衛艦は我が艦艇を見ると商船を見捨てて、サッサと逃げ出してしまった。商船はイギリス船籍だったが、清国に借り上げられていた。積荷は朝鮮へ送られる清国の兵士と武器弾薬が満載されていた。

浪速の東郷艦長はこれを拿捕することにし、続航する様に命じたがイギリス人船長からは清国の兵に邪魔されて不可能という返答が帰って来た。この時、東郷の取った措置は船長以下の乗組員は脱出させ、その後に攻撃するというものだった。
マストに攻撃通達の赤旗を掲揚し、船員たちの脱出を見届けると強烈な砲雷撃を加えてこれを轟沈させた。清国兵と武器弾薬はあえなく海の藻屑と成りはてた。
しかし問題が発生する。撃沈した商船は清国に借り上げられていたとはいえ、ユニオン・ジャックを翻したイギリス船である。
事は外交問題であり清国に加えてイギリスとも対峙することは出来ない。イギリスは三流海軍に自国の船を沈められて怒り心頭に達している。我が国の政府も軍部も震え上がった。

 しかし天佑は我が国に在った。数日後に国際法の専門家たちが「実質的に清国軍の作戦に従事していた船の撃沈は、何の不法性も認められない。この件で日本を非難するのは極めて不当である」との見解を示す。更に救助された船長も同船が、完全に清国側の支配下に有ったことを証言したため、清国が煽っていたイギリス国内の反日論も賠償請求も消えて無くなったのだった。
イギリスという大国を敵に回さずに済んだ我が国は、本格的に敵対する清国の脅威を払しょくするのに全力を尽くすのみである。
この海戦『豊島沖海戦』の勝利は朝鮮半島に上陸した清国軍の駆逐を目指している陸軍をも活気づかせた。陸軍の攻撃は七月二十八日に開始され、三十日には完全に敵を敗走させた。
両国が正式に宣戦布告をしたのは八月一日のことであった。
我が国の次なる目標は平壌の解放であり、陸軍は九月十五日未明から開始された。
そして連合艦隊もまた清国北洋水師(艦隊)との決戦を企図した。
待ち受ける敵は7000tもの巨体に30センチ砲を持つ『定遠』『鎮遠』という巨艦を要する東洋一の艦隊である。
対する連合艦隊は、旗艦『松島』と『橋立』『厳島』に無理やり32センチ砲を搭載したが、発射する度に艦が反対側に振られ、揺り戻しも治まるまで長い時間が掛かった。
連合艦隊は結局のところ使い物に成らない巨砲は捨てて、小口径の速射砲に全てを掛けるしかなかった。

写真は『松島』上と『浪速』
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by levin-ae-111 | 2013-11-26 20:42 | Comments(0)

プライド


 以前に放送されていた映画で、録画しておいたはずだが探しても見つからなかったディスクが見つかった。それは『プライド』という映画で、主演はステファニーと満島ひかりで声楽を学ぶ女子学生の話しだ。原作は一条漫画である。
ステファニーが演じるのは有名なオペラ歌手の忘れ形見で、プライドの高いお金持ちで歌の実力も認められている史緒という典型的なお嬢様。

対して満島の役どころは、父はおらず母親は酒浸りで男にだらしなく、お金にも汚いという不幸な家庭だが、好きな歌の世界で身を立てようとプライドを捨てて頑張る娘萌を演じている。そんな史緒と萌が出会ったのは、史緒の家へハウスキーピングのバイトに出かけた時だった。その時にオペラに誘われ、萌は大喜びで快諾し二人で出掛けたオペラ会場で、憧れの歌手に気軽に声を掛けられる史緒に嫉妬してしまう。

 その後、不幸な事に史緒の父親の会社倒産し、史緒と萌は似た様な境遇に落ちてしまう。しかし志緒は留学を掛けてコンテストに挑み、決勝まで進むが同コンテストに参加していた萌の策略で歌えなくなる。コンテストはもえが優勝し、イタリア留学を勝ち取るのだが・・・。
私がこの映画を録画し、再び観たいと思ったのは史緒と萌がデュエットするシーンの故だ。
素晴らしいデュオでカーペンターズを歌う場面や、劇中でオリジナル作品を披露する場面などは圧巻だ。
ステファニーの歌唱力と満島の演技が素晴らしい。及川光博、五代路子、ジョン・カビラ、渡辺大などが脇を固める。

http://www.youtube.com/watch?v=83vTdrqDPZY
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by levin-ae-111 | 2013-11-24 21:12 | Comments(0)

不思議な夢

 昨夜は午前様に成るまで飲み、今朝は思いっきり寝坊しました。それで今夜は温かい風呂に入り、疲れを取ろうと思いました。
温かいお湯に首まで浸かり、心地よいお湯のぬくもりについウトウトしてしまいました。
その時です石の椅子に座り、左に戦士の様な大きな男性、右に女性らしき小柄な人物を従えた子供か小柄な人物の映像が見えてきました。直感的に中央の椅子が玉座であり、その玉座に座っているのは自分という印象がしたのです。
というのもイメージを見ながら湯に浸かっている自分の左右に、見えている人物たちの気配をも同時に感じている私が居たからです。

 そのイメージは石に掘られた古代のレリーフの様であり、石造りの象の様にも見えました。人物は直線的な長方形や正方の組み合わせで表現してある印象です。戦士と思しき男性の胸には、飾りも描かれている様に見えました。
中央の玉座に座る人物の顔は目も鼻もなく、全体に白っぽく円で描かれていました。
意味不明のこのイメージは、私に何を伝えようとしているのでしょう。
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by levin-ae-111 | 2013-11-23 22:03 | Comments(0)

徒然に・・・

 私の職場には今週からまた上司が来ています。製品の試作とテストが目的ですが、試作は同僚がテストは私が受け持っています。
この上司の方はもう80歳を超えた?ご老体なのですが、仕事の合間に自慢話も含めて自分の経験を語ってくれます。
本日は試作品の製作も終わり、テスト出来る状態になるまで半日もの時間がポッカリと空白に成りました。渋滞している仕事を少しでもしたい、と思ったのですが・・・。

 同僚も私も他に多くの仕事を抱えていますので、そちらに掛かりたいのです。しかし上司のお話しが始まってしまいました。
今日は上司の若かりし頃のお話しで、化学的な知識を覚えたのは入社した会社の上司のお蔭だそうです。その方は中島飛行機で設計を行っていた人で、本を渡されて「暇のある時に読みなさい」と言われたそうです。
それは化学の本で機械設計の勉強をしていた私の上司は、化学はよく解らない。翌日か翌々日に「おおっ、○○君。あの本の▽×ページには何が書いてあったっけ。私は覚えが悪くてなー」とよく聞かれたそうです。
それ以来、若かりし頃の私の上司は必至で本を読みましたが、難しいので中学の教科書を購入して初歩から勉強をしたそうです。
勿論、責めるばかりでなく機械設計を見ては「流石は凄いなぁー」と、褒める事も忘れない方だったそうです。

 その話を聞いて、今夜はネットで検索してみました。何とその方は戦前戦中には戦闘機の設計に関わり、戦後は国産初の旅客機YS-11の設計にも携わった偉大な設計者の可能性が浮上してきました。
上司にお名前を聞きましたが、苗字だけでしたので明確ではありません。が、上司の話しが本当ならば素晴らしい方に薫陶を受けたものです。
あの有名な堀越氏や糸川氏と同時代に、活躍した設計者なのです。それにしても、世間は狭いものです。
人として異次元の世界の方を、こんなにも近しく感じるとは、驚き以外のなにものでもありません。
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by levin-ae-111 | 2013-11-19 19:53 | Comments(0)

楽しい出会い

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 先日の日曜日は、久々に楽しい一日を過ごすことができました。その訳はネットで知り合って、仲良くしていた人と会ったからです。
それ以前にも3名の方と会っていましたが、どの方も初対面とは思えない親近感があり、非常に楽しい時間を共有しました。
今度の方は女性でしたが、やはり長年の友人のような感覚で緊張もなく過ごせました。

田舎の富山ですが、街中が苦手な私がご案内できた場所は、どうしても山手になります。つまり田舎の更に田舎を案内して回ったということです。
最初は尖り山が眺望できるスポットです。尖り山はピラミッドと言われていて、綺麗な三角の山です。パワースポットの一つで、以前に会った方はその場所でUFOやスカイフィッシュなど不思議な飛行物体を撮影されています。
その場所での彼女(Tさん)の反応は、予想を超えたもので、良い意味で予定外でした(笑)

その次は雄山神社の中宮です。そこでは鳥居をくぐると、突然に風が吹き始めました。それも冷たい北風ではなく、温かい春の嵐のような風です。
本殿にお参りする前に、幾つかの合祀されている小さなお社に参拝しました。
最初と二番目、三番目とお参りしていくと、それぞれに空気感が異なり面白く感じました。
二番目のお社をお参りしている時、突然にギャーギャーと聞きなれない鳥が騒ぎ出しました。それは鳴き止まず、本殿に参拝した後にようやく静かになりました。

次は神社に隣接している博物館に立ち寄り、様々に珍しい品々を見学しました。剣岳の山頂から発見された錫杖の飾りと短刀、カラフルな立山曼荼羅、活断層のモデル立山信仰の歴史や遺物などです。これも非常に喜んでもらって、嬉しく思いました。
その他には水道水が嫌いな彼女の要望で、山奥の天然水ある場所へ行きました。そして祭の山車の展示館を観て、行きつけの喫茶店で話しをしました。
楽しい時はアッという間に過ぎ、ホテルへ送りお別れしました。天候その他を含めて、何となく神様に守られたような良い一日でした。

 それにしても不思議です。どの方もそうなのですが、ブログなどのコメントやメールの遣り取りをしていても初対面という気がしないのです。
やはりそういう方々とは、人知の及ばない深い次元でご縁があるのでしょう。彼女は次の目的地へと向かいましたが、旅の安全を心から祈ります。
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by levin-ae-111 | 2013-11-18 21:09 | Comments(0)

映画『飛べ!ダコタ』


 私の母はこの物語を実際に目の当たりにした村人の一人だ。故郷の佐渡の話しをする時に、
昔し浜にイギリスの飛行機が落ちて・・・という事を語ったことがあった。
当時の母親はまだ子供だったが、つい最近まで敵として戦っていたイギリスの飛行機が恐ろしいという気持ちは無かったらしい。
母が私たちにこの事を語ったのは、今の様にダコタ物語が有名になる遥か以前のことだ。

 物語はイギリス軍司令官やその女性秘書を載せた輸送機(DC-3)が、東京へ向う途中で悪天候と故障で佐渡の浜に不時着した事から始まる。不時着したのは母の生家に近い砂浜で、母は見物に行ったという。
イギリス人たちと佐渡の人々は互いに戸惑いながらも、次第に打ち解けていく。最終的には島民とイギリス人が協力して、機体を直し、浜に滑走路を造りイギリス機を無事に送り出すという話しである。

 これが映画化されることになり、スタッフがロケーションに合う様な古い家を探していた。母の実家は私の祖父が建てたもので、祖父も祖母も他界して今は無人に成っていた。
そこを使わせて欲しいという申し出が、管理してくれている親戚へ成された様だが、親戚の人は断ったという。結局、近所の家がロケ地となったそうだが、惜しい事をしたものだ。
もし承諾していれば、映画の中で懐かしい祖父の家が永遠に残ったのにと思うと、少し残念な気がする。

 トルコ軍艦の乗員を救った人々といい、佐渡の人々といい日本人の優しさは世界に誇るべき資質であると思う。しかし、その優しさは時として優柔不断にもつながり、相手によっては付け込む隙を与えることに成ってしまう。
国の舵取りを担う人々には、十分に心して欲しいものである。
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by levin-ae-111 | 2013-11-03 17:01 | Comments(2)