身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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【第5章】
子供を愛せない女性
 フランチェッツォが『悔い改めの国』で最初に出会ったのは、重そうに子供を抱いている女性でした。抱かれている子供は、不安と恐れで泣いていました。
フランチェッツォは彼女の代わりに子供を抱くことを申し出て、彼女は考えた末に彼に子供を渡しました。子供をフセンチェッツオに預け、女性は自分のことを話し始めました。彼女は子供を欲しくなかったのに、子供ができてしまいました。彼女にとっては、子供など関心が無く、どうでも良かったのでした。彼女は戸惑い、結局は子供を無視しました。
子供が成長し次第にやんちゃに成り、彼女は厄介な子と感じ子供を叩いたり、暗い部屋に閉じ込めたりして黙らせたのでした。
子供はフランチェッツォに抱かれて、スヤスヤと眠っています。

子供は5歳の時に熱病で死に、暫くしてから彼女も同じ病気で死亡しました。霊界に来て彼女と出会った子供は、それから彼女にまとわりついて離れなくなったのです。
そして離れられなく成った二人は、『悔い改めの国』へ行く様にとアドバイスを受けました。
フランチェッツォは、この母親にまだ子供に愛情を感じられないのですかと、問います。
彼女は「まだ感じられません」と答えましたが、子供にもう少し優しくしてあげていたらと、後悔していると言いました。
そして、子供を正しく育てるという義務感と感じていたものは、子育てが引き起こす自分の苛立ちと癇癪の正当化に過ぎず、その理由も理解したとも言いました。ですが、まだ子供に沢山の愛情を感じているとは言い切れないのですとも語ります。

この母親を非難するのは簡単ですが、事はそう単純ではありません。子供を虐待する親は、自分が子供の頃に虐待された経験を持つ人が多いといいます。父親のことは何も触れられていませんが、こういう問題には両親の関係も強い影響を及ぼします。
私たちがこの母親の例から学ぶとすれば、子供の過ちを正すためと思っていた義務感が、実は親の苛立ちや癇癪に過ぎなかったのだという点だと思います。

 彼女の話しを聞いて子供を不憫に思ったフランチェッツォが、眠っている子共にキスをすると、子供は眠りながら微笑みました。この親子の先行きが気に成ったフランチェッツォは、ずっと二人で旅をするのかと訊ねました。
すると彼女は、もう暫くしたら子供と離れることに成るでしょうと答えました。彼女が言うには子供好きな霊たちが、この子の様な子供を集めて育てている場所へ連れて行かれる
そうです。
霊界でも児童保護施設の様な場所があり、子供好きな優しい霊たちが面倒をみてくれるのならば安心です。そして二人は水の溜まった小さな岩場で休憩を取りました。
その時にフランチェッツォは眠り込んでしまいました。彼が目覚めた時には、親子の姿はありませんでした。
再び歩き始めたフランチェッツォが辿り着いたのは、険しい岩山の麓でした。
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by levin-ae-111 | 2014-02-28 05:27 | Comments(0)
【第5章】
霊になったら地上の記憶は残るのか?
 死んで霊になったら生前の記憶は残るのでしょうか。それとも何もかも忘れて浄化されて『仏様』とか『神様』に成るのでしょうか。しかし、ここまでこのブログにお付き合い頂いた皆様には自明の理でしょう。
フランチェッツォの体験を読む限り、死んでも生きている時と殆ど変らない魂の癖や考え方、記憶も維持していました。
それどころか、死んでからも生前の恨みや、愛する人への気持ちが継続します。また興味や関心に応じて学習することさえ出来るのです。
後にフランチェッツォが自らの過去と向き合う為に訪れた『悔い改めの国』には、私たちが『アカシックレコード』と呼ぶ様な記録装置の様なものが存在していました。

死んだら全てが刷新されるのならば、考えようによっては非常に好都合です。それならば思いっ切り身勝手に生きても何の差し障りもないことになります。宇宙の法則は、その様な横暴は決して許さず、全ての行いが自らに返って来るのです。
ところで私たち日本人が死者を『仏様』や『神様』として扱う理由には、他の意味があるのだと思います。日本人には古来『死』=『消滅』という概念がありませんでした。
だからこそ多くの祟りが伝えられ、祟った人を神として祭り、祟りを抑えようとしたのでしょう。歴代の天皇の中には、祟りを恐れて遷都さえ実行しようとした帝も存在した程です。私たちの日本人の祖先は、ある意味で霊界の実態を知っていたのかも知れませんね。

いざ『悔い改めの国』へ!!
フランチェッツォは霊界での更なる進歩を促進するために、アーリンジマン師の勧めで『悔い改めの国』へと向かう事を決心します。その国を巡り歩くことにより、地上での人生の真の正確とその過ちがハッキリと理解され、進歩のための方法も示されるのです。
そして最も苦しい事、つまり自分の人生の映像が示されます。その理由は自分を正しくかつ厳しく評価する助けになるからなのだという。

アーリンジマン師に連れられて、自分の家から遥か遠くに見える丘に来ると、その先に『悔い改めの国』があるのだと告げます。アーリンジマン師の説明では、自分を全て曝け出されるその国を通過するには、強い意志と勇気に溢れている物でなければ、通り抜けることなど出来ないのです。些細な過ちを繰り返す様な普通の霊は、そこに来ないし悪さをする者にとっては辛すぎて打ちのめされる地獄にも匹敵する国であるというのです。
アーリンジマン師のアドバイスと激励を受けて、フランチェッツォはすぐに旅立ちます。

 しかし勇気と強い意志を持っているフランチェッツォにとっても、『悔い改めの国』での道のりは随分と辛いものだった様です。
驚くべき事に罪科の重さが重力となりフランチェッツォに重く圧し掛かり、彼は地面に伏した様になってしまいました。そのために動きは鈍くなり、動くこと自体が苦労だったのでした。
ネズミ色の巡礼服を着用して、重い身体を引き摺りながら進み、遠くに見えた丘陵地帯を超えると、その先には砂漠が広がっていました。そこには地上での彼の不毛な砂の様な人生が見えました。砂漠の砂は熱く一歩ごとに火傷で水ぶくれが出来そうな苦痛を堪えて、歩を進めると、彼の目前に砂漠の蜃気楼の様に過去の自分と見知っている人々の映像が現れました。その後には勇気と意志に溢れたフランチェッツォにも、耐え切れない程の辛い場面の数々が次々と現れては消えて行くのです。
自分でも忘れていた他人に対する冷酷な考えや言葉が示されました。それらの場面はフランチェッツォには自分を責めている様に感じられました。
過去の何千という下らない考えや利己的な行動など、それらは長いあいだ気にも止めず忘れていた、あるいは正当化して逃げていたものでした。
それらの拙い自分の言動が次々と映し出され、フランチェッツォは圧倒され遂に耐え切れず泣きだしてしまいました。

 誰でもフランチェッツォの様な状況になれば、恥ずかしさと後悔で泣き出したく成るに違いありません。けれども、それこそがこの国で成すべきことの一つだったのです。
フランチェッツオの涙が熱い砂の上に落ちると、そこには小さな花が咲きました。何滴もの涙のしずくが、次々と花を咲かせます。柔らかくて美しい花はその中心に水滴を抱いており、フランチェッツォが泣き崩れた場所は、小さなオアシスになったのです。
 この場所が砂漠なのは、ここを超える者たちが純粋な愛や自己犠牲に欠けているためでした。
自分の涙から生まれた花を見て勇気が出たフランチェッツォは、記念にと数本の花を摘み、胸に差すと歩き始めました。すると、もう映像は現れず、代わりに子供を抱いた一人の女性と出会いました。彼女もまた巡礼者でした。
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by levin-ae-111 | 2014-02-27 05:42 | Comments(2)

鎌倉ものがたり

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 最近は西岸良平著の『鎌倉ものがたり』に嵌っています。西岸良平氏といえば、映画化されて大ヒットした『三丁目の夕日』が有名な作品です。『三丁目・・』は古き良き時代の下町の人々の日常を描いたもので、学生時代にコミック誌でよく読んだものです。
さて、この『鎌倉物語』はそれとは趣を異にする少しミステリアスな作品群です。
鎌倉在住の作家とその若く可愛い奥様が主役で、警部さんやら殺人犯やらが出て来るのです。そして最もユニークなのは鎌倉の裏世界(異次元?)に魔物たちが住んでおり、この世界と人間界が時折リンクするのです。

 その魔物たちは概ね善良で、魔界にも人間界と変わらない仕事があり、社会制度があるのです。そして魔物たちは人の心の美しさを見るので、人間界では年老いて引退した女優さんも心が清ければ最高の美女として彼らの目には映ります。
反対に幾ら美しい容姿をしていても、心が醜いと魔物の世界では必ず心に応じた出来事に遭遇するのです。
魔物なのに人間のタレントのフアンだったり、人間世界と同じく初日の出を拝んだりするのです。

 西岸良平さんと一目で分かる独特の画風は、少しくらいの残酷な内容でも読者に重さを感じさせないのです。
その魅力に嵌り、コンビニで見かけるとつい手を伸ばしてしまいます。そして一冊350円と他のコミックより少し安いのも魅力です。
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by levin-ae-111 | 2014-02-26 05:25 | Comments(0)
【第5章】
天国へ至る道
 これまで悲惨で苦しく辛い地獄の様子を伝えて来ましたが、ここからは章も改まり天国への道程を語ってくれています。
人間として生まれ生きてその死を迎えた時、天国や地獄の存在を信じる人ならば誰しもがより明るい世界へ行きたいと望むでしょう。しかし誰しもが聖人の様な美しい人生を過ごせる訳ではありません。普通に生きているだけでも、嘘や誤魔化しは有るでしょうし、切羽詰まれば、悪い事だと分かっていても犯罪に手を染めるかも知れません。
それでは酷い行いをしてしまったならば、地獄へ行くしかないのでしょうか。その疑問に地獄から救出された者が多く所属する『希望の同胞団』のリーダーが応えてくれています。

①地獄において自分の身に起こる事は、全てその人自身の邪悪な人生の結果である。そのことは、霊界でも地上の人生でも変わらず過去の行為が原因である。
②従がってどの様な状況であれ、此処には魂自身が創り出したもの以外は存在しない。
③神は一粒の重石さえ誰にも背負わせていない。
各自が犯した罪を正すために、破壊したものを再建するために、汚したものを清めるために、必要な努力の量は等量なのである。
④そうしてこそ、地獄の酷い住居や退化した姿や恐ろしい環境などから抜け出して、より明るく幸福なものへと変わっていく。
地上の人生で何らかの罪を犯したとしても、それと同等の努力をして(出来れば生きている内に)償いをすればその罪の汚れは清められるのです。

赦すことの大切さ
 もしもそれが出来たならば、良い事に違いないと思ったとしても、自分を陥れた人や虐めた人を赦すことは誰にとっても容易ではありません。フランチェッツォにとっても同じで、大きな課題として『赦す』ことが立ちはだかりました。
しかも、ただ敵を赦すだけでなく、相手を傷つけるという想いを一切持たず、更に敵に善を施したいという気持ちにまでならなければいけないのです。要するに悪に対するに善で報いるということを、心から実行するのです。
この様にフランチェッツォは語っていますし、それはまた復讐心を堪える以上に難しいことなのだとも述べています。

 地表の霊界で働く様に成った時、フランチェッツォはまだ生きている一人の人物と出会うのです。その人物は、フランチェッツォにとって憎むべき敵だったのです。
霊界で修業を続けていたフランチェッツォも、心に憎悪が燃え上がり復讐心と怒りに支配されてしまいました。その憎悪は凄まじく、最下層の悪霊たちを召喚してしまう程のものでした。ですがフランチェッツォは幸運でした。
彼が憎悪を燃え上がらせていた時、どこからともなく愛する彼女の声が聞こえて来ました、そのお蔭で我に返ったフランチェッツォは事なきを得たのでした。
次にこの相手に出会った時も憎悪は消えていませんでしたが、霊界で学んだフランチェッツォには相手の過ちと、自分の過ちが解る様になっており、復讐心は湧きませんでした。

そしてある時、相手の横に立っていると、それまでにない感情が湧き上がって来ました。
それは相手に対する哀れみの心でした。フランチェッツォは魂の奥で、相手も追い詰められている事を知りました。それから二人の間の心の壁は次第に消えて行き、フランチェッツォは遂に彼を援助するまでに成ったのでした。
そうすることでフランチェッツォと敵の間の憎しみのリンクは解かれ、各々の道を歩みだすことが出来たというのです。

 私も過ぎてしまった事を幾ら悔やんでも、相手を呪ったり恨んだりしても何も変わらないと思います。自分には甘く他人には辛く当たる人もいますが、そういう人と出会った時は出来るだけ関わらない様にしています。また仕方なく関らざるを得ない時には、「自分も未熟だけれど、この人はもっと未熟なのだ」と考える事にしています。
そうすれば怒りも少しは和らぎますし、結果として相手にも冷静に対応が出来るのです。

心構えが有れば何事にも冷静に対応が出来るというのは、私の体験に裏打ちされています。
以前に車で通勤途中に身体の感覚をも伴う明確なビジョンを見ました。それは追突されて、前のめりに成っている自分の姿でした。その数分後、実際に追突され同じ感覚を味わいました。ビジョンと違っていたのは、追突した車の急ブレーキの音だけでした。
車から降りた私の相手のドライバーに対する第一声は「大丈夫ですか!怪我はありませんか」でした。
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by levin-ae-111 | 2014-02-25 05:57 | Comments(2)

不気味な夢

不気味な夢
 これは随分以前に見た夢です。もしかしたら、霊界の地獄の領域に属する場所の夢だったのかも知れません。
 私は小高い山の上から下界を眺めています。周囲はとても暗く、樹木も草もなく無論のこと動物も人も存在していません。夢の中で私の認識はとても激しい戦争があり、全てが滅んでしまった後なのです。
私自身も死んだのでしょうが、黒い影の様な存在になっていて、移動する時は歩くのではなくスーッと地表を滑る様にして低く飛んでいます。
私は身の危険を感じており、まるで巣穴から出る際の小動物の様に周囲に絶えず気を配っています。
 全ての山々が禿山となってしまい、所々に石や岩が出ています。私は地面スレスレに飛び、岩から岩へと身を隠しながら移動しています。ある時は山の稜線に沿い、ある時は谷沿いに移動し続けて、私はとうとう人の気配のする粗末な小屋を見つけました。
私は山蔭に身体を伏せて低い姿勢で、その小屋を監視しています。どんな敵か分かりませんが、その時の私はそれが敵であるかも知れないと考えていました。
谷合にある粗末な小屋の小窓から漏れるオレンジ色の光がとても印象的でしたが、恐ろしい夢でした。

不気味な夢2
 私は誰かと一緒に、観光地の小高い丘から港町を眺めていました。丘の下には立派な洋館風のホテルが立ち並んでいます。その向うには大きな白い客船が停泊している港があり、青い海が凪いで海面が光っています。
突然に場面が変わり、巨大な津波が押し寄せて来るシーンになりました。津波はあっという間に港に達し、巨大な白い客船は軽々と持ち上げられてホテル群に迫って来ます。
津波は船をホテルの建物に叩き付け、辺り一帯を飲み込んでいます。しかしどうやら丘の上までは達しない様で、私は唖然としてその光景をただ見つめるばかりでした。

不気味な夢3
 これは最近です。本当に無茶苦茶な夢でした。
私は部屋を掃除していますが、幾ら掃除機を掛けても埃が尽きないのです。そこへ大きな建設機械が飛び込んで来て、家を壊し始めたのです。
建設機械は凄いスピードで家中を走り回り、遂に家は二階の一部だけを残して倒壊してしまいました。建設機械のドライバーは何と父親で、父は機械から降りて残った二階の一部に立ち何か意味不明のことを叫んでいました。
私が父を非難すると「死んでやる!!」と叫び、飛び降りると頭から地面に堕ちました。
そこで目が覚めたのですが、翌朝、母たちは少し混乱していました。
と言うのも、父が夜中に起きて出勤の準備を始めたからです。耳が遠い父は母のいう事を聞かず、まだ夜中だと納得させるのに苦労した様です。
混乱した父とこの夢が何か関連があるのかも知れません。一瞬、痴呆症か?と不安に成りましたが、今のところ大丈夫ですから安心しています。
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by levin-ae-111 | 2014-02-24 05:47 | Comments(0)

【第4章】
地獄の戦争で負けるとは?
 夜になり、フランチェッツォたちは悲惨な戦闘が繰り広げられた草原に降ります。フランチェッツォは戦闘で傷つき動けなくなって、その場に放置された者たちを見て思います。
死さえ許されず、傷つき苦しむ霊たちに希望は無いのかも知れないと。何故ならば地上とは違い死の静寂も、生きていれば助かる希望も有りますが、ここでは動ける様に成ったとしても、また果てしない戦闘の恐怖に晒されるだけです。それは恐ろしい闇と獰猛な野獣たちに囲まれるという事でしかないのです。
そんな彼らを照らす希望の光も、救いの手も存在しないのではないか?と彼は思ったのです。
フランチェッツォがそんな悲憤に駆られながら、形の無い塊にまで破壊された兵士の霊を助け起こそうとした時、またもや不思議な天の声が彼の想いに応えてくれました。

天の声は以下の様に告げます。
「打ち負かされた者たちの変化の兆しである。地獄にも希望はある、そうでなければ汝は何のためにここに来たのか?より高級で善なるものへの憧憬が、悪から遠ざかりたいという願いが、彼らをして邪悪な技の前で弱くしたのである・・・・」
その結果として彼らは敗北したのだが、負けて邪悪な権力から失墜した事で、より高次の世界へのドアが開かれたのであるとも告げます。
そしてフランチェッツォに彼らの為に嘆くのを止めて、苦痛を和らげる事に専念しなさいと指導します。そうすれば彼らに地獄世界での死が訪れ(次の次元へ移行するための深い眠りの事)、目覚めた時にはより高い次元世界に居るのだと教えます。

やがて横たわっていた者たちの上を霧が覆い、それが解放された霊魂の形をとって、救援に来ていた高級霊たちに抱かれて連れて行かれるのを目撃しました。
最後の一人が連れて行かれた時に、フランチェッツォハこの世界での仕事が終わった事を知ったのでした。
今回救われなかった者たちはどうなるのでしょうか。それについて『希望の同胞団』のリーダーは、どんなに時を要しても全ての者に誰にも奪われない希望が与えられていると言います。また各自には最後には必ず覚醒の時が訪れると告げ、振り子を例にして最悪の状況も必ず反対方向へ振れるのだと教えてくれました。
死後にさえ、地獄の門の内側でさえも全ての者に慈悲と赦しは供えられているし、希望と愛は確保されていると、リーダーは言い切ります。

と言うのも、『希望の同胞団』には、地獄から心を浄化して高次の世界へと昇って来た霊が数多く存在しているからです。そうした彼ら自身の経験が、リーダーをして力強くそう言わしめる源泉なのでしょう。
つまり有難い事に私たちには、心を浄化すれば必ず救いの手が差し伸べられるという事なのです。
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by levin-ae-111 | 2014-02-23 08:00 | Comments(2)

夢の話し

a0160407_154761.jpga0160407_1534547.jpg 






























私は以前から不思議で鮮やかな夢を何度か見ています。現実よりも鮮やかな総天然色の夢は、印象的で目覚めてからも思い出すのも容易でした。
夢の内容は様々です。以前にもアップした内容ですが、ブログをご覧いただいている方から『夢の話し』をエントリーして欲しいというご希望がありました。
私としてもフランチェッツォの話しばかりでしたから、気分転換には丁度良いタイミングかと思います。

貴婦人と何事か話し合う夢
 この夢を見たのは随分と前の事です。朱塗りの柱や梁に白壁の神社とも宮殿ともつかぬ場所の庭で高貴な女性と何事かを相談している場面です。
庭の中央には1メートル位の奇岩が一つ据えてあり、地面は芝生です。庭の周囲には渡り廊下が巡らせてあり、時折ですが艶やかな衣装(十二単の様な着物)をまとった女性たちが歩いて行きます。
私は中央に立って、美しく気品にあふれた女性と向かい会っています。気に成ったのは、廊下を通る女性たちが私を見て囁き合いながら歩いて行く事です。それが「まあっ、○○様よ!」という様な囁きなのです。
目前の美しい女性の背後にはやはり木部が朱色で壁が真っ白な宮殿と思われる立派な建物が見えています。

 私と女性の関係は明確ではありませんが、強い信頼とお互いへの深い理解があります。私達が何事か話していると、侍従と思われる男性が何か賞状額の様な物を持って来て、私の傍でひざまずきそれを差出ました。
私はそれを受け取り読み始めます。私が読み終えると文章は自動的に次の項へと変わり、私はその内容を記憶する様に努めました。
目覚めた途端に覚えた筈の文章の内容や女性との会話など全て忘れてしまいましたが、何か非常に重要な問題の対応について話していた様です。
さて、まるで現代のタブレット端末の様な賞状額の様な物の画面はガラス張りで、文章を読む時に顔が映りました。
何と良い男でしょうか(笑)スット鼻筋が通り、切れ長の涼しい目とキュッと引き締まった口元の美丈夫です(当然、現実の私とは大違いです)。

ヘアスタイルは角髪(みずら)で、服装も神話に出て来る男神のそれでした。角髪とは上古の貴族の男性の髪型ですから、私の立場は貴族なのでしょう。私のスタイルは神話に出て来る大国主の命と同じものでした。
この夢の私は後にブログ友達の記事で、どうやらオオヤマツミ神らしいと判明しました。
その女性は姉か母か兎に角、私と非常に近い間柄という感じでした。
そうだとすれば、相手の高貴な女性は一体どなたなのでしょうか。そのブロ友さんのページから拝借した写真は、正しく相手の女性の服装に非常によく似ています。
女性の衣装はどうやら、天皇の代わりに天照大神の依代として伊勢神宮に天皇の代替わりの時に置かれたもので斎王と呼ばれる方の服装です。

ウィキペディアより
★斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)[1][2]。厳密には内親王なら「斎内親王」[3]、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称したが、一般に両者をまとめて斎王と呼ぶ。
伊勢神宮の斎王を斎宮、賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した[1]。伊勢では幕末に、津藩主藤堂高猷が再興を主張したが、成らなかった[4]。
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by levin-ae-111 | 2014-02-22 15:10 | Comments(0)
【第4章】
地獄にも戦争がある?
 以前に霊界にも戦争があり、善良な霊の群れに黒い雲霞の様な悪霊の群れが襲い掛かるのを天使たちが救うのをフランチェッツォは目撃しました。それは霊界で起こる戦争であり、その戦争が私たちの世界にも影響を及ぼすことをご紹介しました。
また同じ内容かと思われるかも知れませんが、今度は地獄の住人たちどうしの戦いです。

 ベネデットと別れたフランチェッツォと律儀な友は、広大な平原にやって来ました。律儀な友が言うには、二人はこれから小高い丘に登り大きな戦いを観戦することに成るのだそうです。
地獄での戦いは敵対する霊たちが巻き起こすもので、彼らの歓びは戦いや略奪、流血なのです。彼らは自身の残忍さや野望の結果としてこの世界へ堕ちましたが、その性質はこの世界にも持ち込まれて互いに地獄の王国の覇権を争って戦いを仕掛けているのです。
悪辣な霊たちの中でも地上でも多くの軍隊を動かした強力な精神の持ち主は、自分の魔力に逆らえない霊たちを支配下に入れて戦争へと駆り出しているのです。
支配下の霊たちは自分の意志に反しても、戦いに出なければ成らない様ですが、それは死さえも争いを終わらせられない恐ろしいものなのです。

 二人の目前には醜悪な姿の霊たちが集まり始めました。各々の先頭に立っているのは、宗教画に出て来る悪魔の様な姿をした堂々とした霊で、地獄の将軍であるにも関わらずある種の荘厳さと美しさを持っています。
しかしそれはトラやライオンのそれと同じで、獰猛で残忍なものです。劣化した霊たちを馬の代わりにして戦車を曳かせ、群衆をけしかけて戦いを導いているのです。
その戦いの様子とは、荒っぽい旋律の音が呪われた霊魂の叫びの様に轟き、集まった双方の軍隊から雄叫びが沸き起こり、一気に戦いへとなだれ込んで行きます。
地獄の霊たちは相手に突進し、飛び上がり或は相手を地面に引き摺ったりし始めました。亡霊たちの軍隊は地上のそれと同じく、何度も突進を行い、策動や前進後退を繰り返すのです。彼らの戦い方は完全な白兵戦で、取っ組み合いです。というのも彼らは武器を持っておらず、野獣の戦いと同じで互いの歯と爪が唯一の武器だからです。

その内に各々の将軍も空中に舞い上がり、鷲や鷹の様に空中戦を始めました。やがて一方の将軍が相手を打ち負かし、地面の大きな割れ目に負けた方を投げ込みました。地上ではまだ激しい戦いが続いていますが、次第に負けた将軍の軍隊が劣勢になり戦いの決着はつきました。負けた霊たちは負傷して動けない味方を放って、一目散に散り散りになって逃げて行きました。勝った方は負けて動けない敵を引きずりまわして、捕虜にしますが彼らの運命は言うまでもなく悲惨です。

 余りの悲惨さと残忍さにフランチェッツォは、その場を去りたいと思いました。しかしその時、律儀な友は「我々の仕事の時間です」とフランチェッツォに告げたのです。
二人は丘を降りて戦場へ行き、戦いに嫌気が射している者や恐怖している者たちがいるので、そういう者はフランチェッツォたちの助けを受け入れるだろうと言うのです。
フランチェッツォたちがこの戦いを観戦していたのは、負けた者たちを救う目的があってのことだったのです。
フランチェッツォは言われた通りに、負傷した者たちをなだめる努力をしました。平原の上には多くの星の様な光が見えます。その光は『希望の同胞団』の他の者たちによって灯されている光でした。

それにしても死ぬことも許されず、永遠の戦いに恐怖し、痛み続けるとは余りにも残酷です。戦いのゲームであれば止められますが、地獄ではそうは出来ないのです。
そういえば私(ブログ筆者)は、ずっと以前に不思議な夢をみました。
夢では子供の私が物陰に隠れて、息を殺して向こうの様子を伺っています。視線の先には黒い悪魔と薄い灰色の悪魔がいます。悪魔たちは色の違いこそあれ、姿は同じに見えます。
コウモリの様な大きな翼があり、ゴツゴツした顔に耳まで裂けている口には鋭く尖った歯、頭には後ろへ反り返った二本の角が生えていました。手の爪は鋭い鈎爪で、足の爪も長くて尖っています。争いを始めた二体の悪魔でしたが、黒い方が勝って相手を暗黒の淵に投げ込むのでした。この本の地獄の戦いの将軍たちは、この夢のイメージと符合する気がします。
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by levin-ae-111 | 2014-02-21 05:29 | Comments(2)
【第4章】
自殺したらどうなるのか?ベネデットの例
 さてここまでは自分以外の他者に対する行為により地獄へ落ちている人々の姿を伝える内容でしたが、ここでは『自殺』した人々の霊界での姿を伝えてくれています。
私は『自殺』も殺人と同様の罪であろうと感じていますが、果たしてどうなのでしょうか。
 フランチェッツォは同行してくれている『律儀な友』の提案により、別の都を訪れることにしました。その都には、もしかしたらフランチェッツォが陥ったかも知れない運命を生きた男が居たからです。
フランチェッツォと同じ時代を生きたその男の名は『ベネデット』といい、ヴェニスでは有名な画家だった人でした。実は地上の人生を生きた時に、フランチェッツォとベネデットは面識がありました。同時代のイタリアで各々に芸術を志していましたから、二人には共通点も多かった様です。
ただ異なっていたのはフランチェッツォの愛した人は純粋な愛情で彼を支えてくれていますが、ベネデットは愛した女性に手酷く裏切られたことでした。その裏切りのショックでベネデットは拳銃で自殺をしてしまったのです。
その時のベネデットの状況を聞いたフランチェッツォは非常にショックを受けました。それは次の様なものでした。

ベネデットが拳銃で自分を撃って、気が付くと恐ろしいことに自分が墓の中の棺に閉じ込められていました。ベネデットは自分の肉体を破壊しましたが、それでも自由には成れませんでした。未熟な果実が熟れるまで木から落ちない様に、死の準備が出来ていないベネデットの様な自殺者は未熟な果実と同様で、死後ただちに肉体から離れられない様です。
その為にベネデットは棺の中で腐敗してゆく肉体と共に在らねば成らなかったのです。
ベネデットは肉体が腐敗して霊体との連結が切れるまで、長い時間が掛かったのでした。しかも肉体が崩壊するまでの間、全ての痛みを感じていたというのです。
本当に想像するだけでも恐ろしいのですが、日本では火葬の習慣があり一般的にはベネデットの様な状況に陥る可能性は低いでしょう。
フランチェッツォは、「もし地上の皆さんが自殺者に本当に慈悲深くあろうとするならば、火葬にすべきであり、埋葬すべきではありません」と言っています。

復讐するとどう成るか?
 日本では昔から罪なくして死に追いやられた人は、祟ると信じられていました。菅原道真や平将門などは祟りを成したと信じられ、その祟りを鎮める為に神として祭られています。ですから、日本ではこの様な例は非常に多く存在しています。
そんな事は迷信だと笑とばすのは簡単ですが、フランチェッツォの報告では、その祟りをベネデットが実行したのです。
彼は肉体の束縛から自由に成ると復讐心に燃えて、彼を裏切った侯爵夫人の許へ行き報復を始めたのでした。初めに富を失わせ、次に地位を奪い最後には命を奪おうとしたのです。
彼女(侯爵夫人)は常にベネデットの事を考え、彼が墓場から出て自分の前に現れるのではないかと恐怖しました。
彼女は何も見えませんでしたが、次第に付きまとうベネデットの存在を感じる様になります。そして遂にある日の夕暮れに、彼女を憎悪するベネデットの姿を目撃するに至ります。
その衝撃が衰弱してすり切れていた彼女の神経には余りに強すぎて、彼女は意識を失い倒れ、そのまま死んでしまったのでした。

 ベネデットの方は目的を達して満足したかと思いましたが、意外にも彼を待っていたのは満足とは反対の酷い自己嫌悪でした。自分の行為に恐怖を覚えたベネデットは、自己嫌悪と恐怖から逃れ様として地表の霊界から下へ下へと逃げ続けて落ちて行きました。
そして、フランチェッツォが『律儀な友』に案内されてやって来た地獄界の街に居ることに成ったのでした。
その後、ベネデットは間もなくしてやって来た彼女に会い、赦しを請い、また彼自身も彼女を赦す決意をしました。彼はそれを実践し、今や地獄を出て『日の国』にあるフランチェッツォの家の同居人と成っています。
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by levin-ae-111 | 2014-02-19 22:26 | Comments(0)
【第4章】
 ここまで、地獄という低い領域のレポートを続けて来たフランチェッツォですが、まだまだ今まで以上の辛い煉獄の様子を報告しています。
死霊の森の囚人
黒い沼の地獄で幾人かの霊を救ったフランチェッツォが、次に向ったのは暗黒の森でした。その森では木々の枝や根っこが、霊たちを押えつけて動けないようにしています。
足を根に絡め取られている者、枝で押さえつけられている者、中には余りに長い時間そこに捕らえられていて体が苔むしている者までいます。
彼らの叫びは弱々しく、フランチェッツォにはかすかに救済を求める声が届くだけです。
フランチェッツォはこの悲惨な地獄に捕われている人々の罪について、質問を投げかけます。それに応えて天の声が告げるには、彼らは人を苦しめ罪により、この煉獄に繋がれているといいます。
彼らは地上の人生において、人々を圧政により苦しめ、野獣に襲わせ他には拷問などの残酷な方法で人々を殺害して喜んでいた者たち霊たちなのです。
そして彼らを救出する術はなく、ただ彼らが救われるには唯一、彼ら自身の残酷な心が後悔と反省、そして他人の為に命を掛ける気持ちを持つまで解放されることはないのです。

人殺しが集まる魔の都
 死霊の森を去ったフランチェッツォに、友人のハセインがやって来ました。ハセインは父と愛する人からのメッセージを持って来てくれたのです。そして元海賊のこれ以上の同行は無理だと告げ、次の世界での注意事項を伝え別の導き手を付けてくれました。
新しい導き手は『地獄の都』で分かれた『律儀な友』でした。

 『律儀な友』に導かれて登った黒いブロックで出来た塔からは、夜の黒雲の下に果てしなく広がる巨大な黒い都市でした。
木の生えていない黒い荒野がその都市を囲み、血の匂いを感じるような霧が都の上に覆いかぶさっています。
その都の巨大な城や壮麗な塔も美しい建物も、その全てがそこに住む霊人たちの腐敗し荒廃した罪深さの表れでした。しかしフランチェッツォは、その都の光景に見覚えがありました。つまり、それはフランチェッツォが生活していた都市によく似ていたのです。
フランチェッツォは『律儀な友』に、この都の姿は過去なのか現在なのか、それとも未来なのかと問います。
『律儀な友』の答えは、その全てであるというものでした。そして、この光景をしっかりと見て、自分の故郷の人々に伝え警告すべきであるとも告げます。
更にそれ以上にこの都でフランチェッツォが成すべき大切な課題があると伝えます。

 この街でフランチェッツォは、地上の霊界で復習をそそのかした霊たちに再び出会います。彼は誘いに乗る振りをして地獄のパーティ会場へ行き、そこで罪を悔いている一人の女性を救出します。しかし、今回は苦しむ霊を救出する以上の目的があります。
 フランチェッツォがやって来たのは、郊外にある壮麗で巨大な宮殿でした。彼は地上でこの壮麗な宮殿を眺め、かつてはその宮殿の持ち主であった一族の血筋に生まれた事を誇りに思ったものでした。
ですが今はその壮麗さや美しさは見る影もなく失われ、美しかった大理石はカビで覆われ、彫刻は崩れ、そこ此処に黒い蜘蛛の巣が掛かっています。
フランチェッツォが中に入ると、玉座から立ち上がった城の主は、歓迎の挨拶をしました。この無残な城の主はフランチェッツォの一族が誇りにしていた先祖であり、しかもフランチェッツォはその男に似ていると言われていたのです。
フランチェッツォはその男の顔に漂う残忍さ、陰険さや好色さを感じて身震いする程の嫌悪感に襲われます。そして、その男に似た要素が自分の中に存在する事に気付き、打ちのめされます。

更にあろう事かこの男の口から先祖という霊的な繋がりを利用して、フランチェッツォの人生に密着し野望を煽り、今も悪行を行うように促していると聞かされます。
その意図はフランチェッツォを通じてもう一度、人々を支配したいという野望を叶える為でした。フランチェッツォが相手の申し出を断り出て行こうとすると、先祖は黒い幽霊たちを呼び出して、地獄の墓場へ投げ入れる様に命じます。
その時、一筋のロープの様な光が天から伸び、フランチェッツォがそれを掴むと、上へと引き揚げられました。
救いの手を差し伸べてくれたのはアーリンジマン師でした。フランチェッツォが気付くと広間の様な場所で、アーリンジマン師が彼を癒してくれている最中でした。
 
 アーリンジマン師がフランチェッツォを先祖の霊に会わせたのは、先祖の正体を知っておく事が将来の悪巧みや計略からの防御に役立つからだと説明してくれました。
この事から先祖という一見して遠い存在が、私たちの人生に如何に影響を及ぼしているのかを知る事が出来ます。私たちも自らの先祖について、どんな人物が居りどんな人生を送ったのかを知っておく必要があるのかも知れません。
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by levin-ae-111 | 2014-02-16 11:34 | Comments(2)