身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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おじいちゃん上司と飲む


 昨年末から新製品の開発で、ほぼこちらに入り浸りの上司が居ます。私と同僚は大変なのですが、その上司が私たちにだけ何かと贈り物を下さいます。

でっ、お礼かたがた飲み会にご招待しました。

尤も安い居酒屋ですが、沢山飲んで食べて、話しをして楽しい宴会でした。

同僚と上司は9時過ぎに帰りましたが、私は最後まで一緒に居ました。

他の二人が居る時にはしなかった話しをし、一旦は支払を済ませてあるので、追加注文をして更に飲みました。恐らくは80歳前後の上司も、ジョッキ3杯とその後はチューハイを45杯も飲み干していました。

私は生ビール一本で、78杯は飲んだでしょうか。気が付くとラストオーダーに成り、更に閉店時間に成っていました。

場所は上司の宿のすぐ近く、私は家までタクシーで20分くらいです。車が来たので上司に挨拶をして乗り込みました。ところが、上司が運転手にお金を渡しています。

感謝の気持ちで催した宴会ですから、上司にお金を使わせたくありません。固辞しましたが上司は譲らず、有難く頂戴しました。

料金は4千円足らずで、千円余りこれも有難く戴きました(^^

しかし・・・週半ばの午前様はキツかったぁ~(>_<)


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by levin-ae-111 | 2014-06-30 05:25 | Comments(0)

謎の九鬼文-7-

 さて九鬼文書を神代文字から翻訳したのは藤原不比等とされている。現代風に言えば超エリート官僚であった不比等が、当時の流行であった仏教思想ではなく古来に近い表現をせざるを得ない部分が九鬼文書には存在した。

それは人間以外の生き物を『畜生』と表現する仏教用語を用いずに、恐らくは原文の意味に近いと思われる『群生』と表現していることである。

この『群生』という表現には、人間と他の生き物とを平等に扱っているニュアンスがある。

この部分は縄文より今日までも脈々と日本人に受け継がれている、いわば私たちの精神的な骨格の様なものだと私は感じる。


姿形、生活は異なるけれども、それは領域を住み分けているに過ぎない。そのことは人間が他の生き物を凌駕して、特段に優れた生き物とする考えの根拠にはならない。

流石の(恐らくは)合理主義者であったろう藤原不比等も、古い時代より培われてきた真理を捻じ曲げることに躊躇いがあったのだろう。その躊躇いが不比等をして『畜生』ではなく『群生』と訳させたのではあるまいか

 

この考え方は神と人間の関係にも生きている。縄文の神は人の祖先であり、自然現象であり、他の生き物たちであった。従って自然との調和や共存といった考えが自ずと発生するのであり、西洋のキリスト教のごとく神と人間との断絶は存在しない。

確かに西洋的な感性は現代に繋がる科学文明を発生させ、私たちに多くの恩恵をもたらしてきた。しかしその陰で多くの自然を犠牲にし、今では自分たち自身の存在さえも危うくしている。

これはそのままキリスト教的な神と人間の断絶を基本に掲げる文明・文化の限界を示しているのかも知れない。

 全ての生き物は平等であり、ただ領域を住み分けているだけだとする考え方は、それこそが縄文神道の本質なのだろう。一切の生命は分子レベルでは同一であるとする現代の生命科学の見解は、縄文神道を只のシャーマニズムとして割り切る現代的観点を否定する様に感じる。

また九鬼文書には予言的な要素もある。この宇宙の総合神とは造化三神と天神七代、地神五代に陰陽神を総称して『宇志採羅根真』(ウシトラノコンシン)である。これはまた日月星辰、三千世界、山川草木、人類禽獣を含め神羅万象の万物を創造大成される神のことである。

宇志採羅とは『艮』のことで九鬼神道によれば世界を東西に分け、その東半球の北東()の国を日本としている。この艮の国、すなわち日本にこそ全世界の創造大成を指名とする神、艮の根神=艮の金神が出るということになる。

元々は鬼門とされ忌み嫌われるこの方角が、最も聖なる神の出現する場所であるとする逆転の発想は九鬼文書の独壇場である。だが、この根拠は文書には示されていないらしい。


そこで大本教の出口王仁三郎によって唱えられた説、つまり悪神や邪神の陰謀によって根神が鬼門に封じ込められたという解釈が出てくる。王仁三郎によれば、この封印された根神
=金神は国常立尊(クニトコタチノミコト)であり、カンハヤスサノオノミコトであるとしている。さらにこの国祖神である国常立尊がやがてメシアとして再現し、世の『立て替え・立て直し』の先頭に立つのである。

この出口王仁三郎が唱えた説から、岡本天明が自動書記したとされる『日月神事』へと繋がって行くのである。

この様に『九鬼文書』は卑弥呼の時代から近代の出口王仁三郎、岡本天明に、そして彼らの説に興味を持つ現代人まで、形と人を変え受け継がれているのである。


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by levin-ae-111 | 2014-06-29 13:09 | Comments(1)

 私はよく湯船に浸かりながら、ボンヤリとしています。そんな時、様々なビジョンが見えることがあります。また休日などでも、好天なのに何処へも出かけず家でボンヤリとすることもあります。

これって、時間が勿体ないとか、折角の休日なのに、とか後から考えて悔やむこともしばしばです。

ところが、ある番組で、ボンヤリしている時に活発に働く脳の部位が有ることを知りました。

しかも脳内でも離れた部位が同期して働くらしいのです。そのことはfMRI(ファンクションMRI)という脳内の血流を数千のブロックに分けて観察・記録できる機械を使いデーターを集めて明らかに成ったそうです。

身体の部位でも脳は非常に多くのエネルギーを消費するそうです。そんな馬鹿なと思いますが何か作業をしている時よりも、ボンヤリとしている時の方が多くのエネルギーを消費するらしいのです。

この時に同期して働くのは後部帯状回(脳の後ろ側)と前頭葉内側(前頭葉の内側部分)で、何か課題をこなしている時よりも遥かに多くの血流が見られるというのです。

このことは、非常に不思議なこととして捉えられています。この何もしていない時に同期して働く部位の関連はデフォルトモードネットワークと呼ばれています。


マーカス・レイコル教授が発見したこの現象は、現在では盛んに研究が行われている分野でもあります。

現在いわれていることは、自己認識、見当識、記憶に関連しているらしいということ。

自己認識とは自分についての認識、見当識は自分が何をしているのかを認識することです。

ボンヤリしている時の脳内ネットワークは他にも多数存在し、離れた部位での同期が数多く発見されました。どうやら年齢を重ねると、このネットワークが繋がり難くなるらしいのです。それを利用して、初期のアルツハイマー病などの発見が可能と成りました。

若い人は遠い領域どうしが繋がっていますが、年寄りになれば遠い領域の繋がりが減ってしまうのです。

これは道路に例えれば、高速道路が寸断されると目的地に到着するのが遅く成るのと同じだというのです。つまりデフォルトモードネットワークの同期する範囲が少なく成ると、認知障害が生じるらしいのです。

とまぁ、この位のことは判明している訳ですが、それ以外にボンヤリしている時に脳がデフォルトモードネットワークを働かせて何をしているのか分からないそうです。

またこのデフォルトモードネットワークが活発過ぎても、或は不活発でも人間は健康では居られないそうで、何れの場合でも精神疾患に繋がるのだそうです。


長々と書きましたが私は無知ですから、ここまでは番組の受け売りでしかありません。

ただ素人が漠然と思うのは、研究者や発明家などが考え続けても得られなかった答えが、入浴中や散歩の途中に得られたという例が多いこととの関連です。

彼のスティーブ・ジョブズもボンヤリと過ごす時間を持っていたそうです。

このデフォルトモードネットワークが、研究結果などのデーターを無意識の内に整理し、突然のインスピレーションとして出力しているのではないかと思った訳です。

ついでに、私の時折見るビジョンも、そういう脳内ネットワークの働きの表れなのかも知れないと感じた次第です。


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by levin-ae-111 | 2014-06-24 21:30 | Comments(2)

謎の九鬼文-6-


 九鬼文書は蘇我氏と称徳太子が、物部氏と中臣氏の邸宅を急襲し、物部氏が保管していた『皇紀や万国記など』の国家の歴史を記した書物を焼いたとする。その後に新たな『天皇紀及び国紀』(スメラミコトノフミ・クニツフミ)を新たに編纂したと伝えている。そして称徳太子の偽史作成を容赦なく暴露している。

「推古十一年冠位を改め、十二階を定め、同十二年称(聖)徳太子に依り、憲法十七条を定む」とあり、日本書記にも記されているのと同じである。

しかしながら、この部分に続いて、聖徳太子が歴史を捏造したと暴露する記述がある。

「ここに称(聖)徳太子はかつて用明二年神典、皇紀を焼失せるを以て、推古二十八年天皇紀及国紀を編集し、皇系記録を造る」とあるらしい。

日本書記にも推古二十八年に『天皇紀』と『国紀』を編纂したとあるが、無論、用明二年の騒乱(クーデター)により焼失したなどとは書いてない。

九鬼文書は更に「天皇紀、国紀は天御中主天皇を初発とし、大日如来の仏説を以て、国体人類の基原とせし天地初発以来の万国紀を改編せしものなり」と称徳太子の歴史改編と為史作成を記している。

天御中主神を初発とする神代史の時代区分は、記紀にも踏襲されているが、『竹内文書』に依ればこれらは帰化系の新支配者の陰謀とされている。


古史古伝ではこの天御中主神以前の神々について、記しているものが多いし、天御中主が天神と地神との境界を成す時代に活躍した神であるとする内容も多い。確かに天御中主神は偉大な神である。だが、この神を初発としたことの狙いは何であったろうか。

九鬼文書や竹内文書が伝える世界観とは、宇宙の始めから人類の活躍に至るまでの広大無辺なものである。人類に限定しても、その活動範囲は全地球的規模に及んでいる。

当時の支配者層にとって民衆をコントロールするうえで、こういう世界観は邪魔にしかならない。

天御中主神を初発として示し、それ以前の神々を抹殺することは、神話の広大な世界観を日本列島に限定出来る。それはつまり非支配者層の認識を狭め、非支配者層の意識を矮小化させる為ではないだろうか。

更には大日如来の仏説に依って書き換えたのは、仏教推進派の称(聖)徳太子としては様々な狙い以前に当然のことだったのかも知れない。


因みにこの時に太子が編纂した『天皇紀と国紀』は大化の改新の折に、蘇我蝦夷の邸宅で焼失した。正に「因果応報」というものか、或は「歴史は繰り返す」と言うべきか、この称(聖)徳太子と蘇我氏の行為は時を経て身に返ったのである。

記紀は僅かに焼け残った国紀を参考にして編まれたという。だが、こんなエピソードさえも新たに記された『記紀』を権威づける為の嘘かも知れないと思えてしまう。

私たちは『記紀』を基準にした国の歴史を教えられてきた、その記紀が『九鬼文書』の述べる様に偽造・捏造されたものであれば私たちは本当の歴史を知らないということになる。

少なくとも、古代の権力者が意図した民衆コントロールの秘策が、千年以上も経過した現代でも生きているとは、予言者としての側面を持っていたと言われる聖徳太子は果たして予見していたのだろうか。

*九鬼文書では聖徳太子を称徳太子と記している*


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by levin-ae-111 | 2014-06-23 22:30 | Comments(0)

謎の九鬼文-5-


 この九鬼文書なる古文書の元ネタは何なのか?という疑問は、記紀以前にまともな史料が無かったという通常の認識では、その答えに辿り着けない。実は記紀以前に神功皇后が竹内宿禰に命じて『皇史と万国史』を編纂させていたのだという。

そして佐治氏はこの編集を命じた人物こそ、卑弥呼ではないかと推測している。

神功皇后は夫の仲哀天皇が没後、息子とされる応神天皇が即位するまで六十九年もの間、摂政を務めていたが、その間に竹内宿禰に命じて「皇史および万国の史文を編ませし給う」と九鬼文書の中の地の巻『天地言文』に記されているからだ。

だがこの神功皇后自身が果して実在した人物であったのか、疑わしくなりつつある様だ。

しかし神功皇后の人物象に近い人物が存在したことは事実で、その人物は外国の書(魏志倭人伝)にも取り上げられている。

海を隔てた朝鮮半島にまで進出したとされる神功皇后に比定される女傑といえば、有名な邪馬台国の女王卑弥呼を除いて他にはないという訳だ。

佐治氏は卑弥呼の邪馬台国こそが、様々な古史古伝で伝わる三世紀の高千穂王朝ではないかと考えている。そして『皇史と万国史』を編集した竹内宿禰とは、卑弥呼の命を受けて魏に使わされた難升米(ナンショウマイ)ではなかったのかと推測する。

難升米は共立された女王卑弥呼を助け軍事、内政、外交にと大活躍し、魏の皇帝から軍旗の使用さえ許された人物である。この二人が記紀では卑弥呼を神功皇后として、難升米は竹内宿禰として描かれたのではないかというのだ。

正し卑弥呼に子は無く、この点で応神という子が在った神功皇后とは異なる。しかし神功皇后の摂政としての在任期間はとても長く、応神という仲哀の立派な跡取りが居るにしては長すぎる。つまり立派に成人していたに違いない応神を無視していたきらいがある。

どうやら応神は神功の実子ではなかったのだろう。

卑弥呼の没後に男王が即位したが、再び国が乱れ結局は再び女王として壱与(豊)が共立され騒乱は治まった。このことは没後に即位した男王が応神であり、一時は国を手中にしかけたが果たせず、九州北部の地から畿内の地へ逃走し副王朝をたてたのではあるまいか。

そして後に応神の系列とは限らずとも、非北九州系の天皇が主流と成った時点で、応神を神功の子として記したのではないか。

当然、後の王朝にとって卑弥呼の編ませた史料は、存在しては成らない代物であった。故に彼らは、それを焼き自らの出自を隠ぺいしたのだろう。

しかし、写本は何冊も存在し、遠く時を隔てて現代人がその一部なりとも知る結果となったのだろう。

では神功皇后が竹内宿禰に命じて編ませた『皇史および万国史』を焼いたのは誰だろうか。

九鬼文書はその犯人を蘇我馬子と称(聖)徳太子だとしているらしい。

用明天皇(31代)の時に仏教がいよいよ盛んとなり、当然のこと古来よりの『神道』からの反発も強まる。それはまた宗教的イデオロギーの対立に止まらず、権力闘争へと発展して行った。仏教推進派の蘇我氏と称徳太子聯合対神道派の物部・中臣聯合の対立である。

古代のことであるから、仏像を祭ったら疫病が流行しただの、夢のお告げで仏像を祭る方が良いなどといった両者の駆け引きの末に、遂に蘇我・称徳聯合は物部氏と中臣氏の邸宅を襲撃するに至る。そして、その混乱の最中に物部氏の邸宅に保管してあった『神典、皇紀などと共に万国記その他』が焼失したという。

だがそれは、畿内王朝が北九州王朝から拝領した卑弥呼が難升米に編ませた『皇史および万国史』の写しであったのだろうと佐治氏は考えている。

しかしながら、その様に重要な書物が如何に大豪族といえども、物部氏の邸宅に保管してあるのは解せない。現代的に言えば国家機密資料が、総理大臣や政権与党の幹事長の私邸に保管してあるのと同じだからだ。

ただし物部守屋が北九州王朝から畿内王朝へ派遣された目付け役だとしたら、更にこの史書が宮廷のものでなく物部氏の私有物だったのかも知れない。

何れにしても物部氏は後の蘇我氏と同様に極めて強力な権勢を誇っていた訳で、この事件は仏教を利用した蘇我氏と称徳太子のクーデターだったのかも知れない。


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by levin-ae-111 | 2014-06-22 18:48 | Comments(0)


 正義の味方に成ることが人生の目標だと語るコックの青年は、小さい頃から格闘技やウエートトレーニング、そして座禅を繰り返し修業してきた。友達と遊ぶこともなく、ひたすら修業を続けて来た。しかし青年は「大昔から悪は絶えず、正義が勝ったことはない」と人間社会の現実もちゃんと認識している。

話しの途中で女子高生の後ろの席の老夫妻がデザートを注文し、青年は調理場へと去って行く。そして、突然のシージャック発生!

犯人は銃で武装し、乗客たちを客席の一角に集め「この船はノアの箱舟になる」と宣言する。

人類滅亡が迫っていると信じて止まない、狂信的な連中が愚行に出たのである。

そこへ注文を受けたデザートを持って来た青年は、突きつけられた銃にも臆せず一瞬にして相手を倒す。幾人ものテロリストが彼に襲い掛かるが、彼は身をかわし相手の腕を捻り、投げ飛ばし、蹴りを入れ、正拳突きや肘打ち、裏拳などの技を自在に駆使して敵を一掃してしまう。正に正義の味方だ。

しかし最後の相手をKOして、床に落ちた銃を拾うと青年はあろうことか女子高生に銃を向ける。驚きおびえる女子高生。

だが青年が銃を向けた本当の相手は、女子高生の後ろの席に乗客の振りをして潜み、まだ残っていたテロリストだった。

睨み合う暇もなく青年は撃たれ、テロリストに縛り上げられてしまう。再び大ピンチの乗客乗員たちだったが、正義の味方は関節を外し縄を抜けると、デッキに居るテロリストたちに立ち向かうのだったが・・・。



パンクロックが流行るずっと以前に、売れないアマグループの『セックスピストルズ』はホテルのステージで心無い野次を飛ばす客と大乱闘を演じるという事件を起こした。

ピストルズの音楽は新し過ぎて、誰にも理解されなかったからだ。しかし、それがきっかでプロデビューの道が開け、1975年にプロデビューを果たした。

だが・・・全く売れず、4枚目のアルバムが最後になった。それが『FISHSTORY』『逆鱗』だった。その歌詞が奮っている「僕の孤独が魚だったら・・・・巨大さと獰猛さにくじらでさえ逃げ出す・・・・」

どうして魚なのか・・・・意味はない。そこから暫くは『セックスピストルズ』の苦悩が描かれる。その歌詞のヒントに成ったのは、次が最後のアルバムに成ると告げに来た彼らをデビューに導いた人物が持って来た一冊の本(フイッシュストーリー)だった。

録音の現場でプロデューサーと意見が合わず揉めた末に、一発録音という条件でメンバーの希望が入れられた。

録音が始まると間奏の間に、ボーカルが「この曲は、誰かに届くのかよ。本当に届くのかよ、教えてくれよ!」と叫んでしまう。それでも曲の再録は行わず、ボーカルの叫ぶ様な問い掛けの部分は無音にされて発売された。それが元でその無音部分には、女の悲鳴が入っていて、聞こえる者には聞こえるのだとマニアの間で都市伝説を生むことになる。

アルバムの『FISHSTORY』は、録音の後でタイトル曲の名としてメンバーが決めた。

しかしヒントとなった本は世界に一冊しか無かった。戦後の混乱の中、英語の訳者に困った出版社は一人のハーフの男を雇った。

しかし雇われた男は生粋の江戸っ子で、ハーフっぽい顔立ちをしてはいたが、実は英語など皆目わからなかった。しかし、生活の為に男はハーフの振りをして翻訳を引き受けた。

当然、訳は滅茶苦茶で、信用して出版した本は回収の憂き目に遭った。そういう曰くつきの本だった。



2012
年、迫りくる彗星の衝突により100メートルの津波かぜ予想されていた。逃げ出した人々も、結局は津波を逃れても気候変動などで生き残れないのだ。

アメリカが打ち上げたロケットも爆発し、彗星に仕掛けた核爆弾も機動させられない。もう絶望だったが、「10年も前に予測していた」と豪語する車椅子の男は、ノストラダムスの予言した1999年に人々を煽っていたが、予言は外れて信用を失い部下にも裏切られた。

今は癌が全身に転移し、死を待つばかりの身の上だったが、2012年人類滅亡説を早くから唱えていて、予言の成就を目前にして密かにほくそ笑んでいた。

その男の当時の部下たちが勝手に2009年の週末説を唱え、シージャックを起こしたのだ。



それでも絶望の中に奇跡の起こる余地は、まだ残っていた。
5
人の正義の味方が地球を救うという、希望的観測の予言か噂かが存在してた。

そこへ意外にもインドが宇宙船を彗星に向けて送ったというニュースが報じられた。しかも乗員は世界から集まった5人の超天才、だが全員が宇宙飛行未経験。

ミサイルを彗星の核爆弾に命中させれば、彗星は破壊されるはずだ。しかしミサイルが命中する確率は、0.000?%、今の預金利息率よりも低いのだった。でも、ミサイルは命中した。

彗星は寸でのところで爆発して四散し、人類は救われた。目出度し、めでたし。

超難題のミサイル軌道の計算をしたのは、日本人の女性だったが、彼女は女子高生の時にシージャックに遭って正義の味方に助けられた経験があった。

意気地なしの学生はセックスピストルズの『FISHSTORY』に影響されて勇気を振り絞り、暴行を受けている女性を救った。それが縁で、その女性と結婚して男の子が生まれた。

夫妻は男の子を『正義の味方』に成る様に育てた。

正義の味方に育った青年は、銃で撃たれて負傷しながらも、結局はシージャック犯を全員KOして船を救ったのだった。



ああっ、何という柔軟な発想のストーリーだろうか。一見して無関係な出来事を時系列も無茶苦茶に羅列しておきながら、結局は一人の頭脳明晰な女性に集約させてしまうとは。

馬鹿馬鹿しくも、その発想の面白さに思わず拍手してしまう映画だった。ネタバレしていても面白い、一見の価値があると思う。

終わり


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by levin-ae-111 | 2014-06-17 21:56 | Comments(0)


 深夜映画を録画しておいた。題名は『フィッシュストーリー』という。

題名の通りに下らないに違いない、と思いつつ帰宅して録画を観た。主題は地球を救う5人の正義の味方と、その内の一人の日本代表の女性につながるストーリーだった。面白かった(^^)

【ストーリー】

地球最後の日、巨大彗星の衝突が後5時間後に迫っている。空には近づきつつある彗星が不気味な尾を引いている。時は西暦2012年。

誰も居ない商店街を電動車椅子に乗り、佇む男。その男の目が、唯一開店している店を捕えた。その店はレコード屋だった。男は立ち上がり、店に入る。

店内では客の青年と店主が音楽について語り合っている。話しの途中で、店主が取り出したのはCDでなくLPの盤レコードだった。

ジャケットには『FISHSTORY』とデカデカと書いてある。全く売れなかったそのレコードをかける。店主は「時代に先行し過ぎていて、売れなかった」のだと言う。

 
 そこから遡ること十数年前、冴えない気弱な大学生が、強面の同級生にいいように利用されている。ある時に合コンの運転手に駆り出され、合コンにも入れて貰えずにいた。相手の女子学生たちの中に、不思議な能力を持つ女性がいた。「今日、私とあった男の中に世界を救う事に関わる男がいる」と予言し、冴えない大学生を見つめる。そして「今日、貴方は運命の人と出会う」と学生に関する予言を口にする。

その不思議な女学生は、強面の同級生にさらわれてしまう。
自棄になり車を運転して帰る途中、カセットから『FISHSTORY』が流れる。曲の途中で
1分間の無音の部分がある変な曲だ。

噂では、その無音の部分に女性の悲鳴が入っているとか。

聞こえる人には聞こえるという悲鳴が、何と彼には聞こえた。カセットを止めようとしも止まらない、ボリュームも停止ボタンも何故か機能しなかった。

結局はエンジンを切ってカセットを止めたが、まだ悲鳴が聞こえる。

辺りに目を配ると、放り出された自転車が一台、道の真ん中に転がっていた。前籠からこぼれたと思われる女性物のバックや小物も散らばっている。

少し歩くと一台の車が止まっており、暗がりの中で何かが動いている。彼が車のライトを点灯してみると、男に組み伏せられながらも必死に抵抗している女性がいる。

男は「何を観ている。帰れ‼」と凄む。気弱な学生は一旦引き換えが、『FISHSTORY』の激しい曲が頭で成り出し、付近に落ちていた丸太を持って叫びながら男に襲い掛かる。

だが、男は強く、彼はたちまちピンチに陥る。背後から襲われていた女性の一撃で、男は失神し二人は助かる。その女性こそが気弱な彼の『運命の女性』だった。二人は後に結婚する。


 そして
2012年の何年か前・・・・。

フェリーのデッキではしゃぐ女子高生たち。彼女たちは修学旅行に来ているのだ。

一人の女子高生が、仲間から離れてデッキの椅子で寝てしまう。やがて寄港地に接岸したフェリーから降りる女子高生の団体。しかし、デッキの椅子で眠り込んだ彼女の姿はない。

彼女が目覚めるとフェリーは出航しており、北海道までノンストップだ。

取り残され、泣きべそをかく女子高生の前に、船のコックがフルーツタルトを持って現れる。

「えっ、私は頼んでいません」と、戸惑う女子高生。やはりそれは間違いで、フルーツタルトは他の客のものだった。

またまた泣き出す女子高生。そこへ再びフルーツタルトを持ったコックが現れた。

「船は何があっても北海道までは停まりません。どうせなら、それまで楽しく過ごしませんか」とほほ笑む。

コックの青年は、「自分の下らなくて可笑しい人生の話しをしましょう」という。

彼の人生の目標は『正義の味方に成ること』だと言うのだ。

つづく
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by levin-ae-111 | 2014-06-16 21:40 | Comments(2)

またまた風呂で妄想


 最近はどうも長風呂の傾向があり、湯船に浸かって目を閉じると、眠りそうになりってしまいます。常にではないのですが、そんな時は夢か現か分からない不思議な光景を見ます。

本日も温めの湯船に浸かり、ついウトウトしてしまいました。

そうしたら、また幻の光景が見え始めました。

長い階段を上るシルエットの人影、その先には立派なお寺の山門が見えています。最初は山門と気づかず、本堂かと思ったのですが近づくと山門でした。

その先にはまだまだ長い急坂の階段が続いています(階段はコンクリート)。本堂を目指して登る人影は、いつの間にか私自身の視点に成っています。

暫く登ったその先に在ったのは、本堂ではなく山肌にポッカリと開いた洞窟の入り口でした。

洞窟に入ると、白いモヤモヤしたものが見え始めました。それは何と真っ白な綿毛に包まれた鳥のヒナです。

それが見る間に成長し、鶏になりクジャクになり、ついには真っ赤な炎に包まれた立派な鳳に変じました。鳳は紅蓮の火を引きながら飛び立ち、真っ暗な洞窟の中を赤々と照らしながら進みます。

その内に洞窟の周囲の闇は漆黒から濃い紫色の雲に変わり、炎をまとった鳳の身体は金色に輝き始めます。

黄金の鳳は更に洞窟内を進みますが、形が次第に崩れていき、遂には黄金の龍体へと変化して行きました。身体をくねらせて空中を進む龍は、暫く進み遂には洞窟の奥の突当りに達しました。そこで終わりかと思いましたが、今度は縦穴に変わった洞窟を龍体はズンズンと昇って行きます。行けども行けども先は見えず、時には紫色の雲に遮られて黄金に輝く龍を見失いそうです。

 と、そこで流石に疲れ、本日はここまで!と自分に言い聞かせて湯船を出ました。

ある時は見知らぬ男女の肖像だったり、行った事のない場所の風景だったりが見えますが

こんなに動きの有る映像は久しぶりでした。


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by levin-ae-111 | 2014-06-15 18:15 | Comments(2)

謎の九鬼文-4-


 九鬼文書に従えばスサノオ天皇は、どうやらユーラシア大陸をまたに掛けて活躍した支配者だったという。また大国主天皇は素戔嗚天皇の孫であり、スサノオの子の佐男登美命(サオトミノミコト)は、白人根命(シラヒトネ)とも呼ばれていて、白人根国の中興の祖とも呼ばれている。この白人根命の第一子が大国主であり、従って大国主は素戔嗚の孫にあたる。

では白人根国は何処にあったのか。九鬼文書の文脈ではユーラシア大陸の西方にあり、現代でいえば黒海沿岸、地中海の東部、中東の辺りに比定できるという。というのも、その時代の地球環境でヨーロッパは氷河に覆われていたし、氷河が後退した後にも昼なお暗い鬱蒼たる森林の連続だったからだ。

更に出雲王朝に先行する天御中主王朝の最後の天皇イザナギが「白人根王国エジプトに降った」ということからして、白人根王国は中近東にあったと思って間違いないだろうと佐治氏は考えている。

 同じスサノオが『檀君(ダンクン)』と称し、朝鮮半島に檀国を造ったとされて、記紀神話にも出雲を去ったスサノオが朝鮮に居たとある。しかし佐治氏はユーラシア大陸経綸を目指したスサノオが朝鮮を通過したににしも腰を据えた筈はないという。

スサノオは朝鮮半島を経由して、天山北路(草原ルート)を西に向かって白人根国に入ったと考えている。

ここでスサノオと白人根国との関係を云々するのは、この白人根国の中興の祖とされる白人根命の子孫から旧約聖書に出て来るノアが出ているからだ。

ノアは言うに及ばす聖書の伝説上の有名な人物で、日本風にいえばこの人物の名は『野安押別命(ノアオシワケノミコト)』という。更に大切なことは、このノアの子孫から多くのイスラエルの予言者たちが出現し、後には救世主とされるイエスが出ていることだ。

この白人根命に対して黒人根国の中興の祖は『天那可登美命(アメノナカトミ)』である。この天那可登美の祖先は月夜見天皇である。

月夜見(月読)は月信仰が太陽信仰に先行していることから、順序としては天照より先と考えられるから天照の弟というよりは兄と考えた方が適切である。

この月を名乗る民族が存在した。紀元前400年から220年ころに掛けて中央アジアで活躍した月氏した(がっし)と名乗る民族が存在した。

最初は蒙古西部からトルキスタンにかけて勢力を保っていたが、やがて匈奴に敗れて紀元前2世紀ころにアムダリア河の北、バクトリアに定着して大月氏と称した。

この月氏から釈迦も出たとされるが、釈迦自身は紀元前566年の生まれとされているから、この時点では大月氏国はまだ存在していないので矛盾がある。

ひょっとしたら月夜見天皇と月氏は無関係で、月夜見の国はヒマラヤ山脈の麓ネパールからインドのアッサム、中国の雲南地方から江南地方辺りまでを含む地域に在ったのだろう。釈迦は当時インドを支配していたアーリア人(白人)ではなく、黄色または黄金色に輝く人であっというから月夜見の国に比定される地域の出身とも考えられる。

この様に『九鬼文書』の世界は、イエスや釈迦、モーセやノアも全てを飲み込んで九鬼文書の世界感に組み込んでしまうのである。その点で釈迦もイエスもモーセも日本に来て学んだとする『竹内文書』の記述よりも一層過激かも知れない。

ただそれが、人類平等という視点で書かれていたものであれば、日本人優位の民族的偏見が少ないだけに、似通った情報であっても僅かばかり信頼性が上がると考えられる。

結局のところ出雲王朝云々は抜きにしても、日本人の祖先が世界へ出て行き、活躍していたという点で古史古伝の主張は同じである。

そういえば千賀一生氏の本でも、千賀氏を不思議な空間に誘ったシュメールの最高神官と名乗る老人が「我々は日本から来た」と語っているが、これもまた九鬼文書や竹内文書との不思議な共通点である。


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by levin-ae-111 | 2014-06-14 23:44 | Comments(0)

謎の九鬼文-3-


 竹内文書では五色人(イイロヒト)が記されているが、九鬼文書では三色人ともいえる人種の存在が示されている。黒人と白人そして黄色人種である。竹内文書では青人と赤人がこれに加えられていて、五色人とされている。

生命の主神である天津御光生命主大神(アミツミヒカリノイノチヌシ)と天黒人根神と天白人根神が存在し、各々に黒人と白人を創造したとされている。このことから、黒人種と白人種が存在していたことが分かる。

更に地球の主催神である天地万有造化根大神(アメツチヨロズツクラシネ)自身が、黄人根ノ祖神とされているから黄色人種の存在が伺える。

しかし九鬼文書は全体として『万色人』という表現を用い、特に人間の肌の色に拘っている訳ではない。

他の古史古伝に見られる様な黄色人種(実際には日本人)優越主義的な視点はなく、それを超越した人類平等主義的なフラットな古代人の視点を垣間見るのである。

佐治氏が指摘する『万色人』意識は、古代熊野の縄文人たちが黒潮に乗って漂着或は渡来した多くの人種と接する機会が多かった故であろうと予想している。

そういう古来の体験が熊野地方の縄文人のあいだに、『万色人』の観念、つまり人間は皆兄弟といった雰囲気を醸し出して行ったのだろう。

肌の色は必ずしも限定されない。同じ肌の色であっても、居住する地域の風土条件などにより異なってくる。九鬼文書を記した人々は、その事実を知悉していたのであろうし、漂着した人々と接し、肌の色や外見は異なっても自分たちと大差ない人間であると実感していたからだろう。

九鬼文書と出雲王朝

 九鬼文書はスサノオ系の出雲王朝こそ、正当な王朝としている希少な古文書である。古史古伝の中でも畿内王朝に対して自分たちの正当性を主張するのは、九鬼文書と『東日流外三郡誌』だけであるという。

九鬼文書に依れば天照坐天親皇(アマテラスイマススメラミコト)と月夜見天皇(ツキヨミ)がスサノオ天皇の以前に存在している。この三名の天皇を出雲三大天皇と称すとある。

更に天照大日孁天皇(アマテラスオオヒルメ)はスサノオの娘で、高千穂王朝の始祖とされている天忍穂見天皇(アメノオシホホミ)もまた、スサノオの子供だとしている。そして大国主はスサノオの孫だとも主張し、この大国主天皇もまた出雲天皇と称されたとしている。

九鬼文書の主張に従えば、なるほど出雲王朝こそ正統であると思われるが、では記紀神話で皇祖とされる天照大御神の存在はどうなってしまうのか?という疑問が浮かぶ。

天照坐天皇(アマテラスイマススメラミコト)は、別名を天疎日向津姫尊(アマサカルヒムカツヒメノミコト)と呼ばれていた。またスサノオの皇女で即位した天照大日孁天皇(アマテラスオオヒルメ)も天照大御神の別名『大日孁』とも呼ばれていて、いずれも出雲天皇といわれている。

つまり記紀の天照大御神は、記紀成立時に創作されたのではないか?との結論に至る。また近年では天照大御神が女帝であった持統天皇の投影である、と考える研究者も多い。

だが、ここで佐治氏はもう一つの仮説を唱える。結論して言えば、天疎日向津姫も月夜見命もスサノオと兄弟関係にあった。しかし、その中でもスサノオだけが伊弉諾と伊邪那美の間の子供であり、正当な後継者であったのではないかという説だ。

つまり先に即位した天照坐天親皇(アマテラスイマススメラミコト)と月夜見天皇(ツキヨミ)は、伊弉諾が伊邪那美と別れた後の子供であり、スサノオこそが長子だったのではないのか。

何らかの政治的な理由から天照坐天親皇と月夜見天皇が先に即位したものの、結局はスサノオの正当性を認めて退位したのではないかと佐治氏は考えている。

故に天照坐天皇も月夜見天皇もスサノオの露払いであり、それで出雲天皇に見られる様になったと主張しているのである。


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by levin-ae-111 | 2014-06-10 21:13 | Comments(0)