身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


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フォトンベルトの謎

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 数々の都市伝説の中でも、少し前まで盛んにスピリチュアルの世界で語られていたのが『フォトンベルト』だ。フォトンベルトとはプレアデス星団(すばる)の中で最も明るい星、アルシオーネを中心に広がっているとされる光の輪のこと。
太陽系はこの光の輪の周辺を24000年周期で公転しており、2012年12月に地球はこの光の帯の中に突入した。
この結果、地球では天変地異や人類が高次元の存在へと突然変異するアセンションなる現象が起こるとされていた。

 しかし後存知の通り、言われていたようなアセンションなる現象は、少なくとも私の周囲では起こっていない。そもそも直進する筈の光が、輪を描くとはどういう現象だろうか?
アルシオーネの周囲に上手い具合に直進する光を曲げる程の特異な重力場が幾つも存在し、それに光が曲げられた結果、奇跡的に輪を描いた?のだろうか。
有り得ないが、それでも宇宙では何が起こるか分からない(笑)

そして地球とプレアデス星団の距離は約400光年あるらしいが、この距離でアルシオーネが太陽系に影響を及ぼすには銀河系全体の1万倍くらいの質量が必要らしい。
と成れば、アルシオーネ自体が自らの重さで潰れ、光輝くどころか光も脱出できない巨大なブラックホールに成っているかも知れない。
フォトンベルトを撮影したとされる写真も、実はNGC4650Aと名付けられたリング状銀河の写真を横に寝かせて見せただけだった。
つまり、フォトンベルトは存在しないという結論に成るのだが、この話しの元は何処から出ていたのだろう。

 さて話しの出どころは1981年にオーストラリアの女子大生、シャーリー・ケンプがUFOの同人誌に寄稿した『フォトンベルト物語』という文章に由来するという。
この文章がニューエイジ系のオカルト雑誌に転載され、これが一気に世に広まったのだと言われている。しかも原文には2012年などという年は記されておらず、20世紀末までとされていたらしい。
フォトンベルトについては、私も少しドキドキしていたが、結局は何事も起こらなかった。
どうやら知らぬ間に私たちは『フォトンベルト』を知らぬ間に通過したか、無いものは通過出来ないのかのどちらかなのであろう。
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by levin-ae-111 | 2015-01-28 21:49 | Comments(0)
 昼休憩の時、私の部署には何人かが集まって来る。その連中の共通の趣味は『釣り』である。私は釣りに興味はないが、彼らの話しを聞いている面白い。
今日、その中のボケ役のMが突然「俺もブログやってみようかなあ」と言い出した。

そこで、私は閃いた。
ブログのタイトルは『マッハの合わせで地球を釣る!』だった。
Mが日頃から冗談で言っている「俺の合わせはマッハだから、人の目には止まっている様にしか見えないのさ」という台詞を思い出したからだ。

Mたちは主に筏で釣るが、突っ込みのTの話しを聞いていると「キター!Tさん、タモ、タモ!!」と叫んだ。「これはデカイぞー」と必死の形相のM。
竿はグンとシナっている。しかし・・・「あれっ?」
その時Mは見事に地球を釣っていた(そりゃあ、デカイはずだ)。

Mが「ブログって、どうやって作る?」と訊くので、プロバイダー画面からブログを探して・・・
云々と教えてやっていたのだが、次のMの台詞で皆ズッコケた(;゚Д゚)
「ブログって、何?」
流石は大ボケのMだ。
「まあ、日記みたいなものかな」と一人が答えると、Mは「面倒だな、やーめた」と一言。

考えてみれば、スマホを買ったは良いが、画面の拡大縮小の方法も知らず、細かな画面の文字を目を細めて見ていたような男だ(笑)
大抵の事には素直に従わないが、教えてやると素直に感心していた。
兎に角Mは笑える奴だ(≧▽≦)
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by levin-ae-111 | 2015-01-24 21:03 | Comments(0)

夢か現か?

 昨夜のことです。酷く疲れていたので、いつもより早く布団に入りました。
暫くすると気感が身体を巡り、少し冷たく感じていた足先もホカホカと温まって、私はウトウトし始めました。
気感は背骨を中心に頭頂から足先まで、身体全体を包むように螺旋を描いてユラユラとたゆたっています。

 少しして時折ある『誰かにマッサージして貰っている感覚』が有りました。その感覚は本当に指圧をされている感じです。そういうことは時々はあるので、特に気にしませんでした。
しかし、昨夜は一味違っていたのです。
仰向けに寝たままの私の足の付け根を、指を揃えて強く押されました。「イテテッ!!」実際のマッサージ同様に、心地良い痛みが走ります。
気持ち良い痛みにのた打ち回っているのですが、無論、実際の肉体は動いていません。

実はここ数カ月の間、右足の膝周辺に痛みがあり、その原因を股関節か坐骨仕神経だと感じていたのです。
マッサージをされている感覚は何度も経験しましたが、実際に痛みを感じるのは初めてです。更にイメージでは、女性の手らしき指先が股関節を押しているのも見えます。
そして何とその手は、私の手を掴むと仰向けの私を持ち上げて少し捻り、身体を回転させ簡単に裏返しました。そしてまた、背中や足などを指圧してくれるのでした。

そこで何故か妹が突然に登場し、マッサージしてくれている存在の言葉を伝えます。
よくは覚えていないのですが、妹は「折角、(この世に)遊びに来たのに・・・遊ばないで、こんなに疲れて・・・」という様な意味のことを言います。その間もマッサージは続いていましたが、私が冗談で「先生、お代は・・・」と言うと、マッサージは終わってしまいました。その後は、温もりとジーンとしたマッサージの余韻が残るだけでした。
冗談だったのに・・・私は、夢か現実か判然としない意識の中で軽口をたたいたことを後悔しました。感謝を伝えたかったのですが、お礼を言う暇もありませんでした。

朝、目覚めると私は珍しくうつ伏せでした。今日は力を使うハードワークが待っています。
試作品のテストでしたが、本当に疲れました。
昨夜のマッサージがなければ、相当に辛いことに成っていたでしょう。改めて、感謝の気持ちが湧きました。
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by levin-ae-111 | 2015-01-21 18:59 | Comments(0)
 山下泰文は1885年に高知県に生まれ、高等小学校から陸軍幼年学校、そこから陸軍大学校へ進みトップクラスの成績で卒業した。前途洋々たる青年仕官だったが、青年将校たちのクーデター事件『226事件』で決起した将校たちを擁護する発言を繰り返し、朝鮮へ左遷された。その後も各地を転々とし、太平洋戦争開戦の直前に南方方面軍の指令として激戦地で指揮をすることになる。

 その戦場とはマレー半島であった。マレー半島は深いジャングルが延々と1000キロも続き、そのジャングルを抜けても『東洋のジブラルタル』といわれる程の難航不落の地シンガポールが在った。
そのシンガポールは8万のイギリス軍が守備しており、山下の35000の兵では荷が重いと考えられていた。

しかしマレー半島を急進した山下は、35000の兵でマレー半島を制圧する。更に強敵イギリス軍の守備するシンガポールへ迫る。だが僅か70日後にはイギリス軍は降伏、その交渉の席で有名な「イエスかノーか!」と、消沈しているイギリス将校を恫喝したとされている。
しかし、真偽の程は通訳がスムーズに行かず、苛立った山下が通訳に向けて放った言葉であったらしい。

山下の活躍は、派閥を異にする東條にとって面白くなく、山下を戦線から遠ざけてしまう。だが戦局悪化に伴って山下は再びの活躍を期待されて、南方軍司令官に復帰したが、戦局の挽回はついに成らなかった。
山下は日本の降伏後もフイリピンの山岳地帯で持久戦を展開していたが、終戦から20日後に降伏した。

山下はフイリピンで拘束され、モンテンルパ刑務所に収監され、軍事裁判にかけられた。
ルソン島での民間人の犠牲その他の罪を問われ、結局は死刑判決が出て、絞首刑になった。
 その時の山下の遺書には、概ね以下の三点について記されていた。
一、倫理観の再興と道徳的判断力に基づく義務履行。
二、科学技術教育の発展。
三、女性教育水準の向上。

三で山下は、日本人女性は新しい自由と地位を尊び、世界の女性とともに平和の代弁者として団結しなければ成らないと訴えている。最後に『次世代の人間教育への母としての責任』には、母親は子供を産むだけでなく、平和と協調性を愛し、確固たる意志を持った強い人間になるよう子供を育て、正しい道へと導くのが役割と主張し、その一番の道しるべは母の愛だと述べている。

遺書は「これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります」と結ばれていたという。
『マレーの虎』と呼ばれた猛将、山下泰文は子供おもいで、女性の権利を重要視するフェミニストの一面を持っていた。
戦場では一見して冷酷で残忍な命令を下そうとも、誰しもが鬼人ではない。山下とて部下に非常な命令を下す時は、心で泣いていたに違いない。心の中で兵の母親に掌を合わせて詫びていたのかも知れない。
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by levin-ae-111 | 2015-01-19 20:08 | Comments(0)

戦艦大和の特攻

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 昭和20年も2月になると、硫黄島へ米軍の上陸が開始された。映画『硫黄島への手紙』で描かれている様な激戦の末に、日本軍守備隊は膝を屈する。
3月に入るとB-29による東京、大阪を始めとする無差別爆撃が開始され、日本の諸都市は灰燼に帰す。4月には沖縄上陸を目指す作戦行動が開始された。
沖縄沖は海を埋め尽くさんばかりの敵の艦船で溢れていた。これに対し日本は九州から盛んに特攻機を出す。
そして最期の組織的な作戦が立案された。それが『菊水作戦』で、その内容は残っていた戦艦大和に軽巡洋艦と駆逐艦をつけて沖縄沖へ突撃し、最期は海岸に乗り上げて砲台として抗戦を続け全弾打ち尽くした後で乗組員は陸兵として敵陣へ突入するというものだ。

 伊藤整一中将に率いられた大和以下の10隻は、沖縄嘉手納沖を目指して抜錨した。しかし敵の制空権下を進撃せねばならず、誰も大和が沖縄へ辿り着けるとは考えていなかった。6日午後3時過ぎに出港した艦隊だったが、間もなく敵の偵察機に発見される。
加えて敵潜水艦からの通信も頻度を増し、艦隊は完全に敵に補足されていた。
「大和出撃」の報が総司令官レイモンド・A・スプルアンス大将にもたらされた時、彼はデイョー少将の戦艦部隊にこれを迎撃させようと思案したと言われる。つまり、武士の情け的な考えから大和の最期は戦艦部隊との砲撃戦でという訳である。
デイョーの指揮下には戦艦10隻、巡洋艦13隻、23隻の駆逐艦があり、如何に大和であろうと負けるはずがない強力な布陣であった。

 7日の8時ころに最初の敵機の接触を受けた大和は、欺瞞の為に航路を変えた。それがスプルアンスの責めても戦艦同士の戦いで大和を葬ってやろうという思いに迷いを生じさせた。大和は沖縄ではなく、佐世保へ回航されているのではないか?そうだとしたら、戦艦部隊では追いつかない。日本海軍最期の大物を打ち漏らすことは出来ず、航空攻撃を決意するに至ったとされている。
ミッチェル中将の指揮する機動部隊からは、大和への攻撃機が次々と飛行甲板を蹴って発進していった。この日の早朝、大和以下の上空には形ばかりの護衛機が飛来した。しかしこの護衛機は、暫くして帰還して行ってしまう。
やがて雲霞のごとくに群がる敵機からの無数の爆撃、雷撃を浴びて世界一の巨大戦艦大和は2時間後に九州坊の岬沖にて最期を迎えた。攻撃に参加した敵機は述べ1000機にも達したとされる。

犠牲者は伊藤司令官、有賀艦長以下2500名という。大和の乗員で生還できたのは300名足らずであった。大和に従った他の艦船も3隻を残して、大和に殉じた。
こうしてこの日、日本海軍の機動戦力は事実上、完全に消滅した。
この菊水作戦なる無謀な作戦が立案された背景には、一億玉砕、本土決戦を企図していた軍部の面子が隠されていた。航空特攻を初めとする特攻作戦が実施される中、日本海軍の象徴たる大和だけが生き残っては宜しくない、という意見があったらしい。
加えて燃料も底をつき、このままでは動けなくなるとの焦りもあったのである。だが、こんな馬鹿な理由で死地へ赴かされる若者たちは堪ったものではない。
戦局は最早、大和が10隻在ったとしても逆転は望むべくもない状況だった。

 日本の美しい古の国名『大和』を冠した世界一の巨大戦艦の最期は、瀕死の日本の断末魔であった。多くの乗組員の命を飲み込んだ大和は、最期に巨大な爆発を起こして海底へと沈んで行った。その爆発の凄まじさは、周囲の空気を振るわせたという。
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by levin-ae-111 | 2015-01-15 21:08 | Comments(2)

魂の叔母さん

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 以前に書いた『不思議なご縁』という記事で、チャネリングが始まって暫くしてから天之御中主神に母に成ってもらった。どうしてそんな事を考えたのか、今も不思議でたまらないのだが、ともかく願いは快諾されて受け入れられた。
後に「私は貴方の姉に当たる」と告げて来たのが、天照大御神であったと書いた。

しかし一つ重大な事を忘れていたのをブロ友さんの記事で思い出した。天照大御神の『姉』宣言から暫くして、今度は「私は貴方の叔母です」と名乗る存在が、突然に内なる声で私に告げて来た。
その存在の名は『白山キクリヒメ』であった。それ以来、私は白山キクリヒメ様を叔母さんと呼び瞑想中に感謝の祈りを捧げる対象に加えた。

愚鈍な私は検証する事もせず、ただキクリヒメを受け入れていたし、キクリヒメなる存在がどんな神なのか調べてもいなかった。
それが先日のブロ友さんの記事で、キクリヒメがイザナギとイザナミの姉であると書いてあった。更に同様にブロ友さんにより私の魂が『大山祗』の分け御霊と分かった。
大山祗神はイザナギとイザナミの子供であり、キクリヒメは二柱の神の姉であれば、当然のこと大山祗はキクリヒメの甥に当たるのだ。

チャネリングなどと言っても、カラッキシ自信の無い私が、キクリヒメの甥に成ったのは十数年も以前のことだ。それが昨年末に、また一つブロ友さんの記事で関連性が明らかに成った。勿論そのブロ友さんは私がキクリヒメ様を叔母さんと呼んでいることを知らない。
ただ不思議という他ないが、自分がそれ程に良い魂とはどう贔屓目に見ても思えない。
我ながら笑ってしまう。特に使命感もなく、ただ喘ぎながら何の意味も感じられずに、淡々と生きているだけの男が果してそんな魂なのか?
もしかしたら、この人生を終える時にでも真実が解るのだろうか。正に神のみぞ知るである。

*写真(白山比咩神社・拝殿)
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by levin-ae-111 | 2015-01-12 08:19 | Comments(0)
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今「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」を読んでいます。コンビニで買った500円の本です。著者の佐藤勝彦氏は宇宙論・宇宙物理学の研究者で「インフレーション理論」を説いている博士です。
専門家の宇宙論にしては一般読者のことを実によく考慮されていて、非常に丁寧に解りやすく書いてある本です。

近代物理学の祖ニュートンの学説はアインシュタインが出現するまで、誰もこの殻を破れませんでした。アインシュタインの閉じた宇宙モデルから、ビックバン仮説へそして宇宙膨張説、著者の説くインフレーション理論までを解説しています。
「非常に丁寧に解りやすく」といっても、数学と実験・観察を主武器にする学問分野ですから一般人には解った様な、解らない様なあやふやな感じが残るのは否めません。
まだ途中までしか読んでいないのですが、要するに宇宙創成のころは非常に高温の火の玉状態で、それが膨張すると共に冷えていき物質が生成され始めたのです(あくまで宇宙モデルの一つです)。

その膨張に伴う冷却や物質の密度が均一ではなくムラが生じており、それが原因で幾つもの宇宙が発生したというお話しです。主に温度ムラに原因があって、温度が均一になるまで宇宙の生成は続いたと予想されています。親宇宙から子宇宙、それから孫、ひ孫それ以上の連鎖があるとの予想です。イメージ的には沸騰した泡の上にまた泡が出来て、更にそのうえにも泡が出来る、そんな感じらしいです。それから学問的にその宇宙の間の行き来は不可能だと考えられているそうです。

それにしても僕程度の学力では想像も出来ない世界の話しですが、この分野の学問では宇宙の始まりについての仮説も登場しています。無から生じた宇宙が発展し、現在に至ったとする理論が検討されているのです。それには揺らぎが関係しているとされています。
宇宙の元は常に揺らいでいる状態(出たり消えたりしている)にあり、それがトンネル効果と呼ばれる現象でポロッとこちら側に出てくる。そのポロッと出たものは非常に微細で・・・知恵熱が出そうです(笑)

要するに物質の生成過程や宇宙からの電磁波、遠くの銀河からの光が赤色偏向するといった観測とアインシュタインのような計算上考え得る理論、更に最近では粒子加速器(最近光の輪で淺川氏が原因として指摘したCERNもその一つ)やカミオカンデ等を使用した実験などによって宇宙を考えるというわけです。
 
しかし人間の探究心には驚かされます。途方もない事象を長年に渡り考えぬき、それが違う研究者に引き継がれ宇宙をどんどん解明していっています。ある種のマニアックな論評ではアインシュタインを使い、間違った方向へと人類の知識を導く陰謀があったなどとしていますが僕はそう思いません。
その原動力は人間の飽くなき好奇心と自己認識への欲求の賜物だと思います。

僕程度の頭ではとうてい理解は無理なのですが、それでも何時もの声はこの本を読むずっと以前から「宇宙は沢山ある」と言っていました。宇宙は自己認識を求める根源的な意識(全ての源)の身体であるとも言っています。私達だけの宇宙しかないとしたならば、私達は自分で単細胞生物だと言っているようなものだとも聞いています。
無数に存在する宇宙の内の一つが私達の宇宙だとしたら、僕らの存在はどれほど小さいのでしょうか。

小さな人間存在に自分達の世界を探求させ、大いなる自己を認識しようとするとは宇宙意識の英知は正に無限です。そしてその為に自己の意識の一部を人間に与え、遥かな探求の旅路へと送り出したのです。
更に絶対に本体である創造主の意識へと必ず帰れるように、用意された接着剤が「愛」であるとする能力者もいます。
全ての存在に宇宙意識の関与があります。元来、宇宙意識の関与無くして何者も存在できません。
 
ですが、ここでまた疑問が発生します。存在の全てに寿命があるなら、宇宙創造の意識にも寿命があるのでしょうか?それは即ち、宇宙に寿命があるのか?との疑問です。
単純にいえばエネルギー保存の法則により宇宙のエネルギー自体は尽きないが、全てのエネルギー変換が終了してしまったとしたら、エネルギー変換が消滅して飽和状態になり宇宙が死ぬ事になるのかも知れません。
僕達の宇宙が宇宙創造意識の身体の一部とすれば、一つぐらい細胞が死んでも何ら差し支えは無いはずです。ですから、宇宙が死んでしまう事もあり得ます。
それから宇宙創造意識が眠りについたら(彼か彼女かは知りませんが)、その意識の表面に湧き上った泡みたいな物質世界は消えて無くなるかも知れません。
想像するだけでも恐ろしいのですが、でもそこは宇宙創造意識の「愛」に期待したいところです。
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by levin-ae-111 | 2015-01-11 11:52 | Comments(0)
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 昨今、流行のパワースポットといわれる場所の幾つかへ出掛けた時の経験から、自分だけのパワースポットの判断基準が存在する。
それは日頃から運動不足の私ならではの判断基準なのだが、それが有るか無いかによりパワースポットなのかそうでないのかを勝手に判断している。
その実績はといえば実のところ大した数はなく、位山(岐阜県)・尖山(富山県)・戸隠神社奥社(長野県)という限られたものでしかない。
しかし、この3箇所はいずれも上り坂が続き、そこそこの距離を歩くことが必要な場所である。運動不足の私なりの判断基準とは、その場所へ行って歩いた結果として筋肉痛に成るか成らないかということ。

 位山は下のスキー場から林道を歩いて登ると、山頂までは恐らく5キロ以上はあると思われるので、往復すれば10キロ以上の山道である。足元が悪く傾斜もキツイので、私などは途中で数回の休憩が必要になる。フリーターだった頃に登ったのだが、当時は近所のコンビニへ歩いて買い物に行くだけでも足がだるくなり筋肉痛に成ったものだった。
そんな私が、いきなり位山へチャレンジしたのだから結果は言うまでもない。
ところが・・・。
流石に登っている時は辛く、翌日の筋肉痛の激しさを思うと憂鬱であった。だが途中で天の岩戸へ寄り、山頂で涼むとそんな不安も消えていた。しかし帰宅してから、筋肉痛の不安が再び頭を持ち上げてきた。しかし翌日は筋肉痛に成らず、歳だから明日かなどと考えている内に数日が過ぎて、筋肉痛はとうとうやって来なかった。

 尖山はコースこそ短いものの、その傾斜は位山以上に強く、本当に辛かった。山肌に造られた急階段が延々と続く。途中にはマムシその他の蛇や、大きなスズメバチにも遭遇したりする。
これは完全に筋肉痛だと覚悟したが、結局は筋肉痛に成らずに済んだ。位山も尖山も何度も歩いたが、一度も筋肉痛に成った経験がない。
その原因は何であろうかと考えてみる。無知な私には、たった一つの原因しか思いつかない。
それは正真正銘のパワースポットであるからだろう、というもの。
そんな事を勝手に何となく、ぼんやりと思っていた。
最近も戸隠神社の奥社に詣でた時に、予想もしていない程の道のりを歩いた。一緒に行った二人は辛そうだったし、私も実際に辛かった。杉並木に入る辺りから奥社の参道は急激に登り勾配を増す。その週は仕事の疲れが足に来ていて、日ごろから痛みや筋肉の張りを感じていた。これはヤバイ!と密かに思っていた。でも一方で、本物の聖地ならば筋肉痛は大丈夫だという変な確信もあった。

一緒に参拝したのは、MさんとS君である。のMさんは私より10歳も年上だし、S君は20歳近くも若い。このヘンテコな歳の差トリオで、奥社の長い長い参道を歩いて行った。
不安は感じていたが、私はまたまた筋肉痛は出なかった。
このS君とは毎年、坂の町アートへ一緒に出掛けるが、今年は戸隠神社へ出掛けて歩いたのでS君は来なかった。彼は筋肉痛に成ったと言っていた。
Mさんの方には・・・聞いていないが、恐らくは(笑)
でっ、私はその坂の町アートで無謀にも何百段あるのか分からない程の階段を登った。勾配も急であり、上が見通せない。これもヤバイ、かなり足に来ていて、帰りの階段を下りる時は用心しながら降りて来た。

 それで結局のところ筋肉痛は、やっぱり発生しなかった。あれっ?この山は聖地でもパワースポットでもないのに何故だろうという疑問が鎌首をもたげて来る。
やはり勝手な思い込みだったのか。
だが戸隠神社も位山も尖山も、帰った翌日は身体が軽く感じたものだが、この階段を登った翌日には脱力感と疲れが襲って来た。
そう言えば、ゼロ磁場の有名なパワースポットである分杭峠では、行き帰りが遠いせいもあるだろうが、翌日はグッタリとなった事を思い出した。
これは私が自分の経験から勝手に考えていることだが、パワースポット・聖地とひとくちに言っても、人により相性の様なものが存在するのかも知れない。
私の場合はそのバロメーターが、筋肉痛ということなのだろうと、またも根拠の無い勝手な想いに浸る私であった。
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by levin-ae-111 | 2015-01-10 20:41 | Comments(0)

背中の翼

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これは私が『気』を感じるようになり、数年が経過した頃から感じていたことだった。初めは掌が少しビリビリする程度だったが、次第に腰の辺りにも暖かい刺激を感じ、その刺激は背骨に沿って上昇していった。
遂には頭頂に達し、細くて弱かった感覚は太くなり、現在では物理的な身体からはみ出してしまっている。

 その感覚が拡大する過程で、肩甲骨の付近により強く、より大きく感じていることに気がついた。私はその感覚で遊びながら、それに気づいたのだったが、まるで翼のようだ。
閉じる、広げる、羽ばたくなどして遊び、いつの間にか感覚は拡大していた。翼を閉じて立ち上がると、翼の端を地面に引き摺る、そんな感じの大きさだ。

 ある日、友人の紹介で元お天気キャスターをしていた女性とお会いする機会があった。様々に霊的な感覚を持つその人に、私は思い切って『背中の翼?』について聞いてみた。
彼女は少しも驚かず、こう訊き返してきた。
「その翼の色は、どんな色ですか?」私は迷わず『白』と答えた。
実は彼女も翼を感じていて、やはり白いのだと言った。更に翼には白と黒があり、白い翼の者は人を助け、黒い翼の者は身勝手で自分本位なのだと付け加えた。

彼女は私が白い翼でなければ、会うことも無かったかも知れないとも言った。どうやら翼の色が異なる者は相容れない間柄らしい。
何故に今頃『翼』の話しなのかと言えば、何も知らない筈のブロ友さんが、ブログの返コメで私の翼について触れたからだ。
私は驚いたが、しかしこれで自分の感じている見えない翼は、本当に有るものらしいと再確認できた。
そんな翼が有っても空を飛べる訳でもないが、この世ならぬ世界では飛べるかも知れない。

ある日の瞑想の時、イメージの中で写真の様なスタイルで戦っていた。相手は巨大な赤い蛇のような者を頭にして、大勢で攻めてくる。私は独りで剣を抜き、群がる敵を次々と斬るのだが、際限なく押し寄せる敵に疲労が蓄積し始めていた。
「もう駄目か」と思った時、三人の仲間が駆けつけてくれた。暗黒の空間で繰り広げられる闘いは、遠目でみれば白い光と赤黒い光が激突するように見える。

それは、まるでスターウオーズの世界だ。私や仲間は白い光の尾を引き、敵は赤い光の尾を引いて入り乱れて戦っている。
敵の手下の多くは3人の応援部隊に向かって行ったので、私は敵の頭目と一騎打ちだ。
頭目は流石に強く、一進一退の闘いだった。
しかし遂に相手の鋭い牙の生えた大きな口に、剣を差し込み横方向に相手を切り裂いた。
切り裂かれた敵は赤黒い光の余韻を残して、次第に消えて行った。
荒い息づかいで周囲を見渡すと、敵は大方が切り伏せられたり逃亡したりして、闘いは終わっていた。

二筋の白い光が各々に違う方向に飛び去り、一人の仲間は私の近くに来て、ウインクして親指を立てて見せて去って行った。
この時に私は自分の姿を明確にイメージ出来た。ペルシャ風の甲冑に身を包み、両刃の剣を持った姿だった。そして背中には大きくて真っ白な翼が有った。
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by levin-ae-111 | 2015-01-04 21:49 | Comments(0)
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 今日はヒーリングを受けた体験について書こうと思います。
仕事柄、常に身体の何処かが痛んでいますが、整体や成型に行くことも多かったのですが、そうでない気功などの治療も受けた経験があります。
気功治療は基本的には気持ちが良いものですが、例外もありました。ここで紹介するのは特に人のチャクラをいじる様なものは受けない方が良いという体験です。

 15年近くも前です。知人が遠方から呼び寄せたヒーラー達のために、員数合わせで呼ばれたのですが思いがけずヒーリングを受けることになってしまいました。
会場では意外に大勢の人々が、恭しく二人のヒーラーを迎えていました。ヒーラーは男女のペアで、女性は気を男性はチャネリング情報を伝えて患者を癒すスタイルでした。
最初に女性が軽いガイダンスを行いましたが、その中で妙に気になる台詞がありました。
「宇宙を余り信用しないで下さい」と、女性が集まった人々に話しています。
私は怪訝に思いましたが、それでも集った人々は誰も気にも留めていない様子でした。

暇を持て余した私は、近くにいる小さな女の子がノートに絵を描いているのに気がつきました。
この子には、どうやら人の背後霊が見えるらしいのです。
「おじさんのも描いて」とお願いしたら、快く頷いてノートからはみ出しそうな大きな顔をひとつ描いてくれました。それからヒーラーの男性の背後霊を描いたものも見せてくれました。
小さな顔が2つか3つ描いてあり、女の子が言うには小さく描くのは良くなくて大きく描くのは良いらしいのです。

そうこうしている内に、ヒーリングは終わり知人の事務所に車で移動することになりました。車中では皆が歓談しているので、私は黙って会話を聞いていました。
すると知人が「彼は宇宙人とチャネリングしています」と紹介してくれた。二人のヒーラーは怪しい者を見る様な目で私を見ています。
「宇宙人は、私達も用心して掛かります」などと、ヒーリングを受けなければ成らないと言い出しました。私は不要と思ったのですが、知人の手前もあり仕方なく受けることにしました。

知人の事務所でイスに座り、目を閉じる。ヒーリングが始まりましたが、女性の気は余り感じません。男性は「貴方は何でも自分の中で解決できると思わないで。もっと人に心を開きなさい」とチャネリングメッセージを伝えています。
女性は美しいその容姿からは想像も出来ない声で唸っている。「ヴーン、グーッ」とまるで獣の唸り声の様です。
それから女性は前に回り、額に手かざしをした次の瞬間に異変が起こりました。
まるで不意に殴られた様な凄い衝撃があり、閉じた目の中で強烈な光の明滅があり星が飛んでいます。本当に衝撃でした。
ヒーリングが終わり、女性のヒーラーに「神様からここ(額を指して)が開いているので閉じよ、と言われたので閉じました」と告げられました。
私に憑いていた物の正体も判らず、ただチャクラを閉じたと言うのです。
暫く前に始まった頭痛が酷くなったので、料金5000円を支払ってその場を辞し帰宅しました。頭痛は治まらず、5000円が勿体無かったのですが自分で気を出して20分くらいかけて治しました。
チャクラは閉じられておらず、感覚は相変らずでした。
今にして思えば、ヒーラーの気を瞬時にシャットアウトした様です。気と気がぶつかり合い、火花が散り、衝撃が発生したに違いありません。
どうやら、これは自分で防衛したというよりは、私の背後霊かチャネリング相手が守ってくれたようだと感じています。

このヒーラーさんには私自身、最初にガイダンスの時の言葉で不信感を持っていました。
彼女等は「神様から」と言いましたが、僕には単なる人霊が、しかも余り高級でない霊が憑いているとしか思えませんでした。
酷い目に遭いましたが、この経験はとても貴重な体験だと感じています。
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by levin-ae-111 | 2015-01-02 10:46 | Comments(0)