身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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日常

 私の日常は大体、以下の通りだ。
朝5時起床 ブロ友さんたちの記事をチェック。ニュースを少し観て、朝食や髭剃り、洗顔、歯磨きを済ませ、身支度をして出勤。
会社で朝から夕方まで良い様にこき使われ、疲れ果てて帰宅すると6時近く。

入浴や食事を済ませ、自室にて瞑想をする。
瞑想といっても20分くらいの短い時間だ。北向きに座り、自分で感じる気感をセンタリングする。背骨を中心に上下半身と左右、前後、斜め前後ろの全方向のバランスを整える。
気感のバランスを整えたら、合掌し宇宙と神々様への感謝、先祖、家族親類、友人たちへの感謝それから健康と幸運を祈る。
その後で自分で考えた祈りの言葉(2種類)を各七回心で念じ、その後はこれで良いと感じるまで座る。

 時には誰かの病気や怪我の快癒を願って、治れと念じながら40分くらい座る場合もある。
これらの感謝や祈りの効果の程は不明だが、母などは祈った翌日には祈ったことを知らなくても動きが軽かったりするので、何らかの効果があるのかも知れない。
通勤時には出会う人々に良い事が有る様に、子供たちには神様の守護を祈ってすれ違う。
また通勤路の途中で何か所かの木々に挨拶。

いつの頃からかこれ等のことが習慣になり、日々の日課となってしまっている。自分のことは一切祈らないが、不思議なことに困った事は起こらなくなっている。
ここまで読むと、とてもストイックな生活に思えるかも知れないが、その他はかなりルーズでテキトーな生活態度だ。
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by levin-ae-111 | 2015-02-28 22:07 | Comments(2)

物質世界って

 精神世界では物質は最もバイブレーションの低い状態であり、故に私たちの住むこの世界は低次元の世界であるという認識がある。
対して進化した世界では、物質的なものは否定的される傾向があると考えられている様に思う。へそ曲がりの私は「はて?それは本当だろうか」と疑問が浮かび、どうにも消えなく成ってしまったことがあった。
そこで必死に無い知恵を絞って考えた。

 物質が存在しない世界とは・・・想像してみて欲しい。
私には・・・(;゚Д゚)・・・無理だったm(__)m。
自分だけが虚空にポツンと佇み、何をするでもなく存在している。幾ら光を放っても、反射する物が無いのだから影も出来ず・・従って周囲は明るくもない。
そこで私は何を考え、何をするのだろうか?
私は・・・貴方は、純粋な意識でそれこそ物質的な存在ではなく、ある種の純粋なエネルギーだ。さて、意志を持った純粋なエネルギーの貴方や自分は、何をするだろうか?

 そこで貴方や私が出した結論は、自分のエネルギーの振動数を落して、何かを存在させることだったのではないだろうか。自分以外の何か(物質)を・・・。
そうだとすれば物質を低い存在と見なすのは、実は自分自身を低い存在と見なすことに等しくはないか?
つまり、存在物すべてが元をただせば純粋な貴方や私のエネルギーなのだといえる。だとすれば、物質世界を軽視することは間違いである。

 無知な私が出した結論それは、何処まで行っても物質世界であろうということだ。振動数こそは私たちの世界と異なるが、飽くまでも物質は物質であるということだ。
霊界にも進化した異次元の生命体の世界にも、物質的なものは必ず存在すると私は考えている。
例えばアストラル体は壁や天井をすり抜けられる、それは物質ではないから・・・でなく、振動数が異なる肉体だからということだ。
アストラル体の人間から見れば、私たちの世界の物質はスカスカで孔だらけの希薄な存在に見えるのかも知れない。
或はもっと高い次元の存在からは、揺らめく陽炎の様にしか見えないかも知れない。

だがその高い次元の存在が居る世界にも、フツーに物質は存在しているだろうと思っている。ただ次元が違えば、物質の性質も異なっているに違いない。
必然的に人と物質の関係も、もっとフレキシブルで自由度が桁違いに高い世界かも。
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by levin-ae-111 | 2015-02-23 21:08 | Comments(6)
 最近は肉体的にとても疲労しています。特に腕と背中ですが、作業的にどうしても同じ個所に負担がキツイのです。
上腕、肩、肘、僧帽筋と痛んでいます。前のめりの姿勢で、上半身だけを使う作業です。
この作業は他部署の応援ですが、本職の方も砥石の研削性能を試験する作業でも、腕力を使います。

 今日も応援作業に半日入り、午後からは7インチの砥石の性能試験です。グラインダー自体も重く、おまけに砥石性能が良いので材料への食い込みも良く、グラインダーへの負荷は大きく、当然のこと支える力も強く成ります。
5分間連続して削り、砥石と材料の重量を測定します。それを連続で10回繰り返すのですが、疲労の蓄積している私の筋肉は最初から悲鳴を上げています。

そこで、空間からエネルギーを貰うイメージで、筋肉と関節が壊れない様に保護とパワーの補助を祈りました。
というのも、ずっと以前から空から霧雨の様に濃密に降り注ぐ小さな粒子が見えていて、私はそれがエネルギーだと感じていたからです。
それは宇宙と地球からのプレゼントだと解釈していますので、取り入れられると思っているのです。

それをイメージしたら、不思議なことに筋肉の痛みが和らぎ、グラインダーが軽く感じます。
そのお蔭で、どうやら無事にテストを終えることが出来ました。
応援に入る部署の作業でも、辛く成ったら同じ様に痛い処へエネルギーを入れるイメージをします。時には痛みが和らぎ、時にはその部分がカイロを当てた様に暖かく成ります。
それで完全に疲れや痛みが無く成る訳ではありませんが、その場ではとても役立ち助かっています。
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by levin-ae-111 | 2015-02-19 21:07 | Comments(4)

幸せ=志合せ

『超古代の黙示禄』という本がる。もう何年も前に買ったものだ。
その本に『志を合わせること=幸せ』と書いてある。
宇宙の心は志を合わせて生きること、つまり私たちや動植物の幸せにあるのだと。
自分にとって幸せとは何だろうか、どんなことで幸せを感じるのだろうと、考えてみた。

 考えるに、幸福感も様々だ。欲しい物を手に入れた時、美味しい物を食べた時、問題が解決した時など沢山あるが、実はそのどれも長続きしない。
欲しい物を手に入れた次の瞬間から、もう他の物が欲しくなる。美味しい食べ物も食べてしまえば、終わり。ひとつの問題が解決しても、また次の問題が発生する。
そんな事の繰り返しが日常であり、私たちの幸福感などすぐに何処かへ消え失せてしまう。

『超古代の黙示禄』では、『御難賛助』の精神こそが本当の幸せ=志合わせなのだと説く。自分が出来る事をする、出来ない事は出来る人に助けて貰う、それがこの言葉の意味だ。
そこで私なりに自分が幸せを感じた時はどんな時だったか?と考えてみた。
『人に喜んで貰った時』これが日常ではダントツで幸福だった瞬間だと思った。心が仄々として、言い様のない喜びが湧いて来た時だ。

私は今の仕事の以前に10年以上も店員をしていた。DIYの店だったが、お客さんにアドバイスする場合もあった。「あんたに教えて貰った通りにしたら、凄く綺麗に出来たよ」と来店したお客さんに言って貰えた時はとても幸せだった。
店を変わっても、わざわざ私を探して来て下さる人も居て、とても嬉しかったことが昨日の事の様に今も思い出せる。
そういう人との触れ合いに私は喜びを見出していたのだが、反対の場合も多く疲れ果てて仕事を変わった。
だが人との触れ合いが少ない職場は、最初の頃は何か味気なく詰まらなく感じたものだ。

 そして突然にやって来た至高の幸福感もまた、言い得ぬものだった。敢えて表現すれば
身の回りのもの全てとの一体感だ。それには人、物、動植物、山や川、夜空で煌めく星々までも含んでいた。
宇宙に存在する全てが一体であり、私もまたその中に含まれている。取るに足りない小さな自分だが、常に宇宙と一体であると感じられた時は幸せだった。
宇宙と一体であると感じること、これこそがこの本でいう『志合わせ』なのかも知れない。

ずっと以前のブログに、この時の体験を書いています。宜しければ覗いてみて下さい(^^)/
チャネリング体験記3章1,2
http://yosirin.exblog.jp/10220626/
http://yosirin.exblog.jp/10228125/

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by levin-ae-111 | 2015-02-15 12:25 | Comments(0)

私はよく無視される

 日常でも、SNSなどのネット上でも・・・。
この前も友人と思っていた人から、突然に無視された。メールしても、返信はない。
心当たりは無い。
まあ、実際に私など取るに足りない人間なのだから、それも仕方がない事だと思う。

 今までにも何度か似た様な経験がある。私には何か人を不快にさせる要素があるのだろう。それは容姿かも知れないし、話し方かも知れないし、もっと深い場所にある何かかも知れない。人に対して心を開いていないという指摘を受けた事もあるが、それは誰しもが同じだろう。

全ての事柄は常に無常である。人間関係もまた例外ではない。
本当は常に独りぼっちなのだ。
だから長い生きしたいなどとは思わない。しかし自分で命を断つ積りも毛頭ない。
自分が何処かから送り出された存在であり、そこへ帰れば仲間が居ると信じているからだ。
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by levin-ae-111 | 2015-02-11 11:09 | Comments(0)

神様参観日?

 仕事中に珍しい光景を目撃しました。昨日に引き続き寒波に襲われ、今日も朝から雪が激しく降り続いていました。お昼近くになって漸く雪の止み間があり、薄らと日も差して来た時でした。
仕事の合間に何やら視線を感じて、私は窓の方に目をやりました。

すると仕事場の窓から見える工場の敷地内に張られた電線に、二羽のカラスかトビ位の大きさの鳥が並んで止まっています。
窓ガラスの汚れと逆光で二羽の鳥は、シルエットに成っています。二羽とも時々は頭を動かしますが、シルエットなので色も定かには見えません。

頭を横に向けた時に見たくちばしの形で鳥の種類を把握しようと思いましたが、それも定かではなく、大きさからカラスかトビと思ったのです。
しかし風も少しは有ったはずですが、二羽の止まっている電線は少しも揺れていませんでした。
仕事の準備で少し視線を外し、再び窓を見上げた時には鳥の姿は消えていました。

この寒さで野生動物は大変だろうなぁ、それでも一生懸命に生きている、愛おしいなぁ等と思いました。しかし、次に浮かんだのは「あれは神様の使いか神様の化身ではなかったか?」
という想いでした。
まあ変わり者の勝手な想像で、神様が私の仕事を参観にお出でになったと思っています。
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by levin-ae-111 | 2015-02-10 22:37 | Comments(0)

創造主は誰だ!!

 宇宙観も人により様々だ。一般的に認識されている代表的な宇宙観は、神が一週間で創ったとか、宇宙はビッグバンにより誕生した等などだ。私は意識が創り出したと思っている。
しかし、キリスト教的な唯一神をその意識として比定している訳ではない。

私が考える宇宙創造の『意識』とは、普通にイメージされる様な人格神ではない。人格神はもっとずっと後に登場するものだ。
人格神は人であり、私たち人間と同様に宇宙に生かされている存在である。
それならば宇宙の法則こそが神であると考えているのか?と問われれば、それも違う様な気がする。どうにも表現し難い何か、私たちが絶対視する物理法則をも超えて、その大元のモデルを決定し厳格に運営している何かが存在すると感じている。

 私が子供の頃に抱いた宇宙発祥に関する最初のイメージは、実験室で創られたというものだった。区切られた実験室の空間で宇宙を創成し、その成長を見守り惑星に生命が誕生する過程を観察している博士がいる。
実験の過程を観察している学者も、実は観察されているのである。誰が彼を観察しているのか?それは、彼の宇宙を創った博士によって。
だがその博士も観察されているのである。無論、博士の存在する宇宙を創った博士によって。

こうして無限の連鎖が続く。子供の私には、最終的にどう成るのかまるで見当がつかなかった。今は少しだけ、その答えが見える様な気がする。
今、私が辿り付いている答えらしき物は、『私たちの総意』こそが、全ての宇宙の創造主だという結論である。
子供の頃に感じた無限の創造の連鎖は、円を描いて途切れる事なく繋がっている。正に無始無終であり、始まりも終わりも特定できないのである。

私たちの『総意』が私たちの認識する宇宙を創り、それはまた自身の内なる宇宙とも連動している。人間の内なる宇宙が私たちが認識する宇宙として現れ、それがまた内なる宇宙に影響を与える。そういう無限の連鎖の中で私たちは生きている(生かされている)のだと思う。
それ故に私たちの偉大なる先人たち(神々や仏、菩薩)が、メッセージを受け取れる人々を通して、あの手この手で私たちに改心せよと伝えているのだろう。

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by levin-ae-111 | 2015-02-08 10:40 | Comments(0)
 平安時代に活躍した源頼光(みなもとらいこう)の配下に、剛勇で名を馳せた四人の武将がいた。四天王と呼ばれた渡辺綱・碓井貞光・卜部季武・坂田金時の四人である。
何れも平安時代の末期ごろの人物とされるが、驚くべきことに富山にはこの内の二人の子孫と名乗る家が存在する。

一人は坂田金時(金太郎さん)で富山市の神通川沿いの集落に、もう一人は渡辺綱(わたなべのつな)で富山県小矢部市と福光町に子孫とされる家がある。
坂田金時は山姥の子として生まれ、山奥で熊やサル、ウサギを遊び相手に育った。後に京の都へ出て、坂田金時(さかたきんとき)と名乗る。
他の3人と共に大江山の酒天童子を退治し、武名を上げた。後に源頼親との戦いに敗れ、生家へ逃げ帰り付近を支配し、土着したと伝わる。

一方の渡辺綱は坂田金時等と酒天童子を退治し、都の鬼を退治した。子孫の家には酒天童子退治の後に主君と共に大和の法隆寺で祝宴を張った。その折の舞に使用されたとする「慰の面」と「鬼女の面」が伝わっており、小矢部市の指定文化財となっている。
また、福光町では先祖伝来の秘仏を保持している。

渡辺綱は知らないが、金太郎さんは一般には神奈川県の足柄山の出身とされている。しかしこの程度ならば、御伽噺の範疇なので他にもこれらの英雄の出身地とされる場所が存在するかも知れない。
他の有名人としては、何と佐々木小次郎が立山の麓の村で生まれたとする伝承もある。
秘剣ツバメ返しは立山から流れ落ちる瀑布、称名滝(しょうみょうだき・日本一の落差を誇る)で開眼した秘技だとも伝わる。

それにしても、伝承とは不思議なものだ。どこが本家本元かは知らないが、例え偽りでも郷土に有名の伝説の地が存在するだけでも楽しくなる。
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by levin-ae-111 | 2015-02-06 20:31 | Comments(0)
富山の伝説・Ⅱ
 江戸時代の天保年間のこと、飢饉があり(1832-37)越中の国は八尾(やつお)に水口屋権兵衛という人物がいた。いろいろな道具の発明や改良が得意で、特に火土輪(ひちりん)が得意だったことから火土輪の権兵衛と呼ばれていた。
ある日、妻と畑へ大根を掘りに出かけたが、一本も残さず全て盗まれていた。しかし権兵衛は立腹もせずに、地面に手をついてペコペコ頭を下げて「ありがたい事だ、こちらからお届けするはずが、わざわざ持って行って下さった」とバカみたいな事を言っている。

妻が訳を尋ねると、権兵衛は自分が前世で人の大根を盗んだのに違いない。今日はこうして、やっとお返しが出来てこんな嬉しいことはないと、言い安心した顔をしていた。
その噂が町に流れ盗人は良心がとがめ、人知れず大根の代金を置いて行ったという。
自分の損を善意に解釈し、相手の罪を憎まないその態度は権兵衛でなければ出来ないことだと更に噂になった。その話しが殿様の耳に入り、権兵衛は城へ呼ばれ褒美を貰ったという話しである。

どうも身につまされる話しだが、私などはついグチル方なので権兵衛さんとは程遠い。
愚痴は幸運を遠ざけるだけでなく、不運をも招くと解っている積りなのだが忘れてしまう。
社会人になってから、幸運なことに愚痴の多さを指摘してくれる人が居てくれた。恥ずかしいことに指摘されるまで気づかなかった。確かに他人の愚痴を聞いていて、心地よいものではない。
それから愚痴が出そうに成ると、グッと堪える事が出来るようになったが、でも時々忘れてしまう。
精神世界を学ぼうと志ながら、何と情けないことか。この権兵衛さんの話は、伝説というより御伽噺である。しかし霊的真理を見事に表現している傑作である。


富山の伝説・Ⅲ
 名将「上杉謙信」が越中で敗走していた。あの戦上手な名将が越中の地で無名の武将に敗れて、慌てふためいて拠点の魚津城へと逃げ帰っていたと伝説は語る。
無名の武将がとった作戦とは、如何なるものだったのだろうか。
それは圧倒的な兵力で侵攻する平家を、倶利伽羅(くりから)峠で木曽義仲が敗走させた戦術を彷彿とさせる作戦だったという。

魚津城(富山の東=新潟県に近い)から領土拡大を目指して進発した謙信は、立山町高原野に陣をしいて広嶺城の攻略に掛かった。
攻められた城主の寺崎民部左衛門は、現在の高山市に居住する上野勝重に救援を求めた。
勝重はすぐにこれに応じて、兵を引き連れて来援したが雨が降り出した。

謙信が陣をしいたのは、城との間に常願寺川を挟んで対峙する場所だった。常願寺川は立山を源流とし、流れが急な暴れ川として知られている。
そこへ降雨とくれば、謙信は必ず急いで渡河するに違いないと読んだ勝重は一計を案じた。
勝重の作戦とは周囲の集落から牛を集め、兵力を二手に分け上杉勢の正面と背後から牛を先頭に突撃する作戦だった。

予想に違わず上杉勢は出水しない内に渡河しようと動き出したが、折から夕闇が迫り浅瀬が判然とせず戸惑っていた。そこへ謙信の本陣めがけて角に松明を灯した牛を先頭にした勝重の兵が、正面と背後から突撃する。この攻撃は完全に奇襲となり、不意の敵襲に驚いた謙信は抗戦もままならず、僅かな残兵をまとめて慌てふためいて逃げ出したという。
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by levin-ae-111 | 2015-02-05 20:38 | Comments(0)
 昨日、図書館でまた興味を引かれる本を見つけた。大方は眉唾ものだが、一応は伝説として伝わっている場所や物の由来を書いてある。
本では伝承を場所や地名、人物など幾つかに分類されて記してある。
既に知っていたものもあったが、知らないものが多く面白く読み進めている。

佐々成政と愛妾『早百合(さゆり)』の伝説もその一つである。これは立山に自生する『黒百合』にまつわる悲しい伝説だ。
秀吉に反発した成政は柴田勝家の敗北により、越中で孤立していた。家康との連合に望みを掛けた成政は厳冬の北アルプス「立山」を踏破し、遠州へと向かう。
結局、同盟は成らず落胆して再び立山を超えて帰って来たのだった。富山城へ帰城してみると、愛妾の早百合が小姓と浮気をしていたとの噂を耳にする。

激怒した成政は二人の言い分も聞かず、小姓を切り捨て早百合を逆さに木に吊るし、一族ともども斬殺した。早百合はこれを非常に恨み「佐々殿には必ず仕返しして恨みを晴らす。立山に黒百合の咲く時、佐々家を滅亡させてみせる」と、言い残して死んだ。

秀吉に屈服した成政は、天正16年に立山の珍花『黒百合』を北の政所へ送ったところ、淀君の機嫌を損ね、それが原因で富山から熊本への国替えとなった。
この国替えは無論、淀君の怒りばかりが原因とは言えないが、一因には成ったかも知れない。元々は敵方であった越中を上手に統治し、地元の人々から慕われていた成政の手腕を秀吉は買っていたのだろう。
当時の熊本は土豪の力が強く、統治の難しい土地柄であったようだ。

その様な土地への国替えは、統治の上手な成政にとっても前途多難なものになった。
事あるごとに熊本の土豪たちが反発し、遂には収拾が着かない状況へと発展してしまう。
これが秀吉の耳に入り、成政は京へ呼び出され切腹を沙汰されあえなく果てた。
これが愛妾早百合の呪いに因るものかどうか定かではないが、立山にひっそりと咲く黒百合は悲運の愛妾『早百合』とイメージが重なるのかも知れない。

結果的には早百合の最後の言葉どおりの結果になったが、この伝説のキーワード「黒百合」が実際の出来事にも絡んでいたのでこの様な伝説として語られたのだろう。
そして愛妾『早百合』と、その一族を斬殺したという逸話も真実ではないかも知れない。成政を悪役に仕立て上げる為に、後に領主となった前田氏が成政の統治時代を貶める目的でこの様な噂を流したのではなかろうか。
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黒百合
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佐々成政の肖像
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富山城
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by levin-ae-111 | 2015-02-04 20:51 | Comments(0)