身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111

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本当の供養とは

 伯母の通夜と葬儀、火葬場まで行き骨を拾って骨壺に納めた。喪主を務めた従妹夫妻と久しぶりに話した。3時頃に帰宅したのだが、予想以上に疲れていた。
通夜、葬儀を通じてずっと気感が強く、通夜の夜は帰宅しても寝つきが悪かった。そして考えた、本当の供養とは何なのか?どういう事なのかについて。

 立派な葬儀や法要は、所詮は生きている者たちの為だ。つまり生きている者たちが、自らの気持ちを納得させる為に行う儀式だと私は思う。
人間にとって一番に辛い事とは何だろうか。それは忘れ去られる事、誰からも相手にされない事だろう。それは生きていても死んでいても、同じではないだろうか。

人間の魂、霊、意識、呼び方はこの祭どれでも良いが、人が死んでも何か残る物があるとすれば、引き続き生前の性質(無論、全てではないにしても)を有しているに違いない。
普通の人間は独りでは生きられない。どんな人でも何某か、他人との関わりの中で生きている。そうだとすれば、亡くなった人に時には想いを馳せるのが一番の供養ではないのか。
私は眠れぬ夜に、そう愚考した。既に彼岸の人と成った親しい人々の事を、時々は思い出してあげる事が、最も良い供養かも知れない。
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by levin-ae-111 | 2015-10-22 20:00 | Comments(0)

伯母が亡くなった

 肺癌だった。一年足らずの入院で、昨日の昼過ぎに帰らぬ人になった。
嫁いでも日常茶飯事の様に実家(山奥の祖母の家)へ帰ってきて、夏には日中から道に面した戸を開け放して下着姿でタバコを吹かし、ビールを飲んでいた。
いくら山奥の村といえ、その当時(50年前くらい)は人口もそこそこに有った。従って家の前を通る人も、当然いた。

祖母の遺族年金を当てにして、お金の無心をすることもしばしばで、時には伯母の亭主も一緒に祖母の家に寝泊りし、好き放題の我儘を繰り返していた。
彼女の亭主(義理の伯父)は隣町の住人だったが、碌に働きもせず親のスネをかじり続けていた様だ。そんな風だから旦那の両親が亡くなると、田畑を次々と売り払ってしまった。
そして私の祖母へのたかりも相変わらずだった。

しかし反面では伯母は腹黒くなく、どんな事でも思った事を口にする、そういう人だった。
いわゆる計算高い人ではなく、単に気ままで身勝手な人だったに過ぎない。
だが伯母もまた周囲の人間からたかられていた。そういう人の周囲には、そういう種類の人間が集まるからだ。しかも他人ではなく、身内ばかりだから質が悪い。我が家は成るだけ伯母とは接触しなかった。

祖母の葬儀の時、生前あれだけ世話になったにも関わらず、従妹の亭主が父に手伝い料をよこせと言って来た。更に祖母の夜伽をして、好きなだけ飲み食いをしていた。
そういう連中とは縁を切りたい、欲望むき出しの低能共とこの先は付き合う積りなど無い。
自業自得だが、そういう連中に囲まれて、伯母は楽しい人生だったのだろうか。自分なりの生死観は構築していたのだろうか?あの世で、先人が上手に導いてくれる事を願うばかりだ。
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by levin-ae-111 | 2015-10-19 20:33 | Comments(0)

坂の町アート3

 様々な作家さんと触れ合った坂の町アートも、昨日で終了しました。結局、連休中の全ての日に町中をウロウロしてしまいました。
本当は最終日に行く気は無かったのですが、展示されていた作品の中で気になって仕方がない物がありました。しかも、それが蛙、いや買えるのです。

その作品、何だか魚の様な、違う様な・・・正直わかりません。それなので作家さんに訊ねました。
私「これは何ですか?」
作「ギョーザをモチーフにしたもので、名前は餃子△○×です。一つなら350円で、二つだと600円です」
済みません、餃子しか記憶に残らず、忘れてしまいました(T_T)
兎に角、面白いのでこれにヤラレて、即購入しました。
皆さん、何に見えますか。私は餃子というより、変な魚にしか見えないのですが( *´艸`)
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by levin-ae-111 | 2015-10-13 19:34 | Comments(2)

漸く落ち着いたみたい

 会う度に気感を求めて私に手かざしを要求していた友人、どうやら何か心境が変わったらしい。自分には気感を感じられない、無理だと思った様だ。
不思議な現象を求め、自分に課せられた使命を知りたくて焦っていた。それをどうやら諦めたらしい。
その発端が、ハリー山科氏の動画らしい。ハリー氏は有名なコンタクティー、アダムスキーの説く宇宙哲学を講演している。それを観て何やら感じ入るところがあったらしい。
その様な事は、私も以前から話しているのだが、やはり有名人のいう事の方が入り易いみたいだ。まあ何れにしろ、落ち着いてくれたので良かったと思う。

私にすれば気感など今の処は有っても役立てる術はないし、強く感じる時には不快でさえある。それに私が現在の状況に至るまでには、十年以上もの地道な瞑想の積み重ねが有る。
それは楽しみながらも自分の身に起こる不可解な現象との闘いでもあった。意に反して勝手に動く手、常に頭をグリグリと押されている様な感覚、髪の毛がザワザワ動く感覚、汗が肌を伝う様な何とも言えない不快さ、背骨を伝う熱感などだ。

師匠の居ない私にとって、これらの現象は酷く不安だった。本などで調べながら、たたじっと耐え忍ぶしか術がなかった。そういう中で自然に私の考え方も固まって来た。
それが驚くことに、多くのスピ系の人々の説と多くの点で一致していた。だがしかし、それは大した事ではない、真剣に求めれば誰しもが辿り着く結論だと思うからだ。
ただ言いたい事は、一朝一夕に得られるものではないという事だ。何でもインスタントでお手軽な時代だが、精神的な側面ばかりは簡単には得られない。
友人も漸く(ようやく)それを肌身に感じて理解したようだ(´・ω・`)
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by levin-ae-111 | 2015-10-12 09:51 | Comments(0)

坂の町アート2

 昨日に引き続き『第20回坂の町アート』を観に、友人と町をうろついて来ました。
チョークアートの女性たち、そして書の先生とお話しして来ました。
チョークアートはプロの方、そして趣味のアマチュアの方の共同出展でした。上手なので美大出かと思いましたが、皆さん違うということでした。
マリリンモンローやヘプバーンは、製作に3日くらい掛かったとのこと。チョークといっても普通の物ではなく、油入りのものらしいです。キャンバスは勿論、黒板です。
チョークは油性で、しかも出来上がった後からクリアをスプレーするので簡単には消えないとのことですが、後から修整はほぼ不可能なのだそうです。
若くて綺麗な女性たち、頑張っていました(^^)/

書の先生はお爺さんでした。何が書いてあるのか分かりませんが、覗くと快く説明をして下さいました。大きな作品に目を向けると、「これは木簡書体といってワシが創ったと」と先生。
確かに変わった書体でしたが、話しをよくよく聞くと、どうやら遺跡から出土した木簡に記してあった文字からヒントを得ているらしいです。日展の常連で、テレビにも数多く出演されたとか。
その先生、話し始めたら止まらず(ご老人とは、そんなもの)と諦めて、他の見学者の人たちが来たので、上手くバトンタッチして逃げました(笑)

その次は切り絵作家の方のギャラリーへ入りました。細かく切り込んだ作品は、葉の葉脈までも表現されていました。大作の前で、作家さんが自ら説明して下さいました。
直線は定規で切るが、フリーハンドより難しいとか、背景はマーブル手法を用いたり、紙をクシャクシャに丸めて、絵具を沁み込ませたり、雑巾を置いてみたりとか手法についても説明して下さいました。
また画家の方には、カモシカばかり描いている人も。その理由を尋ねると、亡くなったお父様がカモシカ顏だったからとか。
それにしても芸術家とは、辛抱強い人種なのだなぁと思います。三六版のベニヤ板サイズから、ハガキサイズまで、どれも手を抜く事なく、細部まで丁寧に仕上げてありました。
どの方の作品も本当に「凄いですねぇ~」の一言に尽きます。
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by levin-ae-111 | 2015-10-11 16:29 | Comments(0)
 今年も『坂の町アート』の季節がやって来ました。我が町の古い町並み全体をギャラリーにして開催されるこの催しは、今回で20回を数えます。
街中全体に展開される芸術の祭典は、日頃は気にも止めない地元の町並に目を向けさせてくれます。

各所で様々な展示がされています。書、陶芸、彫刻、絵画、切り絵、人形(和・洋)抽象画や抽象造形作品に加えて、今年はチャリティーを含めたコンサートも実施されます。
 様々な作家さんたちと挨拶を交わしながら、各会場の民家を駆け足で巡って来ました。
この『坂の町アート』の特筆すべき点は、芸術作品に限らず古い町並みを堪能できるということです。その古い町並とマッチする様に建てられている銀行や公民館など、どれも一見の価値があります。

そしてアートを展示しない家々でも、その玄関先に花を活け来場者への精一杯の歓迎をしてくれています。民家の玄関もまた、アート展の作品として機能しているのです。
今日は、民家の玄関先のアートを集めてみました。

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by levin-ae-111 | 2015-10-10 11:58 | Comments(0)
 昨夜の就寝時のことだった。
何時もより気の感覚が強く、そっと身体を撫でられている感覚がした。それも布団の上から撫でられている感じだった。
昨夜は寒かったが、足も暖かくなり私はウトウトし始めた。

その時、撫でられている感覚から、指圧をされている様に強い力で身体のツボを押されるのを感じた。実際には身体の方向は変わらないのだが、簡単にひっくり返されて様々な場所を指圧される。
「うわっ、痛ててっ・・・」経絡を押されて、思わず痛みで目が覚めた。それからも、足裏や膝裏など様々な箇所を強く押された。

以前も一度だけ同じ経験がある。その時は冗談で「お代は?」と思った途端にマッサージが止まった。「しまった!」私は深く後悔した。
それで今回は「有難うございます」と念じた。マッサージは暫く続き、私は気持ち良く眠りに落ちた。

何処の何方かは知らないが、マッサージの効果は抜群で、今朝は爽やかに目覚めた。
それから、ここ数日不調だったお腹の具合が好転していた。
姿の見えないマッサージ師さんに、心から感謝したい。
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by levin-ae-111 | 2015-10-06 20:05 | Comments(0)

壮絶な神々の夫婦喧嘩

 越中富山に伝わる伝説に、神様夫妻の壮絶な喧嘩がある。伝説自体は極めてローカルな一地方の神の争いだが、仲裁に乗り出したのが有名な大国主だとあるから面白い。
時代としては3世紀半ばごろとされるこの伝説は、今に至るも変わらない人間心理を伝えている。

越中の国は船倉山(富山市)に住んでいた船倉姫と、能都国は石動山(いするぎやま)に住んでいた石動彦(いするぎひこ)は夫婦だった。それが夫の石動彦が能登の杣木山(そまきやま)に住む能登姫と道ならぬ恋に落ちた。
石動彦と能登姫は妻である姉倉姫の目を盗んで密会していたが、とうとう二人の不倫が姉倉姫に知れてしまった。

怒りに燃える姉倉姫は石動彦と能登姫に船倉山の石を投げつける。それに加勢したのはやはり越中の布倉山に住む布倉姫で、彼女は布倉山の鉄を投げた。
石動彦と能登姫もこれに反撃し、夫婦喧嘩は能登対越中の闘いにまで拡大する。激化する闘いに待ったを掛けたのが、氏神として祭られていた大国主だった。

大国主は最終的に武力に物を言わせて、両方を平定してしまうのだが、大国主が遠くからわざわざ喧嘩の仲裁に出向いて来たとは考え難い。
つまり大国主は北陸の愛人に会いに来たついでに、夫婦喧嘩を仲裁したかも知れないというのだ。
大国主には高志(こし)の国にヌナカワ姫という愛人がいた。この姫の名前は玉を産する川の意味で、玉とは翡翠のことであるとされ、現在の新潟県は姫川にちなんだ名で、糸魚川市付近と思われる。
大国主自身、スセリ姫という嫉妬深い妻のある身で、愛人を囲っていたのだから石動彦を攻める資格はない。(笑)

この夫婦喧嘩にカモフラージュされた伝説は、何某かの政治的意図に基づく大国主の北陸侵攻の物語であるかも知れない。越中と能登での争いに付け込んで、周辺諸国と出雲とが共同した軍事行動があったのか?
因みに布倉山とはピラミッドと言われている『尖山』のことで、富山県立山町に存在するこの山の周辺には不思議な云い伝えも存在する。この山の周辺は現在でもUFOが目撃される。

写真は尖山
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by levin-ae-111 | 2015-10-03 21:04 | Comments(2)