身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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<   2016年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

 Y爺ちゃんは私の上司です。年齢を訊ねたら本人いわく、「天皇陛下と同い年だ。ワシの誕生日は休みじゃあないけどな」と(笑)
動作も歩くのもとてもゆっくりだけど、製品開発には執念深いほどの情熱を持っています。
そんなY爺ちゃんと今日も試作品づくりです。

準備その他の作業は無論のこと私です(*_*;
何か問題が発生すると、それが本題に影響のない些細な事柄でも、本題を放り出して問題解決を考えるYお爺ちゃん。
そんな時は「あの~・・・」と、目が点になりそうな事もシバシバです。

今日も今日とて、予定とは異なる行動を取られていました。朝から製品を作る予定でしたが、待てどもYお爺ちゃんは来ない。確認したい事柄が有ったので、私は資料の入力などをコナシながら暫し待っていました。
Bat!!10時に成っても出社して来ません。少し心配な私(何しろお歳ですから)。

結局は待ちかねて一人で製造を開始しました。午後から出社したYお爺ちゃんは、作業を手伝うと言い出しました。
しかし、本音を言えば少し邪魔。少しでも早く終わらせたいのに、Yお爺ちゃんはユックリゆっくり。それでいて、周囲の者を振り回します。

私には優しいYお爺ちゃんは、時々だがお菓子や蜜柑を送ってくれたりします。何か作業を頼む時「いつでも良いからね」と言いながら、その場を離れないYおじいちゃん。
当然、依頼を受けた人は、その場で、直ぐに作業に掛かってくれます。
亀の甲より年の功、自分の意志を無理にでも通そうとする強引な突破力は、流石です。
毎日「ハァ~ッ」と心の中で溜息の私です。
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by levin-ae-111 | 2016-01-27 20:11 | Comments(0)

不気味な夢

 最近は疲れていて、早めに就寝します。10時半とかですが、そうすると夢を覚えている事が増えました。大抵は普通の何とはない内容ですが、今朝のは少し不気味でした。

 モノクロ画像の様な、そうでない様なイメージでした。私は廃屋か現役なのか分からない様な古い工場の大きな扉を開けて中へ入りました。
どうやら廃工場の様でした。中は薄暗く埃を被った機械が並んでいました。私はズンズンと通路を進み、更に奥の大きな観音開きの扉を押し開けました。

扉の向こうは更に暗く、プラスチック製のコンテナが山の様に積まれていました。その場所は風が強く、コンテナは浮かび上がり、崩れ落ちる寸前です。しかし風とは無関係に煙か霊気の様な白いモヤが揺蕩っています。
私はそれを気にしながらも中へ踏み込み、通路を歩きながら何故か「友達は?」と口に出して言っていました。

不意に「誰も居ない」と、弱々しい女性の声で返事がありました。その声は妙に悲し気で、自棄を起こしている様に感じました。しかもこの世の人ではない事も感じていました。
私は周囲を見渡し何者も居ない事を確認して、扉を閉めました。
建物の出口に向かいながら「誰かいませんか」何度も繰り返し叫びながら、声の主を探しています。

出口近くの天井を見上げると、大きく剥がれた天井板の隙間から、白い顏をしたセミロングの女性がこちらを見ています。顔の半分は影が濃くて見えませんでしたが、とても美しい女性でした。
「降りて来ませんかー」
「帰って、来ないで‼」
私は知らぬ間に手の中にあった粘土の様なパン種の様な何かを半分に千切り、その女性の方へ放り投げていました。
すると女性の姿は消えてしまい、私は外に出て建物の入り口の鉄の扉をガッンと閉め、その場を去るという夢でした。
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by levin-ae-111 | 2016-01-26 21:23 | Comments(0)

最近のこと

 以前からお祭りしたくて仕方が無かった神様を、遂に4日にお祭り出来ました。
中央に天照様、左右には国之常立様と手力雄様です。
元日に地元の神社にお参りして、その神様と天照様のお札を買い求めようと考えていましたが、時間を勘違いして結局は手に入れられませんでした。
ところが4日の朝、妹が地元の神社のお札を持って来てくれました。それは町内会を通して注文していたお札でした。

妹いわく、部屋は狭いし特に信仰している訳でもないので、お兄さんが必要ならお祭りしてくれれば良いと。有難く戴いてお札を見れば『天照皇大神宮』とあります。
それで地元の小さなお宮には独自の神札が無いに違いないと考え、三社形式でお祭りするとすれば、もう一柱は大好きな手力雄様が良いと即座に思い立ちました。
折しも数少ない『大安』吉日です。神祭に関することは『大安』にと、ブロ友のKさんが教えてくれていたことを思い出しました。
休日と『大安』が重なり、しかも天気も良くて積雪もゼロと来れば、山奥の神社に行くには絶好のチャンス到来というものです。

私はルンルン気分で手力雄様がお祭りしてある芦倉雄山神社へ車をとばしました。濁り酒と清酒を持って、手力雄様と伊弉諾様のお社にお供えし、手力雄様のお札を求めました。
そして以前から目を付けていた神棚をゲットしに、その足でお店へ行き目当ての品を買いました。そして急ぎ帰宅してお祭りさせて頂きました。
目を閉じると薄らと、しかし明確に浮かんでいた神棚の光景・・・遂に望みが叶いました。

芦倉雄山神社までは往復2時間くらい、お店までは往復30分くらい、考えてみれば午前中に全てが終了していました。
日頃から物事をなおざりにし勝ちの私にしては、驚くべき素早さで事を成していました。
人間とは「やらねば‼」という想いが有れば、素早く動けるものなのだと、改めて実感しました。

最近は眠る前に神様とお話しをします。ここ二三日は、積雪のことをお伺いしています。
天気予報では異常に多くの積雪を予想していますが、神様は「大したことないぞ」と仰います。実際に僅かの積雪しかなく、今現在は路面には雪がない状態です。
他に『フィルターチルドレン?とインディゴチルドレンのミックス』とブロ友のM子さんに言われたので、それを訊ねたりしました。
何だか以前より感度が良い感じもしますが、それよりも毎朝お水を取り替え、出勤前にお参りし、帰宅してお参りし、感謝の祈りをします。何だか良いものですね(^_-)-☆
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by levin-ae-111 | 2016-01-22 21:07 | Comments(0)
 私の知っている限りでは、旧軍の戦闘機で最高性能を誇るのは陸軍の四式戦闘機『疾風』
である。大戦末期に登場したこの機体は2000馬力級のエンジンを搭載し、12.7mm機銃2門、20mm2門という強力な武装だった。零戦は無論のこと名機であるが、防弾装備が施されておらず、燃料タンクに被弾すると炎が出やすかった。乗員を守る防弾板も無かった。その故は圧倒的な機動で敵弾をかわす、という思想が有ったからだ。
その点、疾風には乗員を守る防弾板が有り、機体にも防弾が施されていた。

しかし特筆すべきは防弾装備もさることながら、日本機の中でも頭抜けたその速度である。
有名な零戦は最終型でも530㎞/h程度であったのに対し、疾風はテストで624㎞/hを記録している。当時の旧日本戦闘機は押しなべて最高時速が600㎞/hに届かず、紫電改で594㎞/h五式戦闘機で580㎞/h、雷電で598㎞/hだったらしい。これらと比較すると一番の高速だった。もっと良質のガソリンを使えば、恐らくは700㎞/hも夢ではなかったかも知れない。

当時の連合国軍の戦闘機は600㎞/h以上の速力と、頑丈な機体、そして防弾装備を持っていた。この事を考えると日本軍では疾風と紫電改で初めてこれを実現したのであり、どちらも遅きに失した登場であった。
しかし疾風は意外にも多く生産されていて、延べ3000機が生産されている。高性能・強武装のこの戦闘機は、エンジンの製造と整備に難があり十分な性能が発揮できなかったようである。加えて燃料はハイオクが必要であり、燃料不足の時期には活躍できなかったのも頷ける。

戦後アメリカでのテストでは、P-51を軽く捻ったという。その結果を受けて、アメリカ軍から思わず出たのは、相手は2000馬力級だから当たり前だ(P-51は1500馬力)だったという。条件さえ整えば、大戦機でナンバーワンと評判の高いP-51とも互角以上に渡り合える素晴らしい戦闘機だった。
やはり彼我の国力の差がここでも影を落としている、そう言って良いのではないかと思う。
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by levin-ae-111 | 2016-01-17 22:14 | Comments(0)

何なんだ‼

 所ジョージさんの番組『所さん、大変ですよ』を観て、呆れてしまいました。この日は子供たちの体力低下についての話題でした。
少年野球ではバットが柔らかく改良されていて、非力な現代の子供たちでも打球の飛距離が伸び、ミートの際に芯を外しても飛ぶというバットになっています。

更に番組が調査を続けると、球技に使用するありとあらゆるボールが、フニャフニャの柔らかいボールに変わってきているらしいのです。
小学校のドッジボールではフニャフニャのボールを使って、投げるのではなくて転がして相手に当てる、そういう風に変わっているらしいのです。
バスケットボールも、何とかという名前に変わっていて、駕籠も低くしてある。
私たちの子供時代には考えられない変化ですが、何と中学校でも本来の競技とはかけ離れた状態のソフトボールを実施している学校がありました。

止まったボールを打つティーボールです。勿論、フニャフニャ用具を使用しています。インタビューでは、普通のソフトボールを実施してもバットにボールを当てられない、グローブをしても力が弱くてグローブを閉じられないというのです。
 驚くべきことに、私たちの時代には当然だった体力測定にも変化があります。背筋力や立位体前屈、上体反らしが安全の為と称して、廃除されている様です。
子供たちの身体機能の低下は著しく、このままでは中年に成る頃には老人程度の体力しか残っていないかも知れません。

体力低下の原因は、外で遊ばなくなったことです。多くの子供たちは足の指が浮いている状態で、踏ん張りが効かず運動能力が低下しているのです。訓練すれば治るので、安易に体育の内容を変えるとか用具を変えるとかではなく、本当の体育に変更すべきです。
体育とは字のごとく、身体を育む、そういう授業です。
出来ないので出来ることを・・・というのは分かりますが、それではいつまで経っても子供たちの体力向上はなりません。それが推奨されているというのですから、推奨する連中の頭の中身を疑います。出来ないから努力して出来る様にする、それは当たり前のことです。

大袈裟に言う積りはありませんが、これは亡国の危機です。このままでは体力不足の人が増えて、若年寄みたいな人間しか居なくなります。
体力が無いと気力も湧きませんし、集中力も思考能力もへったくれも無く成るのです。
その結果は国際競争に負けて、自分たちの国を維持できなくなり、やがては外国の労働力に頼らざるを得なくなります。つまり亡国です。
まあ、その頃には私はあの世の人ですから、どうでも良いのですが、教育関係のお偉いさんたち、少し頭を使って想像してみて下さいな。それとも、将来的に自然な亡国を目指していらっしゃるのでしょうかねぇ。
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by levin-ae-111 | 2016-01-16 23:15 | Comments(0)

新年そうそうに


 北朝鮮がやってくれました。水爆実験の成功を大々的に発表しましたが、国際的な孤立を招くだけの愚挙としか思えません。
核兵器の応酬は通常兵器による戦闘とは違い、お互いに全滅どころか地球全体が滅亡してしまいます。
相手が核武装したらこちらも核武装をする。互いに核攻撃の応酬をすれば、勝者はなく互いに滅亡しかないという、人間の恐怖心に根差したのが核抑止理論なのです。

米ソ冷戦時代に確立された理論ですが、現在では核保有国も増えて米ソ間だけの問題ではなくなりました。そもそもこの理論は相手が正気であり、ちゃんと状況判断が出来るという大前提の上にあります。つまり正気でない者が核兵器を持っている場合は、核抑止力などという理論は通用しないことになります。
アメリカなどは核の不拡散を叫んでいますが、その一方では更なる性能向上の為の開発を続けているとの情報もあります。

 そもそも相手に対する不信感と恐怖心の上に築かれている理論ですから、決定的なパワーと信じられている核を一度でも手にしてしまえば、もう絶対に手放せません。
ですから、アメリカもロシアもその他の核保有国も核兵器の廃絶など本心では考えていません。
少し問題の規模は違いますが、アメリカが銃社会から脱却できないのも同様の理由からです。加えて銃器販売での利益を手放さない企業が、銃規制法を必死で潰し続けています。
 オバマ大統領が涙ながらに立法を訴えても、他人を信じられず強い疑心暗鬼に陥った民衆の心には届きません(銃による被害者の家族を除いて)。

世界は他国、他の地域、他民族、他者への恐怖と不信で溢れています。そしてそれを煽る勢力も存在するようです。私たち地球人は、他者への不信と恐怖に操られているのです。
不信と恐怖を克服しない限り絶対に真の平和は訪れません。アセンションとかミロクの世などいっても、一人一人が他人への不信感、そこから来る恐怖心を克服しない限りはただの絵空事にしか過ぎません。
どうすればこの厄介な負の感情を克服できるのか、やはり無条件の信頼しかないのだと思います。ですが人間にとっては永遠に克服できない課題なのかも知れません。
その負の感情をどうコントロールして、互いの不信感を和らげてゆくのか、その点に人類の未来、本当の意味での進化が懸かっているのだと思います。
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by levin-ae-111 | 2016-01-10 12:01 | Comments(0)

新年から温泉

 仕事の合間を縫って、ようやく元旦から休みに入ることが出来ました。どうにか目処が立ったので、同僚と温泉に行って来ました。
またも長野県の温泉で乗鞍温泉という所です。今度は民宿とホテルの中間の様な宿でした。
スキー場が近くに在り、主な泊り客はスキーやスノボが目的です。

温泉は少し前に泊まった『白骨温泉』と同様の白い濁り湯です。宿泊料も前回の半額、設備もそこそこでゆっくりと湯に入って来ました。
 それにしても今年は暖冬で、乗鞍スキー場周辺も非常に積雪が少なく、例年では考えられない状況です。

帰り道の途中で川沿いにそそり立つ巨大な岩が在ります。これは何度も観ているのですが、今日はよく見ると祠が岩のてっぺんにお祭りしてあります。
あそこへ行ってみよう!!と突然に思い立ち、同僚と二人で険しい細道を登ります。途中から鎖が張ってあり、まるでアルプスの登山道の様です。

その謂われは、弘法大師様がうち捨てられた笠や蓑や杖が巨大な岩に変じたという言い伝えが、石碑に刻まれていました。
頂上の祠には岩堀りのご神体と、狛犬さんが両脇に安置されていました。それにしても、こんな巨大な岩が川原に座っているとは驚きでした。
(ウイキより)
杖石は高原川の上流、奥飛騨温泉郷方面へ向かう国道471号線の途中に、高さ70m、周囲200mの岩塔が立っています。
 昔、弘法大師が持っていた杖を地面に突き立てると、たちまち巨大な岩に変わったといいます。杖石の下は駐車場になっていて、そこから急な登拝道が岩の頂上へ続いています。
 狭い頂上には弁天様が祀られ、直下に高原川を見下ろしますが、結構な高さを感じます。
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宿の外観と夕食
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杖石
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杖石頂上からの眺望
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by levin-ae-111 | 2016-01-03 19:22 | Comments(0)