身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


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文字通りの自己客観視

 一度だけ、しかもホンの数十秒だったが、私は身体を離れて働く自分を目撃した事がある。
肉体労働をしている最中に突然に意識が抜けて、気がつくと空中に在った。
身体は手慣れた仕事をロボットの様に続けている。意識の私は自分を目撃しても、何ら特別な感情は湧いて来なかった。

それよりも肉体から解放された軽さ、爽快さに心を奪われた。不快な騒音や暑さ、身体に掛かる負担の一切から解放されて、私の意識は工場の天井近く浮いていた。
見た事のない位置から見た事のない場所を視ていたが、巨大な焼成炉の上部は長年の埃やヤニで酷く汚れていた。

音は聞こえなかった。ただ視力は素晴らしく、遠くの細かな部分までよく見えた。自分や仲間の働く姿が、まるで高画質のテレビを観る様だった。
そして得も言われぬ静寂、もう戻りたくないと思ったが、直ぐに身体に戻ってしまった。
酷い暑さと製品が焼ける刺激的なニオイ、汗で濡れた衣服の不快さ、耳に響く大きな音。
そして身体の重さ・・・これほどに意識にとって身体は負担なのだと思い知った。
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# by levin-ae-111 | 2016-03-06 09:31 | Comments(0)
 この世界が魂の修業の場であり、魂の学校であるというのがスピ系の定説である。またある人は『この世は監獄』であるという人もいる。
あの世では最もその魂に相応しい世界へ誘われるらしい。つまり必然的に似た者同士が集まった世界となり他の世界との交流も無く、考えにも行動にも多彩さを欠き魂の進化を促す刺激が極めて少なくなる。その分、魂の進化も遅れるのである。
各してこの物質世界が創られ、様々な魂が境涯の垣根を超えて自由に交流し、お互いに刺激を受けて魂の進化が促進される仕組みらしい。

 そのことがこの世を魂の修業の場とか、学びの場であると表現される所以であろう。それから本来は自由である筈の魂が、肉体という檻に繋ぎ留められ、記憶喪失の状態で酷く不自由な物質世界で人生を一から始める。どうしてなのか、前世の記憶を持ったままでは返って修業の邪魔になるからだろう。
というのが、概ねこの世は魂にとっての修業の場であるとされる理由である。

それで今更ながら、馬鹿な私はハッと気づいた。もしかしたら私たちが求める無問題の世界など、社会的にも個人的にも絶対に実現はしないのではないか?
人生そのものが学びや修業であるならば、課題が提出され続けるのは当然のことだからだ。
課題の無い学校は無いし、試験の無い学校もない。
課題は社会全体に課されるもの、個人的に課されるものなど様々であろう。
故に私たちはこの世に生きて在る限り、最期まで授業を受け試験を受け続けなければ成らないのだ。一難去ってまた一難、生きている私たちは出される課題に挑み続け、学び続ける必要がある。それが人生か・・・などと考える今日この頃だ。
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# by levin-ae-111 | 2016-03-01 19:46 | Comments(2)
 所ジョージさんの番組での話題。今、家電製品を『○○』と呼ぶ女性が多くなっているというのだ!!
ある家電修理店の話しだが、掃除機を毛布に包んで持って来た女性は「この子が熱を出して・・・」と仰った。原因はモーターの不調でした。
また他の依頼主は電気炊飯器を、またまた他の人は洗濯機に敬語を使い、電子レンジを三女と呼んでいました。そう、その人たちは家電を『家族』として扱っているのだ。

これだけ聞けばとっても変だと感じるだろうが、理由を知れば有る程度は気持ちも解る気がする。家電製品を『家族』扱いしている人の多くは熟年の女性で、亡くなった旦那様が買ってくれたとか、ロボット掃除機が一生懸命に働く姿に懸命に働いていた亡夫の姿を重ねるとか、そういう心境らしい。だから故障したら大変だ、慌てて修理店へ持ち込むのである。
中には昨今はやりの音声機能でデンシレンジに「有難う」と言われ、感激したという女性も。

熟年女性に限らずアラフォー女性も、ロボット掃除機に名前を付けている人が・・・。
経済的に自立していて、後は癒してくれて家事をしてくれる彼氏が居れば・・・だが、掃除機の方が面倒でなくて感情移入し易いのかも。
 そういう私も車に「お早う」「有難う」「お疲れ様」とか言うので、彼女たちのことは笑えない|д゚)
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# by levin-ae-111 | 2016-02-26 21:01 | Comments(2)

神様って凄い( ゚Д゚)

 昨年10月中頃からお祭りしています。
その時にお供えした榊と樒が、四カ月以上経過していますがまだ青々としています。
無精な私ですからお水はどうにか毎日お取替えしますが、花瓶の水は3~4日に一度だけ取り替えるだけなのです。
冬だから気温も低いしね~と、お考えかも知れませんが、毎日ストーブで部屋は暖かくしています。しかも天井近くに神棚があるので、かなり暖かい筈です。
それを見るにつけ「神様って凄い!!」と思う今日このごろなのです。
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# by levin-ae-111 | 2016-02-22 21:13 | Comments(0)

古い映画

 先日BSでやっていた古い映画を録画で、観ています。
『007/ドクター・ノオ』です。何とショーン・コネリーの007です。1960年代に始まり今に至るも人気絶頂の007シリーズの最初の作品です。
最初からボンドは女好きのプレイボーイだったのですね(羨ましい)。

この映画、何と私が御年3歳のころの作品です。一番古さを感じさせたのは、車です。ポンティアックやフォードの骨とう品が、画面の中で元気よく走り回っています。
ドクター・ノオは悪の組織スペクターの一員で、かなり手強い相手です。
ショーンのボンドは今のボンドと違って、スーパーマンではない至って普通の男です。

武器だって拳銃一丁だし、格闘もそんなに強くないのです。そこがまた、逆にリアルで現代の作品とは異なる面白さを感じさせます。
ドクター・ノオはミニ原子炉で強大な電波を発して、アメリカのミサイルやロケット(マーキュリー計画)を妨害しています。

ドクター・ノオは小島に原子炉を建設して、地元の漁師たちを恐怖のドラゴン伝説で遠のけていました。侵入する者は殺され、島の事を探っていたMI6のエージェントが行方不明になったところで、そこへボンドが調査に向かうというストーリーです。
島に上陸すると貝殻を拾っている美女(初代ボンドガール?) がいて、その美女と後の行動を共にします。

結局は捕まって監禁されたボンドだったのですが、排気口から脱出し原子炉制御室へ侵入します。そこで暴れて原子炉を暴走させます。最後はドクター・ノオと格闘になります。
放射能漏れで悪の組織の人員が逃げ出す中、両腕が義手でロボットの様に力強いドクター・ノオでしたが、最期は制御棒のリアクターの上にボンドと絡み合いながら落下します。
最期は金属製の義手が災いし、滑って金属の柱を登れず重水タンクに沈んでいきました。

悪人も現代の様にしぶとくなく、意外にあっさりとジ・エンドとなり、別の場所に監禁されていた美女を助け出して一緒に逃げました。島は原子炉の暴走で大爆発(笑)。
最後には漂流するボートで美女と二人で気楽にごろ寝しています。そこへ仲間のボートが現れて救われるというお話しでした。
いや~ぁつ、映画って本当に良いものですよねぇ。それでは、サヨナラ、サヨナラ(笑)
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# by levin-ae-111 | 2016-02-08 21:40 | Comments(0)

温泉

 またまた温泉に一泊して来ました。今度はグッと近くの上市町です。
『つるぎ恋月』というシャレタ名前の温泉ホテルなのですが、実はこれで3度目の宿泊となりました。
料理とブラックコーヒーの様な茶褐色のお湯が売りで、結構CMも流しているホテルです。
到着すると、和太鼓をドンドンと打ち鳴らして歓迎してくれるのですが、私たちは何だかそれが恥ずかしく感じていました。

「歓迎の太鼓を」という女性に、「それって、パス出来ませんか?」と私。しかし女性は「歓迎の印ですから」と笑って、太鼓を鳴らしました。
部屋に案内されて直ぐにお風呂へGOです。コーヒー色の湯に肩まで浸かり、暫くすると汗が噴き出て来ます。湯は独特のコーヒー色に加え、少しとろみがあり、お肌はツルツルに。

温泉を堪能した次は夕食です。一つひとつは少量ですが、品数が多くて結局は食べきれない程の量でした。
それはホテル側も解っていて、残ったご飯はお握りにしてくれます。私たちもカニ釜飯と白エビ釜飯をお握りにして貰いました。
レストランの席は全部埋まっていましたが、私たちが入浴した時はほぼ貸し切り状態で、とても贅沢な入浴でした(3度入ったが、全て貸し切り状態)。
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# by levin-ae-111 | 2016-02-07 15:31 | Comments(0)

寒いのにゾッとする話し

 北陸地方は暖冬で山間部に近い我が家の周辺にも、殆ど積雪はなくなりました。気温は8℃程度ですが、先週の寒波の時に比べれば雲泥の暖かさですが、それでも寒いです。
さて、昼休みに同僚たちと話していたら、仕事中に人の気配を感じるというのです。それは当然ですが、一人で残業している時に感じるのだそうです。

私も経験があります。一人で試験室にこもりひたすらに試験に没頭している時、眼鏡の端にチラリちらりと作業服を着た人影が写ります。勿論、部屋には私しか居ません。
私と同部署の同僚も同様の経験をしています。更に私はロール作業中に私たちと同じ手袋をした手だけを目撃しました。
手だけというより、正しくは腕と言った方がよいのですが、これから練り上げるゴムシートの上にそれは見えていました。

私の勤務する会社は60年もの歴史があり、その間には作業中に倒れたり大怪我をしたりした従業員が何人もいたと聞いています。
入社したばかりの頃は元気だった人で、病気で亡くなった方を六名ほど知っています。皆さんある程度の年齢でしたが、そういう方たちが職場に未練を残しているのでしょうか?
しかし不思議なことに、それが恐ろしいと言う人は誰も居ません。

そんな事を話している内に、不思議な出来事から亡くなった会長の思い出話になりました。
亡くなった会長は従業員のことをよく観察していて、入社して暫くの私に「仕事振りは文句ない。今後も頼むぞ」などと声を掛けてくれたものでした。
冬の日の昼休みに、ストーブを囲んでそんな話題で盛り上がった今日でした。
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# by levin-ae-111 | 2016-02-05 22:17 | Comments(2)

考えてみれば・・・

 今の職に就いてから長いのですが、振り返ってみれば大怪我をしていてもおかしくない状況にも関わらず、無傷で過ごして来ました。
足の甲に1枚で1キロもある製品を3~4枚落した時も、ローラーに手袋ごと巻き込まれそうになった時も、崩れた大量の製品に片足がひざ下まで埋まった時も、全て無傷でした。

同様の状況に遭遇した同僚たちは、皆さん怪我をされて痛い目に遭っています。ローラーに巻き込まれた場合は、片手が潰れた人も過去にいたと聞きます。
私の場合は咄嗟に手を引いたら使い始めたばかりの新しい分厚い手袋がハサミで切った様に真っ直ぐに千切れて巻き込まれずに済みました。手袋の先が千切れて加工中のゴムに混入しているのに気づくまで少し掛かりました。それ程に抵抗なく手袋が千切れていたのです。不思議でした。

足に製品を落した時は足首の腱に当たりましたが、腱が柔らかく落下物を受け止めて跳ね返してくれました。その瞬間を私はスローモーションのようにゆっくりと感じていて、腱が柔軟に反応して落下物を受け止め、跳ね返すのを感じていました。同様に物を落した同僚は、靴の上だったのに骨折してしまいました。

台車で運搬中に製品が崩れた片足が埋まった時も、擦り傷さえありませんでしたが、あの状況では考えられない結果です。私が製品を載せて台車を引いているのを見逃した同僚が、電気リフトで台車に衝突したのです。
大したスピードではなかったのですが、一部の製品は周囲に飛び散り、大部分は私の足の上や周囲に崩れ落ちて山になったのでした。

何れも普通に考えれば怪我をしていると思いますが、完全に無傷なのです。やはり何かの力に守られているとしか言い様がない気がします。それは何か或は何者のお蔭なのかは不明です。神仏、宇宙人、先祖霊、はたまた自分の気?何だか判りませんが兎に角、何かのパワーが守ってくれている気がします。
ですが守ってくれる存在が居るとしても、私自身が不用心でボーッとしていては元も子もありません。ですから、日頃からの心掛けが肝心と思っています。
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# by levin-ae-111 | 2016-02-01 22:05 | Comments(1)
 Y爺ちゃんは私の上司です。年齢を訊ねたら本人いわく、「天皇陛下と同い年だ。ワシの誕生日は休みじゃあないけどな」と(笑)
動作も歩くのもとてもゆっくりだけど、製品開発には執念深いほどの情熱を持っています。
そんなY爺ちゃんと今日も試作品づくりです。

準備その他の作業は無論のこと私です(*_*;
何か問題が発生すると、それが本題に影響のない些細な事柄でも、本題を放り出して問題解決を考えるYお爺ちゃん。
そんな時は「あの~・・・」と、目が点になりそうな事もシバシバです。

今日も今日とて、予定とは異なる行動を取られていました。朝から製品を作る予定でしたが、待てどもYお爺ちゃんは来ない。確認したい事柄が有ったので、私は資料の入力などをコナシながら暫し待っていました。
Bat!!10時に成っても出社して来ません。少し心配な私(何しろお歳ですから)。

結局は待ちかねて一人で製造を開始しました。午後から出社したYお爺ちゃんは、作業を手伝うと言い出しました。
しかし、本音を言えば少し邪魔。少しでも早く終わらせたいのに、Yお爺ちゃんはユックリゆっくり。それでいて、周囲の者を振り回します。

私には優しいYお爺ちゃんは、時々だがお菓子や蜜柑を送ってくれたりします。何か作業を頼む時「いつでも良いからね」と言いながら、その場を離れないYおじいちゃん。
当然、依頼を受けた人は、その場で、直ぐに作業に掛かってくれます。
亀の甲より年の功、自分の意志を無理にでも通そうとする強引な突破力は、流石です。
毎日「ハァ~ッ」と心の中で溜息の私です。
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# by levin-ae-111 | 2016-01-27 20:11 | Comments(0)

不気味な夢

 最近は疲れていて、早めに就寝します。10時半とかですが、そうすると夢を覚えている事が増えました。大抵は普通の何とはない内容ですが、今朝のは少し不気味でした。

 モノクロ画像の様な、そうでない様なイメージでした。私は廃屋か現役なのか分からない様な古い工場の大きな扉を開けて中へ入りました。
どうやら廃工場の様でした。中は薄暗く埃を被った機械が並んでいました。私はズンズンと通路を進み、更に奥の大きな観音開きの扉を押し開けました。

扉の向こうは更に暗く、プラスチック製のコンテナが山の様に積まれていました。その場所は風が強く、コンテナは浮かび上がり、崩れ落ちる寸前です。しかし風とは無関係に煙か霊気の様な白いモヤが揺蕩っています。
私はそれを気にしながらも中へ踏み込み、通路を歩きながら何故か「友達は?」と口に出して言っていました。

不意に「誰も居ない」と、弱々しい女性の声で返事がありました。その声は妙に悲し気で、自棄を起こしている様に感じました。しかもこの世の人ではない事も感じていました。
私は周囲を見渡し何者も居ない事を確認して、扉を閉めました。
建物の出口に向かいながら「誰かいませんか」何度も繰り返し叫びながら、声の主を探しています。

出口近くの天井を見上げると、大きく剥がれた天井板の隙間から、白い顏をしたセミロングの女性がこちらを見ています。顔の半分は影が濃くて見えませんでしたが、とても美しい女性でした。
「降りて来ませんかー」
「帰って、来ないで‼」
私は知らぬ間に手の中にあった粘土の様なパン種の様な何かを半分に千切り、その女性の方へ放り投げていました。
すると女性の姿は消えてしまい、私は外に出て建物の入り口の鉄の扉をガッンと閉め、その場を去るという夢でした。
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# by levin-ae-111 | 2016-01-26 21:23 | Comments(0)

最近のこと

 以前からお祭りしたくて仕方が無かった神様を、遂に4日にお祭り出来ました。
中央に天照様、左右には国之常立様と手力雄様です。
元日に地元の神社にお参りして、その神様と天照様のお札を買い求めようと考えていましたが、時間を勘違いして結局は手に入れられませんでした。
ところが4日の朝、妹が地元の神社のお札を持って来てくれました。それは町内会を通して注文していたお札でした。

妹いわく、部屋は狭いし特に信仰している訳でもないので、お兄さんが必要ならお祭りしてくれれば良いと。有難く戴いてお札を見れば『天照皇大神宮』とあります。
それで地元の小さなお宮には独自の神札が無いに違いないと考え、三社形式でお祭りするとすれば、もう一柱は大好きな手力雄様が良いと即座に思い立ちました。
折しも数少ない『大安』吉日です。神祭に関することは『大安』にと、ブロ友のKさんが教えてくれていたことを思い出しました。
休日と『大安』が重なり、しかも天気も良くて積雪もゼロと来れば、山奥の神社に行くには絶好のチャンス到来というものです。

私はルンルン気分で手力雄様がお祭りしてある芦倉雄山神社へ車をとばしました。濁り酒と清酒を持って、手力雄様と伊弉諾様のお社にお供えし、手力雄様のお札を求めました。
そして以前から目を付けていた神棚をゲットしに、その足でお店へ行き目当ての品を買いました。そして急ぎ帰宅してお祭りさせて頂きました。
目を閉じると薄らと、しかし明確に浮かんでいた神棚の光景・・・遂に望みが叶いました。

芦倉雄山神社までは往復2時間くらい、お店までは往復30分くらい、考えてみれば午前中に全てが終了していました。
日頃から物事をなおざりにし勝ちの私にしては、驚くべき素早さで事を成していました。
人間とは「やらねば‼」という想いが有れば、素早く動けるものなのだと、改めて実感しました。

最近は眠る前に神様とお話しをします。ここ二三日は、積雪のことをお伺いしています。
天気予報では異常に多くの積雪を予想していますが、神様は「大したことないぞ」と仰います。実際に僅かの積雪しかなく、今現在は路面には雪がない状態です。
他に『フィルターチルドレン?とインディゴチルドレンのミックス』とブロ友のM子さんに言われたので、それを訊ねたりしました。
何だか以前より感度が良い感じもしますが、それよりも毎朝お水を取り替え、出勤前にお参りし、帰宅してお参りし、感謝の祈りをします。何だか良いものですね(^_-)-☆
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# by levin-ae-111 | 2016-01-22 21:07 | Comments(0)
 私の知っている限りでは、旧軍の戦闘機で最高性能を誇るのは陸軍の四式戦闘機『疾風』
である。大戦末期に登場したこの機体は2000馬力級のエンジンを搭載し、12.7mm機銃2門、20mm2門という強力な武装だった。零戦は無論のこと名機であるが、防弾装備が施されておらず、燃料タンクに被弾すると炎が出やすかった。乗員を守る防弾板も無かった。その故は圧倒的な機動で敵弾をかわす、という思想が有ったからだ。
その点、疾風には乗員を守る防弾板が有り、機体にも防弾が施されていた。

しかし特筆すべきは防弾装備もさることながら、日本機の中でも頭抜けたその速度である。
有名な零戦は最終型でも530㎞/h程度であったのに対し、疾風はテストで624㎞/hを記録している。当時の旧日本戦闘機は押しなべて最高時速が600㎞/hに届かず、紫電改で594㎞/h五式戦闘機で580㎞/h、雷電で598㎞/hだったらしい。これらと比較すると一番の高速だった。もっと良質のガソリンを使えば、恐らくは700㎞/hも夢ではなかったかも知れない。

当時の連合国軍の戦闘機は600㎞/h以上の速力と、頑丈な機体、そして防弾装備を持っていた。この事を考えると日本軍では疾風と紫電改で初めてこれを実現したのであり、どちらも遅きに失した登場であった。
しかし疾風は意外にも多く生産されていて、延べ3000機が生産されている。高性能・強武装のこの戦闘機は、エンジンの製造と整備に難があり十分な性能が発揮できなかったようである。加えて燃料はハイオクが必要であり、燃料不足の時期には活躍できなかったのも頷ける。

戦後アメリカでのテストでは、P-51を軽く捻ったという。その結果を受けて、アメリカ軍から思わず出たのは、相手は2000馬力級だから当たり前だ(P-51は1500馬力)だったという。条件さえ整えば、大戦機でナンバーワンと評判の高いP-51とも互角以上に渡り合える素晴らしい戦闘機だった。
やはり彼我の国力の差がここでも影を落としている、そう言って良いのではないかと思う。
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# by levin-ae-111 | 2016-01-17 22:14 | Comments(0)

何なんだ‼

 所ジョージさんの番組『所さん、大変ですよ』を観て、呆れてしまいました。この日は子供たちの体力低下についての話題でした。
少年野球ではバットが柔らかく改良されていて、非力な現代の子供たちでも打球の飛距離が伸び、ミートの際に芯を外しても飛ぶというバットになっています。

更に番組が調査を続けると、球技に使用するありとあらゆるボールが、フニャフニャの柔らかいボールに変わってきているらしいのです。
小学校のドッジボールではフニャフニャのボールを使って、投げるのではなくて転がして相手に当てる、そういう風に変わっているらしいのです。
バスケットボールも、何とかという名前に変わっていて、駕籠も低くしてある。
私たちの子供時代には考えられない変化ですが、何と中学校でも本来の競技とはかけ離れた状態のソフトボールを実施している学校がありました。

止まったボールを打つティーボールです。勿論、フニャフニャ用具を使用しています。インタビューでは、普通のソフトボールを実施してもバットにボールを当てられない、グローブをしても力が弱くてグローブを閉じられないというのです。
 驚くべきことに、私たちの時代には当然だった体力測定にも変化があります。背筋力や立位体前屈、上体反らしが安全の為と称して、廃除されている様です。
子供たちの身体機能の低下は著しく、このままでは中年に成る頃には老人程度の体力しか残っていないかも知れません。

体力低下の原因は、外で遊ばなくなったことです。多くの子供たちは足の指が浮いている状態で、踏ん張りが効かず運動能力が低下しているのです。訓練すれば治るので、安易に体育の内容を変えるとか用具を変えるとかではなく、本当の体育に変更すべきです。
体育とは字のごとく、身体を育む、そういう授業です。
出来ないので出来ることを・・・というのは分かりますが、それではいつまで経っても子供たちの体力向上はなりません。それが推奨されているというのですから、推奨する連中の頭の中身を疑います。出来ないから努力して出来る様にする、それは当たり前のことです。

大袈裟に言う積りはありませんが、これは亡国の危機です。このままでは体力不足の人が増えて、若年寄みたいな人間しか居なくなります。
体力が無いと気力も湧きませんし、集中力も思考能力もへったくれも無く成るのです。
その結果は国際競争に負けて、自分たちの国を維持できなくなり、やがては外国の労働力に頼らざるを得なくなります。つまり亡国です。
まあ、その頃には私はあの世の人ですから、どうでも良いのですが、教育関係のお偉いさんたち、少し頭を使って想像してみて下さいな。それとも、将来的に自然な亡国を目指していらっしゃるのでしょうかねぇ。
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# by levin-ae-111 | 2016-01-16 23:15 | Comments(0)

新年そうそうに


 北朝鮮がやってくれました。水爆実験の成功を大々的に発表しましたが、国際的な孤立を招くだけの愚挙としか思えません。
核兵器の応酬は通常兵器による戦闘とは違い、お互いに全滅どころか地球全体が滅亡してしまいます。
相手が核武装したらこちらも核武装をする。互いに核攻撃の応酬をすれば、勝者はなく互いに滅亡しかないという、人間の恐怖心に根差したのが核抑止理論なのです。

米ソ冷戦時代に確立された理論ですが、現在では核保有国も増えて米ソ間だけの問題ではなくなりました。そもそもこの理論は相手が正気であり、ちゃんと状況判断が出来るという大前提の上にあります。つまり正気でない者が核兵器を持っている場合は、核抑止力などという理論は通用しないことになります。
アメリカなどは核の不拡散を叫んでいますが、その一方では更なる性能向上の為の開発を続けているとの情報もあります。

 そもそも相手に対する不信感と恐怖心の上に築かれている理論ですから、決定的なパワーと信じられている核を一度でも手にしてしまえば、もう絶対に手放せません。
ですから、アメリカもロシアもその他の核保有国も核兵器の廃絶など本心では考えていません。
少し問題の規模は違いますが、アメリカが銃社会から脱却できないのも同様の理由からです。加えて銃器販売での利益を手放さない企業が、銃規制法を必死で潰し続けています。
 オバマ大統領が涙ながらに立法を訴えても、他人を信じられず強い疑心暗鬼に陥った民衆の心には届きません(銃による被害者の家族を除いて)。

世界は他国、他の地域、他民族、他者への恐怖と不信で溢れています。そしてそれを煽る勢力も存在するようです。私たち地球人は、他者への不信と恐怖に操られているのです。
不信と恐怖を克服しない限り絶対に真の平和は訪れません。アセンションとかミロクの世などいっても、一人一人が他人への不信感、そこから来る恐怖心を克服しない限りはただの絵空事にしか過ぎません。
どうすればこの厄介な負の感情を克服できるのか、やはり無条件の信頼しかないのだと思います。ですが人間にとっては永遠に克服できない課題なのかも知れません。
その負の感情をどうコントロールして、互いの不信感を和らげてゆくのか、その点に人類の未来、本当の意味での進化が懸かっているのだと思います。
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# by levin-ae-111 | 2016-01-10 12:01 | Comments(0)

新年から温泉

 仕事の合間を縫って、ようやく元旦から休みに入ることが出来ました。どうにか目処が立ったので、同僚と温泉に行って来ました。
またも長野県の温泉で乗鞍温泉という所です。今度は民宿とホテルの中間の様な宿でした。
スキー場が近くに在り、主な泊り客はスキーやスノボが目的です。

温泉は少し前に泊まった『白骨温泉』と同様の白い濁り湯です。宿泊料も前回の半額、設備もそこそこでゆっくりと湯に入って来ました。
 それにしても今年は暖冬で、乗鞍スキー場周辺も非常に積雪が少なく、例年では考えられない状況です。

帰り道の途中で川沿いにそそり立つ巨大な岩が在ります。これは何度も観ているのですが、今日はよく見ると祠が岩のてっぺんにお祭りしてあります。
あそこへ行ってみよう!!と突然に思い立ち、同僚と二人で険しい細道を登ります。途中から鎖が張ってあり、まるでアルプスの登山道の様です。

その謂われは、弘法大師様がうち捨てられた笠や蓑や杖が巨大な岩に変じたという言い伝えが、石碑に刻まれていました。
頂上の祠には岩堀りのご神体と、狛犬さんが両脇に安置されていました。それにしても、こんな巨大な岩が川原に座っているとは驚きでした。
(ウイキより)
杖石は高原川の上流、奥飛騨温泉郷方面へ向かう国道471号線の途中に、高さ70m、周囲200mの岩塔が立っています。
 昔、弘法大師が持っていた杖を地面に突き立てると、たちまち巨大な岩に変わったといいます。杖石の下は駐車場になっていて、そこから急な登拝道が岩の頂上へ続いています。
 狭い頂上には弁天様が祀られ、直下に高原川を見下ろしますが、結構な高さを感じます。
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宿の外観と夕食
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杖石
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杖石頂上からの眺望
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# by levin-ae-111 | 2016-01-03 19:22 | Comments(0)

年末のご挨拶

 本年は大変にお世話になり、誠にありがとうございました。
来る年もどうぞ宜しくお願いします。
思えば七月に初めてお会いしたブロ友さん達とは、大変に楽しい時間を過ごさせて頂きました。私にとっては今年最大のイベントであった様な気がしています。その節は非常に良くして頂いて、感謝に絶えません。
本当に有難う御座いました(*´▽`*)

さて年末も近い22日に突然に降って湧いた様な仕事上の話しで、私は煽りを受けて苦境に追い込まれました。また食あたりで貴重な数日を失い、必死の努力にもかかわらず年末休暇を3日間も費やして課題達成の努力をして来ました。

3日間で延べ28時間の実働で23個の試作品及び製品の試験を実施し、データ採取を行いました。データ採取には1個につき正味50分が必要で、その他の所要時間を入れると約60分間が必要でした。まだ全てのデータ取りは完了していませんが、残りは新年の仕事初めからにします。
データに基づいた資料作成も必要ですが、これは出来る限りやって置こうと思っています。

何やかや言っても年末のこの事態には、正直なところガックリです。しかしこれも日頃からの自分の不徳の成せる技と思い、精一杯に努力するしか無いですね。
私はバタバタの年末でしたが、皆様は如何お過ごしでしょうか。多くの方は楽しくお過ごしの事と思います。
どうかお世話になった皆様の身の上に良き事が、有ります様にと心からお祈りいたしまして年末のご挨拶に代えさせて頂きます。
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# by levin-ae-111 | 2015-12-31 19:43 | Comments(1)

食中毒??

 先週の22日から、思いも掛けない災難が我が身に降り注いでいます。仕事面では身勝手な上司の煽りを受けて、社長から突然に無理難題を出されてしまいました。
当の上司は社長に調子を合わせ、ただ「頼むな」と言うばかり。それが22日の夕方近くで、頭に来て爆発寸前なのをどうにか堪えて「片付けがありますので」と告げて会議室を出ました。

その日は社長の提案で忘年会が催されました。話の流れを分かっている本部長が、私をなだめに来ましたが私の怒りは収まりません。
怒りの治まらない私はノンアルのビールとケータリングのサンドイッチや中華料理を少し口にしただけで、中締めの後でソソクサと会社を後にしました。

翌日の天皇誕生日も怒りとイライラが続き、落ち着きませんでした。翌日の朝は酷い下痢でしたが、薬を飲んで出社し、工場長と打合せわして問題解決の手順を考えました。
そして25日から始めて年内に概ね方を着ける予定でしたが、25日の朝も酷い下痢で5分おき位にトイレへ走る様で休みを取りました。26日はトイレへ走る事は無かったのですが、水を飲んでも吐く有様で、酷い腹痛で胃や胸が痛み動けず休みました。医者へ走り点滴をしてもらい、薬を貰って来ました。

これは食中毒に違いないと思いました。若い頃にまだ動いている赤貝を食べた時、一週間ものたうち回った悪夢の再来だと思いました。
幸いにも薬が効いて今日は動けるように成りましたが、明日は仕事納めです。正月休みを返上して仕事をしないと間に合わない状況です。
歳の最後に待っていたトンデモナイ出来事に出くわしたものです。年明けも早々から本社でプレゼンもありますし、正月は無くなったと思っています。
皆様、よい年の瀬、新年をお迎えくださいね(*’▽’)
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# by levin-ae-111 | 2015-12-27 13:21 | Comments(0)

温泉に行って来ました

 友人が故郷納税で温泉のクーポンが手に入ったので、一緒に行かないかと誘ってくれました。そこで二人して長野県松本市の白骨温泉に出掛けました。
予約してくれた宿は『斎藤旅館』。名前だけ聞くと小さな旅館?と思いますが、実質は立派なホテルで明治時代には既に創業していました。しかも温泉街の一番奥にあり、元湯の宿でした。

富山から2時間半くらい掛かりましたが、到着すると直ぐにボーイさんが荷物を預かってくれ、車も駐車場へ廻してくれます。
チェックインの時に靴を預かってくれて、客室係のお姉さんが部屋へ案内してくれました。
大きく三か所に分かれている客室があり、私たちは一番フロントから遠い客室群でした。

増築を繰り返したものらしく、建物は長い渡り廊下で結ばれています。ロビーからエレベーターで4階へ上り、少し歩いてからエレベーターで2フロア昇り、長い渡り廊下を歩きまたまたエレベーターで3階まで昇り少し歩いて漸く部屋へ辿り着きます。
恐らくはロビーから6、7分は掛かります(笑)
しかしロビーからは遠いのですが、お風呂までは一番近く、温泉に浸かりに行ったのでその意味では最高でした。
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# by levin-ae-111 | 2015-12-16 20:26 | Comments(0)

本当のことです

 実はこの二、三日よく眠れていません。その理由は・・・ある者が夜ごとに私の部屋を訪れるからです。しかも「早く寝ましょうよ。早くぅ」とまだ宵の口の刻限にも関わらず、そうねだるのです。
無視していると彼女は足音も発てず、私の部屋を歩き回り、時として私の横に座ったりします。彼女は戸をガタンといわせて、自分が来たことをアピールします。

合図を無視し続けていると、音は徐々に大きくなり、戸を揺らします。仕方がないので戸を開けると、スーッと音も無く入って来るのです。そして、例のごとくに添い寝を強要するのです。歳の頃なら十五、六で可愛いというよりは、綺麗系の顔立ちをしています。
夜中に来る時もありますが、寝ている私の顔を軽く叩いて起こします。そして、添い寝です。

こんな事がもう数日も続いているので、私は熟睡が出来ず困っているのです。今やそれは恐怖にさえ成りつつあります。
妹など「今、お兄さんの部屋へ何かが入ったよ‼」などと言っています。その存在は妹にも見えるのです(;゚Д゚)うぁぁぁっ。
私は今夜も恐怖に震えています。神様にも守護霊様にも、どうにも出来ないみたいです。

私は叫びます。「どうしてだー、どうして、急に俺の所に来るんだー」
彼女はサラッとそれに応えて「ニャン」と鳴きます。あ~あっ、今夜も来るんだー(T_T)
ピトッと私の右わき腹に貼り付いて、寝返りも打てない。右肩や腕が・・・痺れる、痛い
誰か助けて~(泣)
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# by levin-ae-111 | 2015-12-10 19:28 | Comments(2)

班の忘年会

 昨年は初めての事で、少しハメを外してしまいズッコケましたが、今年は冷静に(笑)
昨年とは違い積雪もなく(昨年は30㎝くらいあった)楽でした。
向かいや隣の方を誘って、一緒に会場へ徒歩で向かいます。出席者は昨年より少なく、少し寂しい感じでした。

最年長は91歳のHさん。公園の管理をされていて、手入れが素晴らしいとのことで、何やら秋篠宮さまから表彰状を頂いたようです。
そして市内の高校に通う女の子は、フェンシングの国体選手で、何と優勝しました。そして勿論、全日本の強化メンバーに。目標は無論、オリンピックです。

二十数軒しかない小さな班から、二人も素晴らしい業績を残した人が出る何て、本当に凄いと思います。私も頑張らなければと思いました。
でっ、私は頑張ってハメを外さず、最後に残ったメンバーと会場の片付けをして、無事に帰宅しました。それにしても、一年は早いですねぇ。
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# by levin-ae-111 | 2015-12-07 18:34 | Comments(0)

楽しい夢

 疲れていたので、昨夜はいつもより早めに就寝しました。すると、面白い夢を観ました。
何処かの街の郊外で、小高い丘に民家が立ち並んでいます。細い道を隔てた向かい側には半地下?らしい大きな建物があります。多分、体育館か何かのスポーツ施設だと思いました。
 私が居るのは民家のひとつで、幾部屋かありますが余り広くはありませんでした。しかし内装はオール木製で、床も壁もとても良い感じです。部屋を観て回りながら「これが1200万か・・・頑張れは買えそうだな」などと考えている自分がいました。

場面は変わって、その家の近くの作業場に居ます。職人さんたちが手際よく大きな草刈り鎌を造っています。鎌の形の金属を一人が台に置くと、もう一人が大きな鋏でパッ、パッと切れこみを入れたり、返しを造ったりしています。
作業所の外では三人の男女が何か話しをしています。そこへ行くと一人の女性が青年に向かって、貴方と○○ちゃんはいい感じだと思うなどと言っています。
照れている青年を肩でつつきながら、微笑んでいる、ただそれだけの夢でした。
しかし目覚めた後でも、何故だかとても幸せな気分でした。
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# by levin-ae-111 | 2015-12-02 19:20 | Comments(0)

冬の幻想

 11月末の寒空とはいえ、今日は久しぶりに晴れ間があった。それで交換したタイヤの感触を試す意図もあり、近所の公園まで出かけてみた。
夏タイヤからスタッドレスに交換した時、私は必ず近所を試走することにしている。ブレーキやハンドリングの違いに慣れるためだ。

公園に着くと先客がいた。その人は白い帽子を被って、紺色のスゥエットに白のスニーカーを履いて、公園の奥にしつらえてあるベンチに座っていた。
駐車場には車が無かったので、きっと歩いて来たのだろう。

私は老人から少し離れた道を通り、その奥へと向かった。暫くすると『おわら節』が聞こえて来た。その哀調を帯びた地元の民謡は、先ほどの老人が唄っているのだ。
稽古をしているのか、何度も同じフレーズを繰り返していた。
「揺れる吊り橋、手に手を取って、渡る井田川おわら風の盆」と唄う歌詞は、おわら節の中でも私の好きな部分だ。

耳に残る老人が唄うおわら節を背にして、私は公園を出る為に愛車へと向かった。紅葉は既に遅く、あらかたの木々は葉を落す寸前だが、寒椿は今が盛りと咲いている。
椿を撮影しようとカメラを取り出した時、私は異変に気が付いた。駐車場からは老人が座っていた場所が見通せるのだが、ベンチに人影は見えない。
周囲を見回してみたが、誰も居ない。僅かに聞こえていた唄も、もう聞こえて来ない。
「幻か!!否、どこかへ移動されたのだろう」自分にそう言い聞かせて、その場を去ったが、まあそんな事もあるだろう。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-29 15:37 | Comments(0)

神様って凄い( ゚Д゚)

 ブロ友のM子さんから坐間神社のお札が届いたのは、先月の中ごろでした。
お札を送って下さったのは、神様から送るように言われたとのことでした。お札が着く前に私は部屋の一角に手作りの神棚を作りました。
神具セットを購入し準備を整えてお札を迎え入れ、庭の榊を切って来てお供えしました。

2~3日くらいで花瓶の水を取り替えていますが、不思議にも未だに榊は青々としています。
11月にはいってからは、ストーブも焚いていますから、部屋はそこそこ暖かいです。
無論、榊の生命力の強さも有りますが、これが神札の力なのかは分かりませんが、神様って凄いと素直に思っています(^^♪
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# by levin-ae-111 | 2015-11-29 10:58 | Comments(0)

ホツマツタヱとアワの歌

 神とは何かなどと言いながら、神事には全く無知だった自分が、唯一興味を持ち実践してみたのが最古の祝詞といわれている『アワの歌』だった。
興味を持ったきっかけは、ブロ友さんの記事だった。貼り付けてあった動画を観て、良い感じがしたので、どうにか覚えてみようと思った。
しかし、48音からなるこの歌は文字の並びに馴染みがなく、覚えるのに苦労した。

 そして覚えたての歌を地元の神社で歌ってみた。最初に歌った時、不思議な事に誰も聞いていないのにドキドキした。つっかえながら何とか3度歌うと、二羽の蝶が絡み合う様に舞いながら現れ、大きな鳥が神社の森の上を鳴きながら円を描いて何度も飛んだ。
歌った途端にこれだから、何かあると感じた。
それから地元の山村にあるお不動様を祭った滝では、アワの歌を歌った後に撮影した写真は無数の薄紫色の球体で埋め尽くされていた。また突然にシャッターが切れなくなり、四苦八苦して、どうにかシャッターが切れた。その時に写った写真は、その場には無かった光が写り込んでいた。歌う以前には何事もなかったのに、不思議だった。

そこでもっと『アワの歌』を知りたくなり、ネットで調べた。どうやら歌い方に特に制約はないらしく、どの動画を観ても節はバラバラだった。という事は、どう歌おうが自由なのだと解釈した。
それに、そもそも既知の祝詞の中で日本最古といわれているらしいが、出典は何?などと疑問も噴出して来た。
調べると出典は『ホツマツタヱ』であり、その意味は関東一円の地方を指し、広義には日本全体を指すのだという。ホツマとは秀真と記し優れていて美しい様を言うが、それを伝えるという意味で『ホツマツタヱ』となる。

『ホツマツタヱ』は全編五七調の歌で記してある古文書だが、実際には『ヲシデ』と呼ばれる独特の古代文字で書かれている。更に著者と記述された年代も明確であるとされている。
著者は三輪臣大値根子命(みわのとねおおたたねこのみこと)で、景行五十六年に編纂し献上したものだとされる。日本書記の年代記を基準にして、大まかにみて紀元前七世紀に書かれたものだとされている。
大別してアの巻、ワの巻、ヤの巻に分かれている。大値根子命は祖先であるクシミカタマノ命によって書かれたアの巻とワの巻に加え、自らヤの巻を著して合わせて献上したらしい。

『ホツマツタヱ』によれば『アワの歌』は伊弉諾・伊弉冉の二神が乱れた国を立て直す際に、まずは言葉の乱れを正そうと考案され、これを国中の民に教えて回られた。
上の句二十四文字を伊弉諾命が、下の句二十四文字を伊弉冉命が歌われ、これにより言葉の乱れも正された。
元々は面足尊(おもだるのみこと)の治世の時、後を継ぐ嫡男が居らず、政事(秀真の道)の力が衰えて国の規範が乱れた。その事態に葦原近江の国を治めるようにと指名されて、ヲシデの卜と矛を賜って伊弉諾・伊弉冉の二神が政事(まつりごと)を司るために赴かれたという。政事とは政治ではなく、宮中を中心にした祭政のことである。

私は3Kの仕事をしている。製品試験などでは1回5分×10回の研削などもあり、体調の悪い時や疲れている時などは非常に辛い。重いグラインダーで5分間連続して鉄を削ることを10回繰り返して、製品や試作品の性能試験をする。
辛い時は『アワの歌』を口ずさみながら行う。するとスーッと楽になり、時間も短く感じられるのが不思議である。これに神社や滝での出来事を考えると、『アワの歌』に宿る言霊の力が現れているのかも知れない。


『アワの歌』
アカハナマ  イキヒニミウク
フヌムエケ  ヘネメオコノホ
モトロソヨ  ヲテレセヱツル
スユンチリ  シイタラサワヤ

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# by levin-ae-111 | 2015-11-21 14:13 | Comments(0)

それにしても(;゚Д゚)

 私は会社でキツイ・汚い・危険という3Kの仕事をしています。本来は品質管理なのですが、小さな会社ではそんな事も言って居られず、人手が足りない部署に応援に出ています。
会社の方もどうにか人手不足を補おうと、人材派遣を依頼しています。

しかし来る人、来る人、次々と一日か二日でギブアップし、終業の時に元気よく帰って行ったと思ったら翌日から出社せず結局は辞めてしまいます。
そして今週三人目の派遣の人が来ました。若くて体格も良く力も有りそうです。
しかし初日から遅刻、二日目も朝礼に間に合わず、注意をされて三日目にようやく朝礼に間に合う始末です。

どうやら始業10分前程度には出社するとか、朝礼に出るとか、そういう常識的なことが眼中に無いようです。ズボンの履き方はイワユル『腰パン』で、顏を観ても顎髭を薄らと生やして如何にも現代風の若者です。
だらしないのはさて置いて、仕事振りが良ければ文句はないのですが、これがどうにも老人の様に動きが遅いのです。三日間ほど勤務しましたが、何ら変わりませんでした。

作業そのものは簡単なもので、ゴムシートを裁断機で裁断するだけです。教えられた通りにしない(できない?)し、何度も教えても変わらないので、私も同僚たちも諦めました。
そして今日は「渋滞で遅刻します」と連絡があったらしい。工場長は少し小言を言って、もう来なくて良いと伝えたそうです。
後で聞いたところ若いと思っていましたが、その人は30歳だったそうです。「えっ、30!!」他人事ながら30にも成ってあの様子では、今後の人生が危ぶまれます。

優秀な人は我が社の様な3Kの仕事には来ないのでしょうが、それにしても彼らの様な若者がゴロゴロ居るかも知れないと思うと、日本の将来も明るくないですね。
そうかと思えば高校生でも真剣に考えて、政府に物言う若者も居る、人それぞれですが・・・・。
自分の若い頃を振り返ると、まあ派遣の若者と似た様なものだったかも知れません。今だから言える事だろうと思います。ただやる気の無い態度だけは覚えはありません。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-13 19:32 | Comments(0)

私の神様考-6-

 神=祖霊と簡単に書いたが、無論、それ以外にも神様領域に存在する者たちがいる。また人間界と神界の中間にも無数の領域が存在しているに違いない。
どの世界に属するかは、その意識(魂)の段階に因るのだろうし、電磁波の周波数と同様にそれこそ無数の段階が在るだろうと想像している。

 さて本当のところ、この宇宙で真実『神』と呼べるのは、一つの存在しかないと考えている。それは、この宇宙を創造し維持している意識のことだ。
如何に進化した祖霊=神様といっても、この宇宙から生まれ進化発展した魂だ。この神々たちも宇宙意識から産み出され、その子供であることは私たちと何ら変わらない。
要するに宇宙人や異次元人も私たちと同様であり、この宇宙創造の意識の内から一歩も逸脱するものではない。

つまり私の現在までの神とは?という愚考の結論がこれだ。この宇宙に存在する全てを包括し、それを支え維持している存在が、唯一の『神』であるという結論だ。
ある意味では全ての存在に神が宿るとする日本人の感覚は、非常に優れていたといえる。
というのも宇宙創造の意識の作用は、無論のこと地球にも及んでいるからだ。言い換えれば、全ての存在が宇宙意識の表現であり、そこには宇宙意識の想念が宿っている。

人間に限らず動植物や無機物にさえも、宇宙意識が宿っており、それ故にその物が存在するのだと私は考える。あらゆる物理的作用も反応も、その意識が存在するからある一定の規則性をもって存在し得る。
この世界の物質も、宇宙意識が「各在れ」と念じたので、そう成っている。全てが同様であると私は考えている。
この様に観ていくと、やはり宇宙意識こそがこの宇宙では唯一絶対の『神』と考えざるを得なくなる。しかし私たちの大元であるその宇宙意識も、より大きな何者かに包み込まれている存在かも知れないなどと、人間の分際で思いを巡らすこの頃である。
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終わり
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# by levin-ae-111 | 2015-11-08 00:29 | Comments(2)

私の神様考-5-

 前回に神とは古代の祖霊であると書いた。そうであれば遺伝的な繋がりの有る人間も居ることだろう。しかし、そればかりが重要なのではない。
肉体的な繋がり以上に精神的な繋がりが重要であると私は考える。古い時代から脈々と受け継がれている神事や祭は、そういう精神的な繋がりを人々が重視した証であろう。
祖霊は見えない、語り合えないからこそ、祭は大切な祖先との接点として維持されて来たのだと思う。今日イベント化している祭だが、それでも底流には先述した精神が流れていると信じたい。

敢えて言えば、祖霊にとって本当はその様な行事や祭は必要が無いものだと思っている。それは人間側が認識を新たにする機会なのであり、人間のためのそれなのだ。
あらゆる伝統的な神事の形式や作法も、本来は神にとっては必要が無いことかも知れない。
それらは人間が居住まいを正し、身を清くすることで心を改めて引き締め、神である祖霊と触れ合うために必要なだけである。要するに、そうする事で波動を少しでも高くして、神と接する可能性を上げるためなのだろう。

しかし今や神と呼ばれる高い領域に存在する祖霊たちも、相変わらず努力を続けてより高い領域を目指す意識(魂)である。神様が常に我々を見守り、必要とあらばその御手を差し伸べて下さるのも神様ご自身の修業の一環なのであろう。
上の者が下の者の面倒を見る、それは人と人間に分かれても相変わらず人類の普遍的な愛の要素として存在するのだろう。
無論、二元性の支配する陰陽の宇宙である限り、その逆も存在すると考えねば成らない。
上の者が下の者を搾取する、そういう世界である。

よくよく観察すれば、この人間社会にはその両方が現に存在している。私は足りない頭で麗らかな晩秋の日中に自分の愚説を書き連ねているが、他方に目を向ければ病人、怪我人、虐め、戦乱などなど、この瞬間にも苦しんでいる人々がいる。
この世界では悪の方が善よりも力を持っている様に感じる。それは神となった祖霊が助けてくれないからだろうか?神様は修業をサボっているからか?否、決してその様なことはない。祖霊たちは努力を重ねている。
ただ私たちが自力で出来る限界まで頑張らないと、神は力を貸してくれない。また、私たち主体のこの世では、神の出来ることも限られている。
精々が分かる者に伝えて、その人間に行動して貰って事態を打開する、存在する領域が違い過ぎるので、そういう事に成るのだと思う。

反対に悪しき人間が力を持っている様に見えるのは、精神的に堕落するのは簡単で、そういう領域の存在(悪神)と人間が波動的に同調し易いからだろう。
この人間世界の波動が低く荒いために、そういう領域の神霊たちが力を発揮し易いのだ。
ある意味で悪人たちは、神の後押しを善人よりも得ているといえるのかも知れない。但しその対価は必ず要求され、この世を去れば地獄が待っている。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-07 01:07 | Comments(0)

私の神様考-4-

 予想どおり、無知な私の思考はドンドンと迷路に迷い込み、簡単に済ませる積りが長くなってしまいそうだ。昨今では人間は宇宙人によって創られ、現在も彼らの支配下に有るという主張をする人々が存在する。
その宇宙人たちの支配下で、人間は家畜同様の扱いであるというのだ。その説にも様々あり、直接に人肉を喰らう連中であるとか、人間の怒りや恐怖など負の感情エネルギーを摂取する連中も存在するという。その為に戦争や紛争、災害などを絶えず引き起こしているのだという。この許し難い連中が神と名乗り、人類を支配しているらしい。

また選民意識から神との約束を成就する為に奔走する人間たちもいて、自分たちだけの千年王国を夢見て暗躍しているらしい。
その人々は感情の乏しい所謂サイコパスで、他者の状況を考慮しない。それだから戦争や災害を起こし、多くの人々を塗炭の苦しみに陥れることに少しも躊躇しない。
アセンションで考えられていた『空中携挙』の説の中には、自分たちと遺伝的に関係の有る人間だけを各々の宇宙種族が拾い上げるなどという説も聞いたことがある。
こういう連中が神と名乗っているのであれば、有史以来の残虐な『神』の所業も理解できるというものだ。

但しこいつらは本物の神ではない。神の名を語る罪人である。
とは言っても神にも善神と悪神が存在し、どちらも甲乙つけ難い力と知恵を持っている様である。我々に対して悪行を成す宇宙人や異次元人が『悪神』であるならば、宇宙発展のために我々に目覚めの手を差し伸べてくれる宇宙人や異次元人は『善神』であろう。
だが何れにしても陰陽という宇宙の二元論的構図から抜け出せず、各々の役割を演じさせられているに過ぎない気がする。

善悪といった処で、誰かにとっての善は誰かにとっての悪かも知れず、何れも相対的なものなのだ。そういう葛藤は私たち一人一人の中にも存在することは、否定できないだろう。
お宮に行けば『神』は不在で、留守宅に『魔』が入り込んでいたりするとも聞く。各も複雑怪奇な世の中で、神は本当に存在するのか?神とは何か、私たちの求める善き神様は何処にいらっしゃるのだろう。

などと言いながら、私自身は神々の存在を信じている。それは霊的に高い領域に存在する人々とでも言うべきだろう。私たち現世の人間とは比較にも成らない見識とパワー、慈しむ心を持った雲の上の存在である。その多くは古代の祖霊である。
その人々は長い年月を繰り返し生きて(輪廻転生)、苦しみ、悲しみ、喜びなどあらゆる事柄を体験して学び、それらの全てを精神的に昇華させたのであろう。
その祖霊たちは振動数が高く(いわゆる波動という)、私たちは低い。そのために、繋がることは困難だ。祖霊たちは人間ではなく『人』であり、私たちは人に成る前の存在、即ち人間であると私は考えている。
つまり神に成る過程の修行者が人間であり、故に人生を精一杯に生きることが求められているのだと愚考している。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-06 05:15 | Comments(0)

私の神様考-3-

 私たち日本人は外国の人々に比べて信仰心が薄い印象があるが、果してそうなのだろうか?自分は無神論者で特に信仰している宗派は無いという人でも、初詣に出掛けるだろうし、仏式の葬儀に参列し、キリスト教やケルトの行事も楽しむであろう。
私たち日本人は『多神教』の民族だから、どの宗教の神様を拝むのも自由と言ってしまえばそれまでだが、ではその『多神教』のルーツは何処に在るのだろう。

日本人の信仰の原点は何れにあるのかと考えるとき、本居宣長が述べている様に「世のつねならず、すぐれたる徳のありてかしこきもの」という表現が適切だろう。
「すぐれたるもの」は物事の程度の激しいことを、「徳」とは働きを指しているという。つまり神とは善悪の枠を超え、人知の及ばない力を発揮するもの、偉大で恐ろしい反面、豊穣な実りをもたらしてくれるもの、即ち大自然である。

古代人はその様な自然の中に人知の及ばぬ神秘の力を見出し、それを恐れつつも祭りあげる事により恩恵を与えてくれる自然の優しい面にも目を向けたのであろう。それが今風にはアミニズムというべき信仰のはしりであり、多神教の始まりであろう。
学者の中には日本の信仰の原点を縄文時代に求めている人もいる。それを知るために、アイヌの信仰を調査したのは久保田展弘氏であるという。

アイヌの人々にとって日常と非日常の境目は薄く、常に神と共にあって神は人と同様に喜び、悲しみ、怒る存在であった。『霊』はこの世とあの世を往復し、誰にも『憑神』(つきがみ)が寄り添っていた。神=カムイは太陽、月、星、海、山、川、樹木、動物などあらゆるものに宿ると信じられていた。(関裕二著・神社が語る古代12氏族の正体より)
このアイヌの人々の信仰は現在に続く神道にも多くの影響を与えており、知らぬ間に私たち現代人の意識の底に沁み込んでいる。
長年使った物を捨てる時、無意識に「ありがとう」と礼を言ったり、針供養をはじめとする物に対する供養は単に感謝の表れではない。全てに神が宿るという、古代から日本人の無意識の底に張り付いた信仰心の現れである、と私は思う。

 現代でも耳にする『守護霊』や『背後霊』といった心霊用語は、誰にでも憑神が居るというアイヌ的な信仰に一致する。また憑神はあの世とこの世を何度も往復するという考えなどは、私が子供の頃に聞かされた「両肩に仏様がいて、悪事や良い事をした時に報告にあの世へ飛んで行く」などの素朴な云い伝えもアイヌの信仰による影響かも知れない。
私たち日本人は空に海に山に、野生動物や植物に更には日常生活に使用する道具にも神あるいは霊が宿ると信じる、実は誠に信仰心に溢れる民族なのである。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-05 05:26 | Comments(0)

私の神様考-2-

 スピリチュアルな世界では、神々がチャネリングやお筆先、異言など様々な形式で人間に意志を伝えてくれる。岡本天明氏に掛かった神は国之常立之神で、そのお筆先からは後に『日月神事』と呼ばれる膨大な予言と人間に対する忠告が紡ぎ出された。大本教の開祖、出口ナオ氏もお筆先により神事を伝えた。『日月神事』の他には『火水伝文』(ひみつつたえふみ)などがある。何れも神が一人の人間に掛かって(憑依して)書かせたものだという。俄かには信じ難いが、その内容は改心しなければ今に酷い災いが人類を襲うというものらしい。

どうも人間社会のモラルが崩壊すると神々はこれを破滅させてしまう、そういう風な考えが私たちの潜在意識の根底に刷り込まれている様だ。古代ソドムとゴモラの街は繁栄を誇ったが退廃し、遂には神の怒りに触れて焼き尽くされてしまった。
天空の神に近づこうとして人間が築いたバベルの塔は、神の怒りに触れて傾き、それまで一つだった言語が別けられて人間たちは意志の疎通が出来なくされたと伝わる。
今また『日月神事』の神は『世の建て替え直し』を宣言し、改心しなければ天地をひっくり返し人間はおろか生き物を一掃する様な事が記してあるらしい。
「らしい」というのはこれを読んだことがないからであるが、私が知る限り神とは如何にも身勝手な存在である。

古来『神』とは儘ならぬ者、身勝手で恐ろしい存在という意味であったという。故に古代では神々の怒りを鎮め、許しを請う為に人間は人身御供を捧げたのである。
これは人知の及ばぬ自然現象に対する畏怖なのだろうか?それともデニケンが主張する様に、近代のコンタクティーたちや神秘家がいう様に、異星人や異次元人たち人間的な存在の横暴振りを表しているのか?
どちらにしても神がこの宇宙を創造したのであれば(少なくともとも地球を)人間の退廃も傲慢や我儘も、それがもたらした結果も全ての責任は神々に帰するべきである、と私は思う。
陰謀論者たちが主張する様に陰で蠢く連中が圧倒的多数の大衆を苦しめているとしたら、それすらも神々の責任である。何故に悪を野放しにしているのか。神とは何なのか、ますます分らなくなる。
それでもこれらの神の所業は、人間心が反映された神の極ごく一部分に過ぎないのではないかと思えて仕方がない。
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# by levin-ae-111 | 2015-11-04 05:25 | Comments(0)