身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

班の忘年会

 昨年は初めての事で、少しハメを外してしまいズッコケましたが、今年は冷静に(笑)
昨年とは違い積雪もなく(昨年は30㎝くらいあった)楽でした。
向かいや隣の方を誘って、一緒に会場へ徒歩で向かいます。出席者は昨年より少なく、少し寂しい感じでした。

最年長は91歳のHさん。公園の管理をされていて、手入れが素晴らしいとのことで、何やら秋篠宮さまから表彰状を頂いたようです。
そして市内の高校に通う女の子は、フェンシングの国体選手で、何と優勝しました。そして勿論、全日本の強化メンバーに。目標は無論、オリンピックです。

二十数軒しかない小さな班から、二人も素晴らしい業績を残した人が出る何て、本当に凄いと思います。私も頑張らなければと思いました。
でっ、私は頑張ってハメを外さず、最後に残ったメンバーと会場の片付けをして、無事に帰宅しました。それにしても、一年は早いですねぇ。
a0160407_18344211.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-12-07 18:34 | Comments(0)

楽しい夢

 疲れていたので、昨夜はいつもより早めに就寝しました。すると、面白い夢を観ました。
何処かの街の郊外で、小高い丘に民家が立ち並んでいます。細い道を隔てた向かい側には半地下?らしい大きな建物があります。多分、体育館か何かのスポーツ施設だと思いました。
 私が居るのは民家のひとつで、幾部屋かありますが余り広くはありませんでした。しかし内装はオール木製で、床も壁もとても良い感じです。部屋を観て回りながら「これが1200万か・・・頑張れは買えそうだな」などと考えている自分がいました。

場面は変わって、その家の近くの作業場に居ます。職人さんたちが手際よく大きな草刈り鎌を造っています。鎌の形の金属を一人が台に置くと、もう一人が大きな鋏でパッ、パッと切れこみを入れたり、返しを造ったりしています。
作業所の外では三人の男女が何か話しをしています。そこへ行くと一人の女性が青年に向かって、貴方と○○ちゃんはいい感じだと思うなどと言っています。
照れている青年を肩でつつきながら、微笑んでいる、ただそれだけの夢でした。
しかし目覚めた後でも、何故だかとても幸せな気分でした。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-12-02 19:20 | Comments(0)

冬の幻想

 11月末の寒空とはいえ、今日は久しぶりに晴れ間があった。それで交換したタイヤの感触を試す意図もあり、近所の公園まで出かけてみた。
夏タイヤからスタッドレスに交換した時、私は必ず近所を試走することにしている。ブレーキやハンドリングの違いに慣れるためだ。

公園に着くと先客がいた。その人は白い帽子を被って、紺色のスゥエットに白のスニーカーを履いて、公園の奥にしつらえてあるベンチに座っていた。
駐車場には車が無かったので、きっと歩いて来たのだろう。

私は老人から少し離れた道を通り、その奥へと向かった。暫くすると『おわら節』が聞こえて来た。その哀調を帯びた地元の民謡は、先ほどの老人が唄っているのだ。
稽古をしているのか、何度も同じフレーズを繰り返していた。
「揺れる吊り橋、手に手を取って、渡る井田川おわら風の盆」と唄う歌詞は、おわら節の中でも私の好きな部分だ。

耳に残る老人が唄うおわら節を背にして、私は公園を出る為に愛車へと向かった。紅葉は既に遅く、あらかたの木々は葉を落す寸前だが、寒椿は今が盛りと咲いている。
椿を撮影しようとカメラを取り出した時、私は異変に気が付いた。駐車場からは老人が座っていた場所が見通せるのだが、ベンチに人影は見えない。
周囲を見回してみたが、誰も居ない。僅かに聞こえていた唄も、もう聞こえて来ない。
「幻か!!否、どこかへ移動されたのだろう」自分にそう言い聞かせて、その場を去ったが、まあそんな事もあるだろう。
a0160407_15371928.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-29 15:37 | Comments(0)

神様って凄い( ゚Д゚)

 ブロ友のM子さんから坐間神社のお札が届いたのは、先月の中ごろでした。
お札を送って下さったのは、神様から送るように言われたとのことでした。お札が着く前に私は部屋の一角に手作りの神棚を作りました。
神具セットを購入し準備を整えてお札を迎え入れ、庭の榊を切って来てお供えしました。

2~3日くらいで花瓶の水を取り替えていますが、不思議にも未だに榊は青々としています。
11月にはいってからは、ストーブも焚いていますから、部屋はそこそこ暖かいです。
無論、榊の生命力の強さも有りますが、これが神札の力なのかは分かりませんが、神様って凄いと素直に思っています(^^♪
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-29 10:58 | Comments(0)

ホツマツタヱとアワの歌

 神とは何かなどと言いながら、神事には全く無知だった自分が、唯一興味を持ち実践してみたのが最古の祝詞といわれている『アワの歌』だった。
興味を持ったきっかけは、ブロ友さんの記事だった。貼り付けてあった動画を観て、良い感じがしたので、どうにか覚えてみようと思った。
しかし、48音からなるこの歌は文字の並びに馴染みがなく、覚えるのに苦労した。

 そして覚えたての歌を地元の神社で歌ってみた。最初に歌った時、不思議な事に誰も聞いていないのにドキドキした。つっかえながら何とか3度歌うと、二羽の蝶が絡み合う様に舞いながら現れ、大きな鳥が神社の森の上を鳴きながら円を描いて何度も飛んだ。
歌った途端にこれだから、何かあると感じた。
それから地元の山村にあるお不動様を祭った滝では、アワの歌を歌った後に撮影した写真は無数の薄紫色の球体で埋め尽くされていた。また突然にシャッターが切れなくなり、四苦八苦して、どうにかシャッターが切れた。その時に写った写真は、その場には無かった光が写り込んでいた。歌う以前には何事もなかったのに、不思議だった。

そこでもっと『アワの歌』を知りたくなり、ネットで調べた。どうやら歌い方に特に制約はないらしく、どの動画を観ても節はバラバラだった。という事は、どう歌おうが自由なのだと解釈した。
それに、そもそも既知の祝詞の中で日本最古といわれているらしいが、出典は何?などと疑問も噴出して来た。
調べると出典は『ホツマツタヱ』であり、その意味は関東一円の地方を指し、広義には日本全体を指すのだという。ホツマとは秀真と記し優れていて美しい様を言うが、それを伝えるという意味で『ホツマツタヱ』となる。

『ホツマツタヱ』は全編五七調の歌で記してある古文書だが、実際には『ヲシデ』と呼ばれる独特の古代文字で書かれている。更に著者と記述された年代も明確であるとされている。
著者は三輪臣大値根子命(みわのとねおおたたねこのみこと)で、景行五十六年に編纂し献上したものだとされる。日本書記の年代記を基準にして、大まかにみて紀元前七世紀に書かれたものだとされている。
大別してアの巻、ワの巻、ヤの巻に分かれている。大値根子命は祖先であるクシミカタマノ命によって書かれたアの巻とワの巻に加え、自らヤの巻を著して合わせて献上したらしい。

『ホツマツタヱ』によれば『アワの歌』は伊弉諾・伊弉冉の二神が乱れた国を立て直す際に、まずは言葉の乱れを正そうと考案され、これを国中の民に教えて回られた。
上の句二十四文字を伊弉諾命が、下の句二十四文字を伊弉冉命が歌われ、これにより言葉の乱れも正された。
元々は面足尊(おもだるのみこと)の治世の時、後を継ぐ嫡男が居らず、政事(秀真の道)の力が衰えて国の規範が乱れた。その事態に葦原近江の国を治めるようにと指名されて、ヲシデの卜と矛を賜って伊弉諾・伊弉冉の二神が政事(まつりごと)を司るために赴かれたという。政事とは政治ではなく、宮中を中心にした祭政のことである。

私は3Kの仕事をしている。製品試験などでは1回5分×10回の研削などもあり、体調の悪い時や疲れている時などは非常に辛い。重いグラインダーで5分間連続して鉄を削ることを10回繰り返して、製品や試作品の性能試験をする。
辛い時は『アワの歌』を口ずさみながら行う。するとスーッと楽になり、時間も短く感じられるのが不思議である。これに神社や滝での出来事を考えると、『アワの歌』に宿る言霊の力が現れているのかも知れない。


『アワの歌』
アカハナマ  イキヒニミウク
フヌムエケ  ヘネメオコノホ
モトロソヨ  ヲテレセヱツル
スユンチリ  シイタラサワヤ

a0160407_1413897.jpg

a0160407_14133029.gif

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-21 14:13 | Comments(0)

それにしても(;゚Д゚)

 私は会社でキツイ・汚い・危険という3Kの仕事をしています。本来は品質管理なのですが、小さな会社ではそんな事も言って居られず、人手が足りない部署に応援に出ています。
会社の方もどうにか人手不足を補おうと、人材派遣を依頼しています。

しかし来る人、来る人、次々と一日か二日でギブアップし、終業の時に元気よく帰って行ったと思ったら翌日から出社せず結局は辞めてしまいます。
そして今週三人目の派遣の人が来ました。若くて体格も良く力も有りそうです。
しかし初日から遅刻、二日目も朝礼に間に合わず、注意をされて三日目にようやく朝礼に間に合う始末です。

どうやら始業10分前程度には出社するとか、朝礼に出るとか、そういう常識的なことが眼中に無いようです。ズボンの履き方はイワユル『腰パン』で、顏を観ても顎髭を薄らと生やして如何にも現代風の若者です。
だらしないのはさて置いて、仕事振りが良ければ文句はないのですが、これがどうにも老人の様に動きが遅いのです。三日間ほど勤務しましたが、何ら変わりませんでした。

作業そのものは簡単なもので、ゴムシートを裁断機で裁断するだけです。教えられた通りにしない(できない?)し、何度も教えても変わらないので、私も同僚たちも諦めました。
そして今日は「渋滞で遅刻します」と連絡があったらしい。工場長は少し小言を言って、もう来なくて良いと伝えたそうです。
後で聞いたところ若いと思っていましたが、その人は30歳だったそうです。「えっ、30!!」他人事ながら30にも成ってあの様子では、今後の人生が危ぶまれます。

優秀な人は我が社の様な3Kの仕事には来ないのでしょうが、それにしても彼らの様な若者がゴロゴロ居るかも知れないと思うと、日本の将来も明るくないですね。
そうかと思えば高校生でも真剣に考えて、政府に物言う若者も居る、人それぞれですが・・・・。
自分の若い頃を振り返ると、まあ派遣の若者と似た様なものだったかも知れません。今だから言える事だろうと思います。ただやる気の無い態度だけは覚えはありません。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-13 19:32 | Comments(0)

私の神様考-6-

 神=祖霊と簡単に書いたが、無論、それ以外にも神様領域に存在する者たちがいる。また人間界と神界の中間にも無数の領域が存在しているに違いない。
どの世界に属するかは、その意識(魂)の段階に因るのだろうし、電磁波の周波数と同様にそれこそ無数の段階が在るだろうと想像している。

 さて本当のところ、この宇宙で真実『神』と呼べるのは、一つの存在しかないと考えている。それは、この宇宙を創造し維持している意識のことだ。
如何に進化した祖霊=神様といっても、この宇宙から生まれ進化発展した魂だ。この神々たちも宇宙意識から産み出され、その子供であることは私たちと何ら変わらない。
要するに宇宙人や異次元人も私たちと同様であり、この宇宙創造の意識の内から一歩も逸脱するものではない。

つまり私の現在までの神とは?という愚考の結論がこれだ。この宇宙に存在する全てを包括し、それを支え維持している存在が、唯一の『神』であるという結論だ。
ある意味では全ての存在に神が宿るとする日本人の感覚は、非常に優れていたといえる。
というのも宇宙創造の意識の作用は、無論のこと地球にも及んでいるからだ。言い換えれば、全ての存在が宇宙意識の表現であり、そこには宇宙意識の想念が宿っている。

人間に限らず動植物や無機物にさえも、宇宙意識が宿っており、それ故にその物が存在するのだと私は考える。あらゆる物理的作用も反応も、その意識が存在するからある一定の規則性をもって存在し得る。
この世界の物質も、宇宙意識が「各在れ」と念じたので、そう成っている。全てが同様であると私は考えている。
この様に観ていくと、やはり宇宙意識こそがこの宇宙では唯一絶対の『神』と考えざるを得なくなる。しかし私たちの大元であるその宇宙意識も、より大きな何者かに包み込まれている存在かも知れないなどと、人間の分際で思いを巡らすこの頃である。
a0160407_0284692.jpg

終わり
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-08 00:29 | Comments(2)

私の神様考-5-

 前回に神とは古代の祖霊であると書いた。そうであれば遺伝的な繋がりの有る人間も居ることだろう。しかし、そればかりが重要なのではない。
肉体的な繋がり以上に精神的な繋がりが重要であると私は考える。古い時代から脈々と受け継がれている神事や祭は、そういう精神的な繋がりを人々が重視した証であろう。
祖霊は見えない、語り合えないからこそ、祭は大切な祖先との接点として維持されて来たのだと思う。今日イベント化している祭だが、それでも底流には先述した精神が流れていると信じたい。

敢えて言えば、祖霊にとって本当はその様な行事や祭は必要が無いものだと思っている。それは人間側が認識を新たにする機会なのであり、人間のためのそれなのだ。
あらゆる伝統的な神事の形式や作法も、本来は神にとっては必要が無いことかも知れない。
それらは人間が居住まいを正し、身を清くすることで心を改めて引き締め、神である祖霊と触れ合うために必要なだけである。要するに、そうする事で波動を少しでも高くして、神と接する可能性を上げるためなのだろう。

しかし今や神と呼ばれる高い領域に存在する祖霊たちも、相変わらず努力を続けてより高い領域を目指す意識(魂)である。神様が常に我々を見守り、必要とあらばその御手を差し伸べて下さるのも神様ご自身の修業の一環なのであろう。
上の者が下の者の面倒を見る、それは人と人間に分かれても相変わらず人類の普遍的な愛の要素として存在するのだろう。
無論、二元性の支配する陰陽の宇宙である限り、その逆も存在すると考えねば成らない。
上の者が下の者を搾取する、そういう世界である。

よくよく観察すれば、この人間社会にはその両方が現に存在している。私は足りない頭で麗らかな晩秋の日中に自分の愚説を書き連ねているが、他方に目を向ければ病人、怪我人、虐め、戦乱などなど、この瞬間にも苦しんでいる人々がいる。
この世界では悪の方が善よりも力を持っている様に感じる。それは神となった祖霊が助けてくれないからだろうか?神様は修業をサボっているからか?否、決してその様なことはない。祖霊たちは努力を重ねている。
ただ私たちが自力で出来る限界まで頑張らないと、神は力を貸してくれない。また、私たち主体のこの世では、神の出来ることも限られている。
精々が分かる者に伝えて、その人間に行動して貰って事態を打開する、存在する領域が違い過ぎるので、そういう事に成るのだと思う。

反対に悪しき人間が力を持っている様に見えるのは、精神的に堕落するのは簡単で、そういう領域の存在(悪神)と人間が波動的に同調し易いからだろう。
この人間世界の波動が低く荒いために、そういう領域の神霊たちが力を発揮し易いのだ。
ある意味で悪人たちは、神の後押しを善人よりも得ているといえるのかも知れない。但しその対価は必ず要求され、この世を去れば地獄が待っている。
a0160407_17254.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-07 01:07 | Comments(0)

私の神様考-4-

 予想どおり、無知な私の思考はドンドンと迷路に迷い込み、簡単に済ませる積りが長くなってしまいそうだ。昨今では人間は宇宙人によって創られ、現在も彼らの支配下に有るという主張をする人々が存在する。
その宇宙人たちの支配下で、人間は家畜同様の扱いであるというのだ。その説にも様々あり、直接に人肉を喰らう連中であるとか、人間の怒りや恐怖など負の感情エネルギーを摂取する連中も存在するという。その為に戦争や紛争、災害などを絶えず引き起こしているのだという。この許し難い連中が神と名乗り、人類を支配しているらしい。

また選民意識から神との約束を成就する為に奔走する人間たちもいて、自分たちだけの千年王国を夢見て暗躍しているらしい。
その人々は感情の乏しい所謂サイコパスで、他者の状況を考慮しない。それだから戦争や災害を起こし、多くの人々を塗炭の苦しみに陥れることに少しも躊躇しない。
アセンションで考えられていた『空中携挙』の説の中には、自分たちと遺伝的に関係の有る人間だけを各々の宇宙種族が拾い上げるなどという説も聞いたことがある。
こういう連中が神と名乗っているのであれば、有史以来の残虐な『神』の所業も理解できるというものだ。

但しこいつらは本物の神ではない。神の名を語る罪人である。
とは言っても神にも善神と悪神が存在し、どちらも甲乙つけ難い力と知恵を持っている様である。我々に対して悪行を成す宇宙人や異次元人が『悪神』であるならば、宇宙発展のために我々に目覚めの手を差し伸べてくれる宇宙人や異次元人は『善神』であろう。
だが何れにしても陰陽という宇宙の二元論的構図から抜け出せず、各々の役割を演じさせられているに過ぎない気がする。

善悪といった処で、誰かにとっての善は誰かにとっての悪かも知れず、何れも相対的なものなのだ。そういう葛藤は私たち一人一人の中にも存在することは、否定できないだろう。
お宮に行けば『神』は不在で、留守宅に『魔』が入り込んでいたりするとも聞く。各も複雑怪奇な世の中で、神は本当に存在するのか?神とは何か、私たちの求める善き神様は何処にいらっしゃるのだろう。

などと言いながら、私自身は神々の存在を信じている。それは霊的に高い領域に存在する人々とでも言うべきだろう。私たち現世の人間とは比較にも成らない見識とパワー、慈しむ心を持った雲の上の存在である。その多くは古代の祖霊である。
その人々は長い年月を繰り返し生きて(輪廻転生)、苦しみ、悲しみ、喜びなどあらゆる事柄を体験して学び、それらの全てを精神的に昇華させたのであろう。
その祖霊たちは振動数が高く(いわゆる波動という)、私たちは低い。そのために、繋がることは困難だ。祖霊たちは人間ではなく『人』であり、私たちは人に成る前の存在、即ち人間であると私は考えている。
つまり神に成る過程の修行者が人間であり、故に人生を精一杯に生きることが求められているのだと愚考している。
a0160407_515958.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-06 05:15 | Comments(0)

私の神様考-3-

 私たち日本人は外国の人々に比べて信仰心が薄い印象があるが、果してそうなのだろうか?自分は無神論者で特に信仰している宗派は無いという人でも、初詣に出掛けるだろうし、仏式の葬儀に参列し、キリスト教やケルトの行事も楽しむであろう。
私たち日本人は『多神教』の民族だから、どの宗教の神様を拝むのも自由と言ってしまえばそれまでだが、ではその『多神教』のルーツは何処に在るのだろう。

日本人の信仰の原点は何れにあるのかと考えるとき、本居宣長が述べている様に「世のつねならず、すぐれたる徳のありてかしこきもの」という表現が適切だろう。
「すぐれたるもの」は物事の程度の激しいことを、「徳」とは働きを指しているという。つまり神とは善悪の枠を超え、人知の及ばない力を発揮するもの、偉大で恐ろしい反面、豊穣な実りをもたらしてくれるもの、即ち大自然である。

古代人はその様な自然の中に人知の及ばぬ神秘の力を見出し、それを恐れつつも祭りあげる事により恩恵を与えてくれる自然の優しい面にも目を向けたのであろう。それが今風にはアミニズムというべき信仰のはしりであり、多神教の始まりであろう。
学者の中には日本の信仰の原点を縄文時代に求めている人もいる。それを知るために、アイヌの信仰を調査したのは久保田展弘氏であるという。

アイヌの人々にとって日常と非日常の境目は薄く、常に神と共にあって神は人と同様に喜び、悲しみ、怒る存在であった。『霊』はこの世とあの世を往復し、誰にも『憑神』(つきがみ)が寄り添っていた。神=カムイは太陽、月、星、海、山、川、樹木、動物などあらゆるものに宿ると信じられていた。(関裕二著・神社が語る古代12氏族の正体より)
このアイヌの人々の信仰は現在に続く神道にも多くの影響を与えており、知らぬ間に私たち現代人の意識の底に沁み込んでいる。
長年使った物を捨てる時、無意識に「ありがとう」と礼を言ったり、針供養をはじめとする物に対する供養は単に感謝の表れではない。全てに神が宿るという、古代から日本人の無意識の底に張り付いた信仰心の現れである、と私は思う。

 現代でも耳にする『守護霊』や『背後霊』といった心霊用語は、誰にでも憑神が居るというアイヌ的な信仰に一致する。また憑神はあの世とこの世を何度も往復するという考えなどは、私が子供の頃に聞かされた「両肩に仏様がいて、悪事や良い事をした時に報告にあの世へ飛んで行く」などの素朴な云い伝えもアイヌの信仰による影響かも知れない。
私たち日本人は空に海に山に、野生動物や植物に更には日常生活に使用する道具にも神あるいは霊が宿ると信じる、実は誠に信仰心に溢れる民族なのである。
a0160407_5261681.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-05 05:26 | Comments(0)

私の神様考-2-

 スピリチュアルな世界では、神々がチャネリングやお筆先、異言など様々な形式で人間に意志を伝えてくれる。岡本天明氏に掛かった神は国之常立之神で、そのお筆先からは後に『日月神事』と呼ばれる膨大な予言と人間に対する忠告が紡ぎ出された。大本教の開祖、出口ナオ氏もお筆先により神事を伝えた。『日月神事』の他には『火水伝文』(ひみつつたえふみ)などがある。何れも神が一人の人間に掛かって(憑依して)書かせたものだという。俄かには信じ難いが、その内容は改心しなければ今に酷い災いが人類を襲うというものらしい。

どうも人間社会のモラルが崩壊すると神々はこれを破滅させてしまう、そういう風な考えが私たちの潜在意識の根底に刷り込まれている様だ。古代ソドムとゴモラの街は繁栄を誇ったが退廃し、遂には神の怒りに触れて焼き尽くされてしまった。
天空の神に近づこうとして人間が築いたバベルの塔は、神の怒りに触れて傾き、それまで一つだった言語が別けられて人間たちは意志の疎通が出来なくされたと伝わる。
今また『日月神事』の神は『世の建て替え直し』を宣言し、改心しなければ天地をひっくり返し人間はおろか生き物を一掃する様な事が記してあるらしい。
「らしい」というのはこれを読んだことがないからであるが、私が知る限り神とは如何にも身勝手な存在である。

古来『神』とは儘ならぬ者、身勝手で恐ろしい存在という意味であったという。故に古代では神々の怒りを鎮め、許しを請う為に人間は人身御供を捧げたのである。
これは人知の及ばぬ自然現象に対する畏怖なのだろうか?それともデニケンが主張する様に、近代のコンタクティーたちや神秘家がいう様に、異星人や異次元人たち人間的な存在の横暴振りを表しているのか?
どちらにしても神がこの宇宙を創造したのであれば(少なくともとも地球を)人間の退廃も傲慢や我儘も、それがもたらした結果も全ての責任は神々に帰するべきである、と私は思う。
陰謀論者たちが主張する様に陰で蠢く連中が圧倒的多数の大衆を苦しめているとしたら、それすらも神々の責任である。何故に悪を野放しにしているのか。神とは何なのか、ますます分らなくなる。
それでもこれらの神の所業は、人間心が反映された神の極ごく一部分に過ぎないのではないかと思えて仕方がない。
a0160407_5251538.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-04 05:25 | Comments(0)

私の神様考-1-

 暇に任せて今更のように、神様とはどんな存在だろうと考えた。
私たちは洋の東西を問わず、実に多くの神様を祭っている。この日本だけでも『八百万の神』(やおよろずのかみ)と称される程に多くの神様が祭られている。
『八百万の神』とは800万柱の神という意味ではない。余談だがブロ友Kさんのお師匠様A氏とお会いした時のこと。
「この地球に神様がたった800万しか居ないというのは変だろう。そんな少ない筈はない」といきなり言われた。その時は意味が解らず、ただ相槌を打っていたが後にその意味が解った。それは毎日の私の祈り方に対する指摘だったのだろう。
私は祈りの時に「宇宙の神々様、八百万の神々様・・・」という祈り方をしていた。無論のことそれは多くの神々様という意味で使っていたのだが、ご指摘を受けて改めた。

 さて私たちの世界ではキリスト教やユダヤ教、イスラム教の様な唯一絶対神を信仰する世界観と、日本の神道や仏教の様に多数の神仏を信仰対象とする世界観が存在する。
大まかにではあるが、前者は主に自然環境の厳しい地域で発生し、後者は自然の恩恵豊かな地域で発生したといえるかも知れない。
厳しい生活環境に身を置いて生きねば成らなかった人々には、自分たちを守ってくれる、或は生活の指針を明確に示してくれる絶対的な存在が必要だったのだろう。
対して東南アジアや日本の様な自然豊かな環境では、自然の恩恵に感謝しその中に神を見出すのは当然の成り行きだ。従って何事にも神秘の存在を感じ、多くの神々が生まれた。

一般的に認識されている神様は、人格を持った人格神である。これは唯一神を信仰する世界においても、多神教の世界においても同様である。
古代世界ではシャーマンを通して神々は人間と話しをする、様々な事柄について指示をしてくれるそんな存在であった。絶対的な力と知恵を持ちながら、時には怒り時には喜ぶそんな神々である。しかし、それは現象に対する人間心の投影であったのかも知れないと考える。
だが他方においては、真実その様な人間的な感情を持った神々が存在していた(している)可能性も十分に在るとも感じる。

『神様とは何か?』という疑問に対する考察は、果て無いカオスの迷路に迷い込む様なものだし、時として罰当たりな表現をするかも知れないが、頑張ってチャレンジしてみたい。
a0160407_1753864.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-11-03 17:05 | Comments(2)

本当の供養とは

 伯母の通夜と葬儀、火葬場まで行き骨を拾って骨壺に納めた。喪主を務めた従妹夫妻と久しぶりに話した。3時頃に帰宅したのだが、予想以上に疲れていた。
通夜、葬儀を通じてずっと気感が強く、通夜の夜は帰宅しても寝つきが悪かった。そして考えた、本当の供養とは何なのか?どういう事なのかについて。

 立派な葬儀や法要は、所詮は生きている者たちの為だ。つまり生きている者たちが、自らの気持ちを納得させる為に行う儀式だと私は思う。
人間にとって一番に辛い事とは何だろうか。それは忘れ去られる事、誰からも相手にされない事だろう。それは生きていても死んでいても、同じではないだろうか。

人間の魂、霊、意識、呼び方はこの祭どれでも良いが、人が死んでも何か残る物があるとすれば、引き続き生前の性質(無論、全てではないにしても)を有しているに違いない。
普通の人間は独りでは生きられない。どんな人でも何某か、他人との関わりの中で生きている。そうだとすれば、亡くなった人に時には想いを馳せるのが一番の供養ではないのか。
私は眠れぬ夜に、そう愚考した。既に彼岸の人と成った親しい人々の事を、時々は思い出してあげる事が、最も良い供養かも知れない。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-22 20:00 | Comments(0)

伯母が亡くなった

 肺癌だった。一年足らずの入院で、昨日の昼過ぎに帰らぬ人になった。
嫁いでも日常茶飯事の様に実家(山奥の祖母の家)へ帰ってきて、夏には日中から道に面した戸を開け放して下着姿でタバコを吹かし、ビールを飲んでいた。
いくら山奥の村といえ、その当時(50年前くらい)は人口もそこそこに有った。従って家の前を通る人も、当然いた。

祖母の遺族年金を当てにして、お金の無心をすることもしばしばで、時には伯母の亭主も一緒に祖母の家に寝泊りし、好き放題の我儘を繰り返していた。
彼女の亭主(義理の伯父)は隣町の住人だったが、碌に働きもせず親のスネをかじり続けていた様だ。そんな風だから旦那の両親が亡くなると、田畑を次々と売り払ってしまった。
そして私の祖母へのたかりも相変わらずだった。

しかし反面では伯母は腹黒くなく、どんな事でも思った事を口にする、そういう人だった。
いわゆる計算高い人ではなく、単に気ままで身勝手な人だったに過ぎない。
だが伯母もまた周囲の人間からたかられていた。そういう人の周囲には、そういう種類の人間が集まるからだ。しかも他人ではなく、身内ばかりだから質が悪い。我が家は成るだけ伯母とは接触しなかった。

祖母の葬儀の時、生前あれだけ世話になったにも関わらず、従妹の亭主が父に手伝い料をよこせと言って来た。更に祖母の夜伽をして、好きなだけ飲み食いをしていた。
そういう連中とは縁を切りたい、欲望むき出しの低能共とこの先は付き合う積りなど無い。
自業自得だが、そういう連中に囲まれて、伯母は楽しい人生だったのだろうか。自分なりの生死観は構築していたのだろうか?あの世で、先人が上手に導いてくれる事を願うばかりだ。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-19 20:33 | Comments(0)

坂の町アート3

 様々な作家さんと触れ合った坂の町アートも、昨日で終了しました。結局、連休中の全ての日に町中をウロウロしてしまいました。
本当は最終日に行く気は無かったのですが、展示されていた作品の中で気になって仕方がない物がありました。しかも、それが蛙、いや買えるのです。

その作品、何だか魚の様な、違う様な・・・正直わかりません。それなので作家さんに訊ねました。
私「これは何ですか?」
作「ギョーザをモチーフにしたもので、名前は餃子△○×です。一つなら350円で、二つだと600円です」
済みません、餃子しか記憶に残らず、忘れてしまいました(T_T)
兎に角、面白いのでこれにヤラレて、即購入しました。
皆さん、何に見えますか。私は餃子というより、変な魚にしか見えないのですが( *´艸`)
a0160407_19335067.jpg

a0160407_193434.jpg
a0160407_19341927.jpg
a0160407_1934376.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-13 19:34 | Comments(2)

漸く落ち着いたみたい

 会う度に気感を求めて私に手かざしを要求していた友人、どうやら何か心境が変わったらしい。自分には気感を感じられない、無理だと思った様だ。
不思議な現象を求め、自分に課せられた使命を知りたくて焦っていた。それをどうやら諦めたらしい。
その発端が、ハリー山科氏の動画らしい。ハリー氏は有名なコンタクティー、アダムスキーの説く宇宙哲学を講演している。それを観て何やら感じ入るところがあったらしい。
その様な事は、私も以前から話しているのだが、やはり有名人のいう事の方が入り易いみたいだ。まあ何れにしろ、落ち着いてくれたので良かったと思う。

私にすれば気感など今の処は有っても役立てる術はないし、強く感じる時には不快でさえある。それに私が現在の状況に至るまでには、十年以上もの地道な瞑想の積み重ねが有る。
それは楽しみながらも自分の身に起こる不可解な現象との闘いでもあった。意に反して勝手に動く手、常に頭をグリグリと押されている様な感覚、髪の毛がザワザワ動く感覚、汗が肌を伝う様な何とも言えない不快さ、背骨を伝う熱感などだ。

師匠の居ない私にとって、これらの現象は酷く不安だった。本などで調べながら、たたじっと耐え忍ぶしか術がなかった。そういう中で自然に私の考え方も固まって来た。
それが驚くことに、多くのスピ系の人々の説と多くの点で一致していた。だがしかし、それは大した事ではない、真剣に求めれば誰しもが辿り着く結論だと思うからだ。
ただ言いたい事は、一朝一夕に得られるものではないという事だ。何でもインスタントでお手軽な時代だが、精神的な側面ばかりは簡単には得られない。
友人も漸く(ようやく)それを肌身に感じて理解したようだ(´・ω・`)
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-12 09:51 | Comments(0)

坂の町アート2

 昨日に引き続き『第20回坂の町アート』を観に、友人と町をうろついて来ました。
チョークアートの女性たち、そして書の先生とお話しして来ました。
チョークアートはプロの方、そして趣味のアマチュアの方の共同出展でした。上手なので美大出かと思いましたが、皆さん違うということでした。
マリリンモンローやヘプバーンは、製作に3日くらい掛かったとのこと。チョークといっても普通の物ではなく、油入りのものらしいです。キャンバスは勿論、黒板です。
チョークは油性で、しかも出来上がった後からクリアをスプレーするので簡単には消えないとのことですが、後から修整はほぼ不可能なのだそうです。
若くて綺麗な女性たち、頑張っていました(^^)/

書の先生はお爺さんでした。何が書いてあるのか分かりませんが、覗くと快く説明をして下さいました。大きな作品に目を向けると、「これは木簡書体といってワシが創ったと」と先生。
確かに変わった書体でしたが、話しをよくよく聞くと、どうやら遺跡から出土した木簡に記してあった文字からヒントを得ているらしいです。日展の常連で、テレビにも数多く出演されたとか。
その先生、話し始めたら止まらず(ご老人とは、そんなもの)と諦めて、他の見学者の人たちが来たので、上手くバトンタッチして逃げました(笑)

その次は切り絵作家の方のギャラリーへ入りました。細かく切り込んだ作品は、葉の葉脈までも表現されていました。大作の前で、作家さんが自ら説明して下さいました。
直線は定規で切るが、フリーハンドより難しいとか、背景はマーブル手法を用いたり、紙をクシャクシャに丸めて、絵具を沁み込ませたり、雑巾を置いてみたりとか手法についても説明して下さいました。
また画家の方には、カモシカばかり描いている人も。その理由を尋ねると、亡くなったお父様がカモシカ顏だったからとか。
それにしても芸術家とは、辛抱強い人種なのだなぁと思います。三六版のベニヤ板サイズから、ハガキサイズまで、どれも手を抜く事なく、細部まで丁寧に仕上げてありました。
どの方の作品も本当に「凄いですねぇ~」の一言に尽きます。
a0160407_16272199.jpg


a0160407_1627422.jpg
a0160407_16282395.jpg
a0160407_16283912.jpg
a0160407_16293100.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-11 16:29 | Comments(0)
 今年も『坂の町アート』の季節がやって来ました。我が町の古い町並み全体をギャラリーにして開催されるこの催しは、今回で20回を数えます。
街中全体に展開される芸術の祭典は、日頃は気にも止めない地元の町並に目を向けさせてくれます。

各所で様々な展示がされています。書、陶芸、彫刻、絵画、切り絵、人形(和・洋)抽象画や抽象造形作品に加えて、今年はチャリティーを含めたコンサートも実施されます。
 様々な作家さんたちと挨拶を交わしながら、各会場の民家を駆け足で巡って来ました。
この『坂の町アート』の特筆すべき点は、芸術作品に限らず古い町並みを堪能できるということです。その古い町並とマッチする様に建てられている銀行や公民館など、どれも一見の価値があります。

そしてアートを展示しない家々でも、その玄関先に花を活け来場者への精一杯の歓迎をしてくれています。民家の玄関もまた、アート展の作品として機能しているのです。
今日は、民家の玄関先のアートを集めてみました。

a0160407_1156332.jpg



a0160407_11563986.jpg
a0160407_1157239.jpg
a0160407_11572212.jpg
a0160407_1157367.jpg
a0160407_11574977.jpg
a0160407_1158315.jpg
a0160407_11582194.jpg
a0160407_1158372.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-10 11:58 | Comments(0)
 昨夜の就寝時のことだった。
何時もより気の感覚が強く、そっと身体を撫でられている感覚がした。それも布団の上から撫でられている感じだった。
昨夜は寒かったが、足も暖かくなり私はウトウトし始めた。

その時、撫でられている感覚から、指圧をされている様に強い力で身体のツボを押されるのを感じた。実際には身体の方向は変わらないのだが、簡単にひっくり返されて様々な場所を指圧される。
「うわっ、痛ててっ・・・」経絡を押されて、思わず痛みで目が覚めた。それからも、足裏や膝裏など様々な箇所を強く押された。

以前も一度だけ同じ経験がある。その時は冗談で「お代は?」と思った途端にマッサージが止まった。「しまった!」私は深く後悔した。
それで今回は「有難うございます」と念じた。マッサージは暫く続き、私は気持ち良く眠りに落ちた。

何処の何方かは知らないが、マッサージの効果は抜群で、今朝は爽やかに目覚めた。
それから、ここ数日不調だったお腹の具合が好転していた。
姿の見えないマッサージ師さんに、心から感謝したい。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-06 20:05 | Comments(0)

壮絶な神々の夫婦喧嘩

 越中富山に伝わる伝説に、神様夫妻の壮絶な喧嘩がある。伝説自体は極めてローカルな一地方の神の争いだが、仲裁に乗り出したのが有名な大国主だとあるから面白い。
時代としては3世紀半ばごろとされるこの伝説は、今に至るも変わらない人間心理を伝えている。

越中の国は船倉山(富山市)に住んでいた船倉姫と、能都国は石動山(いするぎやま)に住んでいた石動彦(いするぎひこ)は夫婦だった。それが夫の石動彦が能登の杣木山(そまきやま)に住む能登姫と道ならぬ恋に落ちた。
石動彦と能登姫は妻である姉倉姫の目を盗んで密会していたが、とうとう二人の不倫が姉倉姫に知れてしまった。

怒りに燃える姉倉姫は石動彦と能登姫に船倉山の石を投げつける。それに加勢したのはやはり越中の布倉山に住む布倉姫で、彼女は布倉山の鉄を投げた。
石動彦と能登姫もこれに反撃し、夫婦喧嘩は能登対越中の闘いにまで拡大する。激化する闘いに待ったを掛けたのが、氏神として祭られていた大国主だった。

大国主は最終的に武力に物を言わせて、両方を平定してしまうのだが、大国主が遠くからわざわざ喧嘩の仲裁に出向いて来たとは考え難い。
つまり大国主は北陸の愛人に会いに来たついでに、夫婦喧嘩を仲裁したかも知れないというのだ。
大国主には高志(こし)の国にヌナカワ姫という愛人がいた。この姫の名前は玉を産する川の意味で、玉とは翡翠のことであるとされ、現在の新潟県は姫川にちなんだ名で、糸魚川市付近と思われる。
大国主自身、スセリ姫という嫉妬深い妻のある身で、愛人を囲っていたのだから石動彦を攻める資格はない。(笑)

この夫婦喧嘩にカモフラージュされた伝説は、何某かの政治的意図に基づく大国主の北陸侵攻の物語であるかも知れない。越中と能登での争いに付け込んで、周辺諸国と出雲とが共同した軍事行動があったのか?
因みに布倉山とはピラミッドと言われている『尖山』のことで、富山県立山町に存在するこの山の周辺には不思議な云い伝えも存在する。この山の周辺は現在でもUFOが目撃される。

写真は尖山
a0160407_2141612.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-10-03 21:04 | Comments(2)

不気味な現象

 会社の後輩が日曜日に体験したことです。家の家電製品が、相次いで異常な事になったらしいのです。
テレビは勝手にON・OFFになるし、パソコンやスマホの起動も異常に時間が掛かるし、お風呂用のポータブルTVも映らなくなった。兎に角、電波に関係する家電が全て変になった、というのです。

それで後輩が「先輩の回りの人達は、地震とかについて何か言っていませんか?」と訊ねてきたのです。それで私は、近くに何か強烈な電磁波を出す施設か、違法な出力の電波を出す
車でも居たのではないかと答えておきました。
その前に「俺の薦める壺を買えば、大丈夫だ。少し高いがなぁ・・」とか、冗談を言って二人で笑ました。

話しは違いますが、月曜日に我が家では玄関の引き戸がガタガタと鳴ったのです。弟が玄関に出てみましたが、誰も居なかったと言うのです。
その夜、私の部屋の襖が、風も無いのにガタガタと揺れました。しかも二度も・・・。
まあ、時々ある事なので気にもしませんでしたが、何か空気の流れの具合でその様な現象が起こっているのでしょう。
チョット不思議な現象のお話しでした( *´艸`)
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-30 19:25 | Comments(0)

懐かしい車の話し

 昼休みの時、同僚たちと車の話しになった。免許を取得して30年以上も経ったが、私は初心者の頃に大変な車に乗っていた。
サニーエクセレント・クーペというのがそれだが、排気量は1200CC、ツィンキャブレターで車重は700キロくらいだったと記憶している。

 私が乗った頃は既に古い車で、排ガス規制など無縁の時代の代物だった。アクセルを踏み込むと力強く吹き上がり、レスポンスはとても良かった。現在の愛車の様に上り坂でトルク不足を感じる事もなかったが、燃費は決して良くなかった。
だが時代もありガソリンは1リッター数十円で、燃費など気にもしなかった。

 キャブレターは調整しても直ぐに狂い、夏にはアイドリング回転数が異常に高くなり、冬には低くなった。ボンネットを開けると、広いエンジンルームの真ん中に小さなエンジンが
チョコンと据えてある。自動車に無知な私でも、どの部品が何か簡単に分かった。
そして大きなラジエーターが、ドンとフロント部分を占めているのだ。

夏はクーラーもなく、窓は常に全開で走った。冬はもっと大変だった。アクセルを放すとストンとエンジンが停止してしまう。信号待ちの時は、クラッチを切りアクセルを踏む。
停止する時はもっと大変で、クラッチを切り、ブレーキとアクセルを同時に踏み、停止する寸前にサイドブレーキを引いて止まっていた。

一度など高速ならばエンジンも止まらないだろうと思い、速度を上げて走行したらエンジン温度がグングンと下がる。オーバーヒートならぬオーバークールは、初めての経験だった。
事故もこの車で初体験したし、最初の交通違反もこの車だった。
ブレーキの効きが悪く、手放してから何度もブレーキが効かず焦る夢をみたものだ。

*私の愛車はメタリックブルーでした。
a0160407_2214552.jpg

a0160407_22141473.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-28 22:14 | Comments(0)
 スマホが壊れた(;゚Д゚)
落してもいないし、濡らしてもいないのに、=So○t○○○と表示したまま起動画面に成らなくなった。
朝まで普通に仕えたのに、ポケットに入れて出掛けて帰ってきたら、こんな状態。
これで4度目くらいだが、ON・OFFを繰り返せば起動していたのに、今回は駄目(>_<)

買った店へ行ったが、代替え機が無いので云々かんぬん。データが消えても修理をと言っても、有償になるかも知れないからと・・・。
でっ、結局は他の店へ行ってくれって、ふざけているのか?応対したのは、日本人ではなかった。それでも近くの店の一覧をくれた。
代替え機が有るかどうか、確認してくれないか?と言うと、系列が違うので無理だという。

結局は埒が明かず、怒りを抑えながら近くの店へ向かう。最初の店では60分待ちの表示が受付機にあり、取り敢えず受付をすると、直ぐに対応してくれた。
「良かった、日本人だ・・・」と、一安心の私。
対応してくれた女性は、症状を告げると「はい、はい」と意味ありげな表情。彼女が言うには店のデモ機でも同様の症状があったとのこと。

女性はテキパキと対応してくれ、「保険にも入っているし、デモ機の修理も無償だったのでこれも恐らくは大丈夫です」と告げ、一連の手続きをしてくれました。
私は代替え機を受け取り、店を後にした。
しかし同じ看板を掲げていても、こうも応対に差があるとは驚きだが、もう二度と買った店には行かないぞ、と思った。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-23 14:07 | Comments(0)

神々の系譜

 暇を持て余している私は、何気なしにネットの動画をハシゴしていた。その中で面白い説を発表している人の動画をみつけた。はやし浩司という人の動画である。
何本もありどれも非常にインパクトのあるタイトルなのだが、話しは全地球的規模になる。
地球人と神々(宇宙人)の関係について、豊富な写真を使って、或は現地調査をして、様々に語っている。

はやし氏の主張は、①神々は宇宙人。②人類はその奴隷であり家畜であった。③神と神との闘いが有った。④地球の支配者は人間ではなく宇宙人。
まあ簡単に言えば、こんな感じの内容であったが、動画の中に頻繁に出て来る古代遺跡が直線で繋がる、或はそれを結んだ直線が何度で交わり、その交点が云々という部分は私がボーッとしているからか、いま一つ意味が分からない。

人類を創ったのは爬虫類人類で、彼らは日本でいえば縄文時代あたりまで、奴隷として人類
を使役し、一方で家畜として食用にもしていたという。
氏はそれが世界的に広がる大蛇信仰と、残酷な生贄の儀式に見られると説く。現代に残る古代文明の遺跡には、必ず大蛇(龍やドラゴンも含む)信仰の痕跡が存在し、異様な面体の人物のレリーフと共に残酷な生贄の様子が描かれているという。
a0160407_2017418.jpg



爬虫類人類と思われる像や土偶は、日本でも出土しており、その顔立ちから受ける印象は世界的に共通だ。対して爬虫類人類に対抗する宇宙人も地球に来ており、ガルーダ信仰やゾロアスター教とその流れの中に見出せるという。
ガルーダ信仰の名残は日本では仏像の『迦楼羅像』として残されていて、ゾロアスター教系の流れはヤマタノオロチ退治のスサノオの物語に残っていると述べている。

ヤマタノオロチを見事に退治したスサノオは、その尾から出た剣を姉であるアマテラスに差し出す。この神話は日本に居た爬虫類人を、アフラマヅダ系のスサノオとアマテラスが駆逐したという事だろうか。はやし氏はこの神話の姉弟をギリシャのアルテミスとアポロンになぞらえている。
何れにしろ、はやし氏の動画はとても数が多くて、視聴し切れないが仮説としては面白いと思う。
a0160407_20172428.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-22 20:17 | Comments(0)

昨夜のこと


 私のブログが暫く更新されていない事を心配したブロ友さんから、メールが来ました。
「何かあったのかと思って・・・」と言うので、単にネタが無いから書けなかったのだと答えました。
折角のシルバーウィークだというのに、何処へも出かけずゴロゴロしていては、ネタの探しようもありません。

 それから様々な事を話しましたが、神棚の話しが出て、無知な私は色々と彼に質問をしました。榊の花瓶は?お神酒の容器は?何をお供えするのか?などなど、本当に初歩的な質問ばかりです。ブロ友さんは、一つ一つに丁寧に答えてくれました。
そこで、一念発起して今日は、神棚を造ることにしました。

言われた通りDIYの店に行くと、必要なお供え物の容器がひと揃えセットで売っていました。神棚も思った以上に安価で驚きました。
ヒノキの板が良いと言われたのですが、サイズが無くて迷った末に断念し、桐の板とネジ釘や金具などと、神具セットを購入して帰宅しました。

私の部屋ではなげしを頼りにするしかなく、取り敢えず板の角を切り落とし、なげしに固定するしか出来ません。他にやり方も有るでしょうが、取り敢えず棚作りは20分ほどで終了しました。それにしても、こんな部屋に神様が来て戴けるものでしょうか。
狭くて物も多く、散らかっています。無論、神様はとうにお見通しだとは思いますが(笑)
a0160407_13582977.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-22 13:58 | Comments(0)

お風呂で妄想( *´艸`)

 そろそろ暖かい湯船が嬉しい季節に成ってきましたね。会社から帰ってすぐさま湯船に顎まで浸かり、リラックスして目を閉じると不思議な光景が見えることがあります。
今日もそんな感じで何やらモヤモヤが見えます。思い切って大好きな神様たちのご様子を覗いてみようと試みました(でも絶対無理と思っていました)。

まずはオオヤマヅミ様・・・見えないというか、何のイメージも来ない(当たり前か・・・)。
しかし続けて国之常立の神様・・・えっ、何か見えて来ました。土間に作られたかまどに蒔きをくべている女性のイメージです。髪の毛を束ねて背中に垂らし、火吹き竹を手にした着物姿の女性でした。どうやら食事の支度をされている様でした。

次に手力雄様・・・火の前に座り、湯呑で何かをグイッと飲んでいる男性のイメージでした。
お茶?そんな訳ないよね。酒に決まっています(笑)
アメノウズメ様・・・何やらヒラヒラした衣服を身にまとい、舞を踊っている女性の姿がイメージできました。場所は舞台ではないし、衣装も華やかではないので舞踊のお稽古をされている最中の様でした。

最後はアマテラス様です。
んっ、何やら祈りの最中の様です。衣装はとても質素で、慎ましい感じでした。
まあ、こんな感じで自分勝手なイメージ映像が浮かんで来るのですが、人間に神様のご様子が見える訳などありませんから、本当に妄想ですね。しかも罰当たりです、大好きな神様たち、ごめんなさいm(__)m
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-15 19:37 | Comments(0)

ラッキー(≧▽≦)

 毎年恒例の工業会主催のゴルフコンペの話しが、今年も来ました。私自身は若い頃に一生懸命にゴルフをしていましたが、もう止めて20年近くになります。
それが、このコンペの為に年に一度だけゴルフをする羽目に成っていました。ゴルフ自体は今でも楽しいのですが、仲間内でなく他所の会社の重役さんばかりのコンペでは、楽しくありません。

 今年もそろそろか、と思っていたら金曜日に参加申し込みの書類が来て、上司の命令で強制的に参加です。HP(ハンデキャップ)は勿論、最大の36で記入します。
ところが今日の帰り際、上司が呼び止めて「参加は取りやめにしたから」と言います。
理由は、その日が出勤日だったからです。皆が仕事をしている時に、如何に会社同士のご近所付き合いといっても、ゴルフは不味いというのです。

まあ、当然ですね(*’▽’)
それにしてもISO審査といい、今回のコンペといい、私にとって不要の物は不動のスケジュールに思えても次々と廃除されていきます。
昨年とは何かが違っています。神様のお計らいかもと思います。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-14 21:23 | Comments(2)
 小さい猫は食が細く、食べるのが下手で固形フードを満足に食べられません。一口か二口食べて止め、暫くしてからまた食事のお供をねだられます。
満足に食べられないので、自然と回数が増えるのだと思います。子猫の時から虚弱体質で、柔らかいものばかりを食べさせていました。

その結果、口を大きく開けて餌を頬張ることが下手な猫になってしまいました。舌で舐めとるだけで口に出来る餌しか与えて来なかった結果です。
それでも頑張って固形の餌を食べられるようになったのですが、歳をとり牙も抜けてしまいました。

最近は餌の回数も多く成り、本当に間なしにお供の催促がありますので、思い切ってペースト状の餌を買ってきました。
好き嫌いがありますから、どうかな?と思ったのですが夢中で食べてくれました。本ニャンも久々に満足したのか、今は眠っています。
a0160407_1123243.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-13 11:23 | Comments(0)

眠い・・・(*_*;

 昨夜は疲れていたので早めに就寝しました。でっ、今朝はスッキリ爽やかに目覚めるはずでした。ところが、家のニャンズがそうはさせてくれませんでした。
雨降りの中、出歩いて戻って来た猫は、ギャーギャーと鳴いて、帰ったぞと叫びます。

ウトウトしていた私は、それで起こされました。母が起きて猫を拭いていました。
床に戻って、再びウトウト。すると、身体を拭いてもらった猫が私の部屋の前で、再び雄叫びを上げて、起こされました。

一難去ってみたびウトウトする頃に、今度は別の猫が戸を肉球で擦り、私を呼びます。
肉球で戸を撫でるだけですが、これが静まり返った部屋ではザーッ、ザーッとよく響きます。
この猫は食事の時に誰かが傍に居ないと、食べません。この時は食事をしたかった様です。
食事のお供を終えて、床に就きましたが、ここから眠れず(T_T)
午前中は大丈夫でしたが、昼食の後は眠くて眠くて、生あくびばかりでした。
a0160407_1992674.jpg

親子ではありません。兄弟です。
a0160407_1910043.jpg

もう一匹は女の子。
a0160407_19103727.jpg

小さい子のアップ。
a0160407_19111592.jpg

大きい子のアップ。
[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-09 20:27 | Comments(0)

スッキリ(≧▽≦)

 少し前からお神酒を持って地元の氏神様へ行きたい、という欲求がありました。日頃は参拝の人も居ない小さな部落のお社ですが、お参りしたくて行くと何故かいつも人がいます。
どうも人が居ると苦手なので、そそくさと退散する事3回くらい。

今日は雨で流石に誰もいないだろうと思い、スーパーでワンカップを購入し、氏神様へレッツゴー!!
しかし神社の駐車場には車が!!勇気を出して、境内へ行ってみました。ヤッター、誰も居ません。早速にお酒の蓋を開け、賽銭箱の縁に載せてお参りしました。
このお社は通勤の途中の一旦停止の場所から、裏が見えます。毎朝この時にご挨拶しています。それだけに日頃からお世話に成っている感じが強く、一度はお神酒をお供えしたかったのです。

雨の降る中ではありましたが、スッキリしました。不思議なのは「満足だ、満足した」と口に出して言っていたことです。「満足、満足」と言いながら、お下げしたお神酒は『酒飲み石』に注ぎました。
すると、小さなアマガエルが突然に現れて、石の頂上へとノソノソと歩いて行きます。
最近はカエルに縁がある。川倉不動滝でも、カエルが現れてこちらを見ていました。
「これも、神様?」とか思いながら、写真をパチリ。
一つの想いが遂げられて、雨降りではありますが、良い日曜日になりました。
a0160407_13394191.jpg

a0160407_1340685.jpg
a0160407_1340313.jpg

[PR]
# by levin-ae-111 | 2015-09-06 13:40 | Comments(0)