身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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手許に興味深いタイトルの本がある。タイトルはズバリ「海を越えた縄文人」だ。
テレビ東京の開局記念番組を書籍化したものだが、内容は学生時代に教えられた縄文時代と縄文人のイメージを覆すものだった。
 まだ読了していないので、何とも言いかねるが非常に好奇心をそそられる内容だ。
縄文時代は約4000年前くらいの時代で、人々は稲作を知らず狩猟採集を糧として生活していたと考えられていた。ところが最近の年代測定の技術的進歩で、次々と定説が覆されている。まず縄文土器の年代だが、驚くべき事に16500年前のものが発見されたというのだ。またポリネシアやミクロネシアで発見された土器片の成分分析を試みた結果、日本の遺跡から出土した土器と同じだとの結論が出たらしい。

その他にも縄文時代の天文観測所らしき遺跡や、スートーンサークル、炭化した米も発見されている。稲作は縄文の晩期から弥生時代にかけて始まったとされていたが、その遥か以前の6000年前の土器に付着しているものが発見されている。
ミクロネシアやポリネシア、メラネシアと日本から離れるにつれて、出土する土器の年代が新しくなっているそうで、仮説によれば縄文人ははるか南米にまで航海の足を伸ばしていたのではないか?としている。

ミクロネシアやメラネシアの島には、日本語と発音も意味も似た言葉が幾つもあるらしいし、祖先は日本から来たと考えている人々もいるらしい。
縄文人は世界の最先端を行っていた人々らしく、16500年もの以前から土器を使用し食べ物を調理していた。この本に依ればヨーロッパに土器が登場したのは7000年前程度だという。その先進性には、驚くばかりだ。

そして謎の海洋民族「ラピタ人」。ニューカレドニアから出土した芸術性に富んだ、皿や壷などの様々な土器は地名にちなんで「ラピタ土器」と命名されている。
このラピタ人は周囲何千キロの範囲の島々に生活圏を広げていた。
日本では縄文晩期にあたるが、その頃は既に漆なども彩色に使用されていたようであり、洗練された芸術性の高い土器も縄文とラピタとの共通する特徴だとしている。ラピタ人は
血統的に縄文人と現地人の混血により、誕生した種族ではないかと予測されている。

縄文人の船といえば、丸太をくり貫いた丸木船を創造してしまうが、どうもオールだけでなく帆を使用した帆走も出来たのではないかと予想されている。彼らは天体観測をしながら海流を読み、大海原へ漕ぎ出していたのではないか。
遺跡からはマグロなど外洋魚の骨も多く出土しているから、航海術は一定のレベルまで発達していたものと予測できる。
現に結構な荷物が積載加納と思われる船が、造船所と考えられる遺跡から出土しているともこの本に記してある。

何故に縄文人は危険を犯してまで外洋へと漕ぎ出したのか?主な理由は気候の寒冷化と考えられている。土器の年代が日本から遠くへ離れるほど新しくなるのは、外から日本へ来たのではなく、日本から外へ拡がって行った証拠ではなかろうか。

まだ途中なのでこの程度しか紹介できないが、この本を読み進むにつれて某古文書の事が頭を過ぎる。
その古文書とは「竹内文書」であり、その内容はかって日本は世界の中心であり、天皇はその子等を世界の5大陸へ「ミット尊」(王)として送り出していた。
その王たちは黄人、赤人、青人、白人、黒人の祖先となった。
そして5色人は日本へ参集し、天皇は天の浮き船に乗り世界を巡幸した、とある。

縄文人は外洋へ帆船で漕ぎ出し、ミクロネシア、ポリネシア、メラネシア、更には南米大陸にまで到達していたとしたら、正に「竹内文書」の世界観そのままではないのか!!
その縄文時代の遥かな記憶が竹内文書を書かせたのか?
興味は尽きないが時間が無いので、読書も儘ならない。出来るだけ早くこれを読了して、また日記に書きたいと思う。


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# by levin-ae-111 | 2010-01-27 05:46 | Comments(0)

米騒動「越中女の底力」

 大正7年8月に米価の異常な高騰に業を煮やした主婦を中心とした富山の民衆が、歴史に残る騒動を起した。俗に言う「米騒動」である。
当時の日本は第一次世界大戦の連合国側として参戦しており、戦時下で貿易額も減少していたが戦争が激化し長引くうちに状況は一変する。

参戦といっても国土にダメージの無い日本は、兵站(軍需物資の補給)の拠点として急激に輸出を増やしていった。空前の戦争景気で「戦争成金」や「船成金」と呼ばれる人々が誕生し、日本は負債国から債権国へと短期間の内に経済的な転換を果たした。
しかし、その一方で庶民は著しい物価の高騰に苦しむこととなる。

全ての物価が上昇する中でも主食たる「米」の値段は、2年で2倍以上にも高騰する。原因は需要を見越した商人たちの買占めで、それにつれて味噌、醤油、塩、砂糖、種油などの生活必需品も短期間に著しく高騰したのである。
米騒動の震源地である現在の富山県滑川市(なめりかわ)から魚津市にかけての富山県東部では、漁民が多く季節柄、不漁が続く夏でもあり生活苦に拍車を掛ける状況であった。

大正7年の資料では米一升が24銭5里であったものが、年末には43銭にも値上がりしている。当時、漁民の一日の収入は約50銭で、家族の人数が平均5.7人となっているからとても生活できるレベルの収入ではない。漁師は一日で1升程度の米が必要な重労働で、これでは自分の分しか賄えない。無論、主婦たちも内職に精を出した。
米の積み出しの手伝いや各種工場で働いたりして家計を支えていた。米の積み出しでは60Kgもの米俵を担ぐのだが、そんな辛い仕事にも女性たちは進んで就労していたのだ。その重労働も完全歩合制で、一つ運んでも1銭1理しか貰えず、せいぜい20銭程度の収入にしかならなかった。
子供たちも働き、薬の紙包みや袋張りなどの仕事で家計を助けていた。

米価が2倍以上に高騰し、働いても賃金は上がらず人々の生活はいよいよ苦境の色を増し生存を賭けた女たちの抵抗が始まった。最初は5、6名で手分けして米問屋や米穀商へ涙ながらに懇願して回るという穏やかなものだった。その趣旨は米が移出されるから品薄となり、米価が高騰するのであるから米の移出を中止して、以前のように米を廉価で販売して欲しいと言うものだった。
しかし商人たちの反応は冷たく、横柄で馬鹿にした態度で相手にもしなかった。

女性たちは示し合わせて大人数で嘆願を繰り返すが、商人の態度は相変らずで女性たちの憤慨は増すばかりだった。米の移出は相変らず続き、騒ぎは頻発するようになる。
警察は警戒を強め監視を常時付ける、行政は輸入米を調達しチラシを出して安く売るなどの手立てを講ずるが焼け石に水であった。一度は輸入出来た米も、需要の拡大で富山の注文分は届かない。人々の生活はより困窮し、生きる為により過激行動に出るようになる。

最初は100名程度だったが、遂には2000名にも群集は膨れ上がった。これは漁民の主婦だけでなく他の労働者もこれに加わり老若男女を問わず集りだした為だ。
公務員の一月の給与が20円前後で、米一升が43銭なら一般労働者の賃金(男性でも330日就業・1日10時間労働で1円前後の日給。女性はその半分)を考えても到底生活できるものではない。

人々の請願にも関わらず米移出の船が入港し、人々は遂に実力で阻止に出る。
艀(はしけ) の下に子供を抱いてもぐり艀を使用出来なくし、荷積みを待つ船を退去させたりした。それでも移出の船はやって来る、遂に人々の怒りは爆発してしまう。
この時点で騒ぎの主導は主婦から漁師、一般労働者へと移り参加者は更に拡大する。

警察は騒動の中心と目される人物を相次いで逮捕、拘束する。だが釈放を求める1000名以上もの群衆が警察署へ押しかけ、罵声と共に投石を繰り返し警官たちも手を付けられず傍観するしかなかった。

米問屋や米穀商へも民衆が押し寄せ、押しかけ、打ち壊しへと事態は深刻化する。
しかし騒ぎは次第に沈静化し、米の廉売も始まりこの地方での騒動はほぼ終わった。
だが、騒動は富山市、名古屋市、和歌山県、京都、大阪と飛び火し、急速に全国を席捲し史上かってない大騒動へと発展して行った。
「全国的に同じ状況だったから、自然にそうなったのだと思う」と老婆たちが語ったという。
この騒動は遂に当時の寺内内閣を崩壊させ、原政党内閣の誕生へと繋がっていった。
僅か数日のこの騒動だったが、日本の政治中枢にまで影響を及ぼしたのである。
十月に入り富山県最後の騒動が泊町と宮崎村(ヒスイ海岸として有名)発生した。
そしてこの騒動の最中には滑川普通選挙期制同盟会が発足し「物価の暴貴は生活不安を煽り、社会人心に一大動揺を来たす恐れあり、就中米価の暴騰は国民の心身を害するに甚だし(以下略)」との決議文を原敬総理や農商務省大臣その他へと打電している。
この滑川発の声明は、近代社会における最初の社会問題意識の発現であるだろう。

米騒動は生活苦に喘ぐ家庭の主婦層から発して、全国へと瞬く間に拡大し内閣交代という事態まで発展した。無論、彼女たちの望みはそんな事でなく米の廉価販売だったのであり生活の為に儘ならずとった行動であった。
だがここに大衆の大いなるパワーの存在を見出すことが出来る。パワーは本来的に大衆のものであり、それをいかに削ぐか為政者が常に苦心してきた部分でもある。
先人が苦労して勝ち得た選挙権や婦人参政権なのだが、為政者は更なるトリックで大衆のコントロールを試み続けている。
「大衆は生かさず、殺さず」が彼らの本心だろう。一人ひとりに余りに無力だと思い込ませる事もまた、コントロールの一環である。大正時代の米騒動は単に歴史上のトピックスに過ぎないのではなく、真実民衆の力が存在する事の証なのである。

【参考文献】
著者  :斉藤弥一郎  米騒動
発行者 :斉藤弥一郎遺著刊行会


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# by levin-ae-111 | 2010-01-26 05:43 | Comments(2)

 連日の残業で疲れていて、今日は目覚めたら9時を過ぎていた。ボンヤリとした頭で、フラフラと起き出し、窓から外を眺めると素晴らしい快晴だった。
それからmixiに日記をアップし、朝ごはん代わりに御餅を3個食べ、次の日記を書き始めた。
そこへ、会社の後輩からメールで「お風呂へ行きませんか?」の誘いが入った。
了解(^^>と返信して、また日記を書き続け、何とか完成させた。時計を見るともう約束の時間が迫っており、慌てて歯磨き&洗面(笑)&入浴セットを準備した。

外は晴天だが我が家の周囲の雪はうずたかく積まれ、道路も半分程度しか見えていない。
この状況で雪深い奥飛騨へ行くという後輩に少し驚いたが、そこは4WDなので大丈夫かと勝手に納得した。それで少し走ると何と、周囲の雪の状況が我が家の周辺とはまるで違い半分も残っていない。車が次第に山間部へと差し掛かっても、雪は少なくなる一方で安心すると同時に少しヘコンだ(家だけ雪が多い、どうして?)。

 この奥飛騨の温泉施設には昨年末に借りがある。二時間近くも掛けて到着したが、駐車場は満杯。苦労して駐車したが、余りの人の多さに入浴を諦めて別の施設へ変更した経験がある。今日はそのリベンジだと、後輩は息巻いている。
意外に快適なドライブで、現地到着。しかしそこは冬の山道のこと、予想よりもだいぶ時間を食ってしまっていた。

幸いにもそれほど込んではおらず、入浴料500円也を支払ってソソクサと風呂へ。
目的はそこの自慢の露天風呂、6個もの大きな池のような風呂が待っている。お湯はやや白濁していて仄かに硫黄の香りが立ちこめ、湯の華が湯中を漂っている本物の温泉だ。
僕らは最も温度の低い風呂へ浸かり手足を思い切り伸ばす。軽量の僕は身体が浮き、浅目のそこでは具合が悪く、次の風呂へ。そこは丁度良い深さで、腰を下すと肩まで浸かれる。お湯は先ほどより少し熱めで、じっくりと浸かる。

そこへ折り良く、天から白いものが舞い落ち始めた。気温は-3℃、顔に掛かる雪の冷たさと、お湯の心地よい温かさ。湯煙に雪が舞う、絶好の風情に大満足。
結局、僕らは一時間以上も温泉に浸かり、雪見の湯を満喫したのだった。
その後、少し湯あたり(笑) 自販機から500CCの紅茶を買い、一気飲みする。
自販機の飲み物は高いけど、入浴料が他より安いからまあ良いか!

岐阜県飛騨市 奥飛騨温泉郷 平湯の森 入浴料 大人1名 500円
宿泊施設もあり。

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# by levin-ae-111 | 2010-01-25 05:42 | Comments(0)

富山の奇祭

 富山の祭りといえば有名なものが幾つかある。五箇山(ごかやま)の「こきりこ祭り、」「麦や節」、富山市八尾(やつお)の「おわら風の盆」、高岡市の「御車山祭り」(みくるま)とそこそこな有名だ。
これらの祭りは自治体により積極的にピーアールされていて、観光客も大勢見物に来県するものだ。
 
一方で、富山市には「お鍬様」と呼ばれる奇祭が細々と一軒の農家だけに継承されている。この「おくわさま」は正確には祭りというよりも、家内行事と呼んだ方が良いかも知れない。その行事は田畑で使用した鍬を座敷に招き、座布団に座らせご膳を出してその家の当主がもてなすというもの。何でも390年も続いているとか。
日頃の鍬の労をねぎらい、お客様と話す様に話しかけながらお酌をしたり食べ物を勧めたりする。今年もその行事が執り行われ、その様子が地元の放送局の短い番組(5分程度)で放映されていた。

それで思ったのだが、そもそも「祭り」とは何だろうか。現代では有名なものは観光資源として、各地域の一大イベントと化している。徳島の阿波踊り、郡上八幡の「郡上おどり」高山市の曳山祭りと例を挙げれば枚挙に暇がない。

本来は神様をお祭りする、素朴な行事だったものが次第に華美となり現代の様に盛大なイベントへと進化したものなのだろう。
現代に限らず「神祭り」は古代の人々にとっても、大きなイベントであったであろう事は想像に難くない。日頃は生きる為の仕事に精を出すが、この日だけは日頃より豪華な食事を神様にお供えし、自分たちもその御相伴にあずかる。楽しみな心躍る行事であったろう。

幕府が政権を担った時代には政治を政(まつりごと)と呼称していた。その言葉の意味は古代から続くアミニズム信仰に、その源流を見出せるような気がする。
自然を支配する神の意思がシャーマンを通じて人々に伝えられ、それが国家の重要事の判断と結びついていた。政という言葉の響きには、古代の政祭一致の名残がある。

自然の全てに神の存在を感じ恐れ敬い、狩猟や農耕の結果を感謝し獲物や作物を神様に捧げたであろう古代の人々の、荒々しくも力強く躍動する生命力をそこに感じる。
いまさら「古代のアミニズムに返れ」などとは言わないが、自然の内に息づく大宇宙の意識を感じ取るように努めることは、現代だからこそ必要と思えてくる。それが人間に内在する本来の生命力を引き出してくれるだろうし、宇宙という巨大な真我へと導いてくれるに違いないと感ずるからだ。

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このブメグと内容はえ同じですが、ブログに未記載の日記もご覧になれます。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-24 07:58 | Comments(0)

私の遺言

 佐藤愛子さん著の「私の遺言」という本が、僕の本棚の中央にドンと構えている。
佐藤愛子さんの小説家としての作品を、実は知らないし読んだこともなく、読みたいとも考えていない。だが、彼女のエッセーは別だ。
一時期、とてもハマリ図書館や書店を漁り、探し歩いたものだった。
どこが面白いかって、その軽妙さ。少し皮肉混じりで、人情味に溢れたエッセーは秀逸だ。

「冬子の兵法・愛子の忍法」では、故上坂冬子さんとの書簡での丁々発しやりあう感じの意見の応酬がたまらない。
 さて、そんなエッセーの中でもこの「私の遺言」は特に興味を引くものだ。これまでの彼女の人生の内で、最も苦しかったに違いない「怨霊」との闘いが描いてある。

作品中には先祖からの因縁による霊障との闘いを、長年に渡って続けてきた経緯が悲壮感なく書かれている。それだけに肝の据わった姉さん気質の愛子さんの奮闘が、読者にはいっそう愛おしく感じられる。

彼女は詩人のサトウハチローさんの娘さん。別のエッセーでは、友人であった遠藤周作さんその他の霊とのほのぼのとしたエピーソードも紹介したりしておられる。一種の霊媒体質をお持ちの方のようだ。故に先祖の因縁は他の家族を飛び越えて、彼女の細い双肩にかかってきた。

かなり怪異な現象が頻発するのだが、しかし彼女の作品からは恐怖におののく姿がなぜか見えない。そこがドロドロと不気味な感じになり易い出来事を、サラッと粘着感なく読ませるのだろう。彼女の周囲には霊的能力者が何人か居て、何かと協力している。

問題の原因は江戸時代の松前藩(北海道)の藩士であった佐藤家の先祖まで遡り、当時のアイヌ人の恨みに因るものであった。問題の根は深く、古くからの和人とアイヌ人の確執にまで及んでいたのだった。

和算を知らないアイヌ人に、和人たちは随分とひどい事をしたものらしい。
居酒屋では小さな茶碗に一杯の酒に、鮭数匹もの代価を支払わせていた。それでも酒が欲しくて来店する。足許を見た和人たちは鮭の数を増やしていき、終いには店の前を素通りしただけで料金を請求する様になった。

その他にも不当な取引が相次ぎ、和人に対してアイヌ人が決起する。幾人かの酋長を先頭に反乱したアイヌたちだったが、またしてもだまし討ちで鎮圧されてしまう。松前藩は罪の無い女子供も容赦なく成敗したらしい。
佐藤さんはその怨念を一つ一つ治めていくのだが、その闘いは十数年にも及ぶものだった。
その実は壮絶な闘いを、時には他人事の様に書いている様は尊敬に値する。

 ところで、どうして人は価値観の違う相手と互いに認め合えないのだろう。和人とアイヌ人に限らず、世界中で同様の原因での紛争が今日まで絶えた例がない。
宗教の違い、生活習慣の違い、言語の違い様々なギャップが横たわっているのが現実だが、何故に相手を力でねじ伏せ、支配しようとするのか。

自分の国家や民族に誇りを持つのは重要で大切なことだが、それが相手を見下し蔑むように成ったら、もう誇りやプライドとは呼べない。単に肥大した国家や民族、個人のエゴが存在するのみである。そしてそのギャップを悪用して焚きつける勢力が存在する。

エゴと誇りやフライドは一見して似ている様に感じるが、真実は似て非なるものだ。誇りやプライドを傷つけられたから怒るのではなく、エゴが傷つくから或いは傷つけられる事を恐れるから怒るのである。そこから攻撃性や支配欲が生まれるのではないだろうか。

だが、真実の誇りとかプライドは自他ともに尊重し、認めるところからスタートする。
真実の誇りやプライドは何時から失われ、エゴが取って変わられたのだろう。
エゴが支配するこの世界に、いったい何時になったら誇りやプライドは戻って来るのだろうか。


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内容はこのブログと同じです。 
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# by levin-ae-111 | 2010-01-23 10:45 | Comments(0)
 戦局がジリ貧の最中、フィリピンに上陸を開始した連合軍に対し、水上艦艇での突撃を画策した日本だがこの時点で適との航空兵力の差が著しく、レイテ湾への突入は困難と考えられていた。
そこで少ない航空兵力をより有効に使い、水上艦艇の突入を援護するために考案されたのが爆弾を抱いて敵艦へ突入する航空特攻だった。
発案者は大西瀧治郎中将で、特攻の生みの親とされている。彼は敗戦後に自決している。

 最初に特攻出撃の指揮官として白羽の矢を立てられたのが、関行男大尉だった。
新婚ホヤホヤだった彼に何故、必死の作戦命令が下ったのか。それは彼が海軍兵学校(現代では防衛大学といったところか)出身のエリートであったからだ。
そのエリートが先陣を切れば、海軍兵学校の面目も立ち他のパイロットたちもそれに続くだろうと軍首脳は見ていたのだった。

 関は従軍記者の取材を受け、妻に自分の写真を送って欲しいと頼んだ。それが皮肉にも特攻を報じる紙面を飾り、戦意高揚のプロパガンダに利用されてしまう事になった。
元々艦上爆撃機のパイロットであった関大尉は、爆撃の技量は抜群だった。関大尉ならば体当たりなどせずとも、爆弾を命中させる事は十分に可能だった。
しかし関一人が爆弾を命中させても戦果は知れており、体当たり攻撃こそが適に心理的なダメージを与え、命中確実と考えられていた。

関が指揮したのは神風(しんぷう)隊と命名された特攻隊の中の敷島隊で、これが実質的に最初の特別攻撃隊(特攻隊)である。
昭和19年10月21日早朝に関行男(23歳)以下、中野磐雄(19歳)、谷暢夫(20歳)永峰肇(19歳)、大黒敏男(20歳)の5名は基地を飛び立った。
が、しかし適を発見できずに帰還。彼ら5名は味方から謂れの無い辱めを受ける。
死ぬのが怖くて逃げ帰ったとして、罵倒を浴びたのである。

結局25日に再び出撃し、5名とも還らぬ人となった。
戦果は適正規空母を撃沈だったが、これは積荷の弾薬や燃料に引火した為に沈没に至ったもので、小さな爆弾を抱いた軽飛行機が突入しても沈没することはまず無い。
しかし首脳部は特攻で大型艦が沈むと思い込み、一度切りとされた特攻がその後も恒常的に実施される契機となってしまう。

関は報道記者に「この攻撃は結局、適を楽にするだろう。何故なら、生きていれば何十回と爆撃できるパイロットが一度で自殺してくれるのだから」と、この様な趣旨の発言をしたという。
彼ら若者が必死の特攻で援護した水上艦隊の突入はどうだったか?
 栗田中将の率いた水上艦艇群はレイテ湾突入を目指し、途中で多大な犠牲を出しながらも突き進んでいた。だが適船団の目前で、突如突入を断念し引き返している。このUターン現代に至るも謎とされる。

どちらにしても日本に勝機は既に無く、連合軍に一撃を与えて講和へと持ち込む腹積もりであったようだ。
半世紀以上も前のこの構想だが、ここでも現代の日本外交と何ら変わらない甘さを感じる。
自分の都合や希望で状況を判断しようとする馬鹿さ加減にはホトホト呆れさせられる。
誰が勝ちゲームを途中で投げ出すだろうか?

この身勝手な希望的観測(殆ど妄想に近い)が、将来ある有望な幾多の若者や国民を無意味な死や塗炭の苦しみへと追いやったのである。
本来ならば、まず相手の出方をあらん限りの情報を元に推測し、分析する。その上でこちらの思惑を達成する手管を考えるべきであろう。

 この太平洋戦争は、始まりから米国の仕掛けに乗ってしまったものだとする意見もある。
朝鮮、ベトナム、イラクまで、彼らは常に同じ手口で相手から仕掛けさせている。
日本は、まんまとそれに乗ってしまった。
当時、米国の世論は戦争反対であり、表向きルーズベルトもヨーロッパの戦争には参加しないと名言していた。ところが真珠湾攻撃で世論は激変する。

これこそが米国の真の狙いであり、ルーズベルトは国民の怒りを背景に対日対独戦の参加を謳いあげ世論を参戦へと纏め上げるのに成功した。
日本軍の真珠湾攻撃を事前に察知したふしがあるが、現地の軍司令部にも伝えていない。
いい加減で嘘がバレバレの大本営発表で戦果を偽るよりも、国民をもペテンに掛けて自ら戦争へ突き進ませる相手の方が、一枚も二枚も上手だ。
現代の政治的駆け引きや経済的なそれにも、この巧緻でずる賢い手法が用いられている。

 考えても詮ないことだが、あの戦争で亡くなった若者たちが存命であれば今の日本とはどう変わっていたのだろうか。賢明で忍耐強く、豪快で繊細な彼の若者たちが存命であればと、つい考えてしまう。
彼らならば、奸智に長けた連中の意図を見破れただろうか?
それとも・・・・
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# by levin-ae-111 | 2010-01-22 05:22 | Comments(2)
 連日の降雪が久々に止み、爽快な青空が広がった。白い雲と抜ける様な青のコントラストが美しい。そうなると立山連峰を眺めたくなり、ウズウズする。
嬉しい時も悲しい時も、困った時にも僕は富山平野に泰然と横たわる立山を眺望してきた。
今は雪が多く行けないが雪の無い季節には公園の展望台へ登り、富山湾から突然に立ち上がる立山の威容を望む。
僕にとって立山連峰は神であり、故郷の象徴であり心の拠り所なのである。

古くは奈良時代に大伴家持(おおとものやかもち)が越中国主として、現在の高岡市国府に赴任して詠んだ歌に立山は登場する。奈良盆地のなだらかで青々とした山しか知らない家持にとって、ゴツゴツとした急峻な岩山はとても神聖なものと映ったらしい。
神の山、聖なる山として手放しで褒めちぎり、何時までも眺めていたいと詠んでいる。

 この立山に源を発する庄川や早月川などの急流が、富山平野を貫き富山湾へと流れ込んでいる。また日本一の落差を誇る称名滝(しょうみょうだき)の瀑布の源もまた立山にある。その川沿いでは真夏でも雪が残り、日本猿やカモシカの愛らしい姿を目撃することもある。立山では最近、氷河も発見されたと聞いた。

五月を過ぎてもその山腹に雪を残す立山は、国の天然記念物に指定されている雷鳥の生息地としても知られている。この季節、彼らは真っ白な羽毛に衣替えして氷点下の高山で春を待ち望んでいる。

さてゴツゴツした岩山で男性的な立山連峰に対し、独立峰で優美な女性的な感じを受けるとされているのが白山である。富山市八尾町の「越中おわら節」にも越中で立山、加賀では白山と唄われている。白山は加賀国の象徴であり、古くから信仰の山でもあった。

ふもとにはシラヤマヒメ神社が鎮座し、白山キクリヒメ命がお祭りされている。
この山に源を発するのが手取川で、浅野川や賽川と共に石川県を潤している。
近年絶滅したと考えられていたが、ここにも雷鳥の生息が確認されている。

両山とも古くから信仰を集めており、万葉集や古今和歌集にも読まれている。
奈良時代には立山がクローズアップされていたが、時代が平安に移ると、今度は白山が都人の憧れの山となった。面白い逸話に清少納言が白山の残雪がいつまで残るか、女官たちと争った。
雨が降り出し、雪はだんだん小さくなっていく。納言は白山の雪が長く残るように「白山の観音、これきやさせたもうな」と祈ったと、とても可愛いエピソードが伝わっている。

この白山の神様と僕は何故か、郷土の山神と地元の人間以上の繋がりを感じる。
昨夏、白山ヒメ神社へ行く計画を立て、迎えの友人の到着を待っていた朝、耳元で五十鈴の音を聞いた(五十鈴とは神に奉納する巫女の舞いで使われる鈴のこと)。
神社では半身に刺す様な痛みが出て、しばらく動けなかった。しかし数分で痛みが治まり、その後はうその様に身体が軽く成った体験がある。

立山の面白いエピソードでは人跡未踏とされていた剣岳山頂で、平安時代のものと見られる尺杖の金具が発見されたこと。登山道が整備された現代でも危険と隣り合わせの剣岳登山だが、そんな時代に山頂を極めた人がいたとは!!
相変らず古人の力強さ、勇気、粘り強さには感嘆せずにはいられない。

東洋の人は遠くに見える峻厳な峰を眺めれば、自然と頭を垂れ神の座として崇めている。
故に古くから山岳信仰が発生し、ごく自然に現代へと受け継がれている。対して西洋ではヨーロッパアルプスなどは逆に悪魔の棲家として忌み嫌われ、近世までその価値を認められていなかった。こんな処にも東西の感性の違いが現れていて、面白いと思う。

何処かへ出かけるにしても、その場所の歴史や云われなどを知って出掛けると楽しみが増す。ただ出掛けるよりは、その方が教養も身に付き思い出も深まる。
言うほどに簡単な事ではないが、短い人生をより豊かにする一つの方法であろうと思う。


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# by levin-ae-111 | 2010-01-21 05:53 | Comments(0)

知られざる特攻

 第二次大戦では飛行機を使った通称「神風特攻隊」が知られているが、他にも特攻の方法はあった。木製の小型ボートに爆薬を仕込み、乗員もろともに敵艦に体当たりするものや、大型魚雷を改造した「回転」、対戦車地雷を担ぎ敵戦車の下へ飛び込む特攻も存在した。
それから対船のみならず、B-29への空中特攻も行われていた。
ある意味で圧倒的な火力の敵陣へ突撃したガダルカナル島や硫黄島、沖縄戦での歩兵達の戦いもまた特攻といえるだろう。
 
死を目前にした気持ちとは、どの様なものだろうか。力尽きる寸前の日本海軍にあって戦艦大和は未だに健在だったが、大和も無謀な特攻へと駆り出された。
大和乗員で生き残った人の証言では「特攻出撃」だと知らされた瞬間、全員血の気が引き顔が青ざめたという。

 特攻で死んでいった誰もが、覚悟を決めて死んで行った訳ではないだろう。
特攻隊の護衛機のパイロットをしていたという先生が居られた。妹や弟の小学校の担任をしておられたが、隊員たちは口々に不満をならしていたと言う。最後は「お母さーん」と叫ぶ者が多かったと話されていたと聞いた。

以前に「特攻へのレクイエム」というタイトルの本を読んだ。これは航空特攻で散った若者たちを描いた内容だった。確か主に鹿児島県、知覧飛行場から出撃した人々の事を描いていたと記憶している。
印象に残ったのは穴沢利夫少尉の話だ。彼は婚約者の智恵子さんへ宛てた遺書が、23歳の若者としての素直な心情を伝えてくれている。以下にそれを記す。

智恵子へ
二人で力を合わせて努めて来たがついに実を結ばずに終わった。(中略)
しかし、それとは別に、婚約をしていた男性として、散ってゆく男子として女性であるあなたに少し言って征きたい。
「あなたの幸をの希ふ意外に何者もない。
徒に過去の小儀に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない。
勇気をもって過去を忘れ、将来に新生活を見出すこと。
あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の中にはもう存在しない。

 極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来生起する具体的な場面々々で活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。
当地は既に桜も散り果てた。(中略)
いまさらなにを言ふかと自分でも考へるが、ちょっぴり欲を言つてみたい。

一、読みたい本
「万葉集」「芭蕉句集」高村光太郎の「道程」、三次達治の「一点鐘」大木実の「故郷」

二、観たいもの
ラファエルの「聖母子像」、加納芳崖の「悲母観音」

三、聞きたいもの
懐かしき人々の声、シュトラウスのワルツ集

四、智恵子
会いたい・・・・話したい・・・無性に・・・・ 

婚約者の智恵子さんは、今もご健在であられる。遺族から頂いた俊夫さんの遺品が彼女の宝物だ。智恵子さんは誰とも結婚せず、独身である。
利夫さんは智恵子さんの手編みのマフラーを首に巻き、散って逝った。

自分が彼の様な立場ならば、どうだろうと考えた。
やはり征くだろう。
己の死が、家族や愛する人、郷土を守る盾となると自分にいいきかせて・・・・・



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# by levin-ae-111 | 2010-01-20 05:51 | Comments(0)

都道府県駅伝


 各県の代表チームが集った、都大路。県民の期待を背負って一流の女性ランナーが健脚を競う。オリンピックや世界陸上の代表選手も、出身地や縁のある都道府県のゼッケンを付けて参加している。
この大会の良い処は、中学生区間があり、中学生から社会人、大学、高校の選手たちが一体となってチーム編成が成されていることだ。
中学生や高校生にとっては憧れの選手と同じチームとなり、様々な指導やアドバイスを受けられる。一流のアスリートと触れあい、子供たちの夢が更に膨らむことだろう。
それは日本の長距離会全体の底上げになり、将来的にレースを観る僕たちファンの楽しみも増すことにもなる。

このレースはフルマラソンと同じ距離を7人で繋ぐ、最後の7区は10キロでここには最高峰のアスリートがエントリーしている。
今年の優勝は岡山県チーム、アンカーは世界陸上マラソン銀メダリストの中村選手だった。
それを追ったのはマラソンランナーの新谷さん、女子大生の小島さんだが二人とも届かなかった。圧巻だったのは福祉さん、下位でタスキを受け10人以上も抜いて来た。

駅伝の魅力は一本のタスキをリレーすること。前走者の汗と想いを引き継いで、一つでも上位を目指して走る。個人競技と違って、途中で簡単に諦められない。
そこには仲間のために、全力を振り絞る各選手の姿がある。そこがファンとしてはたまらない、思わず頑張れと力が入る。
そして年上のお姉さん選手が中学生へタスキの受け渡しをする時、何か声を掛けたり励ましたりと、競技の中でも微笑ましい光景が見られるのもこのレースの特徴だ。

 ところで現在の地球環境や社会問題を、次世代に山積みの状態でリレーしても良いものだろうか。
何としても一つでも解決して次世代の若者に次代を託す、そういう気持ちが無いと人類社会は敗北してしまう。仮に福祉選手の様に素晴らしい走りをするランナーを要していても、それまでの負債が大き過ぎると手遅れに成ってしまう。

政治家が官僚が悪い。確かに彼らは悪いが、そんな政治家を選び実務は官僚任せにさせて官僚を増長させたのは誰だろうか。それは選挙民の政治への無関心、地域や自己の利益にしか想いを致さない身勝手さが原因なのだ。投票率が60%台とは、政治家に文句を言える数字ではないと思う。4割もの有権者が棄権しているなど、論外だ。
白紙委任にも等しいこの低投票率が、まず問題の根源の一つと認識して欲しいものである。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-19 05:33 | Comments(2)
 江戸時代から維新を経て明治時代へ、これは単に政権が江戸幕府から明治新政府へ移行しただけでは無かった。江戸幕府の首脳たちは相変らず優雅な生活だったが、一般の武士たちにとっては天地がひっくり返った様な衝撃だったろう。
禄を無くし、身分を無くし露頭に迷う武士たちが巷に溢れていた。当初は武士の面目が邪魔をしたが、商売をする者、新政府の役人に成る者、軍人や警察官に成る者と次第に各々の道を見つけて行った。
 意外な事だが、江戸時代の武士たちの生活の様子は余り記録が残っていない様なのだ。
しかし比較的、明確な記録が残る武家もある。加賀藩のお納戸役だった家の記録が残っており、意外な武家の生活を垣間見ることができる。
代々の頭首が付けて日記がそれで、武家の台所は決して裕福でなかった事が伺える。それから嫁いだ娘の実家としての様々な祝い事や親戚付き合い、自家の行事などの出費がかなり目立つ。他にも無尽講の掛け金、借金の返済など現代と同様で生活苦に喘いでいる。
この家はお納戸役、現代でいう経理課の職員だが身分は決して高くない。家中の中でも「算用者」と、軽んじられる仕事を代々に渡って続けている。
だが軽輩といえども姫様の祝言など主家の行事では、その手腕が問われる場面が訪れる。
この家の頭首は姫様の祝言での嫁入り道具の手配などで、気に入られ加増を受けている。
だが旅費、宿泊費などは全て自腹で、家計の苦しさが日記からは見て取れる。
維新後は家長が軍の経理担当となり子息を大学にまで行かせている。終いには親戚をも東京へ呼び寄せて仕事を紹介したりもしている。これは転身が成功した例だが、大方の武士は借金まみれで無頼の輩に転落したり、一家離散なども珍しく無かったようだ。
 
ここで、またまた件の番組「タイムスクープハンター」に登場願おう。
維新で失職し浪人暮らしをしていたAさん、奥方とは三行半で離婚。現在江戸の長屋で独人暮らしをしている。そこへ元同僚のBさんが商売の修行に一緒に行かないかと、誘いに来る。武士が商売など出来るか!と一旦は断るが、Bさんの再三の説得で渋々と出かけた。

修行先は評判の「かすてーら屋」。お金を支払って、カステラの作り方を教えて貰うのだ。
期間は3ヶ月間で、親方はとても手厳しい。最初は掃除、Bさんは真面目にするがAさんはプライドが邪魔をして出来ない。容赦ない親方の叱責が飛ぶ。
とうとう親方と衝突したAさん、啖呵を切って店を飛び出してしまった。Bさんは連れ戻しに行くが、説得できずに親方の焼いたカステラを置いて帰って行った。
Aさんはカステラを食べて、まんじりともせず一晩考え抜き、遂に店へ戻り親方に詫びを入れて修行を再開した。二人は何度も試行錯誤を重ね、遂に親方からOKを貰う。
そして二人の店を開店、Aさんの奥さんも戻り新たな人生のスタートを切ったというストーリーだった。
この武士のプライド、現代の私達が想像する以上のものに違いない。300年近くも続いた武士の世の中で、遺伝的にこびり付いた習慣を改めるのはかなりの労力が必要なのに違いない。

武士でなくとも、時には自分のプライドを捨てなければ成らない場面に遭遇する。超ド級の不況の真っ只中にある今日、物語の二人の様に苦しい場面に出くわす人も多いだろう。選択は場合により違うだろうが、是非とも賢明な選択を心がけて行きたいものだ。

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# by levin-ae-111 | 2010-01-18 05:28 | Comments(0)

越中の薬売りの話し

 越中富山といえば、全国的にも有名な売薬がある。これは配置薬制度のことなのだが、その起源になる出来事は江戸時代元禄三年(1690年)に江戸城内で起きた。
現在の福島県の領主が突然の腹痛を訴えて苦しみ出し、そこへ通り掛かった富山藩二代藩主の前田正浦(まえだまさよし)が印籠から薬を取り出して服用させた。するとたちまちに痛みが引き、これが評判となり諸侯から薬販売の請願が相次いだ。
それに応えて正浦が、薬種問屋に全国販売を命じたのが始まりとされている。

しかし、この話しはかなり嘘臭くて、確たる試料も無く薬種問屋の偽造とも考えられる。
この由来は薬種問屋の由緒書きだったり、寺から藩へ差し出した名産品を記した書状が伝わるのみで、富山藩の公式資料には出てこないからである。

この時、正浦が飲ませた薬が反魂丹(はんごんたん)で、伝説では母親の病快癒を祈願していた武士が不動明王と阿弥陀如来に、この薬(熊胆と硫黄を混ぜたもの)の製法を教えられた。
帰ってみると母は既に死亡していたが、悲嘆に暮れながらもせめてもと死体の口に薬を入れてやった。その結果、母は息を吹き返し次の様に語ったと伝わる。母親が語るところに因れば、阿弥陀如来と不動明王に「まだ来るのは早い」と言われ、不動明王に背中をポンと叩かれた途端に生き返ったという。
そこから魂が返る(はんごんたん)の名が付けられたと、伝説は語る。

 江戸時代から連綿と続く薬売りの歴史は、21世紀の現在にも脈々と受け継がれている。
富山から全国へ時代は変われども、売薬さんの行脚は続いている。
子供の頃は売薬さんが来るのが、とても待ちどおしかった。紙風船やカラフルな絵が描かれた販促グッズを貰えるのが嬉しくて心待ちにしていたものだ。

売薬さんは柳郡を何段にも積み重ねて背負い、村の家々をゆっくりと回る。この配置薬制度の素晴らしい所は、使った分だけ代金を支払えば良いところ。
しかも期限切れなどの古い薬は新しく入れ替えてもらえる。病院の無い過疎地域などでは、常に薬が家に有る事の安心感は予想以上に大きい。
僕も子供の頃にお世話になった口だが、祖母が何かにつけて飲ませてくれたのが「宇津・救命丸」。子供用の小さな銀色の丸薬だったが、とてもお世話になった記憶がある。

 昨年、薬の販売員制度が施行され、お年を召した売薬さんが忙しい仕事の合間を縫って受験勉強に勤しむ様子が地元のTVで放映されていた。売薬さんの商売に特に必要でもないが、それでもお客さんに安心感を与えたいと頑張っていた姿は美しかった。

このお金が全ての世知辛い世界で、お客さん本位の配置薬制度が日本全国はおろか遂には海を越えて世界へ広がって行っている。モンゴルの草原で、アフリカのサバンナで富山発の配置薬は真実その素晴らしさを発揮している。これらの地域では日本の山村以上に、薬や医療とかけ離れた生活環境の人々がいる。本家の日本以上に配置薬が人々に与える安心感は、桁外れに大きい。日本の誇り、我が郷土の誇りが売薬さんなのである。

追記
銭湯でお馴染みのケロリンの風呂桶、レトロなパッケージデザイン、販促グッズ、どれも懐かしいものばかりです。これも勿論、富山発。
皆さん、一度は目にされたことはありませんか?
この懐かしいグッズたち、実は現代もちゃんと生きています。先日、ケロリンの風呂桶を道の駅で見つけて大感激しました。高かったので買いませんでしたが(笑)
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# by levin-ae-111 | 2010-01-17 07:49 | Comments(0)

肉体の死と意識

 私達にとって最も重大で重要なのが、この「死」の問題だ。この世に生を受けた瞬間から、私達は死に向かっての歩みを始める。
それは誕生、成長、成熟、老いなどと呼び名を変えながらも決して立ち止ることはない。別な言い方をすれば、生きているとは一瞬一瞬が永久に返らない時間の中に存在しているということでもある。

 物質的なものは常に変化する。どれだけ不変に見えようとも、常に振動する波動の一瞬の煌きであり、それは何時も不確かなものである。
人間存在の物質的側面である肉体もまた、この不確かさから逃れる術を持っていない。
だが人間存在には人間を人間たらしめている精神が宿っている。この精神が宿る故に人間たり得るのであり、それ以外の何者でもない。
 死とは物質的側面である肉体から、宿主である精神が分離する現象である。
精神とは無限の意識のわけ御霊であり、永遠の今に存在する唯一の実在の子供である。
と、こんな風な原稿だったら今頃は市中の本屋さんに僕の著書が並んでいたのか?

冗談はさておき、実際問題として死んだらどうなるのだろうか。僕は一度だけ意識と身体が分離した経験がある。意識には周囲を明瞭に見渡せる視力と、思考力・記憶力があった。
下を見ると、身体は殆どオートマチックに日頃の仕事をこなしていた。
この時、僕にとっての主体は意識の方であり、正直に告白すると身体には何の想いも感じていなかった。
それよりも爽快な開放感で、戸惑いながらもウキウキした気分だった。よくシルバーコードで魂と肉体が繋がっているとされるが、その時コードは見えなかった。
厳密に言えば体脱体験ではなく、一種の意識拡大現象だったのかも知れない。しかし直前まで感じていた物質的な不快感、暑さ、ガスの刺激臭、製品の重量、汗の流れる感覚、近視で貧弱な視力の弊害などは一切感じていなかった。

 この体験以降、死とはこの状況が継続することではないか?と思う様になった。
少なくとも身体と意識は別々に存在し、肉体の死で意識が消えてしまうこともなさそうに思えた。
それ以来、ちょっぴり死に対する恐怖が減った。

肉体と意識が別々な存在だとしたならば、死後に肉体が朽ち果てても意識は存続すると考えられるのではないか。
意識は時間や空間をも内包しており、未来を描くことも過去を振り返ることも可能だ。
つまり意識とは肉体に宿っていても基本的に自由であり、存在が知られているどんな物質的なものよりも大きく、或いは小さく、その速度は無限大で、時間、空間をも包みこんでしまう存在といえないだろうか。しかし、決して難しく考える必要はない。

僕が誰かを想えば、意識は既に誰かの傍にいる。僕が何処かを考えれば、僕は既にその何処かに佇んでいる。戦国時代に想いを馳せれば、時を遡り戦国時代に居る。
こんな風に考えれば、意識とは何かを知る手がかりに成らないだろうか。
僕が意識とは基本的に自由だとし、時間空間をも内包しているとしたのは、これらの事柄を指している。

詭弁だと思われるかも知れないが、自己の内に存在しない事柄や概念を人は理解出来ない。
人が時間、空間、歴史、天体などを認識するというのは、人の意識の内部にそれが存在しているからだ。内なる意識に存在しないものは、例え目前にそれが在っても認識できないし想像さえも不可能だろう。

また誰にでもあるだろう卑近な例では、楽しい時は早く過ぎるが、苦しい辛い時は長く感じられることが挙げられるだろう。 時計の進み方が違うのではない。
意識が認識する感覚が異なることにより、その人にとっての時間が縮んだり延びたりするからだ。

この様に考えると意識とは時間、空間、距離などの物理的事柄から独立して存在する能力を持っていると言わざるを得なくなる。従って肉体と意識は別物であり、肉体の死によって全てが終わり、無に帰すなどと考えることに無理があるのではなかろうか。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-16 09:02 | Comments(0)

入り鉄砲に出女

 またまたNHKの「タイムスクープハンター」よりの話題です。
江戸時代、幕府は交通の要所に関所を設けて通行人の監視を行っていました。タイトルの「入り鉄砲に出女」は特に幕府が注意をしていたものです。
入り鉄砲は兵器の江戸への持ち込みを警戒、出女は大名家の人質である奥方や姫様が逃げ出すことへの警戒でした。

物語の主人公は二人の町女。幼馴染の二人は日ごろの鬱憤晴らしにお伊勢参りを企てる。
一人は独身一人は人妻の二人に、リポーターの要潤さんが密着。
差し掛かった関所では通行手形、身体検査と厳しい詮議を受ける。人妻の女の手形が偽造と判明したり、身体検査をする婆さんに賄賂を渡すことを拒んで裸にされたりする。
検査では結った髪までもバラされる。それでも黒子の位置が違うとか何とか因縁を付ける婆に、見かねた一人が賄賂を渡して一件落着と本当に江戸時代の旅の困難さが伝わってくる。特に女性だけの旅は余計に危険で困難なものだった。

手形を取得するには世帯主の承諾が必要で、人妻の方は夫から逃げ出したくて手形を偽造していた。足止めを喰らった旅籠へ、亭主が追いかけて来る。
ひと悶着の末に亭主を旅籠から追い出し、人妻はお歯黒を落とし独身に戻る。その時に使う歯ブラシも当時と同じものと、相変らず設定が細かくて嬉しい。
それから旅籠の主人の導きで関所破りを敢行する。当時はお金さえ出せば抜け道を教える案内人も存在していた。

揉め事や喧嘩など人間模様も交えながらの展開は、やはりとてもリアル。途中で喧嘩した二人が別行動を取ったりと面白い。
リポートは無事に抜け道を使い関所をクリアし、二人揃って伊勢へと向かい歩き始めた処で終わった。

ほんの140年前にはこんな状況があり、人々の自由な行き来が制限されていた。
それは人の往来を制限するだけでなく、物流や情報の制限でもあった。
現代でも自由といいつつ情報には様々な制限が課せられている。殊に国家やそれを牛耳る人々にとって不利な情報は、一般国民の不利益になろうとも伏せられている。
天下りと渡りの問題、原子力発電の真実など数え挙げたら尽きない程の情報が隠蔽されている。また公表されても改ざんされていたりして、ある種の意図的なベクトルがかけられている。一般人がそれを見抜くのは至難の技だが、与えられた情報をよく吟味するしかない。何が正しいとか正しくないとかは判断の分かれる処だろうが、そこは自分の感性に頼るしか無いのかも知れない。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-15 04:54 | Comments(0)
8月にmixに加入させて頂き11月に日記を書き始め、数日前からはブログまで投稿するようになった。そもそもの切っ掛けはマイミクのRurikoさんからのお誘いだった。
その彼女と知り合ったのは某出版社とのご縁だが、それは僕が某団体の主催者さんを訪問し、書き溜めていた原稿をお渡しした事に端を発している。
だが、それ以前にリストラの危機にあり悩む僕へ、某団体へ行って来いと背中を押して下さった方がいる。(*某団体は宗教とは無関係です)

背中を押して下さったのは、7年程前からの友人である「喜文治」さん。
かつては大手のスーパーマーケットチェーンでバリバリと仕事をされていた方であり、建設業の社長さん、不動産業、ファイナンシャルプランナーなどの経歴を持っておられる。
本来なら僕などとは接点の無い雲の上の人だったが、精神世界への興味から友人を通して僕の所を訪ねて来て下さった。
それから何度も田舎の拙宅まで訪問されて、何時しか僕も友人の一人に加えて頂いた。

 リストラの危機は僕が中国出向を拒否し、社長から睨まれ嫌われたのが始まりだった。
無論クビは覚悟の拒否だったが、それでも不況の最中であり悩んでいた。また精神世界に関わる事で生きろとのサインとも受け取れなくもなく、そんな話しを喜文治さんに聞いてもらった時だった。喜文治さんは「某団体へ行って来い。俺ならそうする。会社に義理立てする必要はないから、明日にでも休んでいって来なさい」とアドバイスを下さった。
某団体は僕の精神世界への出発点であり、その団体との出会いが精神性を深め、様々な不思議体験をもたらしてくれた。

前置きが長くなったが要するに喜文治さんは、只今現在の状況の生みの親だ。こうして毎日、皆様に読んで頂く事を前提に文章を書き、何方かのブログや日記にコメントし、ネットで大勢の方と繋がっているのは元を正せば喜文治さんのお陰という事だ。

この喜文治さんは勿論、ペンネームだ。ご自身で三冊もの精神世界の本を出版され、現在はブログ「喜文治のグチ聴き屋本舗」を開設し、感謝の大切さやを訴えておられる。
また年に何回か出張セミナーを開催され、全国のファンの方々の要望に応えられている。
更には自著を学校や図書館へ無料で送り、感謝することの大切さを訴えておられる。そうかと思えば東寺や東大寺、仁和寺などの大伽藍へも堂々と対話を申し込まれたりする力強さも持ち合わせておられる。

ブログではご自身を爺様と呼び、生まれた目的や魂の磨き方などを簡単明瞭に説いておられるし、他にもグチ聴屋として悩める人々の相談にも乗っておられる。
この喜文治さん、世話好きで冗談も飛ばし、とても気さくなお人柄で様々な事を教えて下さっている。
その一つが喜文治さん流の言い回しで「戸締り」だ。これはアフターフォローの事で、人間関係には重要な要素だ。勿論、ビジネスでも同様だ。

精神世界的なものは毛嫌いする人でも、喜文治さんの世界になら躊躇なく飛び込める筈だ。
なぜなら、ごく当然の事を敢えて中心に据えておられるからだ。従って解り易く、納得し易い。だが、そんな当たり前の事が見えていない人が現実にはとても多い。
かく言う僕も喜文治さんに出会うまで、精神世界を志向しながらも感謝とは何か特別に考えた事もなかった。

人々が精神世界へと赴くコースは様々だ。故松下幸之助さんのように財界の頂点を極め、それでも違和感を覚えて精神世界の探求へと向かった人もいる。
信仰心から、興味から或いは自己の存在意義から、闘病からとコースは無数に用意されている。喜文治さんはもっとも一般的で、常識的なコースで人々を導こうとしている様に見える。

喜文治さんのブログにはここからどうぞ。
http://plaza.rakuten.co.jp/kibunji/
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# by levin-ae-111 | 2010-01-14 05:55 | Comments(4)

中国人研修生からの手紙

 昨年、父親と同じ会社で働いていた中国人研修生の方から今日手紙が届いた。
建設会社で働く父と研修生の謝軍輝さんはとても気が合ったのだろう。
少しお人良しの父は「謝に持って行ってやる」と言って、よく大根や白菜など自分の畑で
採れた作物を職場へ持って行ったものだった。
聞けば賃金も少なく、家族への仕送りを除くと自分の生活はカツカツらしい。

弁当は自分で作る。
食事にお金はかけられないから、当然だがとても質素なお弁当になる。
そんな謝さんに父はおかずをあげたり、時には缶コーヒーやジュースも渡していたらしい。
そんな父に母も協力し、謝さんの分の惣菜などを父に持たせたりしていた。
 
謝さんの帰国の日が近づいたある日、父が感謝の印として貰ったと中国で縁起物とされる切り絵を持ち帰ってきた。
「玄関に飾れるようにしてくれ」と、父。

大きさが半端でどの額のサイズにもあわず、四苦八苦したが何とかそれを額装して玄関に
飾った。赤い一枚の紙の中心に大きく福の字、それを囲み繊細な文様が切り込んである。
謝さんがワザワザ中国から取り寄せたものらしい。最後の日には、手紙までくれた。

たどたどしい文字だが、その手紙には父と母への感謝と健康を気遣う気持ちが溢れていた。
父母は家族と離れて異国の地で働く青年を、若い頃の自分の姿と重ねていたのだろう。
「手紙を出します」と言って帰国した謝さん。そして今日(1月12日)に、言葉に違わず手紙が着いた。

内容はやはり感謝と健康を気遣うものだった。
最初の手紙と同様に切々と感謝を述べ、思い出話と健康に気を付ける様に諭す様に書いてくれている。健康が第一、余り仕事に夢中になり過ぎない様に、お母さんはちゃんと薬を飲んでいますか?などと思いやりのある言葉が並んでいる。家族として本当に嬉しく思い、感謝した。

今夜、両親は虫眼鏡で謝さんの手紙を読みながら、返信を一生懸命に書いている。
手紙の差出日は去年の12月23日、それが今日の配達となった。1日遅れたが、父にとっては最高の誕生日プレゼントになった事だろう。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-13 05:48 | Comments(0)
 余り知られていないが、第二次大戦中には様々な救助劇があったようである。戦時では撃墜されて海を漂流するパイロットへの銃撃、漂う船の乗員への銃撃は当然のことであったらしい。彼らも生きて帰れば新たな戦力となるから、戦術的に当然の処置だろう。
その様な雰囲気の中で、この救出劇は行われた。
スラバヤ沖で撃沈され英国駆逐艦の乗員(400名以上)は、友軍の救助を信じて待っていた。しかし待ちに待った末に、彼らの目前に現れたのは敵の駆逐艦であった。
生き残ったイギリス士官の一人は、日本軍の船を見て「殺される」と思ったと述懐している。日本軍へと戦況が傾いていた当時だが、それでも完全に連合軍を駆逐してはおらず日本軍にとっても危険な海域である。
漂流者を見つけて接近したのは駆逐艦「雷(いかずち)」で、当時の艦長は工藤俊作中佐。
部下には伝統の「鉄拳制裁」を禁じ、誰彼わけ隔てなく接する彼は「仏の工藤」とのニックネームを持っていた。
「放っておきましょう」と進言する部下を尻目に、工藤は救助を命じる。見れば自艦の乗員よりも遥かに多くの敵兵が漂流している。それに艦を止めている所を適に見つかれば、ほぼ絶望的だ。現在の船と違い、当時の船はすぐに走り出せなかったからだ。
幸いに敵襲も無く422名もの敵兵を救助し、後日オランダの病院船へ全員を引き渡している。その前日にも「雷」の僚艦「電(いなずま)」が、376名の適兵を救助している。

戦後、工藤俊作氏はこの出来事について一言も語らず、ついに癌で没した。遺族がこの救助劇を知ったのは、救助された元イギリス仕官の意を受けた人を通じてだった。
この元イギリス仕官は、工藤の行方を捜し求めていたが遂に生きて感謝を伝えることはできなかった。しかし来日し、墓参を果たしている。それは終戦から60余年を経ての出来事だったと聞く。
 同じ海の男としての矜持が工藤を動かしたのか、否、人間としての良心だろう。
そして終生忘れえる恩義を胸に刻み、恩人を探し続けた元イギリス仕官を突き動かしていたものも人間としての感謝の念だ。
これらの例の他にも知り得ぬ救助劇があるであろう。兵士として否応なしに戦地へ赴き、否応なしに人殺しをさせられた時代だった。これらの救出劇は彼ら兵士たちの精一杯の戦争の時代への無意識の抵抗だったのかも知れない。

現在でも同じ状況に置かれている人々がいる。紛争が絶えない世界にあって、家族と別れて平和な自国を後に戦地に赴く兵士たち。紛争地域の住民たち、取材に取り組むジャーナリスト、国連やNPOの人々などだ。
どうして紛争が絶えないのか、無理やりにでも適を創り軍隊を投入する大国の狙いは何か?天然資源なのか武器売買の利益か、世界の覇権か、恐らくその全てだろう。

mixi日記よりのプレイバックです。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-12 21:20 | Comments(0)

成人の日に想う

今年も各地で成人式が執り行われた。新聞を読むと相変らず一部の新成人たちが、傍若無人な振る舞いをしている。そもそも、何故にそんな行動に出るのだろうか。
彼らが特別に凶暴であったり、特に人格的に問題を抱えているのではない。毎年のように繰り返されるこの騒動の原因は何処に在るのだろう。
同じ新成人でも多くの人は気を引き締めて大人としての自覚を持とうと、真摯に式に臨んでいるに違いない。その仲間たちの気持ちや周囲の人々の心を踏みにじるような彼らの行為は許し難い。
考えてみれば今から四半世紀以上も前、自分も成人の日を迎えたのだった。その時の心情は特に何も無かったが、故郷を離れていて学校の友人たちに会いたいという思いはあった。
結局、帰郷もせず式には出席しなかったが、今は少し後悔している。

そもそも日本で現在のような成人式が執り行われたのは、そう古い話しではなく戦後のことらしい。それ以前には年齢に関係なく男子は元服、女子は結髪を執り行うことで成人としての証としていた。外見でも成人か子供かの区別が付けられていたのである。
成人式は世界各地にあるが、変わった処では身体に沢山の傷を付けるとか、バンジージャンプ、割礼などの身体的苦痛や勇気を試されるものがある。
どこの国・地域でも同様に成人の儀礼でふざけた態度や大人気ない行動は許されない。
先進国ではいざ知らず、先に紹介した儀式を行う民族の間では成人儀礼を通過していない者は一人前と認められない。
本来、成人の儀式とはそのこの様に厳粛で厳格な意味を持っているものだ。新成人と成る者はそれに相応しい勇気と決意を明確に示さねばならない。それは素朴な信仰や生活に必要な社会的知識と共にあり、形骸化された日本の成人式とは異なっている。
最低限の社会ルールをしっかりと学び、身に付けた証としての通過儀礼が本来の成人の儀式なのだ。

式で暴れる日本の若者たちの精神には、ある種の甘えがある様に感じる。法的には成人と認められるだろうが、自分の行動の良し悪しも判断できない者を成人として認められるだろうか。
いつぞや成人年齢を諸外国なみに18歳にすべきとの議論があったが、そんな話しは的外れだと思う。それならばいっそ、15歳で良い。
そうではなくて、成人の意味を子供たちに説かねばならないのだ。この辺りの意識のズレが大人側にもあるのではないか?
今日から大人、責任と義務とある種の自由が付いてくるが、世間の荒波を自分の力で乗り切る覚悟を決める日と認識して欲しい。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-12 05:49 | Comments(0)

のだめカンタービレ

映画の公開に合わせてテレビでレギュラー時代のドラマを再編集して連夜にわたり放映している。
この「のだめカンタービレ」はオーケストラ指揮者を目指す若者とその恋人の物語だ。時にはシリアスに、時にはコミカルにストーリーが進行する。このドラマ、クラシック音楽に興味の無い人も十分に楽しめる。

 ところでオーケストラは指揮者を頂点に、コンサートマスター(第一バイオリン奏者)、各パートの第一、第二、第三奏者などから構成されている。弦楽器、管楽器、打楽器が指揮者の下、絶妙なハーモニーを奏でる。そこには調和の美しさがあり、素晴らしい一体感がある。

 それは宇宙の相似形の一つの現れでもある。広大無辺の宇宙に銀河団が散りばめられ、銀河の中でも恒星、惑星、衛星が絶妙なバランスを保ちながら生命のハーモニーを奏でているのが宇宙だ。
私達の太陽系もそのメンバーの一翼を担い、太陽を中心に全ての惑星と衛星が絶妙のバランスを保ちながら運行されている。
安定した軌道と自転と公転の速度を保ちながら運行されている私達の地球だが、木星や土星、金星、月などの協力があってこそなのである。
無論、その太陽系も他の恒星系とバランスし、何処かの恒星系を生かしまた生かされている。それが調和でありハーモニーだ。
宇宙に音があれば壮大なシンフォニーを奏でているに違いない。 

 多寡が僕一人、貴方一人、ネコ一匹、雑草の一本といえども、このように宇宙は総がかりで生かしてくれているのだ。
何処かのバランスが崩れたら、それは宇宙の崩壊に繋がるかも知れない。私たちの誰かが存在しなければ、この世界は今とは違ったものになる。
人生の意義を問うた僕に、何時もの声は教えてくれた。
「貴方がた一人ひとりの存在は宇宙にとって、とても意義のあることなのだ。全ての存在は、それに相応しい意義と力を有している」と。

*mixi日記からの転載です。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-11 11:54 | Comments(6)
 先日、ドバイでブルジュ・ファリファと名づけられた超高層タワーが完成し盛大に花火が打ち上げられている映像が世界に配信された。
その高さは828m (162階)で、それまで世界一を誇っていたタイペイ101(508m)を軽々と追い抜き世界一となった。日本では商業ビルとしては横浜ランドマークタワーが一番だが、ここはもうブルジュの足許にも及ばない。
多くの人々は各々の国の高層ビルやタワーの高さを誇りとしているが、へそ曲がりの僕としては何が誇りなのか甚だ疑問なのだ。
大体この減速経済下に162階にも及ぶフロアをどう活用するのだろうか、ドバイは観光立国であり大した産業もない。元々はこのビルもブルジュ・ドバイと命名されていたが、資金不足により多額の借り入れをした。それで名前がドバイから借り入れ先のファリファへ変更されたというエピソードも報道されていた。
 だが問題はそんな事ではない。遠い伝説の時代、皮肉にもドバイの近くでこのタワーよりも高い塔を建てようとした人々がいた。それが伝説の「バベルの塔」だ。

伝説は語る。その頃は世界の人々の言語は一つで、人々は自由に話し合うことが出来た。
人々は神の居る天へ上るために、高い塔の建設に取り掛かり神と肩を並べようとし、或いは神を見下ろそうとした。その所業に神は怒り、塔を崩し人々の言語をバラバラにした。
それで人々は混乱し、神と並ぶ野望は潰えた。
もうすぐマヤカレンダーの記述が尽きているとされる2012年が近く、ホピ族に伝わる伝説や新たに発見されたとされるノストラダムスの予言でも人類にとって何か重大な異変が起こるとされる時期が迫っている。
ここへ来て、バベルの伝説に近い土地に伝説の塔を思わせる超高層タワーが落成した事実に何か不思議な符合の予感がする。

 世界を超高層ビルの建設競争に走らせるものは何なのだろうか。
経済発展の象徴としての国威発揚の手段としてか、高空に対する不思議な憧れのためか?
どちらにしても、その根底には人間のエゴが横たわっているように感じる。
船井幸雄氏に代表されるような「エゴからエヴァ」へと時代の転換が叫ばれてから久しいが、現実の人々の意識は余り変わっていないのではと考えてしまう。
幾つかのチャネリングやコンタクテティ-情報では、進化した宇宙人は地上に居住していないという。そうであるならば、人類は先進文明世界とは反対の方向歩んでいることになる。僕たちの文明はまだまだ野蛮で、どちらかと言えば未開文明に属する。
それはエゴに支配された文明である。その証拠は身勝手な事情による自然破壊、武力や経済による一部の人々の支配に現れている。
そのエゴの文明の象徴がまた一つ地上に姿を現した、僕はそう感じる。
こんな話しはただの杞憂であって欲しいと願うばかりだが、何処からともなくこの考えが胸中に浮かんできて消すことが出来ない。
この時にこの超高層ビルが完成した。出来事のすべてに偶然は無いという。
再び怒れる神の鉄槌が下る時は近いのか?
当然の事だが真実の神(宇宙意識)は、怒りに任せて懲罰を課すことなど無い。何かが起こるとすれば、その原因は全て人類にある。
どんな災厄も魂の長い学びの旅路のほんの一コマに過ぎない、悠久の宇宙意識から見ればそうであるに違いない。しかし人類の魂にとっては苦渋の暗闇に突入することになる。
それでも絶え間ない進化の歩みが止まるわけではないが、光が遠くなるのも事実だ。
それもまた必然なのかも知れないが、でも負の体験はもう十分ではないかと思う。真実の神は決して、人間の苦痛を喜ばれない。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-11 07:30 | Comments(0)

魂の兄弟たちの夢

夢見に関しては何度か書いたが、この夢は他の夢とは決定的に違うと感じている。
夢は至ってシンプルなものだが、その登場人物の全員と意識を共有していとしたならばどうだろうか?内容は以下のとおりだ。
 霧か煙が地面を這うようにして立ち込めている。僕(現在の自分)は地面か床に開いた穴に入ろうとしている。周囲には数十名の容姿も服装もバラバラの人々がいて、僕を見送ってくれている。穴は僕の身体が通るのに、ほぼ丁度の大きさだ。
中を覗くと果てしない暗闇が続いていて、先は見通せない。
穴に入る直前に僕はもう一度目的(何だか忘れた)を頭の中で確認し、周囲を見回した。
皆は黙って頷き「それで良いんだよ」と、何処かへ出発する僕の決意や目的を全面的に理解し支持してくれていた。僕も頷き、皆に別れを告げた。
思い切って穴に身を滑り込ませた僕に、皆の惜別の思いや応援の気持ちが伝わってきた。
夢はそこで終わった。
 内容は本当にシンプルなのだが、登場した人物の全てと意思や意識が繋がっている自分を確信できた。勿論、夢では言葉を一切交わしていない。自分の考えが全員の考えであり、全員の考えが自分のそれだった。
 周囲の人々は何者なのか?
グループソウルの面々だろうか?それとも自己の魂(意識)の他の側面なのだろうか。
何時もの声は、後者だと告げていた。
ここから幾つかの予測が出来る。
①人は何かの目的や計画を持って生まれるらしいこと。
②計画や目的は個の魂全体で計画され認識され、承認されたものであるらしいこと。
③現在の自分は個の魂(意識)のごく一部であるらしいこと。
これらの予測は的外れなものかも知れないが、それにしても今更ながら自分の人生は自分だけのものではないと感じさせられた。そして合理的に考えるならば(宇宙はとても合理的と私的には考えている)僕を見送ってくれた人々も、その後に何処かへ旅立ったのかも知れない。意識が一度に一人、しかも一次元にしか分霊を送り出さない(不合理)とはとても思えない。
だとすれば、違う次元、異なる世界で僕の魂の兄弟たちも生きているに違いない。
 それにしても皆、良い身なりではなかったような気がする。わら蓑を身に着けていた人物も居たように思う。
みすぼらしい身なりは、彼らの人生計画で困難や苦悩の多いことの現れかも知れない。
であれば、我ながらそこそこに志の高い魂なのだろう。
それでも人生は辛い。彼らとて生まれ出た世界で苦悩しているに違いないのだ。
僕は彼らにエールを送りたい、次元世界を超えて必ず届くであろうと信ずるからだ。
何故ならば、同じ魂(意識)なのだから。

*MIXI日記からの転載です。テストも兼ねて載せてみました。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-10 17:09 | Comments(5)
 毎回、以下の感じで書いて行こうと思っています。宜しくお願いします。


                  戦場の医師「医僧」
 
 少し前にNHKで「タイムスクープハンター」という番組を放映していた。
要潤さんがタイムスリップしてその時代をリポートするのだが、映像が妙にリアルで歴史好きとしては創られた時代劇とは比較にならない面白さを感じた。
視聴率が良くなかったのか5、6話で打ち切られてしまったのが残念だが、その中でも取り分け印象に残るのは初回の「医僧」の密着リポートだ。
 戦国時代の戦には「医僧」と呼ばれる僧侶が戦場に同行し、傷ついた武士たちの治療に当たっていた。現代で言えば衛生兵だが、武器は持たず薬や治療道具、酒、水などを入れた郡を背負い戦場を駆けまわっていた。酒や水が不足した場合は、戦死した死体の水筒から調達するなど、臨機応変な対応が求められた。

しかし負傷しても彼らの治療を受けられるのは侍大将(全体の指揮官ではなく、一部隊の指揮官)か、それ以上の地位の者に限られていたようだ。一般の兵卒は手当てを受けられず、自分たちで我流の治療をしていたらしい。
医僧の使用する薬品はとても高価で、兵卒にまで使用することは禁じられていたのだ。
この番組では負傷した侍大将を治療中に、領主からの撤退命令が出た。そこへ家老が負傷して転がり込んでくる。付き人の侍は家老の治療を優先するように医僧たちに迫るが、それをなだめながら治療を進め、撤退していく。
彼らは領主に雇われているため、主命は他の武士同様に絶対のものだった。物語の医僧たちは治療を優先させ、すぐにはその場を動かなかった。それから撤退するのだが、道の途中で負傷者を見つけると身分に無関係に治療を施していく。家老に付き従っていた武士も途中で負傷、彼は治療を受けられる身分ではないが医僧たちは治療を行った。
台詞こそ現代語だったが、撤退途中に転がる薄汚れた死体や武士たちの汚れた顔や手足、尻などが非常に生々しくリアリティに拘った創り手の意識が現れていた。
それはともかく、荒々しく凶暴な武士たちが殺しあう戦国時代の戦場で仕事をするのはどんな気分だろうか。物語では師匠格の一人が歴戦の元武士で、殺し合いに疲れ自分の人生を振り返った時に虚しさを感じ、殺人とは反対の医僧の道を選んだとい言った。
また若い弟子は大変な商売と思ったが、稼ぎが良いので医僧なったと話していた。
 これは「医僧」についての史実を基にしたフィクションだが、このような人々の存在は戦国ファンにも余り知られていないのではないだろうか。
歴史に登場する武将は華やかで壮絶な生涯を後世に知られているが、無名の人々の存在にスポットを当てるのも面白い。
 
現代社会もビジネスという合戦に明け暮れる戦国時代だ。人生を賭けてお金儲けに奔走し、敗れれば従業員ともども路頭に迷う。そんな社会で生き残り、勝ち抜くのは大変だ。
幾多の人々が脱落し苦悩の中で呻いている。誰もが我田引水で、他人の事など気にもしない。こんな現代にあっても、この医僧たちのように他者のために頑張っている人々にエールを送りたいと思う。
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# by levin-ae-111 | 2010-01-09 19:21 | Comments(4)