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by levin-ae-111
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神様との出会い(岐阜県位山(くらいやま)での体験)

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1996年から三年連続で、縁あって位山へ出掛ける機会があった。なかでも二度目となった97年の登山は格別に思い出深く、不思議な雰囲気につつまれた登山となった。
位山は太平洋側と日本海側の分水嶺として有名であり、その山腹には巨石が散在していることでも知られている。古くは酒井勝軍がピラミッドと断定したとされ、天皇家へ献上される一位の木はこの位山から採取されると聞く。
海抜は1529メートルあり、林道および登山道を経て山頂へ続くコースはハイキングに適している。山頂に設けられた休憩用の高床式の展望台からは、遠く北アルプスや中央アルプスの峰々が眺望できる。私たち一行はお盆過ぎに訪れたのだが、とても良い体験をさせて頂くことになった。

私と二人の友人、MさんとKさんの三人はその日早朝から車に乗り込み位山を目指して国道41号線を高山方面へ向かった。ハンドルを握るのはMさん、私は助手席で後席のKさんと神通川の渓谷の景色を眺めたり、互いの不思議体験を話し合ったりしていた。位山については某霊能力者が本に書かれているのを読み興味を持った。そんな訳で95年にはMさんと二人で訪れていた。
出発から約二時間後、Mさんが突然に車を脇道に乗り入れたので何事かと驚いたが、そこは飛騨一ノ宮『水(み)無神社(なしじんじゃ)』だった。「お参りしていこう」と、Mさん。立派な大鳥居の横に車を止め、下車すると途端にムッとする暑気。八月も下旬だというのにまだまだ暑い。神社や神様について無知な私は「ここは位山を御神体にしているのかなぁ」などと思いながら二人の友人の後に続いた。まず私たちは正面の大鳥居をくぐったところで驚いた。そこには車を降りた時から感じていた暑気がまるでない。境内は杉の巨木に囲まれているが特に日陰というわけでもない。だがまるで冷房の効いた室内にいるような涼しさだ。今にして考えれば、この時から既に不思議な現象は始まっていたのだった。

私たちは一礼して石畳の参道を歩き、境内のお手水(ちょうず)で手と口を清めお賽銭を投げてお参りした。私は神社参拝の礼儀には無知なので、ともかく二拍手二礼して合掌し、「これから位山へ行ってきます。宜しくお願いします」と祈った。そこで思いも掛けず誰かの返事があった。返事といっても無論、耳に聞こえる声 ではない。その声は頭の中に直接流れ込んできた。
「そうか、そうか。行ってこい、行ってこい。道中守護してやるから、安心して行ってこい」中年男性と思しき声で、とても嬉しそうに返答があった。
まさか!神様の返事?驚きながらも嬉しくなった。恐怖心は微塵もなく、無礼を承知でしばらく境内を徘徊し、写真撮影をしてから一礼して再び大鳥居をくぐり外に出た。またもや酷い蒸し暑さを感じ、境内の涼しさはまさに神域ならではと実感させられた。

車に戻り不思議な涼しさについて語り合ううちに林道の入り口に到着した。冬場にはスキー場となるそこは食堂や売店、ロッジが数棟あるが夏場は閉鎖されていて閑散としている。林道は未舗装で整備が悪く、所々に車を傷つけかねない大きな凸凹(おうとつ)が口をあけている。Mさんは狭くギャップの多い林道を慎重に車を進めていく。それでも車は大きく揺れ、登山口までまだ数キロあったが道幅の広い場所に駐車し歩くことにした。私たち三人は急坂の砂利道をテクテクと歩きだした。
当時Mさんと私は三十代後半で、Kさんは五十代だった。標高が上がっても意外に気温が高く、風も弱く湿度が高くて足許も悪い。
果てしない砂(じゃ)利(り)の急坂が続いている。さして重くもない荷物が酷く重く感じる。

セミ時雨(しぐれ)の中をしばらく頑張って歩いた後の最初の休憩で私たちは周囲の異様な気配に気がついた。風も無いのに周囲の山々がざわめき、私たちを追ってくる。それはまるで大勢の人々が一緒にゾロゾと同道している感じで、しかも皆が楽しく談笑しながら歩いている気配が伝わってくる。男も女も老人も子供もいる。元気な子供たちは私たちの周囲を走り回っている気配もする。そのざわめきが私たちのスピードと歩調を合わせて林道の周囲の山に常にある。しかし怖いとか不気味な感じはせず、暖かい視線が私たちに注がれているのを感じとても歓迎されている気がする。集落の人々が総出で出迎えてくれている、そんな感激の気分に浸りながらも暑さで体力は次第に消耗し日ごろの運動不足が悔やまれた。

「まだ、遠いのかなぁ」Kさんが汗を拭いながら呟く。予想以上に辛い道のりに挫けそうになったとき、また不思議な現象が起こった。疲れた私たちを励ますように何処(どこ)からか良い香が漂ってきた。上質の御香を焚いたような甘く上品な香は私たちに力を与えてくれた。「神社の匂(にお)いだ、もう登山口は近いのね」とKさん。「そうだね、もうすぐだ」と、Mさんと私。
でも考えてみれば登山口の神社は香がするような建物ではないし、木造の建物があったとしてもこんな所まで木の香が届くはずもない。当然、登山口まではまだ遠く更に一時間近くも歩いた。その間に二度もあの『神社の匂い』で神様に励まされた。私たちを励まし導く『神社の匂い』と、暖かい視線を感じる大勢の人の気配に後押しされて何とか林道の終点、つまり位山の登山口にようやくたどり着くことができた。しかしこれからが勝負だ、より険しい登山道が待っている。
 
登山口には金属製の鳥居と不気味な人面をした龍の像が向かいあう形で一(いっ)対(つい)、球形の祠(ほこら)と記念碑が建立されている。この山には不釣合いに感じられるそれらを横目に見ながら、私たちは細く急勾配の続く登山道へ踏み入った。一緒に来てくれた大勢の人たちの気配は位山に入ることなく、周囲の山にあって私たちを見守っている。
山頂までの道中には様々な形の巨石が急斜面の山肌にへばり付くように点在していて、それらの一つ一つには注連縄(しめなわ)と名前を記した看板が着けられている。しかしどれも朽ち果てていて、岩の名前も読めない状態になったものが殆どだった。山頂近くには『天の岩戸』と命名されている巨石構造物が存在していて、やはり注連縄が張ってあり、榊のお供えと賽銭箱が設置されていた。そこからの道は平坦で気温も低くなり、快適な登山となった。そしてついに山頂へ到着。山頂には標準点と木造高床式の展望台が設けてあり、私たちは景色を眺めたり、写真撮影をしたり涼風に涼んだりと大いに楽しんだ。
 
登山道とは反対側へ下った場所に水汲み場がある。しばらく頂上の眺望を楽しんだ後で、私たちはそこを目指した。心配されたKさんの体調も万全で美味しい山の清水を味わった。それから下山し、登山口の傍らにある休憩所で食事を摂った。周囲の山は相変らずザワザワしていたが、今は風もあり気温も下がっていて心地よい涼風が吹き抜けている。
Kさんは「私たちが三人とも子供で、そこらを走り回って遊んでいるイメージが見えたわ。前世はきっとここに居たのね」と言っていた。私はそこまでは感じなかったが、何だか久々に里帰りをしたような懐かしい感覚を強く覚えていた。
 
  時間も押し迫り、いよいよ下山を始めた。後ろ髪を引かれるような感情がわきあがり、「帰りたくない」というのが私たちの本音だった。私たちの足取りに合わせ、人々の気配も山を降りてくる。空には四神『青龍』『白虎』『朱雀』『玄武』に似た形の雲が現れては消えていった。林道を下るにつれて周囲の人々の気配は次第に薄れていく。人々があるところで立ち止まり皆が手を振って見送ってくれている。子供たちはまだ一緒に降りてくるが、その気配もついには消えた。何と不思議で嬉しい体験だったことか、水無神社の神様が約束されたとおりに私たちの道中を守護してくださったのだろう。私たちは去りがたい感情を胸に位山を後にしたのだった。

この話にはまだおまけがある。帰ってダイニングで一服していた私を見た母親と妹が私の「肩に何か憑いている」と言い出した。私は自分の生命エネルギーが拡大したのだろうと思った。というのも、日ごろから運動不足の私が突然十数キロ歩いても筋肉痛に成らなかった。私だけでなく、MさんKさんも全く筋肉痛とは無縁だった。Kさんにいたっては日ごろから話をするときにも息苦しそうにする人だ。それが元気に山を登り、筋肉痛にも成らない。本当に神様のご配慮をいただいたに違いないと実感した。

そして撮影した写真にも異変があった。参道から移した拝殿の写真は屋根の上あたりまで赤くなっていた。また山頂からの写真も白昼にも拘らず全体に夕焼けを写したように赤みがかっていた。これらの現象は不思議ではあるが、不気味ではない。しかし水無神社での嬉しそうな神様のお返事をはじめ道中に感じた好意的な数々の現象は解せない。
 どうして氏子でもなく、日ごろから参拝もしない私たちに神様がご好意を寄せてくださったのか。私たち三人が特別に神様に好かれる要素を持っていたとは考えられない。少し強引かも知れないが、ここに一つの手掛かりがある。
 
それは『飛騨(ひだ)福来(ふくらい)心理(しんり)学(がく)研究所(けんきゅうしょ)』を主催しておられた山本(やまもと)建造(けんぞう)先生(故人)の説である。
それによると日本列島で最初に隆起した土地は乗(のり)鞍(くら)岳(だけ)周辺であったとされ、人類も発生し文明を築くまでに発達した。人々は上方(うわかた)様(さま)と呼ばれた長(おさ)を中心に平和な生活を営んでいた。水に映る太陽を信仰の対象としており、水に映る太陽を皆で囲んで瞑想していた。その儀式を『日抱(ひだ)き』と呼んだ。それが飛騨の地名の由来であると謂(い)われているとされた。気候の寒冷化とともに人々は乗鞍岳周辺から現在の飛騨(ひだ)久々野(くぐの)周辺へ移住して(水無神社の所在地付近)都とした。平穏に生活していたが、やがて大陸からの野蛮人の侵入に備えて各地へ人々を配して防備に当たらせた。国民の中心が上方様であり後の天皇家にあたる家系である。つまり上方様は日本国民の親のような存在である。その御霊(みたま)が数千年を経た現在でも水無神社に鎮座ましますとしたらどうだろうか。遠方からの国民の訪問を喜ばれ、偶然にも私が御霊の思念を受信できたのだと考えられないか。故に御霊のご配慮を感じられ先に記したような素晴らしい位山登山となったのだと思う。
古(いにしえ)の都に未だに鎮座される親神様は今も全国民を見守ってくださっている。ありがたい親のご好意を戴いた心温まる登山であった。
以上
Commented by るーえ at 2010-03-14 08:33 x
はじめまして るーえと申します。
朝のメールチェックをして 何気なくこちらを見つけて最初にクリックした記事でしたので 何か足跡を残した方がいいかと思い
失礼ながら書き込みを致しました。

先ほど起きがけに 何年も前にあった不思議な出来事を思い出していました。
その時 三日三晩上質のお香(おそらく伽羅のような)に包まれて
着ていた衣服にもその香りが染みこんで取れないほどでした。
ことの始まりは 知り合いとお茶をしていて 突然神社へ連れて行かれた時からでした。
3日後にトレッキングへ行く約束を別の友人としていて 愛知県のとある山へ登り 下山し始めた時 急に聞いた事のない音と振動に辺り一体が包まれ それが5分ほど続きました。
それ以降その香りは消えてしましました。
今朝 久しぶりにあの香りを思い出していたところです。
Commented by levin-ae-111 at 2010-03-14 09:56
るーえさんコメント有難うございます。
恐らく、似たような香りですね。凄く上品な御香の香りでした。
自分の部屋でも香った事がありましたが、それはまた少し異なる
甘い香りでした。不思議な事があるものですね。
Commented by 幸平 at 2011-11-18 10:31 x
い-いなあ…。 羨ましいまでの体験でしたね。私は北海道で、とある霊能者の方に仕えていたことがあるんですが、神聖な場所で風景が赤く染まったように写るのは、それ自体が霊位の高い霊界の情景なんだと教えてもらいました。土地神様によほど歓迎されたんですね。そんな霊位の高い山、私も訪ねてみたいです。
Commented by levin-ae-111 at 2011-11-18 19:21
幸平さん
コメント有難うございます(^^)
本当に不思議な登山でした。神社の境内は涼しく快適で、しかもお参りしたら声(頭の中で)もしましたし、香りといい山の雰囲気と言い素晴しい
ものでした。筋肉痛もなく、後のケアもバッチリでした。
写真は白昼に撮影したのに、本当に夕焼けみたいでしたし、神社を写したものではより濃い赤色が出ていました。
この位山では他にも小さな緑色の顔も写っていたりしました。
神様に守られての登山でしたので、とても良い雰囲気でしたよ。
by levin-ae-111 | 2010-02-28 18:46 | スピリチュアル | Comments(4)