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by levin-ae-111
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生命の樹と不思議の国・日本(その5)

物質的な富や名声、権力や支配力では一時的に満足感を得られるに過ぎず、それがエスカレートすると周囲に混乱と破壊をもたらし虚しさが増すばかりだ。
それとは反対に人や生命との繋がりを求めることは、周囲に調和と平和と幸福をもたらすのではないか。

『生命の樹はエデンの東端の方に、炎の剣に守られて隠された』と聖書には記してあるのだが、これは何を暗示しているか。
古来より人類史は、中東からヨーロッパを中心に展開されて来た感があるが、その人類史の中心を差し置いて聖書の記述に方角、シンボルが共に合致する国が、記述のごとく東の果てに存在する。
ヨーロッパや中東から見て太陽が昇る方角である東の果てに位置する日本が、光の象徴たる太陽をシンボルに掲げている事は非常に面白い。
聖書の記述に方向と象徴が一致する国は、世界中をいくら見渡しても日本しか存在しない。
太古の時代に人類は神々と共に在り、何不自由ない生活を送っていたが相対的な相対二元論的な価値観を持つに到り混乱と不調和が拡大して行った。
その様な状況が続く内に、エデンの園と呼ばれる「楽園」の状態が保てなくなり時代が下るに従い状況は悪化していったのだろう。
その様な状況下で生命の源に対する崇敬の念を持つ国と民が、太陽の炎をシンボルに掲げつつ相対二元の乱世が極まり、世界の進退が極まるまで東の果ての島に隠されたのだろう。

古き良き時代の日本と日本人は、外国人の眼にはどの様に映っていたかを検証する事で、日本が聖なる精神の宿る国土と国民に相応しいか否かを確認出来る様に思う。
江戸や明治に日本を訪れた外国人の多くが、貧しいが清潔で美しい町並み、人は無邪気で優しく、正直で礼儀正しく教養と好奇心があると感じたようだ。
東洋の果ての未開の国と思っていたであろうヨーロッパ人が、日本人の暮らしぶりを見て、驚きと愛着、親しみを以って『理想郷・妖精の国』等の表現で本国へ書き送っている。
 私達は江戸時代を民が圧政の下で苦しんでいた時代と思い勝ちだが、これの原因は徳川幕藩体制を悪役とするために明治新政府が民衆に刷り込みを行ったからに他ならない。
信じられないかも知れないが、江戸は世界でも一級の大都市であり、下水を始め汚物処理も完璧なシステムで実施されていた先進的な都市であった。
人口も世界屈指でありながら、比較的治安が良かった(世界の都市に比べて)。
幕府は民生に力を注ぎ行政も安定しており、住民が互いに助け合う仕組みも整っていた。国民は清潔好きで、銭湯などは江戸時代に発達している。
また庶民を対象とした警察や裁判所なども存在し、有名な大岡越前守や遠山金四郎などが活躍したのもこの時代である。
家の戸に鍵を掛ける必要も無く、近所の人々との開けっぴろげの交流が普通であり、子供も隣近所が共同して大切に別け隔てなく育てる暮らしがあった。
現代の私達が失ってしまった人間らしい生活が、そこには見えてくる。
因みに同時代のパリなどは道端に糞尿が垂れ流され、庶民の家にトイレは無く王侯貴族でさえもおまるで用を足していたし、入浴する事も滅多になかったらしい。余談だが彼の地で香水が発達した理由も、これでお分かり頂けよう。

 この様に江戸時代は世界屈指の制度と文化を擁し、そして教養と人情味ある人々が平和に生活していた素晴らしい時代だったのであり、生命の源に連なる聖なる精神を受け継ぐ人々に相応しい暮らし振りではないだろうか。
by levin-ae-111 | 2010-06-11 05:49 | Comments(0)