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身の回りの出来事から、精神世界まで、何でもありのブログです。


by levin-ae-111
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沖縄戦の追悼式典

 もう随分と年月が流れ、大部分の日本国民にとっては過去の出来事になってしまった沖縄戦の悲劇、現在も多くの米軍基地を抱え地域経済と平和への想いの狭間で揺れ動く沖縄にとって、真の終戦は未だに訪れてはいない。いくら追悼しても亡くなった人々は二度と還らないが、責めて悲惨な沖縄戦の概要だけでも知っておくことが、私達の義務ではないだろうか。
私達は歴史を知り、幾多の犠牲に想いを馳せ、不戦の決意を新たにせねば成らないだろう。

太平洋戦争末期、海を埋め尽くす程の大船団と無数の護衛艦が、小さな沖縄を包囲していた。対する日本軍守備隊は、本土からの援護も無く牛島指令以下の将兵は山間部へ非難し洞穴を掘り、ゲリラ戦を展開するしかなかった。
連合軍は上陸を前に無数の砲弾を撃ち込み、そして空爆と機銃掃射の雨を降らせ軍人ばかりでなく、それ以上多くの住民を死に追いやった。その後に上陸し、圧倒的な戦力を持って残酷な掃討戦を繰り広げて行ったのだった。
それは、その頃の連合軍の常套手段となっていた戦術であった。
南洋の島伝いに北上したアメリカ軍を主力とする連合国軍は、上記のような戦術で日本軍の拠点を次々と潰して遂に沖縄へと進撃して来たのだった。

米軍はサイパンを陥落させると、そこから悪魔の重爆撃機B-29を飛ばし日本各地の都市を焦土にした。
つい先日も富山市内で、米軍の投下した焼夷弾が不発で地中から見つかり、自衛隊が処理したニュースが流れていた。未だに日本の各地では、不発弾が発見されているのである。
それ程に多くの爆弾が投下されたのであり、日本の国土と住民はアメリカに蹂躙されたのだった。

沖縄に雲霞の如くに群がる敵を迎撃するために、連日に渡り特攻機が九州各地の基地を出撃した。他にも特殊潜航艇による特攻も行われたが、何れも悪戯に犠牲を増やすだけの徒労に終わった。
そして最後は戦艦大和以下の第二艦隊の水上特攻で、実質的な沖縄防衛のための作戦は潰えてしまっていた。実際のところ、この作戦も海軍の面子に拘っただけの無謀なものであり、真実は第二艦隊の出撃前に実質的に沖縄は見捨てられている。
その後は最終防衛ラインとしていた沖縄を放棄し、本土決戦構想へと日本軍の作戦は移行して行く。

沖縄では中学生男子は兵士として、女子は看護婦として徴用されていた。住民たちは山間部の洞穴や、沖縄独特の構造を持つ大きな墓などへ避難していた。
本土からの援護の期待できない状況下で、塹壕を掘り貧弱な装備でゲリラ戦を展開するしか無かった日本軍はもはや無力でありながら、住民には軍への絶対服従を強要するだけの狂信的な集団と化していた。命令系統も寸断されてズタズタで、その場その場の指揮官の考えにより抵抗が続けられていた。
米軍は洞穴や塹壕を砲撃と火炎放射などで、虱潰し(しらみつぶし)に攻撃すると同時に、投降を呼びかけたが、それに応える人は少なかった。

沖縄の人々は敵に対する恐怖を植え付けられていたが故に、投降を呼びかけられても応えずに次々と自決(手榴弾・小銃・刃物・飛び降りなど)して果てて行った。
ガマと呼ばれる洞穴に身を潜めていた時、米軍に気取られるのを恐れて泣き喚く子供を殺したりする場面もあったと聞く。

この沖縄戦で有名な話しのひとつに、『白旗の少女』がある。混乱の中で家族とはぐれた幼い女の子が、避難民の間を転々とし最後には負傷したお爺と盲目のお婆が二人で隠れているガマに辿り着く。
少女はそこで受け入れられ、暫しの間を二人と一緒に過ごすが、やがて別れの時がくる。
お爺は少女に白旗の意味を教え、お婆はなけなしの白布で旗を作ってくれた。
二人に「アメリカ兵に会ったら、怖くても笑いなさい」と諭され、少女はガマを出される。
少女は白旗を掲げ、アメリカ軍へ向かう。そして保護され、収容所で離散した姉達と再会したのだった。

 戦後も長い間、沖縄はアメリカの占領下にあった。日本が形ばかりとはいえ、独立国として再建の道を歩み出しても、沖縄はアメリカの統治下にあったのだ。
本土から沖縄へ、沖縄から本土への行き来には、パスポートが必要であった。沖縄は終戦後も外国であったのだ。
苦難の歴史を背負わされた沖縄には、今も悲惨な悪夢に悩まされる人々がいる。
基地問題に揺れる彼の地に、新首相はどんな気持ちで足を運んだのだろうか。
式典での女子高校生は「負の連鎖を断ち切り、正の連鎖を・・・」と訴えていたが、その気持ちは果たして総理以下のお歴々に届いたのだろうか。
無力な私としては、沖縄の人々の気持ち、想いが真実に総理の心に届いていて欲しいと願うばかりである。
Commented by ryukyu at 2010-06-28 17:58 x
私の両親も 戦争体験者であり いまでも 戦争の悲惨なことを よく話しています。

しかし日々の生活では 明るく過ごしています。もちろん 基地や 戦争は反対していますが 「なんくるないさ」=「ケセラセラ」=「let it be」の精神が 根底にあるようです。

自分を守ろう 家族を守ろう 組織を守ろう 日本を守ろう・・・・
自我は 常に何かを守ろうとする 行為をおこしてしまいます。

守るものなんて 何もないんだ という 気持ちになって 初めて みんなと一緒に生きる喜びがうまれてくることを 気付いてほしいです。

沖縄の基地問題は 自分たちを守ろうとする 感情や行為の場合は うまくいかないと思います。

沖縄には 地球のチャクラが開いているそうです。今後 この沖縄の地で 人々が 精神的なレベルの上昇が起こる 予感がします。

levinさんも期待してください 
Commented by levin-ae-111 at 2010-06-28 18:34
ryukyuさん
コメント有難うございます(^^゛
素敵な言葉ですね「なくんるないさ」、大いに期待しています。
ありがとうございます。
by levin-ae-111 | 2010-06-28 05:13 | Comments(2)