日本とユダヤの不思議な関係(8)
2010年 07月 06日
水上氏の著述によると、三社祭りで有名な浅草の浅草寺の浅草神社の紋はユダヤのガド族の紋章だという。浅草寺は千数百年の歴史を誇り、ここの紋章は三網紋であるが、その由来は三人の漁師が網を揚げたところ、金の観音像が引っ掛かってきた伝説に由来するらしいが、この説は真っ赤な偽物であるとする。
それはイスラエルのガド族の紋章を更に簡略化し図案化したものであり、ガド族は浅草神社の氏子となった。
日本に於ける紋章の起源はシュメール・パビロンにあり、との学説は戦前に唱えられている。その中で日本の原民族について、モン・クメール、マラヨ・ポリネシア、ツングースが主要な構成民族であるが、中心となる天孫族はシュメール族とバビロニアンだとの説を昭和2年に三島敦雄氏が発表されている。
天皇のことをミカド或いはスメラミコトと呼んだりもするが、この語源はバビロニアンのミクド(天から降臨した、開拓者の意味)だとし、スメラミコトはサマリアの皇帝という意味であり、聖書に登場するサマリア人は失われた部族に含まれる。
一般に庵紋と呼ばれる建物を図案化した日本に於ける幾つかの家紋は、旅路の途中で即席に造った神殿で、その前途の安全と幸福を祈ったことの名残だ。
庵とは仮の建物の意味であり、私達日本人の遠い流浪の記憶を示すものなのである。
また武士の家紋にもユダヤの象徴が見られ、鹿児島の島津家はルベン族、仙台の伊達家はシメオン、高知の山内家をレビ族の子孫とした人物がいた。その理由はこれ等の武家の家紋と似た文様がかつてのシメオンやレビ族の根拠地とされる場所から見つかっているからなのだという。
島津氏と四国の長曽我部氏の祖先は秦氏であるとされており、現在では意味を失ってしまったものの、家紋には彼らの祖先の象徴が残されているのである。
先に挙げた幾つもの証拠とこれ等を合わせると、どうやら私達の祖先はシュメール、南洋方面、北方アジアなどの各方面から列島へ移住して来たらしいが、その中でもシュメール方面からの人々が力を持ったようだ。
秦氏といい、平安京といい、祭りといい日本の伝統的な行事や習慣は彼らのそれに塗り替えられているのである。
日本の神話の元であり、古文書では唯一の正史として認定されている『古事記・日本書記』は彼ら渡来人の子孫が作り上げたものであるようだ。
例えばイザナギとイザナミの結婚のシーンだが、天の御柱を男女の二神が逆方向に巡って出会い、その時にイザナミは「あなにやし、えおとこを」イザナギは「あなにやし、えおとめを」と言ったと古事記にはある。
この『あなにやし』とは、普通には「ああ、なんとよい男なのでしょう」という様に
感嘆符として解釈されている。
しかしこの意味は、日本語では本当のところは意味不明なのである。それよりも、ヘブライ語と解釈すると「アニーアシー」という言葉が近く、この意味は「私は結婚します」であるらしく、そうだとすれば古事記のイザナミとイザナギの結婚シーンと完全に附合する。
この神話の冒頭のシーンは、実際にユダヤの結婚の儀式に近いものであるらしい。
ヨーロッパの貴族が日本にいちゃもんを
つけようと調べたところ欧州のそれよりも歴史が
古いことが分かりクレームをつけられなかった・・・と
明石さんの本に書いてありました。
確かに12部族の紋章と神輿にみられる
紋章は 似すぎて いますネっ。
知人のイスラエル人は日本語の発音に 違う意味 を
見出したりしているようです・・。
(他民族を 人間 と思わない宗教を嫌っておりますが・・)
次回のエントリー、楽しみにしております。
いつも有難うございます(^^)
十部族の渡来というより、それ以前の共通のベースがあったかも
しれません。それが日本とユダヤに残っていて、後に日本に渡って来たユダヤ系の文化と重なって強化されたのかも知れない。
こう考えていますが、どうも論拠が乏しい感じもします。
宗教については、到底、容認できる考え方ではありませんね。
野蛮で身勝手です。NTさんの教えてくださったサイトで、その理由が判ります。ミロク原理というサイトですが、URLはこのブログのコメントに載せてくださっています。
NTさん 鍵コメなので私には見えないのですよ・・。
ひふみ神示系のサイトでしょうか?
よろしかったらNTさんの了解を得て
URL教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。