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by levin-ae-111
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十六菊花紋の秘密 13

あなた方は今、死と再生のときに差し掛かっている。この死と再生の節目は、人類を裁くためや苦しめるためにあるのでは決してない。この節目を通り越すことによって、人類は新たなる展開を迎え学ぶべき世界と創造に出会うのだ。
人類の文明は約800年が昼の時であると伝えられている。誕生から800年が毛手かすると人の老化と同じく、急速に衰退へと向かうのである」
千賀は後に調べてみると、まさにその言葉どおりにインダス文明は誕生してから約800年後の約4000年前からアーリア人の圧迫を受けていたのだった。


3.正反対の時間スピンに操られる人類の歴史
 
インダスの次に文明が勃興した東洋の地は、インドであった。ガンジス文明は、私たち日本人にとっても仏教の発祥地として馴染みが深い。日本人が中国から輸入したガンジス文明の中枢とも言える仏教その他の学問は、天竺と呼ばれたインドから始まっている。
そのルーツがインドのガンジス川流域に栄えた古代インド文明であり、ガンジス文明と言われている。
「その通りだ。ガンジス文明は、インダス文明誕生の地モヘンジョダロから、22.5度東に花開いた。『ウパニシャッド』などインドの高度な哲学には、インダスで培われ感性が引き継がれている。民族に変動が起こった後にも、アーリア人たちはインダスの人々から学んだのだ。あなた方もよく知るヨガは、その典型だ。このヨガの体系と共に彼らは高度な宇宙観を学び培ったのである」

 この文明について千賀が後に調べたところ、やはり老人の言う法則どおりであったので彼は驚いた。古代インドにアーリア人が入ったのは3100年ほど前で、『リグベーダ』の成立やバラモンの確立が3000年ほど前である。それは老人の言う聖なるリズムに則した年代であった。
 更に地図で計測してみるとモヘンジョダロから22.5度は、東経90.0度であり、それはガンジスの中心だった。何ということか、年代も場所も完全に一致している。
もし全ての歴史が、このパターンで進行しているとすれば、もはや偶然とは言えない。
「次の1600年後は、西暦400年に当たる。この時代の世界の中心も、あなたはご存知のはずだ」
千賀は唖然とした。私たちは西洋文明がリードする時代に生まれ育っているので、はじめから西洋文明の方が進歩していると思い勝ちだが、そうではない。歴史を検証していくと、彼ら西洋の人々が世界をリードし始めたのは、西暦1000年代を過ぎてからだある。
それ以前は中国が世界の文明をリードし、世界中から人々が学びや交易の為に押し寄せていたのである。日本の遣唐使などもその一例である。
この中国の眩しいほどの輝くような繁栄も、地球という惑星の持つ命の脈動によって目覚めさせられた輝きであったというのか。

 千賀はこれについても後に調べてみたが、やはりオドロカされる結果であった。ガンジスの中心から22.5度は位置的に唐の中心であるばかりか、都であった落陽の位置でもあった。落陽は中国の歴史上でも最も長く都が置かれていた都市であり、中国の歴史に最大の影響を及ぼした都でもあった。
 次はどこであろうか?更に1600年後の地も法則どおりであれば、もはや疑う余地など無いと千賀は思った。
千賀は頭の中で計算している。西暦400年+1600年は・・・それは2000年であり現代である。そして焦点となる地球生命の脈動ポイントは、112.5度+22.5度で135.0度だ。それは前に老人が話していた数字だ。
そして、その位置は何と日本の・・・千賀は言葉を失ってしまった。
東経135.0度とは日本国の標準時のライン、つまり日本列島の中心であったのだ。
この東経135.0度いう位置が如何に微妙な位置であるのか、千賀は地図上で確認しながら何とも複雑な気持ちになった。
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by levin-ae-111 | 2011-05-31 05:18 | Comments(0)